●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
米中の生物兵器開発?
謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―
犯人像
・毒物の取り扱いに慣れていた人物
・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?
・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。
・警察は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!
戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答
安倍は起訴だ!!
安倍前首相不起訴 “事実誤認あり不当” 検察審査会に申し立て
リニア反対!!
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本
終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!
父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。
第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
中国侵略史から学ぶもの
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
PTSDの日本兵と家族の交流館
・多様性をどのように日本に取り入れる?
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
学友会へ寄付
学友会へ左の寄付ありたり
ー金6円10銭なり 青木勉君
9月中職員異動調
月日 異動事項 官職 氏名
7.1 昭和4年7月1日付願
研究生継続の件許可す 臼杵 仁
9.5 上京の命ず(在大阪)
嘱託 村田 正大
10 宮地と改姓 技手 青木甲子男
11 京都、大阪及福岡の2府1県下へ出張を命ず
技手 菊地 常雄
11 宮城県下へ出張を命ず
嘱託 中村二三郎
12 依願伝染病研究所に於ける治療研究業務
嘱託を解く 嘱託 大沢 セイ
12 伝染病研究所に於ける治療研究業務を
嘱託す 嘱託 杉島 一郎
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
3章 細菌戦裁判弁護団から
日中共同声明と個人の戦争賠償請求権
荻野 淳(弁護士)
今回の判決の中で、日中共同声明の解決について大きな問題が生じています。今回の判決は、これらの条約で、中国の個人に対する補償は既に解決済みであるという解釈です。
しかし、それは1つの見方であり、私は誤っている解釈であると考えております。同様に中国の弁護団の立場としてもそのような解釈はしていません。
私は、日中共同声明では国家としての戦争賠償請求を問題にしていて、中国の個人の戦争賠償はこれとは別であり、影響を受けていないと考えています。
私達は、この解釈を元に裁判を続けていく所存です。今後の裁判では法律的な問題点として、これが重要な点になると思います。私達は法廷内外で、この点について判決が不適切であるという事を明確にしていきたいと思います。(8.28国会内集会で発言)
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
三月二十六日
射撃アリ 監的手として朝早く行く 珍しく北風にして非常に寒くやり切れない 晴 風寒し
北風吹き来る中に監的手として射撃場に行く あまり此の日記に射撃射撃と書き出してある故に一度kの割合に平凡なる内に あたりの地形を書き出して又昔の思い出にして見よー?
先中隊を出て 左の折れて真っすぐに進めば 右には満鉄高級社員の舎宅を見つつゴルフ山(名前の如くゴルフの芝山)に上り 先にゆく事五十余松林の山が 右に満鉄の農園が 一望十里に見える
春に呼び起こされて立ち働く支那人が 行儀よく揃って仕事をしている。主としてリンゴ畑に使用され 又所々に小さい建物がある。
Ⅱ 広島再訪
僕はそれが実際にどのような光景であったかを知らない。しかし、この被爆者の言葉に、原水禁運動の統一への、彼の最も率直な希いが込められていることを感じ取らない聴衆はいなかっただろうと思う。
確かに僕の見た今年の平和公園は、極めて穏やかであり静かで、いかなる葛藤の気配も起こらなかった。原爆記念日の朝、記念式典に参列するために芝生に坐っていた僕は、雨雲の垂れこめた空はもとより(この19回目の原爆記念日には、午後から度々驟雨降り注いだ。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
昆虫班でのノミの増殖
ノモンハンでの細菌撒布も
鶴田兼敏(つるたかねとし)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1921年生まれ
1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)
1939年10月 退職
1945年12月 帰国
■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。
解説ーノモンハン事件 (西野留美子)
被告・西俊英は、教育部長引継ぎの時に、ノモンハン事件で細菌兵器を使用したことに関する書類を見た。そこには写真の原板や作戦に参加した隊員の名簿(将校2人、下士官・兵約20名)と、決死隊隊長碇軍医少佐の命令書があったと証言している。また西は、作戦においてハルハ河に腸チフス菌、パラチフス菌、赤痢菌が投入されたことも述べている。
この時、碇少佐の下で決死隊に編成された倉島氏は、「ハルハ河にもその支流にも、石油缶に入れて持って行ったチフス菌を流した。ところが細菌は水に弱く。大した効果は上がらなかった」と話す。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
榊原秀夫自筆供述書(1956年5月12日)
「8.15」直前に牡丹江へ撤退する際に携帯した器材、細菌の種類と数量について。防疫医极2組を携帯した。その中には小型蒸気滅菌器2具、乾熱滅菌器3具、小型ふ卵器3具、シャーレ1000個、試験管1000本、ペプトン0.8トン、圧縮肉又は肉エキス0.7トン、寒天2トン、食塩0.3トンが含まれ、全部で66梱包あった(この2組は作戦で備えたものであった)。その他、顕微鏡80台、小型蒸気滅菌釜1具、小型蒸気滅菌器2具、乾熱滅菌器3具、大型ふ卵器2具、小型ふ卵器3具、石井式培養器1000個、ペプトン3トン、寒天5トン、肉(圧縮肉又は肉エキス)3トン、食塩0.7トン、濾水器(乙、丙、丁、戊型各10台)、並びに食糧、弾薬などがあった。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第3章
2 国内民間人の防毒訓練
防空演習と防毒訓練
最後に、一般国民が関わった毒ガス関連の訓練はどのようなものだったのかについて触れておこう。国民は、飛行機の空襲に備える防空演習の一環として行われた防毒訓練で毒ガス関係の講習を受けたが、これは軍部の国民に対する防空政策と深い関係があった。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
最初の毒ガス被害者
いったい、幸見さんはどのようにして害を受けたのか?彼がゴム管を青酸ガス槽の中に入れて酸を注入しようとしていた時、その飛沫が防毒マスクと前掛けにかかったのだ。防毒マスクの吸入缶の中和層は、もうとっくに毒剤で腐食し効力を失っていたので、毒剤は体内に吸収されて重大な事故に発展してしまった。この種の青酸は本来なら極めて恐ろしい毒性を備えたもので、人が臭いをかいだだけでしばらくは知覚を失うというものだから、いったん接触したらどんな人でも難を逃れることはできないだろう。幸見さんはこのように簡単に生命を奪われたのだ。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
強姦
赤ん坊を殺し母親を犯す
石田幹雄
兵長
〈略歴〉
1913年 山梨県の中農の家に生まれ、
1928年 小学校卒業と同時に東京に出て、印刷労働者となり、
1941年10月20日 補充兵として東部63部隊に入営。
1942年5月末 中国に侵略し、
1945年8月22日 59師団54旅団110大隊兵長として朝鮮においてソ連により武装解除を受ける。
日本の為にならない匪賊を退治するのが戦争だと学校の先生も、お役人も、坊さんもそう教えた。
私はお国の為に尽くせる兵隊となって戦地に渡った。だが、私が旗の波と歓呼に送られ、訳もなく心で泣いて国を出てから、何をしていたか?父母も、私の友達も本当のことは知らなかったであろう。・・・私は中国に渡ってから、全く戦争と言うものの虜となって、目先が見えなくなり、銃剣を持っているがゆえに、何も持たぬ中国の人たちを思うままにできることに有頂天となっていた。何の抵抗の意志もなく、野良仕事をしている百姓を撃ち殺し、百姓の家を焼き払い、婦人を蹂躙して喜んでいた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。
なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?
何を隠そうとしている??
次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~
419号法廷
「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~
法廷未定
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
2 陸上自衛隊におけるCBRN対応
(2)教範から見えるCBRN対応
以下具体的に教範の内容を見ることとしたい。
・「案32-116化学科操典(草案)」(1957年4月)
(3)この教範は1957年4月24日付で配布されたものである。先ほど述べた幹部学校の編纂委員会の活動の成果である。本教範作成の目的を「はしがき」は、「陸上自衛隊化学科部隊の運用及び訓練に関し準拠を与えることを目的とし、化学科部隊の大隊、中隊、及び独立して行動する小部隊の運用に必要な原則並びに化学幕僚の活動について記述する」としている。
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
4、日本本土も汚されている
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
機動隊の催涙ガス作戦
1968年1月のいわゆる佐世保事件で、警察機動隊が使った「催涙ガス」(CN)が大きな社会問題になった。それが69年1月の東大本郷安田講堂事件では、催涙弾の直撃を受けて負傷者428人、失明1人、重傷者76人を出すというこれまでにない残虐行為が行われ、「化学兵器」のもつ非人道性が大きく非難されるところとなったのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅲ
敗戦の廃墟のなかで暮らしていた大部分の日本人にとって、天皇・マッカーサー第1回会談の重要性は、このふたりの指導者が相互に敬意と協力の精神を打ち立てたことではなかった。また、ふたりの会話として公表された内容でもなかった。日本の国民にとっては、アメリカ人カメラマンが撮影し、9月29日に日本の主要な新聞各紙がこぞって掲載してセンセーションを巻き起こした1枚の出来映えの良い写真こそが重要だったのである。写真はごく近くから撮影され、そこには、眼鏡をかけた天皇が、正装のモーニングコートと縞の入ったズボンを着用し、ネクタイをきちんと締め、両手を真下に伸ばして、まるで直立不動の姿勢をとるかのように立っている姿があった。一方、その傍らにいる天皇より背の高い人物がマッカーサーであり、開襟の制服姿でネクタイも勲章もつけず、くつろいで無頓着な様子で写っていた。元帥の両手は腰に当てられ、隠れて見えなかった。ふたりはカメラをまっすぐに見つめていた。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
あとがきにかえてー自然エネルギーの展望
もともとヒートアイランドに代表される大都市が、エネルギー問題を起こしているのに、それを自然界に持ち込んで解決しようとすることは、間違いではなかろうか。巨大な電力を必要とし、消費しているのは、都会人なのである。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
· ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
· 日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
· 240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
· ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!