●中国侵略戦争
●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
今や、普通の国だって、軍隊を持っていていいのかどうかを考えるようになってきている!
にも拘わらず、軍事の道に突き進もうとしている!・・・
社会は平和を求めている。世界には貧しい人々がたくさんいる。・・・
日本は平和国家としてできることはたくさんある・・・【植野妙実子中央大名誉教授(憲法学)】
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
ユーザーレビュー
一市民のあまりに絶望的な国家機密の告発
題名が『スパイの妻』であるが、主人公福田聡子の夫の優作はスパイではなく、一市民の貿易商である。優作は商談で満州に行った時に、偶然にもおそらく731部隊のペストを使った細菌兵器の人体実験を知り、さらに草壁弘子から詳しい内容を知ってしまう。正義感の強い優作は、日本軍による蛮行を国際政治の場で告発するためアメリカに渡ろうと画策する。聡子は日本国家に反逆しようとする夫をスパイに見立て、自分はスパイの妻と称する。正確には「スパイの妻に憧れる女」だろう。
ただし、一市民が国家機密を国際政治に告発するのは、この時代は余りにも絶望的である。2人がアメリカに渡るのは、とても実現可能とは思えない。危険を分散するために二手に分かれると言うが、聡子があんな狭い木箱の中で2週間も生活するのは無理だと思う。さらに密航の通報があり、聡子はあっさりと憲兵に捕まってしまう。
ところが、証拠のフィルムは優作の自作映画で、おそらく密告した手紙の差出人は優作で、わざと聡子を憲兵に捕まるようにして、聡子を守ったのだろう。二手に分かれたのも、そのためだったのだろう。確かに「お見事です」である。
最後に、優作は死んだが、死亡報告書には偽造の疑いがあったとある。その後、聡子はアメリカに渡った。優作は生きており、アメリカに渡り、聡子は約束通りアメリカで優作と落ち合ったのだろうか。非常に気になる終わり方だった。
ただし、いろいろ疑問点がある。まず、せっかく助け出した弘子が、すぐ殺されるのはなぜだろう?てっきり日本軍が証拠隠滅のために弘子を殺したと思ったら、犯人が旅館の主人なのも変である。物語の展開に関係しないのなら、弘子を日本に連れ帰る話は無くても良かったのでは。
聡子がノートを泰治に渡したのはなぜだろう?聡子は文雄を憲兵に売って、夫を守ったのだろうか?甥を売る後ろめたさはないのだろうか?ノートを泰治に渡さない方が、優作の作戦が上手く行くと思うが。
また最初は、聡子は優作に反対で「スパイの妻と罵られるようになっても、それがあなたの正義ですか?」と反論する。ところが、聡子はノートを泰治に渡して文雄を密告した後は、「私はスパイの妻になります」と楽しそうに優作に言う。最初は反対していた聡子が、急に積極的になったのもなぜだろう?
そもそも、優作達が731部隊の人体実験を知る事ができたのはなぜ?極秘事項である731部隊の人体実験で死んだ死体の山を、一市民である優作達に見せるとは思えない。また、それに関わっている看護婦の弘子を、簡単に満州から連れ出せないと思うのだが。
一市民が国家機密を知ってしまい、国家に反抗しようとするサスペンスとしては一流だと思うが、これらの疑問があり、物語に必然性がない所(ご都合主義の所)があり、どうしても評価は「4」である。
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
◎ビキニ水爆実験
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!
---------(引用ここから)--------------
ある退官記念講演にて
ところで、最近、全日本医学生連合中央書記局で出している「全日本医学生新聞」(1973年4月1日号)がつぎのような記事を発表している。以下はその全文である。
(中略)
東大宮川教授に対する追及は、3月2日最終講義の場において大衆的に貫徹された。
公開質問状
放射線科 宮川 正教授殿
医学者の"名誉"とは?
それに対し教授はいかなる対応をしたか。
彼はまず何より戦後20数年たった今日、"隠しおおせた"と思っていた自らの戦争犯罪が「最終講義」というまさに土壇場で曝露されたことに対し驚きと狼狽を示した。
「最終講義は授業の場だから答えられない」といったり、
「最終講義はセレモニーでしかないから追及されるくらいならやめてしまってもよい」などと矛盾したことをいいつつ、公開質問状に回答することを拒否した。
はては「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」となどと泣き事ともつかぬ事をいいだす始末だった。
戦後「医学者としての戦争責任」を何ら追及されなかったばかりか逆に医局講座制の頂点に君臨してきたこの教授が土壇場で演じたのは、自らの戦争責任を大衆の場で明らかにすることではなく、自己の"名誉"を必死で守り抜こうとする醜態でしかなかったのだ。
細菌兵器と生体実験によって中国人民を虐殺した731部隊の犯罪性を捨象し、「最終講義で追及されることを残酷だ」としか感じとることのできない人間に「医学者」を名乗る資格はない。
3月2日、われわれの闘いによって講演後2時間余りにわたって宮川教授に対する大衆的な追及が展開された。
われわれの追及に対して、宮川は昭和19年4月から20年8月まで731部隊に所属していたこと、又放射線によるワクチンの研究を行なっていたことを明らかにしたが、「自分が第何部に属していたかは知らない」「人体実験はやっていない」などとうそぶき、"核心"にふれる事については「知らない。忘れた」など一切"黙秘"を押し通すことによって居直り続けた。
そして「医学者の戦争責任」についても、すべて「戦争が悪い」「天皇の命令だからやった、反抗すれば殺されていたかも知れない」などということによって自己を免罪し、あげくの果ては「日本国民全体の中の一人としてなら反省してもよい」などと"反省"にならぬいいわけを並べたて、彼の本質を大衆の面前で曝露した。
防衛大に対しても、「よく知らない」「自衛隊の中にも医者は必要だ」といいのがれをし"軍医養成と軍事医学研究"という指摘をつきつけられるや、「軍医の役割は大きい。軍医は必要だ」とヌケヌケといってのけた。
このように居直る宮川教授に対する追及は、席を立つ学生がほとんどいないという熱気の中で続けられ、731部隊の戦争犯罪を大衆的に確認し貫徹された。
(以下略)
---------(引用ここまで)--------------
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
緊縮に関する所長訓示
3、アルコール・ガーゼは丹念に再製し別途使用に供し決して粗漏に流れざる様なす事
4、顕微鏡は吾人研究者にとってはあたかも軍人に於ける武器に等し極めて大切に取扱い保存方に就いては日常細心の注意を払う事
6、電灯、ガス水道及び電話の消費使用に留意すべく而して今後電話の私用に際しては必ず規定の料金を支払う事を励行する事但し全て消極的節約に陥らざる様心掛け例えば水道の如きも清潔法励行の場合の如きは必ずしも使用に吝ならずして可なり
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第2部
第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意
2章 細菌戦被害調査委員会から
日本軍と戦った常徳市民の意志を引き継いで
陳玉芳(常徳市細菌戦被害調査委員会、湖南省常徳市)
ここで、あるエピソードを申し上げたいと思います。
常徳では1941年に細菌戦があり、1943年には10万人の日本軍に包囲されました。その結果、、常徳市は一面瓦礫と化しました。その時、我々中国の軍隊は8000人で、10万人の日本軍と闘う状況でした。中国軍の李将軍は、市民たちを連れて撤退しろと常徳市市長に命令を出しましたが、常徳県の戴県長は400余りの市民と一緒に市長と李将軍に請願をし、「我々の市民は軍隊と一緒に危急存亡」と語りました。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
三月十日
全く重機部隊としての我々の臨時使役兵の初年兵の為に演じた 全く冷や汗をかいた。これはこうである。閲兵も事無く終わり分列式の晴れの場所に向かい 大隊に対して頭右向のまま直前に来た刹那驚くべしー僕の隣の初年兵(名前は秘す)が重さに耐えかねて手を滑らし 衆人環視の一番大切な所にて銃の前コンを落とした。僕はハッとしたがやむを得ない 使役兵だ すぐさま拾うと同時に其場の械敷にて之を交換した。そして冷や汗の流れる思いをしてその場を通り抜けた。本当につらかった。見ている人たちはどのように感じたか知らないが こんなことは一生に二度とあるまい 又あってはならないのだ。
Ⅱ 広島再訪
一瞬彼は平和運動の可能性の≪幻影≫から目覚め、恐怖心と疑惑に圧倒されて、自らを救済する見込みの全てを失ったのではないか?もし、そうでなかったにしても、少なくともかれは深甚な無念の情と共に孤独な死を迎えた筈である。それは既に償い難い。この数日、広島を埋める数万人の大会参加者の全てにとって償い難いものをひそめた死だ。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
生体解剖をやらされた
意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・
鎌田信雄(かまたのぶお)
731部隊・少年隊
(経歴)
1923年生まれ
1938年 731部隊入隊
1940年 新京の防疫でペスト感染
1943年 病気療養の為帰国
■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
帰国後
海軍は横須賀から離れた武山に入隊になりました。そこで新兵教育を受けたのですが、ペストがすっかり治っていなかった為に銃剣術の練習の時に血を吐き、横須賀海軍病院、そして霞ケ浦航空隊病院へ送られたのです。その後、高崎の日赤病院で療養しながら看護婦に環境衛生の教育をする仕事をしました。終戦を迎えたのは大湊でした。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
四 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集
秦正自筆供述書(1954年9月7日)
1945年7月20日頃、調査課の石光課長の命令を受け、関東軍司令部第4課の原参謀のところに赴き、鼠収集の任務を与えられ、「満洲国」を通じて住民に1ヶ月以内に約20万匹の鼠を捕らえるよう強制することになった。
私と柴田雇員は関東軍司令部の原参謀(後方参謀、中佐)の所に出かけ、彼に任務を説明したが、彼は「この件についてはしばらく待つように」というだけで、具体的な説明はしなかった。しかし持ち帰るよう命じられた伝言には、日本の敗戦の必然性が暗示されていた。私は柴田を部隊に帰らせ、石光課長に前記の情況を報告した。
(1)119-2、893、1、第5号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章毒ガス兵器の製造と教育
4 毒ガス戦の訓練や教育はどのように行われたか
2・26事件に陸軍習志野学校出動
ところで、陸軍習志野学校に最初の出動命令が下されたのは、1936(昭和11)年2月26日に起きた2.26事件だった。陸軍の青年将校らは武力による国家改造と軍部による政府の樹立を目指してクーデターを起こし、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監を殺害し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、首相官邸・国会・陸軍省・参謀本部などを占領した。これに激怒した昭和天皇は、直ちに反乱軍の鎮圧を命令した。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
原爆の爆破地点と毒ガス工場は目と鼻の先だ
強烈の光は100マイル先まで照らし、爆発時のすごい音が10マイルの先でも聞こえた。2820もの建築物が瞬時にして瓦礫の山と化した。1マイル幅の市の中心は、大火が地面から湧き上がって飲み込まれ、強風の中で粉々になった建物や屍による灰が空に舞い上がって、大気層まで突き抜けて行き、その後4周に散り、天空高く大きなキノコ雲が出現した。炎に舞ったキノコ雲の下は真空となり、冷たい空気が周囲から押し寄せ、それは徐々に速度を増して、爆破後2~3時間の間は、ビュービューと時速30~40マイルの強風が吹き荒れ、煽られた炎はますます激しく燃え盛った。この熱風の周囲のあらゆるものは最初の熱波で焼けただれたが、それがさらに次の熾烈な火の勢いを呼び、火の舌はまるで大地の中から土を破って沸き出てきたようにあたりをなめつくした。何時間の内には、4平方マイル四方は天も地も火の海となった・・・・
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
毒ガス実験
―8名の農民を生体実験に
三上忠夫
軍曹
〈略歴〉
本籍地 千葉県銚子市
出身階級 漁民(小資産)
学歴 尋常小学校6年中途退学
卒業後の職業 漁師
最終部隊 旧59師団歩兵第54旅団独立歩兵第45大隊
捕虜年月日場所 1945年8月23日 北朝鮮咸鏡南道興上里小学校
年齢 37歳
岩流店の東北方の小高い丘の上の窪地に8名の老百姓が肩を突き合わせながら座っており、その正面に全員集合した。
「全域掃討異状ありません」「何か目ぼしい奴はいなかったか」忌々し気に富山が篠原の方を見て言った。「ハッ、おりません」「そうか仕方がない、こいつらを今から赤筒をたいてガス実験をしながら搾ってやれ」「ハッ」篠原が青白い顔に、苦笑いを浮かべながら答えた。「各分隊から2名ずつ警戒兵を立て、残りは全部こいつらを取り巻いて輪を作れ」富山が大きな声で怒鳴った。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
731関連裁判の動向について 和田千代子
(1)『衛生学校記事』の情報公開裁判
①原告側は、防衛省の『衛生学校記事』の隠蔽の2つの事実の角度から暴いてきた。第1は衛生学校が自ら発行した『衛生学校記事』を保管してきた事実であり、第2は衛生学校長を務めた金原節三氏(戦時中陸軍省医務局医事課長、1955年~57年衛生学校長)が1976年に死亡した後に遺族が衛生学校に寄贈した2028点の「金原資料」の中に『衛生学校記事』が含まれており保管され続けている事実である。
DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」
・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は
12月16日(水)11:00~になりました。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
秘密の中のBC兵器
したがって「液状VXに接触すれば、VXの経皮効果により、装面(防護器材の装備)している部隊人員といえども死傷となることが予測される」だけでなく、「多くの不確定要素をもっているため、直接あるいは間接の液状汚染による死傷率の効果的な見積りは困難であり、死傷発生数は、防護装備品の装着、攻撃後の部隊の防護行動等の成否に左右される。ただし汚染後、2乃至12時間経過して化学死傷が発生することは予測できる」(阿達憲「新しい化学剤及び生物剤の用法」『化学学校記事』第11号)のである。しかも、自衛隊においても、兵器としてのVXガスの性能については、「不確定要素をもつ」と表現しなければならない程度にしか把握していないのかどうかはともかくとして、それほど新しく開発されたガス兵器で、秘密にされている兵器であることにかわりないのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅰ
その一方で、ほとんどの日本人は、占領が何をもたらすかについてみずからの考えを持っていなかった。軍隊の駐屯地の近くで生活した経験のある者は、連合軍が、日本軍の兵隊が中国で行ったことと同様のふるまいをするのではないかと危惧した。つまり、略奪、強奪、強姦を心配し、さらに雑婚の結果、民族が弱体化する恐れを口にしたのである。占領軍の上陸後における強姦と暴力の心配にまつわる問題については、すみやかに処理された。近衛の示唆を受けた東久邇は、わずか数週間のうちに日本の本土にやってくる性に飢えた連合軍兵士の相手をさせるため売春婦の動員を承認した。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
火力発電所と原子力発電所のエネルギー効率の違い
また、天然ガスは可採年数が60年とされてきたが、実は地球が内部から生み出すもので、無尽蔵に生産される、という科学的な説も有力になって来たので、業界内部では枯渇説はほとんど語られていない。日本は、天然ガス埋蔵量が2兆㎥を超えるとされるロシアのサハリン開発に参加し、大手のガス会社と電力会社が権益を確保してきた。これとは別に、純国産天然資源としてシャーベット状に眠っている純正な天然ガスのメタンハイドレートは、日本近海に100年分も分布することが分かっている。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
内容
当条約の原文は、国連公用語である英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている[33]。なお日本は不参加のため外務省の公式な翻訳はないが、外務省は英文、暫定的な仮訳、日本国政府の考えを掲載中。
当条約は前文と20の条文から構成される。前文では核兵器の非人道性、全廃の必要性、安全保障上の利益、「核兵器のない世界」の達成、国際人道法、過去決議との関連、法的禁止、平和利用、教育の重要性などを締結国の認識と記載した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!