●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
黒井秋夫講演会
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
◎ハンセン病
病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。
感染経路は、らい菌の経鼻・経気道よりのものが主であるが、他系統も存在する(感染経路の項にて後述)。らい菌の感染力は非常に低く、治療法も確立した現状では、重篤な後遺症を残すことや感染源になることは無いものの、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じ、他者への二次感染を生じる事もある。
2018年のWHOによる統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は、年間約21万人である。一方、日本の新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では極めて稀な疾病となっている。
現在全国15の療養所内に約4700名の回復者の方々が生活しています。少ないながらも療養所を出て社会復帰した方々もいます。1907年(明治40年)から1996年(平成8年)まで、90年にわたり患者は国の強制隔離政策の対象とされてきました。
・関わった元731部隊員・・・小林六造(戦時中は、731部隊の嘱託。戦後国立予防衛生研究所長、国立癩(らい)研究所長を歴任
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第2部
第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意
第1章 原告団から
日本は道徳を持ち謝罪と賠償を
周 洪根(原告、浙江省義烏市塔下洲)
もともと私は村の中でも豊かな暮らしをしていましたが、日本軍は私たちの家を焼き、家族を養わなければならない父は過労で倒れました。このペスト菌の流行によって私たちの生活は未来の見えないものになりました。感染者はすぐに隔離されました。感染者は高熱が出て、喉が渇き、リンパ腺が腫れ、皮膚が紫色になるといった症状が出ました。村のある人は感染後、隔離され、しばらくすると歩けなくなり、ある晩喉が渇いたため家に帰りましたが、感染を恐れた家族は彼女の帰宅を拒否しました。彼女の姑が「いい子だね、ここにいたらみんな死んでしまうよ」となだめて、彼女を帰しました。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
二月二十八日
然し喜んだところで健康な体では決して弐拾四時間寝ていられるものではないから あたりかまわず歌をうたったり大声で騒いだり。最も少々胸は痛むが それが為に沈黙しなければならないほどの痛さでもない。下士集会所に於いて講談と落語の夕べがあれど行く気なし
炭坑では馬賊事件で騒いでいる。ほんとうによく出る所だ。後二日たてば又炭坑に行かねばならない。
そしてまた早く引き上げるのだ。明日は外出禁止が解かれて初めての日曜日だ。
注射こそしたが行きたいものだ 久しぶり故ね。
1 広島への最初の旅
森滝代表理事の基調報告、それは死者たちと被爆者たちへの言葉から始まる。彼は広島に固執している。広島の被爆者の心の内部の道がヒューマニズム一般の原水爆禁止運動の道と連なる、その人間的なインターチェンジに老哲学者の論理はしっかり立っている。彼が報告している間、背後の慰霊碑の前には、この大会に全く無関係な動きがある。死者の家族たちが花をささげて香を焚いているのだ。彼らは皆、公園をうずめる群衆が眼にも映らなければ、その拍手と喚声が耳に届きもしないというようだ。しかし、彼ら広島の死者の家族たちの存在は、僕にとって、ギリシャ悲劇のコーラス隊のように、壇の前景で行われる劇の栄光と悲劇とを最も鋭く浮かび上がらせる役割を果たすように思われる。森滝代表理事はそのコーラス隊に背後からしっかり支えられて2万名に立ち向かっている。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
解説ー細菌戦(森正孝)
細菌戦の被害状況
典型的な謀略的細菌戦であるが、それにしても無防備状態でペストノミをまかせていることを考えると下級隊員の「安全」「防疫」など全く考慮されていなかったことがうかがえる。
こうした細菌戦の結果、玉山、江山、常山、広豊、衢県(くけん)、麗水、金華、義烏などの鉄道沿線都市が、7月から9月にかけてことごとく被害を受けている。江山ではコレラ菌入りの月餅が道端に置かれ、街中では同様のニギリ飯が配布され100人以上の人が殺されている。衢県では撤退直後の8月31日、ペスト、赤痢、チフス、コレラ菌が河川、井戸、民家などに撒かれ2000人が死亡、金華では市中を流れる武義江に炭疽菌が撒かれ100名前後の人々が、義烏市崇山村では、航空機によりペスト菌が雨下され382人(近隣の村民の被害を総合すると1000名)がそれぞれ殺されている。
これらの被害は調査をした中でもまだ一部に過ぎない。浙江省だけでも40~42年の間に40~42年の間にほぼ全域で被害を受けており、今後なお継続調査必要とされている。
(森正孝)
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
四 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集
康徳12年度興濃部・文教部・協和会中央本部軍用畑栗鼠(はたりす)収集要領(1945年2月24日)
方針
本年度は行政力で軍需実験用畑栗鼠30万匹を確保する。
実施要領
5、興農合作社の買付価格は一匹一円とする。興農合作社の部隊への引渡し価格は原価とする。
6、必要な容器と飼料は部隊から支給する。
7、現地指導及び検収などに関する具体的計画は別に定める。
8、買付業務促進のために、文房具の特別配給を考慮する。
9、捕獲成績の優秀な者については、政府は表彰するものとする。
*第659部隊とは、731部隊及びその支部を含めた全体を指している。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章毒ガス兵器の製造と教育
3 民間企業は毒ガスの製造にどのように関与したか
民間企業で毒ガスとその原料を製造
また、くしゃみ剤のジフェニルシアンアルシンは製造工程が複雑なので、陸軍科学研究所の林茂技師が合理化し、ジフェニルアルシン酸を青酸で処理することでジフェニルシアンアルシンを生成する方法を開発し、ジフェニルアルシン酸を「シモリン」と呼んで日本染料製造株式会社(大阪府)と三井鉱山三池染料工業所(福岡県)に製造させ、陸軍に納入させた。シモリンという名は、陸軍毒ガス兵器の生みの親である久村種樹中将が、林技師の名を逆に呼んでつけたとされる(林茂を逆に読んで氏茂林・・・シモリン)。またホスゲンは染料に用いられていたために保土谷曹達と日本曹達二本木工場に製造設備が存在していたので、軍自ら製造設備を持つ必要はなかった(石田重雄「毒ガス並火焔剤の製造研究」防衛庁技術研究所編『本邦化学兵器技術史』)。毒ガス原料を納入した企業リストは、前項の表9の通りである。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
臨時毒ガス調査委員会
そこで委員会は常温でも存在可能な臭素を使ってこれを補った。以来、日本軍の中で「カ」号と「オ」号という2種類の化学毒剤が配備された。「カ」は軽いの「か」を表し、比重が比較的軽い塩素をいい、「オ」は重いの「お」で、比重が比較的に重い臭素を指した。毒ガスの研究及び生産は国際条約に違反するものだから、日本は特殊部分を除いては、独自の力で秘密に行った。だが、防毒器材についてはおおっぴらに行なうことが可能だし、しかも国際連盟から比較的詳細な資料を得ることができる。とはいえ、やはり当時の技術的条件には限りがあり、毒ガスの吸収缶の中に使用されているのは、普通の木炭であったから、兵士が防毒面をつけると吸気の時に同時に多くの木炭粉末を吸い込み、顔が真っ黒になったという。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
釘うち拷問
残忍極まりない取り調べ
原田左中(はらださちゅう)
憲兵軍曹
〈旧部隊名〉
元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊
中隊長は陰険な顔に不気味な笑いを浮かべながらうなずき、男の方に目を向けた。「うん、これは中々の大物らしい。こいつを叩きのめしたら、いい情報が出るかもしれんぞ。なあに、中国人の1人や2人殺したところで構うもんか。もっと叩き上げろ、ハハハ・・・」ビヤ樽のような腹を抱えて、気味悪く笑った。≪よし、中隊長の前で俺の腕前を見せてやろう≫私は心の中でこう呟くと、餌を見つけた鷹が獲物に飛び掛かるように、男に飛びついていき、両手を固く結んだ麻縄に手をかけると、渾身の力をもってぐっと引き上げた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点
しかし7年目を迎えた本裁判で、次の2つの事が明らかになってきました。
①『衛生学校記事』発刊当時の衛生学校長であった金原節三氏(戦時中731部隊と密接に関係していた陸軍省医務局で医事課長の職にあり、戦後1955年~57年衛生学校長)が1976年10月に死亡した後、遺族が旧軍関係史料を含め2028点を衛生学校に寄贈しました。
この寄贈された金原資料は大変貴重なものなので衛生学校は「金原節三先生資料目録」を作成し、1982年9月に「彰古館」(自衛隊三宿駐屯地に内にある自衛隊の展示室)に「金原文庫」を設立して金原資料を収納しました。
DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」
・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は
12月16日(水)11:00~になりました。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景
枯葉作戦とその被害
これらの作戦に使われたのは、24Dと245Tと呼ばれる落葉剤である。米軍の教範には5、6種の作戦方法が載せられているが、AP電は、67年3月に南ベトナムで使用されたものは、次の3種であることを明らかにした。
―オレンジ作戦 2種の落葉剤を50対50の割合で混ぜたもの、24Dと245Tである。ジャングルと穀物に使用される。
―ブルー作戦 背の高い草や穀物に使われるカコジル酸の一種が使用される薬剤であろう。
―ホワイト作戦 トルドン101と呼ばれる化学薬剤を使用しているが、これについては詳しくはわからない。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第13章 遅すぎた降伏
V
朕は茲(ここ)に国体を護持し得て忠良なる爾(なんじ)臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、或は同胞排擠(はいせい)、互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし誓て国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
誰が電力問題を起こしている最大消費者か
元々電気を売って儲けたい電力会社が、電力諸費を減らす気が無いことは、常識なのである。
しかしこうした電力総論とは別に、電力会社は、原発に夢中になるか、というミステリーがある。これは判じ物のようなパズルを解いてゆくと分かることである。
電力会社は、利益を求める企業である。利益の計算は、「収入マイナス支出」である。そこで普通の企業は、支出をいかに減らそうかと血眼になって知恵を絞る。したがって電力会社も、莫大な金を使う原発より、その4分の1の建設費で同じ電力を生み出せる天然ガスを利用した方が、エネルギー効率も高くなって自然破壊が少なくなり、企業利益も出るのに、なぜ原発の建設に躍起になるのだろうと、皆不思議がっている。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカ合衆国
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
· ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
· 日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
· 240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
· ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!