2020年11月5日木曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
細菌(生物)戦争

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

 

パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

日本でも、国立感染症研究所村山庁舎が、昨年、レベル4の病原体を輸入し、研究を開始している。また、長崎大学でもBSL4の施設を2021年の完成を目指して建設している。

 世界にも、BSL4 施設が多数あり、それぞれ色々な細菌研究をしている。

なぜ、世界にBSL4 があるのかは、731部隊に大きく関係があると思う。

それは、戦後の東京裁判やハバロフスク裁判(1949年)、瀋陽裁判(1956年)で、各国が生物兵器が兵器として有効であることが分かったため、戦犯たちを厳しく裁くことをやめ、その研究データを自国の研究所で再現し、新たな生物兵器を開発しよういう動きにつながったと私は見ている。 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

 


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


           被服支廠キャンペナーズと喋ろう


                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!



9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
 
パワーポイント資料

 



 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 





 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

松岡冬樹氏通信

長與先生

その後、ご無沙汰申し訳なく御座候。

益々ご清栄の御事とはるかにお喜び申し上げ候。

当地方もようやく雨季明け近づき日中は烈日

中々しのぎ難く相なり候。

2月初旬上流旅行より帰りて後直ちに

コンセッション地帯所在地の下流40マイル

の当アカラ村に来たり、郡役所の1室に

診療所を設け社員の診療の傍ら土民に

投薬を続け来り。

キニーネ予防服薬数約2980、処置数1336

投薬数8.30 新患者数411

患者総数3067 延人員6662(2月中旬より

4月5日に至る)の数を示し更に移民地内出張先に

於ける投薬治療を加算すれば相当数に上るべく候。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


2部

第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意

 

第1章 原告団から

細菌戦被害者の実態を理解して

楊其妹(原告の妻、浙江省義烏)

家族も家の財産も全て失い、その後の姉弟の生活も悲惨なものでした。姉はまだ子供なのに将来嫁入りすることになる家になる家に働き手として入り、夫は養子に行きました。夫の家族が亡くなった時、死体を運んでくれる人がおらず、仕方なく夫は近くの村の親戚を呼んで手伝ってもらいました。その後の生活は苦しく学校にも行けませんでした。

 

  


 


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


二月二十六日

一寸感じて運行表を見た。第十三列車(急行奉天長春行き)は煙台に止まるではないか。どうせ休むなら車中の方がーとんでもない心を起して午前五時半の急行で奉天まで行ってしまった。どうせタダだもん 少しは心配したが奉天も約一か月ぶりだ

駅で三拾分待って煙台駅で待った第十六に乗り換え 約一時間半揺られつつ遼陽に帰った。この頃の夜間勤務は本当にやりきれない 毎日のように夜中だもの

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅


 公園の周辺を右翼団体の宣伝カーも軍艦マーチとともに行進している。平和公園は周囲を紐で仕切られ、その内側には代表たちと報道関係者しか入れない。市民たちは紐の外に集まって来て、じっと黙り込み、この光景を眺めている。

 7時25分、広場の正面の建物の下から真っすぐ慰霊碑に向かって、あたかも慰霊碑にもうでる集団のように、警官たちの数百人の一隊が入ってくる。拍手がおこる。芝生に坐っている代表たちが拍手しているのだ。僕は違和感の棘の生えた衝撃を受ける。たちまち学生たちはごぼう抜きにされ追い散らされる。

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


解説ー細菌戦(森正孝)

細菌戦の被害状況

●1940年―9月、ハルビンの731、南京の1644の両部隊は、浙江省杭州市筧橋の国民党中央航空学校を接収し、ここを出撃拠点として浙江省各地域を細菌攻撃した。使用された細菌はコレラ、チフス、ペスト。ペスト攻撃が最も“有効”とされ、その最初の攻撃地は衢県である(10月4日)。続いて寧波を攻撃(10月27日)。そして11月27,28日金華攻撃へと続いた。この年は金華を最終攻撃地とすることで終了している。

 すべてペストによる攻撃であり、低空から麦粒、トウモロコシ、大豆なとと共にペストノミを雨下(投下)している。被害は衢県が最大で死者274人(実際には隔離や家の焼却ーペスト防疫はとりあえず焼却という方法をとったーを恐れて届出しない家もあり500名を超えると言われている)。寧波は同103名、金華は同160名と記録されている。

 

 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳



 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集



矢花倉治供述書(1954年10月6日)


問:ハルピン道外の憲兵分隊にいた間に、他にどんな犯罪行為を犯したか。


答:1939年7月、ハルピン憲兵隊長加藤圭二の命令により、細菌繁殖用の鼠やゴキブリを石井部隊に送った。分隊長が招集した、民衆を動員して鼠やゴキブリを捕えることに関する秘密会議に、私も出席し、いかにして動員するかの意見を述べたこともある。正陽警察署が実際の動員を受け持つことに決まったので、同警察署に4回出向き、達成情況の報告を聴取し、上官に書面で報告した。
当時、石井部隊が細菌を培養し細菌戦の準備をしていることも知っていた。
1)119-2515,1、4号


 





●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

3 民間企業は毒ガスの製造にどのように関与したか

陸軍が民間企業を育成

 その第1歩が塩素の製造であった。当時、各種毒ガスの9割は塩素を基調とする化合物と言われ、塩素は毒ガスの原料として不可欠だったが、大正時代の日本は塩素の生産力が貧弱だったので、陸軍科学研究所が民間企業を指導して塩素化学工業を育成した。1918(大正7)年4月25日に株式会社保土谷曹達(神奈川県)の専務取締役・磯村音介は大島健一陸軍大臣に対して、液体塩素の製造設備を導入したが困難があるとして、塩素は「軍国の御用品」となるであろうから製造について軍の指導を願いたいと要請し、これを受けて陸軍省は指導の実施を許可している(磯村音介起案「液体塩素製造指導の件」)。



 





 


 



 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

 1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご

臨時毒ガス調査委員会

  

その後、日本の化学兵器の研究も国内化学工業発展の影響を受けた。もとより、日本の化学工業の基礎は比較的薄弱のものであったが、戦争の影響で医薬品と染料の輸入は皆中断せざるを得なかったから、一面ではいやおうもなく、自国で解決し発展を迫られたという化学工業の現実があり、別の面では、ドイツが行った毒ガス戦が大いに日本を刺激した。そこで農商務省内に専門の化学工業調査会を成立させ、特に化学工業を振興させる政策と法律を制定した。

 

 

 







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 

 昨夜より曇っていた空模様は、朝になって雪になった。部隊も村に着いたらしい。兵隊の怒鳴る声、農民の罵る声、女の悲鳴、子どもの泣き叫ぶ声、豚や鶏の断末魔の叫びなどが人の駆け回る足音に入り乱れて聞こえてくる。≪うん部隊もやっておるわい≫私は1人ほくそ笑んだ。

「クソ婆あ、いやに手間取らせやがった・・・」独り言を言いながら、博が雪を払いながら入って来た。

「博、その辺の扉を叩き壊して、2,3本太い釘を見つけてこい」博は、しばらくガチャガチャ何か壊していたようであったが、やがて五寸釘を2本持ってきた。


 




2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

1 最近の情報公開裁判の動き

 昨年は『衛生学校記事』、『化学学校記事』の両事件を合わせて9回裁判が開かれました。

 1昨年、『衛生学校記事』裁判では、衛生学校の『図書原簿(目録)』から、かつて『衛生学校記事』『化学学校記事』が衛生学校図書室に存在し保管されていたことが明らかになりました。

 そもそも『図書原簿』の存在については、私たちも認識が不充分でしたが、衛生学校担当者が「以前存在していたが、今は廃棄した証拠」として『図書原簿』を提出してきました。

 

 



 

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」




 

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

ベトナム戦争で毒ガス使用

「ウエストモーランドはワシントン政府に毒ガス使用の件で質問書を提出した」とのAPIとUP電に関して、ペンタゴンは、「非致死性ガスの使用を米国は拒否してこなかった」と釈明をしたのである。そして、「在南ベトナム米軍司令官は適切な条件の下で非致死性ガスの使用を認めている。暴動鎮圧用ガスの使用は既に実施され、適切な条件では司令官の認可なく使用できる」と発表した。こうして、広範囲に催涙ガス、嘔吐性ガス(アダムサイト)がしようされていくわけだ。

ところで、「非致死性ガス」というのは一体どういう基準によるのだろうか。ニュー・イングランド・メディカル・ジャーナル誌の66年版でハーバードの2人の医師は次のように指摘している。

「CS,CN,DMは非致死性ガスであるが、けれども特定条件下では殺傷用ガスにかわる。例えば高濃度のものを使用した場合や子供、老人、病弱者に対して使用した場合などがそれだ。」

 暴徒鎮圧用ガスが子どもや老人を殺すだけではない、ニューヨーク・タイムズ(1966-1-13)でトンネル内の解放戦線を掃討する作戦に従軍した24歳になるオーストラリア兵1名が非致死性ガスで死亡し、6人が病院に収容されたことを報じている。その記事によれば、兵士はガス・マスクを装着していたが、窒息死したと述べている。

 

 

 

 

 

 

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 814日夜、鈴木内閣はアメリカ合衆国と他の連合国政府に、ポツダム宣言ならびに、811日のバーンズ回答を日本が受諾した旨を通告した。無条件降伏をめぐる舞台の土壇場で、天皇の行動を加速させたのが、アメリカによる心理作戦であった。813日夜、あるいは14日の朝、木戸のもとにB29撒布したビラが届けられた。木戸はこのビラの件について14日、8時半に拝謁し、その危険性を天皇に説明した。この日本民衆に向けられた最新のビラには、国体護持を唯一の条件として降伏するという日本政府の通告と、それに対するバーンズ回答の全文が掲載されていたのである。こうしたことを続けられたら、帝国政府はじつは戦争に負けているという事実と、なぜ降伏が大きく遅れたのかという理由を国民に伏せておくことができなくなる。昭和天皇と木戸は、皇位に対する批判を含め敗北主義が台頭する兆候を懸念していた。彼らは、民衆みずからが決起することを防ぐために、すみやかに行動を起こさなければならなかった。このようにして、2度めの聖断が下された。 


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

誰が電力問題を起こしている最大消費者か

 そしてこれは、【図67】に示されるように、ほとんどが企業や自治体、学校などの組織的な活動によるものであり、家庭の電力問題ではない。グラフで下に書かれているのが住宅用、つまり家庭の消費量である。家庭のピークは、家族が帰宅してそろった夕刻よりあとなので、真夏の日中のピーク電力需要には、罪がないのである。このグラフは民生用の電力消費パターンであり、このほかに産業用がほぼ同じ規模で消費されるので、真夏のピーク時に、住宅用は全体の中で更に小さいことが分かる。

  



※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 


歴史的重要度の高い核爆発・核実験

年月日           名称(実験名)            核出力 (kt)     実施国 重要性

1954年3月1日 キャッスル ブラボー 15,000  アメリカ合衆国 水爆(人類史上初の多段階、実用兵器)、放射性降下物事故(第五福竜丸が被曝)

1955年11月22日 RDS-37 1,600  ソビエト連邦 水爆(ソビエト連邦による初の多段階、実用兵器)

1957年11月8日 グラップル X 1,800  イギリス 水爆(イギリスによる初めて成功した多段階)

1960年2月13日 ジェルボアーズ・ブルー 70  フランス フランスによる初の原子爆弾

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!












 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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