2020年11月3日火曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
細菌(生物)戦争

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

 

パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

 

 日本は、1930年代、中国東北地方の平房に細菌戦部隊を創設し、人体実験を通して、毒力の強い細菌兵器を開発し、国際法を無視して、その細菌兵器を、寧波、常徳などの都市に撒いて、細菌戦を行いました。

 日本政府は、原爆投下直後、科学者を被爆地に派遣して、原爆の威力調査をまとめた報告書や、731部隊の研究データをアメリカとの取引に使い、731部隊員は戦犯免責されました。

 戦後、日本はアメリカの設置したABCCに協力し、ビキニ水爆実験では被害を過少に評価し、原発の推進に進みました。

 その後の公害問題や薬害問題、事あるごとに、元731部隊員の影が見え隠れします。

 今一度、この機会に、日本の医学の戦前・戦後をご一緒に振り返ってみませんか?



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

 


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


           被服支廠キャンペナーズと喋ろう


                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!



9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
 
パワーポイント資料

 



 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)









 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 





 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

4月中職員異動調
日  異動事故   官  氏名
3.31 昭和4年3月31日付
   願研究生退学の件
   許可す       石川省三

4.1 昭和4年3月23日付
   願研究生入学の件
   許可す               所敏一

4.10 昭和4年4月10日付
   願研究生人学の件
   許可す       国重太郎

4.10 依願免本官  技手 木村次郎
   同      同  村井景
   同      同  大野敏夫
   同      同  立原三郎
   同      同  土本重
   伝染病研究所
   に於ける治療研究
   業務を嘱託す    木村次郎
   同         立原三郎

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


2部

第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意

 

第1章 原告団から

日本政府は条理に適った解決を

 

陳知法(原告、浙江省義烏市)

 最後に、もう1つ、聞きたいのです。もし自分の妹が軍隊によってレイプされたら、皆さんはどんな気持ちになるでしょうか。日本軍は最悪の軍隊で、思いつく限りの悪虐を尽くしました。私は抗議します。

 日本政府はどうしてその責任を拒絶する事が出来るのでしょうか。中国人が沢山殺されたというのに、何故賠償をしないのでしょうか。条理で言えば悪いことをしたら責任を取るべきです。中国の人民が日本政府に対し損害賠償請求を行うのは国際法にも合致しています。

 日本の国民の負担を軽くするために、中国政府は日本国への戦争損害賠償請求を放棄しました。中国の民間の損害賠償請求に関しては日本政府の条理に適った解決が必要なのです。中日友好は中日両国民の共通の願いです。(8.27判決報告集会での発言)

  


 


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


二月二十五日

六百米の大子河の鉄橋に乗った時の腰のあたり寒さはまた格別だった 女ならばすぐ腰の病気でもすぐにおこすに違いない。

三里半を二拾分の速さは決してマラソンの比でないから 守備隊の兵隊もでたらめだね。本当に夜の勤務ばかりでつらいでしょうね。軍隊出の人張台子の駅員がいふ。之からまた張台子で一息入れてから煙台まで行かねばならない 本当にやりきれない。鼻水も凍ったと見えて出てこない。弐拾五日と弐拾六日は続けざまだ

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅


 平和公園、午後7時15分、月の上る前の淡い夕闇が、芝生を埋め尽くした参加者たち、あらゆる地方からの代表者たちを、黒ずんだ波のように見せている。彼らは緊張している。開会はまだ宣せられず、慰霊塔を背にした壇の上の椅子は空だが、全学連の60人ほどの学生たちが代表たちと壇の間の空間を占拠してシュプレヒコールを行い、演説をこことみているからだ。大会側のマイクは学生たちに引き上げるように勧告し、代表たちには挑発に乗って実力行使を行ってはならない、と制止している。学生たちはインターナショナルを歌う。

 

 

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


解説ー細菌戦(森正孝)

細菌戦の被害状況

「防疫給水部隊」が細菌戦部隊という本来の姿を露わにするのは、つまり細菌戦を実施し始めたのは1940年代に入ってからである。とりわけ40年、41年、42年の3年間に集中して細菌戦は展開された。

 このことは、既にハバロフスク軍事裁判の公判記録及び45年から47年にかけて行われたアメリカ軍の4次の調査活動報告によって概要を知る事が出来るが、近年出された中国側資料(中国中央档案館他編『細菌戦与毒気戦』の編訳本『証言・細菌作戦』〈同文館〉)、そして93年、吉見義明氏らによって紹介された日本軍参謀本部作戦課員、井本熊雄中佐の業務日誌〈『季刊・戦争責任研究2号』日本の戦争責任資料センター)などによって、細菌戦を被害・加害の両側面から確認できるようになった。


 

 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳



 細菌兵器製造の為の大がかりな鼠類収集

 


愛新覚羅・憲均自筆供述書(1954年7月22日)


「満洲国」軍医学校は、1935年秋から1939年10月まで、即ち私が医務課に転出するまでに、日本軍〈原文:日寇以下同じ)731部隊及び100部隊に年間約1万匹以上のモルモットを供給し、同部隊の殺人細菌兵器研究に供した。これらのモルモットは、その当時、日本軍のハルピン陸軍病院を通じて送ったのである。
 


原注:愛新覚羅・憲均は、満洲族で、粛親王の第12子である。日本の陸軍軍医学校を卒業し、1933年「満洲国」軍医少佐に任じられた。1943~45年、相前後して「満洲国」第1,2軍管区少将軍医処長に任じられた。



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

2 日本陸軍の毒ガス兵器製造工場

 

日本軍資料からの製造量の分析

以上見てきたように、資料によって毒ガス兵器の総生産量は差が生じていて、現段階では正確には核停し得ないが、アメリカ軍資料と有末機関の報告では毒ガス(化学剤)の総製造量が6000トンを超えているという点では一致している。現段階では、アメリカ軍資料は総製造量の上限を示すものであり、日本側資料は少なくともこれだけは製造したという下限を示すものだと考えていいだろう。

 



 





 


 



 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

 1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご

臨時毒ガス調査委員会

  
1918年に、当時の陸軍軍医学校の中にまず「化学兵器研究室」ができ、対外的には「軍陣衛生学教室」と呼ばれた。この研究室の責任者には、後に陸軍軍医学校校長となり、当時は一等軍医であった小泉親彦が就任した。これが日本では最も早く化学兵器の研究を行った所といわれる。しかし、小泉が指導した化学兵器の研究は、主として医学という角度から行われたものであり、後に日本陸軍の中に専門に化学兵器の研究に従事する機構が生まれるにおよんで、小泉の研究は細菌問題を主としたものに変わった。

 

 

 







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 

 

 

私はそこにあった布団の綿をむしり取り、老婆の口の中に無理やり押し込むと両手を縛りあげた。「畜生め、手間取らせやがる。博、早く引きずり出せ」私はこう叫ぶと、逮捕した男を表より家の中に無理やり引き入れようとした瞬間、博に表へ引きずり出されようとしている老婆の眼と若い農民の視線がぴったり合った。絡み合った眼がものを言っている。≪うん、この婆あも同じ一味か≫私は心に叫ぶと、博に早く表に出すよう促した。

「オイ!貴様、あの婆あを知っているか」

「我不知道(私は知らない)」「何を嘘つき」私は男の顎を下から棍棒でしゃくりあげた。男はぐっと顔を上げ、私を睨みつけた。



 



 


 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

5 最近の『留守名簿』公開の意義

ここ1~2年731部隊関連資料の発掘・公開が進んでいます。2018年には3607人の「関東軍防疫給水部満洲第659部隊留守名簿」(731部隊)が公開されました。

 「留守名簿」とは『悪魔の飽食』に表紙写真が掲載されその後、細菌戦裁判弁護団と支援者が厚労省と交渉して一部黒塗りの名簿が公開(2003年)されていましたが、15年後にやっと全面公開になりました。

 また今年2月には西山勝男氏(滋賀医科大学名誉教授)によって、敗戦時、復員局が帰国した731部隊員から聞き取り調査をした撤退経路等の詳細を記した公文書「関東軍防疫給水部行動経過概況図」が発見され公開されました。

 最近の731部隊関連資料の発見・公開は731部隊の真相研究にとって重要なものであり、現在の私達の『衛生学校記事』『化学学校記事』情報公開裁判は励まされました。

 



 

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」




 

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景

ベトナム戦争で毒ガス使用

米情報当局でさえ、ベトナムにおける毒ガス使用は米国の国際的威信を傷つけるものだとして、ホワイト・ハウスへ抗議する一幕もあった。

 しかし、ジョンソン政権は従来の決定を変更せず、1965年4月2日の記者会見で米大統領は、さらにマスタード・ガスなどを含む人員殺傷用の毒ガスの使用さえも示唆した。その為米国内に毒ガスが貯蔵されいるとも語った。

 65年97日、サイゴン地区の米司令部はLN・ユター中佐指揮下の海兵隊が1週間前に解放戦線に催涙ガスの霧弾18個を使用したと発表した。

 

 

 

 

 

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 89日の夜から10日にかけての昭和天皇による「聖断」の演出、14日午前に繰り返された「聖断」、そして、15日正午、全国民に向けてラジオ放送により行われた国民への「聖断」の劇的な告知、これら一連の出来事は天皇のカリスマ性を高めた。そしてこれと同時に動き出した「戦後」と呼ばれる時代における天皇の新たな役割を準備するものだった。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

誰が電力問題を起こしている最大消費者か

日本は、経済崩壊した現在、発電所増設どころではない。産業界の電力需要が激減し、2008年度、2009年度と2年連続で過去最大の電力消費落ちこみを記録したのである。省エネ家電の普及は優れた切り札だが、それに買い替えるのは、経済的に苦しい日本人にとって容易なことではない。20年間言い続けてきた言葉だが、無駄をしないに尽きる。コマーシャルで、「CO₂を減らす」と宣伝している企業は、たとえそれが省エネ家電であっても、その製品を何の目的で開発したか正しく理解していないことになる。「消費量を減らす」と言うのが正しいのだ。そこで、その省エネルギーの話に移りたい。

  



※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 


歴史上重要な核実験


核爆発を起こすために大規模な機器に取り囲まれているような初期の実験用核爆弾は、実用的な兵器とは言えない。「多段階/非多段階」は、それがいわゆるTeller-Ulam構成の“本当の”水素爆弾か単に増幅核分裂兵器の形態であったかどうかを意味する。

なお、ツァーリ・ボンバ1998年のインドとパキスタンによる実験の核出力のように、いくつかの核実験の正確な核出力の推定は、専門家との間で論争となっている。

核実験は、軍事的・科学的な実験に留まるものではなく、政治的なプロパガンダの役割を果たす場合も少なくない。









水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!








 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

2020年10月26日月曜日

パネル展 「731部隊 戦前・戦後の医科学 -医学と人権を考えるー」

なぜ日本は、核兵器禁止条約を批准できないのか??
秘密は731部隊にあった??


 

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中