●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
10月27日(火)~11月2日(月)はブログをお休みします。
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
学友会へ寄付金
〇学友会に対し次の如く寄付ありたり
1、金5円也 牧 譲君
2月中職員異動調べ
1月30日 帰朝 嘱託 細谷省吾
1月31日 伝染病研究所ワイル氏病研究業務を嘱託す
武田和子
同 昭和4年1月28日付 願研究生退学許可
松井勝冬
同 昭和4年1月31日付 願研究生退学許可
斎藤公平
2月1日 昭和4年1月21日付 願研究生入学許可
柏崎晃
同 預托馬検査の為岩手、宮城の2県下へ出張を命ず
(自2月2日至2月20日)
技手 菊地常雄
2月20日帰朝 技手 城井尚義
同 東京帝国大学助教授兼伝染病研究所技師
叙高等官6等 遠山祐三
同 細菌血清学一般研究の為ドイツ国へ在留を命ず
黒屋政彦
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第2部
第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意
第1章 原告団から
日本政府は条理に適った解決を
陳知法(原告、浙江省義烏市)
私は、原告の陳知法です。浙江省義烏市から来ました。
日本軍はとても悪いことをしました。それなのに一言の謝罪も何の賠償もしません。今日の判決は、気分が大変悪くなりました。我々は支援を受けながら、必死に5年間も闘ってきたのに、裁判所は一言で済ましてしまいました。私はどうしても怒りを抑えることができません。
1940年10月以降、日本軍731部隊は、わが浙江省の衢州や寧波などで細菌戦を行いました。その時は、義烏の市民は、「衢州や寧波で疫病が発生して多くの人が死んだ」という話を聞いただけでした。それがペストだと知らなかったのです。ペストなどという病名は一般市民は聞いたこともなかったのです。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』
二月二十四日
午前七時起床 晴 零下十二度 構内巡察あり ハルピン情景を書く
白系ロシア人の売笑婦の生活・・・。それはあまりにも内地では想像もできないであろうと思われる。
我々が長春あたりで見た闇の女の生活にも一驚するぐらいだもの。以下、実行談の聞いたまま、まずハルピンの色街を中折でもかぶって紳士然と歩いていると2階の窓や下の窓から おぼつかない日本語と支那語を一緒にして大きな声で叫ぶ{ニーヤ、ニーヤ、1発1円」人差し指1本大きく見せる。1発1円には思わず苦笑するそうだ。
1 広島への最初の旅
僕は院長と病室を訪ねて歩く。カサカサに乾いて黒い皮膚に、紙のよじれた粉のような剥離した皮をこびりつかせている老人が、ぐったり仰向けたまましわがれ声で院長に挨拶する。いかにも明らかに微笑すべく努めながらも果たせないでもどかし気に。僕は不意に、昨日の平和行進に対して、この老人も手を振ろうと努めたのではないかと考え胸を締め付けられる。
院長はこの老人よりもなお重症の、例えば癌や白血病の数々の老人と辛い別れをしてきたのだ。そのような老人たちは絶望するほかなかっただろう。しかしそれでも、老人たちはその年の平和行進に、手を振ったに違いない。原爆症で、死に瀕して絶望するほかない老人に、信頼と期待に満ちた手を振られたとしたら、その平和行進の中の誰が、その老人の負い目を感じないでいることができるだろう?
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
解説ー細菌戦(森正孝)
細菌戦のための生体実験
攻撃用兵器としての細菌を質量ともにいかにパワーアップするか、そして最も“有効”な撒布方法は何か―これが731部隊の研究のメインテーマであった。
1938年から4年間、731部隊・高橋班でペスト研究に携わった鎌田信雄氏(72歳)は、次のように語っている(1995年10月聴取)。
「ペスト班の目的は、ペスト菌の濃度をどれだけ高めることができるかであった。濃度を高めるとは毒力を強化すると言い換えても良い。そのために最も有効で、手っ取り早い方法は、生体(“マルタ”)を通すことだ。ラットやマウスよりはるかに有効な結果が得られた」
・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」
岡戸和三郎自筆供述書(1954年9月5日)
1945年3月頃、私は牡丹江憲兵隊少尉副官として、隊長の望月政吉大佐を補佐して八面通憲兵分隊を指導督促し、同分隊に無線通信秘密工作をしていた中国愛国者1名を逮捕させた。この犯罪行為を奨励する為、隊長望月の命令に従い、私の保管していた機密費から100円を出して、八面通憲兵分隊長大須賀兵次中尉に渡し、被害者に対する尋問を強化させた。また無線機1台を略奪した。被害者をハルピンの石井部隊に送るため、出張命令を伝達し、下士官1名を護送させ、ハルピンの石井部隊に引き渡して殺害に至らしめた。
(1)119-2、612,1、第5号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章毒ガス兵器の製造と教育
2 日本陸軍の毒ガス兵器製造工場
日本軍資料からの製造量の分析
また、これらとは別に、筆者が確認した東京第2陸軍造兵廠作業課「化兵剤及同弾薬生産調書の件」(1945年12月26日)という資料には、1942年から45年までの毒ガスとガス弾の製造・生産実績が記されているが、これは吉見氏が紹介したアメリカ軍資料と一致している(但し、ガス放射筒や手投げ弾・ガス爆弾については記されていない)。このことから、アメリカ軍は、日本軍の報告書をそのまま転載している可能性が高いことがわかった。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
訳者あとがき(山邉悠喜子)
現存する被害者に、せめて医療の手を差し延べ、1歩でも過去の償いをすることが必要だと思う。
本書は、市場開放の風潮の中で「14年史」にひたむきに取り組む中国の若い学者達の成果の一端である。著者の温和な一言一句の中から中国億万民衆の平和への願いと、戦後を語ることもなく堪え続けてきた人々の叫びをかみしめながら、訳者として、充分に伝えることができただろうかと、自分の力にいささかの危惧を残しながら、翻訳の筆を置く。私達4人のつたない訳が、戦争の真実を伝えることに役立つなら、そして、日中の正常な友好の懸け橋になればと願ってやまない。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
釘うち拷問
残忍極まりない取り調べ
原田左中(はらださちゅう)
憲兵軍曹
〈旧部隊名〉
元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊
「誰呀」震えを帯びた老婆らしい声がした。しばらくして、1人の老婆が何か独り言を言いながら出てきて、ガチャガチャ戸を開けにかかった。私は老婆が戸を開けるのを待たず、扉を蹴飛ばして中に入った。
「噯呀」右手に拳銃を持って入って来た私を見た老婆は、甲高い声でこう叫ぶと、転がるように奥の部屋に入って行った。
もう東の空も明けはじめ、家の中もかすかにすかして見えるようになった。家の中はがらんとしており、右側に5,6人寝られると思われるオンドルがあった。手を当ててみると、まだ温かい。「うん」とうなずくと、私はその前右側のかまどの中をかき回した。蛍のような火が残っていた。かまどの向こう側にさらに1室あるらしい。私はこれだけ見届けると、老婆の入った奥の1室に入ろうとした。ふとその1室に目を向けた瞬間、ギョッとしてその足が止まった。2つの鋭い窪んだ眼玉が、壁穴よりじっとこちらを睨みつけている。私は拳銃の引金に指をかけ、いつでも発射できるようにして、奥の1室に入って行った。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第4 私達の情報公開裁判闘争の目的
その後2018年に「中央即応集団」は「陸上総隊」に改変され、現在の自衛隊には、陸上自衛隊三宿駐屯地に所在する「陸上総隊」隷下には衛生科部隊として「対特殊武器衛生隊」が設けられています。
同組織は、かつて1950年代後半に当時の自衛隊が構想した新たな生物戦部隊・化学戦部隊を含むものに他なりません。
『衛生学校記事』第1号には、米国医学会雑誌及び米軍教範から翻訳した形式をとって、元731部隊員の園口忠男氏が「生物戦に対する医学的防御の問題点」を発表しています。
DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)
・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は
12月16日(水)11:00~になりました。
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景
ベトナム戦争で毒ガス使用
3年後、国務省の高官ががセイモア・M・ハーシュ元米国務省担当記者に洩らしたところによると、「国防総省に対して毒ガスの使用を認めたのは誤りだった。ペンタゴンは国務省が要求した使用制限を全く無視している」とペンタゴン(米国防総省)を非難していることが、同記者の近著Chemical and Biological Warfare. The Bffs‐merrill Confanyで明らかにされた。とにかく米軍は1962年から南ベトナム軍に対して軍事援助という形で毒ガス装備を始めている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第13章 遅すぎた降伏
Ⅳ
7月16日、最初の原子爆弾の実験が成功した日、次の事態を察知したスターリンは、ソ連極東軍司令官ワシレフスキーに緊急電話を入れた。そして対日戦の準備の進捗状況を確かめ、作戦計画を10日繰り上げることができるかどうか聞き質した。ワシレフスキーは、部隊の集結と物資の補給にさらに時間が必要であると答えた。スターリンが原爆投下前に対日参戦をしていれば、広島と長崎が原爆で破壊されることは回避できたかもしれない。あるいは、日本が7月26日のポツダム宣言を受諾していれば、原爆投下とソ連参戦は、両方とも避けることできたかもしれない。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
原発がなければ停電するか?
つまり電力を供給する発電所や発電設備は、できるだけ分散し、安全で小型なものにする時代に向かうべきだ。電力会社の経営上の都合を優先させて組み立てられてきた戦後の官僚的な電力供給システムは、国民生活と産業活動を優先するものに変えなければならない。そのために必要なのは、電力会社が独占してきた電力の完全自由化である。電力会社が発電機を発明したのではなく、ファラデ―が発明したのである。そこで法律が改正されて、わずかずつ電力自由化が進められてきたが、送電線を握っている電力会社が自分の利権を奪われないように、他の企業による発電をいかに少なくさせるかという知恵を働かせて、他のエネルギーの普及を妨害しているため、完全自由化が進まないのである。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中
核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。
3.大気圏外実験 大気圏外で行われる核実験であり、実施にはロケットが使われる。この実験の目的は、主に敵国から発射されたICBMを大気圏外で迎撃すること、及び敵国の衛星(主にスパイ衛星)を破壊することの検証である。ただし宇宙空間には大気が無く、核爆発の衝撃波によるターゲットの破壊が出来ないため、目的の達成には近接距離の核爆発による熱線・放射線によるターゲットの物理的な破壊、および電磁パルスによるターゲットの“電子的”破壊(無能化)が必要になる。しかし核爆発で生ずる電磁パルスは、地上の電子機器にまで影響を及ぼすこと、及びターゲットの物理的破壊は近年特に問題になっているスペースデブリを大量に発生させることから、PTBTにて実験が禁止された。
核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中
3.大気圏外実験 大気圏外で行われる核実験であり、実施にはロケットが使われる。この実験の目的は、主に敵国から発射されたICBMを大気圏外で迎撃すること、及び敵国の衛星(主にスパイ衛星)を破壊することの検証である。ただし宇宙空間には大気が無く、核爆発の衝撃波によるターゲットの破壊が出来ないため、目的の達成には近接距離の核爆発による熱線・放射線によるターゲットの物理的な破壊、および電磁パルスによるターゲットの“電子的”破壊(無能化)が必要になる。しかし核爆発で生ずる電磁パルスは、地上の電子機器にまで影響を及ぼすこと、及びターゲットの物理的破壊は近年特に問題になっているスペースデブリを大量に発生させることから、PTBTにて実験が禁止された。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!