2020年10月14日水曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

『従軍日記』 小津安二郎





森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


           被服支廠キャンペナーズと喋ろう


                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!



9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
 
パワーポイント資料

 



 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



 おわりに

 ところがこの本の中で、「生命倫理の過去・現在・未来」という表題で、赤林朗(あきら)(東大、1983卒、東大保健科学講座教授)が、治験を行う場合には、治験を担当する医師は、医学における倫理観を徹底することが必要と述べ、彼は過去の非倫理的な実験として、第1に第2次世界大戦の頃、ドイツの医師が強制収容所の囚人に対して、低体温実験、マスタードの生体実験など、数々の残虐な生体実験を繰り返したことを挙げ、第2に米国連邦衛生局が、1932年からアフリカ系アメリカ人に梅毒の自然経過をみる研究を行ったが、この時すでに梅毒の治療法が確立されていたにもかかわらず治療をせずに、検査だけして放置していたことを挙げている。わが国の非倫理的な実験については、まったく触れられていなかった。






 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


2部

第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意

 

第1章 原告団から

1歩1歩、歴史を動かしていく

王選(原告団代表)

  まさに歴史は人民が創るものです。

今回の判決の最も大きな意義の1つは、歴史認識の問題で、中国と日本が1歩近くなったということです。平和に導くためには、歴史に対して共同認識を持つことが大前提です。細菌戦裁判を進めていく中で、日本と中国の人が共に努力して歴史を検証しまとめあげ、共通認識を持つようになりました。このことを裁判官が認め、判決の中にも反映されたのです。

私達はこれから、もっと多くの中国や日本の人々、そして、世界中の人々と手をつなぎ、新しい前進を創り出し、1歩1歩、歴史を動かしていきます。(8・28国会内集会で発言)




731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


二月十九日

午後七時半僕は後期の者と坑内監視の為巡察にゆく。異常はないけれど気持ちはあまりよくない。暗闇に光るは銃剣のみ 物好きにも第二坑内を見に行った。また第三坑内を少し中の方まで入っていった。めまいのするような五十度位の傾斜で坑道が無限に地獄の底よと思わせるくらい下に掘り下げられた。五間置き位に電球はあれどその行方がしれない。他に深いほうとうに地獄のような生活だ。思わず身震いした。

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅


 この夜、一睡もしなかった人間は広島のあらゆる場所にいただろう。原爆病院では医師たちが不眠の努力をしていた。それはむなしい努力だった。1人の娘の為に彼らは努力したが娘は死んだ。

 昨夜の若い死者が運び上げられた場所、比治山に僕は登ってゆく。朝だ、午前10時。そこは鏡の中のように明るく清潔で機能的だ。被爆者がどのようにして死に至るか?を研究する場所、ABCC、もちろん今は、そこにくる被爆者を全く治療しないのではないのだが、広島の人々は決して自ら喜んでそこへ登ってきはしない。モーター・プールの車がABCCのリストに載っている患者たちを連れにゆくのだ。

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


ノミの大量生産

細菌の毒力試験の生体実験を行った


篠塚良雄

731部隊・少年隊




化学兵器取扱者

私が命じられた防疫と言うのは、まず死んだネズミを集めることでした。ネズミの死骸をテントに持ち込み、そのネズミの腹を裂いて培養基に塗りつけました。何のためにそうするかと言うと、病原菌を大量生産する基になる細菌の菌株する為です。死んだネズミを拾い尽くすと、今度は生きたネズミをを捕まえるんです。ペスト感染した家の人がいなくなった場所、隔離されたり亡くなったりして家主のいなくなった家を囲い、火を付けるわけです。そうしますとネズミが逃げ出してくる。そのネズミを捕まえて部隊に持ち帰るわけです。防疫という名のもとに、そんなことも行っていました。

 


 

 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」

 


志村
供述書1954年7月10日


19453月、ハイラル分隊は延安から送り込まれた抗日地下工作員1名を逮捕し、「特移扱」とした。


1945年7月、満洲里分隊はソ連領事館と関係のあったもの1名を逮捕し、「特移扱」とした。


1945年4月、三河分遣隊は共産党員3名を逮捕し、「特移扱」とした。


問:以上述べたことに相違ないか。


答:間違いない。「特移扱」の基準と権限については、1943年3月28日、関東憲兵隊司令部から文書が出されている。


(1)119-2、43、1、第4号


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

 

2 日本陸軍の毒ガス兵器製造工場

 

忠海兵器製造所と曽根兵器製造所


  一方、元陸軍火薬関係者らは、秘密保持と毒物汚染の関係から住民地から離れていた方がよいが、作業の利便性としてはある程度住民地に近い方がよく、この相反する条件を大久野島がクリアしているので選ばれたとしている。(桜花会『日本陸軍火薬史』)。他方、望月圭介代議士(政友会)が地元に毒ガス工場を誘致しようと思い立ち、時の陸軍大臣白川義則大将に大久野島を推薦したという説もある(谷菅静夫「大久野島と私」互助会記念誌編集委員会編『大久野島毒ガス互助会三十年史 毒ガス』)。

 陸軍は、軍用地以外の土地を全部買収して住民を島外に移住させ、28年8月8日「陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所」を開設した。満州事変勃発後、製造設備は増設され、日中戦争がはじまると製造を拡大していった。

 

 



 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)



訳者あとがき

 

 中国大陸における日本軍の毒ガスの歴史は80年に及ぶが、第1次世界大戦を出発点とする約15年の準備期間、満州事変に始まる15年戦争期の中国軍民に対する無差別大量使用、そして、戦後50年の遺棄毒ガス弾に被害の噴出期の三期に大別される。この3つの局面を、分散する発掘資料の綿密な追跡と着実な現地検証を経て見事に1巻の書にまとめられた著者のご努力と力量には本当に敬服せざるを得ない。日本軍が同じく中国で実行した細菌戦の組織的解明に比べて著しく立ち遅れていた毒ガス戦の全構造が本書で初めて明らかにされた。その意義は大変大きく、同時に我々日本人にとっては改めて大変重い課題を背負うことになった。

 







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 

鬼子たちの眼は無気味に光り、それぞれうなずき合った。≪よし、星を1つ増やすために頑張ってやろう・・・≫≪この機会に俺が一番手柄を立ててやろう・・・≫

兵隊たちはそれぞれ心にこう誓った。私も中隊長中山大尉の人殺しの命令を聞いて、全身の血が逆流するのを感じた。≪よし、俺もこの機会に1人でも多く捕らえ、1人でも多く殺してやる、憲兵の威厳を示すのはこの時だ。部隊の兵隊や下士官の鼻っぱしをへし折ってやるぞ・・・・≫と、心にこう誓った私は、得意満面だった。



 


 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)


第3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点


 そのために、被告は、196912月発行の『化学学校史 昭和43年度』以降、『化学学校記事』発行の事実を記載せず秘匿したのであり、19704月以降の発行になる1969(昭和44)年度版『防衛庁図書目録』以降、前年度まで掲載していた『化学学校記事』保管の事実を記載しなくなりました。


 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」



 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

1、生物・化学兵器を告発する

 

禁止への努力

ジュネーブ議定書までに毒ガス禁止への努力がなされなかったわけではなく、1907年には毒ガス禁止に関するハーグ宣言が、「毒ガス散布を唯一の目的とする投射物」の使用を禁じ、この年にできたハーグ陸戦条規でも、「毒または毒を施した兵器」を使用することを禁じ、ドイツ、イギリス、フランスなどがこれを批准したが、この7年後におこった第1次世界大戦によって、この条約が効果を持たなかったことを知らされるのである。

●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

アジア太平洋戦争の勃発当初から、昭和天皇はみずからの周辺で進行する事態の主導者であった。沖縄戦の前まで、天皇は一貫して決定的勝利を要求した。その後、天皇は早期講和の必要性を認めたが、即時和平の必要は認めなかった。そして、天皇は動揺しながらも、連合国との直接交渉を望むよりは、戦争継続を望んだ。最終的な危機が完全に身辺におよぶようになったとき、残された唯一の選択は交渉なき降伏だった。そのときでさえ、なお原爆が投下され、ソ連が参戦するまで、天皇は事態の引き延ばしを続けたのである。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

電力とエネルギー論


 その回転のエネルギーとして何を使えばよいか。一番簡単なのは、自転車に乗ってライトをつける。サイクリングでタイヤを回して、タイヤにくっついている回転軸が回りだせば、それで電気が起こり、豆電球が灯る。本当は人間がこの足踏み式の方法だけを使っていれば問題ないのだが、大量の電気が必要なので、そうはいかない。水を落として水車を回せば、水力発電になる。風が吹いているところで風車を回せば、風力発電になる。もう1つの方法は、水を沸かして蒸気を作り、タービンの羽根に当てると、タービンが回り出す。この蒸気を使うのが火力発電と原子力発電である。

 


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 


核兵器禁止条約

署名国と批准した国

2020年8月5日現在の署名国と批准した国。

署名国            署名日              批准日 (締約日)

ミャンマー         2018年9月26日

 ナミビア          2017年12月8日         2020年3月20日

 ナウル           2019年11月22日

 ネパール          2017年9月20日

 ニュージーランド      2017年9月20日         2018年7月31日

 


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!
















 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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