2020年10月11日日曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

『従軍日記』 小津安二郎




森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


           被服支廠キャンペナーズと喋ろう


                 【日航機墜落事故の真相】

今の日本の実態!!



9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
 
パワーポイント資料

 



 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報


国立公衆衛生院

 

 
193811日、宮川米次は「昭和13年元旦式辞」(雑報、221号)で 、「多年望んでいた保健衛生

の中枢機関である厚生省も本年開設せられることになった。とにかく衛生行政が乱れていたものが、まさに1機構の許に統制されたことは、北支における衛生開発とならんで誠に喜ばしい。これと同時に、多年の苦心が実って、伝研と文字通り姉妹関係になる公衆衛生院が開所される。感無量である。諸君この公衆衛生院が伝研内にならんで建立されたのは、一朝一夕の苦心ではないことをご承知下さい。本所(伝研)と完全に姉妹関係になるか否かは、今後携わる人によるのである。私は伝研の使命上、徹底的に協調し、一心同体の意気を持って日本の衛生開発に向かって努力したいと念願している。」と述べている。




 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


2部

第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意

 

第1章 原告団から

1歩1歩、歴史を動かしていく

王選(原告団代表)

2002年8月27日、50数年前の東京国際軍事裁判で裁かれなかったままの日本の細菌戦が、事実であるとして、東京地方裁判所の判決によって認定されました。

 判決では、細菌戦が、国際法違反、人道法違反であり、中国人民と中国国土に深刻な被害をもたらした事、それは日本国家に責任があること、などが認定されました。

 その日、日本、中国、世界各地のメディアがその内容を一斉に報道し、同時に判決が、日本政府による中国の原告等への謝罪と賠償請求を棄却した事も、世界中の人々に伝えられました。





731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


二月十八日

 午前六時起床 晴 風なし 零下八度 衛生勤務 非常に愉快だ 幼稚園の小供が大勢遊びに来た

小供は天使

正直そうな瞳を兵隊さんに向けながら悪戯っ子らしい一人の男の子は元気よく語った。「先生はね、怒るとね、僕たちを物置に入れるんだよ だけどね 僕なんか平気だよ 窓があるんだもん 昇ってしまうからね」と、小供らしい無邪気さではないか。今一度帰ってみたいような気がしてならない。此処へ来ると先生に叱れるんだよ・・・・

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅


 夜、午後9時半、僕はバルコンからガラス窓越しに、常任理事会の決議の光景を眺めている人々の中にいる。昼の間ずっとつんぼ桟敷にいた常任理事たち、彼らは安井理事長が群衆の前で宣言し、広島原水協の名において森滝代表理事が受けた、≪広島原水協に白紙委任≫ということについて、今賛成の決議をするところなのだ。担当常任理事会での投票では、14名賛成、11名反対だった。今ガラス窓の中で、49名賛成、7名反対、11名保留、3名棄権の結果が明らかにされる。反対したのは平和委員会系の理事たちだ。同じ夜、こことは別の場所で開かれている広島原水協もまた正式に受諾を決定している。

 

 

 

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


ノミの大量生産

細菌の毒力試験の生体実験を行った


篠塚良雄

731部隊・少年隊




ノミの増殖


 秋になった頃だと思いますが、今度はそのノミと籾の分離を命じられました。これも暗室でやりました。暗室には台があり、その上に大人が入ってもまだ余裕のある浅い浴槽が置いてありました。浴槽の片方には、赤い電球が点くようになっていました。浴槽の底にある穴の下にガラス製の液量器が置いてありました。石油缶を棚から取り出し、ネズミは他の缶に移し、籾とノミをその浴槽の中にあけました。赤い電球を点けますとノミは暗い方に逃げていきます。これはノミの習性です。そうしてノミは暗い方へ暗い方へと飛んだり跳ねたりして穴から液量器の中へ落ちていくわけです。ノミは30㎝ぐらいしか跳躍できませんから、浴槽から跳び出すということはありませんし、液量器の中から跳び出すこともなかったようです。

 


 

 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」

 

 
羽田自筆供述書1954年7月30日

 
 1944年4月から45年8月までハルピンソ連赤軍捕虜収容所では、しばしばソ連の赤軍兵士平房石井細菌部隊送って虐殺に至らしめていた。当時収容所ハルピン特務至らしめていた当時同収容所ハルピン特務機関の指揮下にあり、私はハルピン特務機関経理被服助手軍曹であった。

(1)
119-2534,14号



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

 

1、日本はどのような毒ガス兵器を装備していたか


海軍の毒ガス兵器

 

 イペリット爆弾(六番一号陸用爆)の場合、円錐形や中心に菅を有する円筒形をした特薬缶にイペリットが収められたが、中にはイペリットに樹脂(メタアクリル酸樹脂と塩化ビニール樹脂)を混合して粘着性・付着性を高めた「三号特薬改一」を詰めた凶悪なものがあった。海軍はイペリット爆弾の威力を「弾着点の20m以内の人員は殆ど皆数日中に死亡す。1ヘクタールに10発を投下せば殲滅的効果あり」と説明している(館山海軍砲術学校「化学戦要表甲」)。また、鉄不足を補うために、弾体が木製のイペリット爆弾も開発された。これらの構造は、82頁の図の通りである。

 

 


 









 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)



おわりに


 千葉県在住の宮崎教四郎さんは既に取り壊しの決まっていた陸軍習志野学校跡地の参観の実現に努力してくださった。

 相馬一成さんは、カメラマンとして私たちの調査に参加され、この本の中の写真の大部分は彼の彼の作品であり、カメラを通しての資料作りには欠かせない存在となっている。

 私は、今回の日本訪問に際して、多くのこの問題に関心を持っている日本の友人たちに出会った。彼らの社会的な責任感と真面目な態度に尊敬を覚え、さらにこんなに多くの日本の友人が私たちと一緒に努力していることに感動した。







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

釘うち拷問

残忍極まりない取り調べ

 

原田左中(はらださちゅう)

憲兵軍曹

〈旧部隊名〉

元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊

 

崩れかかった土塀に取り囲まれたここ河北省密雲(みつうん)県曹家路(そうかろ)村は、戸数にして約150戸、人口約800名あまりで、大部分は農家で2,3軒の雑貨屋と1軒の蹄鉄屋があるだけだ。村の中央を道路がTの字型に走っており、村の南側一帯の広々とした肥えた畑には青い家が軍靴や馬の蹄に踏みにじられながらも、その根を大地に深く張っている。小高い坊主山の峰々が遠くからこの村を抱くように見守っている。

 




 


 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

2『衛生学校記事』裁判の問題点と争点

 

今後、上記①の「金原文庫」(『衛生学校記事』89冊)を衛生学校・彰古館と防衛研究所の移動の真相の解明、上記②の衛生学校図書室の図書原簿の2重線の真相解明から『衛生学校記事』の自衛隊に保管されていることを究明していきます。 

 


 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」



 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

1、生物・化学兵器を告発する

核兵器から生物・化学兵器へ

こうした、遅効性の毒性が心理的に与える影響が戦略兵器としての条件の1つとして評価され、一方では、瞬間的な核分裂・核融合反応を利用する核兵器が、兵器として使用することが不可能であることを、限りなく経費を消費する核兵器体系の軍拡競争と、戦後20年にわたる紛争や局地戦争の経験によって知らされた。戦後の紛争や局地戦争というものが冷戦の戦略によってもたらされたのだが、特に解放戦争に対する帝国主義戦争の場合、核兵器は使用不可能な純然たる政治的道徳的兵器となったのである。それが具体的に示されたのはベトナム戦争であった。


●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 この変更は、いまだ深く迷っていた天皇に、和平を受け入れさせるために役立ったかもしれない。翌812日、昭和天皇は皇族に降伏の決断を伝えた。朝香宮が国体護持ができない場合、戦争を継続するのか否かを質問したとき、天皇は「勿論だ」と答えた。

〔バーンズ回答の内容では国体護持に確証が得られないとする意見が台頭し、統治エリート間で意見の対立が生じたり〕東京で中堅将校の小グループにもバーンズ回答に反対するクーデタの動き見られたため、昭和天皇は814日、ふたたび「聖断」を下すことを余儀なくされた。土壇場で、徹底抗戦派により皇居や厚木飛行場でクーデタが試みられたが、さしたる影響もなく、失敗に終わった。すでに810日の天皇の決定により大本営の軍官僚の士気は完全に消沈し、彼らは戦意を喪失していた。梅津陸軍参謀総長は、部下に天皇の「軍に対する御信頼が全く失われたのだ」と説明し、徹底抗戦派の継戦意思は急速に消え去った。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

生物の生命はどこから生まれたか

 二酸化炭素の排出抑制は、こうした数々の問題の実害防止に何の効果もない。温暖化していると言うのなら、地球より先に、一刻も早く自分の頭を冷やす必要がある。

 有害物質を排出しないこと、コンクリート化による機械的な自然破壊を控えることと、熱の有効利用(排熱を減らす)、この3つこそが、まともな人間の目指すべき静かな目的地なのである。

 その最後の「熱の有効利用」に、話を進めたい。

 


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 


核兵器禁止条約

署名国と批准した国

2020年8月5日現在の署名国と批准した国。

署名国            署名日              批准日 (締約日)

 ホンジュラス       2017年9月20日

 インドネシア       2017年9月20日

 アイルランド       2017年9月20日          2020年8月6日

 ジャマイカ        2017年12月8日

 カザフスタン       2018年3月2日          2019年8月29日

 


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!










 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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