2020年8月22日土曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

   ※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

   語られなかった戦争 侵略パート1 南京大虐殺



【日航機墜落事故の真相】


日本政府は731部隊の免責の為に、アメリカの原爆威力調査に全面協力する!!

「黒い雨」訴訟 控訴に原告「非常に憤り感じる」(20/08/12)








●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。


東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察



731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!


731部隊被害者遺族の訴え!!        

 



検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報

 

第5代伝研所長、宮川米次

1936711日、「第80回講習終了式に際し、講習生ならびに全所員に告ぐ」で、とくに所員に所懐(所感)を次のように述べている(雑報、20巻7号) 。

 「新庁舎 (現在の医科学研究所)に移り、正に満2年の歳月がたった。本所の事業は年とともに発展し、学部の数も最近では19学部に分かれるようになった。各部の者が、文字通り一家にすむことになった。私は新庁舎に移転すると同時に組織の変更をしようと思っていたが、あまりに急激の変化も好ましくないと考え、現在の 『アパートメント』生活に慣れた後に、改組を断行するのが良いと思い待っていた。

 その改組の要点は、第1より第8研究部および診療部を設けて、従来の学部よりは遥かに大きくなるも19学部を半減した。各研究診療部には、部長を置き教授をそれに当てることにし、その下に従来どおり主任を配置した。そのほか特種研究(生体実験)を行う、特別研究室を設け、これは所長直属にすることにした。特別研究室は、現在4ケ所ある。1つは昆虫学研究室・山田信一郎(東大理、1915年卒)、2つ目は野辺地敬三の疫学研究室、3つ目は食品研究室・遠山祐三(東大農芸、1912年卒)、4つ目は精製痘苗室・矢追秀武である。現在いずれの方面の研究においても、到底1人では大研究はできなくなった。それには物理的に大きいことが必要である。

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 


   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?


●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

細菌戦裁判第1審判決ドキュメント

                                 ー嵐の4日間ー

                                                      中谷真紀子 (大学生)

◆希望を捨てないー最後にー

私が今回の判決で思ったのは、日本の司法権と行政権、立法権との関係には問題があるのではないかということだ。裁判所は、統治構造の中で三権の一翼を担う。司法権の行使を通じて、抑制・均衡システムの中で行政作用、立法作用をチェックすることにより、権利・自由の保障を実現するという重要な役割を有している。しかし裁判は、司法権の限界性の意識からか政策的判断へ積極的には介入しない。その結果、司法権は制度本来の機能を十分に果たしていない。司法審査の在り方として、「法の支配」の基本理念のもとに、司法及び行政、立法の役割を考え直す必要がある。






●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難


           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


 




一月二二日

無神経な者でも食べれない。カンメン包をかじりつつ午後0時半出発。愈々吹雪ははげしくなるが演習が始まる。酷寒と耐寒を兼ねたような行軍だ。歩いている間は暑いが休めば体中がいたくなる位寒い。道の半分は畑だ。下手に道など歩けば氷ばかりだ。数えきれないくらいころんだ人がある。面白いようであるが 危険此の上ない。演習は一三が攻撃だ。

初日だというのに山から山 雪野から雪野と斤候  命が縮まる 汗びっしょり部落戦闘に日本軍の威力を示しつつ舎営部落に急いだ。雪ますますはげしく非常に困難なり。


●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月29日(水)

13、今日は、勉強させていただきました。毒ガス、細菌兵器と知っていましたが、細かいところ知らない部分も多数あり、不勉強を痛感いたしました。平頂山・731等現在の地図(詳細)との比較が詳しくされていると、さらにわかりやすかったように思います。大変ありがとうございました。登戸を含め行こうと思って実現していないところがあるので、この機会に是非行っておこうと思います。(男性、60代、市内、歴教協会報)

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書


挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 しかし1週間後、広島を発つとき、我々はお互いに、自分自身が落ち込んでいる憂鬱の穴ぼこから確実な回復に向かってよじ登るべき手がかりを、自分の手がしっかり掴んでいることに気がついていたのである。そしてそれは、ごく直截に、我々が、真に広島的な人間たる特質を備えた人々に出会ったことにのみ由来していたのであった。

 僕は広島の、まさに広島の人間らしい人々の生き方と思想とに深い印象を受けていた。僕は直接彼らに勇気づけられたし、逆に、今僕自身が、ガラス箱の中の自分の息子との相関ににおいて落ち込みつつある一種の神経症の種子、頽廃の根を、深奥からえぐりだされる痛みの感覚をも味わっていた。そして僕は、広島とこれらの真に広島的なる人々をヤスリとして、自分自身の内部の硬度を点検してみたいと願い始めていたのである。


 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●『細菌戦部隊』

731研究会編

はじめに

1944年7月から敗戦まで関東軍司令部であった山田乙三は、ハバロフスク軍事裁判で関東軍司令部作戦部は「細菌戦準備関係の細菌作戦部隊の作戦指揮にあたった」「部隊の細菌戦準備に対する作戦指揮にあたっては、常に同部隊の業務に通じていることが肝要であって、このために、即ち状況視察のために作戦部及び諜報部の将校が同部隊へ派遣されていた」と話している。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 


今中俊雄供述書(1954年9月16日)

問:大連憲兵隊にいた期間の犯罪行為についての述べよ。 

答:1941年11月、大連憲兵隊特高課で郵便物検査を担当していた際、北京憲兵隊から手紙が来て、北京のある新聞社の「社説」に反対する投書をした者を捜し出すよう求められた。そこで私は郵便物の中から同じ筆跡の者を見つけ出し、大連憲兵隊本部の福谷曹長に捜査についての意見を出した。やがて大蓮奥町で中国人1名が逮捕され、石井部隊送りとなった。(1)119‐2、798、1、第4号




●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発



5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開


科学動員の本格化

具体的な研究テーマを担当する科学者は、前ページの表のように決定されている(陸運科学研究所長多田礼吉「特殊技術研究連絡者の件報告」)。


前ページの表

〇陸運科学研究所「特殊技術研究連絡者名簿」 1936年9月5日

研究項目  内容           嘱託者      連絡者       部別

科く号   電波           阪大 八木英次  工兵大尉 佐竹金次 第1部

科く号   放射線          阪大 八木英次  工兵大尉 斎藤有  同

                   同  菊地正士

科く号   衝撃電波         航研 抜山大三  工兵大尉 斎藤有  同

科う号   【電気雲】        京大 島養利三郎 工兵大尉 佐竹金次 同

                   同  林重徳 

科き号   【怪力光線】       航研 抜山大三  技師 竹下俊雄   同

科は号   【発動機を停止させるガス】東大 永井雄三郎 工兵中佐 篠田鐐  同

 




 

 

 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

埋めるー中国の毒ガス弾に対する処理

 

隠れた災難はなお消えず


19941月、私たちはこの老人を探し当てた。老人は次のように回想した。


「あれは光復(日本の支配から脱し主権を回復すること)の次の年でした。わしと兄と一緒に馬鹿溝へ草刈に出かけました。当時、溝には日本軍の捨てた砲弾がたくさんありました。わしが草刈りをしている時、砲弾が1つそこに転がって、中から液体が流れているのを見たので、足でちょっと蹴りました。涙ぐらいの大きさの液体が一粒、ズボンにはねかかりましたが、気にもしませんでした。ところがしばらくすると、足がキリキリと痛み始めたんです。ズボンをまくり上げて見ると、一面に水泡が出来ているじゃありませんか。慌てて兄を呼び、家に帰りました。小川を渡った時、水で洗ってみたんですが、もっとひどくなる始末です 。・・・




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)


焼け火箸ー拷問の挙句に斬首

佐藤五郎
分隊員 上等兵

(旧部隊名)第59師団第109大隊

 男は青山に目を向け、また何か話した。隊長の青山に斬ってもらおうというのである。それを聞いた通訳は・・・・・歯をぎりぎりさせ、「なに、この野郎」もつれた口調で近寄った。それを見た青山はニタリと笑うと、「待て、いい度胸だ」青山は軍刀を震えながら抜いた。軍刀を抜く青山を見た農民風の男は微笑を浮かべると、真剣な顔に戻り、何か歌か詩か・・・・と思われるものを歌い始めた。高田は青山が軍刀抜いたのを見ると、やかんの水を軍刀に流した。

 パシャ、パシャ、首を切る刀の流水が不気味に音を立てる。佐藤1等兵は水の音を聞きながら、「この野郎、往生しろ」外した手ぬぐいでまた目隠しをし直した。


 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)




●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

公文書である『化学学校史』から『化学学校記事』発行の活動を消したのは、1969年7月から10月に、『化学学校記事』をめぐる社会的事件が起きたことからです。

 具体的に言うと1969年7月の沖縄米軍化学兵器接触事故の報道、723日、第61回国会の衆議院外務委員会における伊藤惣助丸衆議院議員の国会質疑、84日の楢崎弥之助衆議院議員の「在日米軍及び自衛隊における化学・細菌作戦に関する質問主意書」、1015日、久保綾三氏の出版物『BC兵器』に「化学学校記事」の論文を引用し化学兵器の使用訓練が行われていると批判され社会問題化していました。

 


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判も(第16回)東京地裁522号法廷は

未定になっています。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊





●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器


1 自衛隊の基本戦略


分かりにくい犯人

ところで、我々がその一端を垣間見た生物・化学作戦の実態は、現実に自衛隊の戦力の中でどのような地位を占めているかを正しく知る必要がある。そして、自衛隊の基本戦略の中で果たす生物・化学戦争の実態が何であるかを明らかにすることができるならば、賢明な日本国民は最も確実で安価な「人類への歴史的貢献」の道を見出す努力を始めるに違いない。


 

 




●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

2001年ピュリッツァー賞受賞



※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

ルーズベルトはウィルソン〔アメリカ第28代大統領、国際連盟の提唱者〕の理念を「無条件降伏」に盛り込もうとした。彼はそれを自由主義的な国際秩序を実現する手段と見なしていた。降伏後の改革の達成を視野に入れた無条件降伏の方式は、ファシズム打倒後の新しい世界秩序を建設するための基本的な前提条件について述べていた。日本の場合、日本本土での権力行使について連合国に最高の権威を約束していたが、それは「国際法が軍事占領に際し認めていた権限」を超えるものであった。


                    




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!


日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

ヒートアイランドと熱帯夜


考えればわかることだか、冬の方が暖房や風呂に大量の熱を使うので、冬に気温上昇が大きくなるのは、当たり前の現象である。夏の気温上昇に騒ぐのは、湿度の高い日本では、蒸し暑くて辛いからである。冬の気温上昇に騒がないのは、冬が暖かくなると楽だからである。

 



●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

核兵器禁止条約

署名国と批准した国

 パナマ

2017年9月20日

2019年4月11日

 パラグアイ

2017年9月20日

2020年1月23日

 ペルー

2017年9月20日

 

 フィリピン

2017年9月20日

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)






●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!

       








           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


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