2018年8月7日火曜日

細菌戦の系譜!!




BS1 「731部隊」
西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説
前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容

「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。
後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。

731部隊展

ABC企画委員会


NHKの解説

戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。

番組内容
戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。

BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編)


BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編)


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!



●731部隊について
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし

ナレーション
載っているのは731部隊に集められた医学者たちの出身大学と名前です。こうした人々は技師と呼ばれ軍の所属となっていました。
ナレーション
私たちはこの資料だけでなく、現存する部隊名簿や論文などから技師の経歴を洗い出し、確認していきました。
その結果明らかになった内訳です。
最も多くの研究者を出していたのは京都大学。ついで東京大学。

【東北帝国大学1名、東京帝国大学6名、慶應義塾大学2名、北里研究所1名、京都帝国大学11名、京都府立医科大学1名、京城帝国大学2名、満州医科大学3名、その他の満州の研究所12名】
少なくとも10の大学や研究機関から合わせて40人の研究者が731部隊に集められました。
技師となった医学者たちは軍医と並ぶ将校クラスと位置づけられ731部隊の中枢にいました。


エリート医学者が部隊の研究を指導していたのです。なぜこれほど多くの医学者が731部隊にかかわることになったか。取材を進めるうちに、部隊と大学の知られざる関係が浮かび上がってきました。



「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29


吉村寿人

※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???

※清野謙治京大教授も、京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対しては病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに「異常なまでにてこ入れした」とされる。

※清野事件
清野は、幼少の頃から考古学を趣味にしており、仕事の傍ら古人骨・古文書・民俗学資料などの収集に情熱を傾けていた。 1938年に医学博士号を取得した直後、「誠に奇妙なる精神状態」のうえに収集癖が高じて、京都の古寺から教典や古文書を盗む窃盗事件を起こす。 清野は逮捕され、控訴審で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受ける。 このことから清野は京大を免職になったばかりか、濱田耕作京大総長も辞意を表明した。

記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)


※1938年8人の京大研究者が731部隊に派遣される。
8人は石川太刀雄丸、岡本耕三、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸三郎、田中英雄
凍傷実験で有名な吉村は、日本学術振興会から研究資金が出ていた。
吉村の恩師は、正路倫之助【軍医学校(731部隊に指令を出していた所)の嘱託】。正路は1946年に、兵庫県立医科大学の学長に就任する。そこに戦後、吉村、岡本、田部井が職を得る。兵庫県立医科大学は、後に神戸大学医学部になる。
岡本は清野の弟子、田部井は木村の弟子だった。
※戸田正三、木村簾両京大教授(軍医学校嘱託)は、戦後医学界として石井機関の医学者をかばったという理解は誤りで、医学界が守ろうとしたのは医学界そのものであった。(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)

戸田正三

長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。


民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。

荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。

荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。

荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。

戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。



また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??

軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦

第5代伝研所長
宮川米次





※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。

講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって

※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

731部隊の設計図が1枚も見つかっていない!!(建築学会でも731部隊は全く無視されている!!)
アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)


ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
1940年、日本軍資料

1942年、日本軍資料
まず井本日誌、それから沢田茂中将日記を見てみます。
*井本日誌 (1942年分)
4月12日
昭和17年㋭号指導計画
1.攻撃目標
イ.昆明
ロ.麗水・玉山・衢県・桂林・南寧(沿岸飛行基地)
ハ.サモア(撤退する場合)
ニ.ダッチハ-バ-
ホ.豪州要点
ヘ.カルカッタ

※「○ホ」とは細菌戦のこと




『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶

4、風間博の父が語った「告白」と息子の決意

彼らは寒い中をザクザク音を立てて歩いていた。風間の父らは見て見ぬふりをしながら、黙々と片付け作業を続けたという。風間の父が仲間たちと目にした光景について、後年、息子に次のように語った。
「夜昼の区別なく引込線に有蓋(ゆうがい)列車が入ってきた。列車からは少ない時で20人くらい、多い時には50人以上が降りてきた。支那兵は緑がかった軍服を着ていた。黒い服は農民だと思う。」
彼らはみな目隠しされ、後ろ手に縛られ、足には鉄の鎖が付けられていた。その姿はまるで囚人のようであったという。

※彼らは囚人ではない。色々な容疑を吹っ掛けられ、捕まえられ、裁判も無しに、人体実験に供された。

4、日本軍による人体実験より
「マルタ」にされたのは「特移扱」と呼ばれる取り扱いで中国各地の憲兵隊から送られてきた人たちでした。彼らは「諜者」(スパイ)や「思想犯人」(民族主義者や共産主義者)の疑いをかけられて捕まった中国人やロシア人、朝鮮人、モンゴル人などで、その中にはごく普通の農民や女性・子どもも含まれていました。彼・彼女たちは七三一部隊からの要求に応じて各地の憲兵隊から汽車でハルビン駅へ護送され、ハルビン駅からは擬装された列車やトラックで平房の部隊の監獄へと送り込まれました。また、ハルビンでソ連のスパイとして捕まったロシア人は特務機関へ回されて取り調べを受け、口を割らなかったり、二重スパイになるのを拒んだり、逃げようとした者が「特移扱」になりました。こうして実験材料にされ殺された人々の数は3000人以上にのぼるといわれています(ちなみにこの3000人という数字は、背陰河の施設や、七三一部隊以外の石井機関の施設における犠牲者の数を含んでいません。これらの施設や陸軍病院での犠牲者も含めると、総数はずっと多くなります)。



新聞紙法

満洲天理村

『国民精神の歌』と天理教

海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日



・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言


今の日本は、あの侵略戦争の事を忘れようとしているのではないか?
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。


日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」


小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。

Tokyo Story (1953)


(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)


『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第十二章

まずゲルトネル氏菌は,どのようにして大福餅に混入したのであろうか。

調査班は,三好野の店内を天井裏まで徹底的に捜索した。その結果,製造所内に仕掛けた「ネズミ取り」に四匹がかかった。そのネズミを解剖したところ,一匹の腸管内からゲルトネル氏菌が検出された。また,貯蔵用餡箱の中から発見されたネズミの糞からは,ゲルトネル氏菌は検出されなかった。しかし店内に相当数のネズミが出入りしていたことは,確実と見られた。また,死後数日を経過したと思われるネズミの死体も天井裏で発見された。その斃鼠と,天井裏に散乱していたネズミの糞からもゲルトネル氏菌が検出された。ゲルトネル氏菌はネズミだけではなく,犬や猫も感染源となりうる。三好野で飼われていた猫も解剖され,保菌の有無が調べられたが,ゲルトネル氏菌は検出されなかった。おそらく三好野で製造された食品が,ネズミの糞によって汚染され,かかる重大事件の原因になったものと思われた。では何の食物に,ゲルトネル氏菌は付着したのであろうか。



※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていたのではないか。軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためでだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。西とは西俊英軍医大尉(当時)、後に731部隊で活躍する。

小島三郎の記述


小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。


小島三郎

『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より

メリットと業績

第11回の学会では、サルモネラその他のこれに類する報告は陸軍のものが目立ったが、その後は大学や研究所の研究者によっても数多く行われるようになった。
石井とともに浜松に行った小島も、第11回の学会には「腸炎菌主としてゲルトネル菌免疫学的研究」を発表している。助教授時代とそれ以前の小島は、「日本細菌学会」では第4回に「抗毒血清の濃縮法に就て」を、第6回に「化学的に観たる微生物」いう報告を行っており、食中毒やサルモネラやゲルトネル菌についての発表はない。ところが第11回の学会以後、彼は日本各地の各種の食中毒とその原因となる菌について精力的に調査収集を行い、その結果を発表するようになった。そして1939年には、弟子の八田貞義と共著で『食中毒菌』(金原書店)を発表した。この本は日本でのサルモネラ学の基礎を築いたといわれる。またこの頃に小島は「日本国サルモネラ委員会」を作り、サルモネラ研究で日本と外国とを結ぶ役割を果たすようになっていた。この委員会は、コペンハーゲンの国際サルモネラ・センターから診断用血清のための株を多数贈られ、国内の研究の進展に貢献した。小島の主要業績であるサルモネラの分類も、この国際協力のひとつとして、学術振興会の援助を受けて行われた。



『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)

小泉親彦と昭和天皇

背蔭河での生体実験は、陸海空軍の全面協力のもとに行われたわけで、天皇の許可なくしてこのような重大事を行うことは、できなかったはずである。この2回の天皇と小泉親彦の会談で、天皇は小泉を信じ、小泉に賭けてみたのではないかと考えらる。
小泉は、天皇と会談後の1932年4月には、近衛師団軍医部長になり、1933 年8月には陸軍軍医学校長に就任している。
また1932年8月には、石井軍医正以下5名の軍医を新たに配属して、防疫研究室を開設したが、研究の進行(背蔭河の研究)とともにすぐ狭くなったことで、翌年、近衛騎兵隊敷地約5000坪に新防疫研究室を新築した。



「いつの間にか始まった石井部隊」 常石敬一 (人骨の会代表)



「テロリスト伊藤博文」の懺悔



※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

「化学兵器とアジア」ー現在進行形の加害と被害を考える!!


※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。

毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言

カネミ油症事件

カネミ油症事件ですが、カネミ倉庫とカネカに責任はあるのですか?

PCBは三井グループのカネカが製造していた。
PCB(ポリ塩化ビフェニル:鐘淵化学工業製造)
2004年(平成16年)「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」に商号変更。

横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


いわれなき中傷

富山県は県民の所得を上げるために大企業を県内に誘致しようとしていた。工業化を目指す富山県にとって、イタイイタイ病の神岡鉱山説は不都合だった。また岐阜県にある神岡鉱山の鉱石が少なくなったことから、神岡鉱山を富山県に誘致する計画が密かになされていた。イタイイタイ病という病人を抱えている富山県は、病人よりも企業誘致を優先させ、県内に潜行しているイタイイタイ病を歴史の闇に葬りたかった。
富山県は政府の大規模工業化プロジェクトを受け入れようとしており、政府や大企業を批判することはできなかった。政府や大企業を批判しているのは少数の被害者で、県民の大部分は企業誘致のため多少の公害を我慢すると考えていた。


※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の人体実験をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄も金沢医科大学出身である。


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)






・細菌戦被害地(中国)の旅


●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!!

石井四郎の戦後


●アメリカの原爆投下を訴える!!
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影

堀田伸永

※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!


第4章 日米軍事医学交流

「特殊研究」関係者の原爆調査

田宮猛雄が率いる東京帝国大学伝染病研究所(伝研)は、8月29日、赤痢に似た症状で死亡する事例が相次いでいる事態に関して広島県衛生課から調査依頼を受け、草野信男助手、臨床医2名、細菌專門医計5名を広島に派道した。田宮は、東京帝大医学部長、伝研所長であると同時に、陸軍防疫研究室の嘱託だった。伝研調査班は、厳島の寺に安置されていた女性の遺体を解剖、 次に広島から30キロあまり離れた賀茂郡西条町(現・東広島市)の陸軍傷痍軍人西条療養事務所で3体ほどの被爆者の遺体を解剖し、他の医師が解剖した剖検材料とともに東京に持ち帰った。


放影研 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究

731部隊の免責を得る為に、日本はアメリカに原爆調査(原爆の効力の調査)のデータをアメリカに渡した。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?


宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。


※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!!

●軍学共同の道

(1)京大の被爆者標本、どこへ <持ち去られた被爆者資料>
帝国の骨


それは医師として、学者として、人道的に耐え難いことだったはずだ。特に京大の原爆調査班は広島を直撃した枕崎台風で医学部教授ら11人が殉職している。
その標本は反核運動の起点であり、二度とあってはならない世界史的出来事の証言だ。治療法解明を願って解剖に応じた被爆者遺族の思いを込めたものだ。
天野は1964年没。川合医師は、学生時代に天野の講義で「標本を見た」と証言する。ところが、2008年では、病理学教室出身の名誉教授らが「あの時の標本はどこへ行ってしまったんだろうな」と語っている。



●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)


==== 国立公衆衛生院 (現国立保健医療科学院)====
東大系の研究所では、国立公衆衛生院、東大医科学研究所(旧伝染病研究所)、
国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)の3つが731部隊との関わり合いが深い。
まず国立公衆衛生院であるが、関東大震災の復興援助として、ロックフェラー財団から建物・設備が寄贈されたのがその始まりである。
ここの疫学部長に就任したのが野辺地慶三である。彼は1923年、ハーバード大学に留学、帰国後数々の業績をあげ「公衆衛生の父」と呼ばれている。
1958年にはABCCの疫学部長に就任している。
この人物も731部隊、そして米国との関わり合いが深い。
戦後、百日咳の研究で、731部隊の最高幹部であった北野政次、安東洪次と協力している。
重松逸造は野辺地の教え子で、1966年に疫学部長に就任している。
国立公衆衛生院は2002年、改組により国立保健医療科学院となり、現在は、汚染食品からの被ばくは小さいなど安全キャンペーンをやっている。


優生保護法とはより
■「不良な子孫の出生防止」は、障害者への差別

優生保護法は、優生手術を「生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術」と決めていて、それ以外の方法は禁じていました。にもかかわらず規定外のレントゲン照射や子宮の摘出が女性障害者に実施され、しかもこの違法行為は黙認されていました。優生保護法の目的「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」は、障害者から生殖を奪うことについて、人々がためらう気持ちをも奪ったのでした。 優生保護法が1996年に母体保護法に改正された後も、こうした違法行為が続いている心配があります。

優生保護法とは

旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢



「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29



政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。

被曝をめぐる御用学者の系譜



●原水爆禁止!!核廃絶!!
アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷


核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!

日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染





ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!



お知らせ
広島・長崎の被爆者が「核兵器のは人道的兵器」「人類は核と共存 できない」と自らの体験を日本中に、世界中に訴え続けました。 そしてその願いは昨年の国連総会にて「核兵器禁止条約」 の採択へと大きく前進しました。
被爆者の運動を支えたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が ノーベル平和賞を受賞へとつながり、世界各国は条約批准へと動き 始めています。
一方、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験の被害は、日米政 治決着によって「第五福竜丸事件」で終わったものとされ、被災調 査は打ち切り、被災者に健康調査も何ら援助せず、60年も被災資 料を隠し続けてきました。
2014年に政府が公に述べ1000隻の漁船が被災していたこと を認めたことで、若くしてガンなどで亡くなっていった仲間の無念 の思いを背負い高齢となった元マグロ漁船員と遺族が「 ビキニ核被災国家賠償訴訟」を起こし、 今年7月20日に判決が下されます。
核実験によって引き起こされたビキニ核被災を、日本だけでなく、 アメリカをはじめ世界にその実相を伝えるべく、日本語と英語の二 か国語で、写真集『NO NUKES』(核はいらない)を制作するプロジェクトを立ち上げ 、A-port(朝日新聞)のクラウドファンディングで実現させようとスタートしました。
NO NUKES「核はいらない」プロジェクト
朝鮮半島の非核化、東アジアから世界の非核化を願う多くの皆さま のご支援と、プロジェクトの拡散をよろしくお願いします。


写真集『NO NUKES』発刊にご支援を

ビキニ核被災国家賠償裁判の判決が一カ月後の7月20日㈮午後1時半~に迫りました。日米両政府による政治決着によって意図的に核被災の事実が隠ぺいしてきた被告(政府)の反論は全くないままです。判決への高い関心をぜひお寄せ下さい。
さて、昨年3月1日に32名の証言を紹介した『ビキニ核被災ノート』を発刊しましたが、新たな問題意識として、水爆実験を実施したアメリカ国民には実験の被害は知らされていないはずです。また、その後の核保有国の国民も、核実験の下での核被災者には思いを馳せることは無かったでしょう。
「NO NUKES「核はいらない」プロジェクト」は、今年11月、日英二か国語による写真集『NO NUKES』-ビキニの海は忘れない-の発刊を決意しスタートしました。資金援助をA-port(クラウドファンディング)で呼びかけています。期間は9月20日までです。現在の到達はまだまだです。ぜひご支援の輪をよろしくお願いします。

NO NUKES「核はいらない」プロジェクト

6月11日(月)~13日(水)にかけて、第五福竜丸元乗組員の大石又七さん(東京)、見崎進さん(静岡島田市)、池田正穂さん(静岡焼津)、第二幸成丸有藤照男さん(横須賀市久里浜)、第五良栄丸の田中廣さん(横須賀市久郷町)、第七大丸の柳原享さんの計6名の方々にお会いしてきました。ビキニ事件を発端に、日本で原水禁運動が大きく広がりました。しかし事件は、日米の政治的思惑で『第五福竜丸事件』に矮小化され、被害を受けた乗組員は地域から妬みと、ヒロシマ・ナガサキの被爆者と同じように差別にさらされていました。大石さんは東京に逃れクリーニング店を営むことになります。池田さんは、結婚を約束していた女性が事件後一度も会えず破綻し、京都に逃げるように移り住み「ビキニ事件」を自ら封印したそうです。

一方、ビキニ事件で核被災にあったその他の漁船と乗組員は日米の政治決着で「無かった」ことにされました。その結果、健康診断などの医療サポートは皆無で、若くして原因が分からないまま各種のガンで命を落としました。

今、生き残った双方の被害者が語るのは、歴史の事実を政府は認めて、核被災者への支援を一日も早く、そして再び核の被害者は出さないでという事でした。写真集には第五福竜丸をはじめ20隻のマグロ漁船と、45名の元漁船員・遺族がビキニ事件の実相を語ります。核実験被災者の思いを日英二か国語で初めて発信する取り組みです。熱いご支援をよろしくお願いします。写真集には、川崎哲さん(ICAN国際運営委員)、尾崎正直さん(高知県知事)、吉永小百合さん(女優)、山下正寿さん(太平洋核被災支援センター)などから推薦いただきます。



原子力に悩む大国 アメリカ



●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ



小路田泰直

それは、中曽根が、原子力予算提出にあたって、次の如く、当時サンフランシスコにいた嵯峨根遼吉から強い影響をうけたと述べていることからも想像できる。 
嵯峨根といえば、先にも述べたように、仁科が湯川とともにアメリカに送り込んだ、若き核物理学研究者の一人だったからである。その発言には、仁科の思いが乗り移っていたはずだからである。

※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!それをどうするんだ?核兵器開発??

仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)



*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。


何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインド・イギリスに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!


湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●世界の流れ、脱原発

教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)

守屋以智雄論文
以前から原発の危険性を訴えていた金沢大学名誉教授・守屋以智雄氏の論文が発表されました。
火山の研究者として優れた研究をされている方です。
論文は長いので整理して転載します。

テーマ[噴火と火山]
雑誌 科学 2014年1月号  岩波書店

* 原発に被害を与える噴火様式
◎ カルデラ火山からの巨大火砕流
カルデラから30~40kmの高空まで軽石を噴き上げ、四方へ広がりながら
100km以上離れたところまで火砕流となって到達する。
1000℃近い高温の軽石とそれが破砕された細粒火山灰の混合物からなる火砕流は
時速150km以上、新幹線に近い速度で流動、・・・・


どうする?これからのの日本のエネルギー

●脱原発4

アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。

東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?

日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!


・リニア新幹線反対!!
大地震が起きたらどうなるか??
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦


地下40mを超高速で走ることへの不安

1923年の関東大震災、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災と、100年の間に3回も大規模な震災を経験した日本が、なぜ地下40メートルの「大深度地下」を時速500キロで走るような鉄道を考案できるのか。危惧する声は国内のみならず海外からも挙がっています。都営地下鉄大江戸線の六本木駅が地下7階(42.3m)と地下鉄駅では最深ですが、この尋常でない深さを高速走行する鉄道が、地震の際にどのような状況に陥るかは、残念ながら地震が起きてみなければわかりません。しかし、できれば自分が乗っている時には起きてくれるな、と思ってしまいます。

トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く



●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
これでも情報公開か??
「これ、海苔ではありません」長野県”全黒塗り”公文書問題 - 日本共産党 長野県議 山口のりひささんにきく- 聞き手altoさん


この国は、情報公開にこうも消極的なのだろうか?30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだろう。
今、森友・加計問題を見ていると、政府は、きちんと説明しないばかりか、情報の隠蔽を公然としている。資料・記録・録音などを、公開すると今までの不正がばれるからであろう。官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発して、情報を出さない。日本の官僚制は、内閣人事局の影響で、本当に根腐れを起こしている!!

「テロリスト伊藤博文」の懺悔

自衛隊の、情報公開も不完全だ!!南スーダン・イラクなどで、本当にどのような事が起こっていたかをきちんと説明もしない。
また、自衛隊の様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!
憲法9条をもつ日本国憲法の下で、果たして自衛隊が合憲なのだろうか?
あの侵略戦争の残虐さをきちんと反省し、戦後みんなの努力で作った憲法9条を、世界に広めることはできないものだろうか?

戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示すきちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民・家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
きちんと情報を公開し、昭和天皇の戦争指導を明らかにしてもらいたい!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!膿は出し切らないと、機能不全は益々膨らむ!!

大嘗祭、前回見解を踏襲 政府、退位儀式の概要固める 政教分離の論争、再燃避ける

「官房機密費」の使い道がヤバい!税金を泥棒する政治家・メディア・評論家たち!

天皇制を考えよう!!
昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊の巨大な研究施設やその中で行われた人体実験、また中国各地で行われた細菌戦や毒ガス戦は出来なかった。
昭和天皇の戦争責任をきちんと見つめよう!!


政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり

眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味

天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上)

日本への空襲

天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!!

象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!




●医療問題
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢


こんなことが医学部で行われている。他大学の医学部でもないのだろうか??
「女性差別許さない」 東京医大前で100人、抗議行動

【日本共産党】吉良よし子参議院議員にきく「東京医大 女子一律減点・合格者抑制問題」


製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解

オウム事件の真相は解明されていない!!
オウム真理教の6人に死刑執行 13人全員に執行

看護師1人の責任なのか??医者はどこにいた??なぜ連続して起こっても傍観する??
老人医療、社会保障のあり方と関係づけ

区委託がん検診で3回連続見落とし、40代死亡

オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉

オウム大量死刑を生んだ"安倍1強"の怖さ

武田薬品、「7兆円買収」めぐるOBとの深い溝

H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究


「救えるはずの患者を救えない」 子宮頸がんワクチン副作用「問題」はなぜ起きた?

子宮頸がんワクチン接種後の症状


水俣病


731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に

チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正


聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生




●自衛隊
日本は、東京裁判で、毒ガス戦、細菌戦の事が全く裁かれなかったことをいいことに、戦後もこれらの兵器を作り配備し続けている!!

イージス・アショア 秋田市民「配備理由わからぬ」

地下鉄サリン事件に信者の自衛隊員がかかわり、化学学校の情報が洩れていなかったのか??
自衛隊の化学学校では、1964年にサリンの合成に成功し、その後も、サリン、VX,BZ、タブン、ソマンなどの毒ガスを作っている!!
1997年に化学兵器禁止条約が発効しても、防護のためと言って、作り続けているのである!!
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年

麻原彰晃の死刑執行、有田芳生議員が「常識的に判断してありえません。政治判断」と批判

防衛相 オスプレイ配備計画で佐賀県との協議再開へ

オスプレイ「なぜ今」横田配備へ 突然の前倒し

三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな


自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製

地下鉄サリン事件(ザ!世界仰天ニュース)


読売新聞、日本テレビとアメリカCIAの関係

地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」

オウムは、細菌兵器や毒ガスを使っていた。旧日本軍が中国戦線でやったことは全く同じ!!
日本で、戦中の事が全く反省されていないからこんなことになったのではないか?警察・自衛隊もオウムがサリンを作っていると知っていても、何もせず、放置していた!!自衛隊化学学校では1964年にはサリンの合成に成功しており、その後もVXやBZなどの神経ガスを作っている!!化学兵器禁止条約を批准しても
防護のためと言って、作り続けているのである!!

上川法相は、きちんと捜査もせず、よく13人も死刑にできたものだ!!記者会見では、質問にほとんど答えない!!
モリカケのような国家的隠蔽に走った!!
オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?
サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊化学学校の関係をきちんと調べていない!!
オウムの信者には、多くの自衛隊員もいました。自衛隊の情報が洩れていなかったのだろうか?

元化学学校自衛官は、オウム真理教だけで、本当にサリン製造ができたのであろうか?と疑い、次のように語る。
「サリン製造の実験室に勤務していた自分にはオウムだけでサリンを作ったとは信じられません。自衛隊では十数名のチ-ムで合成(5日)しています。実務経験者がいないと合成は無理だと思います。又は、平成6年頃「自衛隊の毒ガス製造技術」の管理は零に近い状態だったと記憶しています。漏れても不思議なことはありません。」

オウム事件で未解明な部分が多いのになぜ死刑を執行するのだろうか?
自衛隊化学学校の情報はオウムに流れてはいなかったのか?
なぜ、オウムがサリンが作れたのだろう?なぜ軍用ヘリコプターが買えたのだろう??
なぜ東大や京大で、何故講演会ができたのだろう?だれが宗教法人として認可した?
なぜ、国家・警察はオウムを地下鉄サリン事件が起きるまで泳がせた?
裏で大きなお金が動いていなかったのか?
オウムと笹川財団、石原慎太郎の関係はどうなっているのか?
国家がサリン事件に関わっていないのか?
死刑執行をした上川法相・安倍首相の責任は重い!!
安倍首相と法相が オウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出(日刊ゲンダイ)
・この人たちは庶民とはかけ離れた全く別次元の人たちですよ  近畿で避難指示出るなか...安倍首相、死刑執行前夜の上川法相ら宴会で「いいなあ自民党」

オウム事件教団元代表の松本智津夫死刑囚の刑を執行
死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も
【音声配信】オウム松本死刑囚らの刑執行。法務省の説明やメディアの報じ方に疑問▼崎山敏也×荻上チキ▼2018年7月6日(金)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・
オウム事件真相究明の会、立ち上げ。

サリンの毒性(ウィキペディアより)
・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである
。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。


・安倍晋三の別荘のある地、鳴沢村とは旧上九一色村のあった土地である。かつて笹川財団が所有

オウムのサティアンと笹川さんとアベッチの別荘の関係とは?? ―
より
・鳴沢村に笹川陽平と安倍晋三の別荘があるということです。
・鳴沢村というのは、オウムのサティアンがあった所です。
・オウムのバックは、笹川財団です。
・これからは、パチンコやモーターボートに加えてカジノになるんだそうです。
・地下鉄サリン事件でほとんどの患者が運ばれたのは、笹川医療財団会長の日野原重明院長の聖路加国際病院=米軍極東中央病院
・笹川さんの死去後、日本財団のトップになったのは、放射能は健康に良いとか言ってる頭のおかしいオバさん曽野綾子
・ちなみに笹川記念保健協力財団の評議員に、山下 俊一(長崎大学 学長特別補佐、福島県立医科大学 副学長)がいる。


塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
首相動静(8月15日)
午後5時57分、鳴沢村の笹川陽平日本財団会長の別荘着。笹川会長、森喜朗元首相、小泉純一郎元首相、麻生太郎副総理兼財務相、茂木敏充経済再生担当相、西村康稔官房副長官、萩生田光一自民党幹事長代行、日枝久フジテレビ相談役らと会食。

共通点は北朝鮮と露、CIA。

安倍首相と元首相3人、大笑い 笹川氏がブログで公開


塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
2017年8月15日
返信先: @TsukamotoSozanさん
安倍晋三と笹川陽平の別荘がある鳴沢村とは、旧上九一色村のあった土地である。笹川財団が所有していた。つまり、オウム真理教のバックに笹川財団がいた。浜田幸一の著書に「山口敏夫と石原慎太郎がオウムに資金援助していた」宗教学者中沢新一の著書には「石原四男の石原延啓がオウム幹部であった」と
石原慎太郎の4男の延啓が元オウムの大幹部って本当?より
・1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。
・オウム真理教と石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医がだれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、心臓外科医としての林郁夫だった。
・石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。
・石原慎太郎は、オウム真理教への資金提供を行っていた。


●サリン事件と自衛隊の関係は??






陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年


5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?




・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

中曽根元首相 活動記録を寄託 国会図書館、公開へ作業

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?

700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎×大竹まこと:日航機123便墜落事故にかかる陰謀説


自衛隊と日航機墜落事故の関係は??


●憲法9条を守れ!!
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!












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