2018年8月12日日曜日

細菌戦の系譜!!

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2018年所沢 平和ための戦争展

今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス被害事件~弁護士富永由紀子



●ニュース
本当に、整備ミスなのか?自衛隊の関与はなかったのか?
入念指示で「事故防げた」=ボ社任せ、責任否定―送検16人供述全容・日航機墜落

森永卓郎×大竹まこと:日航機123便墜落事故にかかる陰謀説


日航機墜落事故 12日で33年 灯籠流し

医学部入試、77%で合格率に男女差…読売調査

台湾少年工、生活まざまざと 県央の軍需工場で戦闘機製造 相模原で展示

女子受験生、東京医大に受験料返還求める「落とし前を」

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

【横田一の現場直撃!】ダム安全神話のツケ(倉敷市真備)カジノ候補地の市長選挙(和歌山市)/180725


納涼ぶった斬り! 文科汚職、疑惑、暴言・・ 【ウィークエンドニュース】180803


旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢


【金子勝】日本経済・金融緩和解説!銀行が経営限界で国債に買い手がつかない緊急事態!今後はどうなる?2018年7月



真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!!
陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍

不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入

【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」


加計問題はまだまだあった!!
しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。
古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.〉

新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校

逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定

加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に

文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか

オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉


加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!!
南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!!
官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響

少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。
今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!!
国家が根腐れしている!!
ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し


・鳴沢村に笹川陽平と安倍晋三の別荘があるということです。
・鳴沢村というのは、オウムのサティアンがあった所です。
・オウムのバックは、笹川財団です。







●野田亮医学研究科教授が「お話をお伺いいたします」

軍医将校の学位授与の検証を求める要請の結果について
満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会要請団

2018年7月26日

満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会要請団員

共同代表: 鯵坂真(関西大学名誉教授)、池内了(名古屋大学名誉教授)、広原盛明(元京都府立大学学長)、賛同人: 福島雅典京都大学医学部名誉教授、事務局: 西山勝夫 (滋賀医科大学名誉教授)、福島知子(日本科学者会議京都支部731を考える会世話人)、諸富健(市民共同法律事務所弁護士)

要請日時: 7月26日10:00~11:30
場所: 総合研究8号館2階 213号室(情報数理会議室)
京都大学出席者 
研究倫理・安全推進担当副学長野田亮(医学研究科教授)、中村伸彦教育推進・学生支援部教務企画課長、呑海和彦教育推進・学生支援部教務企画課補佐、田代隆之教育推進・学生支援部教務企画課教務掛、松村一矢研究推進部研究倫理・安全推進室長、白神照広研究推進部研究コンプライアンス掛長

双方名刺交換の後、指定席に着席(双方のメンバーの席には名札が置かれていた)
野田亮副学長が挨拶された。
山極壽一京都大学総長宛の要請書と国内外から集まった署名簿(邦文手書署名387名、当会ホームページからの署名20名、Change.org署名:邦文125名、英語6名、重複整理後合計538名、韓国語139名《筆数のみ》)を西山事務局長が野田亮副学長と手交した。
山極壽一京都大学総長宛の要請書本文を読み上げ、注に基づく要請本文の説明をした西山事務局長は、できるだけ早く検証結果を当会に報告されるようにと要請した。
共同代表がそれぞれ自己紹介を行った後、こもごも要望を述べた。
野田亮副学長は以下のように述べられた。
1) 皆さんの要請書を深く受け止める。
2) 過去を変えることはできないが、未来に生かすようにしたい。
3) 未来にいかすということは、現在の問題としてとらえ、過去の検証をすることも含まれている。
4) 皆さんの言われたことを執行部で検討する。
5) 9月上旬に大学執行部で検討し、その結果を会に報告する

松村一矢研究推進部研究倫理・安全推進室長からは以下のように述べられた。
大学として、必要であれば、医学研究科としての調査をすることになる。(以上)

軍医に人体実験の疑い 検証要請 _ NHKニュース


要請書
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます

研究者が戦争に協力する時 ―731部隊の生体実験をめぐって―(京都大学) 常石敬一・神奈川大学名誉教授講演


「いつの間にか始まった石井部隊」 常石敬一 (人骨の会代表)


製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解

●人体実験のデータで博士の学位を取っていたら大問題だ!!
●ご紹介 検証を求める会  

731部隊員 平沢正欣(まさやす)論文の学位授与の検証 常石敬一


・戸田正三・木村簾【京大教授・731部隊嘱託(軍医学校嘱託)】は、きちんと平沢の論文を審査したのだろうか?敗戦直前の5月・6月の日本の状況を考えると難しいのではないか?6月6日に教授会をやって、即認めたのだろうか?
・「特殊実験」という平沢の言葉をそのまま、両教授は、容認し、学位審査の書面に記載している。「特殊実験」とは人体実験だろう。
・平沢(軍医でありパイロットだった)の論文を審査し、細菌戦に嘱託としてかかわった戸田正三は、戦後公職追放をとかれてから、1949年金沢大学の初代学長に就任、4選され1961年まで務めた。1951年、日本学士院会員、1961年11月20日(76歳没)。同じく731部隊嘱託の木村簾は、昭和3年京都帝大教授となり,同大ウイルス研究所長をへて,昭和32年名古屋市立大学長。腸内細菌によるビタミンB1の分解の研究などで知られた。昭和34年学士院賞(共同研究)。昭和58年5月28日死去。
論文を書いた平沢正欣は、1945年6月に飛行機事故で死亡している。

記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!


アピール1 731部隊員の学位論文(京大)を検証する 西山勝夫(滋賀医科大学名誉教授)



・1952年10月の日本学術会議の第7部会で、「細菌兵器の使用禁止」を求めるジュネーブ議定書を批准するよう提案されたが、細菌戦に係わっていた戸田正三、木村簾は反対した。そして自ら係わっていたことを全く反省せずに、戸田は次のように言ったという。
「生物兵器は、4,50年前に解決している問題でありまして、、今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労までして日本で作るという馬鹿が出ましたら、そんな馬鹿な事をするなという勧告を私からよくいたしますから、どうかその点ご安心ください」
戸田・木村らは自ら係わった細菌戦のことに全く触れず、日本の医学界の犯罪を隠し続けた。
生物兵器禁止条約は、2018年現在の締約国(および地域)数は179で、日本は1972年4月10日(署名開放日)に署名、1982年6月8日に批准[した。
※しかし、自衛隊・国立感染症研究所等いろいろな研究機関では、本当に生物兵器開発をしていないのだろうか??

「軍機」医学、歴史の闇に <731部隊軍医の博士論文>



●731部隊だけじゃなかった!旧日本軍「513部隊」の存在が初めて明らかに


●サリン事件に関して
元化学学校自衛官は、オウム真理教だけの力でサリン製造ができたのかと、次のように語る。
「サリン製造の実験室に勤務していた自分にはオウムだけでサリンを作ったとは信じられません。自衛隊では十数名のチ-ムで合成(5日)しています。実務経験者がいないと合成は無理だと思います。又は、平成6年頃「自衛隊の毒ガス製造技術」の管理は零に近い状態だったと記憶しています。漏れても不思議なことはありません。」

オウムは、細菌兵器や毒ガスを使っていろいろな事件を起こした。旧日本軍が中国戦線でやっていた毒ガス戦・細菌戦を真似ていないのか。

アメリカは、原爆の投下の非人道性、日本における空襲の非人道性を追及されるのを嫌い、日本が中国・アジア太平洋地域で行った非人道的な細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃の事実を東京裁判のテーブルに全く上げず、不問にして、その日本軍のデータだけを独占して入手した。

日本で、戦中の事が全く反省されて来なかったからから、こんなことになったのではないだろうか。警察・自衛隊もオウムがサリンを作っていると知っていた。それでも、何もせず、放置していた。自衛隊は米軍からのデータを使って、1964年にはサリンの合成に成功しており、その後もVXやBZなどの神経ガスも作っている。化学兵器禁止条約を批准しても防護のためと言って、様々な毒ガスを作り続けている。
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年

・国は、麻原をはじめ13人を死刑にしたことで、オウム事件の全容解明を不可能にした。
1994年6月27日から28日にかけて、松本サリン事件が起こった。7月3日には、その原因がサリンであることを突き止めている。
その後、『松本サリン事件に関する一考察』という怪文書が、マスコミや警察関係者を中心に出回っていく。この文書は冒頭で「サリン事件は、オウムである」と言及するなど、一連の犯行がオウム真理教の犯行であることを示唆したものであった。

警察は、警察でオウムがサリンを製造していることを知りながら、住民の訴えに全く耳を貸さず、動かなかった事実。行政も同じだった。
上九一色(かみくいっしき)村富士ヶ嶺地区で長年オウムと闘って来た竹内精一さんの証言:
「私たちが一番問題にしたのは第7サティアン=サリンを作った工場である。第7は事務所として建築確認を取っている。しかしどう見ても事務所ではない。麻原は94年3月15日世田谷の道場でサリンの話をして、ロシアから毒ガス探知機入れたといっている。3月25日には仙台の道場で、サリン攻撃をされたが修行した最終解脱者だから死ななかったと述べ、4月23日には、オウムが米軍、自衛隊、公安から毒ガス攻撃を受けていると、在家信者を含めて1万枚の手紙を配っている。そういうことがあって第7サティアンに防毒マスクをつけた連中が出入りするようになる。7月9日15日に第7の前から悪臭が出た。9日には2時間経って警察が来た時には臭いはない。15日には10数人が集まって、30分も行ったり来たりして調べた。どう見ても発生源は第7である。これは立ち会った警察官も確認している。警察、保健所に調査を依頼したが、どちらも検査をしない。2か月経って警視庁がオウムのどんな些細な事でも報告するようにということになって初めて土壌を採って検査することになり、サリンの残存物が出たのはそれから2か月経った11月だった。」

上川法相は、きちんと捜査の指示も出さず、よく13人も死刑にできたものだ!!記者会見では、個人情報だとして、質問にほとんど答えていない。
モリカケのように隠蔽に走る。
オウム真理教のサリン合成に自衛隊化学学校の情報が洩れていなかったのか?
サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。実際の化学学校のサリン製造工程などを参考にしないとわからないのではないか。それも、作る時には仕事の分担し、何人かの専門家がいないとできない。化学の知識を持った自衛隊員がいなかったのだろうか。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない。自衛隊化学学校とオウムの関係?オウムを泳がし続けた警察とオウムの関係というより、国家権力とオウムの裏の関係(石原慎太郎や安倍晋三、笹川財団とオウムの関係)。
一体どうなっているのだろうか??1995年当時の村山政権(革新政権)は、どういうわけか「日の丸・君が代を容認し、「自衛隊」を、地下鉄サリン事件などの大宮の化学学校の活躍などもあってか、容認してしまった!!

●ある元自衛官の回想
・第3回「化学学校の黒い霧」数年前読んだ下里正樹さんの(オウムの黒い霧)の本にオウムにサリンの製造技術を教えた化学学校所属の自衛官(防衛大学校32期:二等陸尉)がいたことが書かれていました。しかし、自分の記憶では二等陸尉(平成七年、十数名がいた)にオウム入信していた幹部自衛官は記憶がありません。ただ、二百名の隊員のなかに自分のかすかな記憶では一人だけ、当時社会的問題を起こしていた宗教に入信していた幹部自衛官がいました。毒ガスの専門家でサリン製造の中枢にも配属されていた幹部研究員です。

・第2回「化学学校の黒い霧」昔、陸上自衛隊化学学校では、勤務中に医薬品を作っていました。市販の医薬品は必ず成分:分量(重量%)を記入してあります。その為合成は簡単です。実験室なので薬品も無数にあります。ただ、薬品の私的流用は駄目です。この不正行為は氷山の一角です。是非、陸上自衛隊化学学校を取材してみて下さい。

・第1回「化学学校の黒い霧」化学学校の誰かがオウムにサリンの製造技術を教えた…?地下鉄サリン事件の一年~三年前、サリン製造の中枢(装備研究科)に一人の幹部自衛官が配属されていました。この幹部自衛官は当時宗教(Tという普通の宗教ではありません)に入信していました。普通はこの様な人物は研究科に配属されることはまず(100%㌣)ありません。自分も当時この人事にビックリしました。何か特別な事情(本人の希望等)があったのかも知れません?平成五年頃、陸上自衛隊化学学校の情報はオウムに筒抜けだったと思います。

・平成14年頃の体験談(陸上自衛隊:後方部隊)です。トラック二台ぶんの廃棄物の調達要求書がきていました。中身は使用不能になった衣類(戦闘服等)です。トラックを確認すると、一台で十分積載できる量でした。一台ぶん50万は何処に?…特に年度末に見られます。又、入札を随時契約にするよう頼まれたり…自衛官もアルバイトで大変です。


地下鉄サリン事件(ザ!世界仰天ニュース)

読売新聞と日テレの報道は信用できない!!
読売新聞、日本テレビとアメリカCIAの関係
地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」

20180604 オウム事件真相究明の会立ち上げ記者会見1


・安倍晋三の別荘のある地、鳴沢村とは旧上九一色村のあった土地である。かつて笹川財団が所有

オウムのサティアンと笹川さんとアベッチの別荘の関係とは?? ―
より
・鳴沢村に笹川陽平と安倍晋三の別荘があるということです。
・鳴沢村というのは、オウムのサティアンがあった所です。
・オウムのバックは、笹川財団です。
・これからは、パチンコやモーターボートに加えてカジノになるんだそうです。
誘致レース(363)北海道・苫小牧市=市長選24日告示 無投票 岩倉市長4期目IR誘致へ
・地下鉄サリン事件でほとんどの患者が運ばれたのは、笹川医療財団会長の日野原重明院長の聖路加国際病院=米軍極東中央病院
・笹川さんの死去後、日本財団のトップになったのは、放射能は健康に良いとか言ってる頭のおかしいオバさん曽野綾子
・ちなみに笹川記念保健協力財団の評議員に、山下 俊一(長崎大学 学長特別補佐、福島県立医科大学 副学長)がいる。
カジノの儲けはアメリカ・イスラエルに行くのか?

ツイッターより
・過去に例を見ない集中豪雨でテレビには語気を強めたニュース速報のテロップが流れる中、麻原以下オウム事件の死刑囚の死刑を強行…その前夜には祝勝会とも言わんばかりの自民党の宴会が開かれていた。水道法に続いてカジノ法案も可決寸前。この政権が向いている方向を、国民はまだ気づかないのか。

・この人たちは庶民とはかけ離れた全く別次元の人たちですよ  近畿で避難指示出るなか...安倍首相、死刑執行前夜の上川法相ら宴会で「いいなあ自民党」

●麻原らの死刑執行の前日の流れ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

1、麻原の死刑執行の前日(2018年7月5日)・・・上川法相は女将として、安倍首相を招いて執行前の前夜祭??
上川法相は、「判断する上では、様々な時代の中の事も考えながら、そしてこれからのことも考えながら、一つずつの事件について慎重の上に慎重に、重ねて申し上げるが、鏡を磨いて磨いて磨いて磨ききる気持ちで判断した 」とコメントしているが、真相は全く究明されていないのではないか!!森友問題、加計問題には検察は全く動かず、法務大臣は何をやっているのか?
7人もの死刑執行の前日の夜には、女将として宴会を盛り上げ、今まで曇りに曇っていた鏡は益々曇ってしまった!!
安倍首相と法相が オウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出(日刊ゲンダイ)

2、安倍首相は、加計問題をはぐらかすために、死刑執行をショー化しようとした。
テレビ各局は朝から一斉に放送を臨時ニュースに切り替えた。同じ日に7人執行という過去にない展開を受け、テレビ局に入ってくる情報は刻々と変化。
死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も

麻原彰晃の死刑執行、有田芳生議員が「常識的に判断してありえません。政治判断」と批判

3、安倍首相は、国民の関心を文科省局長を受託収賄容疑で逮捕で注目される私立大学研究ブランディング事業に加計学園運営の2大学が選定されている事を7人の死刑を執行して、そらした。

問題は、東京医科大学に便宜を図ったことより、私立大学研究ブランディング事業の中身ある!!
「加計学園」運営2大学も支援選定されていた


4、西日本豪雨災害で思わぬ誤算
<西日本豪雨1カ月>日常生活ほど遠く 店舗廃業も 岐阜

5、オウム真理教の6人に死刑執行 13人全員に執行


●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日





●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5

●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5



●情報公開!! 新たな展開!!
・「衛生学校記事」情報公開裁判
7月12日(木)15:00~東京地裁419号法廷。

12日の裁判では、被告国側の回答書に、指定代理人が、平成30年5月29日に衛生学校教材課教材班長に対する聴取を行った際に、「図書原簿の探索を行ったら、朱書が引かれており廃棄された」という供述があることから、公開を求めている『衛生学校記事』の受入れ記録及び廃棄記録があることが判明した。これまで被告国側は陸上自衛隊衛生学校図書室では、雑誌類に関する受入れ記録は存在しないと主張していた。
衛生学校図書室の図書原簿記載によれば、昭和32年1月~昭和34年1月までに発行された『衛生学校記事』1号~19号、昭和36年4月~昭和50年7月までに発行された『衛生学校記事』及び昭和50年10月に発行された名称変更後の『ふかみどり』は、いずれも平成17年9月12日に登録事項が朱書で抹消されていることからすれば、同時期まで衛生学校図書館に保管されていたと考えられる。

※過去における文書隠蔽の例は、ある研究グループが2回にわたって同一の文書(陸上自衛隊幹部学校の研究誌『陸戦研究』(『幹部学校記事』を名称変更したもの))を情報公開により開示請求した中で、ようやく2回目に開示された例がある。不開示にしていた理由は防衛省は防衛大学校総合情報図書館に所蔵はしているが行政文書として所有している事実は確認できなかったとしている。文書を隠蔽するのはやめてもらいたい!!あるものはあるはずだ!!

被告側は、きちんと調査を徹底してやり、『衛生学校記事』『化学学校記事』を国民に公開してもらいたい!!

防衛省が、研究記録を簡単に廃棄するとは考えられない!!必ず保管しているものと思われる!!
きちんと、現物を早急に提出してもらいたい。

次回の裁判では、被告が聴取した人からの陳述書などが提出される予定。
9月28日に被告側資料提出、次回19回裁判10月18日11時~東京地裁419号法廷

防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。

防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。


公文書の在り方


自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??

憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??

『衛生学校記事』情報公開裁判
!!



●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示
4/14(土) 22:31配信 京都新聞


約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した

ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。




●情報公開裁判(「化学学校記事」)
次回は第9回 2018年9月26日(水)16:00~東京地裁522号法廷です。

「化学学校記事」裁判 資料

7月4日の裁判では、前回に裁判官が変わったので、原告が、改めて意見陳述をした。
この裁判を何故始めたのか、経過を縷々説明した。最初は、防衛省との意見交換会の中で、いろいろ731部隊の情報を出すように求めていたがそれが叶わす、次は情報公開で請求したが、大分時間が経ってから、不開示になったことなど。なぜこんなにも時間をかけて不開示にするのか?
又、最近の防衛省の日報問題を取り上げて、本来あるべきはずの日報が、国民に知られてはまずい事実があったので、ずっと隠していたことなどを例に出して、『化学学校記事』も本来、化学学校にあるべきものなのに、国民に知られてはまずい情報があるので隠しているのではないかと追及した。

『化学学校記事』には、杉田論文が載っていて、その中に、戦中の731部隊の細菌戦の記述もある!!
その中には、1940年重慶細菌戦との記述もある!!
1940年と言えば、101号作戦で、重慶を5月~9月まで無差別に絨毯(じゅうたん)爆撃していた時期だ!!

藩洵著『重慶大爆撃の研究』の細菌戦の記述には、年が異なるが以下の記述がある。(142頁)
日本軍大陸指第345号で「中国軍に対して特殊弾(毒ガス弾)を使用してよい」と、規定しているが、実際に民間居住地域に対して細菌弾を投下した。1943年8月8日、日機9機が梁山県に侵入、爆弾20発の他、細菌弾4発を投下した。翌年の春と夏にかけて、梁山東門大砲台より西門霊土地までの細菌弾が投下された地域で多くの人に、高熱、吐き気、目まい、動悸などの症状が現れ、中には体に赤斑ができ、鼻血を出しながら死んでいった者もおり、石安、福禄、城東等の郷での死者は123人に達した。


国側は、目下当時編集した人などを中心に聞き取りを行っているが、まだその報告は出来ないという。

モリカケ問題でも、記録文書の存否が問題になっているが、防衛省でも、化学学校で作った『化学学校記事』の記録をきちんと把握していないという。
何でこうなるのだろうか?
防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強している現在、化学兵器も重要な武器であろう。
戦力は持たないと9条で謳っているが、余りの現実との乖離が生じているのではないか?
化学兵器、核兵器、生物兵器の開発を、自衛隊は戦後も、戦争中の反省も全くないまま、エスカレートさせている。

防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。

自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。

国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?

実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には
『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。
陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い、「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。


1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。
又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている)

1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!!

1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 

ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項

※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)

※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」


どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党



塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
首相動静(8月15日)
午後5時57分、鳴沢村の笹川陽平日本財団会長の別荘着。笹川会長、森喜朗元首相、小泉純一郎元首相、麻生太郎副総理兼財務相、茂木敏充経済再生担当相、西村康稔官房副長官、萩生田光一自民党幹事長代行、日枝久フジテレビ相談役らと会食。

共通点は北朝鮮と露、CIA。

安倍首相と元首相3人、大笑い 笹川氏がブログで公開


塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
2017年8月15日
返信先: @TsukamotoSozanさん
安倍晋三と笹川陽平の別荘がある鳴沢村とは、旧上九一色村のあった土地である。笹川財団が所有していた。つまり、オウム真理教のバックに笹川財団がいた。浜田幸一の著書に「山口敏夫と石原慎太郎がオウムに資金援助していた」宗教学者中沢新一の著書には「石原四男の石原延啓がオウム幹部であった」と
石原慎太郎の4男の延啓が元オウムの大幹部って本当?より
・1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。
・オウム真理教と石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医がだれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、心臓外科医としての林郁夫だった。
・石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。
・石原慎太郎は、オウム真理教への資金提供を行っていた

●サリン事件と自衛隊の関係は??



長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??




●731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。

“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」

命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない



●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!

政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!

「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13


南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频  2017.12.13


マギーフィルム(字幕付き)


・南京大虐殺の証言

ベイツ

友人たちへの手紙(1938年1月10日)
親愛なる友人がた:
 はじめから、かなりの数の中国人手伝い、協力してくれましたし、ほとんどの瑣事は中国人がやるか、中国人を通してやるしかなかったのです。けれども時には大事な時に、勇敢に鉄砲に面と向かえる外国人がいなかったならば、何事も通らず、たとえお米を車に1台運ぶのでさえできないのです。私たちはとてつもない危険を何回か冒しもし、甚大な打撃を何回か受けもしました(実際のことでもあり、比喩的なことでもあり)が、それでもやはり僥倖にも、目下の情勢で許され得るところを遥かに超えた成績が、たくさん得られたのでした。発生した事柄には、どれにも私たち注意を払い、どれにも関与しています。私たち食と住とを提供し、談判をし、抗議をし、保護する措置を講ずるなどの働きを普通にやり、その他にも多くの略奪事件が起きるのを阻止し、少人数での兵士たちの強姦と強姦の企みとを、いっぱいいさめたり、追っ払ったりしています。


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)


南京大虐殺80ヵ年

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

・南京大虐殺
21、南京安全区国際委員会の主要メンバー
・マギーの夫人への手紙 12月22日(水)

今日は僕鼓楼病院でなんともいえない情景を見た!7歳の男の子の死体で、お腹を銃剣で4回か5回刺されていて、もう緊急手当てのしようがない。19歳の娘さんで6ヵ月半の身重(最初の妊娠)なのが、日本兵の強暴に反抗したために、突き刺された傷が顔に7ヶ所、腿に8ヵ所、お腹に1ヶ所深さ2インチほど、正にこの一突きで流産となった。医師たちが緊急手当てしている。それに僕10歳の小さな女の子も見かけたけど、その子はそのとき両親と、難民キャンプのある工事をしてるところに立っていて、日本兵がやって来て、お父さんお母さんを殺すのを見ていたんだ。ひじがひどく突き刺されていて、この一突きがその子を終生障害者にすることになるだろう。もう一人の婦女は和記洋行の雇員で、日本兵が来たとき、彼女は下関のある一軒の家にいたんだが、日本兵は何の理由もなく、その他の人をみんな殺して、彼女の首を突き刺し、その傷がひどくて、日本兵は彼女が死んだと思ったのだ。彼女は奇跡的に生きてきている。でもウィルソン医師は、片方の腿と片方の腕とが、ずうっと使えなくなるだろうと言っている(後に彼女はやはり亡くなった)。もう一人は農民で、ほかの人と一緒に捕まっていき、幾千幾万の人たちと同じように、機関銃で掃射されて倒れたけれども、まだ死んでしまってはいない。でも医者は永くは生きられまいと、言っている。


※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。


●重慶大爆撃裁判 
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。






重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録

戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか


重慶大爆撃訴訟

the battle of china 1944


重慶大爆撃(苦干より)


重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。


爆撃の効果

「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真

爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。



不当判決!!

中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)

日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。

判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。

祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。





●ビザ発給拒否・集会妨害裁判(2018.6.8)
ビザ発給拒否・集会妨害裁判(2018.6.8)

内閣人事局撤廃!!
「中国人戦争被害者へのビザ発給拒否・集会妨害」第9回裁判
6月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷
前回の3月9日の裁判では裁判長が変わったが、今回は右陪席と左陪席の裁判官が変わった。
変わるのはいいが、しっかりと裁判をしてもらいたい!!
原告側は、外務省の役人3人の証人申請をしているが、7月27日までに書面でその回答を出すという。
9月6日(木)に裁判の進行協議が行われ、次回は9月21日(金)am11:30~になった。
是非、外務省の課長3人の法廷での証言を聞いてみたい!!
果たして上からの指示があったのか、政治家の関与があったのか?
森友問題・加計問題と同じような構図ではないのか??

今まで、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にするが、
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?

それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次々回の裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!

安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??


《ビザ発給拒否》裁判!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!
外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
ビザ発給拒否・集会妨害裁判




●「天皇制」を考える

「テロリスト伊藤博文」の懺悔

異次元金融緩和の重大かつ深刻な弊害!出口を模索しようにもわずかな金利上昇で日本経済は大混乱!? アベノミクスの無残な最期!~6.18岩上安身によるエコノミスト田代秀敏氏インタビュー18.6.18


「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決

(社説)君が代判決 強制の追認でいいのか

日本は、15年に及ぶアジア太平洋戦争で、アジアの国を侵略し、その果ては、沖縄はじめ日本本土が焦土と化し、潰滅的な状況に陥った!!
そこに至った責任は昭和天皇に無いのか?





・なぜ今でも「帝国ホテル」「帝国データバンク」「帝国劇場」「帝国書院」など、帝国という言葉を使う??

・近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
岩崎 稔
㈣ いま、われわれに求められていることは何か?
勝海舟は、日清戦争と台湾併合、朝鮮侵攻に反対してアジアの協力発展の道を説いたが、他方、田中正造らの足尾鉱毒反対運動を支援した。鉱毒は、田畑の害ではなく「いのち」の問題だ。「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を荒らさず、人を殺さざるべし」。個の尊厳を核として、いのちが存在する。この生存権・人権の思想史のうえでの金字塔を打ち立てたのは、まさに、田中正造であった。
 中島俊子は、侵略主義的な漢詩「偶成」で「清奴 膺すべき師(いくさ)名あり」と詠んだが、勝海舟は、逆に「隣国へ兵交わるの日 其の軍(いくさ)更に名無し」と、戦争に大義がないことを述べている。『氷川清話』で「支那を懲らすのは、日本のために不利益であった、といふ事を世間の人はいま悟ったのか。それは最初から分かって居た事だ」と述べている。他方、俊子は逆に「清奴 懲さずんば国是(こくぜ)をいかにせん」と、日中戦争の時の「暴支膺懲」のような言葉を吐いている。その時の熱狂に流されて主体を失ってはならないと思う次第である(東京唯物論研究会『会報』投稿原稿)。

・明治憲法(現代語訳)
第1章 天皇

第23条 日本臣民は法律によることなく、逮捕監禁審問処罰を受けることはない。


『日本人と天皇』より
近代天皇制の真髄は明治憲法の第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」要するに「天皇が現人神である」というところにある。
天皇の神聖化が日本の近代のすべての過ちの原因なんですね。
我々は長い間日本政府がポツダム宣言を受諾し降伏したのはアメリカによる2つの原爆投下で力尽きたからだと思い込んでいたが『昭和天皇独白録』には思いもよらぬ事実が記されていた。
思いもよらぬ事実?
『昭和天皇独白録』では天皇が終戦の決心をしたのは1番目に「このままでは日本民族が滅びてしまう」から
2番目に「このままでは米軍が伊勢湾に上陸して伊勢神宮・熱田神宮を支配下においてしまい、三種の神器を守ることができない。それでは『国体』の維持ができない」からだと言っている。
三種の神器を守るですって!




1975年の昭和天皇記者会見



(白井聡さんのお話より)
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・


どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党


昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??

●松代大本営(ウィキペディアより)
建設

なお、松代大本営は主に陸軍において計画・推進されたものであるが、さらに戦局が悪化した終戦直前になって、連合軍が南九州に上陸するとの想定のもと[注 1]、より作戦が取りやすいという理由などから、奈良県天理市の一本松山付近に大本営と御座所を移すという計画が主に海軍により立てられ、実際に工事が進められていた。

詳細は「天理の大本営跡」を参照

松代大本営跡を訪ねて

松代大本営跡を訪ねて 2018年7月


沖縄戦全記録 2015 6 14


大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に

果して絶滅の恐れのあるアオウミガメを使う占いが必要なのか?
「大嘗祭」関連儀式でアオウミガメの甲羅を調達へ

<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開

昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更

公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー


20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」


平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に




●侵略戦争!!
日中戦争全史年表

・1990年(平成2)
中国政府、日本政府に対し覚書を送り毒ガス兵器の廃棄処理を要求


重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!



昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。

強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター

731部隊展

第3回「戦争の加害」パネル展

感想より
29日(日)
・戦争はやらないように。(80代男性)


●731の実態
・731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。言い換えればあの部隊はるつぼのようなものなんですね。・・・・
白系ロシア人、通訳生が「これからみんなに予防接種するから」・・・連れて行った所が、
向こうは予防接種されると思うしね、殺しちゃう人間にえらく消毒する必要はないわね。一つのカモフラージュですよね。実際にもう試験する資材(マルタ)はもう飽和状態になっているわけ、要らないし、約1㏄(の青酸カリ)だからこんなもんですよね。鉛筆の頭ぐらいのもんですよね。このぐらい注射すると、あのでかいロシア人も音を立てないでパタッーっとひっくり返っちゃう。・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・



731(4)




第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
李厚彬特移扱資料9






●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか

■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証

―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。

 敗戦直後から医学界・医療界の民主化に奔走した秋元寿恵夫医師は「これまで、40年近くになる長い間、第731部隊が犯した戦争犯罪については、問われれば答えるが、 あえて自分から何もいうまいという態度を取り続けてきた」としながら、1982年に自著『医の倫理を問う第731部隊の経験から』において、「血清学者として石井部隊に勤務した者が、今なお深い罪の意識を背負いながら、戦争と癒着した医学研究の恐ろしさを告発し、医の倫理とは何かを問う」ています。
 湯浅謙医師による、中国太原の陸軍病院で行った生体解剖の証言は、極悪非道な医師の行為が731部隊だけではなかったことを明らかにしました。



(月刊『前衛』より)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──「まさか」ですね。

 まさに、まさかの連続でした。「学問のすすめ」だけを読んでも「分限(身の程)を知れ」「(自分の)身分に従え」など、およそ自由平等とは程遠い言葉が次々に出てくる。教育のない者を「無知文盲の愚民」と呼び、そうした人々を支配するには力ずくで脅すしかないと言いきっています。独裁者でもここまで露骨なことは言えません。

(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日  2017年1月27日号

[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……

『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より

朝鮮王妃閔氏虐殺について
閔氏は韓国では明成(ミョンソン)皇后と呼ばれています。時の朝鮮国王、高宗の后(きさき)です。閔氏は美貌で聡明でした。日本政府は、日本の朝鮮支配に、閔氏が邪魔だと考え、閔氏を取り除くことを決めたのです。日本政府はそれまでの井上馨公使の代わりに三浦梧楼陸軍中将を任命しました。
 三浦梧楼は、朝鮮国王の実父である大院君と親しい岡本柳之助を用いて、再び大院君を担ぎだし、大院君のクーデタを装って政権につかせ、その大院君の要請に従う形で日本軍を朝鮮王宮に送り込んで、閔氏を殺しました。1895年10月8日の事です。





●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕

・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


第5章   新しい皇室、新しい国家主義

(来年の即位の礼、大嘗祭反対!!)

1928年の昭和大礼の祭儀と祝典は、あらゆる面で日本の政治文化に影響を残したが、とくに官僚、教員、警官などの公的責任を負う人々に、日本の起源神話を再注入するのに大きな力を発揮した。大正天皇の弱さが大正デモクラシーの台頭を促したのに対して、昭和天皇の即位はその終焉をもたらし、祭政一致の宗教的理想を再生させた。それは西洋の新思想の吸収に対してふたたび日本を閉ざし、君臨し、かつ統治する天皇の神格化の完成を宣言した。
 大衆的なビジネス雑誌『実業之日本』が同年11月に発行した特別号には、京都の式典に招かれた多くの高位高官がこの天皇神格化について感想を寄せている。大日本製糖社長で貴族院議員の藤山雷太は、「今度の御大礼を拝すると我々の陛下は神の御子であらせられ、我々国民は常に神を戴いていると云ふ感じがした」と述べた。また宮内省掌典の星野輝興は次のように強調している。



昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!全く民主主義にそぐわない!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!

※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)





寧波(ニンポー)細菌戦






麗水細菌戦




日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!


中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■政府への従順と自己権力の増大
1933年3月、第8回国会が召集された時、ハルトマン協会の議長であるドイツ医師協会の会長であるアルフォンス・シュタウダーは、ヒトラーに宛てて電報を打った。「ドイツ医師理事会は、政府が国民的高揚に応えて全ての職業階層、全ての職業、全ての階層の真の共同体に断固たる決意を示されたことを心から歓迎し、祖国の抱える偉大な課題のために、この民族共同体の奉仕者として忠実に義務遂行することを誓うものであります。」
 1933年9月、ザウアーブルフ※は『全世界の医師への公開書簡』でドイツの国民的再生を歓迎し、ナチスが操作する1933年9月の選挙に際して、『ドイツ大学教授の、アドルフ・ヒトラーと国家社会主義国家の信奉表明」に加わることを意思表示した。彼は、ナチ政権が外国で体面を保つことができるように、自分の名前を貸して援助したのである。

旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢


医学界では当たり前か?女性差別!!
【日本共産党】吉良よし子参議院議員にきく「東京医大 女子一律減点・合格者抑制問題」


医者と製薬会社の関係は??
製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解

国はいつも国家犯罪を素直に謝罪しない!!
旧優生保護法の違憲性、国は見解示さぬ方針 強制不妊

強制不妊 男女3人が国提訴へ

<強制不妊手術>GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る





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