2009年6月24日水曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

5、細菌兵器を実戦に

大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。

細菌戦訴訟

4、1942年に浙贛鉄道で実施した細菌戦

1942年4月18日、日本侵略軍の上海第13軍団と武漢第11軍団は、浙贛戦役を配置し、浙贛鉄道を貫通させよとの大本営の命令を受けた。戦いは5月から始まり、日本軍は金華、衢州、玉山、広豊、麗水などの地区を相次いで占領し、浙贛鉄道沿線にある3空港を破壊した。しかし兵力不足のため、日本軍は以上地区での長期駐屯ができず、破壊した空港も再建できないため、大本営は「浙贛行動」という細菌戦の実施を731部隊に命じた。1942年8月、731部隊はまたも遠征部隊を編成し、南京の「栄」字第1644部隊と共同行動をとった。この遠征隊は120人の士官と雇用隊員で編成され、7月に汽車でハルピンを出発し、まずは南京華中派遣軍防疫給水部「栄」字第1644部隊の陣営に駐屯した。出発前、731部隊はすでに倉庫で炭疽菌、パラチフス菌とペスト菌など約130キロの細菌瓶を箱に詰め、1644部隊の専用空港に送り、そこから「給水」の標識がある飛行機で南京へと運送した。細菌投入は空中投下と地面投入の方法がとられた。作戦実施の日本軍に対する同時感染防止のため、731部隊は投下地点を住民が避難した後の無人の町や村とし、住民は帰還後に即時感染した。空中投下はのち中国側が国際社会に激しく訴えたため、一度は地面投入のみに変更された。

 
日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

呉芝生(男、72歳)の証言

 日本兵が入ってくる半月前に、私たちは元々住んでいた大丁家巷38号から難民区へ引き移り、今の華僑橋の近くに住まいました。私と弟の呉芝坤とは「仁○」と呼んでた家に一緒に住まい、母と前の妻の蔡芙蓉とは別の所に一緒に住まいました。1937年の冬月23日(「送竃」節)の午前中に、私と芝坤と一緒にドイツのシーメンス電器会社の南京事務所へ米を買いに行ったのですが、米を買う人がたくさんで、押し合いへし合いながら米を買っていた時に、不意に日本兵が2,3人やって来て、男の人を捕まえては頭を見たり、手を見たりして、「中央軍」がどうかを検査しました。私は人に文書を書き写してやる「代書屋」でしたが、やはりとても恐い気持ちでした。私は芝坤を人込みの中に押しやって、いち早く駆け出しましたが、日本兵に見られ、後頭部に狙いをつけられ一太刀やられました。途端に、首が血だらけになり、ネクタイがびっしょりになりました。私は死んだ振りをして腹ばいとなり、日本兵が一蹴りしましたが、私が動かないのを見て行ってしまいました。やがて弟と別の米を買ってた隣の人とが私を抱えて家に帰らせ、香炉の灰を傷口に塗って血を止めてくれました。その後、私は「仁○」で横たわって静養し、弟に世話してもらいました。今も後頭部の傷痕ははっきり見え、凸型になっていて、長さ2ミリ半です。
 前の妻の蔡芙蓉は、その頃23歳で、日本兵に引っ張られました。岳父があちこち人に頼んで、蒼義成という通訳を見つけて方法を考えてもらい、一月近くしてやっと娘を帰らせてもらいました。(徐朝春と董明征が記録) ○は漢字に変換できない字

 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

女性たちが

平和をつくる世界


ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会を目指す取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」
 この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズ、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバティさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
 国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。

 
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!


0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中