2009年6月7日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  「特別移送」の実施、生体実験の進行

 1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。

1、特別移送

 「実験材料」の十分な供給を保障するため、731部隊は主に「特別移送」の方法で「材料」を入手していた。関東軍司令部の支持の下に、731部隊と憲兵隊は共同で各憲兵隊が各地で拘束した一部の中国人と外国人を裁判なしに直接731部隊の「特設監獄」へ送り込んだので、「特別移送」と呼ばれたのだ。731部隊は始めは街で一般庶民を勝手に拘束して実験材料としたことがあったが、これは「圏街」と呼ばれた。

 特別移送及び特別移送の記録

●ハルピンの元日本領事館もかつては「特別移送」任務を担当した。領事館の地下尋問室には囚人を吊り上げる滑車があった。

●方振玉、男、1922年生まれ。本籍はハルピン市平房区正黄旗屯。1941年~1944年3月まで731部隊で労働者となり、針金で縛られた被験者を隊員が列車から下ろしたのを目撃している。

●731部隊に移送された被験者は、「四方楼」中央部の「特別監獄」に監禁され、生体実験されるのを待つだけであった。「四方楼」の中央に「マルタ」小屋と名付けられた左右対称の監獄があり、右側は7棟、左側は8棟と呼ばれる。

●特別班班長 石井剛男・・・・石井四郎の2番目の兄、「特別監獄」を管理した。

●石橋直方氏の謝罪と悔恨の言葉:

 50年近い年月の間、胸に抱き続けていた謝罪と悔恨の思いを今日現すことができた。元隊員であることの身分を明らかにしての訪問はあまりにも心の重いことであったが、私は私なりに1つの区切りをつけたかった。合掌

 1987年6月15日
 元731部隊隊員
 石橋 直方
 66才


 ●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

  516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

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  中国人戦争被害者の要求を支える会

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  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  


     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

  張正業(男、71歳)の証言
 
 (昨日の続き)撃つのが停まったので、又1人窓から跳び出し、懸命に北へ駆け出しました。日本軍が発見してまた発砲し北へ向けて射撃したのが、丁度私が窓から跳び出した時で、その銃声で分からなかったのかもしれず、又もや最初に撃ち殺された人の体の上に落ち、日本軍に見つかりませんでした。日本軍はひとしきり撃ったら、やめてしまいタバコを吸って話をしていました。私は死んだ人の体の上に腹ばいになり、この地は安全でないと感じたので、懸命に北の方へ駆け出し、一気に10何メートルか跳び逃げました。幸いにも束ねて立てかけたわらがうずたかくなっているのがあって、その後ろに隠れたので、日本軍がひとしきり撃ってきたのにも傷つけられずに、地に横たわって時機を待ち、外に生きる路を謀りもしました。その時、日本軍は引き続き火をつけて家を焼いていて、半時間くらいして、日本軍は集合して西の方へ去って行きました。日本軍が遠くへ行ってしまい、辺りにはもう何の物音もしなくなったのを待って、私は張正先を探しにまた戻って行きました。窓の下まで手探りで行ったら撃ち殺された人の脳味噌がもう流れ出していて、かたわらに張正先の帽子があり、もうきっと死んだに違いないと思ったら、涙が出てきて、帽子を頭にかぶせ、南の方へ去って行ったら、10何メートルか行ったところに、刺し殺された同胞達がうずたかくなっているのが見えて、見るに忍びないすさまじさでした。日本の侵略者が我が同胞を殺害した血なまぐさい罪悪行為を、私は永遠に忘れることが出来ません。
 虎口を脱した後、私はほのかな星明かりを頼りに、闇雲に東南の方向の小さな村落へと行ったところが、又もや狼の巣にはまり込みそうになり、もう少しで間違って日本軍の露営地に入ってしまうところでした。幸いにもあるお年寄りに教えられて、やっと危ないところから危険の無い状態へと変えられ、割りに安全な山里に入れました。夜が明けてから初めて、自分が頭から足まで全身血だらけなのと、その時まで1日2晩も飲まず食わずで、くたびれ果てているのとに気付きました。心優しい村人たちが私のこの恰好を見て、みんな進んで私にご飯を食べさせ水を飲ませてくれて、さっぱりした衣服に着替えさせてくれました(明日に続く)



 
           「Imagine9」【合同出版】より


想像してごらん、



女性たちが



平和をつくる世界を。



Imagine,



A world where



women create peace.



戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たす事ができます。(アメリカ/先住民女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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