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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
「特別移送」の実施、生体実験の進行
1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。
2、生体を利用した各実験 | |||
目的種類 | 731部隊の生体実験の種類 | ||
細菌兵器の開発研究 | 実験での殺人手段 | 極限状態における人体の変化探索 | |
1 | 殺傷力の高い毒菌を選別し人体に注入して観察 | 各銃弾の人体への貫通能力 | 人間の真空における状態 |
2 | 人体における病毒の毒性と感染力の増強実験 | 各種毒物の人間に対する殺傷力 | 人間のそれぞれ異なる気圧下における状況 |
3 | 人体を用いたワクチンの効果実験 | 人間を殺すために最も効果的な部位を検索 | 人間の空腹に耐えられる時間の極限 |
4 | 異なる国と人種の人間に対する細菌戦剤の感染性の観測 | 縊死(いし)させる | 水分を与えず乾燥食料だけの生存時間 |
5 | 感染者と健康者を同居させ感染の可能性を観測 | 絞死させる | 水分だけを与えた生存時間 |
6 | 細菌戦剤に抵抗力を持つ被験者の血液を全て抜き出し、治療用の抗血清を作製 | 逆吊りにする | 熱風で乾燥させた後の体重 |
7 | 細菌戦剤感染の最適なルートと用量(服用、或いは気道感染させるなど) | 煙を吸入させ殺す | 血液代用剤の効果観測 |
8 | 人体内での新しい毒菌の実験(出血熱ウィルスなど) | 火炎で焼死させる | 凍傷研究 |
9 | 観察用飛行機から投下した細菌弾の殺傷効果★ | 感電 | 熱湯によるやけどの研究 |
10 | 被爆後、爆弾破片上の破傷風菌とガス壊疽菌の傷口からの侵入による致病状況 | 健康な人体を用いての各種外科手術の学習 | |
11 | ペスト・ノミ(特殊容器に入れた)を空中投下し、容器が壊れた後の人間への侵入状況を観察 | 健康な人体を用いての難度の高い外科手術の学習 | |
12 | 人工授精 | ||
13 | 梅毒の感染と治療 | ||
14 | 用量を超えたX線輻射 | ||
15 | 頭蓋骨切開後、脳の各部位の機能を研究 | ||
16 | 各種新薬の用量と中毒用量の研究 | ||
17 | 新たな伝染病の人体への影響観察 | ||
18 | 臓器移植 | ||
19 | 切断手術の実験 | ||
20 | 狂犬病の感染と観察 | ||
21 | 麻酔薬品の試用 | ||
22 | 各種の毒剤の用量実験 | ||
注釈★印の付く実験は室外の射撃場にて | |||
731部隊が行った生体実験は約40種類。隊員たちは考え付いたすべての方法で各種実験を実施した。 | |||
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
張正業(男、71歳)の証言
(昨日の続き)私が分からないままに、とある小丹陽鎮という所に行ったら、あわてた顔つきで集まってきた人を少し見かけたほかに、前線から退いてきた負傷兵に少なからず出会い、腕の取れた者あり、足の無い者ありで、息も絶え絶えに地に横たわっている者もいました。きのう日本軍がここにやって来てなにがしかの人を殺してから行ってしまったと言うことでした。私は長居が出来ずに、西の方へ6里余り行って、趙○崗という村まで来ました。路に面したある塀で囲まれた家の門に、お年寄りがいたので、私は水を飲ませてもらおうと近づいて行って、おしゃべりしたところ、そのお年寄りが詳しく私の来歴を訊ね、私の遭遇した不幸に痛く同情してくれて、すぐに自分の家に引き入れて泊まらせ、親切に構ってくれた上に、焦らないようにと私を慰め、何とかして長江を北へ渡って故郷へ帰って行ける機会を見つけるようにしようと、勧めてくれるのでした。老人は王会融という名で、心根の全く善良な人でした。私が故郷に帰るのを助けようと、毎日門にいて長江の北から来た人はいないかどうか尋ねていました。およそ半月くらいして、丁度好く4人の人が江北からこっそり渡ってきて丹陽鎮へ刻みタバコを売りに行くのにぶつかりました。老人は大喜びで、その人たちに大変親切に食事と宿とを提供し、詳しく江北の様子を訊ねてくれました。その人たちによると、日本軍は津浦線(天津から浦口までの鉄道)沿いに北の方へ明光駅まで進んで行っているが、その両側へはまだ広がっていない。長江も全く封鎖されているのではなく、自分らは岸辺の小舟に隠れていて、夜こっそり渡って来られたのだ、ということでした。こうして王会融お爺さんが私をこの4人の煙草売りに託して、私を江北へ連れて行ってもらえるようにしてくれたのです。私は合肥の方に回り道をして4,5日歩き、蚌埠に着いて、北へ行く夜行の難民列車に這い上がり、翌日の朝徐州に到着しました。降りてから大雪をものともせずに、百里足らずの道のりを急いで歩いて、その晩真夜中に家にたどり着きました。その時は父も母もまだ眠っていなくて、家にはまだ明かりが灯っていました。私が戸口から入るなり、父と母は私が帰ってきたというので、悲喜こもごも、途端に大声で泣き出しました。隣近所の人たちが吃驚し、みんなわが家にやって来てあれこれ聞いてくれ、みんな私が生きて帰って来られたというので望外の喜びに浸ったのでした。
それにまた何と、私と一緒に虎口に陥った張正先が、2番目の窓から跳び出したの後、日本軍に撃ち殺されずに、その晩の内に江辺に戻り、木のたらいに乗っかって江北まで漂いつき、私より半月も先に家に帰り着いていたのでした。家に帰ってからの彼の判断では、私は窓から跳び出しけつまずいて倒れた後に撃ち殺されたのでした。彼がその様子を私の両親に話してからは、家の者達は私が南京で死んだに違いないと思って、身も世も無く泣き悲しんだのですが、私が帰ってくるようになってやっと落ち着いたのでした。
今思い起こしますに、南京が陥落した時に私と一緒に難をこうむった131人の内で、私と張正先だけが九死に一生を得たのでした。張正先は故郷に帰ってからまた国民党の組織した抗日ゲリラに加わり、ある戦闘で陣没しました。生き残りは私1人だけになってしまったのです。
(張道遠が1987年に記録)
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界を。
Imagine,
A world that instead
of
preparing for war,
prevents war.
コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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