2009年2月21日土曜日

1938年 南京 2月21日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月21日
 私に音楽の才能がないのがかえすがえすも残念だ!マッカラムが私に敬意を表して、「難民合唱曲」を作曲してくれた。歌詞もついている。「朝ご飯に豆が欲しい、昼ご飯にも豆が欲しい・・・・」すんでのところで日本兵に刺し殺されるところだったこの年取った牧師に、こんなユーモアのセンスがあるとは思いもよらなかった。

 16時
 本部で盛大な送別会。中国語と英語で書かれた公式の感謝状を受け取った。この写しはジーメンス中国本社とローゼンにも送られた。いくつかのスピーチに答えた。身に余る称賛の言葉をもらった。 
 アメリカ人も中国人も私のスピーチに感激してくれた。中国人は、中国語に訳させるので是非原稿が欲しいと言ってきた。それからサインも。大きな白い紙を何枚か持ってきて何か書いてほしいとと言う。気のきいた文句が思い浮かばないので弱ってしまったが、青年時代のサイン帳にあった詩節の記憶を頼りにどうにかひねり出した。

 19時
 アメリカ人の友人たちと気の置けない夕食会。続いて夜8時にドイツ、アメリカ、日本大使館員を招いてのパーティー。イギリス大使館のジェフリー氏は来られなかった。夜8時以降は日本の衛兵が外出させないからだ。これについてはもう長いこと抗議してきたが、控えめな人なので断固とした処置をとることができないのだ。ドイツ大使館からはローゼン、シェルフェンベルグ、ヒュルター、アメリカ大使館からはアリソン、エスピー、マクファディエンの各氏が参加した。日本人の手前、スピーチは幾分慎重にと気をつけた。
  
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月21日 月曜日
 聖書クラスの編成が今日から始まった。10時30分から下級中等学校と上級中等学校の女生徒は大礼拝堂で、6年生は南音楽教室で、そして、5年生は理科棟で授業を始めた。・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 今日は人力車に乗った。12月12日以来見かけた人力車としては4台目だ。100台の人力車が登録され、街頭に出ることを許可されたという話も聞いた。雨後の筍のように出現した店は、寧海路、漢口路、上海路からほとんど完全に消えてしまった。それらは、今度は安全区の南側の通りに出現しつつある。ちなみに、「安全区」はもはや存在せず、南京国際救済委員会に組み込まれた。(1)
 午後4時、寧海路五号で行われた、ジョン・ラーベ氏の送別会に出席した。私は第一部に、メリーと程先生は第二部に出席した。あいにく、よもやま話は第二部で行われた。ラーベ氏に対し、そしてまた、南京の気の毒な人々への彼の献身に対し、心からの深い感謝の念が表明された。サールは、他の委員に代わって国際委員会のとしての感謝の念を表明し、委員会全委員の署名入り感謝状が、ラーベ、ドイツ大使館及びジーメンス社に贈られた。彼は例外的なタイプの実業家であり、自分の祖国に好意を寄せる味方を無意識のうちにつくる人間なのだ。
 午後8時、平昌巷三号でラーベのために行われたもう1つの送別会に出席した。福井、田中、安井、その他の日本大使館員が出席していた。スピーチが行われ、ラーベ氏が適切にして謙虚かつ誠実な答辞を述べ、南京の気の毒な人々のためにいっそうの協力を望む旨を述べた。(ローゼン博士は、多分に無理をしなければ日本人に対して礼儀にかなった振る舞いのできない人だが、今夜は日本人から離れてずっとアルコープにいた。)
 (1)2月18日に南京安全区国際委員会は名称を南京国際救済委員会と変更し、ラーベ委員長に替わって金陵神学院のソーンが委員長になった。名称を変更したのは、南京の秩序が安定したことを印象づけたい日本当局の意向と、難民、市民の生活救済に力点を置くようになった委員会側の姿勢もその背景にあった。


 「Imagine9」【合同出版】より


武器をつくったり

売ったりしない世界



世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
 しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
 
 日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
 しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
 私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月20日金曜日

1938年 南京 2月20日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月20日
 委員会の中国人メンバーが、明日の午後、私のために本部で盛大な送別パーティーを開いてくれることになっている。大至急スピーチの原稿を仕上げなければ。どの人にもそれ相応の賛辞を贈るつもりだ。もちろんアメリカ人も全員招待された。その後、夜8時にアメリカ人は各大使館の人たちのために別個にパーティーを催すことになっている。ことのほかうれしかったのは、日本人も招待されていたことだ。だがそうなると、ローゼンが顔を出すかどうかわからない。「殺人者」とはもう2度と顔を合わせたくない、と言っていたからだ。だが、外交官の身でそう言うのは明らかに言い過ぎだ。それにしても、あの人にはなにかと苦労する。
 
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月20日 日曜日
 素晴らしい春の天気だ。飛行機が飛び続けている。
 メリーは鼓楼での朝の礼拝に出かけたが、私はずっと家にいた。
 正午過ぎまもなく、秦さんという人ー以前、生物学研究所で2ヶ月近く過ごした避難民ーが戻ってきて午後の礼拝に出席した。彼女の坊やが私たちに会いにきたがったのだ。彼女の情報によれば、何人かの娘さんを含め、彼女の家には何家族かが一緒に生活しており、これまでのところ、兵士たちに悩まされたことはないそうだ。私たちは、貸し付け資金の中から15ドルを彼女に貸すことができたが、彼女はそのお金で米や燃料を買った。彼女の夫は上海に骨董店をもっている。私たちは、彼女のことを知っているようにすべての避難民のことも知っていればよいのだが。彼女は親切で感謝の念の強い人だ。彼女の情報によれば、近所に住んでいる多くの難民は、私たちのキャンパスにいた避難民であり、もし私たちが時間をつくって訪問できるのであれば、扉は大きく開かれて私たちを迎えてくれるだろう、というのだ。
 今日は4時30分からの英語による礼拝を担当した。・・・・・・
 夕食をとるために3号にずっといた。G.フィッチは出かけてしまったが、ブレイディ博士がやってくることになっている。電気はきているが、雑音がとてもひどくて、放送を聞き取ることができなかった。

「Imagine9」【合同出版】より


武器をつくったり

売ったりしない世界



「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月19日木曜日

1938年 南京 2月19日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月19日
 イギリス大使館から連絡があり、2月23日に砲艦ビーに乗せてくれるという。ありがたく受けることにした。ジェフリー氏は、私の荷物を万通号で送れるよう頼んでくれるそうだ。全部で53箱ある。どっちみち家具は当面ここに残していかなければならない。箱が足りないので梱包もしていない。

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月19日 土曜日
 素晴らしい天気だった。春の小鳥たちが戻ってきて、私たちを悲しい気持ちにする。一年前の喜びと私たちの仕事のことを思い出すからだ。文科棟では避難民何人かが大掃除をしている。その棟の玄関の、ガラスに囲まれたスペースで生活してきた若い女性も、そこから移動しつつある。文科棟、理科棟および中央棟のホールには今は人はいない。そこにいた人たちが部屋に移ったのだ。どのくらいの避難民がまだ残っているのか、本当のところはわからないが、およそ3000人だと思う。多くの避難民は昼間は家に帰り、夜間は戻ってくる。錠前や締め金具やついたてがひどい目に遭っているというわけだ。
 耳を澄ます。警報のサイレンが聞こえる。私たちにはその意味がわからない。最近は防空演習もある。昨日は飛行船が長江上空を飛んでいた。
 私が主宰することになっている明日午後の礼拝の準備に午前と午後のひとときを費やした。堅苦しい勉強に取り掛かるのは楽ではない。
 ジョン・マギーがお茶にやってきて、栖霞山の難民収容所に出かけていたことを報告した。その間ずっと2人のデンマーク人がそこに滞在し、およそ1万人の農村難民のために素晴らしい仕事をしていたそうだ。フォースター氏は、白下路の聖公会センターに転居することになっている。南京で活動していたすべての伝道団の欧米人牧師や中国人牧師がそれぞれの教会に戻ってくるとしたら、それは素晴らしいことなのだが。それぞれのセンターは、安全と慰安と教育を与える避難所となるだろう。ミルズとマッカラムは一般業務にかかりきりになっているため、教会の仕事に復帰することができない。(教会の伝道に対して市民の)扉と心はいまや広く開かれている。
 今日私たちは努力の結果を目にした。中央棟の西側の小山に屎尿用の穴が新たに掘られ、これまでに投棄された排泄物がその穴に埋められた。清潔にしておくのは大変な仕事だ。そこの臭気はひどいものだった。たとえ盗まなければならないとしても、どこかで石灰を手に入れてこなければならない。そうでもしないと、陽気が暖かになったら伝染病が流行しかねない。
 男の労働者は大部分が南京から立ち退いてしまったので、適当な労働者を見つけるのは不可能だ。


「Imagine9」【合同出版】より


軍隊のお金を

みんなの暮らしのために使う世界



世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。

●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。


 こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
 国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月18日水曜日

1938年 南京 2月18日

2001年1月に放映されたNHKのETV特集では元兵士の性暴力についての証言があるはずでした。ところが実際に放映された番組にはそれがありませんでした。中川昭一・安倍晋三という自民党極右議員がその番組に政治的圧力を加えたとのことです。今回、その中川氏が自らの失態によって財務大臣を辞任されたことは日本の政治にとってとても良い事だと思います!!詳しく知りたい人はこちらをどうぞ!!中帰連
「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
2月18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月18日
 委員会会議。「緑豆問題」はすっかり片がついた。
 ミルズを副代表ないし私の代理に、という案が受け入れられた。まだあと2ヶ月ほど私は代表を務めるが、2ヶ月たって南京に戻ってこなかった場合、規定どおりミルズがあとを継ぐことになる。南京安全区国際委員会の名称を南京国際救済委員会に変更することになった。フィッチがアメリカに帰るので、ソーンが後任になった。もうしばらくの間スマイスには事務局長のほかに財務委員も兼任してもらうが、いずれ免除することになっている。
 私は今後も南京の国際赤十字の委員会のメンバーにとどまることにした。
 福田書記官が本部に訪ねてきた。上海行きが最終的に許可されたという。手伝いの者を一人連れていってもいいといわれたことについては知らなかった。念のためもう一度問い合わせると言っていた。多分オフィス・ボーイの蔡を連れて行くことになるだろう。
 
 
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月18日 金曜日
 晴れ渡った春の一日だった。たくさんの爆撃機が北西へ飛んで行った。諸都市が破壊され、兵士たちが爆撃されていることを思うと気持ちが重くなる。
 今日は、来週から始めることになっている聖書クラスについての相談に何時間か費やした。・・・・・

 メリーは肝油とミルクを飲むよう奨励するため、朝の時間を使って難民収容所へ出かける。(安全区国際)委員会には、分配する肝油とミルクが大量にあるのだ。程先生がキャンパスでの配給の責任者になり、3人の避難民女性に手伝ってもらっている。
 今日は日本人の訪問者は誰もいなかった。
 リッチー氏は、予定通りに今日上海へ発つことはできなかったが、明日は出かけたいと思っている。フィッチも明日出かけるつもりでいる。大使館が、彼らに一度は出した許可を取り消さなければならなかったらしい。
 ある女性が、ここに避難している娘に会いに農村地域からやってきた。彼女の情報によれば、昨日彼女の近所の家々から慰安のための婦人が大勢連れ去られたそうだ。男性たちを安全区から出て行かせるために、より強力な方法が明日取られることになっているそうだ。赤十字会の粥場の閉鎖によって餓死するおそれがあれば別だが、そうでなければ、女性たちがキャンパスからの立ち退きを強制されるのかどうかは疑問だ。
     
「Imagine9」【合同出版】より



軍隊のお金を


みんなの暮らしのために使う世界



 1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
 世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
 その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。

 世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月17日火曜日

1938年 南京 2月17日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月17日
 郵便局長の李奇氏は日本人と一緒に郵便業務を再開しようとしている。だが、今までこの人が成功したためしはない。
ヴォートリンさんのお別れパーティーはとてもいい雰囲気だった。ベイツとフィッチの他、李奇、アリソン、ローゼンが招かれていた。ごちそうがたくさんあったが、いざ帰るときになってつらい思いをした。!
 この大学にいる難民は女性ばかりで、今ではおよそ3000人ほどになっていた。その人たちが戸口に群がって、私たちを見殺しにしないで下さい、南京を離れないと約束してくださいと口々に訴えたのだ。帰ろうとするといっせいにひざまずき、泣き、文字通り私の服にしがみついて離れなかった。
 ようやくのことで門までたどり着いたが、外に出た途端に門が閉められてしまったため、車を置いていかざるをえず、歩いて帰らなければならなかった。こんな風にいうと、随分大げさに聞こえるかもしれない。だが、ここで共にあの悲惨な状況を見た人なら、我々がこの人たちに与えたものがどれほど大きな意味を持つかがわかるだろう。これらはみな当たり前のことであって、英雄的な行為などではない。
 

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月17日 木曜日
今日は春だ。さかんに飛行機が飛んでいる。対空射撃の演習だ。あのおぞましい12月17日の記念日だ。
 裏のキャンパスをきれいにしようと、李さんと一緒に再び巡回している。中央棟裏手の西南の隅はひどい状態だ。しかし、ソーンは、多くの収容所に比べればここのほうがきれいだ、と言っている。304号室では本格的な大掃除が行われた。女性たちは寝具をすべて外に出し、窓や床の掃除をした。私は、これが次々に広まることを期待している。
 午後早くに将校2名と兵士1名が、多分視察のためにやってきた。来訪者にはすべて、陰険かつよこしまな動機があるのではないかとつい考えてしまう。
 午前中、会計処理に2時間ほど費やした。・・・・・
 現在の状況の下では決して容易なことではないが、午後、メリーと私はラーベ氏の送別ティーパーティーを催した。お客はラーベ氏、ローゼン博士、アリソン氏、ジョージ・フィッチ、リッチー氏、それにサールだった。程先生が私たちを手伝ってくれた。サラダを出し、、私たちとしては初めてのチョコレートの箱を開け、オレンジを食べた。ケーキはまずくはなかった。フルーツの代わりにエスターのひき肉を使って作ったフルーツケーキ風のものだ。南京では中国人の店はまだ一軒も開いていないので、自分の家か格別に親しい友人の家の、空になりかけている食料貯蔵庫の食品にメニューを合わせるようにしなければならない。
 アリソン氏には日本人護衛兵がついていたので、私たちは、彼に先に退出するよう勧めた。というのも、程先生が聞いたところでは、女性の避難民たちがラーベ氏に会って、彼に是非一緒にいてくれるよう頼みたいと言っていたからだ。理科棟の前に来た時に私たちの目に入った光景は思いがけないものだった。そこには2000人ないし3000人の女性が待っていて、ラーベ氏が近づくと、全員がひざまずき、涙を流して哀願し始めた。彼が二言三言しゃべったあと、メリーが彼を裏道から立ち去らせた。私は、ローゼン博士とリッチー氏が退出できるように女性たちを立ち去らせようとしたが、それは難儀なことだった。メリーが再び彼女たちを外に連れ出したが、一方、私のほうは彼女たちの注意をそらし、中庭の向こう側に彼女たちを誘導しようとした。かなりの時間が経ってから私たちはやっと車を校門の外に出すことができた。本来なら、そのころにはローゼン博士とリッチー氏は、彼らの家にかなり近いところまで行っていたに違いない。
 リッチー氏は明日車で上海に行く。彼の報告では、多分、中国側の管理の下に郵便局がまもなく開設されるそうだ。

     
「Imagine9」【合同出版】より



9条をつかって、

  
戦争のない世界をつくる。



 中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2009年2月16日月曜日

1938年 南京 2月16日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月16日
 自治委員会の委員でもあり、同時にこっそり我々の仲間にも加わっているジミーからの知らせ。本部の建物を自治委員会が買い取って、国際委員会に贈ることになったそうだ。とてもよい思いつきだ。
 アリソン氏来訪。「緑豆問題」が解決したと知らせてくれる。豆を輸入し、安全区の中でも外でも分配できることになった。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月16日 水曜日
 今日は寒い風が吹いた。甫と老呉が樹木の植え替えを始めている。というのも、今がその時機なのだ。午前9時、衛生状態を調べに李さんと一緒に再び戸外に出た。それは、まさに絶望的な途方もない仕事で、何の効果も上がらない。みなさんに中央棟の裏手の小山を見て、その臭いを嗅いでいただきたいものだ。
 王さんと彼女を手伝う人たちが、赤札を新しい黄札に取り替える作業を終えた。現在、無料配給米をもらっている人は653人いる。無料配給米の札の配布を慎重にやりすぎているのだろうか。それほど慎重にやらなければ、現在以上にたくさんの人がキャンパスにとどまることになるだろう。私たちは、貸し付けたり供与したりする資金を(安全区国際)委員会から預かっているが、しかし、どうすれば賢い貸し付けや供与をすることができるかを見極めるのは、決して容易なことではない。今日は指輪や時計を抵当に2件の貸し付けをした。
 5時から6時の間にY.G.厳さんが訪ねてきた。彼は殺害されたと聞いていたのだが、しかし、彼にはその話はしなかった。彼の話によれば、占領の初期に三汊河で1万人が、燕子磯では2万人ないし3万人が、下関ではおよそ1万人が殺害されたと聞いたそうだ。彼は、多くの夫と息子は絶対に帰ってこないと確信している。頻繁に私のところにやってきては、嘆願書に書かれている情報を何か聞いていないかと尋ねる女性にたいし、あなたたちの夫が帰ってくることは絶対にない、などと、どうしてそんなことが言えようか。
 アリソン氏が、上海から包みを1個、手紙を2通、それにステラにかんする無線電報1通を届けてくれた。アメリカ本国の人たちは、南京に入ることがほとんど不可能であることを理解していない。
 ブランチは今も入院しているし、婁さんは病気でここにいる。いつも健康かかつ正常な状態を保つのは難しいことだ。
 上海から届いた包みには2月5日付け「ノース・チャイナ・デイリーニューズ」が入っていた。私の分がこなくなった11月14日以来久しぶりに目にしたものだ。・・・・・・・・・

     
「Imagine9」【合同出版】より



9条をつかって、


戦争のない世界をつくる。



「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2009年2月15日日曜日

1938年 南京 2月15日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月15日
昨晩、龍と周の2人がわが家を去った。今日発つという。どうやって家に帰るのかは知らない。計画は打ち明けられなかったし、ことらも聞かなかった。残念ながら我々の友情にはひびが入った。それはともかく、2人が無事に香港に戻れるよう祈る。けれどもまた会いたいとは思わない。
 今せっせと荷造りしているところだ。骨が折れる。体の調子があまりよくないのだ。2時間しか眠っていない。多分糖尿病と何か関係があるのだろうが、ま、しかたない!どうにかなる。きっと万事うまくいくさ!


「緑豆問題」はいまだに解決していない。日本軍は無条件で豆を自治委員会に渡せといってきている。さもなければ持ち込んではいけないそうだ。緑豆は鼓楼病院に送られることになっている。ということは、日本は食料品を民間の機関に引き渡すのを阻止しようとしているということだ。アリソン氏がいま説得しようとしている。
 たった今聞いたのだが、収容所の責任者たちが連名で上海のジーメンスに電報を打つという。私をここに残すよう頼もうというのだ。全く痛しかゆしだ。
 実際の話、かなり神経が参っていて、休暇を取りたくてたまらない。それに、収容所の責任者たちの電報が私の差し金だと思われはしないかと気にかかる。むろん、そんなことはしていないのだが。
 家具以外こまごましたものは残らず梱包した。家はがらんとして、殺風景もいいところだ。さしあたって大きな家具は韓に見張ってもらうことにしよう。荷造りしたものも。

 委員会の報告には公開できないものがいくるかあるのだが、一番ショックを受けたのは、紅卍字会が埋葬していない死体があと3万もあるということだ。いままで毎日200人も埋葬してきたのに。そのほとんどは下関にある。この数は、下関に殺到したものの、船がなかったために揚子江を渡れなかった最後の中国軍部隊が全滅したということを物語っている。
 食べ物が乏しい中で、アメリカ人の友人が次々と送別会を開いてくれるのに感激している。今ミニ・ヴォートリンさんが来て、別れの茶会に招待してくれた。南京が最悪の状態だった昨年12月、女性の難民を400人引き連れて、金陵女子文理学院に避難させた女性だ。あれを見て以来、私はこの人に深い敬意を抱いている。
 イギリス大使館のジェフリー氏が今日、2月22日出航の太古公司の蒸気船万通号か、又は2日後のイギリスの砲艦エイフィスで上海に行けるよう、イギリス海軍に頼んでくれると言った。しかも、日本大使館が認めた使用人なら一緒に乗せてくれるというのだ。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月15日 火曜日
 春の小鳥たちがやってきた。私の部屋では「迎春花」が開花しかけている。
 今朝は避難民たちに新聞や雑誌を図書館の屋根裏へ戻してもらっている。屋根裏をきれいに片付けると言うあの仕事はすべて無駄だったのだ。屋根裏を戻すのは、新聞や雑誌で前を塞がれている本箱を利用できるようにする必要があるからだ。後刻、李さんと私は、より有効な屎尿処理方法を考え出そうと、中央棟の裏手で一時間ほど過ごした。壕が屎尿で次々にいっぱいになっている。どこもかしこも屎尿だらけだ。それは、私たちを悩ます果てしのない問題となっているが、みなの話では、ここの収容所はほかの収容所よりもこの問題をうまく解決している、と言うのだ。すぐに石灰を手に入れなければ、私たちはみな、夏が終わるまでに病気であの世に行っているだろう。・・・・・・


 南京防衛のためにどのくらいの数の中国軍将兵が犠牲になったか知りたいところだ。下関の周辺でおよそ3万人が殺されたと紅卍字会が見積もっているとの情報があり、また、今日の午後、燕子磯で「何万人もの兵士」が退路を塞がれてしまったー渡河しようにも船がなかったーと言う別の情報を聞いた。何とかわいそうに。
 2,3週間前に書いたことだが、たくさんの露店や喫茶コーナーや飲食コーナーが、雨後のたけのこのようにほとんど一夜のうちに上海路の両側に出現した。今日それらは同じように姿を消そうとしている。というのも、それらは、夜までにたたまなければ取り壊されるとの命令が出たからだ。お人好しの連中は、店をたたんで持ち去ろうとしているところだ。幸福人茶館が消えていくのを目にした。これらの店で売られている品物はほとんどが盗品であり、私たちの中には、安全区内での盗品販売は許可すべきではなかったと考える人もいた。道路をきれいにするために1,2ヶ月の間市の衛生局長になり、十分な数の苦力を指揮下に置きたいものだ。
 元南京郵便局長のリッチー氏が南京に戻っていて、郵便業務を復活しようとしているそうだ。私たちが外の世界とつながっているのは、砲艦を介してだけである。
 メリーと私は、木曜日にラーベ氏の送別ティーパーティを催すつもりだ。私の居間には8人しか入らないので、客は5人しか呼べないし、また、出したいと思っている茶菓については、何にもまして必要な材料がないのだが。
    
「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、


9条がゆきわたった世界を。



Imagine,


A world filled with Article 9.


憲法9条は、日本という「国」のものではありません。
日本に住んでいる「人々」、つまりみなさん自身のものです。
そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。
(アメリカ/男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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