2021年1月30日土曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―












1月21日(木)
根岸恵子さんが「731部隊と大連黒石礁事件」についてお話しされました。
ギガファイル便をダウンロードしてご覧ください。(323日までダウンロード可能です。)

元憲兵の戦後の証言
「私は、憲兵として『特移扱』により、4人を731部隊に送った。これが私の罪行
 の全てです。」

ところがその憲兵の中国における「戦犯供述書」記述は、
 兵士として殺害      直接3名・集体9名  合計12名 

 憲兵としての殺害集計 直接3名・集体4名・幇助12名 合計19名
 憲兵として731部隊へ  黒石礁事件4名・その他14名  合計18名
 憲兵として交戦射殺  直接1名・集体19名   合計20名
                         憲兵として 57名
      兵士と憲兵の合計殺害数  69名

 731部隊へ送ったのは、18名になっている。








731細菌部隊と帝銀事件との真相1


犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答








自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。







終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)

1969年7月2日(国連:ウ・タント事務総長)

環境への影響予測不能

1、この報告の総括的な結論は数行に要約することができる。即ち、もしこのような兵器が戦争で大規模に使用されるならば、その力がいつまで持続するか、また、それらが我々の生活している社会構造や環境にどんな影響を与えるかは誰も予測することが出来ないということである。この圧倒的な危険は、これらの兵器を先に使用した国にも、攻撃された国にも同じように伴うであろう。その危険は、その国が攻撃能力の開発と並行していかなる防御手段を講じたかどうかに関係がないだろう。費用がかさむことがはっきりしているにも関わらず、どの国でもこの種の戦争の能力を何とかして開発し、獲得できるということからも、特殊な危険性が生じている。この種の兵器が急増する危険性は先進国同様、低開発国にもあるのである。

1、これらの兵器の生産が効果的かつ無条件に禁止されたならば軍備競争の勢いは明らかに弱まるであろう。多数の人命を奪うこうした兵器の使用は、1925年のジュネーブ議定書、最近では国連総会の決議など国際的な合意によって既に非難され、禁じられている。もし、戦争を目的とした化学薬品、細菌の開発、製造、貯蔵がなくなり、すべての兵器庫からそうしたものが消えうせれば効果的な国際管理のもとでの一般完全軍縮、ひいては世界平和への展望は大いに明るいものとなろう。

1、以上のことが実現すれば、国際的な不安や緊張は全般的に弱まるだろう。この報告によって、これらの兵器が使用された場合のきけんな結果が一般に知られ、目覚めた民衆が各国政府に対し早急に生物・化学兵器をなくすよう活動することを求め、その保証を得ることが、この報告書を書いた人たちの願いである。

1969年7月5日 朝日新聞)

米中の生物兵器開発?

 

 







隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

学術集談会

10月20日午後1時より当所内講堂に於いて学術集談会を開催した演題下の如し

1.コレラバクテリオファージに関する研究

        吉積泰君

2.人体に於ける寄生虫の原虫病に於ける

興味ある2.3の近業  宮川米次君

(宮川君の講演の内容は総説蘭に掲出せり)

吉積君のコレラファージに関する実験成績を左の如く総括す

最後に余はデレル氏現象においてファージの増量現象を以って主現象と名づけ菌溶解現象を以って随伴減少と名付けんことを提唱す。而してデレル氏現象を広義に解すれば随伴現象即ち溶解現象を件はず唯主現象たるファージ増量現象のみを発現するものもデレル氏現象と解す可きなり。(自抄)


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

2章 湖南省常徳の支援者から

中日の真の友好に向けて

 

楊 万柱(常徳師範学院院長)

 

常徳の人々は、自分達の権利や正義を必ず取り戻します。これは日本政府に対して、戦争責任を認めさせる裁判です。日本が2度と以前と同じ道を歩むことのないように、そして中国と共に、平和の道を歩むことを願っております。

  



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて
いるのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

四月七日

 どーしても腹の虫がおさまらない。こんなには腹が立ったのは初めてだ。あらゆる罵言を以って軽機をののしった。夜であった。午後八時十分 敗れた悲しみを胸に 其の日三中隊事実上のヒロイン林軍曹の希望で 事務室横に集まった。なんという悲しき集合であろう。僕は幾多の地方に演ぜられる 青少年たちの涙ぐましい色々な競争に生まれる 悲喜劇を見たことがある。勝敗を決する男らしい心持ではあるが また之を行わねばならない社会の趨勢を考えねばならない。




大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

 毎月5千円の草根木皮は彼女自身の負担である。老医師も老婦人も、原爆以前は夫婦そろって健康だった。それが、あの後めっきり弱くなったのだから、新薬ノイローゼや漢方薬愛好癖の個人差をこえて、やはりこの老夫婦は被爆による諸症状を忍耐して生きる人々であることに疑いはない。

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

 死体焼却

 

1部の岡本班には、私達の先輩が5人ほど実習に行っていましたが、聞くと毎日のように死体を処理(解剖)させられて、生きた気持ちがせんと言ってました。先輩が言うには、死体解剖したあとはきれいに縫わなくちゃならないのに、岡本班にしても、戦後金沢大の医学部長をされた石川太刀雄丸の石川班にしても、とにかく切りっぱなしの状態で、病理解剖で取った標本、肝臓とか脾臓とかいったものだけ取り除いたら、あとは全部死体焼却場に持って行って焼いておったんだそうです。


 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

中国協和医学院教授    張学徳

中央衛生研究院副研究員  方剛

1956年5月28日   撫順にて

(1)119-2、8、1、第17号

 

前記の情況は、現地に古くから在住している老人、日本軍(原文:日寇)にしたがって鉄道建設のためにやってきた労働者、及び日本人の工場で働いたことのある人たちから聞いたものである。私自身も、孫呉一帯の日本軍兵営、飛行場、様々な工場の跡をこの眼で見た。日本軍の孫呉における軍事施設は規模が相当に大きく、以上はほんの一部の情況を述べたに過ぎない。

1)1191416、第3738


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

2 国内民間人の防毒訓練

 毒ガスに対して無防護状態の日本


これに加えて日本は、国土が狭隘な島国であり、都市に住宅が密集していることから、毒ガス攻撃や空爆を受けた場合、大きな被害が出やすいという弱点があった。もし国家が、国際法に違反して毒ガスを使用した場合は、それに対する報復攻撃がなされ、同等かそれ以上の災厄を自国民にもたらすことになりかねない。国家の指導者層が国民の置かれている状況をよく考えれば、毒ガスは使ってはならない兵器であり、戦争はしてはならないという事に気付いたはずである。





 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

 

 風船の原料は和紙であり、工程はとても多い。第1段階は厚さ1㎜の紙を5層に貼り合わせる、第2段階は合わせた厚い紙を何回も検査し、補修し、空気が漏れないようにする。第3段階では、1枚1枚の厚紙をつなげて8mの長さにし、長い三角形に裁断する。第4段階はこの三角形の紙をつなげて球形に合わせる。第5段階では基本的な形の整った風船に空気を入れ、台に架けて満球テストを行う。風船は空気を入れると体積がとても大きくなるので、学生たちはまるで群がる蟻のように風船のまわりで働いた。1945年、日本が最後のあがきともいえる抵抗を試みていたとき、全国で製造した風船爆弾は9000個にもなるのだが、大久野島での生産は200個であった。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

謀殺(ぼうさつ)

予防注射を口実に毒殺

 

中島宗一

属官

〈略歴〉

本籍 長野県下伊那郡

出身階級 農民

最終学校名 南信学院2部卒業

学校卒業後の職業 農業

最後の所属 旧竜江省警務庁特務科

被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠

 

 自分の事は棚に上げ、前科長の斎藤に責任をなすりつけ、検挙から今日までの経過を報告してから、河野は、「こうなっては、今さら出すにも出されませんし、かといって事件送致にもなりませんし」当惑気に言うのだった。

「また、なんだってそんなのをいつまでも放ったらかしていたのかね」春口から詰問されて、「私もこんなのをいつまでも放っておかずに早々処置した方がいいと思って、何回か科長に計ったのですが、何しろ科長が判然としないもんですから、つい・・・」荒木の顔をちらりと見て、弁解する河野の言葉も終わらぬうちに、「よし僕が責任を持つ。すぐ片付けてしまおう」春口は太っ腹なところを見せるかのごとく指示した。





2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


2020年12月16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(3)教範から見えるCBRN対応

 このほか、東京女子大学学長をしていた木村健二郎による「日本RI事初め」、「陸幕長訪英時入手資料『英国陸(空)軍核戦防護関係教範』について」が含まれている。以上の紹介から自衛隊が核兵器生産能力として原発をみていたことが伺える。

 このように陸上自衛隊はCBRNに対応すべく教範の整備を進めるとともに、化学関係の体制を整備しつつ米軍の動向、特に実戦での状況について情報の収集と分析を進めていた。そして日本自身の核武装も視野に入れた原子力開発体制に強い関心を寄せていたのである。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

国会におけるBC兵器論争

〇小川国務大臣  お尋ねの四塩化エチレンは有機溶剤中毒予防規則の第2種に該当いたしております。

〇楢崎委員    今労働大臣ご指摘の通り、これは第2種に該当するのです。取扱いについては非常に大きな制限があります。それをご存知なくお使いになっておったとするならば、当然この予防規則に触れておることになります。労働大臣の御見解を承りたい。

〇小川国務大臣  これを使用いたしまする場合に、一定の許容量が規定してございますし、またこれを使用いたしまする場合の労働時間等にも規制がございます。実は規則を今広げたばかりでございますから、詳しいお尋ねの場合は少し時間を貸していただきたい。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制


 CIEの「太平洋戦争史」が日本のアジア民衆との戦いという側面を軽視していたとするなら〔「太平洋戦争史」の叙述の中心はあくまで日米戦争だった〕、幣原内閣のこの不誠実な政策文書は、1931年以来の日本の中国侵略と、1940年に始まる東南アジアヘの侵略をあっさりと捨象していた。115日の戦争責任に関する閣議決定文書は、負けた戦争の原因と結果を逆転させ「ABCD包囲網」から説きおこしていた。これは、真珠湾攻撃前夜の最終局面の時期に、アメリカ、イギリス、中国、オランダが日本に対して軍事的・経済的圧迫を加えているとして用いられた用語であった。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国            署名日          批准日 (締約日)

アルジェリア        2017年9月20日

アンゴラ          2018年9月27日

アンティグア・バーブーダ    2018年9月26日         2019年11月25日

オーストリア          2017年9月20日       2018年5月8日

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●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

























 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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