2024年2月17日土曜日

細菌戦の系譜!!

サイレントフォールアウト

ABC企画委員会 「講演会&2024年度総会」 のご案内

言論の自由が欲しい!!





 戦後、日本は、GHQ(主にアメリカ)によって占領され、そのGHQは、その占領政策をスムーズに進めるため、開戦を裁可した昭和天皇を戦犯免責にし、軍の上層部で活躍した皇族も全て戦犯免責にした。
 又、極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊、毒ガス部隊、登戸研究所員、航空師団等も戦犯免責にした。そして、アメリカの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判では、取り上げられなかった。そして、一部の731部隊関係者はアメリカの核戦略に全面的に協力し、被爆の被害の矮小化を図った。それが、ビキニ、福島、原発政策へと続いている。
 又、唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄も、昭和天皇によって、見捨てられ、戦後、アメリカの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題で大きく揺れている。
 また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させ、戦後日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。
 だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯となり、厳しく裁かれた。
 靖国神社は、A級戦犯であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。
 過去の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。

731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)




今語るべき日中戦争







朝鮮人BC級戦犯裁判問題

報道特集 韓国人元BC級戦犯不条理との闘い


「仲間の無念晴らしたい」朝鮮半島出身元BC級戦犯が訴え 戦後75年進まぬ法整備

「死んでも解決を」元BC級戦犯が今も背負う不条理 

報道特集 群馬の森「朝鮮人追悼碑」撤去問題







長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から
山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします!https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s

長生炭鉱




台湾と日本 残された戦後の課題




裏金問題をきちんと説明して下さい!!八王子緊急集会!!(第4弾)

アンガ田中卓志 自民・萩生田氏らの“不明だらけ”収支報告書訂正に「こうやってごまかしていくモードに」

安倍派解散、政治責任は棚上げで政治資金の行方は…億単位の余剰金には「山分け」の噂が




敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!!

自衛隊、変貌の先に





佐藤栄作元首相のノーベル平和賞 受賞当時の選考資料 初公開





日本の中国侵略、原発事故を問う!!




1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵
小金井の
宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。





能登半島地震の写真
珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!!

未知の断層はまだまだあるのではないか??
同時に、原発事故が起きていたら??
国策原発推進反対!!

石川 志賀町で大地震引き起こした活断層とは異なる断層確認




地球環境の破壊!!
ウクライナ・ガザに停戦を!!
戦争は、子々孫々に怨みを残す!!
戦争反対!!紛争は外交努力で解決を!!

【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(2月16日の動き)

【詳細2月16日】イスラエル ガザ地区南部の病院で作戦続行

原発活用の国策見直しを!!

ビキニ被災から70年!!

地球を破壊した戦争・核実験・原発
世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!!
あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!

グリーンピースから届いたメールの抜粋(2023年)


1月:南スーダン 歴史的洪水で九州より広い土地が浸水
1月、2月:チリ 10年続く「メガ干ばつ」により広がる火災
2月、3月:南東アフリカ サイクロンが1,000人の命を奪う
4月:インド・バングラデシュ・タイ 「アジア史上最悪」の熱波
5月:イタリア 1日半の間に降った6カ月相当の大雨
6月:日本 台風2号で49名が死傷
7月:カナダ 森林火災950万ヘクタールが焼失
8月:観測史上最高の海水温と1.5度を超える平均気温の上昇
8、9月:ハワイ、ギリシャ、スペイン 大規模森林火災
10月、11月:続く高気温、史上最も暑かった年となる見込み (以上)

地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発
世界は、放射能の影響を無視し続けている!!

1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイTNT換算15 kt)の3万5千発以上に相当する。



核の亡霊――世界の核実験の4分の1が行われた土地は今

かつて世界で行われる核実験の4分の1近くは、カザフスタンのある地域に集中していた。住民たちが受けた被害の大きさは計り知れない。写真家のフィル・ハッチャー=ムーア氏は、この地で2か月にわたって撮影を行い、「人間の愚行が生み出した残酷な副産物」に衝撃を受けた。「核の亡霊」と名付けられた彼のシリーズ写真は、荒廃した景色と、今も後遺症に苦しむ村人のポートレートを組み合わせたものだ。


カザフスタン、クルチャトフ市の廃墟と化した団地のそばを歩く家族。この町の人口は現在、核実験終了時の半分だ。
(PHOTOGRAPH BY PHIL HATCHER-MOORE)

 

 

アメリカだけではない!!、全世界で起こっている!!




映画「シロウオ〜原発立地を断念させた町和歌山日高原発・徳島蒲生田原発反対運動〜







パネル展




アンケートから

12月16日(土)

5、高校生の原爆の絵・・・今年も有楽町でやり、少し出資して広島サミットでやり、来場者に訴えたみたいで。ここは去年も開催したみたいで、やってきました。いろいろな展示があって良かった。
(60代以上、小平、)





ニュース
原発再稼働反対!!反原発!!



柏崎刈羽原発が運転禁止解除へ



日米安保条約見直し!!


自民党解党!!検察腰砕けか?

選挙戦に「重い影落とした」 地元市長選で自民・萩生田氏


言論弾圧反対!!

朝鮮人虐殺への謝罪は?










反核・反原発(原発0に)


塩田康一鹿児島県知事の川内原発に対する基本的考え(「ようこそ知事室へ」より)
脱原発への対応
・3号機の増設は、凍結します。
・1号機・2号機の20年延長については、必要に応じて県民の意向を把握するため、県民投票を実施します。
・県の「原子力安全・避難計画防災専門委員会」の委員構成については、原子力政策に批判的な学識経験者も入っていただくよう見直します。

県民投票行われず 川内原発の県民投票条例制定案は県議会で否決

処理水の海洋放出差し止めを 福島の住民ら151人、全国初の提訴 福島地裁








三多摩平和交流会の感想

12、黒井さんの記事(朝日)を読みました。初めて聞く内容でした。「三光」の本も読み、「731部隊」の講演シリーズで聞きました。

 私の父も、満州国に2年、その後、日本に帰り、特攻隊に入隊していました。少し若かったので、出撃する前に敗戦を迎えました。父もどうにかすると、狂暴な一面を見せることもあり、それは、元々の人格であると理解していたのです。黒井さんの記事を読み、父を少し理解できるようになりました。

 (週刊金曜日、70代以上)

第7回三多摩平和交流会





集会のアンケートから

平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
 学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
 私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
 来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
 会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
 ありがとうございました。

(中国語)

我是通过日中友好协会而知道了平顶山事件的。
学校几乎讲授亚代史。要想了解,除了自己产生兴趣自发学习,别无他法。这样的现实让人十分无奈。我非常感谢你们诉讼结束后仍继续这样的方式世人了解所做的努力
 我的女儿今年岁,正好是方女士遭遇惨案的年曲先生的讲演使我在方女士的故事中看到了我女儿的影子。我希望今后能我的女儿一起来参加类似的讲演会
 我也要感谢曲先生和夫人来到日本。希望有一天能我的女儿一起中国或日本再次到他
同时感谢会议组织委员会在会场外为与会者提供指路等帮助
谢谢大家

平頂山事件91周年集会(2023年9月)




一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。

731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)

医療倫理・研究倫理の深化



●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)

令和3年(行ウ)第594号

原告増本美保外11名

被告全国健康保険協会

意見陳述書

                         2023年(令和5年) 912日

 

東京地方裁判所

民事第51部lA係御中

                     原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義

 第2 放射線の晩発性影響の評価

被告は、原告らの主張する放射線の晩発性影響が認められるには100mS vのしきい線量を超える被ばくをしたことが必要であるが、明石真言氏を座長とする保険部の報告書によれば、lmSvにも達しないので放射線影響とは認められないと主張します。

 そこで、まず、放射線晩発性影響の基準がどのように決められたかを述べます。

2  放射線人体影響を初期放射線のみとしたことによる影響

(2)内部被ばくの無視
もう一つは、初期放射線だけですと外部からの均等な被ばくを想定することになります。そのため放射性物質近傍の組織、細胞への被ばく、つまり内部被ばくモデルを無視・軽視してしまうことになります。これがICRPの内部被ばくモデルにつながります。





●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)

被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない??

再生可能エネルギーの積極的活用を!!

汚染水放出反対!!


福島原発事故費用の国民負担(1)電気料金が青天井で上がる!?


原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係??
日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。

グリーンピースからのメールの一部より
汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて

8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、今月の24日にも開始することを発表しました。
グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。
 「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。
日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。

 8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会 

放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。
 8月17日の市民と政府・東京電力の討論会 © Ryohei Kataoka / Greenpeace
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。
処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。

海を汚染しない選択を求めます

福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発するのことが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。



●今年の「戦争の加害展」のチラシ



2023年の「戦争の加害展」の感想
◆8月30日(水)

105、パネル展年々内容が充実しているように感じます。スタッフ皆様の活動に心から敬意を表します。
(70代、チラシ、友人)










横浜の「戦争の加害展」2023


長野県飯田市で起こっている731問題


飯田市の資料収集委員の方々が作られたパネル(展示されていない)





遺棄化学兵器処理事業情報公開裁判

なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの?
その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか?

次回裁判期日 5月16日(木)11時~703号法廷


News & Information


\本日の弁論のご報告/

 

 被告は3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。

 原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。

 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。

\ご支援よろしくお願いします/

被爆国日本は、核兵器廃絶・反原発を推進すべし!!

リーフレット

プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人」の感想
8、朝鮮人を虐殺をしたのは日本人の恥。虐殺したのが、第一の殺人。これを隠蔽した当時の政府、軍、警察の行為は第2の殺人。現在、小池だけでなく、政府が虐殺を認めないのは、第3の殺人。今の政府の発言・対応を座視している一般の日本人の罪も重い。流言により、殺害した自警団、一般日本人の心理と通底しているのではないか?(不明)

ビキニデーin高知 2023










南京大虐殺








重慶爆撃


原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

苦干(重慶無差別爆撃)








731部隊



ニュース257号










●東京帝国大学伝染病研究所

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より

●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。

実験医学雑報20巻 第7号(1936年)

本所職制改正

この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。

*特別研究室とは何だ??



実験医学雑報22巻 第6号(1938年)

伝染病研究所創立40周年記念日式辞

             宮川米次 

ホルモン・アウトホルモンに関する研究

高峰譲吉氏によって1900年アドレナリンが発見せられ、その後に至ってSterlingによってHormonなる名称を学会に提案せられた。その後ホルモンに関する研究は割合に盛んに行われていなかった。特に純粋なるものの抽出に至っては、僅かにKendall(1919)、Harington(1926)によってThyroxyinの組成が発表せられた。Insulinha久しく明らかでなかったがAbel(1927)等が、略々これを明瞭にした観がある。然るに最近に至って、ホルモンの研究は非常に盛んに行わるる様になったことはビタミンのそれに関すると同様である。又Autohorumon及びこれに関する所見が内外の学者によって報告せられ、心臓ホルモンに関しては、恐らくAdenosin燐酸であろうと迄言われる様になってきている。ここにはホルモンの研究中所見の総てを述べることは、その本意ではない。特に注意すべき性ホルモンに関する研究の最近の所見その他2,3の事実について一言したいと思う。



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 2001年ピュリッツァー賞受賞

 ※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  


第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年









第6章 政治的君主の誕生

 4回目の山東派兵を裁可してひと月とたたない6月4日、陸軍大佐河本大作を中心とする関東軍の上級参謀将校が、中国の軍閥で地域の主権者である張作霖を暗殺した。田中の満州政策は張との関係を基盤に展開されていた。この事件と、首相によるその処置の不適切さとが、満州を日本と国際社会の政治的混乱に引きずりこんだ。田中とその政友会内閣の更迭を長く望んできた若き天皇とその側近に、事件は格好の機会を提供した。

●日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

RENUNCIATION OF WAR Article 9.


Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.


IMAGINE9

解説

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。


世界は、9条をえらび始めた。

このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアの国々との関係に誠意をもって向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!

―韓国、30代・男性



【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?

日本のパトリオット輸出 露外務省報道官が敵対行為と警告

『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について

~ご理解していただきたいことを文章にしました~

2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住) 

願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)

PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会



『PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会・6月25日』の参加者感想文
2023.6.25

25、私の父も、祖父もアジア侵略者でした。が、表立った暴力はありませんでした。しかし、志願して陸軍に行った父の頭が戦争体験でいっぱいだったことは分かっています。その父は娘に酒がなくとも体験を語りました。私はインタビューもできました。それが反戦平和への教えとなっております。実被害を受けたスピーカーの皆さんの記憶をなくすほどの解離(麻痺か)ご体験苦しくお聞きしました。本当に痛みなしには聞けませんでした。父上らの暴力、PTSDが戦争体験であることは間違いないのですが、今なら男から女へのDVやテロともいえる行為(放火銃撃殺戮)が止まないことは原因に「戦争だけではない」と、戦争トラウマとそっくりだと感じたことです。戦争に行かずとも男性がそうなっていく、この世界は透明な戦場だと改めて実感。密室である家庭内での妻、子どもへの殺すほどの暴行が現在続いています。戦争をしないだけでは不十分だと、この国は亡びると信じます。このストーリー、テーマは普遍的ですので、別なストーリーと思わず繋いでからめ「男を競争、抑圧に追い詰めない社会」へと変える努力をしていきたいです。ありがとうございました。

「戦争のない世界」

戦争が世界を席巻しています。

戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。

戦争は集団同士の殺し合いです。

私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。

そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。

戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。



祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年


★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
・父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい!
2018年1月17日  黒井秋夫。






















PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会

 


でくのぼう 戦争とPTSD



【第1部】PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会




【第2部 質疑応答】PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会





『PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会・6月25日』の参加者感想文
2023.6.25

1,旧日本兵のPTSDの問題を直接聞いたのは初めてです。ベトナム帰還兵、イラク戦(自衛隊含む)、アフガン帰りのソ連兵などの話しは聞いていましたが、旧日本兵にもありうると漠然と思っていましたが、このことが明らかになったのが2018年、5年前とは驚きました。ヒロシマナガサキの被爆者やハンセン病の家族の証言も(明らかになるまで)時間がかかりましたが、やはり「加害のこと」を語るにはより口が重くなると思いました。PTSDの概念が理解され広まることも今集会の成立にプラスしたと思う。PS 私自身も、父の母へのDVがトラウマになってACになったと思います。

2,アイルランド、スコットランド(アイルランド紛争)和平合意直後、イタリア、豪州、ワシントンなどの戦争PTSD療養施設の豪華さ、手厚い治療病院をめぐり感動したのは30年前のリサーチでした。日本兵に対する軍や政治は人命を軽んじていると感じました。ゼロ戦はパイロットを守る装備を削って性能追及。米軍機は幾重にも命を守る工夫。豪、ニュージーランド、アメリカの戦死資料館や公文書館をめぐりました。日本の復員兵は放置されている姿は「皇軍」として派兵され棄民された半島出身兵、傷痍軍人、在日コリアンを描いた「血と骨」も想起されます。義祖母は南陽戦線、中国南京で医師として731部隊に関与、登戸には終生足が向けられず、慰霊の旅、中国、パプアニューギニアを終え、自死いたしました。戦後日本映画に現れた戦争トラウマ表現を調べています。

3、非常に苦しい内容ですが知らねばならない、伝えねばならないと感じます。私のは母方の祖父は山形県酒田市出身で戦争に行きました。左肩に銃弾が貫通した痕がありました。祖父は知る限り家族にも親戚にも戦争のことを言わずに死にました。今でも祖父が何を言いたかったのか?言えなかったのか?と思います。祖父は幸い家族に暴力を振るうことはありませんでしたが、大変恐い人でした。私は祖父をかわいそうに思います。本当はもっともっと話したかったのではないかと申し訳なく思います。

4,まず知ること、気づくこと、考える事、語ること、出会うこと。黒井さんの熱い熱い思いをいただきました。参加して良かったです。大阪で来年“会”を催されるとか。基調講演は関西の名物アナウンサー桑原征平さん(79才)を推薦します。彼自身が父からのPTSD被害者とラジオ番組で度々語られておりました。

5,アジア太平洋戦争での具体的な侵略加害行為に対して法的な責任が問われたりしたことがない日本に果たして「戦後」を名乗る資格があるのだろうかと思います。戦争責任者が国民の象徴として不気味に国民の空気感を支配し常に軍備拡充に明け暮れ、マイノリティーを差別し、沖縄など地方を犠牲にしてきた現在の日本という国家にとって、戦争トラウマに苦しむ家族は当然の帰結なのではないでしょうか。しかし、勿論、私たちはこの情況に沈黙していていいはずがありません。日本政府が戦前戦後を通じていかに凶器の政策や教育を続けてきたかを明らかにし、自らの経験を語る口をも奪う悲惨な戦争トラウマ被害に対する加害責任を余すところなく国に追及すべきだと思います。

6,戦後80年近くを経て、今、日本兵のPTSDに光が当てられたのかという驚きと、今は亡き傷痍軍人だった父と自分との関係を思い出し、ぜひ聞いてみたいと思いました。反戦の集会や加害の歴史本など、今でも参加したり、読んだりして忘れないようにしてきましたが、この度は当事者としての自分に出会うきっかけになりました。

父のみになってみる?ブタれることはありませんでしたが、毎夜飲酒は欠かせませんでした。セクハラ的行為から逃げ回った日々。小2の時、家出を思いつきました。国の責任を問うておられます。確かにそう思いますが、具体的にその責任を取る国とは何でしょう?

7,国のために戦った帰還兵が軍隊生活の思いは口に出さないで家庭は安心安全であるはずが思いもよらない事が世代を越えて300万人もいたという言う現実から今!!全国広がっていくことを確信持ちました。

 今日は3世として、戦争体験を語り継ぎの場を作る者として、特高警察官の祖父から愛を受けずに育った父から暴力を受けた者として皆様のお話しを伺っておりました。復員兵のPTSDは声なき戦争の負の現実であり、その声を多くの人々と共有認知することが、負の歴史の繰り返しを止める行為になるような気がしています。

 かつての戦争の総括がされないままのこの国に住む者として非常に示唆に富む内容でした。次回もぜひ参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

8,すばらしい集会でした。全てよかった。

9,午前の部で問題提起や方向性を中村さんや北村さんの話を聞いて目が開かれる思いでした。私たちの世代は日本兵士の子どもたちで様々な影響を受けています。自分は分からないが社会病理となって無意識なレベルで日本社会を苦しめています。PTSD分析では心理学の知識も必要です。これからもっともっと考え続けたいです。

午後の部で日本兵の家族に証言を聞いて。

太平洋戦争の兵士のPTSDが問題となるまで80年近くも経っている。その間、多くの人が苦しみ続けてきた。この事実に何とも言えない3人の発言はとても重みがある。病気のため父はたまたま兵士として出征しなかった。それをどんなふうに考えていたのだろう。負い目がありながら戦後を生きてきたのだろう。

10、戦争被害者とは誰だろう、と良く考えます。私は普段は広島長崎の原爆被害者を取材していますが、医療保険の対象である「被爆者(1世)」の範囲を巡る議論はなお続いていることに加え、2世3世も子や孫の立場からその「被害」を訴えています。被爆者の2世3世も原爆の後遺症を訴える親の介護に明け暮れ、貧困で苦しむなどしてきました。2世3世の問題については放射線の遺伝的影響という観点にフォーカスして語られることが多く、第一世代の“家族”として被った苦しみに光を当てられてこられませんでした。今日、北村教授の言葉にありましたが「戦後の後遺症」との言葉が印象に残っています。「日本兵」と「被爆者」という違いはありますが、戦争で深い傷を負い、その苦しみを次世代家族にも負わされたという点では共通していると思いました。第1世代と共に暮らした家族の苦しみは「戦争被害」ではないのか、ということを思うこの頃です。

11、敗戦後のドイツと日本の国と人びとのあり方があまりに違うことの根底にこの復員兵の問題があったのか!と目が啓かれる思いです。ドイツは戦争責任を言葉や形だけでなく行動として表し続けていると思います。ところが、日本は自らがその一員であるべき東アジア諸国を帝国時代の植民地と変わらぬまなざしで見下し続け、昨今ではそう考える必要のない仮想敵国と見なし軍備拡張に邁進しているようです。この反省のなさと、無自覚、その根底にあるのは一人ひとりの兵士の苦しみを「私たち」の「群れとしての」記憶として向き合うことのなかった国と、国民にあるのでは。色々と考える良い機会になりました。お話しくださった方に感謝します。

12、加害体験を告白する元日本兵が少ない理由が分かった。PTSDで飲まないと語れない、しらふでは黙るしかなかったのか。撫順の戦犯収容所では一種のPTSD患者対策となって日本兵の告白ができたのではないか。という感想を本日の講演を聞きながら感じました。下級の日本兵は「自分が被害者」なので、植民地国民への反省・謝罪をする気持ちの余裕がないのでしょうか?この辺りが課題と考えます。とにかく加害者日本兵のトラウマの現実が良く理解できました。

13、罪悪感を解放するために酒を飲む人もいれば、”力”を行使した満足感、それを現在も行使したい欲求が酒を理由に実行できた(ひどい行いとして表現できずため込んでいた)人、いろんなタイプがいたのだろう。民族・地方・貧困差別を行使する政治権力者にも脈々と受け継がれ、影響を受けているのが私たち日本人を含めた、在日外国人、被差別部落者、沖縄、アイヌ、性的マイノリティーなど、日本の全住民だと考えられ慄然とした。

14、ありがとうございました。勉強の途上です。PTSD日本兵の問題、とても重要だと思います。この問題に永らく日本人は気付いて来なかった、覆い隠されてきたことが又大きな問題だと思います。

戦争責任という言葉が出されたと思います。正に戦争責任(天皇や政府の)隠ぺい問題と、日本兵のPTSDの隠蔽が繋がったように思います。埋もれたPTSD日本兵の家族の問題を掘り起して行く活動に大変期待しており、可能な限りの協力をさせていただきたいと思います。

15、今日のテーマ「トラウマ」の問題を黒井氏のおっしゃるように、前面に、全国的に取り上げ整理しなければ本当の戦争の本質に迫れないと思います。戦争を始めたり引っ張って行った指導者、また何よりも天皇からまだ日本の人民は謝罪されていない。それがない限り戦後は終わらないし、まして東南アジアや中国・朝鮮に本気で謝罪する気持ちになれない日本人が多いのはある意味当然だろうと思う。

やっと国会の一隅で取り上げられたのが大きなきっかけになればと願う。人間の事、人間の心理学の研究をしなければならないと思う。

16、昨日の講演・映画会でもらったチラシを見て参加しました。

私の父親も学徒動員で中国に従軍したそうです。帰国後、いいなずけの母と結婚して私が生まれたのですが、平和的な父だったので5人に1人の従軍兵士が何らかのPTSDになったのは知りませんでした。もうびっくりしました。大人になってから父に「戦争でどこへ行ったの?」と聞くと、南京と教えてくれましたが、それ以上は聞かず残念なことをしました。ただ「戦争は絶対するな!」が口癖でした。戦後は戦友会の幹事もしていたようです。会うのを楽しみにしていました。証言者の方のような家庭がなくなるように、戦争を許さないために努力していきたいです。

17、繰り返し繰り返し、中身の濃い話しに圧倒されました。

18、私は20代ということもあって、直接、日本兵の戦争体験を聞く機会はありませんでした。沖縄で住民の戦争トラウマの聞き取りを5年くらい続けていますが、断片的に戦争が戦後の家庭環境について話を聞く機会がありました。3月に沖縄で開かれたイベントで私がお話をしたときに、ある女性が「私の父は戦争体験を話すことが少なかったですが、酒を飲むと罵声を浴びせられたり、強い口調で戦争の話をしたりしていたのを思い出していた」という方がいました。「トラウマ、PTSDという言葉を当時は知らなかったので、父を全く理解できなくて父を軽蔑していたんですが、父を受け入れることも大切ですよね」と感想をくださった方がいました。今日のお話を聞き、PTSDの日本兵の家族の話を通じて等閑視されてきた兵士の姿を考え続けたいと思います。

19、ベトナム帰還兵のPTSDについては知っていたのですが、当然そのことと関連付けて想像できたはずの日本兵として従軍した人たちのこととしては思い至りませんでした。午前午後とお話を伺うことができ、日本兵とその家族に起きていた事について知ることができました。ありがとうございました。交流会にも参加させていただき、より理解を深めることができました。

20、初めて参加させていただきました。PLP会館にも初めてきました。戦争を始めた政府が兵士たちに傷を負わせたにもかかわらず、戦後まったく面倒を見ず、家族と地域に全てを丸投げしてしまったことを知りました。その被害者が家族であったことが良く分かりました。愛する家族であるが故に余計に苦しく悲しかったと事と思います。私の父も時々暴力を振るいましたが、それも関係があったように思いました。色々と勉強させていただきました。大変ありがとうございました。

21、個別に断片的に聞き知っていたが加害者側兵士の体験とPTSDがこのような形で社会に広く共有されることはとても重要な試みだと思い、取り組みを高く評価します。アジアの被害者が受けたPTSDとどう結び付けられるのか、大切な課題(大きな歴史)に結びついていくことを期待します。

22、圧倒されました。貴重な企画をありがとうございました。特にご家族の方、お話しいただいてありがとうございました。

23、戦時下の性暴力、復員兵士のPTSDについては国際関係学を学ぶ中でふれ、考えてきましたが、改めて日本兵の家族の視点に立ったこの問題は知らずにいました。“家族・国民”を守る戦いと言いながら、一体何を守って来たのか、むしろ“家族”の人間関係を壊してきたんじゃないかと、当時の、そして現在に繋がる国家権力、戦争指導者に怒りを覚えます。お話を聞かせてくれた家族のみなさん、話しにくいだろうことを、お話しして下さりありがとうございました。トラウマ・PTSDの影響を受ける家族のお話しは虐待はじめ様ざまな暴力を受ける子どもたちの反応と同じように重なり、全く戦後は終わっていないと痛感しました。

24、貴重なお話を聞くことができ、参加させていただきありがとうございました。忘れられないように、この輪がドンドン広がりますように祈っています。戦争は終わっていないと!!突き刺さりました。

25、私の父も、祖父もアジア侵略者でした。が、表立った暴力はありませんでした。しかし、志願して陸軍に行った父の頭が戦争体験でいっぱいだったことは分かっています。その父は娘に酒がなくとも体験を語りました。私はインタビューもできました。それが反戦平和への教えとなっております。実被害を受けたスピーカーの皆さんの記憶をなくすほどの解離(麻痺か)ご体験苦しくお聞きしました。本当に痛みなしには聞けませんでした。父上らの暴力、PTSDが戦争体験であることは間違いないのですが、今なら男から女へのDVやテロともいえる行為(放火銃撃殺戮)が止まないことは原因に「戦争だけではない」と、戦争トラウマとそっくりだと感じたことです。戦争に行かずとも男性がそうなっていく、この世界は透明な戦場だと改めて実感。密室である家庭内での妻、子どもへの殺すほどの暴行が現在続いています。戦争をしないだけでは不十分だと、この国は亡びると信じます。このストーリー、テーマは普遍的ですので、別なストーリーと思わず繋いでからめ「男を競争、抑圧に追い詰めない社会」へと変える努力をしていきたいです。ありがとうございました。

26、世代を貫いてゆく現状に驚きます。国(支配する、してきた人々)、社会、文化の責任の視点、特に文化における市民運動への指摘(戦後の政党、特に革新、労働運動、研究者を含めて)、重要だと思います。戦争責任を巡っても同様の見直し、とらえ直しが必要だとも思います。記録の保存も大事。

27、戦争が本当に家族を破壊し、傷つけ、戦後生まれの世代までも苦しめるのだと心に響きました。これは個人の問題ではなく、社会の問題であり、文化であり、歴史の話しなのだ気づかされました。衝撃が大きく受け止めきれません。メディアの人間です。テレビや放送番組を作っています。戦後70年以上経ってようやく認識されるようになったこの問題、私も追いかけたいし何かお手伝いできればと思います。

28、本日の集会に大勢の方に参加してもらいたかったのに、毎月の例会に出席できず、とうとう本日を迎えました。この人、あの人と声をかけなかった人の顔が浮かび反省しています。二人の元司書にチラシを渡して「このような集まりは初めて。ありがとう」と言ってもらえたのが良かった。うれしかったです。常日頃の人との繋がりを大切にして来年の集会に心を向けて行きます。平和はこのような形で「戦争は絶対ダメ!」という強い心を創っていく努力が大切ですね。黒井さん、ご自分の病気を持ちながら一生懸命な姿に私も仲間にこの活動を広く伝える努力を楽しくしようと!!

29、戦後がまだ終わっていないのだと分かりました。愚かな戦争のことをもっと人々が知り、起こさないないように終えるように祈っています。


「戦争のない世界」

戦争が世界を席巻しています。

戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。

戦争は集団同士の殺し合いです。

私は戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重を考えます。

そもそも戦争することはどういう過程を経て決まったのでしょうか。国会で、大統領権限で、集団の長の意思で、あるいは集団の総意でしょうか。集団の多数意見でしょうか。

戦争をしている兵士は全て志願兵でしょうか。殺し合いの場である戦場に派遣されることに強制されたりしていないのでしょうか。全て自由意志でしょうか。

私はある個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で兵士の道を選ぶことは尊重します。

しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、徴兵なり集団多数の意見なり、集団の長なりの意思に強制されて兵士にされ戦場に派遣されることは受け入れることができません。真っ向から反対します。支持できません。個人の自由意思はどんな場合でもどんな時でも尊重されるべきと思います。

そのことが民主主義の根本条件と思います。

私は「戦争のない世界」をめざしています。

戦争のない世界は戦争で作り出すことはできません。

戦争は強い方が勝ちます。

正義や道理が通った方が勝つわけではありません。

戦争に負けた方の集団や国家にも必ず掲げた正義や道理があります。負けてその時は服従しても掲げた正義や道理はその集団や国家に残ります。時が経てば一度は引き下げた正義や道理は息を吹き返すでしょう。

戦争は問題を解決できないと私が言うのはそのことです。

問題を解決するのが正義や道理ではなく、戦争が強い事、効果的な暴力を発揮できることが「正義であり道理である」のが現在の世界です。人類の到達した世界です。

私は「戦争のない世界」をめざします。

それはどのように実現するでしょうか。

それは「戦争のない世界」をめざす人々が多数になって初めて実現します。

「戦争のない世界」をめざす行動の道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。

「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。戦争や暴力を肯定したり、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。

「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現します。

いや、想像するに世界の10%の家々に白旗が掲げられたら世界は劇的に変わるでしょう。

それは遠い夢物語でしょうか。

ありえない事でしょうか。

戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。



祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年


★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
・父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい!
2018年1月17日  黒井秋夫。






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