2021年2月13日土曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」











1月21日(木)
根岸恵子さんが「731部隊と大連黒石礁事件」についてお話しされました。

(参加者の発言)
元憲兵の戦後の証言では、「私は、憲兵として『特移扱』により、4人を731部隊に送った。これが私の罪行の全てです。」と語っているが、その憲兵の中国での「戦犯供述書」には、「大連黒石礁事件で、731部隊に送ったのが4名、その他の事件で731部隊へ送ったのが14名」と書いてある。

講演資料

https://28.gigafile.nu/0324-d1b61d7b31b27182eda94fd9454194440



原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

戦後補償裁判の弁護団の中心となる小野寺利孝弁護士が、94年に北京を訪れた際、ある記者から聞かされたのは、「中国人戦争被害者の訴えをきちんと受け止めない日本への危惧」だった。「日本側がこの問題に正面から向き合わず、人々の心に届く真の謝罪や補償がなされないままでは、中国の民衆の中に対日不信の巨大なマグマが蓄積されていくばかりだ」。小野寺弁護士はそれを日本の弁護士への批判と受け取った。もし戦争被害の問題に直接向き合うなら、被害者に直接会い、その要求を受け止める必要があると考えた。しかし、当時は今のように自由に中国に行くことができず、被害者に直接会うことは難しかったと思う。

※この本は高文研刊で定価は2,750円(税込み)ですが、下記メルアドに申し込みいただければ税込み2,400円でお分けいたします。
 又、2冊以上でお申し込みの場合1冊2,200円(いずれも送料無料)です。

連絡先:nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)

 



軍人恩給はあるのに、慰安婦には恩給がない!!

MYさん(城田すず子)は、1957年秋、ベテスダ奉仕女母の家に転がり込んだ。実家のパン屋が破産して16歳で売られ、国内外を転々とした末に更生の道を見つけたが、再転落しそうだとのこと。いずみ寮開設までの5か月間、軽井沢の古い家に奉仕女と住まわせていた。いずみ寮入所後の1958年11月、脊椎骨折で倒れ、絶対安静の病床で、小コロニーの第一歩としてのパン工場建設を夢見ながら自らの半生を口述した。扉に「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」という聖句が書かれている。

この本のあとがきには次のような彼女の言葉が載っている。

「兵隊さんや民間人のことは各地で祀られるけれど、中国、東南アジア、南洋諸島、アリューシャン列島で、性の提供をさせられた娘たちは、さんざん弄ばれて、足手まといになると、放り出され、荒野をさまよい、凍り付く原野で飢え、野犬や狼の餌になり、土にかえったのです。

軍隊が行ったところ、どこにも慰安所があった。看護婦はちがっても、特殊看護婦となると将校用の慰安婦だった。兵隊用は一回五〇銭か一円の切符で行列をつくり、女は女は洗うひまもなく相手をさせられ、死ぬ苦しみ、なんど兵隊の首を絞めようと思ったことか。半狂乱でした。死ねばジャングルの穴に放り込まれ、親元に知らせるすべもない。それを私は見たのです。この眼で、女の地獄を・・・」




      「噫(ああ) 従軍慰安婦」石碑

1965(昭和40)年、深津文雄牧師は、社会から見捨てられた女性たちが一生安心して暮らせる婦人保護施設「かにた婦人の村」(かにた村)を設立した。

1984(昭和59)年、一人の寮生が自ら従軍慰安婦体験を牧師に告白する。この告白「石のさけび」を受けて、施設内にある小高い丘に1本のヒノキの柱を建てたのは「戦後40年」のことだった。翌年そこには、「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が痕隆された。

「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表ユン・ジョンオクさんは、1980(昭和55)年より、北海道・沖縄・タイ・ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、1988(昭和63)年8月の来日の際にこの石碑を訪れた。

これが、韓国KBSテレビによるドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』の制作を生み、韓国内はもちろん諸外国にも大きな世論を巻き起こしていった。

戦争責任があいまいなまま半世紀以上が過ぎ、現在もなお、従軍慰安婦問題はアジア各国を巻き込む論争となっている。この石碑を通じて、地域から世界を見ることができる。
(安房文化遺産フォーラムの記事より)




犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答








自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。







終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』

・教え子の曾祖母が、「731の捕虜」との驚くべき証言

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ハンセン病


断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術

2018年5月17日 06:30

愛楽園自治会が所蔵するカルテの一部。最下段の備考に断種を示す「vasketomie(ワゼクトミー)」と記されている (画像の一部を加工しています)

 出来上がった畝を見下ろし、くわに手を置いて一息入れていた時だった。突然、背後から男性職員2人に羽交い締めにされ引きずり出された。必死にもがく男性を押さえ、職員は耳元で言い放った。「おまえの番だ」。連れて行かれた場所は手術室だった。手術台に寝かされた男性はふんどしを看護婦にはぎ取られた。指で性器をぱちぱちとはじく看護婦の顔には薄笑いが浮かんでいた。

 沖縄県名護市済井出にあるハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」に強制隔離された男性(97)は、1947年ごろ、強制された断種の様子を初めて証言した。今も家族にすら明かせない体験を語るその口調は怒りに満ちていた。「人間のやることじゃない」



【ハンセン病】「二度と学校に来るな」ハンセン病回復者に聞く差別と偏見の歴史

 

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

◎学術集談会

Ⅰ バクテリオファージの特異性に関する批判

                吉積 泰君

11、ファージ作用の強弱程度を以て特異的作用を有するファージと非特異的作用を有するファージとを区別する目標となすことを得ず。

12、溶解性空孔の大なるものより分離したるファージは比較的特異的作用を呈する傾向を有するも溶菌性空孔の大小を以て特異的作用を有するファージと非特異的作用を有するファージとを区別し得る目標となすことを得ず。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

2章 湖南省常徳の支援者から

日本軍の細菌戦によって常徳にペストが大流行

 

防衛庁は資料を公開すべき

 ※2002年の記事、防衛省になるのは2007年

 

劉海樵(常徳市武陵区水利局長)

 

 日本政府は細菌戦に関わる資料を多く持っています。しかし、なぜ防衛庁はその資料を公開しないのでしょうか。プライバシーの問題と著作権の問題があると言っていますが、これは問題にならないと思います。彼らは戦争犯罪者です。戦争犯罪を調査する時に、プライバシーの問題を取り上げるのは、議論のすり替えだと思います。この問題のついて、我々は今後きちんと反論していくべきであり、日本政府に圧力を加えるべきだと思います。

 日本政府に細菌戦の事実を認めさせるためには、裁判所の認定だけでは足りないでしょう。実際に今回の判決は細菌戦の事実を認めましたが、日本政府は全く認めていないからです。(8.28国内集会で発言) 



  731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて

いるのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

四月十五日

 

あたりは静かに古い言葉ながら草木も眠りにつかんとしている。街の燈火がいたずらに光っている首山に着いた 然し事件は早片付いた後である 駅で警戒二時間 再び貨物に乗って中隊に帰ったのは午前四時(十六日)雨の中を空しく引き上げなければならないとは 非常に緊張していったものを。午前八時まで就寝許可されて床に就いた。事件の概要は左の通り也(十六日の記)



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

  

青年の死の後長い期間、老人はじっと黙り込んで仏壇の前に坐ったまま日を送っていた。それから不意に彼は死んだ孫に向かって語り始め、もう決して沈黙しなかったのである。≪あんた、十円の金がないいうたよのう。あの時はあさましい思いをしたんじゃろうのう、隆ちゃん≫、老人が青年の思い出に向かって語りかける言葉は常に金銭に関してであり、金銭的な困窮によるあさましい思いについてである。≪あんたが自転車を売るというた時、おじいさんは怒らずに売らせてやればよかったのう。隆ちゃん、ゼニがいったんじゃろうにかわいそうにのう。≫死んだ青年は老人にとって、彼自身の死の時の至るまで(そしてそれは発狂した老人にとって永劫回帰のの永遠にかかわってということだが)常に、金銭的な困窮によるあさましい思いに悩まされている。

 


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

 話す決意

広島の語り部の中には原爆で足をなくされた女性も活動なさっていますが、その人が「あなた方がそういうことをやったと戦争の真実を伝えることで、本当の平和の訪れを願ってやまない私達の心と通じ合えるのでないでしょうか」と言われました。それがきっかけで、私もふるって、1992年になって初めて歴史の空白を埋めるためにも、そして犠牲となった人々を供養するためにも、皆さんの前で話をするようになったのです。 

 


 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

旅大市公安局の南満州鉄道株式会社衛生研究所に関する調査(1953年124日)

 

大連の研究所にあった強冷凍器で実験を行ったもので、山口中佐の率いる植物班も来て実験を行った」。「この時『731』部隊の昆虫班も大挙して大連にやって来て、市内で大量の鼠を集めた。ノミと鼠をペストに感染させたうえで、前線に放したことは間違いない」。山内はまたこうも述べている。「同衛研には石井式細菌培養缶が5600個あり、細菌室で大量生産に用いられていた。日本軍の降伏の際、全て大連港外の海に捨てられた」。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

 

1、毒ガス使用禁止を定めて国際法

ジュネーブ議定書の成立

 

さらに1925(大正14)年には、国際連盟の提唱によってあらゆる有毒ガスと細菌兵器の使用を禁止する「ジュネーブ議定書」(窒息性ガス、毒性ガス又はこれらの類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書)が採択された。この議定書には、毒ガスやこれに類する全ての液体・物質を戦争で使用することは「文明世界の世論によって正当にも非難されている」と明確に示され、未加入の国を勧誘する為にあらゆる努力を払うことも謳われている。多数の国が議定書に調印したが、毒ガスを使われた場合には報復する権利を持つことを条件に調印した国もあり、また、当時アメリカと日本は批准をしなかった(日本の批准は1970年)。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

付記・「毒ガス島」を訪れる

記録1 今日の大久野島


島はあまり大きいといえないが、道路は広く四方八方に通じている。道を歩けばこざっぱりした食堂が見え、整備されたテニス・コートや木製の小さい家などあり、遊びに来た人々の休息の場所なのだろう。私たちが泊まる「大久野島国民休暇村」は、なかは日本式の旅館になっているが、外側は他の豪華なホテルと同じようだ。一階は受付や接客ロビー、食堂、売店などのサービスの空間で、下まで開いたガラス窓も明るい雰囲気を作り出していた。ここに座って、一杯の濃いコーヒーを味わいながら窓外の景色に見とれていると、50年昔の恐怖と罪悪などの歴史など想像もできない。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

謀殺(ぼうさつ)

予防注射を口実に毒殺

 

中島宗一

属官

〈略歴〉

本籍 長野県下伊那郡

出身階級 農民

最終学校名 南信学院2部卒業

学校卒業後の職業 農業

最後の所属 旧竜江省警務庁特務科

被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠


1秒、2秒・・・。私達の眼は注射液の減る量と、彼の顔を激しく見比べていた。注射液はまだ半分も減らない瞬間、「ウーム」重苦しいうめきと共に棒立ちになったと思うと、ぱったりその場に仰向けに倒れた。室外に様子を窺っていた者がどっと駆け寄って来て、私達と共に彼を取り巻き、腕組みして様子を眺めた。「ウーム、ウーム」眼を吊り上げ、口から泡を吹き、呻き始めた。「おい、おい、早く、早く」戸外に呻きの漏れるのを恐れて、荒木があわてて怒鳴った。小林が片足を上げ、泥靴で鼻と口を塞いで踏みつけた。

「ハハハハ、どうやらお陀仏らしいな」

ピクリとも動かなくなったとみると、踏んでいた足を下ろすと、小林はかみしめた歯をむき出した。

吊り上がった眼は半開き、泡と土で汚れた陰惨な形相を見ると、「せっかく早く楽にしてやったのに、なんて恨めしそうな不景気な顔をしていやがるんだろう」そう言ってペッと唾を吐きかけた。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


2021年2月5日 『衛生学校記事』裁判

『衛生学校記事』情報公開裁判が、2月5日あった。
『衛生学校記事』の公開を求める原告は、破棄したことを示す図書原簿の二重線の意味を追及した。

原告は、原簿に二重線を引いても、それは廃棄したことにはならないのではないかと、具体的に事例を挙げた。

防衛省側は、誰が廃棄の指示を出したか、誰が廃棄したのかは、調査しても不明であるとしか答えなかった。

 1957年から2009年まで、発行されていた『衛生学校記事』(途中で名称が変わる)が、なぜきちんと衛生学校は保管していないのか?なぜ大切な物を廃棄する??

 平成17(2005)年までは『衛生学校記事』が、衛生学校にあり、それ以後、自分たちの作成した機関誌を廃棄する理由も特段考えられない。

 何か、隠している『衛生学校記事』を公開するとまずいことでも載っているのだろうか??

 

次回 「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~法廷未定

「衛生学校記事」情報公開裁判 423日(金)14:00~103号法廷




自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究

2)化学兵器関係資料

5 米陸軍化学組織の概要及び活動の1部(別冊第3参照)・・・(20)
a 概要 b 研究開発 c 生産取得
結論」
このあとこのレジメに続く図表と別冊の名称が続く。
「第1表 化学剤
 第2表のⅠ ホスゲンの作用 シアン化素・塩化シアンの作用
 第2表の2 Gガスの作用
 第3表の1 LCT50
 第3表の2 揮発度、凝固点、沸点
 第4表 クラスター形式投下弾及び雨化タンク(欠)
 第5表 生物剤1覧表(欠)
 第1図 CBR用法図表
 第6表 生物剤

別冊第1 化学目標分析と化学火力計画
別冊第2 化学品目の修正された分類及び近代化法
別冊第3 米軍化学関係組織」


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る


その戦略的根拠

 この論法は、生物・化学兵器を戦略兵器として位置付けることになる。ということは、「防衛」という枠を超えて「攻撃能力」を持つ兵器を保有していこうということになり重大な問題をそこに提起することになる。

 「特殊武器防護教範」制定に際して「化学兵器、生物兵器、核兵器という用語を使用しようと考えられていたが、敵の使用するものでも、教範用語としては〈武器〉とすべきであるとの意見によって第3次案以降は、再び化学武器等の用語に返った」(『化学学校記事』)1968年第13号・桶上倫久研究課長「編さん裏話」)という“配慮”をすることと矛盾する論理であるが、こうした「言葉の上での防衛」や論文の随所に頭をもたげてくる攻撃的性格を志向する戦略構想の矛盾が数多くみられるようになってきた。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

続く1946年から47年にかけて、大衆向けの本やニュース記事は、「軍部」や玉座を取り巻く邪悪な連中がそれまで認めてこなかった、「人間天皇」とその家族の私生活の全貌を日本国民に伝えた。これらの記事や、そこに掲載された写真によるイメージ操作は、天皇を非凡な自然科学者、もしくは「哲人」「偉大な御人格」、そして何よりも「国民と共に在られる」「平和愛好の文化人」の典型として描いていた。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国                 署名日      批准日 (締約日)

セーシェル               2018年9月26日

南アフリカ               2017年9月20日  2019年2月25日

セントクリストファー・ネイビス      2019年9月26日        2020年8月9日

セントビンセント・グレナディーン       2017年12月8日       2019年7月31日

スーダン                                    2020年7月22日

 

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!






 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中