2009年5月31日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる。!!



中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  膨大な細菌戦部隊の設立

1、731部隊の編成

平房特別軍事区域にある731部隊の施設は完備し、人員が多く、本部機構、各実験室、特設監獄、専用飛行場、少年隊舎、隊員家族区と教育区、娯楽区などがあり、1941年には、総数3000人に達した。

 「731部隊」編成表(近藤昭ニ氏が作成・提供)
※表に出来ないので大よそを列記します。
●部隊長:石井四郎、北野政次、石井四郎
●総務部:川島清、村上隆、今津綱幹、中留金蔵、太田澄
    ・副官室 
    ・調査課(通訳班、印刷班、撮影班、兵要地誌班、調査班、図書                             室)   
    ・人事課
    ・庶務課(労務室、庶務室、食堂、売店、学校)
    ・企画課
    ・経理課
    ・管理課(建設班、工務班、動力班、電話班)
    ・軍需課
●第1部(基礎研究:田部井和、北川正隆、菊池斎)
    ・第1課(腸チフス)
    ・第2課(コレラ)
    ・第3課(生理・捕虜管理)  吉村寿人(吉村班、宮川班、栗秋班、在田班、石井班、蓬田班、志村班、特別班)
    ・第4課(赤痢)
    ・第5課(ペスト)
    ・第6課(病理)
    ・石川班(病理)
    ・第8課(病毒)
    ・第9課(水棲昆虫)
    ・第10課(血清)
      内海班(血清)

    ・小滝班(結核菌)
    ・第11課(結核)
    ・肥之藤班【脾脱疽(ひだっそ)】
    ・桶渡班
    ・降旗班(ペスト)
    ・金沢班
    ・太田班(脾脱疽)
    ・貴宝院班(天然痘)
●第2部(実践研究:早川正敏、太田澄、村上隆、碇常重)
    ・第1課(庶務、操縦班)
    ・第2課(技術班、気象班、無線班、運輸班)
    ・田中班(昆虫)
    ・篠田班(昆虫)
    ・八木沢班(植物菌)
    ・第5課(安達実験場)
●第3部(防疫給水:今瀬一夫、江口豊潔、増田知貞)
    ・庶務課
    ・第1課(検索)
    ・第2課(毒物検知)
    ・第3課(濾水班、給水班、運輸班、焼成班、工作班)
    ・濾水機(弾筒製造窯)
●第4部(細菌製造:川島清、太田澄)
    ・第1課(培養生産)
    ・第2課(ワクチン?脾脱疽)
    ・第3課(乾燥菌・ワクチン)
    ・第4課(ワクチン)
    ・有田班(腸チフスワクチン)
    ・植村班【ガス壊疽(えそ)・脾脱疽】
●教育部(園田太郎、西俊英)
    ・庶務課
    ・教育課
    ・衛生兵
    ・炊事班
    ・診療所
    ・訓練隊
    ・少年隊
●器材部(大谷章一、紫野金吾)
    ・庶務課
    ・第1課(薬品合成)・・・山口班(細菌弾)・堀口班(ガラス)

    ・第2課(購買補給)
    ・第3課(濾水機)
    ・第4課(倉庫)
    ・第5課(兵器保管)
    ・第6課(動物飼育)
●診療部(永三太郎)
    ・伝染病棟(南棟)
    ・診療室
    ・家族診療室
●憲兵部(乙津一彦、田坂千晴、酒井○○)
    ・保機隊

●牡丹江支隊(通称643)
●林口支隊(通称162)
●孫呉支隊(通称673)
●ハイラル支隊(通称543)
●大連支隊(通称319)

※日本軍の細菌兵器研究で中心となる731部隊は、機構が膨大で、人員が多く、編成人数は3000人。その下には研究と生産担当の8部、4支隊と大連衛生研究所がある。
※名前不詳の場合は○○とする。


●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中山門外の東側郊外一帯での集団虐殺

  王志福(男、61歳)の証言

(昨日の続き)日本軍は人々の群から若くて力の強いのを引きずり出し、着ている物の衿(えり)を引き裂き、手を開かせ、1人1人調べて、許老五、王立順、王志○、施仁喜、張広洞、王老巴子と任小順子など、みんな職人でしたが、一斉に引っ張って行かれ、家でどんなに頼んでも聞かれませんでした!
 それから、日本軍はまた王志標、王志生、王志中、王立江、王志木、王志成、曹応宏、任志才、王立汛、王立景、王立桂、王志龍と私とに、鶏を持たせたり、鍋を担がせたりして、東の方へ行かせたのですが、私はやっと13歳で、日本軍が略奪してきた掛け布団と敷布団とを私の肩に乗っけたので、道々私は押しつぶされそうでふらふら汗をかき通しでした。
 向前に着いて、日本軍が休憩していた時、私が年が小さいと見て、放ち帰らせました。帰ってくる道で、ずっと遠くから陳家窯や徐崗頭や長林郷などの村々から真っ黒い煙がもくもく噴き上がり、家がたくさん焼き払われるのが見えました。私が陳家窯村の前のカササギの尻尾まで行ったら、道の脇に高く盛り上がっている田に、死体が何十とごろごろ転がっているのしか見えませんでした。
 私達は引っ張られて前を走っていて、日本軍は後ろで疑わしいと見たのを対象に機関銃で掃射し、この時だけで私達中国人4,50人が撃ち殺されたのです!
 私達の村の
王志○、許老五、王立順、施仁喜、張広洞、王老巴子と任老順子がここで撃ち殺されたのでした。
 崗下村はその頃全く惨めでした。若い人たちの死体は、見分けのつかないほど崩れていましたし、生きている人は天に叫び地を打ちたたき、嘆き悲しみ慟哭(どうこく)してやみませんでした。王志標と王志生と王志中とは、捕まって行ったきり帰って来ず、便りも杳(よう)としてありませんでした。日本軍が村にやって来て、崗下は災禍に見舞われたのです!(甘家小学校の李家坤が記録)

※○は日本の漢字に見当たらない字
 
         「Imagine9」【合同出版】より



MESSAGE(メッセージ)



環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。

人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。

あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。


ワンガリ・マータイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年5月30日土曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる。!!


中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  膨大な細菌戦部隊の設立

1,平房特別軍事区域

●特別軍事区域への管理を強めるため、平房警備当局は特別軍事区域から周囲1.5キロのすべての道路口に境界札を立てた。

●当時、旅客列車が、ここ特別軍事区域を通過する際、平房駅の前の駅から窓カーテンを下ろし、外をのぞくことを禁止していた。この規定を知らずに外をのぞけば、政治的容疑で直ちに逮捕され、警察署や憲兵隊に送り込まれていた。この状態が続いたので、人々はこの平房駅の前の駅から次の駅までの約60中国里の区間を「60里国境線」と呼んだ。

●平房特別軍事区域内の住民管理は非情に厳しく、満16歳の住民は必ず偽香坊警察署配布の「居住証明書」を所持しなければならない。

●規模が大きな731部隊における労働力問題を解決するため、2000人以上の中国人労働者が雇われ、それには地元労働者と外来労働者がおり、毎日が重労働。特に外来労働者の暮らしは非常に苦しかった。

●軍隊、警察、特務たちの厳しい検査があるので、労働者達が出入りする時は必ず「労務身分証明書」を所持しなくてはならず、持っていなければ殴るなどの暴行を加えられ、ひどい時は政治的容疑で憲兵隊や警察署に送られる。

●箱床・・・刑罰用道具の一つ。体をベルトで木板に縛りつけ、頭を仰向きに箱に入れ、受刑者の口に水を流し込む。この刑罰は労働者から「潅水(かんすい)の刑」と呼ばれた。

●衛兵所が5ヶ所あり、高さ5メートルで、上部は高電圧電線と鉄条網が張られた土塀によって5つの衛兵所がつながっていた。

●731部隊の設備は整い、宿舎、実習室、食堂、倉庫、浴場、講堂と練兵場があり、庭の外には「少年隊」訓練場、馬場、そして「東郷国民学校」、神社などがある。


●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

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   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中山門外の東側郊外一帯での集団虐殺

  王志福(男、61歳)の証言

 それは民国26年冬月のことですが、どんよりと曇った日で、日本の飛行機が南京の上空でぐるぐる旋回している間中、ずっと「ブウーン」といった何とも怪しげで甲高い音を発し、やがて「ドカーン」と爆弾の炸裂した音が聞こえてきました。
 私達の村は崗下と言い、陽山のふもとに位し、その頃は人家が30戸で、ほとんどが田を耕して生業とし、職人も少しいました。日本兵が南京に攻め込んでくる前夜、職人達は南京に留まれず、次々に故郷へ戻って来ました。
 その頃は、どこも安寧ではあり得ませんでした。村の人は親戚や友達を頼って長江の向こうへ渡って行く者あり、栖霞寺に入って難民キャンプの住民となる者ありでしたが、そのほかにはと言えば、家を離れる気にもなれず、終日びくびくしていて、昼間は村外れに人を歩哨に立たせて情報を得、夜は陽山に上がって藪に隠れるのでした。
 はっきり覚えていますが、陰暦の冬月14日の日に、村のお婆さんが知らせに走って帰って来て、「日本軍が小崗子に来ちゃってるよ。焼いて、殺して、強かんして、略奪してと、何でもやってるよ。あんた達早く行きな!」と叫びました。日本軍が西から来ると言うので、私達東へ走ろうとしたところが、松山の囲みからも日本軍の一隊が行く手をさえぎってやって来たので、走るには及ばずとなり、みんな家で縮こまりました。
 日本軍が村に入って来て、村の端にも、村の中にも機関銃を据え付け、鶏はケッコケッコと追い立てられ、お酒の壷は粉々に叩き壊されて、私達みんな村の真ん中に引っ立てられ、日本軍がひとしきり銃を放ち、わらの堆に火を放つと、その日は丁度大風が吹いていて、火が東の端から西の端までなめて行って、家はすっかり焼けてしまうという状態で、誰が火を消しに行かれたでしょうか。(明日に続く)

 
         「Imagine9」【合同出版】より



はじめに


戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
 世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
 日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
 それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
 世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年5月29日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる。!!



中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  膨大な細菌戦部隊の設立

1,平房特別軍事区域

 平房特別軍事区域の敷地面積は120平方キロ、「軍事基地」と4本の防衛ラインからなる。4本の防衛ラインのうち、1本は空中防衛ラインで、残り3本が陸上防衛ラインである。空中防衛ラインは軍用と民用の航空系統に軍令を発し、日本軍機を含む全ての飛行機による無断の上空飛行を禁止し、違反した飛行機が現れれば、731部隊専属の飛行機が直ちに離陸してそれを阻止し、また地上にも高射砲が設置されている。陸上防衛ラインであるが、1本目は長方形で「四方楼(しほうろう)」を囲む土塀(どべい)のことであり、高さ2メートル、長さ5キロ、土塀の上には高電圧電線が張られ、塀の東側に2つ、南、西、北にはそれぞれ1つの出入り口があり、横にいずれも衛兵所がある。2本目は1539号命令に基づき「甲」号地区の外側に張られ、その内側の縁から731部隊の中心地までは2キロから5キロほどあり、ここは特別管理区域となっている。そして3本目は「乙」号地区に張られ、ここでは2階建て以上の建物建造を一切禁止している。この地区の外側には関係者以外立入り禁止の看板が立てられた。

●四方楼・・・4つの建物からなる漢字「口」字【森村誠一著:『続・悪魔の飽食』では、(カタカナの「ロ」の字形をした通称「ロ号棟」と呼ばれる部隊本部建物)とある】のもので、731部隊の細菌兵器の研究、実験及び生産用の中心であり、「四方楼」の中央部は被験者達を収容する2つの特別監獄。

●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  


     
     「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中山門外の東側郊外一帯での集団虐殺

  陳光秀(女、67歳)の証言

私は江寧の湯山鎮許巷村に生まれました。1937年の12月に、日本軍の先頭の部隊が私の住んでいた地の近くから街道沿いに南京へ進んで行きました。農暦の冬月8日に、父親の陳智松が家にいた時に、日本の通信兵が電線の回収をしていて、たまたま父が脱穀場にわらを運んで牛に食べさせようとして、日本軍に撃たれて死んでしまいました。冬月14日に、村に突然いっぱい日本兵が現れました。そのころ村にはみんなで200戸くらいの人家があったのですが、日本兵は村中から100人以上の若い人を、稲を打つ場所に集めて来て、全員に胸を大きく開かせ、銃剣で1人1人刺し殺しました。私の実の弟の陳光東もその中にいました。時大林というのが、日本兵が見て回った時に、まだ死んでいないと分かって、何度も突き刺されました。刺されるたびに、「お母さん!」と叫ぶのが聞こえてくるという、そんな悲惨な死に方でした。思い出すと、ほんとに心がうずきます!それから劉応志と時先の2人は、何度か刺されたのが、急所には達しなくて、後から家の人たちに救い出され、傷口を布で包帯し、しばらくして傷がよくなりました。湖山炭鉱の労働者の崔義財は、機転を利かせて、日本兵が刺しまくっていた時に、その流れに沿ってうまく死体の中に倒れ込み、幸い難を免れたのでした。この当時の生き残り3人も何年か前に世を去りました。
 日本兵は残忍さが習い性となって、焼き払い、殺害し、姦淫し、かすめ奪い、およそやらない悪事は無い状態でした。その頃村にいた艾さんの家の4兄弟が、艾紅来、艾根来、艾義生、艾仁義と4人とも日本兵に捕まって、麻袋を投げ棄てるかのように、生きながらにして殴り殺されたのです。それに何人かよその土地から日本兵に捕まえられてきてクーリーをさせられていた人たちも、後になって日本兵に銃剣で五臓六腑をみんなえぐり出されたのです。近隣の村里にいた方老ニと呼ばれていた人は、日本兵に刀で全く2つに斬られてしまい、半分は大場崗に捨てられ、一方は六畝口に放り投げられたのでした。それから劉さんとこの5番目のが、日本兵に門から突入して来るなり、刀で頭からぶった切られて、半身は門の外に、もう一方は門の内にということになりました。日本兵は殺人のほかに、婦女の強かんもし、蘇仁発の奥さんがその頃40過ぎくらいでしたが、日本兵に私の家のベッドに押さえつけられて強かんされましたし、蘇仁発の家には息子のために幼い時から育ててきた嫁がいて、やっと15,6だったのが、3,4人の日本兵に時魏官の家に引っ張って行かれて輪かんされ、局部が紅くはれ上がり、出血が止まらずに、歩くのも困難でした。
 日本軍が許巷村を血で染めた犯罪行為は、とても忘れられません。私の家は父親と弟が殺された他に、兄嫁が日本軍に見つからないよう、外の大山の上で子どもを産んだために、産後の肥立ちが悪く病気になって、間もなく死んでしまいましたし、母も夫や子どもが殺されたため、塞ぎこんで死にましたから、一家の内私達姉妹3人と甥が2人残っただけでした。(郭立言が記録)
 
         「Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、


日本の憲法9条のこれから。



日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年5月28日木曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知るべきだと思う。今でもその被害者の方々はPTSDに悩んでいる。!!



中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  膨大な細菌戦部隊の設立

1938年6月、日本関東軍の第1539号命令に基づき、「石井部隊」は正式にハルピンから20キロ離れた平房地区に移転し、「満州第731部隊」と改称し、平房地区の120平方キロを特別軍事区域にした。中心地域の敷地面積は6.1平方キロ。この広い特別軍事区では、部隊の定員編成、敷地面積、そして細菌生産量などがいずれも最大限に拡大され、第二次世界大戦では世界最大規模の細菌の生体実験と生産基地になった。

●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

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     「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
 大方巷、鼓楼、虎踞関、陰陽営、古林寺、五台山、三牌楼などの地での集団虐殺

  陳金和(女、76歳)の証言
 1937年の冬月11日に、私達の家族は母と兄と妹と私の4人でしたが、下関の五所村から逃げて山西路の小学校に避難しました。ある日、日本兵の一群が銃を水平にかざして学校に闖入して来て、その頃そこで難を逃れていた私達5、600(五・六百)人を、全部運動場に駆り立てて、男を一方に、女をもう一方に並ばせました。その時私の兄が日本兵に中国兵だと疑われたのですが、後で母が確かに息子だと確認して引き取ったので、釈放されました。そのほかの身元を確認して引き取れる年寄りのいない青年達は、日本軍が中国軍だったとみなして、全部車で引っ張って行きました。みんなで六,7台の車で、500人余りくらいが山西路の後ろの樹林子里の尼姑庵の近くまで引っ張って行かれて、機関銃で射殺され、傷ついてまだ死ななかった者は日本軍にまた銃剣で突っつき殺されました。明くる日私は水のある所へ菜っ葉を洗いに行って、樹林子の近く一面に難にあった人たちの死体が横たわっているのをこの目で見たのです。
 このほかに、その年の冬月のある日、私たち娘4人で一緒に浦口で飴を売るのと黒慈姑(くろぐわい)を煮るのとの商売をしていましたら、日本兵の何人かに見つかり、野獣のように跳びかかって来られて、私一人逃げたのですが、後で分かったことには、ほかの3人は日本軍に強かんされてしまったのでした。(陳平穏が口述により整理)


         「Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、


日本の憲法9条のこれから。



「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年5月27日水曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●南京大虐殺の「この事実を・・・」を日本人は謙虚に読むことは、必要なことではないかと思う。どんな状況が南京で起こっていたのかをもっと日本人は知るべきだと思う。もちろんその被害者の方々もPTSDに悩んでいる!!



中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  中国東北に設立された秘密実験機構

背蔭河(はいいんが)の日本軍細菌工場(中馬城)には被験者となる多くの中国の抗日人士や捕虜が収容されていた。1933年の中秋節にはここで脱獄事件が起こり、王子揚さんをはじめ30数名の収容者が看守の不意をつき行動を始め、停電に乗じて10数人が脱獄に成功した。これらの脱獄者は近くの村民達に助けられ「中馬城」を離れた。これら脱獄者の一部はその後抗日戦争に参加している。この事件があってから、731部隊は平房地区に移された。

●付連挙、男、1918年生まれ。本籍は黒龍江省五常県背蔭河鎮富有村発屯。1933年の夏、付連挙さんは兄付連曾さんと共に脱獄者の足かせを叩き壊し、逃走に協力した。

 
   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

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  南京への道:史実を守る会

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     「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
 大方巷、鼓楼、虎踞関、陰陽営、古林寺、五台山、三牌楼などの地での集団虐殺

  黄碧如(女、82歳)の証言
 1937年には家は鳩子橋泥馬巷46号でした。民国26年の陰暦11月8日に、日本兵が南京に入ってきたのですが、私達はもう莫干路の難民区へ逃げこんでいました。難民区にかかっていたのはアメリカの国旗で、私は25歳でした。ある日の午前9時か10時に、陰陽営の角の近くで、中国の青年が100人か200人縄で一緒にくくられ、何列かに立たされて、それを日本兵が機関銃で掃射しているのを、この目で見ました。後で国際紅十字会の人がこの時遭難した人たちの屍を鼓楼の二条巷一帯に運んで埋めました。○という叔父で、その頃餃子やわら麦の店をやっていたのが、手にたこが出来ていて、頭も剃っていたために、日本兵に中国兵だと言われ、難民区から捕まえられて行き、やはり陰陽営の路上での大虐殺で死んだのですが、難に遭ったのはまだ30歳足らずの時でした。
(陳平穏が口述により整理)  ○は日本語に見当たらない漢字。

        「Imagine9」【合同出版】より



世界は、


9条をえらび始めた。



・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)

・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)

・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)

・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)

・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年5月26日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●南京大虐殺の「この事実を・・・」を日本人は謙虚に読むことは、必要なことではないかと思う。どんな状況が南京で起こっていたのかをもっと日本人は知るべきだと思う。もちろんその被害者の方々もPTSDに悩んでいる!!


中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  中国東北に設立された秘密実験機構


 宮武 剛(編集)
『将軍の遺言ー遠藤三郎日記』より

昭和8年(1933年)の秋、遠藤は石井四郎軍医正の生体実験を視察する。場所はハルビンと吉林の中間、背蔭河という寒村であった。
 【11月16日(木) 快晴
「午前8時半、安達大佐、立花中佐と共に交通中隊内試験場に行き試験の実状を視察す。
第2班、毒ガス、毒液の試験、第1班、電気の試験等にわかれ各○○匪賊2(人)につき実験す。ホスゲンによる5分間のガス室試験のものは肺炎を起こし重体なるも昨日よりなお、生存しあり。青酸15ミリグラム注射のものは約20分間にて意識を失いたり。
 2万ボルト電流による電圧は数回実施せるも死に至らず、最後に注射により殺し第2人目は5000ボルト電流による試験を数回に及ぶも死に至らず。最後に連続数分文の電流通過により焼死せしむ。
 午後1時半の列車にて帰京す。
 夜、塚田大佐と午後11時半まで話し床につきしも安眠し得ず」】
 ホスゲンは塩化カルボニウムの別称、染料やポリ炭酸エステルの合成等に適するが毒ガスにも使われる。青酸カリ(シアン化カリウム)は15ミリグラムがちょうど致死量とされる。
 感情を押し殺すように事務的な表現ー。しかし明け方うなされて起き上がり書き加えたのだろうか、末尾の「安眠し得ず」に遠藤の衝撃がうかがえる。
 遠藤は自著や毎日新聞記者によるインタビュー(昭和56年)などで、この実験の概要は証言している。実験場は醤油工場を改造した木造平屋でハルビン監獄の死刑囚を送り込んでいた。「東郷部隊」と呼ばれ、隊員は日本名を禁止され内地の家族との文通も偽名で関東軍司令部経由。実験場の壁には高圧電線を張りめぐらし、遠藤も感電を避けるため軍刀のつかに外とうを巻き、それで門の扉を押した。
 この部隊こそ「関東軍第731部隊」の前身だった。
 遠藤の上司、岡村寧次参謀副長も「下働きの大部分は石井の郷村(千葉県山武郡)から選抜してきた青年」で「一切の外出禁止」「モルモットの代わりに、どうせ去りゆくものとはいえ本物の人命を使用するのであるから効果の挙るのは当然」(岡村大将資料)と書き残す。
 遠藤は、石井を「精力的によく仕事をする男だった。時には暴走するが」と評した。健康体に食べ物を与え水を与えなかったり、その逆を試しているのを聞き、興味本位の研究なら中止させる、と石井に言い渡したともいう。
 8年暮れには、空路、雪を突いてー。
【12月8日(金) 降雪
 「(略)拉林着、石井及び伊達氏に迎えられ背蔭河の細菌試験所を視察す。600メートル平方の大兵営にして一見、要塞を見るが如く一同の努力の跡、歴然たり。20数万円の経費またやむを得ざりしか(略)」】


 

 
   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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  中帰連

  ハイナンネット
 
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     「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
 大方巷、鼓楼、虎踞関、陰陽営、古林寺、五台山、三牌楼などの地での集団虐殺

  劉鳳英(女、1986年に59歳)の証言

 私は幼い頃に両親が亡くなり、お婆さんが私と兄2人とを面倒見ながら暮らしを立てていて、家は南京市の柳葉街大膠巷でした。兄は2人ともわら麦を造ったりシャオピン(焼餅)を焼いたりする腕がありました。
 日本軍が南京に攻めてきたあの年には、私はもう10歳でした。私達一家4人で、上海路の難民区に引き移り避難しました。日本軍が入って来て何日かして、ある日の晩、日本兵が難民区に捜査にきて、もう眠っていた兄2人を捕まえて行きました。(上の兄は劉光栄で、21歳、下の兄は劉光華で、19歳でした)。2人の手にたこが出来ているから、兵隊だったというのです。一緒に住まっていた難民で9人が捕まって行きました。お婆さんがあきらめられずにぴったりと付いて行ったので、9人が大方巷の外に鉄柵のある家に閉じ込められたのを、見届けました。その日の夜、その辺りから機関銃の音が響いてきて、随分長い時間響いていました。明くる日お婆さんが捜しにその家に行ったら、中はもぬけの殻でした。3日目になって、閉じ込められた人がみんな近くの3つの大きな沼で殺されたとやっと分かりました。沼の辺に行ってみると、沼の中に死体がいっぱいうずたかくなっていて、沼の水が紅く染まっていました。春になる頃に、やっと慈善団体が屍を片付けに出ました。お婆さんは私を連れて見に行きましたが、もう兄2人の屍は見分けられませんでした。
 大虐殺の後、私とお婆さんとは家へ越して住まいました。ある日、柳葉街を歩いていると、真正面から酔っ払った日本軍が1人ゴム輪の人力車に乗っているのに出会いました。日本刀を抜いて斬りかかってきましたが、幸いに私がさっと身をかわしたので、難を逃れたのでした。兄が2人日本軍に殺されてからは、私とお婆さんの暮らしはとっても大変で、親戚の援助に頼ったり物乞いをしたりして過ごしました。16歳の時にお嫁に行ったのです。(許亜州が記録)
       「Imagine9」【合同出版】より




世界は、


9条をえらび始めた。



・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年5月25日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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 昨日は失礼しました。僕のパソコンがインターネットに接続できなかったので(理由は分からない)更新できませんでした。
 ・韓国のノムヒョン前大統領が自殺しましたね!!どんなことをしていたかは僕にはよく分かりませんが、韓国では悪いことをしていたら、大統領経験者でもよく逮捕されるのは驚きです!!陰謀かどうかは分かりませんが?
 日本では、悪いとことしてもうやむやになる場合が特に多くありませんか?特に日本の政治家や皇室の偉い方は!!


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●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●南京大虐殺の「この事実を・・・」を日本人は謙虚に読むことは、必要なことではないかと思う。どんな状況が南京で起こっていたのかをもっと日本人は知るべきだと思う。もちろんその被害者の方々もPTSDに悩んでいる!!



中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  中国東北に設立された秘密実験機構

「9.18事変」以後、日本侵略軍は中国東北に傀儡政権「満州国」を設立し、日本の中国での植民地支配を実施する「国の中の国」とした。この時期は日本の細菌研究も大規模な実験段階に入り、自由に使用できる実験材料ー健康な人間の体を大量に入手するため、彼らは中国東北に秘密の実験機構を設立し、陸軍軍医学校防疫研究室の研究に協力していた。1932年7月から8月にかけて、日本軍は黒龍江省の五常県背蔭河鎮(ごじょうけんはいいんがちん)にて「中馬城」と呼ばれる細菌工場を建て、また1933年8月にハルピン市南崗区の宣化街と文廟街の間に実質上の細菌研究所である「石井部隊」をつくり、表向きは「関東軍防疫給水部」とし、また「加茂部隊」、「東郷部隊」といった別称があったが、これが731部隊の前進である。

 ●関東軍副参謀長の遠藤三郎は普段から日記をつける習慣があった。1933年、石井四郎による細菌実験の成果を調べるため、遠藤三郎は自ら背蔭河の細菌実験工場に赴き、当時の実験過程と試験状況を日記に詳しく記述した。これら日記は戦後日本で発見された。

 宮武 剛(編集)
『将軍の遺言ー遠藤三郎日記』


 

 
   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  


     
     「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
 大方巷、鼓楼、虎踞関、陰陽営、古林寺、五台山、三牌楼などの地での集団虐殺

  唐順山(男、1906年生まれ)の証言

(昨日の続き)女工の1人が、いらない布切れを4枚手にしてはばかりに行ったところ、この男に調べられ日本刀で首を斬り落とされました。金という少年工が、ほんのちょっとこいつの靴を借りてはいただけで、電信柱に縛り付けられ滅多打ちされた上に犬を放たれ噛み殺されました。それに一度、こいつは中国人労働者の1人が自分のシャツを盗んだと言い立てて、その人を電信柱にくくり付け、日本人何人かでその人を標的に石を投げつけて、生きたまま石で撃ち殺し、犬に食わせたのです。これを見て私は、工場では仕事していけなくなり、工場の門のところで私の前からの本業である靴直しをやりました。ある日、8月頃かに、靴を直してもらいにやってきた日本軍の通訳(中国人だった)がたまたま私に、工場内の大きな穴に埋めた中国人には、「楊伯達」に殺害されたのがたくさんいる、と言ったのを聞きました。新たな仇への怒りと前からの恨みとが一気に胸に湧き上がり、自ずと大きな穴へ痛ましく死んだ人のことが想われ、自分の命も今にも失われようとしていることが思われ、「楊伯達」にやられた被服工場労働者の何人かの死に際のすさまじさが目に浮かび・・・して、この殺人をものともしない悪魔を亡き者にして、災難にも死んでいった同胞達の仇を討とう、と私は決心しました。じっとひそかに観察していて、こいつは毎日午後に工場内のあの大きなため池で行水するんだと分かりました。私は自分では泳げないもので、水に強い友達2人(あだ名で「大きい和尚」「小さい和尚」と呼んでいる2人とも私の相弟子)に頼んで手を下してもらい、「楊伯達」を水につけて窒息死させ、縄で石を体に縛り付けて、池の底に沈めてやりました。うまくやってから私達3人とも南京から逃げ出しました。3人別々になってから、私は徐州へ行って靴直しをやり、それから妻と息子を徐州に迎えました。
 その後また将軍の遺言済南へ行って生計の道を図りました。1949年に解放されてから、私達一家はやっと南京に帰ってきました。私は3521工場に入って仕事しました。1976年に隠退し、今はこの市の四条巷康楽村3楼24号に住んでいます。(許亜州が記録)


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世界は、


9条をえらび始めた。



・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)

・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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