2009年2月23日月曜日

1938年 南京 2月23日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月23日
 アメリカ人の仲間が、そろって別れを告げにきた。シュペアリング、韓、それから発電所の中国人が幾人か、汪氏と私を下関まで送ってきてくれた。9時きっかりにジェフリーとウィリアムズの両人がやってきた。2人の力添えで、イギリス砲艦ビーのランチにすんなり乗せてもらえた。2マイルほど上流に停泊しているビー号で、アームストロング海軍少佐とブレイン=ニコルズ一等航海士が感じよく迎えてくれた。ランチを操縦してくれたのは若い将校ピアソン海軍中尉だ。4人目の乗り組み士官はジョイント陸軍軍医中佐。お医者さんが一緒とは願ってもない。風が抜け切っていないので、今ひとつ気分がすぐれないのだ。
 出発直前に、ベイツが、記者会見用のレジュメを持ってきてくれた。どこまでしゃべっていいものか、よく考えなければ。委員会が窮地に立たされるようなことだけは避けたい。

 ビー号の艦内にて
 ビー号は、朝9時に錨を上げた。午後には鎮江を通る。揚子江の夜間航行は禁止されているので、口岸で停泊する。船旅は快適だ。船室、食事、サービス、どれも申し分ない。どうやら中国人の使用人の間で、汪のことがうわさになっているらしい。使用人でないのは一目瞭然だからだ。しかし、我々は沈黙を守った。ビー号の将校たちは、コンパドーレ(中国人実業家)ではないかと思っている。体の具合は少し良くなってきた。
     
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月23日 水曜日
 今朝ラーベ氏が出発した。彼は使用人1人を同伴した。私の知る限りでは、この男が、南京から出ることを許された3人目の中国人だ。
 午後、ある母親が3人の女の子を連れてきて、彼女たちを収容してほしいと懇願した。1人は、12月初旬に農村地域へ行った彼女の娘で、他の2人は農村からきた女の子だった。彼女たちは、農村地域では恐ろしい思いをした、と言っている。女の子は、地面に掘った穴に覆いをかけて隠れなければならなかった。兵士たちは地面を踏んで、地中に空洞があるかどうかを確かめることによって、こうした隠れ場所を見つけようとした。彼女たちの話では、12月12日以来毎日、ほとんどの時間をこうした穴で過ごしたそうだ。
 午後5時から6時までフランシス陳と一緒に漢口路・虎踞関路・広東路(正しくは広州路)経由でキャンパスを巡回した。私たちは、夜を過ごすために安全区へ戻って行く何人かの高齢の男性に出会った。彼らの話では、昼間は金銭の窃盗が続いているそうだ。同じ運命に私たちが遭わないように、陳さんのお金を私のポケットに入れた。虎踞関路では、夜間そこで生活している4人の老人を見かけただけだった。たいていの家は周りには今も板が打ちつけられていた。実際、そこは寂れて消沈した感じだ。若い人はただの1人も見かけないし、正常な活動は何も行われていない。
 朝9時、金陵大学と金陵女子学院の間の街路から2人の少女が走ってきて言うには、兵士が彼女たちの家に入り込んでいるので、逃げてきた、というのだ。ルイスがたまたま車でキャンパスに来ていたので、2人でその家へ行った。兵士たちはすでに立ち去っていたが、彼らの1人は貧しい男から7ドルを奪って立ち去った。
 飛行機が私たちの頭上をあい変らず北西へ飛んで行く。
 キャンパスでは引き続き今も植樹と掃除が行われている。裏手の小山に大きな壕を掘ったが、図書館の北側の小山にも今から壕を掘るところだ。
 程先生、フランシス陳、それに私とで、建物の被害額のほか金陵女子文理学院が必要とする避難民対策費を見積もるつもりだ。被害額は優に2000ドルを超えるものと思う。多くの点で私たちの収容所は運が良かった。ここには主に女性と子どもしか収容していなかったし、また、各自がそれぞれの部屋で炊事をしなくてもよかったのだから。

 「Imagine9」【合同出版】より



おたがいに戦争しないと


約束した世界



地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月22日日曜日

1938年 南京 2月22日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月22日
羅福祥氏は空軍将校だ。本名を汪漢萬といい、軍官道徳修養教会の汪上校とは兄弟だ。汪氏は韓の力添えで上海行きの旅券を手に入れることができたので、私の使用人だといってビー号に乗せるつもりだ。南京陥落以来、わが家に隠れていたが、これでやっと安泰だ。日本機を何機も撃ち落したが、南京が日本軍に占領された時は体の具合を悪くしていた。
 もはや揚子江を渡ることができず、逃げられなかった。支流を泳いでいくとき、友人を一人失い、やっとのことで城壁をよじ登って安全区に入ることができたのだ。
 午前中、私は荷造りにかかりきりだった。「老百姓」たちはあれからまたいくども板を運んできてくれた。きっとどこからかくすねてきたのだろう。建設現場から直接持ってきたのもあり、セメントがついていた。日本大使館から、万通号で荷物を上海へ送る許可がでた。あとは積み込むだけだ。これは韓やアメリカ人の友人たちに頼まなければならない。万通号が南京につく頃には、私がもういないからだ。

 13時
 ローゼン宅で昼食、ミルズ、ベイツ、ヴォートリン、マギー、フォースター、ヒュルター、シャルフェンベルグが同席。


 20時
 ローゼンと水入らずの夕食。ユダヤ人の血を引いているための悩みをいろいろ打ち明けられた。 
 夜10時のラジオニュース。ドイツは満州国を承認した。したがって、トラウトマン大使は国民政府に対して難しい立場に立たされることになった。ラジオではまだそれについて何も言っていなかったが、大使が辞任するのではないかと心配だ。(注・事実トラウトマンはその後しばらくして解任された)。ここにいて本国の事情をうかがい知るのはとても難しい。だが、正しかろうが、間違っていようが、祖国は祖国だ!
     
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月22日 火曜日
 ワシントンの誕生日だが、今日はアメリカ大使館でのレセプションはなかった。
 午前いっぱいと午後の数時間をかけて、上海の教授たちに送る図書を捜し、それらを梱包して大使館へ持って行った。明日イギリス砲艦クリケットが出航する。まさしく倦むことなく、見たところ愚痴を言うこともなく、大使館は、私たちのために幾包みもの図書や食料や郵便物を送ってくれる。事実、ふねが出ると聞くたびに避難民たちはたくさんの手紙を持ってくる。いつになったら中国人が上海へ行けるようになるのか私たちにはわからない。大勢の人が南京からの脱出を切望している。脱出したのはわずか2名だけで、それも大変な額の費用を使ってーある金持ちは1500ドルを支払ってー脱出したと聞いている。
 ローゼン博士宅でのラーベ氏の送別昼食会に出席した。再び正常の生活に戻りつつあるのは何と嬉しいことだろう。ローゼン博士はまさしく忌憚なく日本の役人をー武官であれ文官であれー非難しているが、にもかかわらず、全くおおっぴらに日本製商品を買っている。日本製商品の不買が私の数少ない抗議方法の一つであり、今後も私は買わないだろう。市内にはたくさんの日本人商店が開店しているが、しかし、それらは中国人のための店ではなく、日本人だけのための店だそうだ。
 

 「Imagine9」【合同出版】より



おたがいに戦争しないと


約束した世界



「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
 軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
 このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。

 日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
 NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
 その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
 また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。 



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月21日土曜日

1938年 南京 2月21日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月21日
 私に音楽の才能がないのがかえすがえすも残念だ!マッカラムが私に敬意を表して、「難民合唱曲」を作曲してくれた。歌詞もついている。「朝ご飯に豆が欲しい、昼ご飯にも豆が欲しい・・・・」すんでのところで日本兵に刺し殺されるところだったこの年取った牧師に、こんなユーモアのセンスがあるとは思いもよらなかった。

 16時
 本部で盛大な送別会。中国語と英語で書かれた公式の感謝状を受け取った。この写しはジーメンス中国本社とローゼンにも送られた。いくつかのスピーチに答えた。身に余る称賛の言葉をもらった。 
 アメリカ人も中国人も私のスピーチに感激してくれた。中国人は、中国語に訳させるので是非原稿が欲しいと言ってきた。それからサインも。大きな白い紙を何枚か持ってきて何か書いてほしいとと言う。気のきいた文句が思い浮かばないので弱ってしまったが、青年時代のサイン帳にあった詩節の記憶を頼りにどうにかひねり出した。

 19時
 アメリカ人の友人たちと気の置けない夕食会。続いて夜8時にドイツ、アメリカ、日本大使館員を招いてのパーティー。イギリス大使館のジェフリー氏は来られなかった。夜8時以降は日本の衛兵が外出させないからだ。これについてはもう長いこと抗議してきたが、控えめな人なので断固とした処置をとることができないのだ。ドイツ大使館からはローゼン、シェルフェンベルグ、ヒュルター、アメリカ大使館からはアリソン、エスピー、マクファディエンの各氏が参加した。日本人の手前、スピーチは幾分慎重にと気をつけた。
  
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月21日 月曜日
 聖書クラスの編成が今日から始まった。10時30分から下級中等学校と上級中等学校の女生徒は大礼拝堂で、6年生は南音楽教室で、そして、5年生は理科棟で授業を始めた。・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 今日は人力車に乗った。12月12日以来見かけた人力車としては4台目だ。100台の人力車が登録され、街頭に出ることを許可されたという話も聞いた。雨後の筍のように出現した店は、寧海路、漢口路、上海路からほとんど完全に消えてしまった。それらは、今度は安全区の南側の通りに出現しつつある。ちなみに、「安全区」はもはや存在せず、南京国際救済委員会に組み込まれた。(1)
 午後4時、寧海路五号で行われた、ジョン・ラーベ氏の送別会に出席した。私は第一部に、メリーと程先生は第二部に出席した。あいにく、よもやま話は第二部で行われた。ラーベ氏に対し、そしてまた、南京の気の毒な人々への彼の献身に対し、心からの深い感謝の念が表明された。サールは、他の委員に代わって国際委員会のとしての感謝の念を表明し、委員会全委員の署名入り感謝状が、ラーベ、ドイツ大使館及びジーメンス社に贈られた。彼は例外的なタイプの実業家であり、自分の祖国に好意を寄せる味方を無意識のうちにつくる人間なのだ。
 午後8時、平昌巷三号でラーベのために行われたもう1つの送別会に出席した。福井、田中、安井、その他の日本大使館員が出席していた。スピーチが行われ、ラーベ氏が適切にして謙虚かつ誠実な答辞を述べ、南京の気の毒な人々のためにいっそうの協力を望む旨を述べた。(ローゼン博士は、多分に無理をしなければ日本人に対して礼儀にかなった振る舞いのできない人だが、今夜は日本人から離れてずっとアルコープにいた。)
 (1)2月18日に南京安全区国際委員会は名称を南京国際救済委員会と変更し、ラーベ委員長に替わって金陵神学院のソーンが委員長になった。名称を変更したのは、南京の秩序が安定したことを印象づけたい日本当局の意向と、難民、市民の生活救済に力点を置くようになった委員会側の姿勢もその背景にあった。


 「Imagine9」【合同出版】より


武器をつくったり

売ったりしない世界



世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
 しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
 
 日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
 しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
 私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2009年2月20日金曜日

1938年 南京 2月20日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月20日
 委員会の中国人メンバーが、明日の午後、私のために本部で盛大な送別パーティーを開いてくれることになっている。大至急スピーチの原稿を仕上げなければ。どの人にもそれ相応の賛辞を贈るつもりだ。もちろんアメリカ人も全員招待された。その後、夜8時にアメリカ人は各大使館の人たちのために別個にパーティーを催すことになっている。ことのほかうれしかったのは、日本人も招待されていたことだ。だがそうなると、ローゼンが顔を出すかどうかわからない。「殺人者」とはもう2度と顔を合わせたくない、と言っていたからだ。だが、外交官の身でそう言うのは明らかに言い過ぎだ。それにしても、あの人にはなにかと苦労する。
 
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月20日 日曜日
 素晴らしい春の天気だ。飛行機が飛び続けている。
 メリーは鼓楼での朝の礼拝に出かけたが、私はずっと家にいた。
 正午過ぎまもなく、秦さんという人ー以前、生物学研究所で2ヶ月近く過ごした避難民ーが戻ってきて午後の礼拝に出席した。彼女の坊やが私たちに会いにきたがったのだ。彼女の情報によれば、何人かの娘さんを含め、彼女の家には何家族かが一緒に生活しており、これまでのところ、兵士たちに悩まされたことはないそうだ。私たちは、貸し付け資金の中から15ドルを彼女に貸すことができたが、彼女はそのお金で米や燃料を買った。彼女の夫は上海に骨董店をもっている。私たちは、彼女のことを知っているようにすべての避難民のことも知っていればよいのだが。彼女は親切で感謝の念の強い人だ。彼女の情報によれば、近所に住んでいる多くの難民は、私たちのキャンパスにいた避難民であり、もし私たちが時間をつくって訪問できるのであれば、扉は大きく開かれて私たちを迎えてくれるだろう、というのだ。
 今日は4時30分からの英語による礼拝を担当した。・・・・・・
 夕食をとるために3号にずっといた。G.フィッチは出かけてしまったが、ブレイディ博士がやってくることになっている。電気はきているが、雑音がとてもひどくて、放送を聞き取ることができなかった。

「Imagine9」【合同出版】より


武器をつくったり

売ったりしない世界



「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月19日木曜日

1938年 南京 2月19日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月19日
 イギリス大使館から連絡があり、2月23日に砲艦ビーに乗せてくれるという。ありがたく受けることにした。ジェフリー氏は、私の荷物を万通号で送れるよう頼んでくれるそうだ。全部で53箱ある。どっちみち家具は当面ここに残していかなければならない。箱が足りないので梱包もしていない。

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月19日 土曜日
 素晴らしい天気だった。春の小鳥たちが戻ってきて、私たちを悲しい気持ちにする。一年前の喜びと私たちの仕事のことを思い出すからだ。文科棟では避難民何人かが大掃除をしている。その棟の玄関の、ガラスに囲まれたスペースで生活してきた若い女性も、そこから移動しつつある。文科棟、理科棟および中央棟のホールには今は人はいない。そこにいた人たちが部屋に移ったのだ。どのくらいの避難民がまだ残っているのか、本当のところはわからないが、およそ3000人だと思う。多くの避難民は昼間は家に帰り、夜間は戻ってくる。錠前や締め金具やついたてがひどい目に遭っているというわけだ。
 耳を澄ます。警報のサイレンが聞こえる。私たちにはその意味がわからない。最近は防空演習もある。昨日は飛行船が長江上空を飛んでいた。
 私が主宰することになっている明日午後の礼拝の準備に午前と午後のひとときを費やした。堅苦しい勉強に取り掛かるのは楽ではない。
 ジョン・マギーがお茶にやってきて、栖霞山の難民収容所に出かけていたことを報告した。その間ずっと2人のデンマーク人がそこに滞在し、およそ1万人の農村難民のために素晴らしい仕事をしていたそうだ。フォースター氏は、白下路の聖公会センターに転居することになっている。南京で活動していたすべての伝道団の欧米人牧師や中国人牧師がそれぞれの教会に戻ってくるとしたら、それは素晴らしいことなのだが。それぞれのセンターは、安全と慰安と教育を与える避難所となるだろう。ミルズとマッカラムは一般業務にかかりきりになっているため、教会の仕事に復帰することができない。(教会の伝道に対して市民の)扉と心はいまや広く開かれている。
 今日私たちは努力の結果を目にした。中央棟の西側の小山に屎尿用の穴が新たに掘られ、これまでに投棄された排泄物がその穴に埋められた。清潔にしておくのは大変な仕事だ。そこの臭気はひどいものだった。たとえ盗まなければならないとしても、どこかで石灰を手に入れてこなければならない。そうでもしないと、陽気が暖かになったら伝染病が流行しかねない。
 男の労働者は大部分が南京から立ち退いてしまったので、適当な労働者を見つけるのは不可能だ。


「Imagine9」【合同出版】より


軍隊のお金を

みんなの暮らしのために使う世界



世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。

●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。


 こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
 国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2009年2月18日水曜日

1938年 南京 2月18日

2001年1月に放映されたNHKのETV特集では元兵士の性暴力についての証言があるはずでした。ところが実際に放映された番組にはそれがありませんでした。中川昭一・安倍晋三という自民党極右議員がその番組に政治的圧力を加えたとのことです。今回、その中川氏が自らの失態によって財務大臣を辞任されたことは日本の政治にとってとても良い事だと思います!!詳しく知りたい人はこちらをどうぞ!!中帰連
「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
2月18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月18日
 委員会会議。「緑豆問題」はすっかり片がついた。
 ミルズを副代表ないし私の代理に、という案が受け入れられた。まだあと2ヶ月ほど私は代表を務めるが、2ヶ月たって南京に戻ってこなかった場合、規定どおりミルズがあとを継ぐことになる。南京安全区国際委員会の名称を南京国際救済委員会に変更することになった。フィッチがアメリカに帰るので、ソーンが後任になった。もうしばらくの間スマイスには事務局長のほかに財務委員も兼任してもらうが、いずれ免除することになっている。
 私は今後も南京の国際赤十字の委員会のメンバーにとどまることにした。
 福田書記官が本部に訪ねてきた。上海行きが最終的に許可されたという。手伝いの者を一人連れていってもいいといわれたことについては知らなかった。念のためもう一度問い合わせると言っていた。多分オフィス・ボーイの蔡を連れて行くことになるだろう。
 
 
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月18日 金曜日
 晴れ渡った春の一日だった。たくさんの爆撃機が北西へ飛んで行った。諸都市が破壊され、兵士たちが爆撃されていることを思うと気持ちが重くなる。
 今日は、来週から始めることになっている聖書クラスについての相談に何時間か費やした。・・・・・

 メリーは肝油とミルクを飲むよう奨励するため、朝の時間を使って難民収容所へ出かける。(安全区国際)委員会には、分配する肝油とミルクが大量にあるのだ。程先生がキャンパスでの配給の責任者になり、3人の避難民女性に手伝ってもらっている。
 今日は日本人の訪問者は誰もいなかった。
 リッチー氏は、予定通りに今日上海へ発つことはできなかったが、明日は出かけたいと思っている。フィッチも明日出かけるつもりでいる。大使館が、彼らに一度は出した許可を取り消さなければならなかったらしい。
 ある女性が、ここに避難している娘に会いに農村地域からやってきた。彼女の情報によれば、昨日彼女の近所の家々から慰安のための婦人が大勢連れ去られたそうだ。男性たちを安全区から出て行かせるために、より強力な方法が明日取られることになっているそうだ。赤十字会の粥場の閉鎖によって餓死するおそれがあれば別だが、そうでなければ、女性たちがキャンパスからの立ち退きを強制されるのかどうかは疑問だ。
     
「Imagine9」【合同出版】より



軍隊のお金を


みんなの暮らしのために使う世界



 1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
 世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
 その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。

 世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月17日火曜日

1938年 南京 2月17日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月17日
 郵便局長の李奇氏は日本人と一緒に郵便業務を再開しようとしている。だが、今までこの人が成功したためしはない。
ヴォートリンさんのお別れパーティーはとてもいい雰囲気だった。ベイツとフィッチの他、李奇、アリソン、ローゼンが招かれていた。ごちそうがたくさんあったが、いざ帰るときになってつらい思いをした。!
 この大学にいる難民は女性ばかりで、今ではおよそ3000人ほどになっていた。その人たちが戸口に群がって、私たちを見殺しにしないで下さい、南京を離れないと約束してくださいと口々に訴えたのだ。帰ろうとするといっせいにひざまずき、泣き、文字通り私の服にしがみついて離れなかった。
 ようやくのことで門までたどり着いたが、外に出た途端に門が閉められてしまったため、車を置いていかざるをえず、歩いて帰らなければならなかった。こんな風にいうと、随分大げさに聞こえるかもしれない。だが、ここで共にあの悲惨な状況を見た人なら、我々がこの人たちに与えたものがどれほど大きな意味を持つかがわかるだろう。これらはみな当たり前のことであって、英雄的な行為などではない。
 

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月17日 木曜日
今日は春だ。さかんに飛行機が飛んでいる。対空射撃の演習だ。あのおぞましい12月17日の記念日だ。
 裏のキャンパスをきれいにしようと、李さんと一緒に再び巡回している。中央棟裏手の西南の隅はひどい状態だ。しかし、ソーンは、多くの収容所に比べればここのほうがきれいだ、と言っている。304号室では本格的な大掃除が行われた。女性たちは寝具をすべて外に出し、窓や床の掃除をした。私は、これが次々に広まることを期待している。
 午後早くに将校2名と兵士1名が、多分視察のためにやってきた。来訪者にはすべて、陰険かつよこしまな動機があるのではないかとつい考えてしまう。
 午前中、会計処理に2時間ほど費やした。・・・・・
 現在の状況の下では決して容易なことではないが、午後、メリーと私はラーベ氏の送別ティーパーティーを催した。お客はラーベ氏、ローゼン博士、アリソン氏、ジョージ・フィッチ、リッチー氏、それにサールだった。程先生が私たちを手伝ってくれた。サラダを出し、、私たちとしては初めてのチョコレートの箱を開け、オレンジを食べた。ケーキはまずくはなかった。フルーツの代わりにエスターのひき肉を使って作ったフルーツケーキ風のものだ。南京では中国人の店はまだ一軒も開いていないので、自分の家か格別に親しい友人の家の、空になりかけている食料貯蔵庫の食品にメニューを合わせるようにしなければならない。
 アリソン氏には日本人護衛兵がついていたので、私たちは、彼に先に退出するよう勧めた。というのも、程先生が聞いたところでは、女性の避難民たちがラーベ氏に会って、彼に是非一緒にいてくれるよう頼みたいと言っていたからだ。理科棟の前に来た時に私たちの目に入った光景は思いがけないものだった。そこには2000人ないし3000人の女性が待っていて、ラーベ氏が近づくと、全員がひざまずき、涙を流して哀願し始めた。彼が二言三言しゃべったあと、メリーが彼を裏道から立ち去らせた。私は、ローゼン博士とリッチー氏が退出できるように女性たちを立ち去らせようとしたが、それは難儀なことだった。メリーが再び彼女たちを外に連れ出したが、一方、私のほうは彼女たちの注意をそらし、中庭の向こう側に彼女たちを誘導しようとした。かなりの時間が経ってから私たちはやっと車を校門の外に出すことができた。本来なら、そのころにはローゼン博士とリッチー氏は、彼らの家にかなり近いところまで行っていたに違いない。
 リッチー氏は明日車で上海に行く。彼の報告では、多分、中国側の管理の下に郵便局がまもなく開設されるそうだ。

     
「Imagine9」【合同出版】より



9条をつかって、

  
戦争のない世界をつくる。



 中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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