2009年2月4日水曜日

1938年 南京 2月4日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月4日
今日は見張りに出なければ。うちの収容所と、裏のドイツ人学校、表の中学校の三ヶ所に目を光らせるのだ。それぞれ、ドイツ人学校には600人、中学校には5000人の難民がいる。日本軍に力ずくで入ってこられれば歯が立たない。だが、せめてこの目でしかと見届けることはできる。そうすれば、世界中の人に伝えることができるのだ。
 恐れていた2月4日が過ぎた。何も起こらなかった。日本軍に不愉快な目にあわせられることもなかった。今日は、正月の最終日だ。雨や雪もなんのその、人々は庭で爆竹を鳴らしてにこにこしている。貧しい人というものは、こんなにも欲のないものなのだ。殴り殺されさえしなければ、もうそれで満足なのだ。
 フィッチが、昨晩再び上海ラジオにでた。今回も日本に対して好意的なことを言っていたが、それは、1月28日から31日の間に強姦などの事件がさらに増えたことを知らないからだ。もし知っていたらああいう言い方はしなかったろう。なにしろ今までで一番ひどかった12月の数日間より多かったのだから。
 それはそうと、日記帳は無事届いただろうか?ドーラはなんとも言ってこないが。本社からも音沙汰がない。3月の初めまでここにいてもいいのだろうか?

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月4日  金曜日  
 気の毒な女性たちにとって今日は恐怖の日だ。彼女たちがそれぞれの家に帰ることになっている日なのだ。この日がどんな結果を産むのか、私たちにはわからない。私たちとしては、無理やりに人々を帰宅させるつもりはない。彼女たちが責任を負わされることになる。
 午前中、5人の若い女性が聖経師資培訓学校(聖書講師養成学校)からやってきて、きのうそこの収容所が閉鎖されたこと、彼女たちがそれぞれの家に帰ったこと、夜間、兵士たちが侵入してきたこと、彼女たちが家の塀をよじ登って聖経師資培訓学校に逃げ戻ったことを話した。彼女たちはここに来たがっている。私たちとしては、彼女たちを受け入れたら避難民が殺到することになろうし、その場合には、いまなおここにいる4000人ないしそれ以上の避難民にいっそうの危険がもたらされるのではないかと心配だ。このあと私たちは、彼らを受け入れることを決めた。よその収容所を出て帰宅した若い女性たちが、このあと数日たって、自宅にずっといることはできないと思ったら、私たちは彼女を受け入れ、その結果について責任を負わなければならないだろう。
 10時と12時30分に憲兵2人がやってきて、いくつかの棟を査察した。彼らは、別状がないかを確かめにきた、と言った。もっとも彼らには、多分それ以外の目的があったようだが。私たちは、避難民は1万人いたが、今残っているのは4000人だけで、多くの避難民はすでに帰宅した、と説明した。避難民の中には、上海、無錫、その他の出身で、交通機関が開通しなければ帰宅できないものがいるし、一家の稼ぎ手である息子や夫が連れ去られ、生活手段のない者もいること、さらには、家を焼かれてしまい、帰るべきところのない者もいることも説明しようとした。
 3時に大使館の警官二名と中国人一名がやってきて、避難民の帰宅計画について彼らに説明したいので全員を集めてもらいたい、と言った。私たちは、理科棟にいる避難民を大講義室に集めた上で、そのグループを手はじめに一棟ずつ説明していくことを提案した。彼らはこの案に賛成したが、しかし、最初の棟だけで説明をやめてしまった。避難民女性たちの理解を得るのは容易なことではない。要点は次の3点だ。
1、全員が帰宅しなければならない。憲兵、普通警察および特別地区維持会(南京には4つの特別地区がある)の関係団体(自治委員会の組織)が彼女たちを保護してくれる。
2、夫が連行されたり、家屋が焼かれたりした場合、もしくは極貧である場合には当該特別地区の関係団体に申し出ること。
3、今後は安全区に対する保護措置はとらない。4つの特別地区のみが保護される。家財を安全区に持ち帰ってはならない。
 その中国人はわざわざ居残るようにして、若い女性は安全ではないから、引き続きキャンパスに留まらせるほうがよい、と小声で助言してくれた。
 午後5時30分、救援計画について相談するためプラマーがやってきて、どこの収容所でも強制退去は行われていない旨を述べた。午後5時、若い女性200人ほどがやってきて頭を地面にすりつけ、ここにいさせてくれと懇願した。私たちは、彼女たちを強制的に帰宅させることは考えていなかった。このあとプラマーが立ち去る時、彼女たちは彼の車の前で涙を流し、頭を地面にすりつけて要請行動を行った。気の毒な人たちだ。


「Imagine9」【合同出版】より



はじめに

 戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
 世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
 日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
 それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
 世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月3日火曜日

1938年 南京 2月3日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月3日
 収容所ではどこもかしこも似たような光景が繰り広げられている。うちの庭でも、70人もの女の人がひざまずいて、頭を地面にこすりつけながら泣き叫んでいる。なんという哀れな姿だろう・・・・胸がふさがる。みな、ここから出て行きたくないのだ。日本兵が怖いのだ。強姦されはしないかとおびえている。しごく最もな話だ。私はくり返し訴えられた。
「あなたは、私たちの父であり、母です。これまで私たちを守ってくださいました。お願いです、どうか見捨てないで!最後まで守ってください。辱められ、死ななくてはならないというのなら、ここで死なせてください!」
 胸がつぶれるようだ。その気持ちはいたいほどわかる。だから私はここに残ってもいいと言った。結局年寄りが何人か出て行っただけだった。
 日高氏の言葉は本当だろうか。日本軍は暴力を用いることはないといっていたが。だが今までさんざん煮え湯を飲まされてきたので、少々のことでは驚かないだけの覚悟はある。明日、委員会のメンバーはそれぞれ警戒を怠らないだろう。我々はいい加減腹に据えかねている。日本当局はやつらを「ならずもの」とか呼んでいるそうだが、聞いて呆れる。こっちじゃ「人殺し部隊」といってるんだ。そういう輩が今度は正々堂々と収容所へ入ってくるとなれば、ただじゃすまないだろう。
 今しがた張から聞いたのだが、私たちがかつて住んでいた家の近く、通りを入ったすぐのところの小さな家で人が殺されたそうだ。17人の家族のうち、6人が殺されたという。娘たちをかばって家の前で日本兵にすがりついたからだ。年寄りが撃ち殺されたあと、娘たちが連れ去られて強姦された。結局女の子が一人だけ残され、みかねた近所の人が引き取った。
 局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を超えた人さえ、何度も暴行されているのだ。
 日高氏に手紙を書いて、難民を力ずくで追い出すことはないという先日の約束を文書にしてくれるよう、また、その件について軍当局と是非もう一度話し合ってくれるよう頼んだ。

 江南セメント工場のシンバーグさんが、ギュンターさんの報告を届けてくれた。これを見ると、南京だけが日本兵に苦しめられているいるのではないことがわかる。強姦、殺人、撲殺。同じような報告が、四方八方から入ってくる。日本中の犯罪者が軍服を着て南京に勢揃いしたのかといいたくなる。
 ローゼンの内密の情報に間違いがなければ、私の勲章のコレクションは、近々もう一つ増えることになりそうだ。ドイツの赤十字勲章の候補になっているらしい。クレーガーやシュペアリングもそうだと言うし、私もじたばたせずに、成り行きに任せることにしよう。
 注・トラウトマン大使は、この3人を赤十字勲功十字章受章者に推薦した。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月3日 木曜日
 ひっきりなしに雪が降っている。とても寒い。一棟当たりでおそらく900人以上いる二つの研究棟を除くすべての棟の避難民登録を終了した。乳幼児や病気の子どもたちに肝油と粉ミルクを配給する方法についての相談で、ルイス・スマイスが午前、そして午後にも電話をかけてきた。彼は、安全区委員会としては、収容所を管理している私たち全員に対し、避難民が帰宅する期日である明日はそれぞれの部署についているよう要望していることも伝えた。
 自分たちの家に帰らされるとは、住民にしてみれば何と恐ろしい決定だろう。帰宅すれば物品を強奪されたり、銃剣で刺されたりするだけでなく、強姦されるというきわめて重大な危険に依然としてさらされているのだ。きょうは、私たちの力の一部は、比較的年齢の高い女性にたいし、たとえ危険を冒しても帰宅するよう促すことに費やされた。若い女性たちがここに安全に留まっていられるようにするためである。
 かつて神学院の女子寄宿舎の舎監をしていた李さんが、神学院収容所の若い女性たちの要請をを受けてやってきた。彼女たちは、そこの収容所が閉鎖された場合、ここに来たがっている。若い女性は全員を私たちが船で上海に連れて行ってくれるという根も葉もない話を聞いたからだ。・・・・・


 今夜は目が充血して痛いが、程先生が手当てをし、眼帯をしてくれた。私は、4人の盲目の避難民女子に対し、これまでにもまして同情を覚えている。彼女たちは、どのようにしてあれほど快活になれるのだろうか。


「Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。



 日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年2月2日月曜日

1938年 南京 2月2日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月2日
 韓の調べによると、うちの難民は600人を超え、世帯数は135だと言う。そのうち、24家族は家を焼かれ、帰る所がない。昨日、泣きながら出て行った人もいた。誰も日本軍を信頼していない。当たり前だ。2つの収容所の報告から、まだ安全でないことがよくわかった。
 昨日、本間少将到着。南京の混乱を鎮めるため、日本政府から全権を与えられているそうだ。ここには2日しかいないというが、それで足りるのだろうか。ローゼンは、1月30日付けの私の手紙をもとに、難民がどんなに困っているかを詳しく説明した結果、あまり本間には期待できないだろうという意見だ。
 今日、上海日本大使館の日高信六郎参事官と、ローゼン宅で昼食。我々が記録した日本兵の暴行はこの3日間だけでなんと88件もある。これはこの種のものとしては、今までで一番ひどかった12月を上回っている。報告書を渡すと、日高氏は全く困ったものだとつぶやいて、部隊が交代するときには往々にしてこういう事件が起きがちだと言い訳した。
「前の部隊は評判が悪く、1月28日に離任させられたんですが、撤退前にもう一度けしからぬ振る舞いに及んだという話です」
 この手の逃げ口上は先刻承知だ。けれども我々は、いま報告されている強姦などの事件が実は新しい部隊のしわざだという証拠をつかんでいる。難民が2月4日に力ずくで追い立てられるというのは本当かと聞くと、自分が知る限りでは、絶対にそんなことはないと日高氏は言った。「それに、2月4日以前に収容所を出れば、元の家に戻るにあたって多少補償があるはずです。つまり、家が焼けている場合は別の家を与えられることになっています。今までにもう、8万人以上が戻るといってきましたよ」
 私は念を押した。「近いうちに我々も収容所を解散したいと考えています。ですからなおのこと、いくども難民に家に帰るようすすめました。けれどもそのために、一にも二にも安全であることが条件になります」
 日高氏は、強制執行しないということは中国人には黙っていてくれといった。すんなりいかないと困るというのだ。私は約束した。・・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月2日 水曜日
 今朝は薄暗くて寒い朝だったが、たくさんの飛行機が西北部に死と損壊をもたらした。
 アーネスト・フォスター、ジェームズ・マッカラムと一緒に10時、最初に城南にあるキリスト教伝道館へ、そのあとアメリカ教会伝道本部へ行った。インディアナビルディングは、外側はそれほどひどく損壊していなかったが、とくに最上階の部屋は徹底的な略奪をこうむっていた。西地区の校舎は焼け落ちていた。中華路では、最高級の建物の80パーセントが焼けてしまったようだった。キリスト教青年会は、真っ先に焼かれた建物の一つだった。日本軍入城直後の数日間、火災はそれほど多くなかったが、1週間と経たないうちに、計画的に略奪した上で放火するという方針がとられ、何日間もそれが続けられた。結果は、今朝私が見たとおりだ。撤退するさいに中国軍は、金銭を奪う以外はほとんど略奪を働かなかった。全く奇妙な話だが、私たちとしては、こんなことになるとは思ってもみなかった。私たちの多くは、(日本軍の)長期にわたる包囲攻撃と、中国軍兵士による略奪を恐れていた。いやむしろ、日本軍はきわめてよく訓練されているから略奪や放火はしないと確信していた。アメリカ教会伝道本部も、ほぼ同じような状態だった。伝道施設はアメリカ側と日本側の声明によって十分に保護されていたはずであるにもかかわらず、徹底的な略奪をこうむっていた。学校はほとんどの部分が爆弾で破壊されていたが、教会はそれほどひどい損害を受けていなかった。
 太平路では商店がほとんど軒並み焼かれてしまった。徹底的な略奪の証拠を隠蔽するためだ。軍のトラックが略奪品を運び出した。後日、かりに日本人実業家が南京市に居住しようとしても、必要な建物を建てるには巨額な資金がいるだろう。商店は、日本人が開設した少数の店以外は一軒も残っていなかった。
 上海からついさっき帰ってきた福田氏に会うため、11時15分、日本大使館へ行った。彼は、私が提供した、658人の行方不明者ー私たちの収容所にいる避難民女性の夫や息子ーの資料を受け取った。大多数の者は12月16日に連行された。福田氏は、できることはするつもりだ、と言ってくれたが、私は、それは誠実な言葉だったと思う。というのも、夫のいなくなったそうした女性たちが社会に頼っていることを彼は認識していたからだ。だが、そのような社会など存在しないのだ。すべての避難民に帰宅を強制する命令が出されていることについて彼に手短に話し、また、最近三日間に発生した何件かの強姦のことを伝えた。彼は、もっと多くの事実を知りたい、と言った。この訪問のあと私は紅卍字会本部へ行き、キャンパスの西隣に放置された死体ーとりわけ、二つの池の岸に放置された焼け焦げ死体のことを伝えた。(南京)占拠以来、紅卍字会は1000体を超える死体を棺に納めてきたのだ。
 3時から5時30分まで執務室にいた。といっても、仕事をするためではない。数人の女性がやってきて、彼女たちのこうむった悲劇的事件ー信じがたいほど残酷残忍に思われる事件ーについて語った。いつかそのうち、日本の女性たちにこうした何とも悲しい話を知ってもらいたいものだ。・・・・・・
・・・・・・・・
 明日午後の集会の参加券を郭江(音訳)と私が配っていたら、若い女性たちが、2月4日に強制的に帰宅させられることのないよう、精一杯努力してほしい、と哀願した。彼女たちは、退去を強制されるくらいならキャンパスで餓死したい、と言った。


Imagine9」【合同出版】より



考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。



「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年2月1日日曜日

1938年 南京 2月1日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月1日
 ラウテンシュラーガー氏あてに祝電を打つ件だが、ローゼンが反対したので電報は見合わせた。波風をたてたくない。ヒトラー全権掌握五周年記念祝賀会へ電報を打とうとしたのだが、ユダヤ人の血を引くローゼンは招かれていなかったからだ。だから、南京のドイツ人がみな祝ったとは言えない。
 右を向いても左を向いても、聞こえてくるのは中国人の嘆きばかり。家に帰ったはいいが、妻や娘が強姦されたというのだ。結局あとからあとから安全区へ舞い戻ってきた。また受け入れてやるよりほかない。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月1日 火曜日
かなりよく晴れた暖かな一日だった。またまた飛行機が飛んでいる。大型機が北西方向に飛んでいる。今日は飛行船も飛んでいる。浦口付近上空だ。どういうわけでこんなに近いところを飛ぶのか合点がいかない。
 今朝9時から避難民のいる6つの建物で女子学院独自の避難民登録を始めた。というのも、避難民が家へ帰る前に彼らそれぞれの家庭についてもっと詳しいことを知りたいからだ。この作業を手伝ってくれる人がどの建物にもそれぞれ2人いる。作業を終了するには2日かかるだろう。王さんとフランシス陳が難民収容所所長会議に出かけた。私の代わりに王さんが出席するのが一番よさそうに思われた。その会議では、避難民をそれぞれの家に帰らせるという重要な問題について話し合うことになっているからだ。会議の大部分を通じ、家に帰ろうとした人々に対する暴行の報告が相次いだ。若い女性たちはどうすれば家へ帰れるのか、見当がつかない。それに、なぜ軍の責任者たちが彼女たちを帰宅させたがるのかも、私には理解できない。なぜなら、そんなことをすれば、たぶん、虐待や陵辱の話がいちじるしく増えるだろうからだ。会議の出席者たちは、軍の高官が参加するのだから、帰宅の期日を延期してもらうことはたぶん可能だと考えていた。
 ちょうど正午前、ある女性(39歳)が6時30分(ママ)に、彼女の悩みについて相談しにやってきた。今朝のことだが、彼女は、彼女と同じ家で働いている男性に、多分、家の品物が残っているだろうから、それを取りに(いっしょに)行ってくれ説得した。彼女は5人の兵士に捕まって強姦され、男は平手打ちされた上に9ドルを奪い取られた。彼女の夫は12月27日に拉致され、まだ戻ってきていない。この女性が私の執務室から立ち去ったすぐあと、57歳の別の女性が入ってきた。彼女と彼女の夫は日曜日に帰宅したのだが、夫が家から無理やり追い出されたあと、2人の兵士が彼女を陵辱した。女性たちは、自分から進んでこういった話はしない。そうしたことの恥辱をあまりにも深刻に感じているからだ。若い女性に家へ帰るようにと、どうして言えようか。キャンパスの端から端へと歩いて行くたびに、いつものように今日もまた一団の女性が集まってきて、キャンパスにずっといられるように取り計らってほしいと懇願した。彼女たちのことを思うと、何と心が痛むことか。
 今朝、ジョン・マギーに車を貸してもらい、メリーと程先生がクリスチアナ蔡の家に2人の老人を連れて行った。彼らが、その古びた立派な邸宅の残存部分を被害から守ることができるかどうか確かめるためだ。その家はすでに、ひどい略奪をこうむったあとだったが、比較的にずっしりしたマホガニーの家具が何点か邸内に残されていた。1時30分、ブランチ呉と一緒に、市の東部にある国立中央研究院へ出かけた。そこは、何と気を滅入らせる光景だったろう。いたるところで住宅や店舗はすっかり焼き払われ、略奪をこうむっていた。あたりには兵士以外はほとんど誰一人見かけなかった。研究院では主要な建物のうち3棟焼かれてしまい、目にしたのは、長年の努力の結実である立派な植物標本の焼け焦げた残骸だった。生物学研究棟は略奪を受けていたが、しかし、焼けてはいなかった。私たちは平(音訳)博士の研究室に行き、残されていた研究資料らしいものを集めようとした。私たちは、年輩の信頼できる人を何人かそこへ出向かせ、管理人として、残された資料を保全してもらうつもりだ。私たちが帰ってくると、そのあと程先生とメリーが再び出かけて行った。今度はメリー陳の家だ。何たる光景であろう。あらゆる物が略奪され、損壊されていたのだ。長い歴史をもつ南京で何が春まで残るのだろうか。・・・・・・・・・


「Imagine9」【合同出版】より



世界は、

9条をえらび始めた。


・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)

・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)

・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)

・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)

・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月31日土曜日

1938年 南京 1月31日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月31日
 中国の新年。使用人や従業員の祝日だ。難民が庭できちんと整列して、3度お辞儀をしてくれた。中には若い娘さんもたくさんいる。おかげで守られ、救われたと言って、誰もが感謝してくれるが、あいにくまだことは片付いていない。難民たちから縦横3×2メートルの大きな赤い絹の布を渡された。何か中国語で書いてある。感謝状ではないだろうか。
 張に渡すと、応接間にうやうやしく張りめぐらしたのでぎょっとした。中国人の客が何人か、神妙な顔つきでその前に立ち、中の一人が英語に訳してくれた。
「ラーベさんはあまたの人間にとって生ける仏です」
 ちゃんと聞いていたわけではないが、こんな風なことを言っていた。これではいくらなんでも誉めすぎだ。・・・・・・・・・


 あなたは仏様のような慈悲と勇気をお持ちです
 あなたは幾千もの寄る辺なき民をお救い下さいました
 どうか天の恵みが授けられますように
 あなたに幸福と神の祝福が訪れますように
           収容所難民一同

 こんな深刻な時代でさえなかったら、この感動的な献辞は笑い飛ばしたいところだ。 
 まだ「市長職」を退いてさえいないうちから、生き仏にされるとは!そんなことはともかく、爆竹のにぎやかな伴奏つきのこの贈り物をうかうか喜んではいられない。2月4日が、この人たちがここから追い出される日が、すぐそこまで来ているのだから。それでも私はドイツ国旗を見せれば最悪の事態は避けられるのではないか、という希望を捨てきれないでいる。
 神よ、神はどこにおいでになるのですか!果てしない日本人との闘いに、くじけてしまいそうです!


 今、張が知らせてきた。うちの収容所にいる24歳の娘さんが暴行されたのだ。今日の午前11時。場所は広州路46号。元住んでいた家だ。叔父が日本軍の指示で家に戻ったので、昼食の支度をしに行った矢先の出来事だった。銃剣を手にした兵に、命が惜しければ体を許せと迫られたという。
 6週間もの間、わが家の前にうち捨てられていた中国兵の死体が、ようやく埋葬されたと聞いて、胸のつかえがおりた。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月31日 月曜日
 邪悪な精神を追い払い、幸運の新年を迎え入れる力を爆竹が持っているとすれば、くる年は、間違いなく、大いなる幸福と恵みの年となるだろう。早朝、まだ明るくならないうちから爆竹が鳴り始めた。一発ずつではなく、騒々しくめったやたらに炸裂し、その音はほぼ午前中ずっと続いた。・・・・・
・・・「新年が平和な年になりますように」と、深い意味を込めて挨拶したらよいのではないかと思った。
 午後、女性と子どもたちの集会のあと、庭師と私は農家へ出かけて行った。去年、とても見事な切花を売ってくれた農家の人に、腊梅の小枝を分けてもらえるかどうかを聞きたかったのだ。キャンパスの西の道路を北方向へ行った。途中、埋葬されていない2体の死体のそばを通り過ぎた。一体は12月中旬から放置されたままになっている。道路の西に広がる田園は真正の無人地帯で、生活が営まれている形跡は全くない。小さな家はことごとく窓に板が打ちつけられ、戸口は、横木を渡して開かないようにしてあった。寺院地区まで来ると、そこはあまりにもさびれ果てていたので、腊梅の切り花を手に入れるためとはいえ、そこを通って少し先の農家まで行く勇気は出なかった。そういうわけで、私たちは引き返すことにした。キャンパスのすぐ近くまで戻ってきてから丘に上った。3人の男の死体がいまだに転がっていた。私は、12月16日ごろ、彼らが射殺される際の銃声を耳にしており、その死体は、私の目には民間人のように見えた。庭師は彼の家に着くと、湯気の立っているチキンスープに卵を落とし、しきりにそれを私に勧めた。彼もきっと、(パール・バックの)『大地』のなかに描かれている人物なのだろう。勤勉な中国農民の典型であり、土にすっかり慣れ親しんでいる。
 キャンパスに戻ると、いくつかの少女のグループが私を取り囲んで、避難民の帰宅期日として「傀儡協会」が設定した2月4日以後もここに置いてほしいと懇願した。彼女たちは何という窮地に直面しているのだろう。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。



・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月30日金曜日

1938年 南京 1月30日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月30日
 委員会としては気にかけていることを書いてローゼンに渡し、日本側にかけあってくれるよう頼んだ。とはいえ、これでよくなるという希望を抱いているわけではない。なぜなら、ローゼンは日本人にとって必ずしも好ましい外交官ではないからだ。いや、むしろその逆だ。けれども、いずれにせよ、2月4日に難民を強制的に立ち退かせる計画をやめさせるよう、できるだけのことはしなければならない。そうなると、結局ローゼンということになる。なんといっても私はドイツ人なので、やはりドイツ大使館を通じるのが一番だからだ。
 わが家の収容所はまたもや一面の泥沼になってしまった。2日間にわたってかなりの大雪になり、今その雪が溶けているのだ。難民たちはしょんぼりしている。2月4日にはここを立ち退かなければならない。600人がすでにそう覚悟を決めている。大半はここからそう遠くないところに住んでいるので、万が一の時はすぐに戻ってこられるだろう。
 中には百人ほど、特に貧しい人たちがいる。その人たちのために、韓と私の2人でささやかな募金をして、百ドルかき集め、一人一ドルずつ配ることができた。みな大喜びだった。
 貧困はすさまじい。それなのに明日は中国の新年(旧正月=春節)、中国人にとっての最大の祝日だ!わが家の収容所は比較的小さいのだが、新年の餅のための調味料代として委員会から5ドルの特別手当があった。600人にたったの5ドル。残念ながらこれ以上は出せないのだ。だがこれだってないよりはましだ。その上、一人当たり米をもう一カップ(内緒で!)配った。日々の割り当ては、かわいそうに、たった2カップしかないのだ。・・・・・・・・・


 午後4時、漢口路で大勢の中国人に車を停められた。50人はいる。聞けば女の人が日本兵に連れて行かれたという。どうか助けてください、とかわるがわる訴えている。薛家巷4号の家に入っていったというので、そこまで案内してもらった。
 中に入ると家中くまなく荒らされていた。床一面ありとあらゆる破片で足の踏み場もない。部屋は開け放しで、そのうちの一室には棺桶が安置されており、わらだのがらくただのが散らばっている隣の部屋でまさにことが始まろうとしている。間一髪だった。
 私はそいつを玄関へ引きずり出した。大勢の中国人と、ハーケンクロイツがついた私の車を見て泡を食ったらしく、やつは近くの瓦礫の中へいずこともなく姿を消した、中国人たちは家の前でなにやらぶつぶつ言っていてなかなか帰ろうとしない。こんなところでぐずぐずしていると別の日本兵がやってくるぞと言うと、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 16時半・・・平倉巷での礼拝。
・・・・・・・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月30日 日曜日
 今日は飛行機が飛ばなかった。
 旧正月の到来を告げる爆竹の炸裂音が時折聞こえると、思わずはっとする。ごく最近まで銃や銃剣が支配していたのだ。
 今朝の礼拝は出席者があまり多くなかった。人々は自宅で本当に旧正月の準備をしているのだろうか。女子学院から金陵大学にかけての通りは、群衆でびっしり埋まっている。
 午後の礼拝は参加券の所持者を対象とし、クリスチャンの女性またはミッションスクールに通っている少女だけで行われた。南音楽教室は満席の状態だった。「新年を迎えるにあたって」と題して婁さんが素晴らしい話をした。家にではなく心に新年を迎える、と言う話である。・・・・・・・・

 メリーが平昌巷3号での英語の礼拝に行く番だった。彼女は、私たちの郵便物を積んだイギリス砲艦でジョージ・フィッチが昨日上海に向かったことを知った。彼は、南京を出ることを許された2人目になる。私たちもフィッチについて、上海の合同教会の礼拝に出かけた情景を想像してみると、南京に夫のいる女性たちが南京の情況を知りたいと真剣に彼に懇願する様が思い浮かぶ。彼は、南京に戻ってきてよいとの約束を取り付けた。本当に戻れるだろうか?3号にいる人たちは、上海からの食料ーミルク、ベーキングパウダー、缶詰などー持っている。何週間も食べ物が乏しかったあとだけに、そこの料理人は、そうした貯蔵食料を手にしてどんなにか喜んでいることだろう。ケーキやクッキーなどは、それこそ何週間も口にしたことがなかったのだ。
 使用人のための今晩の礼拝は、大晦日の礼拝の形式で行われた。過去の罪の許しを請い、新しい未知の道を拓く力を授かるよう願う礼拝である。使用人たちの間には素晴らしい精神がみなぎっている。彼らは誠実であり、つらい仕事をしてくれる。
 国際委員会は、2つに分けて金銭を贈ってくれた。一つを、食べ物しか持っていない臨時使用人への心づけとして、残りの一つを、余分に全員の食料を買うのに使うつもりだ。豚肉の値段は一ポンド70セントしている。無料米グループに野菜と食用油を臨時に配給した。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。


・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)


・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月28日水曜日

1938年 南京 1月29日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月29日
プリドー=ブリュン・イギリス領事とフィッチが今朝9時にビー号で出発した。私の日記帳もお供した。フィッチが近いうちに戻れるなどと、誰も信じていない。日本人との緊張感は日増しに高まっている。委員会を解散して、新たに救済委員会を組織し、新しい自治委員会と協力するようにしたほうがいいかもしれない。目下真剣に検討しているところだ。
 日本軍と協力しようと私は口を酸っぱくして言っているが、アメリカ人は反対だ。委員会が賛成してもいないのに日本側と交渉するわけにはいかない。それに向こうが同意するかどうかも全くわからないのだから。ひょっとするともう遅すぎるのかもしれない。時機を逸してしまったのではないだろうか。
 そうかといって、脅した通り、日本軍が2月4日に難民を強制的に立ち退かせて収容所に入れ、この前の赤十字病院の伝で立ち入り禁止にしてしまったら、我々は手も足も出ない。
 ドイツ大使館は日本軍から覚書を受け取った。そこには、難民に対するさまざまな援助には感謝しているが、2月4日に収容所を閉鎖するように、とあった。私は会議を開いて、それぞれの大使館に次のことを確認、ないしは調べてもらうことにした。


1、日本は、外国人の土地、もしくは外国人の家にある収容所からも難民を立ち退かせることができるのか?(収容所のかなりの数がアメリカ人の土地にある。ジーメンス・キャンプといわれるラーベの収容所もその対象になる。ドイツ人の庭にあるからだ)
2、もっと多くの難民を受け入れても良いのだろうか?
3、我々の立場を明らかにするまで、各大使館に本件に関する日本側への返事を待ってもらいたい。


 マギーが8歳と4歳の少女を見つけた。親族は11人だったというが、残らず残忍な殺され方をしていた。近所の人々に救け出されるまでの14日間、母親の亡骸のそばにいたという話だ。姉娘が家に残っていたわずかな米を炊いて、どうにか食いつないでいたという。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月29日 土曜日
今日は雪が降っているが、寒くはない。旧正月の準備が何のわずらいもなく進められそうだ。期待感が漂っている。値段は例年になく高いが、通りには食料品がいつもよりもたくさん出回っている。
 午前中、新たな手紙と、わたし用の『アトランティック』誌1月号の他に『クリスチャン・センチュリー』誌12月号数部も届けられた。アメリカからの私宛の郵便物はどこに行ってしまったのだろうか。私は、南京の郵便局を信用していない。
 今日は程先生、王さん、薜さんと私とで4時間かけて、国際委員会に提出できるよう用紙に所定事項を記入した。最も困窮している避難民たちが上海及び国外からの救援基金による援助を受けられるかどうかは、私たちの勧告いかんによるのだ。幼い子どもを持つ女性についての私たちの所見は、多くが次のように書かれている。「夫が戻ってくれば何の問題はない。戻らない場合は、3月1日から6月30日まで金陵女子文理学院が運営する職業訓練学校または家政学校に入学させる。」多くの女性については、中国西部にいる夫と連絡がとれるまで小額の貸付金を借りることを勧める。一部の女性については、再出発するための援助金として5ドルを全額贈与する。彼女たちの再自立をどのように支援したらよいか知るのは難しい。女子学院には社会学部があり、社会学の専攻者いればよいのだが。
 程先生と私は、野菜・食料油・米を材料とする、明日旧暦大晦日の夕食の無料米グループ向け料理について最終の打ち合わせをした。交付された資金でこうした食事が約10回分提供できるはずであり、健康維持に多少とも役立つだろう。
 今日は兵士にも将校にも会っていない。というわけで、状況が変化したことがわかる。
 以前、金陵女子文理学院で働いていた手伝いの女性が農村から出てきて、14歳と18歳の女の子2人を引き取ってほしいと懇請した。彼女の話では、農村地域での状況はいまなお非常に悪く、兵士たちがありとあらゆるものを持ち去り、若い女性たちはいつも危険にさらされているそうだ。外国人が南京城外に出ることはまだ許されていないので、彼女が責任を持って少女を変装させ、何とか連れてくることになる。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 午後、紅卍字会会長の張南武が私に話してくれたところによれば、同会は2000体を埋葬したそうだ。彼に、寺院付近にある焼け焦げの死体を埋葬してほしいと懇請した。彼らの亡霊が絶えず私の前にあらわれる。




「Imagine9」【合同出版】より



世界は、

9条をえらび始めた。



・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)



・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。(モンゴル、60代・男性)



・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)



・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。(中国、40代・男性)



・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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