2024年6月10日月曜日

核・戦争のない世界!!
















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NO.WAR!!
あらゆる紛争を、武力ではなく話し合いで解決できないものか??
地球は、戦争と核実験によって壊れかかっている!!

戦争即停戦!!地球上から島が消える!!
11月17日、ジュネーブの国連本部におけるパレスチナ国連大使のスピーチ








【文鮮明】皇室と統一教会の関係|三笠宮と教祖の記念写真【皇族】


地球環境を破壊してきた最大の原因:戦争、核実験、原発。
これからの世界が真っ先に取り組まなければならないこと(SDGs)は、
1、核廃絶(核実験後の除染、核弾頭の処理、原発全廃、廃炉作業、核のゴミの処理)
2、戦争の後始末(地雷除去、化学兵器の処理、被害者の治療、PTSDの治療)
3、武器の廃棄(基地撤去、軍備全廃、環境整備)
※これらを実施するためには、国連改革が必要だ!!【紛争は話し合いで解決する!!、
五大国廃止(拒否権行使撤廃)等】

世界は、放射能の影響を無視し続けている!! 戦争反対!!

1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ(TNT換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。

アメリカだけではない!!世界は核実験・原爆・原発事故により放射能で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!

地震の多い国に原発は危険!!反原発!!

        

世界に拡がる放射能汚染は、核抑止論・軍事機密のために、隠蔽され、矮小化されている!!



第9回「戦争の加害展」(横浜)


昭和天皇の戦争責任を問う!!














 


広島・長崎・ビキニ・福島と4度被ばくした日本はいつまで、危険な原発をやるつもりなのだ!! 核兵器廃絶!!脱原発!!医学者も声を上げよ!! いつ大地震が起きるかわかりゃしない!!

 3月20日に飯田市の飯田市平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?
                 飯田平和祈念館展示

検討委員会のある方のご意見 
・9月1日に新たに展示された731部隊のパネルは一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊の証言が必要です。 
昭和天皇が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!!(中国・平房)
改めて、昭和天皇・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
ニュルンベルグでは、アメリカは医師裁判などを行い、医師裁判では23人の被告人が裁かれ、うち7名が絞首刑となった。

               市教委が展示したパネル



・山田先生の講演を聞いた人の感想
化学兵器や生物兵器は天皇の戦争責任にどう関係したでしょうか?小泉親彦や橋田邦彦の自死、あるいは帝銀事件が東京裁判で天皇の責任が問題になりそうな時に起きているのが気になっています。
・山田朗先生の回答
昭和天皇が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営からの命令(大陸指)の発令や、731部隊の関係者と接触した三笠宮からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。

 会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
              三笠宮と731部隊員の記念写真
三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対(ウィキペディアより)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。

竹田宮と731部隊
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮・宮田(竹田宮は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れる時は、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)





入学式の日の丸

     



「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌 


























「香川の子どもと教科書ネット」通信  
第68回会議報告(2024年3月10日・日) 
今もって日本はアメリカの属国なんだな。
日本の若者達が戦場で戦えるように育てたいと、第一次安倍内閣で、「教育基本法」に「愛国心」を素早く入れて改悪した。
さらに第二次安倍内閣で、もり・かけ・さくら・かわい・の犯罪行為のオンパレードに、日本中の国民が躍らされた。その時、多くの日本国民は知らされていなかったが、可愛がってくれた爺ちゃんの岸信介元首相時代から、韓国のいかさま宗教団体、旧統一教会に騙されて協力体制を続けていたが故に、日本の多くの子ども達が苦しめられ、その中の一人の青年の自家製ピストルで安倍元首相は殺された。
そもそも安倍晋三は、刑務所に入れるべき犯罪者なのに、管 義偉前首相、岸田文雄首相は、多くの国民の反対を押し切って「国葬」で祭り上げ、さらに、「生前中の功績を讃えるのだ」と言って、犯罪者安倍元首相に、最高位の勲章である「大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)」を授与させた。













“悲劇” 伝えることの落差
また戦災資料センターで空襲の実態を伝える語り部の一人、80歳の二瓶治代さんの体験談を聞く授業を取材した時にも厳しい数字にぶつかりました。 授業に参加したのは、同じく空襲の被害を受けた東京八王子市の中学生およそ100人。「戦争の体験を聞いたことがありますか?」という質問に手を挙げた生徒は3人か4人だったのです。すべての中学校に当てはまるケースではありませんが、終戦から時がたつなか、大空襲を受けた東京で、その恐ろしさ、受けた悲しさ、悔しさ、絶望感。そうした戦争から派生する思いを聞くことなく大人になる子どもが増えていると感じます。 先の戦争で多くの犠牲者が出た広島県や沖縄県出身のそれぞれ40代の人に話を聞いてみましたが、2人とも小学生のころから授業で、また親族や知り合いから原爆の悲惨さ、地上戦の悲劇を聞く機会があったそうです。東京では空襲が、そして戦争がもたらした惨禍があまり伝えられていない気がします。


※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上が
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。

勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。

授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。

 

東京大空襲

死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、
罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。
なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。


重慶爆撃

日中戦争の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編『重慶抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)

日本は戦争の加害をきちんと伝えるべきだ!!
2024年2月20日初版発行:アテネ出版(3000円+税)第533回 反核座り込み行動 核も戦争もない平和な21世紀に!!

この映画では、元731部隊員(レントゲン班)の宮川正(東大教授)は協力している。
汚染水放出反対!!(海の生態系の破壊!!)

 戦後、日本は、GHQ(主にアメリカ)によって占領され、そのGHQは、その占領政策をスムーズに進めるため、東京裁判が始まる前に、天皇に「人間宣言」をさせ、開戦を裁可した昭和天皇を戦犯免責にし、象徴天皇制と憲法9条を盛り込んだ憲法草案を提示し、それを日米でアレンジした。1946年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布された。
 東京裁判では、日本軍の上層部で活躍した皇族や極悪非道な、細菌戦や毒ガス戦、無差別爆撃に関わった、731部隊員、毒ガス部隊員、登戸研究所員等も戦犯免責にし、アメリカはその情報を持ち帰り生物戦、化学戦の研究を進めた。
 そして、アメリカの行った非人道的な原爆投下、無差別爆撃等は東京裁判では、全く取り上げられなかった。免責の見返りに、一部の731部隊関係者はアメリカの核戦略に全面的に協力し、被爆の被害の矮小化を図った。その流れが、ビキニ、福島、原発政策へと続き、依然として原子力村、安保村が日本の原発・軍事問題を牛耳っている。 
 唯一の最悪の地上戦を経験した沖縄は、昭和天皇によって、見捨てられ、戦後、アメリカの占領下となり、日本に復帰した現在も、米軍基地問題で大きく揺れている。 
 また、日本は、戦時中、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたが、戦後は日本人ではないとして、戦後補償を受けられずに、非常に困難な生活を強いられた。 
 だが、軍事裁判では、日本軍兵士として、BC級戦犯となり、厳しく裁かれた。 
   靖国神社は、A級戦犯であった、東条、広田、板垣、松井等を合祀し、あの戦争を賛美し、反省をしていない。 
  日本は戦後、軍人や軍属、その遺族らに総額60兆円超の年金や恩給をいまも支払い続けている。戦犯の遺族にも支払っているが戦後、外国籍になった日本軍兵士には支払っていないということには驚く!!
 一方、天皇が、宣戦布告した戦争で、国は戦争被害者に損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという受忍論を押し付け、空襲で家や財産、親や子どもを奪われた人たちへの補償は全くしていないし、公的資金を投じた追悼施設さえない(東京大空襲等)。
  日本と中国では、戦後毒ガスによる被害者が多数出ているが、大久野島で毒ガスの製造に関わった被害者だけは、優遇されているがその他の被害者にはわずかの補償か、全く補償がない。
 アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
  過去の侵略の事実を無かったことにしようとする日本政府の姿勢に疑問を強く感じる。
  戦争による、残虐事件の証拠隠滅が、戦時中、戦後すぐに行われ、その解明は、十分ではない。1つの絶対的な権力が形を変えて残ることは、その解明を妨げている。
 情報公開をオープンにし、実態解明ができる社会にしないと真実がわからない。
 最近の裁判所で起こっている証拠隠滅にも戦前の体質を垣間見る!!

靖国神社を廃止し、国立の戦没者追悼施設の建設を!!


東京裁判での東条の証言
(東条)「日本国の臣民が陛下の御意志に反してかれこれすることはありえぬことであります。いわんや日本の高官においておや。」
この発言に最も慌てたのがアメリカの首席検察官キーナンだった。
東条の言葉は、解釈次第では戦争開始の決定は天皇の意志によるものだった、ということになる。
アメリカ政府とGHQは、占領政策を円滑に進める上で、天皇は不可欠な存在と考え、天皇不訴追の考えを固めていた。
731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)

長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から 山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします! https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s


 敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!! 


    
 日本の中国侵略、原発事故を問う!!
      

1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。 


珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!!




能登半島地震の写真や図説

未知の断層はまだまだあるのではないか?? 
同時に、原発事故が起きていたら?? 国策原発推進反対!! 

原発活用の国策見直しを!!
 ビキニ被災から70年!! 
地球を破壊した戦争・核実験・原発 世界に拡がる放射能汚染!! 
核兵器禁止条約批准せよ!! 
反原発!! 温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?

あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!! 


ビキニ被災から70年!!核廃絶!!


米側の機密文書「入手」
なぜ、ビキニ被災の全容は未解明のままなのか。
「日米の政治決着が背景にある」との指摘を続ける研究者がいる。明治学院大学国際平和研究所の高橋博子研究員(47)。「日米交渉の裏側を解明する機密文書が見つかった」と聞いて名古屋市の自宅を訪ねると、高橋氏はA4判のペーパー5枚を差し出した。
「これです。1990年代にいったん開示された関連文書からも抜き取られていました。米側の機密文書です」


高橋氏によると、この文書は「安全保障上の機密情報」を理由に機密扱いが解除されなかった。2014年、米国在住の調査員を通じて開示請求を行い、ようやく入手できたという。いったい、何が記されていたのか。








※1954年のアメリカの水爆実験による日本の被災船は、約1000隻に上る。アメリカは、第五福竜丸の船員には見舞金を支払ったが、他の船員には、全く補償をしていない。


ビキニ 隠された被害 
パネル展 
原子力村解体!!安保村解体!


     
   
アンケートから 
12月16日(土)
7、このような催しは今後も必要だと思いました。(60代以上、市内、看板で)










    
●三多摩平和交流会の感想 

13、学校で子ども達に伝えてゆくこと、素晴らしいと思います。PTSDの連鎖、大変な事実だと思います。引きこもり、DVとの関連は、あると思います。黒井さんの御活躍期待しています。

(お知らせ、70代以上)

集会のアンケートから 

平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。  
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。  
 私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。  
 来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。  
 会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。 
ありがとうございました。 

(中国語) 
我是通过日中友好协会而知道了平顶山事件的。学校几乎不讲授亚洲的近现代史。要想了解这段历史,除了自己产生兴趣自发学习,别无他法。这样的现实让人十分无奈。我非常感谢你们在诉讼结束后仍继续以这样的方式让世人了解这段历史所做的努力。  
 我的女儿今年四岁,正好是方女士遭遇惨案时的年龄。曲先生的讲演使我在方女士的故事中看到了我女儿的影子。我希望今后能带我的女儿一起来参加类似的讲演会。  
 我也要感谢曲先生和夫人来到日本。希望有一天能和我的女儿一起在中国或日本再次见到他们。同时感谢会议组织委员会成员在会场外为与会者提供指路等帮助。 
谢谢大家。



一昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。


731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)

医療倫理・研究倫理の深化




●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述
(2023年9月12日東京地裁) 
令和3年(行ウ)第594号 
原告増本美保外11名 被告
全国健康保険協会 

 意見陳述書              
2023年(令和5年) 9月12日

 東京地方裁判所 民事第51部lA係御中                       
原告ら訴訟復代理人 弁護士 内藤雅義 

第 1   ビキニ被ばく船員保険訴訟に至る経過
ビキニ被ばく船員保険訴訟に至る経過については、すでに準備書面で述べました。
 1954年3月、第五福竜丸被災をきっかけに原水爆禁止運動が拡大したこと、
第五福竜丸以外に原告らを含む多数の水爆被ばく船員が存在していしましたが、日本政府は1955年1月の日米合意で日本政府が200万ドル(7億2000万円)の見舞金を受け取ることによって賠償請求権をすべて放棄しました。その背景には、体制対立、原子力の民生利用推進がありましたが、被災漁船員は漁獲高に応じて収入を得ていたため、体調不良や同僚の早期の死亡がありながら声をあげられませんでした。
 しかし、高知の高校生らの聞き取りによるビキニ被ばく船員の存在の表面化、第五福竜丸船員への船員保険の再適用、マスコミ等を含む情報公開等を経て、原告らの船員保険申請となりました。
不認定等となったことから、取消訴訟が高知地裁に提訴されましたが、管轄の関係で現在東京地裁に移送係属しています。



被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!!
福島原発事故の写真
 

世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発 原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係?? 日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。
グリーンピースからのメールの一部より 

汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて 

8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。 グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。  「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。 日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。 グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。  

8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会  

 放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。 

 署名提出、討論会でわかったこと 

 グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。 
 2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。 
 また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。 処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17〜34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52〜88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。 

 海を汚染しない選択を求めます 

 福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。 
 欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発するのことが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。 



2023年の「戦争の加害展」の感想 

◆9月3日(日)

189、大変勉強に成りましたが、情報量がとても多いので、同じパネルを毎年展示していただきたいです。
(60代、川崎市、SNS(X),-)

 


長野県飯田市で起こっている731問題



飯田市の資料収集委員の方々が作られたパネル(展示されていない)
こんな大事なパネルが展示されていないとは!!



日本が中国に棄ててきた毒ガス問題

中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、大久野島の毒ガス工場で働いた人以外は補償が全くないか、十分でない(工場解体に関わった人々など)。
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所跡)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)

化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
 毒ガスの処理事業は、内閣府は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??


 なぜ、処理事業で、処分できない砒素がドイツへ行くの? その遺棄化学兵器の処理が化学兵器禁止条約が発効した1997年から26年経ってもまだ終了していない。本当に内閣府の計画通り、今までに発見されている遺棄化学兵器は、2027年までに処理が完了するのであろうか? 次回裁判期日 7月18日(木)16時~703号法廷 

    
     News & Information \本日の弁論のご報告/  

被告は①3月末に開示決定変更通知を提示し、開示できる部分については開示する、②不開示理由については4月末に500ページ、5月末までに更に500ページ提出し、半年以内に全不開示理由を提出する旨陳述しました。これを受け、裁判長は原告に対し申立の変更手続きをするよう伝えました(元となる開示決定が無効になるため)。  原告の私としては不開示であったことの違法性について判決があってほしいところですが、裁判の進め方として、開示できる部分については開示させていくことや、新たな開示内容やその理由について追求したほうがよいという弁護団の判断で、どういうものが出てくるのか様子を見ることになりました。 なかなか亀の歩みで地味な裁判ですが、少しずつ進展を見せています。皆さまの注目が頼りです。引き続き、ご関心をお寄せ頂けたら幸いです。 \ご支援よろしくお願いします/ 





リーフレット
     




プレ企画 映画「隠された爪痕」「払い下げられた朝鮮人」の感想 
3、貴重な証言活動に感銘を受けました。歴史修正主義(否定主義)の根深さを感じます。
(80代以上、横浜市内、メール)






「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。



南京大虐殺 
 
南京大虐殺(マギーフィルム) パネー号撃沈
        
         





 重慶爆撃               
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)


    


 原爆    


ドイツが降伏し日本への投下が決まった
原爆は当初、日本への使用を想定して開発されたものではありませんでした。ナチス・ドイツの原爆開発を恐れたアインシュタイン博士らが、アメリカのルーズベルト大統領に研究を進言、1942年に大統領が開発計画を承認しました。原爆が完成する前にドイツが降伏したため、日本への使用が決まったのです。





日航123便の怪(1985年8月12日)


     

●東京帝国大学伝染病研究所
  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
 ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?

雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
                     宮川米次

3、興味ある細菌学的所見
ジフテリア菌に関する研究
(イ)ジフテリア菌検出とClaubergⅢ培地
本邦に於いては、「ジ」菌の検出には通常Lofflerno血清培地が利用せられていることは、今も昔と変わりはない。又実際、相当に良い所見を呈しているが、ドイツに於いては、この改良法が盛んに行われ、ClaubergⅡ、Ⅲ、等の培地が考案せられて、何れが優秀なるかについては甲論、乙駁の現状である。ClaubergⅡ、Blutwasser-Glyzerolat-Telleur.ClaubergⅢ、Tellur-Indikator-Nahrplatte mit Wasserblau-Metachromgelb.である。Richter(C.f.Bac.141,1938)はこの比較所見を発表している。即ち2866の材料に於いて、ClaubergⅢでは10.5%陽性、Loffierでは7.57%陽性で、遥かに前者がよい。加之ならず検出するのに速やかであり、且つ過誤を来す惧れが少ない。本培地に於いて菌陰性の時には確かに「ジ」菌の陰性なる事を示すといい、且つLoffer培地の如く口腔雑菌の増殖によって、菌が陰性に終わることは殆どない。この点も亦ClaubergⅢが優れているとも言っている。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。

好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   

第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年  
 
第7章 満州事変
 
 この件について犬養は、軍部、森内閣書記官長、そして外務官僚と対立していた。外務省は他の対外公務や調整案件のなかでも、とりわけ満州国に対してはみずからが責任を負うつもりでいた。犬養は陸軍急進派を押さえ込むことに努める一方で、市場、技術、資本、原材料を依存していたアメリカとの関係が悪化することをよしとしなかった。
 
 





●日本国憲法9条 第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】 

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、 これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。 

 RENUNCIATION OF WAR Article 9.
 Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,  the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. 
In order to accomplish the aim of  the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. 
The right of belligerency of the state will not be recognized.

IMAGINE9 
解説 

9条をつかって、 戦争のない世界をつくる。 

第2次世界大戦の悪夢を経験したひとりとして、私は力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるベきだと思います。
―フィリピン、60代・男性





※次期戦闘機の輸出が閣議決定され、色々な武器を自民党は輸出しようとしているし、武器の輸入も拡大している!!



鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について 
 ~ご理解していただきたいことを文章にしました~ 
 2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)  

 願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)




黒井さんのメールより 
授業の生徒感想文の一部を紹介いたします。 
2024年2月16日、50分の授業を受け持ちました。 
★感想文 

6、PTSDについて以前に学習したことがあったが改めて恐ろしいものであると思った。PTSDによって激しいけいれんをともない、精神病がエスカレートすることにより殺人、自殺などになってしまい自分自身を苦しめ、家族を苦しめてしまうのが本当に恐ろしいなと思う。


黒井秋夫さんのメールより 

私はある個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で兵士の道を選ぶことは尊重します。

しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、徴兵なり集団多数の意見なり、集団の長なりの意思に強制されて兵士にされ戦場に派遣されることは受け入れることができません。真っ向から反対します。支持できません。個人の自由意思はどんな場合でもどんな時でも尊重されるべきと思います。

そのことが民主主義の根本条件と思います。






 祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会
(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会) 
立ち上げ6周年 

 ★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文 

父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。 1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。 しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。 同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。 本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。 私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。 私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。 2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。 だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。 そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。 その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。 私たちの世代にも呼びかけたい。 父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。 語り合おうではないか。 若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。 この指にとまってほしい! 

2018年1月17日  黒井秋夫。
 



















































































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