2022年6月13日月曜日

全貌226事件























全貌226事件


2022年の参院選を前にいろいろな嫌がらせも起きている!!

【独自】辻元清美さんの事務所の壁壊される ”白防護服の男”が侵入し破壊か 物品が盗まれた形跡なし

立民新人に嫌がらせ続発



NHKが2020年2月に再公開した「全貌226事件」を見ると、事件が起こることを事件発生の7日前には海軍は知っていた。

海軍が情報をつかんでいたということは、もちろん陸軍も事件が起こることは知っていた!!

この事件の裁判では、皇族、軍上層部は誰も裁かれなかった!!

秩父宮も青森から、わざわざ上京している。

この事件は、軍部の怖さを世間に知らしめた!!

「現に目の前で何人も銃で殺されたり、斬り殺されたりという事件を見て、政治家も財界人も、もう陸軍の言うことに対して、本格的に抵抗する気力を失っていくんですね。これが二・二六事件の一番、その後に対する影響力の最たるものですね」(戸髙さん・大和ミュージアム館長)

「二・二六事件を経て、軍事君主としての天皇の役割はすごく強くなってしまって。天皇の権威、神格化といってもいいですが、そういうものが二・二六事件で大いに進んだことは間違いないと思います」(山田さん・明治大学 教授)

二・二六事件と秩父宮の関係、秩父宮を溺愛した母・貞明皇后と昭和天皇の確執・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1680)】より

「事件当時、歩兵第三十一連隊第三大隊長として青森県の弘前に赴任していた秩父宮は、事件に関与した青年将校らと以前から親交がありました。北一輝とともに処刑されることになる西田税とは陸軍士官学校時代の同期で、西田から国家革新の緊要性を啓発されたといいますし、東京の歩兵第三連隊に所属していたときには、陸軍士官学校の4年後輩に当たる安藤と親しく交流していました。そうした立場から、秩父宮はクーデター計画に関与していたのではないか、青年将校は昭和維新の暁に秩父宮を皇位に就かせようとしていたのではないか、といった憶測を招くことになったからです」。二・二六事件の前年に、秩父宮と青年将校の近さを危惧した昭和天皇によって、秩父宮は東京から弘前に異動させられていたのです。」

事件を知った時の秩父宮の心情を、清張はこのように推測しています。<これは筆者の推定だが、事件発生を知って弘前を発った秩父宮の胸中には、叛乱軍に安藤が歩三の部隊を率いて参加していると分って、事件の収拾に彼らの希望を達するよう宮中での努力を考えていたのではなかろうか。でなかったら、自分の上京が疑惑の眼で見られると分っていながら敢えてそれを決行するはずはない>。


「しかし宮中では、青年将校らの希望を達するどころか、天皇は叛乱軍を絶対に許さないという『強硬な意志』を示していました。・・・自分たちの行動に対し天皇が激怒した。これが、二・二六事件が挫折した最大の原因です」。


<だが、着京してみて以上の情勢を知った。もっともショックだったのは『朕自ら近衛師団を率いて討たん』という天皇の激怒であろう。秩父宮との面会に天皇はひどく不機嫌だったという説がある。ここから秩父宮の『変心』が起った>。


二・二六事件の謎。秩父宮は何故あえて「遠回り」した?より

「実際には発車が1時間遅れ、秩父宮は弘前で増結された特別車両に乗った。翌日、新潟県の長岡で上越線回りの上野行き普通列車に特別車両は増結された。途中、群馬県の水上から乗り込んできたのが、秩父宮に進講したこともある東京帝国大学教授の平泉澄である。平泉はわざわざ、このために水上まで向かったのだ。二人は高崎に着くまでの約1時間半にわたり、特別車両のなかで密談した。


 平泉は、昭和天皇のもう1人の弟、高松宮とともに昭和天皇を補佐するよう進言したと書いているが、逆に決起部隊に肩入れしていたという説もある。」

   




裁判は、弁護人なしの非公開、一審のみの「暗黒裁判」

二・二六事件と秩父宮の関係、秩父宮を溺愛した母・貞明皇后と昭和天皇の確執・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1680)】より

「つまり清張によれば、秩父宮は最初は青年将校らに有利になるよう動くつもりで上京したが、天皇の激怒を知り、それをあきらめた。秩父宮はこうして叛乱軍に対する好意的な立場をすみやかに放棄しました。そんな秩父宮を、清張は『まことに利口であった』と評しています」。


「襲撃前の計画段階での青年将校らと秩父宮の関係を示す決定的な史料が出てくることがあれば、謎は明らかになるでしょう。そう考えると、事件の中心メンバーがきわめて短い期間の裁判で全員死刑判決を受け、その多くがあっというまに処刑されたということの裏には、鎮圧側の何らかの意図があったと想定することもできそうです。青年将校らが生き残り、いろいろとしゃべってしまってはまずい。秩父宮との決定的な関係が明らかになってもまずい。そんな意図が、もしかするとあったのかもしれません」。


さらに、もっと驚くべきことが明かされています。「清張はこの(事件を知り上京した時に、秩父宮が天皇との面会の後に、母・貞明皇后と長時間面会したという)事実に大変注目しています。というのも、貞明皇后は秩父宮を溺愛していたという説があるからです」。



NHKの「全貌 二・二六事件 ~最高機密文書で迫る~【後編】」より

二・二六事件から戦争への道

日本を揺るがした、戦慄の4日間。

陸軍上層部は、天皇と決起部隊の間で迷走を続けた。それにもかかわらず、事件の責任は、決起部隊の青年将校や、それにつながる思想家らにあると断定。弁護人なし、非公開、一審のみの「暗黒裁判」とも呼ばれた軍法会議にかけた。

事件の実態を明らかにしないまま、首謀者とされた19人を処刑し、陸軍は組織の不安は取り除かれたと強調した。一方で、事件への恐怖心を利用し、政治への関与を強めていった。

「現に目の前で何人も銃で殺されたり、斬り殺されたりという事件を見て、政治家も財界人も、もう陸軍の言うことに対して、本格的に抵抗する気力を失っていくんですね。これが二・二六事件の一番、その後に対する影響力の最たるものですね」(戸髙さん・大和ミュージアム館長)

34歳で、事件に直面した天皇。軍部に軽視されることもあった中、陸海軍を動かし、自らの立場を守り通した。クーデター鎮圧の成功は、結果的に、天皇の権威を高めることにつながった。

「二・二六事件を経て、軍事君主としての天皇の役割はすごく強くなってしまって。天皇の権威、神格化といってもいいですが、そういうものが二・二六事件で大いに進んだことは間違いないと思います」(山田さん・明治大学 教授)

事件後、日本は戦争への道を突き進んでいく。高まった天皇の権威を、軍部は最大限利用して、天皇を頂点とする軍国主義を推し進める。そして軍部は、国民に対して命を捧げるよう求めていく。

日本は太平洋戦争に突入。天皇の名の下、日本人だけで310万人の命が奪われ、壊滅的な敗戦に至った。二・二六事件からわずか9年後のことだった。

戦後、天皇は忘れられない出来事を2つ挙げている。終戦の時の、自らの決断。そして、二・二六事件。

「戦後天皇がもしこの事件に非常に思いをもっているとすれば、これは後の戦争に突き進んでいくような一つの契機になった事件、実は自分が起こした強い行動っていうのは、戦争に進んでしまった要因の一つではないかと、戦後いろいろな思いをもった可能性も考えられる」(河西さん・名古屋大学大学院 准教授)

晩年、天皇は、2月26日を「慎みの日」とし、静かに過ごしたという。

二・二六事件を記録し続けた海軍は、その事実を一切公にすることはなかった。なぜ事実を明らかにしなかったのか。極秘文書6冊のうち、事件後、重要な情報をまとめたと思われる簿冊がある。そこには海軍が、事件前につかんだ情報が書かれていた。その内容は、詳細を極めていた。

事件発生の7日前。東京憲兵隊長が海軍大臣直属の次官に、機密情報をもたらしていた。

「陸軍・皇道派将校らは、重臣の暗殺を決行  この機に乗じて、国家改造を断行せんと計画」

襲撃される重臣の名前が明記され、続くページには、首謀者の名前が書かれていた。事件の一週間も前に、犯人の実名までも、海軍は把握していたのだ。

海軍は、二・二六事件の計画を事前に知っていた。しかし、その事実は闇に葬られていた。なぜ事件は止められなかったのか、その真相は分からない。ただ、その後起きてしまった事件を海軍は記録し続けた。そこには、事件の詳細な経緯だけでなく、陸軍と海軍の闇も残されていた。

昭和維新の断行を約束しながら青年将校らに責任を押し付けて生き残った陸軍。事件の裏側を知り、決起部隊ともつながりながら、事件とのかかわりを表にすることはなかった海軍。

極秘文書から浮かび上がったのは二・二六事件の全貌。そして、不都合な事実を隠し、自らを守ろうとした組織の姿だった。

「本当のことを明らかにするのは、ものすごく難しいことで。如何に事実を知るということが難しいかということですよね。たまたま私どもは、何十年ぶりかに現れた資料によって、今まで知られなかったことがわかるわけですが、こんなことは類いまれなことで、わからないまま生きているんだと」(田中宏巳さん・防衛大学校名誉教授 極秘文書を発見した研究者)

事実とは何か。私たちは、事実を知らないまま、再び誤った道へと歩んではいないか。83年の時を超えて、蘇った最高機密文書。向き合うべき事実から目をそむけ戦争への道を歩んでいった日本の姿を今、私たちに伝えている。

 

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