2018年7月15日日曜日

細菌戦の系譜!!


BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編)


BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編)


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

●731部隊について
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし
ナレーション
京大に次いで多くの研究者が731部隊に集められた東京大学。


取材に対し、組織として積極的に関わったとは認識していないと回答しています。
取材を進めると東大の幹部が石井と交流していた事実が明らかになりました。医学者で東大の総長を務めた長與又郎(ながよまたろう)です。

遺族の許可を得て入手した長與の日記です。

そこには総長時代から石井と接点があったこと、そして、退任後の昭和15年、731部隊の本部を視察していたことが記されていました。

長與の日記 
関東軍司令部に赴き、軍医部長を訪い(おとない)、さらに司令官に面会す。平房(注:731部隊のあった所の地名)に石井部隊を訪い、石井大佐の案内にて事業の一般を見学、水だき(水炊き)の饗応を受く。




日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
1940年、日本軍資料

1942年の細菌戦
*日本軍人証言  古都良雄  731部隊員  ハバロフスク公判資料から
私が参加した派遣隊の業務は、何かといいますと、
貯水池、河川、井戸、建物をチフス菌及びパラチフス菌によって汚染するという細菌攻撃でありました。
第731部隊は第4部で大量生産したこれら細菌をこの派遣隊に送りました。
細菌は、ペプトン用のビンに詰められていました。
これらビンは「給水」と表書きした箱に詰められていました。
これらは飛行機で南京に送られました。
私は細菌を充填した水筒を井戸、湿地、住民の住居に投げ込むことに参加しました。
当時そこには総数約3000人の中国軍の捕虜の収容所が2つあり、3000個の特製饅頭が製造されました。
饅頭の製造に派遣隊員が参加し、注射器で細菌が注入されました。・・・・・・
(命令で製造したビスケット)は卵形のものと細長い形の2種類ありました。
それは小麦粉で作られ、饅頭同様、細菌で汚染されました。
それはこのビスケットがどんなビスケットかをあらかじめ警告された兵士に渡され、
兵士は垣根の下、木の下、休憩地に置き忘れたかのように置きました。
その数は300個ないし400個であります。



『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶
2、満州天理村「生琉里」の誕生

それから半世紀近く経た1990年代、風間が天理教本部を訪れたときのことだ。ふと、教団図書館を訪ねてみる気になった。何でも良いから天理村時代の資料を見つけ出したかった。探すうちに、小学生の時に書いた作文を見つけ、驚きの声をあげたという。自ら銃を手にし、“大和魂”に染まった少年時代の記憶がよみがえった。
そこには、≪ひぞくがきたらてっぽうでうちます。大日本のへいたいさんはつよいのでいつでもひぞくにかちます。ぼくは日本のへいたいさんを大好きです≫と書かれていた。


満洲天理村

海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日



・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言


日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。


日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」


小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。

Tokyo Story (1953)


(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)




『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第一〇章
一四日の午後三時には,浜松検事局の渡辺上席検事は新聞記者に対して,「我々の方は原因究明に関し,独自の立場から措置を取って居るが,現在までには毒物を投げ入れた等の容疑者は検挙していないが,捜査の手は緩めないでいる。どうして捜査しているかは,小宮博士執刀の死体解剖の結果によって方針を立てたものではないし,その他の調査を基礎としているものでもない。全く独自の立場から調査している」と語り,「毒物混入説」へのこだわりも覗かせた。


※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。

※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している?

小島三郎の記述


小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。


小島三郎

『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績

第11回の学会では、サルモネラその他のこれに類する報告は陸軍のものが目立ったが、その後は大学や研究所の研究者によっても数多く行われるようになった。
石井とともに浜松に行った小島も、第11回の学会には「腸炎菌主としてゲルトネル菌免疫学的研究」を発表している。助教授時代とそれ以前の小島は、「日本細菌学会」では第4回に「抗毒血清の濃縮法に就て」を、第6回に「化学的に観たる微生物」いう報告を行っており、食中毒やサルモネラやゲルトネル菌についての発表はない。ところが第11回の学会以後、彼は日本各地の各種の食中毒とその原因となる菌について精力的に調査収集を行い、その結果を発表するようになった。そして1939年には、弟子の八田貞義と共著で『食中毒菌』(金原書店)を発表した。この本は日本でのサルモネラ学の基礎を築いたといわれる。またこの頃に小島は「日本国サルモネラ委員会」を作り、サルモネラ研究で日本と外国とを結ぶ役割を果たすようになっていた。この委員会は、コペンハーゲンの国際サルモネラ・センターから診断用血清のための株を多数贈られ、国内の研究の進展に貢献した。小島の主要業績であるサルモネラの分類も、この国際協力のひとつとして、学術振興会の援助を受けて行われた。



『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)

小泉親彦と宮川米次の絆


小泉君を厚生大臣にしてくれないかと頼んだが、軍の現職にいるものを引っ張ると、軍から何をいわれるか解らない、ということで中止になった。このとき小泉とはどんな人かと近衛公に聞かれた。
第三次内閣のときにも、近衛公から同じような話があり、また私にやれといわれた。このときも同じように、私は同仁会のことで手が回らないと話した。今度は一度小泉君にあってみたい、チャンスをつくるようにといわれた。近衛公という人は、やはり気にいると酒もなかなか強い。そこで大いに三人で飲んだ。近衛公も完全に了解した。小泉君もまた腹がすわったので、それは面白い光景だった。」




※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

「化学兵器とアジア」ー現在進行形の加害と被害を考える!!


※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。

毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言

カネミ油症事件

カネミ油症事件ですが、カネミ倉庫とカネカに責任はあるのですか?

PCBは三井グループのカネカが製造していた。
PCB(ポリ塩化ビフェニル:鐘淵化学工業製造)
2004年(平成16年)「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」に商号変更。

横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


他分野の協力者出現

吉岡金市は電話で萩野に面会を求めてきた。萩野はいつもの冷やかしの訪問と考え面会を断った。しかし吉岡は萩野病院を訪ね、「5分間でいいから院長に会わせてくれ」と玄関で粘った。萩野はこの吉岡に根負けして渋々面会することになった。そして話をしているうちに、「農作物の被害が鉱毒によるものならば、イタイイタイ病の原因も鉱毒によるものである」という点で、ふたりの考えが完全に一致した。農作物と人間の違いはあるものの、初めて鉱毒説の力強い味方を得たのである。吉岡はイタイイタイ病患者の家をスポットした地図に神通川からの農業用水を書き入れ、神通川を利用した農業用水の使用地区でのみで患者が発生していることを確認し、鉱害により被害を受けた農作物の分布と比較するという科学的データを作り上げた。そして患者の発生地域と農作物の被害地域が一致することを示した。また地元役場で死亡診断書を調査し、患者の発生数の増加と神岡鉱山の生産量が比例関係にあることを確かめた。吉岡は萩野の研究を最後まで支えることになる。

※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)






・細菌戦被害地(中国)の旅


●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

731部隊という名前を御存知だと思います。先の大戦中に、捕虜に対して人体実験を行い、細菌戦を遂行した日本軍の特殊部隊です。部隊を率いた石井四朗隊長は、戦後、公には姿を現さず、どのような人生を送ったのかも謎とされてきました。その石井隊長の日記が、ノンフィクション作家青木富貴子さんによって発見されました。日記からは、731部隊がなぜ戦犯として訴追から免れたのかなど、さまざまな謎を解くヒントが浮かび上がってきます。

石井四郎の戦後


ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影

堀田伸永

※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!


第2章  原子力ムラの源流

原爆症研究組織が平和利用支持の拠点に

「原爆症調査研究協議会」は、1953年11月、広島・長崎の被爆者の原爆後遺症の治療方法究明のために設置された連絡組纖だった。事務局は、広島と長崎にある米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)にそれぞれ支所(原子爆弾研究所)を置き、 連携していた国立予防衛生研究所内にあり、米国の原爆の人体影響研究の補完を前提としていた。第五福龍丸事件以降は拡充され、臨床小委員会は国立東京第一病院や、東大医学部の若手の医師によって補強され、乗組貝の治療、放射性降下物による環境や農・水産物の汚染調査にあたっていた。



放影研 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究

731部隊の免責を得る為に、日本はアメリカに原爆調査(原爆の効力の調査)のデータをアメリカに渡した。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?


宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。


※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!!

●軍学共同の道

米軍医は「提供してもらった」 <持ち去られた被爆者資料>
帝国の骨

京大医学部を訪れ、被爆者を解剖した資料の提出を求めた米軍医はアベリル・リーボウ。戦後、イエール大の病理学教授。戦時中は軍医として従軍、9月に日本に到着し、広島で調査し、12月まで生体資料やデータを収集した。この資料を基に米陸軍病理学研究所は原爆の人体への影響を報告書にまとめたが秘密扱いとし、リーボウ自身も終戦から4年後になって、論文「原爆被爆者の解剖」をアメリカの学会誌に発表。65年に「広島の医学日記」を公刊した

日記には、占領下の米軍医将校が高級ホテルで過ごし、京都で恋人のため真珠の首飾りを買ったり、日本の学者側から贈り物をもらったりして友好的だったとつづられている。通訳の石井善一郎・東京帝国大助手の第一印象を「疲れたような悲しい面持ちで、ひげもそっていず、軍隊の残り物である薄い制服とサンダルをはいていた」と描き、敗戦国のみじめさも浮かぶ。

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====
中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1232/4.html
この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。何をしていたかは容易に想像がつく。
戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。
放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。
彼の弟子が、元放医研所長の佐々木康人教授(現・日本アイソトープ協会・常務理事)であり、ICRP委員も勤めている。その教え子が、われらが中川先生である。
驚くべきことに、彼の恩師をたった2代さかのぼれば731部隊にたどり着くのである。
また中川と同じく、安全だ安全だと繰り返す明石真言は、この研究所の理事である。
ここも法令違反など度重なる不祥事が起きている。そのうち名称が変わるであろう。
いつも内部被曝は無視するから、放射線外部被曝研究所とでも名付けたらよかろう。
以上、簡単にまとめてみたが、みなさんの感想はいかがだろうか。

※戦後も優生保護法が1996年まで続いた。また、精神病院や乳児院・自衛隊などでは戦後も人体実験が続いていた。

優生保護法とはより
■優生保護法の2つの目的
優生保護法は、2つの目的をもった法律でした。一つは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」--病気や障害をもつ子どもが生まれてこないようにする、という意味。もう一つは「母性の生命健康を保護する」--女性の、妊娠・出産する機能を保護するという意味です。この2つの目的のために、不妊手術と人工妊娠中絶を行う条件と、避妊具の販売・指導についてを定めたのが、優生保護法なのです。
優生保護法とは

「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29



政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。

被曝をめぐる御用学者の系譜



●原水爆禁止!!核廃絶!!
アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷


核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!

日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染








ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!



お知らせ
広島・長崎の被爆者が「核兵器のは人道的兵器」「人類は核と共存 できない」と自らの体験を日本中に、世界中に訴え続けました。 そしてその願いは昨年の国連総会にて「核兵器禁止条約」 の採択へと大きく前進しました。
被爆者の運動を支えたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が ノーベル平和賞を受賞へとつながり、世界各国は条約批准へと動き 始めています。
一方、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験の被害は、日米政 治決着によって「第五福竜丸事件」で終わったものとされ、被災調 査は打ち切り、被災者に健康調査も何ら援助せず、60年も被災資 料を隠し続けてきました。
2014年に政府が公に述べ1000隻の漁船が被災していたこと を認めたことで、若くしてガンなどで亡くなっていった仲間の無念 の思いを背負い高齢となった元マグロ漁船員と遺族が「 ビキニ核被災国家賠償訴訟」を起こし、 今年7月20日に判決が下されます。
核実験によって引き起こされたビキニ核被災を、日本だけでなく、 アメリカをはじめ世界にその実相を伝えるべく、日本語と英語の二 か国語で、写真集『NO NUKES』(核はいらない)を制作するプロジェクトを立ち上げ 、A-port(朝日新聞)のクラウドファンディングで実現させようとスタートしました。
NO NUKES「核はいらない」プロジェクト
朝鮮半島の非核化、東アジアから世界の非核化を願う多くの皆さま のご支援と、プロジェクトの拡散をよろしくお願いします。


写真集『NO NUKES』発刊にご支援を

ビキニ核被災国家賠償裁判の判決が一カ月後の7月20日㈮午後1時半~に迫りました。日米両政府による政治決着によって意図的に核被災の事実が隠ぺいしてきた被告(政府)の反論は全くないままです。判決への高い関心をぜひお寄せ下さい。
さて、昨年3月1日に32名の証言を紹介した『ビキニ核被災ノート』を発刊しましたが、新たな問題意識として、水爆実験を実施したアメリカ国民には実験の被害は知らされていないはずです。また、その後の核保有国の国民も、核実験の下での核被災者には思いを馳せることは無かったでしょう。
「NO NUKES「核はいらない」プロジェクト」は、今年11月、日英二か国語による写真集『NO NUKES』-ビキニの海は忘れない-の発刊を決意しスタートしました。資金援助をA-port(クラウドファンディング)で呼びかけています。期間は9月20日までです。現在の到達はまだまだです。ぜひご支援の輪をよろしくお願いします。

NO NUKES「核はいらない」プロジェクト

6月11日(月)~13日(水)にかけて、第五福竜丸元乗組員の大石又七さん(東京)、見崎進さん(静岡島田市)、池田正穂さん(静岡焼津)、第二幸成丸有藤照男さん(横須賀市久里浜)、第五良栄丸の田中廣さん(横須賀市久郷町)、第七大丸の柳原享さんの計6名の方々にお会いしてきました。ビキニ事件を発端に、日本で原水禁運動が大きく広がりました。しかし事件は、日米の政治的思惑で『第五福竜丸事件』に矮小化され、被害を受けた乗組員は地域から妬みと、ヒロシマ・ナガサキの被爆者と同じように差別にさらされていました。大石さんは東京に逃れクリーニング店を営むことになります。池田さんは、結婚を約束していた女性が事件後一度も会えず破綻し、京都に逃げるように移り住み「ビキニ事件」を自ら封印したそうです。

一方、ビキニ事件で核被災にあったその他の漁船と乗組員は日米の政治決着で「無かった」ことにされました。その結果、健康診断などの医療サポートは皆無で、若くして原因が分からないまま各種のガンで命を落としました。

今、生き残った双方の被害者が語るのは、歴史の事実を政府は認めて、核被災者への支援を一日も早く、そして再び核の被害者は出さないでという事でした。写真集には第五福竜丸をはじめ20隻のマグロ漁船と、45名の元漁船員・遺族がビキニ事件の実相を語ります。核実験被災者の思いを日英二か国語で初めて発信する取り組みです。熱いご支援をよろしくお願いします。写真集には、川崎哲さん(ICAN国際運営委員)、尾崎正直さん(高知県知事)、吉永小百合さん(女優)、山下正寿さん(太平洋核被災支援センター)などから推薦いただきます。



原子力に悩む大国 アメリカ



●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ



小路田泰直

1945年8月6日広島に原爆が投下された時、日本の原子力の父仁科芳雄は部下(玉木英彦)に次のように言いおいて、調査のため広島に飛んだ。
今度のトルーマン声明が事実とすれば吾々「ニ」号研究の関係者は文字通り腹を切る時が来たと思ふ。その時期については広島から帰って話をするから、 それ迄東京で待機して居って呉れ給へ。そしてトルーマン声明は従来の大統領声明の数字が事実であった様に事実であるらしく思はれる。それは広島へ明日着いて見れば真偽一目瞭然であらう。そして参謀本部へ到着した今迄のトルーマンの報告は声明を裏書きする様である。

※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!

仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)



*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。


何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインド・イギリスに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!


湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●世界の流れ、脱原発

教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)

福島原発で過去に起きた事故
上記の福島第一原子力発電所の細かい事故を年ごと、号機別に整理してみました

大きな事故としては関西電力美浜原発の3号炉で起きたパイプ破損では5人が死亡しています。
* 稼動以来交換していなかった配管を発見、
危険な状態まで薄くなっていたので交換準備をしてた矢先に配管破裂、
蒸気噴出。5人 が死亡、6人が重火傷



どうする?これからのの日本のエネルギー

●脱原発2

アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。

東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?

日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!



金子勝:ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録 2018.7.13


・リニア新幹線反対!!
大地震が起きたらどうなるか??
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦


地下40mを超高速で走ることへの不安

1923年の関東大震災、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災と、100年の間に3回も大規模な震災を経験した日本が、なぜ地下40メートルの「大深度地下」を時速500キロで走るような鉄道を考案できるのか。危惧する声は国内のみならず海外からも挙がっています。都営地下鉄大江戸線の六本木駅が地下7階(42.3m)と地下鉄駅では最深ですが、この尋常でない深さを高速走行する鉄道が、地震の際にどのような状況に陥るかは、残念ながら地震が起きてみなければわかりません。しかし、できれば自分が乗っている時には起きてくれるな、と思ってしまいます。

トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く



●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!

戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示すきちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!

大嘗祭、前回見解を踏襲 政府、退位儀式の概要固める 政教分離の論争、再燃避ける

「官房機密費」の使い道がヤバい!税金を泥棒する政治家・メディア・評論家たち!

天皇制を考えよう!!
昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊は出来なかった。細菌戦・毒ガス戦を命じた昭和天皇の戦争責任は?



政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり

眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味

天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上)

日本への空襲

天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!!

象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!




●医療問題
【旧大口病院中毒死】患者死亡時「家族への説明苦手」 逮捕の元看護師 

武田薬品、「7兆円買収」めぐるOBとの深い溝

H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究

強制不妊手術 中絶でも国を賠償提訴へ 北海道の夫婦

「救えるはずの患者を救えない」 子宮頸がんワクチン副作用「問題」はなぜ起きた?

子宮頸がんワクチン接種後の症状


水俣病


731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に

チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正


聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生




●自衛隊
地下鉄サリン事件に信者の自衛隊員に係わり、化学学校の情報が洩れていなかったのか??
執行時期、順序など慎重に検討か オウム死刑囚7人移送

三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな


自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製

地下鉄サリン事件(ザ!世界仰天ニュース)


読売新聞、日本テレビとアメリカCIAの関係

地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」

オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
元化学学校自衛官は、オウム心理教がサリン製造?本当にオウムだけで行えたのか?と疑い、次のように語る。
「サリン製造の実験室に勤務していた自分にはオウムだけでサリンを作ったとは信じられません。自衛隊では十数名のチ-ムで合成(5日)しています。実務経験者がいないと合成は無理だと思います。又は、平成6年頃「自衛隊の毒ガス製造技術」の管理は零に近い状態だったと記憶しています。漏れても不思議なことはありません。」

オウム事件で未解明な部分が多いのになぜ死刑を執行するのだ??
自衛隊の情報はオウムに流れてはいなかったのか?なぜ、サリンが作れる?ヘリコプターが買える??
なぜ、国家・警察はオウムを地下鉄サリン事件が起きるまで泳がせた?
裏で大きなお金が動いていなかったのか?
オウムと笹川財団、石原慎太郎の関係はどうなっているのか?
国家がサリン事件に関わっていないのか?
死刑執行をした上川法相・安倍首相の責任は重い!!
安倍首相と法相が オウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出(日刊ゲンダイ)
・この人たちは庶民とはかけ離れた全く別次元の人たちですよ  近畿で避難指示出るなか...安倍首相、死刑執行前夜の上川法相ら宴会で「いいなあ自民党」

オウム事件教団元代表の松本智津夫死刑囚の刑を執行
死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も
【音声配信】オウム松本死刑囚らの刑執行。法務省の説明やメディアの報じ方に疑問▼崎山敏也×荻上チキ▼2018年7月6日(金)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・
オウム事件真相究明の会、立ち上げ。

サリンの毒性(ウィキペディアより)
・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである
。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。


・安倍晋三の別荘のある地、鳴沢村とは旧上九一色村のあった土地である。かつて笹川財団が所有

オウムのサティアンと笹川さんとアベッチの別荘の関係とは?? ―
より
・鳴沢村に笹川陽平と安倍晋三の別荘があるということです。
・鳴沢村というのは、オウムのサティアンがあった所です。
・オウムのバックは、笹川財団です。
・これからは、パチンコやモーターボートに加えてカジノになるんだそうです。
・地下鉄サリン事件でほとんどの患者が運ばれたのは、笹川医療財団会長の日野原重明院長の聖路加国際病院=米軍極東中央病院
・笹川さんの死去後、日本財団のトップになったのは、放射能は健康に良いとか言ってる頭のおかしいオバさん曽野綾子
・ちなみに笹川記念保健協力財団の評議員に、山下 俊一(長崎大学 学長特別補佐、福島県立医科大学 副学長)がいる。


塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
首相動静(8月15日)
午後5時57分、鳴沢村の笹川陽平日本財団会長の別荘着。笹川会長、森喜朗元首相、小泉純一郎元首相、麻生太郎副総理兼財務相、茂木敏充経済再生担当相、西村康稔官房副長官、萩生田光一自民党幹事長代行、日枝久フジテレビ相談役らと会食。

共通点は北朝鮮と露、CIA。

安倍首相と元首相3人、大笑い 笹川氏がブログで公開


塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
2017年8月15日
返信先: @TsukamotoSozanさん
安倍晋三と笹川陽平の別荘がある鳴沢村とは、旧上九一色村のあった土地である。笹川財団が所有していた。つまり、オウム真理教のバックに笹川財団がいた。浜田幸一の著書に「山口敏夫と石原慎太郎がオウムに資金援助していた」宗教学者中沢新一の著書には「石原四男の石原延啓がオウム幹部であった」と
石原慎太郎の4男の延啓が元オウムの大幹部って本当?より
・1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。
・オウム真理教と石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医がだれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、心臓外科医としての林郁夫だった。
・石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。
・石原慎太郎は、オウム真理教への資金提供を行っていた。


●サリン事件と自衛隊の関係は??



陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年




5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?


・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?

700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


自衛隊と日航機墜落事故の関係は??


●憲法9条を守れ!!
大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条


“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!







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