2018年7月13日金曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊を支えた石井四郎の故郷の人々
三里塚闘争と石井部隊長の故郷(加瀬勉講演)2018年3月


7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日



『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5

「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5



●情報公開!! 新たな展開!!
・「衛生学校記事」情報公開裁判
7月12日(木)15:00~東京地裁419号法廷。

12日の裁判では、被告国側の回答書に、指定代理人が、平成30年5月29日に衛生学校教材課教材班長に対する聴取を行った際に、「図書原簿の探索を行ったら、朱書が引かれており廃棄された」という供述があることから、公開を求めている『衛生学校記事』の受入れ記録及び廃棄記録があることが判明した。
衛生学校図書室の図書原簿記載によれば、昭和32年1勝~昭和34年1月までに発行された『衛生学校記事』1号~19号、昭和36年4月~昭和50年7月までに発行された『衛生学校記事』及び昭和50年10月に発行された名称変更後の『ふかみどり』は、いずれも平成17年9月12日に登録事項が朱書で抹消されていることからすれば、同時期まで衛生学校図書館に保管されていたと考えられる。

被告側は、きちんと調査を徹底してやり、『衛生学校記事』『化学学校記事』を国民に公開してもらいたい!!

防衛省が、研究記録を簡単に廃棄するとは考えられない!!必ず保管しているものと思われる!!
きちんと、現物を早急に提出してもらいたい。

次回の裁判では、被告が聴取した人からの陳述書などが提出される予定。
9月28日に被告側資料提出、次回裁判10月18日11時~東京地裁419号法廷

防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。

防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。


公文書の在り方


自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??

憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??

『衛生学校記事』情報公開裁判


●ニュース
原発を止めて、災害に強い地番整備にお金をかけるべきではないのか?
金曜日も暑さ継続 被災地は猛暑に警戒を

真備町浸水、50年間棚上げされた「改修計画」


【豪雨災害】安倍首相、初動対応に「問題なし」- 野党は「豪雨よりカジノ審議」に反発


大竹まこと✕壇蜜:「赤坂自民亭」大手マスコミ取り上げず! ゴールデンラジオ2018年7月11日


二木啓孝:赤阪自民亭!災害予報が出ているのに如何なものか? くにまるジャパン極2018年7月11日


ツイッターより
・過去に例を見ない集中豪雨でテレビには語気を強めたニュース速報のテロップが流れる中、麻原以下オウム事件の死刑囚の死刑を強行…その前夜には祝勝会とも言わんばかりの自民党の宴会が開かれていた。水道法に続いてカジノ法案も可決寸前。この政権が向いている方向を、国民はまだ気づかないのか。

・この人たちは庶民とはかけ離れた全く別次元の人たちですよ  近畿で避難指示出るなか...安倍首相、死刑執行前夜の上川法相ら宴会で「いいなあ自民党」



安倍首相と法相が オウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出(日刊ゲンダイ)

武田砂鉄✕大竹まこと:記録的西日本豪雨災害/豪雨対策そっちのけ赤阪自民亭飲み会 紳士交遊録2018年7月10日








●人体実験のデータで博士の学位を取っていたら大問題だ!!
●ご紹介 検証を求める会  

731部隊員 平沢正欣(まさよし)論文の学位授与の検証 常石敬一


・戸田正三・木村簾【京大教授・731部隊嘱託(軍医学校嘱託)】は、きちんと平沢の論文を審査したのだろうか?敗戦直前の5月・6月の日本の状況を考えると難しいのではないか?6月6日に教授会をやって、即認めたのだろうか?
・「特殊実験」という平沢の言葉をそのまま、両教授は、容認し、学位審査の書面に記載している。「特殊実験」とは人体実験だろう。
・平沢(軍医でありパイロットだった)の論文を審査し、細菌戦に嘱託としてかかわった戸田正三は、戦後公職追放をとかれてから、1949年金沢大学の初代学長に就任、4選され1961年まで務めた。1951年、日本学士院会員、1961年11月20日(76歳没)。同じく731部隊嘱託の木村簾は、昭和3年京都帝大教授となり,同大ウイルス研究所長をへて,昭和32年名古屋市立大学長。腸内細菌によるビタミンB1の分解の研究などで知られた。昭和34年学士院賞(共同研究)。昭和58年5月28日死去。
論文を書いた平沢正欣は、1945年6月に飛行機事故で死亡している。

記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!


アピール1 731部隊員の学位論文(京大)を検証する 西山勝夫(滋賀医科大学名誉教授)



・1952年10月の日本学術会議の第7部会で、「細菌兵器の使用禁止」を求めるジュネーブ議定書を批准するよう提案されたが、細菌戦に係わっていた戸田正三、木村簾は反対した。そして自ら係わっていたことを全く反省せずに、戸田は次のように言ったという。
「生物兵器は、4,50年前に解決している問題でありまして、、今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労までして日本で作るという馬鹿が出ましたら、そんな馬鹿な事をするなという勧告を私からよくいたしますから、どうかその点ご安心ください」
戸田・木村らは自ら係わった細菌戦のことに全く触れず、日本の医学界の犯罪を隠し続けた。
生物兵器禁止条約は、2018年現在の締約国(および地域)数は179で、日本は1972年4月10日(署名開放日)に署名、1982年6月8日に批准[した。
※しかし、自衛隊・国立感染症研究所等いろいろな研究機関では、本当に生物兵器開発をしていないのだろうか??


「軍機」医学、歴史の闇に <731部隊軍医の博士論文>

研究者が戦争に協力する時 ―731部隊の生体実験をめぐって―(京都大学) 常石敬一・神奈川大学名誉教授講演


●731部隊だけじゃなかった!旧日本軍「513部隊」の存在が初めて明らかに

●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示
4/14(土) 22:31配信 京都新聞


約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した

ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。




●情報公開裁判(「化学学校記事」)
次回は第7回 2018年9月26日(水)16:00~東京地裁522号法廷です。

「化学学校記事」裁判 資料

7月4日の裁判では、前回に裁判官が変わったので、原告が、改めて意見陳述をした。
この裁判を何故始めたのか、経過を縷々説明した。最初は、防衛省との意見交換会の中で、いろいろ731部隊の情報を出すように求めていたがそれが叶わす、次は情報公開で請求したが、大分時間が経ってから、不開示になったことなど。なぜこんなにも時間をかけて不開示にするのか?
又、最近の防衛省の日報問題を取り上げて、本来あるべきはずの日報が、国民に知られてはまずい事実があったので、ずっと隠していたことなどを例に出して、『化学学校記事』も本来、化学学校にあるべきものなのに、国民に知られてはまずい情報があるので隠しているのではないかと追及した。

『化学学校記事』には、杉田論文が載っていて、その中に、戦中の731部隊の細菌戦の記述もある!!
その中には、1940年重慶細菌戦との記述もある!!
1940年と言えば、101号作戦で、重慶を5月~9月まで無差別に絨毯(じゅうたん)爆撃していた時期だ!!

藩洵著『重慶大爆撃の研究』の細菌戦の記述には、年が異なるが以下の記述がある。(142頁)
日本軍大陸指第345号で「中国軍に対して特殊弾(毒ガス弾)を使用してよい」と、規定しているが、実際に民間居住地域に対して細菌弾を投下した。1943年8月8日、日機9機が梁山県に侵入、爆弾20発の他、細菌弾4発を投下した。翌年の春と夏にかけて、梁山東門大砲台より西門霊土地までの細菌弾が投下された地域で多くの人に、高熱、吐き気、目まい、動悸などの症状が現れ、中には体に赤斑ができ、鼻血を出しながら死んでいった者もおり、石安、福禄、城東等の郷での死者は123人に達した。


国側は、目下当時編集した人などを中心に聞き取りを行っているが、まだその報告は出来ないという。

モリカケ問題でも、記録文書の存否が問題になっているが、防衛省でも、化学学校で作った『化学学校記事』の記録をきちんと把握していないという。
何でこうなるのだろうか?
防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強している現在、化学兵器も重要な武器であろう。
戦力は持たないと9条で謳っているが、余りの現実との乖離が生じているのではないか?
化学兵器、核兵器、生物兵器の開発を、自衛隊は戦後も、戦争中の反省も全くないまま、エスカレートさせている。

防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。

自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。

国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?

実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には
『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。
陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い、「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。


1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。
又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている)

1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!!

1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 

ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項

※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)

※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」

オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース

地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」


・安倍晋三の別荘のある地、鳴沢村とは旧上九一色村のあった土地である。かつて笹川財団が所有

オウムのサティアンと笹川さんとアベッチの別荘の関係とは?? ―
より
・鳴沢村に笹川陽平と安倍晋三の別荘があるということです。
・鳴沢村というのは、オウムのサティアンがあった所です。
・オウムのバックは、笹川財団です。
・これからは、パチンコやモーターボートに加えてカジノになるんだそうです。
誘致レース(363)北海道・苫小牧市=市長選24日告示 無投票 岩倉市長4期目IR誘致へ
・地下鉄サリン事件でほとんどの患者が運ばれたのは、笹川医療財団会長の日野原重明院長の聖路加国際病院=米軍極東中央病院
・笹川さんの死去後、日本財団のトップになったのは、放射能は健康に良いとか言ってる頭のおかしいオバさん曽野綾子
・ちなみに笹川記念保健協力財団の評議員に、山下 俊一(長崎大学 学長特別補佐、福島県立医科大学 副学長)がいる。
カジノの儲けはアメリカ・イスラエルに行くのか?
どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党



塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
首相動静(8月15日)
午後5時57分、鳴沢村の笹川陽平日本財団会長の別荘着。笹川会長、森喜朗元首相、小泉純一郎元首相、麻生太郎副総理兼財務相、茂木敏充経済再生担当相、西村康稔官房副長官、萩生田光一自民党幹事長代行、日枝久フジテレビ相談役らと会食。

共通点は北朝鮮と露、CIA。

安倍首相と元首相3人、大笑い 笹川氏がブログで公開


塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
2017年8月15日
返信先: @TsukamotoSozanさん
安倍晋三と笹川陽平の別荘がある鳴沢村とは、旧上九一色村のあった土地である。笹川財団が所有していた。つまり、オウム真理教のバックに笹川財団がいた。浜田幸一の著書に「山口敏夫と石原慎太郎がオウムに資金援助していた」宗教学者中沢新一の著書には「石原四男の石原延啓がオウム幹部であった」と
石原慎太郎の4男の延啓が元オウムの大幹部って本当?より
・1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。
・オウム真理教と石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医がだれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、心臓外科医としての林郁夫だった。
・石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。
・石原慎太郎は、オウム真理教への資金提供を行っていた

●サリン事件と自衛隊の関係は??



長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??


●731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。

“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」

命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない

●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!

政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!

「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13


南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频  2017.12.13


マギーフィルム(字幕付き)


・南京大虐殺の証言

ベイツ
12月18日 土曜日

夕べ私はここで眠りましたし、それがこれからも続くのでしょうが、何の助けも無い婦女や児童たちに、少しでも支援してあげられればと思っています。こういう人道的な働きに携わっている、他の外国人も私自身も、皆さん方の兵士に脅かされていますが、もしも私たちが、挙止の尋常でない日本兵に傷つけられたり殺戮されたりしたならば、誰の責任になるのか明らかです。
この手紙は純粋に善意から書かれたもので、礼儀をわきまえたものですが、ここで明らかにしました実際に起こっている、不愉快で失望させられる幾つもの事実は、日本軍が入城してから5日の間に、私たちが自分自身で経験したものです。急いで、解決と救いとの道を開いて下さいますように。


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)


南京大虐殺80ヵ年

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

(『日中全面戦争と海軍』笠原十九司著より)
時局は、南京陥落は、ついに象牙の塔の扉を真一文字に開かせ、これまで超然主義に徹底してきた東京帝大の各学部全学生を祝勝の旗翻る街に行進させた。帝大にとってまさに創設以来の画期的な「大学の行進」・・・・この朝モーニングに威儀を正した全職員、制服制帽に身を固めた全学生は、次々と南京陥落祝賀式場にあてられた構内運動場に集合、安田講堂寄りに設けられた中央演壇には、紅白の幔幕(まんまく)を張り、檣頭(しょうとう)高くへんぽんと翻る日章旗と軍艦旗の下で〔式典が開始され〕長與総長起って朗々と式辞を述べ、文教に身を奉ずる教職員及び最高学府に学ぶ学徒の使命を力強く高調、終わって同総長の発声で「天皇陛下万歳、大日本帝国万歳」を三唱した。

式典の後、全学生が法、医?、文、理、農、経済学部の順序で各学部長に引率され、皇居、靖国神社まで「画期的大行進」を行った。「街頭に出た大学」の弁を経済学部長土方成美博士は「本学も時局に超然たりを得ず、意義深き行進」としてこう語った。

時局に関心を持たんのを学徒の特権と考えたり、飽くまで客観的な立場を守って冷静な批判を下すのを学究的だとする思想は、今の日本の情勢とあまりにかけ離れている。もっともっと時局に大きな関心を持つべきだと思う。



●重慶大爆撃裁判 
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。






重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録

戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか


重慶大爆撃訴訟

the battle of china 1944


重慶大爆撃(苦干より)


重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。


爆撃の効果

「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真

爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。



不当判決!!

中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)

日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。

判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。

祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。





●ビザ発給拒否・集会妨害裁判(2018.6.8)
ビザ発給拒否・集会妨害裁判(2018.6.8)

内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!!
「中国人戦争被害者へのビザ発給拒否・集会妨害」第9回裁判
6月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷
前回の3月9日の裁判では裁判長が変わったが、今回は右陪席と左陪席の裁判官が変わった。
変わるのはいいが、しっかりと裁判をしてもらいたい!!
原告側は、外務省の役人3人の証人申請をしているが、7月27日までに書面でその回答を出すという。
9月6日(木)に裁判の進行協議が行われ、次回は9月21日(金)am11:30~になった。
是非、外務省の課長3人の法廷での証言を聞いてみたい!!
果たして上からの指示があったのか、政治家の関与があったのか?
森友問題・加計問題と同じような構図ではないのか??

今まで、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にするが、
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?

それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次々回の裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!

安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??


《ビザ発給拒否》裁判!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!
外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
ビザ発給拒否・集会妨害裁判




●「天皇制」を考える


小室圭さんが3年間アメリカ留学へ「引き裂かれちゃった」「眞子さまとの結婚は無理」「島流し」の声も

『日本人と天皇』より
・2つの説があって、1つは「東京裁判」対策の弁明書というもの、もう1つは単なる回想録だというものだ。
・その時、昭和天皇は思い風邪にかかっていたのに、執務室にベッドまで持ち込んでまで独白録の作業を進めたのよ。単なる回想録なら、体調が良くなるのを待って、ゆっくり書けばいいのに。
・待てよ、東京裁判が、始まったのは。
・46年5月3日。
・そうか、もし弁明の書なら東京裁判が始まる前に仕上げなければならなかったから重い風邪をおしても作業を続けたことの説明がつく。
・それを決定づけたのがこの本だ。(『昭和天皇2つの「独白録」』東野真著、NHK出版)
・2つの独白録?
・NHKの取材班はマッカーサーの側近。ボナー・フェラーズの残した文章の中から「独白録」の英語版を発見した。同時に
この本には昭和天皇の元侍従長稲田周一の日記が収録されている。
・稲田周一は風邪をおしえてまで独白録を作るのは、東京裁判対策だとはっきり書いているし、発見された英語版が独白録は、連合国軍総司令部に提出するのが目的だったことを証明するものとなった。
・それじゃ独白録は東京裁判に備えた弁明の書だったんだわ。

1975年の昭和天皇記者会見



(白井聡さんのお話より)
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・
白井聡:誰も書かなかった日本の深層!「国体論/菊と星条旗」 極シアター2018年5月31日



どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党


昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??

・松代大本営(ウィキペディアより)
建設

土地の買収は役場を通じて軍が行った。当時は養蚕が重要産業であったので桑畑は程度により買収金額が三段階に分かれていた。買い上げた土地のうち戦後に不要になったものは買い上げ価格の半値程度で払い下げられた(疎開補償費を元住民が半額返金した)。当該地区一帯500戸足らずのうち130戸が立ち退き対象となり、疎開は東部軍の指示により1945年4月から行われた。田畑の耕作は許可されていたため多くは付近の親戚や知人宅を頼った。大規模な移動が起こっていないように偽装するため、家、庭木、庭石などはそのまま、畳の持ち出しは3枚までに制限されていた。終戦後は漸次9月9日までに自宅に戻り、修理されていた家もあった[2]。

大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に

果して絶滅の恐れのあるアオウミガメを使う占いが必要なのか?
「大嘗祭」関連儀式でアオウミガメの甲羅を調達へ

<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開

昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更

公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー


20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」


平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に



●侵略戦争!!
日中戦争全史年表

・1941年(昭和16)
1月8日  戦陣訓
1月    中国新四軍事件
3月10日  治安維持法再改定、第3次法公布
3月30日  北支那方面軍、「第1次治安強化運動」展開(4月3日まで)
4月13日  日ソ中立条約締結(有効期間5年間)
6月22日  ドイツ不可侵条約を破りソ連に侵攻、独ソ戦開始
6月25日  大本営政府連絡会議、「南方施策促進に関する件」(南部仏印進駐の方針)決定
7月7日  北支那方面軍、華北で「第2次治安強化運動」展開(9月8日まで)
7月13日  日本陸軍、『関東軍特殊演習(関特演)」の秘密名のもとに対ソ作戦に備えて大動員開始
7月18日  第3次近衛内閣発足(松岡外相排除)
7月25日  アメリカ政府、在米日本資産凍結令を公布7月27日  海軍航空隊、重慶爆撃の102号作戦開始(8月31日まで)
7月28日  日本軍南部仏印進駐開始(8月4日終了)、オランダ領東インド(蘭印)、日蘭石油協定廃棄
7月30日  重慶爆撃の海軍航空部隊が米砲艦ツツイラ号の至近に爆弾投下(ツツイラ号事件)


重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!



昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。

強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター

731部隊展

第3回「戦争の加害」パネル展

感想より
29日(日)
・改めて、731部隊の非道さを痛感しました。決して、日本は戦争被害の面だけではない。ある意味では本当の加害者だと思った。陸軍の暴走だけが原因ではない。(40代男性)


●731の実態
・わしが命ぜられたことは、「ゴムホースで体を洗えということです。それもデッキブラシで洗え」と。わしは初めは足が震えて、とてもできませんでした。また”解剖”と思ったら顔を見ながら、「顔もデッキブラシで洗うのか?」と聞いたら、「そうだ」と言う。
・・・・


731 (2〕


第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
李厚彬特移扱資料9







●今、731を問う!!
謝恩と巡礼訪中報告会

謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)


中島幼八「足跡展」2018年5月5日 三茶しゃれなあど


1958年における強制連行の劉連仁と残留孤児の中島幼八(講師:今井雅巳)



731部隊の展示会(中国)

特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。




(月刊『前衛』より)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──富国強兵ならぬ強兵富国とは。つまり民主主義者とは正反対の考えを持っていたということですか。

実際に、日本が朝鮮支配を進めるために福澤が果たした役割は小さくなかった。詳しくはマンガを読んでほしいのですが、朝鮮宮廷内で起きたクーデターを計画したうえで実行にも加担し、明治政府が仕掛けた日清戦争では言論であおりまくった。戦争に勝つと国権皇張ができたと嬉し泣きしています。そのうえ軍は天皇直属であり、日清戦争は外交の序開きだと言うなど、侵略している意識すらなかったのです。戦争になったら国のために死ぬことが大義だと言い、教育勅語を歓迎した人物が民主主義者のわけがありません。福澤は天皇制絶対主義や皇国思想を日本人に浸透させ、朝鮮人、中国人への激しい侮蔑心をあおった。そのレールの上を走り、日本は第2次世界大戦に負けました。アジア蔑視は、現代の日本人にまで尾を引いています。


(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日  2017年1月27日号

[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……

『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より
「明治憲法」は、国の一切を統治する天皇が人民に与えられたもので、司法・立法・行政の三権が天皇の支配の元にあり、しかも天皇が、「天皇大権」と言って、軍の統帥権や緊急勅令・独立命令など、議会と相談せずに自由に行使しうる権限も認められていました。国民の権利は、法律の範囲内でしか認めておらず、手続きさえ整っていたら、国は人権を犯す法律を作ることが出来ました。
戦前に、人々の思想を取締り、7万人の人を捕らえ、1600人を殺し(中西三洋『治安維持法下の青春』光陽出版、139ページ)、多くの人々を迫害した「治安維持法」も、明治憲法下では完全に憲法で認められていたことなのです。









●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕

・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


第5章   新しい皇室、新しい国家主義



君主制を光輝あらしめるため、科学技術も利用された。1928年、大礼の年が始まったのは、ちょうど日本が大量宣伝・大量消費の文化に足を踏み入れた時期だった。全国的なラジオの日常放送が大衆の思想や価値観に影響を及ぼすようになってから、すでに3年近くがたっていた。


※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!

※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)





寧波(ニンポー)細菌戦






麗水細菌戦






日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!


中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■進歩
戦争はドイツの医学をも孤立させた。ドイツの医学は、今世紀の初めにはまだ持っていたその国際的意味をみるみる失っていった。にもかかわらず、手術の技術、レントゲン診断、内分泌腺学、生化学、社会衛生学の領域では重要な進歩をかちとった。

フェルディナンド・ザウアーブルフ(1875-1951)は、今世紀の初め、低圧室によって胸部手術に成功を収め、第1次大戦中に自由自在に動く義手を開発した外科医である。1931年に、彼は右心室のアノイリスマス(拡張)を除去する手術に初めて成功した。ザウアーブルフはチューリッヒ、ミュンヘンの大学病院の外科部長を勤め、1927年からシャリテ病院(=ベルリン大学病院)の外科部長であった。



強制不妊 男女3人が国提訴へ

<強制不妊手術>GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る

強制不妊手術 占領終了後、対象拡大

強制不妊手術、被害者らが早期の謝罪と補償訴える

全国弁護士が被害弁護団結成 強制不妊手術

強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは?




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