日中戦争ではこんなことは日常茶飯事だった。大方のお年寄りは口を固く閉ざし、話さないで鬼籍に入る人が余りにも多い!!
この方はよくぞみんなの前で話したと思う!!
<終戦記念日>話すことが責任 捕虜刺殺、私が命じた 90歳元日本兵、口開く
2010年8月16日(月)13:00
◇無知で理性失った 伝えておかないと再び戦争に向かう
終戦から65年を迎えた15日、和歌山県の元日本兵(90)が、中国人捕虜を刺殺するよう部下に命じた経験を初めて語った。兵隊の訓練のためにやむを得ないと自分を納得させてきたが、「むごいことをした」との思いが消えなかった。90歳の今、「人に伝えておかないと、世の中が再び戦争に向かう恐れを感じる」と、取材に対し口を開いた。【久木田照子】
20歳だった1941年3月、中国南東部の江西省に出征した。進軍する中で、現地住民らにニワトリや卵の提供を強いたこともあった。「中国の人を救うための聖なる戦争と教えられてきたが、本当にこれでよいのだろうか」。疑問を感じながら、銃撃戦をしたり、上官に素手や革ベルトで殴られる日々を過ごした。
伍長だった43年春、新たに兵役に就いた5人ほどの部下に25歳ぐらいの捕虜の男性を銃剣で刺すよう命じた。戦闘で度胸をつけるために必要だと考えた。捕虜の処遇を定めた国際法の規定も教えられていなかった。
捕虜は後ろ手に縛られて引き出された。部下は1人ずつ約10メートル走って胸を突き刺した。殺されると察知した捕虜の男性は「あー」と大声で叫び続け、刺されて息絶えた。
帰国後、このことは家族にも話せなかった。「(国際法に対する)自分の無知があの命令を下させたと思う。殺し、殺されるかもしれない戦争で理性が失われていた」と振り返る。08年と今年、市民団体の催しで出征体験を話した。ただ、捕虜を殺させたことについては語らなかった。
国のため、家の名誉のため、赴いた戦争。「批判する力を持たず戦争に加担した一人として、多くの人とともに反省し、他国との友好関係を築く責任がある」と語る。成人した4人の孫らにも、体験を語るつもりでいる。
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