2021年2月14日日曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回) 3月3日(水)11時~ 東京地裁 [703法廷]
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」











1月21日(木)
根岸恵子さんが「731部隊と大連黒石礁事件」についてお話しされました。

(参加者の発言)
元憲兵の戦後の証言では、「私は、憲兵として『特移扱』により、4人を731部隊に送った。これが私の罪行の全てです。」と語っているが、その憲兵の中国での「戦犯供述書」には、「大連黒石礁事件で、731部隊に送ったのが4名、その他の事件で731部隊へ送ったのが14名」と書いてある。

講演資料

https://28.gigafile.nu/0324-d1b61d7b31b27182eda94fd9454194440



原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

そして会うことはできても、互いに意思疎通ができるかは大きな問題であったはずだ。全ての中国人戦争被害者は日本人をひどく憎んでいるだろう。案の定、被害者たちは訪ねてくる日本の弁護士を信用しなかった。そんな彼らを原告として裁判をするために、弁護士たちはどんな思いをして彼らと向き合っていたのだろうか。裁判にこぎつけるまでに、弁護団が払った努力と時間と費用は途方もないものだろう。しかし、被害者たちの心の奥から絞り出される事実の重さと、次第に弁護士に対して心を開いていく原告たちとの交流の対価としては、惜しむものではなかっただろう。ただただ正義のために弁護士たちは寸暇を惜しんで、中国へと飛んで行った。「事実を認めて、謝罪してほしい」。ある弁護士が常日頃、国に対して口にしていたことだ。

※この本は高文研刊で定価は2,750円(税込み)ですが、下記メルアドに申し込みいただければ税込み2,400円でお分けいたします。
 又、2冊以上でお申し込みの場合1冊2,200円(いずれも送料無料)です。

連絡先:nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)

 



軍人恩給はあるのに、慰安婦には恩給がない!!

MYさん(城田すず子)は、1957年秋、ベテスダ奉仕女母の家に転がり込んだ。実家のパン屋が破産して16歳で売られ、国内外を転々とした末に更生の道を見つけたが、再転落しそうだとのこと。いずみ寮開設までの5か月間、軽井沢の古い家に奉仕女と住まわせていた。いずみ寮入所後の1958年11月、脊椎骨折で倒れ、絶対安静の病床で、小コロニーの第一歩としてのパン工場建設を夢見ながら自らの半生を口述した。扉に「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」という聖句が書かれている。

この本のあとがきには次のような彼女の言葉が載っている。

「兵隊さんや民間人のことは各地で祀られるけれど、中国、東南アジア、南洋諸島、アリューシャン列島で、性の提供をさせられた娘たちは、さんざん弄ばれて、足手まといになると、放り出され、荒野をさまよい、凍り付く原野で飢え、野犬や狼の餌になり、土にかえったのです。

軍隊が行ったところ、どこにも慰安所があった。看護婦はちがっても、特殊看護婦となると将校用の慰安婦だった。兵隊用は一回五〇銭か一円の切符で行列をつくり、女は女は洗うひまもなく相手をさせられ、死ぬ苦しみ、なんど兵隊の首を絞めようと思ったことか。半狂乱でした。死ねばジャングルの穴に放り込まれ、親元に知らせるすべもない。それを私は見たのです。この眼で、女の地獄を・・・」




      「噫(ああ) 従軍慰安婦」石碑

1965(昭和40)年、深津文雄牧師は、社会から見捨てられた女性たちが一生安心して暮らせる婦人保護施設「かにた婦人の村」(かにた村)を設立した。

1984(昭和59)年、一人の寮生が自ら従軍慰安婦体験を牧師に告白する。この告白「石のさけび」を受けて、施設内にある小高い丘に1本のヒノキの柱を建てたのは「戦後40年」のことだった。翌年そこには、「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が痕隆された。

「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表ユン・ジョンオクさんは、1980(昭和55)年より、北海道・沖縄・タイ・ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、1988(昭和63)年8月の来日の際にこの石碑を訪れた。

これが、韓国KBSテレビによるドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』の制作を生み、韓国内はもちろん諸外国にも大きな世論を巻き起こしていった。

戦争責任があいまいなまま半世紀以上が過ぎ、現在もなお、従軍慰安婦問題はアジア各国を巻き込む論争となっている。この石碑を通じて、地域から世界を見ることができる。
(安房文化遺産フォーラムの記事より)




犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答








自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。







終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』

・教え子の曾祖母が、「731の捕虜」との驚くべき証言

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ハンセン病


断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術

2018年5月17日 06:30

ハンセン病は以前「らい病」と呼ばれ、病名そのものに偏見が含まれていた。国は1907年、「ライ予防ニ関スル件」を公布し、31年に「癩(らい)予防法」を制定した。沖縄を含め、全国で患者の強制隔離を進め、「患者根絶」を図った。愛楽園は1938年、設立された。沖縄戦と米統治を経て、今も147人の元患者が暮らす。

 不妊手術を強制された男性は20代前半で愛楽園に隔離された。園で出会った女性と恋仲になり、25歳で結婚した

 男性は、隔離された人々への強制不妊が施されていたことは知っていた。愛楽園では園内で暮らすことや、結婚を条件に断種を実施した。入所者名簿を基に、看護婦や職員が対象者を呼び出して施術した。呼び出しに応じないものは探し出して手術台へ連行した。


【ハンセン病】「二度と学校に来るな」ハンセン病回復者に聞く差別と偏見の歴史

 

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

◎学術集談会

Ⅰ バクテリオファージの特異性に関する批判

                吉積 泰君

13, 23株バクテリオファージ中唯1株実験的に発生しめたるPAファージよりBailの所謂部分ファージを証明し得たり。(自抄)

 

2、アルカロイドの結核菌に対する影響(第2報)阿片アルカロイドの結核菌の発育に及ぼす影響及び

その化学構造との関係について

東京市療養所 寺尾殿治君

余はOpiumalkaloideを主としてIsochinolin系のAlkaloideがGlycerin-bouillon中に於て結核菌の発育に及ぼす影響を試験したる結果を概説せば次の如し。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


3章 浙江省支援者から

 

731細菌戦裁判報道記録

 

陳江苹(金華テレビ局記者)

 

 私は金華テレビ局の記者で、731部隊細菌戦国家賠償訴訟の一審判決を取材するために訪日しました。帰国後、この歴史的判決に関する報道特集番組を作り、浙江省金華地区で以下のように放送しました。

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 半世紀前、何十万人もの罪のない中国民衆が。日本軍731部隊の投下した細菌兵器に殺され、たくさんの都市と村が破壊されました。細菌戦被害者ら180名が、日本政府を相手取り、日本の東京地方裁判所に提訴しました。そして、2002年8月27日、第1審判決が言い渡されました。5年にわたつ長い訴訟の結果は、原告を再び傷つけるものでした。


  731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて

いるのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

四月十六日

 

曇り 薄ら寒し 午前八時半起床 中隊の使役巡察あり 第一五列車。

十五日の午後十時ニ十分駅警察派出所(遼陽警察署)西巡査(日本人)○○巡補(名前はわすれる非常に親しみの深い日本人と変わらない位立派な支那人)第十八列車警戒の為に乗り、彼の巡補は其の役目に終わり一旦派出所に帰り書類の整理をした後 自宅に(派出所のすぐ裏)引き上げた時 自宅の入り口の境の中に待ちかねたらしい怪しい二人組支那人 二発の銃声に 西巡査駆け付けた時 最早人影なく青く倒れているのは巡補ばかり。拳銃はもちろん取られて 二発の弾は(長銃にて撃たれ三八式の弾より非常に大きい弾なり 鞍山満鉄病院にて切開の結果判明)胸部大腿部いずれも猛貫にて人々に惜しまれつつ、遂に死す



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

  

それを悔やみ続けるこの老人の内部におけるほどにも、絶対に回復不能のまさにあさましい絶望があるだろうか?彼の単一化された意識は常に現存するイメージの内なる青年は、死の広野の薄暗がりに、売ることの出来なかった自転車を脇にしてただずみ、十円の金に不足してあさましい思いをし続けているのだし、彼のイメージの内なる彼自身は、青年が自転車を売ることを禁じていつまでも理不尽な怒声を発している老人である。

 


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

日本陸軍の暗黒部隊として、ともに秘密を背負って墓場まで行こうと誓い合った戦友たちとの掟は、まことに強固なものがありました。しかしこの平和の陰に、祖国を信じて犠牲になった人たちがいる事を忘れてはならない、まして我が長崎は原爆が落下された都市であります。また被爆者を始め市民の方たちは、全世界に向け、核廃絶をアピールしている都市でもあります。

 真実は語り継がれ記録され、歴史に空白を残してはならないとの信条から、今回、勇気を奮って証言させていただくことにしました。


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

旅大市公安局の南満州鉄道株式会社衛生研究所に関する調査(1953年124日)

 

9・3」光復後、日本軍が破壊する暇がないうちに、我々に接収された。内部の設備から見て、主としてペスト、コレラ、チフス、猩紅熱などのワクチンを製造していた。また前記の山内の供述から、大連衛生研究所が実際には「731」部隊の一部であったことは証明済みである。

(1)119-2、85、1、第9号

 

原注:大連衛生研究所所長安東洪次は、別の資料では安東衡平と書かれている。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

 

1、毒ガス使用禁止を定めて国際法

ジュネーブ議定書の成立

 以上見てきたように、第1次世界大戦の惨禍を経てこのような取り組みが国際的になされたということは、当時の世界の潮流として、毒ガスの使用は違法であるという認識が一般化しつつあったことを示していると言える。だが、これらの国際法は、毒ガスの使用は禁止しているが、その研究・製造・備蓄・配備については制限していないだけでなく、違反した国が現れた場合の対応(検証規定や罰則・制裁など)についても明文化していないという欠陥があった。1993(平成5)年1月に締結され、97(平成9)年4月に発効した「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」(「化学兵器禁止条約」)は、全ての化学兵器を安全・確実に廃棄することを定めると共に、従来の条約が禁止してきた使用だけではなく、開発・生産・移転・貯蔵も禁止し、抜き打ちを含む厳密な査察が入るという画期的な条約になったのはこのためである。


✬とは言っても、日本はサリンやソマンなどの毒ガスを作り続けている。防護のためと称して。(自衛隊化学学校)



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

付記・「毒ガス島」を訪れる

記録1 今日の大久野島


 だが、歴史は無情。この豪華な建物から20mも離れていない所に、表面はすでに禿げ落ちた古いコンクリートの建物が保存されている。昔を知る人ならすぐに、ここが第2次世界大戦の間、日本の軍事施設の建物あると判断できるだろう。形から見れば、この建物は普通の家に似ているが、三面が壁になっており、一面は完全に開かれてる。内部は2つ部屋に分かれていて、各々の部屋には皆コンクリートの基礎があって、このコンクリートは上に向かって口が開いて凹形をなしているので、当時ここには、大型のタンク状の容器が置かれていたのではないかと考えられる。果して、日本の友人によれば、ここにはくしゃみ性の毒剤が置かれていた―ジフェニール・シアンアルシン(あか1号)の倉庫であり、これらの基礎の上に大型鉄製タンクがおかれていたとのことだ。この荒れ果てた倉庫と美しいホテルは全く不釣り合いだが、歴史の保存のためにこの建物を残しているのだ。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

謀殺(ぼうさつ)

予防注射を口実に毒殺

 

中島宗一

属官

〈略歴〉

本籍 長野県下伊那郡

出身階級 農民

最終学校名 南信学院2部卒業

学校卒業後の職業 農業

最後の所属 旧竜江省警務庁特務科

被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠


大きな獲物を捕った漁師がその興奮に浸るように、支隊を前に思い思いのことを言って談笑していた私達は、話にも飽きると、閉め切っている部屋の暑さが急にこたえてきた。「おい、冷たいビールが待っているぜ。早く片付けて清めの一杯をやろうぜ」私は皆を促して死体の処置に取り掛かった。

 死体を用意してあった棺桶に入れ、嘱託医の所に行って書かせてきた心臓麻痺の死亡診断書を添え、市衛生隊を呼んで火葬場に送ると、私達は「冥途の土産に札の臭いを嗅がしてやったのだからなあ」と言って、彼のポケットから抜き取った涙の跡もまだ乾かぬ札束をポケットにねじ込む表を先頭に、街の料亭に流れ込んだ。そして、その夜は、「大戦果を祝う乾杯だ」と、時の過ぎるのも忘れ、狂ったようにどんちゃん騒ぎで夜を明かしたのである。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回)

3月3日(水)11時

[703法廷]東京地裁民事3部

これまで防衛省は 『化学学校記事』 1号~12号 (1967年) までの発行は認めたが、 私たちが入手し提出した「16号」(1970年)について頑なに発行を認めませんでした。しかし19年末「16号」関係者の証言が得られたとしてやっと「16号」の発行を認めました。また、発行元が「大宮化学学校修親会」 と記されている事から「他団体の発行で関係ない」「1冊も保管していない」 と主張しています。 現在 「16号」 関係者の詳細証言と何年、 何号まで発行していたのかを追及しています。

 周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を与えました。 旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、 研究していますが、現在ではCBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、研究・演習を行っています。

政府・防衛省の隠蔽体質は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。

全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。


●「衛生学校記事」情報公開裁判 423日(金)14:00~103号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)



自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究

2)化学兵器関係資料

5 米陸軍化学組織の概要及び活動の1部(別冊第3参照)・・・(20)
a 概要 b 研究開発 c 生産取得
結論」
このあとこのレジメに続く図表と別冊の名称が続く。
「第1表 化学剤
 第2表のⅠ ホスゲンの作用 シアン化素・塩化シアンの作用
 第2表の2 Gガスの作用
 第3表の1 LCT50
 第3表の2 揮発度、凝固点、沸点
 第4表 クラスター形式投下弾及び雨化タンク(欠)
 第5表 生物剤1覧表(欠)
 第1図 CBR用法図表
 第6表 生物剤

別冊第1 化学目標分析と化学火力計画
別冊第2 化学品目の修正された分類及び近代化法
別冊第3 米軍化学関係組織」


 このレジメの項目からは、化学剤の性質、戦場で使用する場合必要な「戦場濃度」の確認、それを得るために必要な攻撃手段・方法が講義されたことがわかる。また米軍の資料に基づいて化学戦を考えていたこと、そして3のところで核兵器と連携した化学戦の展開を考えていたことがわかる。また4では生物戦も取り上げられている。
 以上のことを学習するためのデータが、1表から6表、1図まで付され、更に別冊第1によって、米軍の化学剤の種類と名称・記号を確認し、別冊第2で、実際に化学戦を展開する場合に考慮すべきが詳細に示されている。別冊第3は米軍の化学関係組織の図である。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る


その戦略的根拠

 65年後半、突然自衛隊教範の全面改定の方針が定まり、従来の翻訳教範から独自の新教範体系が決定されるのだが、上部教範である幕勤、野外令の改定に伴う下部教範である各科運用、操典、共通教範などの改定も混乱したといわれる。

 新教範改定は、旧教範によって行った教育訓練の経験実績から生まれる改訂意見、新装備の研究開発による改正事項、新資料に基づく部隊実験の成果等から所要の資料を検討し、取りまとめて新教範を編纂する作業を行った(前回、「編さん裏話」から)ということから推測して、生物・化学兵器、防護の内容にかなりの変化があったと思われる。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 学識者たちも、新しい「象徴」天皇キンペーンに加わった。天皇が自分の神格を否定した直後、歴史家の津田左右吉が書いた論文が、戦後、新しく創刊されたインテリ雑誌『世界』の19464月号に掲載され、たちまち、新しい君主制を全面的に擁護する最初の好論文と目されるようになった。津田は、歴代の天皇は民主主義と両立してきたのであり、日本では有史以来、ほとんどいつでも、権威と権力は天皇と支配階級の間でつねに分割されてきたと論じた。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国                 署名日      批准日 (締約日)

タイ                   2017年9月20日   2017年9月20日

東ティモール             2018年9月26日

トーゴ               2017年9月20日

トリニダード・トバゴ                     2019年9月26日         2019年9月26日

ツバル                                        2017年9月20日        2020年10月12日

 

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!








 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回) 3月3日(水)11時~ 東京地裁 [703法廷]

日本は、1930年~1945年の間に、最初は台湾の霧社事件で、1928年発効のジュネーブ議定書という国際法を無視して毒ガスを使い、その後も中国戦線に於いて毒ガスを多用し、甚大な被害を与えた。




 敗戦時、それらの毒ガスを中国に遺棄してきたために、戦後も、中国の方々を今でも苦しめている。
 その処理は、1997年発効の化学兵器禁止条約で、遺棄してきた日本が処理することになっているが遅々としてその事業は進んでいない。
 戦後の遺棄してきた毒ガスによって被害に遭われた方々への補償も行っていない。


 処理事業は、なぜか安倍が最初に就職した神戸製鋼が請け負っている。事業に関しては不透明な部分が多い。
東京裁判では、アメリカは、自国も毒ガスを大量に保有し、以後使うことも視野に入れたために、日本の毒ガス戦を全く裁かなかった。
 それを良いことにして、戦後、自衛隊は毒ガスを研究し、1964年にはサリンの合成に成功している。また1973年にはBZという毒ガスの合成に成功している。
 1995年の地下鉄サリン事件では、オウム真理教がサリンを作ったという事で、裁かれたが、信者には自衛官もいた。


自衛隊の情報が漏れてはいなかたのか?
 2018年に、麻原はじめオウムの死刑囚を全員死刑にしたが、その結果、オウムのサリン製造と自衛隊の関係は全く闇に葬り去られた。
憲法9条では、戦力の不保持が謳われているが、防御のための毒ガス製造は許されるのか?



 

73l部隊関連資料の公開を求めて
 戦後、多くの元731部隊員や化学戦の関係者が自衛隊に入隊しています。私たちは元隊員たちが当時実戦で知り得た情報・研究論文等を掲載していると思われる陸上自衛隊衛生学校及び化学学校発行の内部誌『衛生学校記事』と『化学学校記事』の公開を求めて2013年11月(化学学校は2016年) 東京地裁に提訴しました。

『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回)
3月3日(水)11時~
「703号法廷」東京地裁民事3部
これまで防衛省は 『化学学校記事』 1号~12号 (1967年) までの発行は認めたが、 私たちが入手し提出した「16号」(1970年)について頑なに発行を認めませんでした。しかし19年末「16号」関係者の証言が得られたとしてやっと「16号」の発行を認めました。また、発行元が「大宮化学学校修親会」 と記されている事から「他団体の発行で関係ない」「1冊も保管していない」 と主張しています。 現在 「16号」 関係者の詳細証言と何年、 何号まで発行していたのかを追及しています。
 周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を与えました。 旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、 研究していますが、現在ではCBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、研究・演習を行っています。
政府・防衛省の隠蔽体質は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。
全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。

『衛生学校記事』 情報公開裁判 (第28回)
4月23日(金)
14時~ [103号法廷]東京地裁民事51部
『衛生学校記事』 は、 衛生学校の 「図書原簿・ 目録」 から嘗て存在していたことが明らかになりましたが、 当該個所に二重の赤線が引かれていることから被告は「廃棄した証拠」 と主張し続けています。しかし発行当初の『記事』表紙には「陸幕認第8号」「部外秘」と、陸上自衛隊の承認の下に発行されていたことは明らかです。 そのような内部誌が、発行元に一冊も保管されていない、廃棄したということは到底納得できません。 更に元衛生学校長の金原節三氏が退職後大量の戦史資料と共に『衛生学校記事』も寄贈し更に「金原文庫」まで設立したにも関わらず、今はこの貴重な「金原文庫」の存在さえも不明です。
現在は金原寄贈資料の行方の再調査と、 「廃棄した」 当時の関係者の証言を要求しています。


«連絡先» 
■NP0法人731部隊・細菌戦資料センター          -2020年12月25日現在一
(共同代表:近藤昭二[ジャーナリスト]・王選[細菌戦犠牲者遺族])   Email:info@ichinoselaw.com 
〒105-0003  港区西新橋1-21-5  一瀬法律事務所  電話:03(3501)5558(元永)
■ABC企画委員会(代表:田中寛[大東文化大教授])電話:042(348)1127/080-5655-3354(和田)


















「危険、やめろ」住民団体が厚木基地でのCBRN対応訓練に抗議 神奈川)
 在日米海軍厚木基地(神奈川県大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


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