2009年7月30日木曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない

(昨日の続き)人を殺すなんて決してできない心やさしい当たり前の人間たちが、人を殺してしまった事実、その落差が戦争という集団発狂の中でこそ容易に行われてきたのである。かといって殺して生きるしかなかったその閉ざされた時代を、今許していいのだろうか。やはり一人ひとりが苦しいけれど戦争を人間の歴史にとどめるために、殺人者になってしまった過去を、語ることが大切だと思っている。
 今まで戦後の30数年は、沈黙を至上のことと考えてきたが、今や私は語らねばならないと思う。なぜなら、30数年を経た今日でも、未だこの世に戦争の起きる危険性が存在し、時にそのカマ首をもたげようとしている。そしてひとたび戦争が起これば、またあの忌まわしき731の亡霊が眠りをさますかもしれないからである。歴史の空白を埋める作業こそが2度と戦争をおこさない道につながることだと信じる。
 ともすれば、これらの体験を、海の底に奥深く棲む1個の貝のように、硬く口を閉ざす人々は多い。しかし、私はそのような貝にはならない。貝になってはいけないと思う。もう、「日の丸」のうたを歌わないために、私は、これから、ありのままを話したい。(明日に続く)


※本当に戦争に行った人たちは、ほとんどが貝になってしまった。無事帰国した人たちが、過去を語らないというか語らせないようにいろいろな命令があったり、戦友会の締め付け、軍人恩給を貰うので日本の悪口を言えない風潮があったのだろうか?その結果、最近の日本ではあの戦争を「アジアの解放のための戦争だった」とか美化したりする勢力が力を持ちつつあるのは嘆かわしい!!(ノブ)



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

趙興隆(男、64歳)の証言
 1937年(即ち民国26年)の冬、私たちは難を逃れて寧海路の蘇州駐京同郷会に住まっていました。日本軍が南京を占領してから至る所で中国兵と南京の青壮年とを捜査し逮捕しました。私たちの住まっていた寧海路の難民区から、日本軍が1度30人余り捕まえて行き、私もそこで捕まりました。日本兵は私たちを山西路広場まで連行し、1人1人ちゃんと立って並んでいるように命じ、家の人に引き取りに来させました。その時家族に引き取られたのは3人だけで、私はその中の1人だったのですが、その他の30人余りは引き取る人がいなくて、西橋(山西路の付近)まで連行され、機関銃でみんな掃射されてしまい、後に私がそこへ行ったら、屍があまねく地に転がっていて、見るに忍びないすさまじさでした。(1984年に王瑞屏と魏福仲が記録)

 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

基地をなくして

緑と海を取りもどしてい世界


基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人々にとっての本当の「平和」ではないでしょうか。
それは、人々が「平和に生きる権利」を確保することでもあります。

 フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしている事に対して、人々は反対運動を続けています。
 沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点として使われることに黙っていられないと、世界の人々は立ち上がっているのです。
 かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたっています。
「ミクロネシアの歴史は、人々がイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」 



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年7月29日水曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない

(昨日の続き)部隊に所属している時もいったん家に戻ると、妻にさえ隊内の"実験”については一切語らなかったし、それなりに自由になった戦後も一言も明かさず、身を隠すように生きてきた。
 私は時々思う。戦争なんてなければ、きっと私の青春は希望に満ちた時代だったと・・・・。しかし、私がそこで送った25歳から29歳という5年間は、どこにそんな生気にあふれた青年らしい生き方があったろうか。でも、もしかしたらもっと多感な時代であればこそ、その悲惨な事実を1つ1つ鮮明に記憶しているのかもしれないとも思う。


 石井隊長も、今生きていれば90歳(この本は1983年に発行されている。)を過ぎているし、当時の将官級の人たちもおそらく80の半ばに達しているだろう。そしてあと数年もすれば731部隊のことを語る者は、非常に少なくなり、記憶の呼び戻しにも困難をきわめるかもしれない。
 戦争の記憶とは、被害と加害の両方が記録されねばならないと言われて久しい。しかし、心優しい当たり前の人間たちが、国家という単なる所属の違いによっての殺し合いに動員されねばならなかった戦争を語る時、苦しくつらいけれど、「私は、いつ、どこで、何人の人間を、どうやって殺した」と静かに語らねば、本当の加害の記録にはならないのではないかと思ってきた。 (明日に続く)

※日中戦争自体(日本は戦争扱いを避け、事変とした)大義のない戦争であった。1937年7月、蘆溝橋でどちらの軍が先に発砲したかしないかで軍事衝突が起こり、これを機に日本軍は中国を侵略していくという戦争であった。支那軍の「暴戻(ぼうれい=あらあらしく人道に外れていること)」を膺懲(ようちょう=うちこらすこと)し、南京政府の反省を促すとしたが、それは大日本帝国が中国を支配におきたいと言う一念から出たのもではなかったか?国内では日本国民は優秀で、天皇が神であるとし、世界の国々を天皇を頂点にして帝国を作ろうとした。無理な話であった。そこに動員された人間も本当に悲惨な道を歩んだ。もちろん被害者はもっと悲惨な人生になってしまった。(ノブ)



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

朱秀英(女、57歳)の証言

 1937年の12月13日には、私は9歳でした。日本兵が入って来た時、母が私を連れて泥馬巷16号、旧の同義公染坊に隠れました。母が寝台の下に隠れたので、私もベッドの下にもぐろうとしたら、不意に日本兵が1人私の後頭部をつかみあげて、、銃剣を抜き、私の首に押し付けて殺そうとしたところを、ちょうど1人のお婆さんが見つけ、ひざまずいて命乞いしてくれたので、日本兵はやっと私を放ちました。明くる日の午前中に、私たち難民区へ行って隠れました。
 叔父は王宏富と言いましたが、日本軍に泥馬巷16号から笪橋市まで捕まって行って殺害されました。(王瑞屏と魏福仲が記録)

 
 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

基地をなくして

緑と海を取りもどしてい世界


戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質を垂れ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、実際の戦争だけではありません。 世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700ヵ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。日本にもたくさんの基地があります。 基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件が頻繁に起きています。ひどい騒音もあります。 基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料が垂れ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人々の暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。 軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押し付ける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人々の精神や心理さえもむしばまれてきました。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年7月28日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

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1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない

(昨日の続き) 私は、証言に立つたびに、きまって夢を見る。逃げても逃げても、大きな戦車のような黒いかたまりに追いかけられて、どうにも逃げ場を失う夢だ。絶対絶命という瞬間、目が覚める。粉雪の舞う安達(アンダ)実験場で、四方八方散り散りに逃亡を始めたマルタ(=生体実験に使う人間のこと)30本を、一本一本特別車で踏みつぶした、あの731部隊の過去は、今もこのような形で悪夢としてよみがえり、私の安眠を妨げているのだ。
 1945年8月15日からさかのぼること一週間前、私たちはマルタを全員殺害し、専門の工兵隊を入れて、監房を爆破した。さらに証拠を残さないために、マルタの骨をあたかも砂でも運ぶように、スコップでカマスに入れ、トラックでスンガリ(松花江〔しょうかこう=中国の川の名前〕)に捨てた。
 私は一睡もせずに丸3日間、この異常な労働に明け暮れた。この仕事が終った明け方は、だるさが全身を襲い、後頭部の一角だけが妙に冴えていて、そのくせ、足の下から眠気がはい上がってくるようだった。マルタの骨を飲み込んで流れるスンガリの黒いうねりは、今でも私の目に鮮明に焼きついている。

 確かに証言は苦しい。しかしもっと苦しいものは、沈黙を強いられることだった。
「731の秘密は墓場までもっていけ」といわれて守ってきた37年間の沈黙は、鉛を背負ったような生活だった。(明日に続く)

※よくぞ口を開いてくれたと思う。日本の過去にやった非道なことがこうゆう証言が出て初めて明るみにでる。決して過去の戦争を美化してはならないと思う。(ノブ)



日本軍細菌戦部隊

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関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

汪美才(男、73歳)の証言

 1937年の暮れ、日本軍が入ってきてから、家中で難民区に避難しましたが、場所は華僑路の向かいでした。ある日、日本兵の一隊が難民区へ来て中国兵を捜査し逮捕しようと、男の人をみんな引っ張り出し、並ばせた中に、私も捕まって入れられてしまい、その後トラックに無理矢理乗せようと、日本兵が引っ張りに来た時に、黄という中国人の通訳に、「黄さん、私は兵ではありません。家には年寄りがいて、子供は小さくて、私が養うのに懸かっているんです。一つお慈悲を!」と哀願したら、それがやっと私を脇へ押してくれ、その他の人たちはみんな日本軍にトラックで、下関の江辺まで運ばれ、機関銃で撃ち殺されました。黄という人の助けで初めて、私は幸いにも一死を免れたのでした。(王秀珍と史学恵が記録)

 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器を使わせない世界



核兵器を全面禁止することこそ必要です。世界のNGOは、「核兵器禁止条約」をつくることを提案しており、国連で交渉を始めることを呼びかけています。
 生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人々が出てくる可能性はあります。その時には国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。

 ノルウェーは2006年、地雷や核兵器といった非人道兵器を製造している企業に対しては、国の石油基金からの投資を止めることを決めました。日本は、「核兵器をつくらない」「もたない」「もちこませない」という「非核三原則」をもっています。
 原爆を投下された日本は、「やり返す(報復)」のではなく「この苦しみを誰にも繰り返させたくない。だから核兵器を廃絶しよう」という道を選びました。私たちは、この考え方をさらに強化して、世界に先駆けた行動をとることができるはずです。

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1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年7月27日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない

(昨日の続き)ー戦前の日本には兵役の義務があり、軍隊の中では『上官の命(=命令)は、朕(ちん=天皇)が命と心得よ』という軍隊規律があった。そのうえ、逃亡の罪、器物損壊の罪など十大罰則によって、がんじがらめにされていた等々・・・。だから国家の意志の前に、私たちは従順なロボットだったーと。
 しかし戦争を知らない若者たちに、このようなことをいくら言ったって理解してもらえないかもしれない。でも戦争という時代の中では、悲しいことにも庶民は無力だったという現実が一方にあった。かといって、私の犯した罪を無にするつもりはないのだが・・・・。
 正直にいうと、証言に立つのは、私にとって大変苦痛なことだった。できることなら胸の奥に閉じ込めておきたい過去を、自らの手でひっぱりだすことだから・・・。話を聞く人たちは、初めは必ず実験の異常さに目を輝かせる。しかし、しばらくするとその目の輝きは「そんなことを君がやったのかー」という非難の色に変わる。この時が私にとって一番つらい。(明日に続く)

※自分の罪を公衆の面前で話すことはなかなかできることではないと思う。黙っていれば好々爺として余生を静かに送ることもできたはずなのに。南京大虐殺その他戦地に行かれた多くの日本人が自分のやったことを、ほとんどは語らずに黙って死んでいったのだろう。もちろん、敗戦直後軍の上層部から箝口令(かんこうれい)が出されたと思う。戦友会の締め付けもあったろう。日本の一部の人たちが、「あの戦争をアジアを解放するためにやった聖戦だ!」などというのを聞くとあきれてしまう!!あの戦争は明らかに侵略戦争であった!!(ノブ)



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華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

○元池(男、68歳)の証言

 1937年に日本軍が入って来てから、私たちは家中で難を避け沙洲圩へ行きました。ある日、日本兵の一群が来て、私たちの住んでいるところまで来、私と弟を捕まえて行って、魚を捕まえさせたので、私と弟で○子魚(たなごに似た魚)を10匹捕まえてやったら、やっと私たち兄弟を放ち家に帰らせました。家に帰る道で、私たち女の人の死体をたくさん見かけましたが、みんな日本軍に強姦されてから、又銃剣で刺し殺され道の脇に放り出されたもので、死体の下半身はズボンがすっかりはがされていました。私と弟とは草を少しつまんで死んでいる人に掛けてあげたのですが、そのすさまじい光景は全く痛ましく涙させるものでした。それから私たち逃げて行きました。(周秀英と朱月娥が記録)

 ○・・・日本語に変換できない漢字。

 ●憲法9条

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武器を使わせない世界


世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
 たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
 また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。

 広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
 このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
 いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年7月26日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない

 「あなた方は、そんなひどいことをして・・・・、中国へ行って誤ってください」
おかっぱ頭の女子高校生の熱気を帯びた厳しい眼差しに、私は思わずたじろいで、言葉を失ってしまった。
 それは1982年7月7日、長野県の松本勤労福祉センターで開かれた「日中不再戦の夕べ」で同じ731部隊にいた小林寿雄さんとともに証言に立った時のことである。そこで私は『悪魔の飽食』(森村誠一著)の舞台となった関東軍防疫給水部本部第731部隊の元隊員として自分自身が見たり、手を下したりした幾つかの‘実験’をありのままに話をした。
 確かにいままでも、戦争という「公認の殺し合い」の中とはいえ、731部隊が犯した罪は決して消えないと思ってきたが、その女子高校生の率直な問いかけに、改めて'私の罪'の重さを感ぜずにはいられなかった。しかしまた、私はその女子高校生を見て、再び語り始めた。(明日に続く)

※日本での戦争の話では全国の多数の都市が襲われた米軍の空襲の話であるとか原爆の悲惨な体験談などが多い。日本での被害の話が多く、戦争のことを記憶するために造られた各地にある平和資料館などでも戦時中の日本人の暮らしぶりなどを主に扱っている。日本が中国や東南アジアでどんなことをしてきたのかを語る人々はわずかな人たちだけだ。あの戦争は侵略戦争であったことを日本政府も少しずつ消し去ろうとする勢力の台頭も気になる。教科書などにも少しずつ、加害のことが消されていく現状だ。もし、自分が日本軍の兵士であったとして70歳~90歳ぐらいであったなら過去に犯した罪を果たして語るだろうか?それまでも苦労して生き抜いてきたのだから勘弁してくれ!と言って何も活動などしないのではないかとも思う。
 越さんは、本当に反省して語りだしたのどろう。やったことはすごい悲惨なことであるが、それを反省して告白する勇気には感銘を受ける。人間自分の過去のいやなことは忘れたいと思う人は多いのではないだるか。(ノブ)



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

張恒順(男、76歳)の証言

 1937年の冬に、日本軍が入って来て間もなく、私が上乗庵のところまで行って、日本兵1人と出くわしたところ、その日本兵は片手で私の衿(えり)をつかみ、もう一方の手で銃剣を抜こうとしたので、てっきりこれで死ぬしかないと観念したのですが、何と日本の銃剣には曲がったぼっちがあって、直ぐに抜けなくて、私の衿をつかんだ手を離し、両手で抜こうとしたので、その隙に私は懸命に走って逃げ、それでやっと一死を免れたのでした。その後、私は沈挙人巷の避難所に住まうようになったのです。(周秀英と朱月娥が記録)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

おたがいに戦争しないと


約束した世界


地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年7月25日土曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より

10章「誰が知っていたのか?」

(昨日の続き)裕仁と親しいつきあいをした人々のうち、あまりに多くの人たちが、その計画の規模に気づいていた。結局、彼はこの政策についていくらかのことを聞かないわけにはいかなかった。そして、最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行われるものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
 それでも、天皇を扱うに際しては公平を期すために、裕仁は絶対君主でなかった旨を繰り返しておくべきだろう。石井や参謀本部は戦後、逆の主張をしているが、天皇は、たとえそれが攻撃的なものであるにしろ、防御的なものであるにしろ、細菌戦の研究の中止を断固として命令することは決してできなかった。彼は基本的に国家事項については受け身的な役割しか果たさなかった。さらに、はっきり言える事は1930年代から第二次世界大戦中にかけて一貫して陸軍を支配してきた狂信的な軍国主義者たちは、もし仮に裕仁が向こう見ずにもそのような命令を下したとしても、細菌戦研究の中止を命令するような勅令には従わなかっただろう。軍国主義者たちはすべてを犠牲にしてでも使用可能な細菌兵器を作り出す決意を固めていた。彼らは、文民の生活を送る誰の願いに反するものだとしても、それが天皇の意志に背くものだとしても、この計画を進めたであろう。
 しかし、今日使用可能なすべての証拠を見てくると、この章の冒頭に掲げた疑問は次のように読み替えるべきかもしれない。-戦前および戦中の日本の支配層にいたエリートのうち、誰が細菌戦の計画について知らなかったのだろうか、と。(以上、引用終了)

 ※細菌戦の計画については軍部の者たちはみんな知っており、石井の講演を聞いた天皇も感心して強力にその兵器開発を後押ししたのではなかったのか。それゆえ、東京の陸軍軍医学校と平房の巨大施設を飛行機で何回も往復し、また、たくさんの施設がよく連携したネットワークで結ばれ、全国の帝国大学の医学部の協力を得ることが可能であった。私は天皇は決して受け身的な存在などではなく大元帥として、積極的に自らも関心のある生物兵器や細菌兵器の開発をバックアップしたと思う。敗戦濃厚な時期によく天皇が「もう一度戦果を挙げてから」と執拗に反撃の機会を期待した裏にはこの兵器に賭けるものがあったのではないかとも思う。(ノブ)
 
日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

劉登学(男、72歳)の証言

 1937年の12月13日午前9時ごろに、私は李成東と一緒に家を出たのですが、三茅宮7号の門外で、私たちはこの目で、お婆さんが1人日本兵にその場で刺し殺されるのを見ました。日本軍が2人を見つけて、検査し、李成東がねずみ色の綿布のチョッキを着ていたので、お前は中国兵だと言い、銃剣で李を続けて3太刀刺したので、李はその場で日本軍に刺し殺されました。私は何も疑わしい物は見つからず、それで生き残れたのですが、その時は死ぬほど吃驚しました。それと、1938年の1月に、兄が富城橋で日本兵に打たれ吐血して死にました。(周秀英と朱月娥が記録)

   
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

おたがいに戦争しないと


約束した世界



 「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
 軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
 このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。

 日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
 NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
 その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
 また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年7月24日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より

10章「誰が知っていたのか?」

(昨日の続き)けれども、不穏な疑問がまだ残っている。天皇は人体実験について知っていたのだろうか。答えはおそらくノー、である。結局、彼に細菌戦研究のきわめて詳細な部分まで伝える必要はなかったのである。もし、質問があったら、彼は細菌戦研究の進展について一般的な話を教えられることはあったろう。細菌戦の研究における発展は奨励するが、マルタの運命については知らない、これがこの君主を理解する際に重要なポイントである。 裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。もし内藤良一の言葉を信じることができるならば、参謀本部は、このことに留意して、「生物戦に関する作業を攻撃の準備のためのものだというべきでない、と主張した。彼らは、細菌戦に関するすべての事業を純粋に防衛的なものであると説明した」。(明日に続く)

 ※私は全く信じられない。天皇はマルタのこともそこでどのようなことが行われているかもおおよそは知っていたと思う。日本人が当時中国人をチャンコロと呼び、軽蔑していた。政府がそのような教育をしていた。天皇も日本人は優秀ですばらしい民族であると自負していた。当時の小学校の教科書を見ればそのことがよく解る。天皇は世界に冠たる大日本帝国を作るために最新兵器の開発に力を入れ手段を選ばずいろいろなことを奨励していたのではないか?何と言っても石井部隊や若松部隊は1936年勅令によって設立されたのだから。
 内藤の発言にも疑問符である。防衛的なものであるはずがないではないか。実際中国では細菌戦を何回も行い、最初のノモンハンではその行為に対して天皇の玉璽まで押してある政府表彰をしたのだから。(ノブ)
 
日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

樊宝君(男、74歳)の証言

 1937年の12月13日に、日本軍が南京に侵入し、我が同胞対し残忍非道なる大虐殺を展開しましたが、私たちは家中で避難し上海路の難民区に逃げ込みました。12月26日の午後、仲のいい友達2人と遊びに出かけたら、日本兵3人に捕まり物を担ぎに長江路まで行かされました。やがて放たれ、家に帰る道で、また2度目に捕まり、私たち2人物を担いで雨花路まで行く時に、日本兵が後ろを歩いていて、私の後ろの物を担いでいる同胞を、銃剣で突っつき殺して地に倒し、ちょうど私を突っつこうとした時に、機に乗じて物を置き去りにしたままいち早く駆け出し、日本軍が後ろから追いかけてきて、私が人の家に潜り込み、ベッドの下に隠れたら、日本軍が追いかけてきて部屋に入り込み主人に人を出せと迫りましたが、その主人が日本語で「誰も入って来ないよ」と言うと、日本兵は行ってしまいました。こうしてやっと私は九死に一生を得たのです。
 難民区では、日本兵が婦女子をたくさん難民区から捕まえて行き、防空壕の中で獣のように強姦をやったのを、私はこの目で見ました。(張連生と金桂珍が記録)

 
  
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器をつくったり

売ったりしない世界



世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
 しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
 
 日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
 しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
 私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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