2009年6月13日土曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

2、細菌の感染ルート

細菌の感染源を増やす

●細菌の殺傷力を最大限に発揮させるため、731部隊は細菌感染の最適ルートを研究し続けた結果、ノミが最適な媒介物であると判断した。ノミに細菌を感染させると、1匹1匹が「小型細菌伝染源」となり、感染したノミが人間または動物を攻撃した時に細菌の幅広い蔓延を引き起こす可能性が高いのである。

●細菌に感染したノミを大量生産するため、731部隊は昆虫班を設立した。このノミの生産過程はきわめて複雑で、まずネズミの血で大量のノミを飼育し、ペスト菌で汚染したハタリスをノミの飼育容器に入れる。ハタリスは保菌動物なので、短時間にペスト菌で死亡することはなく、時間が経つと、ペスト菌成分の入ったハタリスの血液を大量に取ったノミは、その1匹1匹が小型細菌伝染源と化す。最後はこれらノミを戦地に投与すれば、大規模な細菌戦は実施できる。

●動物班班長の石井三男は部隊長石井四郎の3番目の兄である。

●満州第659部隊(731部隊)のハタリス(ネズミの一種)の現地収集に関する命令・・・この命令は731部隊は大量のノミ飼育に使うネズミが不足しているため、各地からハタリスを徴収せよと指示した。

731部隊の各地からのネズミの収集状況表

731部隊の各地からのネズミの収集状況

1945年の1月から5月まで(龍江省)

場所

数量

泰来県

12500

トルポト旗

4500

景興県

3000

龍江県

14500

富裕県

3000

訥河県

14500

甘南県

4000

林甸県

不詳

合計

56000



●1945年5月以降、戦時情勢が緊張化したことから、日本陸軍参謀本部から短期間内に1から2トンのノミを生産し、ペスト計画を実施せよとの命令が731部隊に下った。これを受けて石井四郎はすぐに緊急会議を開き、細菌戦の準備を急ぎ、各地からのネズミの大量収集を要求したが、ペスト作戦の準備を完成しないうちに、あわてて撤退した。

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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南京大虐殺     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

梅福康(男、63歳)の証言

1937年12月のある日の午後、日本兵200人余りが梅架村にやって来ました。私達のこの村は6軒で20人足らずの小さな村でした。日本軍が村に入って来るなり、、殴る蹴るして村人全部を外に追い立てました。夜になり、彼らは若い婦女子を集めてある家屋に閉じ込め、男をもう1つの家に閉じ込めました。深夜に、女の人たちは日本兵が居眠りをしているすきにそっと逃げました。明くる日の朝、日本兵が気付いて、男の人たちを滅多打ちにしました。その後、日本軍は手榴弾を沼に投げて魚を死なせ、銃剣で私の2番目の兄とそのほかの人たちをせっついて、魚をつかみに沼へ行かせました。2番目の兄はその時ちょうど高熱を出していて、寒い日でもあり、沼から上がって来た時は、全身がたがた震え、のどが渇いて堪らなく、水が飲みたくて、日本軍が焚き火をしていたそばでお湯を飲もうと少し注いで、ちょうど飲もうとした時に、日本軍の1人に茶碗をひったくられ頭にぶつけられて、頭が割れ血が流れました。
 私達の村から外れた田んぼの真ん中に土の小高く盛り上がった所がありました。日本兵は魚を食べてから、私の家の祖母と父、2番目の兄、姪、従兄3人と私の8人に、村の隣人4人を加えた、みんなで12人を、一緒に小高い所のそばまで駆り立て、盛り上がった所を背にぐるっと丸く並ばせ、それから手ぬぐいで隣同士の手と手を縛って繋げて行きました。縛り終わったら、日本兵は残酷にも私達が後ろ向きに丸くなっている真ん中に手榴弾を投げ入れました。手榴弾が炸裂してからも、私達が死んでいないといけないと、凶悪にも又走って来、銃剣を振り上げて私達みんなを何度も突っつきました。かわいそうに小さな姪は、剣で刺されて痛くて堪らずに、泣き出したところが、たちまち日本兵に手で口をふさがれ窒息死させられました。私自身は耳の周りとあごと舌とがみんな炸裂で傷し、胸に2太刀と、尻に1太刀とで、3太刀突っつかれました。この時に害を受けた12人の内、10人が死んで、最後まで生き残ったのは私ともう1人の隣人だけになりました。我が家は8人だったのが、7人炸裂死の惨に遭ったのです。
 日本兵は私達が全部爆死させられたと思い、火を放って家を全部焼きました。私の兄が前に日本軍に捕まり飯炊きに隣村へ行かされたのですが、自分の村から火が出ているのを見て、駆けて帰って来て、初めて私のまだ生きているのを見つけ、私を近くの山に担いで行き、2,3日おきに場所を移し、20日足らずしてやっと危険を脱しました。私は舌が2,3年回らずに、話もはっきりは言えませんでした。(秦金文が記録)

憲法9条

             「Imagine9」【合同出版】より



軍隊のお金をみんなの暮らし

のために使う世界


1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
 世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
 その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。

 世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月12日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

1、細菌生産

●「石井式細菌培養箱」は石井四郎が「発明」した細菌生産用具の1つであり、731部隊で広く用いられた。細菌繁殖の際、まず補助材料を容器の内壁に沿って中に流し込み、そして菌株の付いた軽金属の薄板を中箱の間に差し込み細菌を繁殖させ、1生産周期を20時間とする。元731部隊隊員の田村良雄氏の記憶によれば、1つの細菌培養箱の20時間の細菌生産量は10グラムだが、731部隊は毎度1000個以上の細菌培養箱を使用していた。

●731部隊の細菌培養に使う培養基は3回使用できる。細菌生産で1周期が終えると、培養基の細菌を掻き出し、溶解釜で培養基を溶解させ、再び培養基に菌株を植入し、それを3回繰り返して培養基が培養能力を失うまで続ける。

●731部隊では物品消毒に、通常は乾熱滅菌器を使用する。まず、消毒する物品を乾熱滅菌器に入れて密封したあと、電気で加熱し、同時に最上部の通風孔を開く。そして、器内の温度が160℃に達した時、温度を下げて低温加熱に切り替えて30分から1時間続ける。最後に、器内の空気温度が170℃から180℃に達すると、加熱を止めて通風孔を閉じ、密封状態のままで自然冷却させる。



●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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南京大虐殺 
   
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

徐正陶(男)の証言

 1937年に、日本の軍隊が南京に攻め込みましたが、まだ南京に入らない前に、私達のこの村の近くでも、残忍非道な大虐殺が行われ、2万人以上が難に遭ったのです。
 その時、日本兵はここに駐屯していた中国の軍隊と付近の村民2万人余りを、今の寧蕪公路と古雄駅から梅山工程指揮部までの専用鉄道線路とが境を接する所(村人達は唐家沖と呼んでいた)に集めて集団的に大虐殺を行ないました。駆り立てていく間に、中国の軍人と無辜の民衆とがたくさん日本兵に軍刀で西瓜を割るような仕方で斬り殺されました。集め終えてから、日本兵が小高い所に機関銃を据え付け、窪地にいる2万人に向け気違いのように掃射するや、途端に、地が一面に横死体でびっしり敷き詰められ、血がそばを流れる小川を真っ赤に染め、そのすさまじさは見るに堪えないものでした。続いて、残酷な日本兵は死体の山の周りにたきぎを並べ、死体にガソリンをまき、野蛮にも燃やしてしまうという、その全く人間性を喪失した甚だしさたるや思わず髪が逆立つほどの怒りを覚えます。
 日本兵が去って行ってからも、まだ死に切れない被害者がたくさん苦しそうにうめいていて、間もなく恨みを抱きつつ死んでいき、ごく少数の者だけが九死に一生を得たのでした。
 それに、日本兵は至る所でホアクーニャン(花姑娘=若いきれいな女の子)を探していて、その時女の子が2人いたのが日本兵に踏みつけにされるのを恐れて、土窯に入り込んでいましたが、日本兵が2人に出て来いと命じても、肯じようとせず、とうとう日本兵が煙で活きながらに燻し(いぶし)殺してしまい、今に至るまで2人の墓がうちの村の東の丘に在ることとなりました。(石磊と王慧が記録)

憲法9条

 「Imagine9」【合同出版】より



9条をつかって、


戦争のない世界をつくる。


中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月11日木曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

1、細菌生産

細菌生産量の統計表
1937年7月~1942年7月(田村良雄氏が1954年に提供した証言による)
細菌の種類合計(キロ)付記
19397-8チフス菌パラチフス菌コレラ菌赤痢菌  22.5 
19405チフス菌     20 
19407-11チフス菌パラチフス菌コレラ菌 炭疽菌ペスト菌270 
19411-2    炭疽菌ペスト菌9粉末状
19415    炭疽菌ペスト菌9粉末状
19417-9チフス菌パラチフス菌コレラ菌赤痢菌  70 
19419-11     ペスト菌70 
194112     ペスト菌5 
19424    炭疽菌ペスト菌24 
19426-7    炭疽菌 140 
総計       639.5 

 
●柄沢十三夫は自ら細菌生産を指導し、生体実験に参加し、遠征隊にも参加して中国華中地区に細菌を散布していた。敗戦後逃走中にソ連軍に捕まり、その後、ハバロフスク軍事裁判で懲役20年の判決を言い渡された。

日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
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南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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南京大虐殺     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

 孫成英(女、62歳)の証言

 1937年には、私は16歳で、私の家は鉄心橋の王家凹村でした。日本人が私の村にやってきた時、私は家の人と山に上って避難しました。日本人が行ってしまってから私達が村に帰ったら、王有仁の父親の王根(その頃60歳くらい)が自分の家の戸口の前で死んでいて、体に刀の傷痕があり、全身血まみれでした。王道雲の母親の王茂(その頃40歳くらい)も死んでいて、お腹が2箇所刺され、頭に弾が突き抜けた穴もあって、そばに2歳の小さい女の子も死んでいました。
 

憲法9条 
           「Imagine9」【合同出版】より


9条をつかって、


戦争のない世界をつくる。



「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。


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2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月10日水曜日

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●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
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4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

1、細菌生産

●731部隊は巨大な細菌生産能力をもつ。731部隊第4部生産部部長の川島清の証言によれば、当時の731部隊は1ヶ月にペスト菌を300キロ、コレラ菌を800~900キロ、腸チフス菌を1トン生産できた。

●731部隊の生産する細菌は種類が多く、主にペスト、コレラ、腸チフス、炭疽、梅毒などがあり、特にペスト、コレラ、腸チフス、炭疽など細菌が深く研究され、大量繁殖されていた。

●日本陸軍は731部隊の細菌開発を非常に重視し、731部隊のために当時としては世界で最も進んだ細菌の実験研究器材を配備した。顕微鏡も贅沢な器材として731部隊で広く使用された。当時、731部隊で従事していたスタッフ全員に顕微鏡が配備され、階級の低い者は単眼顕微鏡を使い、階級の高い者は双眼顕微鏡を使用していた。

 
日本軍細菌戦部隊
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華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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南京大虐殺
     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

 徐建陶(男、65歳)の証言

 1937年の12月に、日本が南京を侵略しました。私は日本軍が1万人余りを今の南京と江寧公路とが境を接する所まで駆り立て集めて来て、集団虐殺したのをこの目で見ました。その頃私の家は板橋鎮石○湖の施家凹、その頃の地名で「道児関」と言われた所でしたから、私は日本軍が1万人ほどをその村から遠くない所に集めて機関銃で掃射するのを見かけたのです。私は銃声が聞こえたので懸命に村の外へ走ったのです。その後、日本軍は掃射したのを又ガソリンで燃やして、屍までも破壊し跡形も無くそうとしたのです。
 ○・・・漢字に変換出来なかった字

憲法9条 
 
「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、


9条がゆきわたった世界を。



Imagine,



A world filled with 



Article 9.



憲法9条は、日本という「国」のものではありません。
日本に住んでいる「人々」、つまりみなさん自身のものです。
そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。
(アメリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月9日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  「特別移送」の実施、生体実験の進行

 1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。

2、生体を利用した各実験


細菌感染実験

●731部隊による生体実験の種類は数多く、細菌の感染実験だけでも4,5種類あり、細菌の注射、内服、皮下埋入の3種類が常用され、この3つの方法で比較実験が行われた。彼らは15人の被験者を3組に分け、それぞれ上述の3つの方法で0.1、0.2と0.3グラムの細菌を注入し、被験者の反応を観察した結果注射法が最も効果があるとの結論に至った。
●2000年に、731部隊の「四方楼」の旧跡発掘の際、注射実験に使用した注射器が発見された。

凍傷実験

●凍傷実験は731部隊の重要かつ残忍な実験であり、その目的は極寒地区の作戦における凍傷治療問題の研究と解決である。最初、凍傷実験は冬に行われ、彼らはハルピンの寒冷気候を利用し、被験者達を室外にて縛り上げ凍傷を負わせた。のちに凍傷実験を年中実施するため、凍傷実験室を建てた。実験室は吉村寿人が担当することから、この凍傷実験班は「吉村班」という別名を得た。

毒ガス実験

●毒ガス実験とは毒ガスの人間に対する殺傷効果の研究を専門とした実験。731部隊の毒ガス実験は、常にチチハル駐屯の第516毒ガス部隊と共同で行い、また毒ガス実験に使われる被験者のほとんどは凍傷実験を受けた後の人間である。毒ガス実験は通常大きさの異なる2つの部屋を毒ガスパイプでつなげ、大きい部屋で発生した毒ガスはパイプを伝って小さい部屋へ流れ込む。この小さい部屋が被験者が実験される現場となっており、実験者は外から観察し、被験者の状態を随時正確に記録するため、小さな部屋の壁は通常透明なガラスでできている。

解剖実験

●かつて生体解剖を行った胡桃沢正邦氏は亡くなる4ヶ月前、ついに真実を明かし、「生体実験は被験者を手術台に固定し、その意識があるかないかの状態で解剖を行う。昏睡状態での解剖で、被験者が激しくけいれんするが、意識がはっきりした状態での解剖では、被験者は大声で叫びだす。一度、私は中国の妊婦を解剖したが、手術の前、彼女は赤ん坊だけは助けて欲しいと願ったが、??私は・・・・・・・・」と苦しそうに話した。

死体焼却炉

被験者は各種細菌実験を受けたあげく、生きながらも解剖室で解剖され、内臓はすべて取り出されて標本にされ、残った価値の無い身体は最終的には死体焼却炉に放り込まれて、その存在を完全に隠滅された。731部隊には3つの焼却炉があり、「四方楼」に一番近いのが被験者の死体焼却炉で、この焼却炉はのち撤退間際に廃棄された。現在は北岡焼却炉(遺跡)と北窪地焼却炉(遺跡)だけが残り、この2つの焼却炉は当時小動物の死体と細菌の研究開発過程で中毒死した731部隊の隊員の死体を焼却するものであった。


 ●日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

 皇甫澤生(男、73歳)の証言

 私は山西省の左権県の者で、73歳ですが、今は太原市に住んでいます。
 1937年に私は南京を防衛する兵隊の1人でしたが、日本の侵略者の軍が城下に迫った時、南京防衛の責任を負う指導者に組織力が無かったことから、撤退する時に極度の混乱を引き起こしました。挹江門を出た時、各部隊とも既にばらばらになっていました。下関(シャーカン)に来た時には、長江には大きい船も無く小さいのも無く、無組織の散り散りになったあまたの兵が上新河の方へ流れて行った時には、兵に指揮者がいないのと、挹江門を出る押し合いでほとんどが銃を失っていたのとで、日本兵と戦うわけにはいかない状態になっていたため、前後して数百人が日本軍に捕らえられて捕虜になったのですが、私もその1人でした。
 私達は板橋鎮のある谷間まで連れて行かれて、集団で日本軍に機関銃で射殺されました。私はその時は死ぬしかないんだと思っていました。日本兵は銃で射殺し終わってから、傷してまだ死んでいない仲間たちを、銃剣で刺殺しました。その時私は死体の下に押し付けられていて、まだ生きているんで死んでないんだと分かりました。私がまだ生きているのを日本軍に気付かれないためには、ほんのちょっと動くことも出来ませんでした。およそ1時間余りして、あたりがもう何の物音もしなくなった頃に、傷を受けた仲間が1人泣いているのが聞こえただけで、私は顔を上げてあたりを見回すと、現場から遠く離れた東山の山頂で、一般市民が、見渡しているのが見えたので、それで私は日本軍がもう行ってしまっていないのだと確認しました。そこで起きだして座り、身体中を調べてみると、どこも傷していなくて、密集した銃弾の下で、自分が死ななかっただけでなく、小さな傷1つ受けなかったというのは、今になってもまだ私には1場の夢としか思えないのです。
 その時その傷を受けた遭難仲間が、身体中いっぱい負傷していて、出血しすぎたためなのでしょう、のどが渇いてたまらなく、水を少し汲んできて飲ませて欲しいと頼まれましたが、私はその人に傷したら水を飲んではいけないんで、自分が手助けして一緒にここから逃げてもいいからと勧めました。その人は、自分はもう動けない、堪えられない渇きを止めるのには水をちょっと飲むんだ、と言いました。その人は長くは生きられないと自分で感じていて、とにかく水を少し探してきてくれと頼むので、どうしようもなく私は軍用の水筒で田んぼの脇の沼から水を1杯汲んできてあげて、その患難仲間に別れを告げたのですが、それは又永久の別れでもあったでしょう。私は物悲しい思いを抱いて、この災難で死んだ何百人もの人たちと、この気息奄々(きそくえんえん)たる哀れな患難仲間とを後にし、東の山の端の方へ走って行ったのですが、数多くの土地の方々のお世話やお導きによって、安徽省(あんきしょう)南部の南稜などの地を経、やっと日本の侵略者たちの占領区から逃げ出て、生き残って来られたのです。(段月萍が皇甫澤生の1987年の手紙によって整理) 
  
           「Imagine9」【合同出版】より



想像してごらん、



ひとりひとりの安全を



大事にする世界を。



Imagine,


A world that values


the safety of each and



every human.



政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月8日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  「特別移送」の実施、生体実験の進行

 1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。


2、生体を利用した各実験
目的種類731部隊の生体実験の種類
細菌兵器の開発研究実験での殺人手段極限状態における人体の変化探索
1殺傷力の高い毒菌を選別し人体に注入して観察各銃弾の人体への貫通能力人間の真空における状態
2人体における病毒の毒性と感染力の増強実験各種毒物の人間に対する殺傷力人間のそれぞれ異なる気圧下における状況
3人体を用いたワクチンの効果実験人間を殺すために最も効果的な部位を検索人間の空腹に耐えられる時間の極限
4異なる国と人種の人間に対する細菌戦剤の感染性の観測縊死(いし)させる水分を与えず乾燥食料だけの生存時間
5感染者と健康者を同居させ感染の可能性を観測絞死させる水分だけを与えた生存時間
6細菌戦剤に抵抗力を持つ被験者の血液を全て抜き出し、治療用の抗血清を作製逆吊りにする熱風で乾燥させた後の体重
7細菌戦剤感染の最適なルートと用量(服用、或いは気道感染させるなど)煙を吸入させ殺す血液代用剤の効果観測
8人体内での新しい毒菌の実験(出血熱ウィルスなど)火炎で焼死させる凍傷研究
9観察用飛行機から投下した細菌弾の殺傷効果★感電熱湯によるやけどの研究
10被爆後、爆弾破片上の破傷風菌とガス壊疽菌の傷口からの侵入による致病状況 健康な人体を用いての各種外科手術の学習
11ペスト・ノミ(特殊容器に入れた)を空中投下し、容器が壊れた後の人間への侵入状況を観察 健康な人体を用いての難度の高い外科手術の学習
12  人工授精
13  梅毒の感染と治療
14  用量を超えたX線輻射
15  頭蓋骨切開後、脳の各部位の機能を研究
16  各種新薬の用量と中毒用量の研究
17  新たな伝染病の人体への影響観察
18  臓器移植
19  切断手術の実験
20  狂犬病の感染と観察
21  麻酔薬品の試用
22  各種の毒剤の用量実験
 注釈★印の付く実験は室外の射撃場にて  
731部隊が行った生体実験は約40種類。隊員たちは考え付いたすべての方法で各種実験を実施した。





 日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

  張正業(男、71歳)の証言
 
 (昨日の続き)私が分からないままに、とある小丹陽鎮という所に行ったら、あわてた顔つきで集まってきた人を少し見かけたほかに、前線から退いてきた負傷兵に少なからず出会い、腕の取れた者あり、足の無い者ありで、息も絶え絶えに地に横たわっている者もいました。きのう日本軍がここにやって来てなにがしかの人を殺してから行ってしまったと言うことでした。私は長居が出来ずに、西の方へ6里余り行って、趙○崗という村まで来ました。路に面したある塀で囲まれた家の門に、お年寄りがいたので、私は水を飲ませてもらおうと近づいて行って、おしゃべりしたところ、そのお年寄りが詳しく私の来歴を訊ね、私の遭遇した不幸に痛く同情してくれて、すぐに自分の家に引き入れて泊まらせ、親切に構ってくれた上に、焦らないようにと私を慰め、何とかして長江を北へ渡って故郷へ帰って行ける機会を見つけるようにしようと、勧めてくれるのでした。老人は王会融という名で、心根の全く善良な人でした。私が故郷に帰るのを助けようと、毎日門にいて長江の北から来た人はいないかどうか尋ねていました。およそ半月くらいして、丁度好く4人の人が江北からこっそり渡ってきて丹陽鎮へ刻みタバコを売りに行くのにぶつかりました。老人は大喜びで、その人たちに大変親切に食事と宿とを提供し、詳しく江北の様子を訊ねてくれました。その人たちによると、日本軍は津浦線(天津から浦口までの鉄道)沿いに北の方へ明光駅まで進んで行っているが、その両側へはまだ広がっていない。長江も全く封鎖されているのではなく、自分らは岸辺の小舟に隠れていて、夜こっそり渡って来られたのだ、ということでした。こうして王会融お爺さんが私をこの4人の煙草売りに託して、私を江北へ連れて行ってもらえるようにしてくれたのです。私は合肥の方に回り道をして4,5日歩き、蚌埠に着いて、北へ行く夜行の難民列車に這い上がり、翌日の朝徐州に到着しました。降りてから大雪をものともせずに、百里足らずの道のりを急いで歩いて、その晩真夜中に家にたどり着きました。その時は父も母もまだ眠っていなくて、家にはまだ明かりが灯っていました。私が戸口から入るなり、父と母は私が帰ってきたというので、悲喜こもごも、途端に大声で泣き出しました。隣近所の人たちが吃驚し、みんなわが家にやって来てあれこれ聞いてくれ、みんな私が生きて帰って来られたというので望外の喜びに浸ったのでした。
 それにまた何と、私と一緒に虎口に陥った張正先が、2番目の窓から跳び出したの後、日本軍に撃ち殺されずに、その晩の内に江辺に戻り、木のたらいに乗っかって江北まで漂いつき、私より半月も先に家に帰り着いていたのでした。家に帰ってからの彼の判断では、私は窓から跳び出しけつまずいて倒れた後に撃ち殺されたのでした。彼がその様子を私の両親に話してからは、家の者達は私が南京で死んだに違いないと思って、身も世も無く泣き悲しんだのですが、私が帰ってくるようになってやっと落ち着いたのでした。
 今思い起こしますに、南京が陥落した時に私と一緒に難をこうむった131人の内で、私と張正先だけが九死に一生を得たのでした。張正先は故郷に帰ってからまた国民党の組織した抗日ゲリラに加わり、ある戦闘で陣没しました。生き残りは私1人だけになってしまったのです。
(張道遠が1987年に記録)



 
           「Imagine9」【合同出版】より


想像してごらん、


戦争にそなえるより


戦争をふせぐ世界を。


Imagine,


A world that instead 



of


preparing for war,



prevents war.



コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月7日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  「特別移送」の実施、生体実験の進行

 1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。

1、特別移送

 「実験材料」の十分な供給を保障するため、731部隊は主に「特別移送」の方法で「材料」を入手していた。関東軍司令部の支持の下に、731部隊と憲兵隊は共同で各憲兵隊が各地で拘束した一部の中国人と外国人を裁判なしに直接731部隊の「特設監獄」へ送り込んだので、「特別移送」と呼ばれたのだ。731部隊は始めは街で一般庶民を勝手に拘束して実験材料としたことがあったが、これは「圏街」と呼ばれた。

 特別移送及び特別移送の記録

●ハルピンの元日本領事館もかつては「特別移送」任務を担当した。領事館の地下尋問室には囚人を吊り上げる滑車があった。

●方振玉、男、1922年生まれ。本籍はハルピン市平房区正黄旗屯。1941年~1944年3月まで731部隊で労働者となり、針金で縛られた被験者を隊員が列車から下ろしたのを目撃している。

●731部隊に移送された被験者は、「四方楼」中央部の「特別監獄」に監禁され、生体実験されるのを待つだけであった。「四方楼」の中央に「マルタ」小屋と名付けられた左右対称の監獄があり、右側は7棟、左側は8棟と呼ばれる。

●特別班班長 石井剛男・・・・石井四郎の2番目の兄、「特別監獄」を管理した。

●石橋直方氏の謝罪と悔恨の言葉:

 50年近い年月の間、胸に抱き続けていた謝罪と悔恨の思いを今日現すことができた。元隊員であることの身分を明らかにしての訪問はあまりにも心の重いことであったが、私は私なりに1つの区切りをつけたかった。合掌

 1987年6月15日
 元731部隊隊員
 石橋 直方
 66才


 ●日本軍細菌戦部隊
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華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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  516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

  張正業(男、71歳)の証言
 
 (昨日の続き)撃つのが停まったので、又1人窓から跳び出し、懸命に北へ駆け出しました。日本軍が発見してまた発砲し北へ向けて射撃したのが、丁度私が窓から跳び出した時で、その銃声で分からなかったのかもしれず、又もや最初に撃ち殺された人の体の上に落ち、日本軍に見つかりませんでした。日本軍はひとしきり撃ったら、やめてしまいタバコを吸って話をしていました。私は死んだ人の体の上に腹ばいになり、この地は安全でないと感じたので、懸命に北の方へ駆け出し、一気に10何メートルか跳び逃げました。幸いにも束ねて立てかけたわらがうずたかくなっているのがあって、その後ろに隠れたので、日本軍がひとしきり撃ってきたのにも傷つけられずに、地に横たわって時機を待ち、外に生きる路を謀りもしました。その時、日本軍は引き続き火をつけて家を焼いていて、半時間くらいして、日本軍は集合して西の方へ去って行きました。日本軍が遠くへ行ってしまい、辺りにはもう何の物音もしなくなったのを待って、私は張正先を探しにまた戻って行きました。窓の下まで手探りで行ったら撃ち殺された人の脳味噌がもう流れ出していて、かたわらに張正先の帽子があり、もうきっと死んだに違いないと思ったら、涙が出てきて、帽子を頭にかぶせ、南の方へ去って行ったら、10何メートルか行ったところに、刺し殺された同胞達がうずたかくなっているのが見えて、見るに忍びないすさまじさでした。日本の侵略者が我が同胞を殺害した血なまぐさい罪悪行為を、私は永遠に忘れることが出来ません。
 虎口を脱した後、私はほのかな星明かりを頼りに、闇雲に東南の方向の小さな村落へと行ったところが、又もや狼の巣にはまり込みそうになり、もう少しで間違って日本軍の露営地に入ってしまうところでした。幸いにもあるお年寄りに教えられて、やっと危ないところから危険の無い状態へと変えられ、割りに安全な山里に入れました。夜が明けてから初めて、自分が頭から足まで全身血だらけなのと、その時まで1日2晩も飲まず食わずで、くたびれ果てているのとに気付きました。心優しい村人たちが私のこの恰好を見て、みんな進んで私にご飯を食べさせ水を飲ませてくれて、さっぱりした衣服に着替えさせてくれました(明日に続く)



 
           「Imagine9」【合同出版】より


想像してごらん、



女性たちが



平和をつくる世界を。



Imagine,



A world where



women create peace.



戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たす事ができます。(アメリカ/先住民女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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