2009年1月18日日曜日

1938年 南京 1月18日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月18日
ほうぼうで煙が立ち昇っている。あい変らず景気良く放火が続いているのだ。9時頃、難民収容所の管理者が集まって、本部で会議が開かれることになっている。日本軍に妨害、いや、禁止された場合のことを考えて、手は打ってある。衛兵を一人、塀の外に立たせておいたのだ。この前のように、警察官に包囲されたら、直ちにドイツ大使館に通報することになっている。うれしいことに、ローゼンをはじめ、クレーガー、シュペアリングもきてくれた。日本軍が何か言ってくるのではないかと、みなはらはらしていたが、会議はつつがなく進行した。
 午後、スマイスとフィッチがきた。米だけでなく、他の食料品も運んでもいけないし倉庫から取ってきてもいけないことになったと言うではないか。上海から取り寄せることも禁じると言う。どうやら日本軍は難民を飢え死にさせるつもりらしい。だが、断じてそんなことはさせないからな。そこで我々は上海のキリスト教会に電報を打った。


 上海、国際キリスト教評議会ポイトン様(抄録)
 食糧事情はますます厳しくなってきました。市民のために定期的に輸送することができないからで  す。
  現在5万人の難民に毎日米を無料で配っています。我々が当地で購入した米や小麦を持ち込むこ とも、上海から600トンの食料品を船で搬入することも許されませんでした。是非とも上海でこの件に ついて交渉してください。もし中国の緑豆が手に入るなら、できるだけ早く船で100トン送るようお願 いします。とにかくやってみて下さい。どうか募金も続けてください!救済資金が必要になるに違い ありません。
                       1938年1月18日
                               フィッチ
 
 アメリカ大使館はワシントンの国務省にまたぞろ「事件」を報告する羽目になった。当地のアメリカンスクールが今日また略奪にあったのだ。ピアノを運び出すため、壁に大きな穴まであけられて。だが、残念ながら大使館の職員は間に合わず、現場を押さえられなかった。再び大使館が置かれた以上、日本軍がよもやこんな恥さらしをなことをやらかすとは思っていなかったのだ。
 どうやって事務所を閉鎖したらいいのだろう。私は頭をかかえてしまった。中国本社から「事務所をたたむように!」という電報が届いた。荷造りしようにも木箱が手に入らない。・・・・・

 私が引き揚げたら、上海に行ってしまったら、家屋敷はどうなってしまうのだろう?多分日本政府は私に旅券を出してくれるだろう。いやそれどころか、私を厄介払いできて、せいせいするのではないだろうか。だが、ここにいる650人の難民はどうなる?血のにじむような苦労をしたあげく、こんなに厳しい結末を迎えようとは!


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月18日 火曜日
 城内の兵士が交替したそうだ。(1) 今朝私の外出中に4人の兵士がやってきた。メリーが彼らの対応し、キャンパスを案内して回った。メリーの印象では、あまり礼儀をわきまえない人たちのようだった。・・・・・・・

王さんは、夫が連れ去られたまま戻ってこない女性たちのデータをとる事に、毎日10時から12時までの時間を当てている。たぶん、こうしたデータをとるのは中止しなければならないだろう。というのは、ここ2日間に100人を超える人たちがやってきて、今日も混雑がひどく、問題が起きるのではないかと懸念しているからだ。おそらく、12月16日が最悪の日だった。大勢の人が射殺されたのではないかと思う。死体さえも見つけることができないだろう。おそらく焼かれただろうから。非常に多くの人が、力を貸してもらえると思っているが、実際のところ、私たちには行方不明者の氏名を提出してやるぐらいのことしかできない。・・・・・・
・・・・・・・
 避難民たちは、帰宅するのを今も怖がっている。家財が何も残らなくなるおそれがあるので、比較的年齢の高い女性には、帰宅するようしきりに促している。というのも、日本兵だけでなく一般の中国人による略奪も続いているからだ。南京の家から持ち出される略奪品は、いつかそのうちに日本の家に運ばれていくのだろうか。・・・・・・・

 午前9時から12時まで、第2回の難民収容所所長会議に出席した。自活手段を持たない避難民を対象とするアンケートについての論議に午前の大部分を費やした。これを公平に行うのは難しい。多くの人が援助を望んでいて、実際にはその必要のない人までもが援助してもらいたがる。その結果、援助しなければならない人の数が大幅に増えることになる。
 少しばかり暖かくなった。いまのところ、まだ雪は降らない。金陵女子文理学院にはいまなお5000人ないし6000人の避難民がいる。しばらく臥せっていた程先生はいまはベッドから起きてはいるが、部屋から出ないようにしなければならない。


(1)それまで南京警備を担当していた第16師団が華北へ移駐して行き、かわって第11師団の天谷支隊(歩兵第10旅団)が南京に進駐してきた。南京警備司令官には、旅団長の天谷直次郎少将が就任した。



「Imagine 9」解説【合同出版】より



武器を使わせない世界


 生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人々が出てくる可能性はあります。その時には国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。

 ノルウェーは2006年、地雷や核兵器といった非人道兵器を製造している企業に対しては、国の石油基金からの投資を止めることを決めました。日本は、「核兵器をつくらない」「もたない」「もちこませない」という「非核三原則」をもっています。
 原爆を投下された日本は、「やり返す(報復)」のではなく「この苦しみを誰にも繰り返させたくない。だから核兵器を廃絶しよう」という道を選びました。私たちは、この考え方をさらに強化して、世界に先駆けた行動をとることができるはずです。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年1月17日土曜日

1938年 南京 1月17日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月17日
 ローゼンと話し合いをしたとき、すでに岡崎総領事は先日のいさかいの調停に乗り出していた。ベルリンや東京が何も言ってこなければ、一件落着となる。そうなれば大変ありがたい。とにかく日本人と折り合っていかなければならないのだから。
 昨日の午後、ローゼンと一緒にかなり長い間市内をまわった。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊の仕方をしたのだろう。あまりのことに言葉もない。近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。かつての目抜き通り、イルミネーションなら上海の南京路にひけをとらないと、南京っ子の自慢の種だった大平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった。無傷の家など一軒もない。見渡すかぎり廃墟が広がるだけ。大きな市が立ち、茶店が建ち並んでいた繁華街夫子廟もめちゃめちゃで見る影もない。瓦礫、また瓦礫だ!いったい誰が元通りにするというんだ!
帰り道、国立劇場と市場の焼け跡によってみた。ここもなにもかもすっかり焼け落ちていた。南京の三分の一が焼き払われたと書いたが、あれはひどい思い違いだったのではないだろうか。まだ十分調べていない東部も同じような状態だとすると、三分の一どころか半分が廃墟と化したと言ってよいだろう。
 日本軍は安全区から出るようにとくり返し言っているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。・・・・・・・・・・
 難民の数は今や約25万人と見積もられている。増えた5万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。彼らは、どこに行ったらいいのかわからないのだ。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月17日  月曜日
 今日は雨が降っている。大きな恵みであった日照りは、私たちを見捨ててしまった。ベッドが泥で汚れている。ぜひ建物をのぞいてもらいたいものだ。
 警備兵だけでなく大使館の警官も校門に立たなくなってから幾晩か過ぎた。先週の土曜日、このことを日本大使館に報告したが、何の措置もとってくれない。安全区で見かける兵士はそれほど多くない。残念なことに、中国の警察は、今ではほとんど無力だ。
 午前中を無為に過ごした。創造的エネルギーは全く残っていない。しなければならないことは山ほどあるが、どうにもやる気が出てこない。
 午後2時、アメリカ聖公会の奉仕者たちに手伝ってもらって連続集会を始めた。・・・・・・・


 今夜は、南の方角ーたぶん、南門の外側ーに立ち込めるものすごい煙を眺めていた。闇夜の空は、時々炎で赤く輝いている。破壊は依然としてやまない。南京がどの程度破壊をまぬがれるかは、兵士や民衆による略奪がいつやむかに懸かっている。避難民たちは帰宅するようしきりに促されているが、どうして帰宅する勇気など出ようか。比較的に年齢の高い女性たちは、徐々に帰宅しているが、若い女性たちは帰らない。
 今日はキャンパスに日本兵は来なかった。メリーとフォスター氏は城南に出かけ、外国人墓地にも立ち寄った。・・・・・・2人が通った通りの中では、太平路が最も徹底して無残に破壊されているようだ。
 一ヶ月前の今夜、12人の少女がキャンパスから連れ去られた。あの夜の恐怖をはたして忘れることができるのだろうか。


「Imagine 9」解説【合同出版】より



 武器を使わせない世界


 世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
 たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
 また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。

 広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
 このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
 いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月16日金曜日

1938年 南京 1月16日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1月16日・・・近衛首相、「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」との声明を発表。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月16日
 日本大使館での晩餐会はいともなごやかな雰囲気のうちに過ぎていった。出席者は全部で13人。日本大使館の人たちの他、委員会から9人。ヴォートリン、バウアー、ベイツ、ミルズ、スマイス、トリマー、クレーガー、それから私。マギーは食事が始まってからやってきた。遅刻癖はあるが、それを除けば愛すべき仲間だ。・・・・・・
 私はテーブルスピーチを頼まれていたので、あらかじめ原稿を用意しておいた。


 ご臨席の皆様!
 本日温かいお招きに対し、南京安全区国際委員会を代表しまして、日本大使館の皆様に心から感謝の意を表明します。誓って申しますが、私たちはもう長いこと、このような素晴らしい晩餐にあずかっておりません。
 お招きくださった方々に、私たちのことを少しばかりお話させていただこうと思います。
 委員会のメンバーの多くは、当地南京で宣教師として活動しておりました。彼らは中国人の友人を見捨てないことが、キリスト者としての義務だと考えております。一会社員である私が加わることにしましたのは、この地で30年を過ごしたからであります。長の歳月、この国、この国民から手厚いもてなしを受けてきた私は、その不幸な時期に彼らを見殺しにしてはならないと思ったのです。
 私たち外国人がここにとどまり、難民を、逃げようにも資金がなく、行く当てもない、この国で最も貧しい人々を救おうとしたのはそのような理由によるものです。
 私たちが自ら引き受けた苦労や災難については申し上げません。皆様が良くご存知だからです。

 私たちは日本の方々の高貴な感情、サムライの精神に訴えたい。・・・・・・・
サムライは数々の戦で非常に勇敢にお国のために戦いながらも、もはや身を守る力のない敵に対しては、「武士の情け」を示した、つまり寛容だったと聞き及んでいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・国際委員会を代表しまして、ここに深く感謝の意を表します。

 アメリカ人たちがこれをどう思ったかはわからない。心にもないことを言ったことぐらい、百も承知だ。だが、そうしておいたほうが得策だと思ったのだ。「嘘も方便」と言うではないか。 
 とにかく、たとえわずかでも日本大使館の役人が助けてくれたことは確かなのだ。我々の被害報告を軍部に渡してくれ、ほんの少しとはいえ、とりなしてもくれた。つまり我々に力を貸すことのできた唯一の人たちであることにかわりはない。成果がなかったのは、日本の外交官は軍部に従わなければならないからだ。今日、日本政府を牛耳っているのは軍部なのだから。それを考えれば、大使館の人々、福井、田中、福田の3氏は、それなりによくやってくれたと言うことができるのかもしれない。けれどもこれだけ辛酸をなめたいまとなっては、とてもそんな気持ちにはなれなくなった。

 帰る少し前、福田氏は、「ローゼン氏事件」で大使館側が頭を痛めているとほのめかした。
「なんらかの歩み寄りの姿勢をみせるよう、ローゼン氏を説得していただけないでしょうか。日本大使館に立ち寄って、二言三言愛想の良い言葉を(謝罪の言葉を、とは言わなかった)かけるとか・・・・)

 ともかくあたってみよう。だが、あの人のことだ、頭から受け付けないような気がする。



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月16日 日曜日
 神の御恵みで今日もまた小春日和だ。今にも降りそうだった雪は、気が変わって降るのをやめたようだ。いつものように今日も早朝から、都市や鉄道を破壊する仕事に出かけていくたくさんの飛行機の爆音が聞こえた。せっせと衣類を洗濯して、木という木に片っ端から吊るす女性あり、粥をもらいに粥場に向かう女性あり、夜間はキャンパスに戻ってくるが、昼間だけ帰宅する女性ありで、ここのところキャンパスはすこぶる慌ただしい。キャンパスに通じる大通りはいつも混雑しているようだ。これまでどおり男性のキャンパス立入りを断っているが、彼らは、私たちが彼らの妻や子どもたちを護るために精一杯努力していることを知っているので、そうした制限を道理あることとして受け入れてくれる。そして、そのことをどれほど嬉しく思っているかを感謝の言葉で示してくれる。あい変らず毎日火災が発生しているが、その件数は以前ほど多くはない。・・・・・・・


・・・・・・・・・・


 新しい支配者たちが、帰宅を促す大きなポスターを安全区の外に貼り出した。日本兵が2人、農民、母親、それに子どもたちが描かれている。兵士はとても友好的で親切そうに描かれ、また、中国人たちが彼らの恩人に心から感謝している様子が描かれている。書かれた言葉は、人々が自宅に戻った場合、万事がうまくいくだろうということを暗に伝えている。たしかに、城内の緊張はゆるんできているし、女性たち、とくに年齢の高い女性たちは試しに帰宅している。初めは昼間だけ帰宅してみて、何事も起こらなければ、そのまま自宅で暮らしている。若い人たちはいまも大変おびえている。


「Imagine 9」解説【合同出版】より

 

おたがいに戦争しないと



約束した世界



 地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月15日木曜日

1938年 南京 1月15日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1月15日・・・大本営政府連絡会議で、国民政府との和平交渉の最終打ち切りを決定。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月15日
上海から来た手紙、つまり昨日ドイツ大使館を通じて受け取ったものと、上海のジーメンス中国本社にあてた1月14日付けの私の返事を見れば、上海ではこちらの状況をまだ全然知らないことがわかるだろう。

 ドイツ大使館南京分室事務長シャルフェンベルグの記録

 南京の状況   1938年1月13日
 当地南京では、電話、電報、郵便、バス、タクシー、力車、すべて機能が停止している。水道は止まっており、電気は大使館の中だけ。しかも一階しか使えない。イギリス大使館にはまだ電気が通じていない。
 なぜ交通が麻痺しているかといえば、城壁の外側は中国人に、市内のその大部分が日本人によって、焼き払われてしまったからだ。そこにはいま誰も住んでいない。およそ20万人の難民はかつての住宅地である安全区に収容されている。家や庭のわら小屋に寄り集まって、人々はかつがつその日をおくっている。多い所には600人もの難民が収容されており、彼らはここから出て行くことはできない。 
 安全区は番兵によって封鎖されている。
 安全区の外の道路には人気がなく、廃墟となった家々が荒涼とした姿をさらしている。
 食料品の不足は限界にきている。安全区の人たちは、すでに馬肉や犬の肉に手を出している。・・・・・・


 ラーベ氏の率いる委員会はアメリカ人と力をあわせて目覚しい成果を上げた。1万人の命を救ったと言っても、過言ではない。
 水の問題も深刻だ。水道は正常に働いていない。洗濯もできない。沼と言う沼には死体が投げ込まれており、汚染されているからだ。
 ラーベ氏の委員会から業務を引き継ぐことになっている新しい機関、自治委員会も、日本軍の横槍で機能していない。・・・・・


 南京の進駐したときの日本軍の仕業については黙っているのが一番だ。チンギス=ハーンを思い出してしまう。要するに「根絶やしにしろ!」ということだ。ある参謀部の中佐から聞いたのだが、上海から南京へ向かった補給部隊は本隊に追いつけなかったそうだ。
それで、日本兵はベルゼルガー(北欧神話に出てくる熊の皮をまとった大力で狂暴な戦士)のように手当たり次第に襲ったのか。「戦い抜けば、南京で美しい娘が手に入る」とでも言われたに違いない。
 だから女性たちが、ここでいま目もあてられないほどひどい目にあっているのだ。それを目の当たりにした人たちとその件について話すのは難しい。話そうとすると、くり返しその時の嫌悪感がよみがえるからだ。
 部隊が統制を失ったからだ、と言うことはやさしい。だが、私はそうは思わない。アジアの人間の戦争のやり方は、我々西洋人とは根本的に違っているからだ。もし、日本と中国の立場が逆だったとしても、おそらく大した違いはなかっただろう。特に、扇動する人間がいる場合には。占領された地域では市内でも田舎でも、作物が畑で腐っている。市内の畑に近寄ることは禁じられており、田舎では住民が逃げたか、殺されたかしたからだ。野菜、ジャガイモ、かぶ。そのほかどれもこれもみなだめになって、飢えが蔓延している。             シャルフェンベルグ


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月15日 土曜日
 今朝6時から7時にかけて飛行機10機が南京上空を南西方向へ飛んで行った。私たちは、おそらく、2,3時間後に貴陽、漢口、長沙あたりが爆撃されるのではないだろうかと危惧した。・・・・


 午後、夫や息子が連行されたまま戻ってこないという26人の女性の事例を日本大使館に報告した。いずれの事例でも、夫がかつて兵士であったことはなく多くの場合が大勢の家族を養うただ一人の稼ぎ手だった。大量虐殺が行われた当初のあの残酷非情の時期に、このような人たちがどれほどたくさん殺害されたことだろう。当時は銃声が聞こえるたびに、誰かがーおそらくは何の罪もない者がー殺されたのだろうと思ったものだ。
 久しぶりに兵士がキャンパスに入ってきた。彼は門衛に何ら注意を払わずに入ってきたが、避難民のいる南西の寄宿舎の部屋に入ろうとしているところを私が見つけた。付き添ってキャンパスから送り出すと、おとなしく立ち去った。
・・・・・・・・・・・・・


 今夜は校門に警備兵がいない。どうか無事でありますように。


「Imagine9」解説【合同出版】より



おたがいに戦争しないと


約束した世界



 「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
 軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
 このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。

 日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
 NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
 その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
 また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月14日水曜日

1938年 南京 1月14日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
ラーベの返事(抄録)1938年1月14日  於南京
 W.マイヤー社長の1938年1月3日付の書状に関して
 本日、ドイツ大使館を通じてお手紙いただきました。昨年、漢口へ行くようにとのご連絡をいただきましたが間に合いませんでした。電報が届いた時、ドイツ人たちはすでにクトゥー号で発ったあとだったのです。また、中国人従業員、つまり韓さん一家をはじめ、整備工たちもみなオフィスに避難しておりましたので、彼らを見捨てることはできないと考えておりました。あのときお返事しましたように、私は安全区を設置するために当地で発足した国際委員会の代表を引き受けました。現在ここは20万人もの中国人非戦闘員の最後の避難場所になっています。これを組織するのは必ずしも容易な仕事ではありませんでした。しかも日本から全面的には承認を得られず、中国軍上層部が、ぎりぎりまで、つまり南京から逃げ出すまで部下と共にここに駐留していたために、いっそう困難になりました。
 今まで、給食所や食糧の配給所などを設置して、安全区にひしめいている20万人の市民をどうにか養ってこられました。ところが今度、「難民の保護は新しく設立された自治委員会が引き継ぐ。よって米販売所を閉鎖すべし」との命令が日本軍から出されたのです。市内に秩序が回復し、南京を出る許可が下りましたらそちらに参ります。今までのところ、申請はすべて却下されています。
 安全区委員会の解散まで私が当地に留まることをお許し下さいますよう、遅ればせながらお願い申し上げます。というのも、わずかとはいえ、我々外国人の存在が大勢の人々の禍福を左右するからです。日本兵のすさまじい乱暴や殺人行為から逃れるため、12月12日以来、私の家と庭だけでも600人以上の極貧の難民たちがおります。たいていは庭のわら小屋に住んでおり、毎日支給される米を食べて生きています。
      ナチ式敬礼をもって     ジョン・ラーベ


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月14日 金曜日
 再び陽が照りだし、かなり暖かい。言葉に表せないお恵みが続いている。
 ヒルクレスト学校に近い寺院の倉庫から学院に米28袋を搬入することで一日が終わった。もし、リッグズがトラックを確保できなければ、手押し車や荷車による運搬で一日費やすことになるだろう。
午後3時ごろ、私たちがあきらめかけていたその時、リッグズがトラックに乗ってあらわれた。
 新しい警備員と顔見知りになるため、午前11時30分、王さんと一緒にまた門衛所まで出向いた。隊長は農民で、他の2人は技術者と軍需工場の労働者である。顔見知りになるためにこうした方法をとるのは、時間がかかるが、それだけの価値があると思う。様々な警備兵がやってくるが、今までのところ何も問題を起こしていない。警備兵を毎日交替させないで、優秀な警備兵4人を選んで常時配置してくれたら、もっと落ち着いた気分になれるのだが。
 現在は城内の少なくとも一部で電灯がついており、近く無線通信がまた聞けるようになる。徐州府付近に中国と日本の大軍が集結しているというニュースが入ってきた。その地域の一般民衆をつくづく気の毒に思う。
 今日、豚を生きたまま一頭買おうとしたが、ある情報通から、南京の周囲何マイルにもわたって豚はいない、と言われた。馬肉、ラバ肉、そして犬の肉までも売られているが、豚肉や牛肉は売られていないそうだ。・・・・・・・・


 午後から夜にかけて大きな火災を2件目撃した。1件はは北西方向、もう1件は東方だった。略奪と焼き払い、そしてその後遺症がまだ続いている。おびただしい量の略奪品が街頭に出てきている。下層分子が好機に乗じようとしている。警察力がない場合、放免される連中だ。
 今日憲兵と一般兵士の2人が外国人の家で略奪を働いているところを発見された。

「Imagine9」解説【合同出版】より


武器をつくったり


売ったりしない世界


 世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
 しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
 
 日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
 しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
 私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月13日火曜日

1938年 南京 1月13日

荒廃する南京
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月13日
「安全区国際委員会を国際南京救済委員会に変更する」という私の提案は委員会で否決された。せっかくいま、日本から事実上認められているのに、もし自発的に解散したりしたら、これ幸いと黙殺される恐れがある、というのだ。私が多数派の意見に従ったのはもちろんだ。常に足並みをそろえて行動しなければ。

 イギリス海軍を通して上海の中国本社からの無電電報を受け取った。1月10日付けで、ここをたたみ、韓をつれてできるだけ早く上海へくるように、とある。明日「外国人も中国人もいまは街から出られない」と返事をしよう。クレーガーも何度か上海へ行く許可をもらおうとしたがだめだった。
 今日、ローゼンとクレーガーが城壁の外へ出た。戦災孤児院の近くにあるシュメーリング家と、中山陵記念公園地区にあるエッケルト家の様子を見にいったのだ。大使館の車で戻る途中、福田氏や日本の将校たちに停められた。将校たちは、なぜ城壁の外に出たのか、どうして日本軍の命令に従わないのかとといただしたそうだ。話しながら双方ともしだいに興奮していった。
 ローゼンは言った。私は日本軍の命令に従うなどと約束したことは一度もない。私には外交官として職務をきちんと果たす権利と義務がある。ちょうどいま、ドイツ人の財産の日本人による被害状況を確認しようと思っているところなのだ。すると日本側は、その旨を文書にしろと言ってきたので、ローゼンはそれを書いて渡した。そして帰るとすぐに上海のドイツ大使館に電報を打ったという。さて、どうなることやら・・・・。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月13日 木曜日
 1ヶ月前の今日南京が陥落した。ある程度事態の好転があった。略奪は少なくなり、安全感はわずかながら増し、兵士の数は極めて少なくなった。とくに国際安全区では強姦はほとんどなくなった。安全区外については噂は耳に入るが、事実のほどはわからない。もっとも、兵士だけでなく「老百姓」(庶民)による略奪も続いている。
 かくまって保護してほしいと、私のところにやってきた若い5人の女性ー短期養成コースの看護婦ーの問題を解決することに午前のかなりの時間を費やした。5人全員を受け入れることはできないと思った。他の避難民と同様に彼女たちも危険にさらされることになるからだ。ここも含めて5ヵ所の収容所を選び、5人にくじを引かせた。そのあと紹介状を書いてやり、彼女たちに使用人を同行させた。使い走りの呉(正しくは魏)少年は、苦い経験をして以来、キャンパスの外に出るのを怖がっている。
 午後は、女子学院に米を搬入してもらう段取りに4時間近くを費やした。やっとのことで12袋を運び込むことに成功した。国際委員会は米の取り扱いを自治政府に委ねてしまい、その結果、実にさまざまな困難にぶつかっている。これまで販売所はヒルクレスト学校の近くにあったが、今後は安全区の外に移すよう強要されている。なぜなのか、私にはわからない。以前は中国軍の米を利用していたが、現在は日本軍から米を入手している。リッグズ氏の話では、石炭屋を7軒訪ねたが、在庫がないそうだ。燃料も問題になってきている。安全区外から何とかして持ち込めないかぎり、家屋や家具が燃料としてますます使われるようになるだろう。
 人々の健康を維持する食料も問題となっている。実際、どの農村にも青物類は残っていない。7万人の(日本軍)兵士がこの地方にしばらく寄食していたので、鶏も豚も牛もほとんど、というか全く残っていない。ロバや馬も食肉用に屠殺されている。今日馬肉が売られているのを見たものがいる。豆、落花生、青物を上海から手に入れようと苦心しているところだ。
 メリー、程先生、ブランチはいまだに風邪で臥せっている。陳さんは床を離れたものの、外には出ないでいる。・・・・・・・・

「Imagine9」解説【合同出版】より


武器をつくったり

売ったりしない世界


「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2009年1月12日月曜日

1938年 南京 1月12日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月12日
 南京が日本人の手に渡って今日で1ヶ月。私の家から約50メートルほど離れた道路には、竹の担架に縛り付けられた中国兵の死体がいまだに転がっている。
 ドイツ、アメリカ、イギリスの大使館を訪ねて、昨日の家捜しを報告し、ローゼン、アリソン氏、プリドー=ブリュン各氏と相談した。この件について、全員の意見が一致した。すなわち、日本の警察は、外国人の建物に入る時には、その国の大使館へ事前に連絡するか、もしくはその国の大使館員を同伴する義務がある、ということだ。

 こうしている間に、米の販売が全面的に中断されてしまった!米だけではない、石炭も安全区に運び込めなくなった。日本軍は塀に貼り紙をして、自分の住居に戻れといっている。肝心の家が焼き払われたり略奪にあったりしていることなんか、てんでおかまいなしなのだ。
 日本人と友好的にやっていくにはどうするかとあれこれ考えた末、あることを思いついた。・・・・・・


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月12日  水曜日
 とても寒くなった。雪が降ってきそうだ。できることなら何としても、建物の裏の(一語欠落「汚物」か?)をきれいに片付けてもらいたい。雪で散らばってしまうだけだろうから。あいにく、どこへ行っても石灰が手に入らないので、消毒薬としてそれが使えない。私たちが掘った穴に避難民全員の汚物桶を空けさせるのは無理だった。米飯の配給はキャンパスの外で毎日2回行われているし、登録業務も中止されているので、学院の使用人たちは、これまでよりも多少掃除の時間に余裕がある。・・・・

 10時から12時まで王さんは文科棟の来客室で、夫や息子がいまだに行方不明の女性たちから事情を聴取していた。午後、この情報を福田氏に届けた。彼なら何かできると期待することにしよう。無料で米がもらえる赤色の配給券をほしがる人が増えてきている。一つには、人々が持ち金を使い果たしてしまったからであり、また一つには、貧しい人々が入ってきているからである。夜具をほしがっている人も大勢いる。
 午後、王さん、・・さん、夏さん、張さん、それに私とで、アメリカンースクールの北にある寺院に出かけた。彼らや学院が使用する米を手に入れることができるかどうかを知るためだ。米は入手できたが、それを運ぶ手段がなかった。雑踏する上海路を戻ってくると、大勢の露天商人が道端で盗品を売っているのが目に入った。・・・・・・

 あらゆる無法分子が活動しているが、何の規制もない。当然ながら、南京に残留している中国人警官は少数で、権限を持っておらず、また、数少ない日本の憲兵も、自国の兵士を取り締まることができないのに、ましてや「老百姓」(庶民)を取り締まることなどできるわけがない。多くの人々は、まだ安全になっていないのに、安全区から出て帰宅をしている。そうでもしなければ、家の構造部材、扉、窓、床板を盗まれてしまうからである。
 今日は程先生、F.陳さん、メリー・トゥワイネンが風邪で寝込んでいる。誰もが働きすぎで、緊張が激しい。・・・・・・・・・・・・・・・・・



「Imagine9」【合同出版】より


軍隊のお金を

みんなの暮らしのために使う世界


 世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。

●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。


 こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
 国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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