2010年5月24日月曜日

中国人被害者が敗訴=チチハルの旧日本軍毒ガス事故

私たちはこの問題にどのように向き合えばいいのだろうか?
国と裁判所は、あの戦争にからむいろいろな事案で今まで一貫して戦争責任を認めていない!!
国体護持を堅持したいため、天皇の戦争責任には全く触れようとしない!!
 被害者はたまったものではない!!2010年の現在、60有余年前の戦争の影響が中国の各地で起きている!!

突然の毒ガス…少女の夢奪う 中国遺棄事故、24日判決

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遺棄化学兵器による被害救済を求めて署名を集める馮佳縁さん=東京・吉祥寺の公園で
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 少女は突然、戦争の被害者となった。旧日本軍が遺棄した毒ガスで2003年に中国・チチハル市で1人が死亡、43人が負傷した事故。当時10歳の馮佳縁さん(17)は汚染された土で遊び、被害にあった。負傷者全員と遺族計48人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟の判決は24日、東京地裁で言い渡される。
 5月初旬、東京・吉祥寺の公園に、被害者救済を求めて署名を募る馮さんの姿があった。外見では遺棄兵器の被害者とは分からない。だが、後遺症で体力が低下し、長く動いてはいられない。
 事故があった03年8月、馮さんは小学3年生。整地のために運ばれた土で遊び、帰宅した後、足に激しい痛みを覚えた。皮膚がただれていた。目は赤く腫れて開けられず、のどに激しい刺激を感じた。
 学年で一番の俊足だった。スピードスケートの選手だった父の影響で、自分は陸上選手になる夢があった。しかし、事故後は、すぐ息が切れて胸が苦しくなる。成績も良かったのに、記憶力や集中力が途切れがちになり、普通高校への進学をあきらめた。
 いずれも毒ガス被害者によくみられる健康被害だった。そのうえ「あの子に近づいては駄目」といわれのない差別を受け、住まいも替えた。
 なぜ、こんな目に遭わなければならないのか――。中国と日本の間で戦争があったことは知っていたが、遺棄化学兵器は全く知らず、チチハルに埋まっていたことは知るよしもなかった。「日本の化学兵器のせいだと知った時、激しい怒りと恨みを感じた」。同時に戦争の悲惨さ、恐ろしさも身をもって感じた。
 日本政府は09年度までに約4万7千発の遺棄化学兵器を回収したが、大部分が埋まっているとされる吉林省のハルバ嶺(れい)だけでもまだ30万~40万発あると推計される。
 訴訟を通じ、馮さんは日本に自分を支援してくれる人たちがいると知った。「二度と同じような被害者が出て欲しくない」。そんな思いで判決の日を迎えようとしている。(向井宏樹)

中国人被害者が敗訴=チチハルの旧日本軍毒ガス事故-東京地裁 
 中国黒竜江省チチハル市で2003年、旧日本軍の遺棄した毒ガス兵器で中国人が死傷した事故をめぐり、被害者と遺族の計48人が日本政府に約14億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が24日、東京地裁であった。山田俊雄裁判長は「被害は甚大だが、国の法的責任は認めがたい」として、請求を棄却した。
 判決で山田裁判長は、旧日本軍が駐屯したチチハル市で毒ガス事故が起きることを、日本政府は予見できたと指摘。その一方で「遺棄は中国本土の広範囲にわたり、可能性のある地域すべてを調査するのは困難だった」と判断した。
 事故は03年8月に発生。建設現場で掘り出されたドラム缶から毒ガスが漏れるなどし、1人が死亡した。原告弁護団によると、負傷した43人は筋力や記憶力が低下し、職を失うなどした。(2010/05/24-17:59)

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