2009年12月14日月曜日

天皇が始めた戦争!!日本国民にも冷たい!!

 あの戦争は、国が(天皇が)始めた戦争ではなかったのか?それに国民を総動員したのではなかったのか?それにしても日本の戦争被害者にも冷たい対応だと思う!!もちろん、中国やアジアの被害者にはもっと冷たいと思うが!! 国側の主張には、まったくあきれる!!あの戦争は国が起こした戦争ではなかったのか?天皇の命令で始めた戦争ではなかったのか?「戦争被害は、国民が等しく受忍すべきだ」とはどういう意味だろう?考えてしまう!!
【国側は「戦争被害は、国民が等しく受忍すべきだ」との最高裁判例を根拠に、請求棄却を求めていた。】


<東京大空襲訴訟>86歳原告「国は謝罪を」14日判決

12月13日15時3分配信 毎日新聞

 東京大空襲の被害者や遺族計131人が、国に謝罪と総額14億4100万円(1人当たり1100万円)の賠償を求めた訴訟の判決が14日、東京地裁で言い渡される。父と姉を亡くした原告の清岡美知子さん(86)=東京都練馬区=は「国は被害者に、救済措置を取らなかったことを謝罪すべきだ。死者全員の名前を刻んで弔う石碑を建てるなど誠実に対応して」と訴えている。

 清岡さんは21歳の時、住んでいた浅草で空襲に遭った。未明の空襲警報で目覚め外に出ると、米軍のB29が焼夷(しょうい)弾を落としていた。父母、姉と近くの隅田川岸へ避難したが、強風にあおられ猛火が迫った。身をかがめ、熱風でやけどしないよう、防空ずきんで覆った鉄かぶとで川の水をすくい、体に掛け続けた。

 生き残ったのは奇跡的だと思った。意識がもうろうとしたまま暖をとるため火にあたっていると、折り重なった遺体が燃えているのに気付いた。母は助かったが、3日後、冷たい川の水で凍死した父と姉の遺体が仮埋葬されているのを見つけた。土をかき分けると、2人の亡きがらから鼻血が流れた。「私たちが来たのが分かったのか」と、うずくまり、とめどなく涙を流した。今も脳裏から消えない。

 都の罹災(りさい)証明書で支給されたのは、布団1枚と鍋1個。母と参加した65年の全国戦没者追悼式で、軍人の遺族が「息子は戦死したが手厚い援護を受け、この国に生まれた幸福を感じている」と述べた。同じ戦争被害者なのに、空襲被害者には救済策が講じられない理不尽さを思った。
 60年以上たち「なぜ、今さら裁判を」と聞かれる。清岡さんは言う。「被害者は皆、生計を立てるので精いっぱいだった。多くの方が亡くなり、空襲の悲劇を伝えられるのは私たちしかいない。裁判所は被害者を放置した国の責任を認めてほしい」【伊藤一郎】


東京大空襲訴訟、被災者ら敗訴=国の賠償責任認めず-東京地裁

12月14日15時7分配信 時事通信
 
1945年の東京大空襲の被災者と遺族131人が、救済や補償を怠ったとして国を相手に総額約14億4100万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の判決が14日、東京地裁であり、鶴岡稔彦裁判長(斉木敏文裁判長代読)は、請求を棄却した。
 原告側は、旧日本軍による中国・重慶爆撃などの都市無差別爆撃が、米軍に東京を空襲する口実を与え、歴史上に類を見ない非戦闘員に対する虐殺行為を招いたと主張。国は特別法を制定して空襲被災者らを救済する義務があったのに、援護や補償をせずに放置したと訴えていた。
 国側は「戦争被害は、国民が等しく受忍すべきだ」との最高裁判例を根拠に、請求棄却を求めていた。 

0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中