2009年11月9日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

【裁判のお知らせ】(転載)

チチハルの毒ガス被害事件の裁判が行われます。

日時:2009年11月16日(月) 11:00~15:00
場所:東京地方裁判所 103号法廷

李双義さん・施青さん・王立冬さんが来日して、尋問を受ける予定です。被害者の方々を勇気付けるためにも、ぜひ傍聴にいらして下さい。

裁判終了後、弁護士会館1002号室で報告集会が行われます。


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)




●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅷ ニホンのハタは
私には戦後という区切りはない
 私は731部隊員であったことを隠し、知らぬ顔をして長野の電鉄自動車部へ入社した。外地から終戦で引きあげて来たと言う風につくろったのである。私自身にも、あれだけのことをしてきたのだから、もしもバレたらという恐怖はずっとつきまとっていた。
 私には戦後という区切りはなかった。
 アメリカ軍に発見され、不利な立場に追い詰められ、裁判にでもかけられたら困るという不安が絶えずつきまとっていた。
 私は長野県出身の柄沢十三夫少佐という人が、ハバロフスクで裁判にかけられ、死んだということを聞いていた。とにかく、いったんひっくくられた絞首刑だという恐れを抱いて、戦後を生きていたのである。
 だから、「秘密は墓場まで持っていけ」「隊員相互の連絡はとるな」という秘密命令は、戦後も生き続けていたわけである。
 ほとばりがさめ、何とか一般市民と同じように生きていけそうだと思い始めたのは昭和30年以後のことであると思う。(明日に続く)

※戦後の早い時期から731部隊についてはアメリカは情報収集をしていて、細菌兵器の情報を手に入れたかった。そして、731部隊・陸軍の幹部・政治家と交渉し、戦犯免責と引き換えに731部隊のデータを手に入れた。越さんが悩んでいる頃は、731部隊の上級隊員たちは、免責されたことでほっとし、公職に復帰している。下級隊員には全く連絡もなく、ひどいものだ!!下級隊員のほとんどはその後も過去を隠し、ひっそりと暮らした。
 柄沢はハバロフスクで処刑されたのではない。自決したのだ。
 柄沢十三夫は、軍医少佐で731部隊では第4部(細菌製造)の課長であった。ハバロフスク裁判の判決では、死刑判決はなく、最高刑は懲役(強制労働)25年で、これは山田乙三(陸軍大将:関東軍司令官)、梶塚隆二(軍医中将:関東軍軍医部長)、高橋隆篤(獣医中将:関東軍獣医部長)、川島清(軍医少将:731部隊第4部長)の4名、ついで禁固20年が佐藤俊二(軍医少将:南京・多摩部隊長、関東軍第5軍軍医部長)、柄沢十三夫の2名に、懲役18年が西俊英(軍医中佐:731部隊教育部長兼孫呉支部長)、同15年が三友一男(獣医軍曹:100部隊員)、同12年が尾上正男(軍医少佐:731部隊牡丹江支部長)、同10年が平櫻全作(獣医中尉:100部隊員)にそれぞれ言い渡された。久留島(衛生兵:731部隊林口支部員)と菊池(731部隊:牡丹江支部員)はそれぞれ懲役3年及び2年の刑であった。
 柄沢十三夫は1956年12月26日釈放帰国と知って約1ヶ月前に自決した。

参考ホームページ
九州大学生体解剖事件

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

張瑞豊(男、86歳)の証言

 母に叔母に馬おばさんとその娘さん、それにある人の奥さんのお母さんの馬おばさんとが、私と離れ離れになってから、逃げていく道で、不幸にも日本兵に捕まってしまい、日本軍が馬おばさんの娘さんを強姦しようとしました。母と叔母と2人の馬おばさんとがみんなで娘さんを護って、死んでも従うまいと、5人一緒に池に跳び込んだのですが、彼女たちの頭が水面に出ると、日本軍が発砲し水に向かって撃ちました。日本兵が行ってしまった後も、母や叔母たちは帰って来ず、私は従兄弟とあちこち探し、2,3日探して、ある池の端で母たち5人の死体を見かけたのですが、それは近くのラオパーイシン(一般市民)がすくい上げてくれたものでした。母はやられた時、やっと49歳で、私は弟や従兄弟と草々に5人を埋葬したのです。
 妻の張蔡氏は、その時26歳で、私とはぐれてから、難を逃れている時に日本兵に捕まって強姦されてしまいました。日本兵が行ってしまってから妻が家に戻ってその事を話し、私はうんと憤慨しましたが、やはりどうしようもなく、忍ぶしかありませんでした。(明日に続く)(段月萍と劉相雲が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(参考ホームページ)
栗原利一資料集
山田支隊:栗原利一証言



※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト


憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

9条がゆきわたった世界を。


Imagine,

A world filled 

with Article 9.


憲法9条は、日本という「国」のものではありません。日本に住んでいる「人びと」、つまりみなさん自身のものです。そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。(アメリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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