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●日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●2018 所沢 平和のための戦争展
●2018 所沢 平和のための戦争展
●今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス事件~
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
化学兵器の研究
私たちは上述の人々が提供した資料を利用して、資料の正確さと記述の便のためにまず資料提供者の名前で以下に列挙してみる。
秋山金正:陸軍科学研究所の所員、陸軍習志野学校研究部のの主事、関東軍化学部部長、第6陸軍技術研究所所長。日本敗戦
のときは陸軍少将、1955『陸軍科学研究所と陸軍第6技術研究所の化学兵器の研究経過の概要』という題で文章を
書いた。
小柳津政雄:陸軍科学研究所の所員、陸軍習志野学校副校長、関東軍化学部部長、陸軍科学研究所第2部部長、第6陸軍技術
研究所所長。敗戦時は陸軍中将、1955年に『化学戦研究史』を執筆。
久村種樹:陸軍科学研究所所員、第3部部長、所長。1957年『化学兵器技術史年表』の編集責任者。
西原貫治:陸軍習志野学校幹事、校長、化学兵部総監。
白銀義方:陸軍科学研究所所員、陸軍習志野学校研究部主事、教官、教育総監部第5課課長、陸軍習志野学校校長、化学兵部
総監。
明石泰二郎:陸軍習志野学校研究部主事、副校長、迫撃第2連隊隊長。
幡川鎌治:陸軍習志野学校練習隊隊長、教導隊隊長、教導連隊隊長、教官、迫撃第3連隊隊長。
古林和一郎:陸軍習志野学校研究部主事、陸軍気象部部員、課長。
谷岩蔵:陸軍習志野学校教官、教育総監部第5課課員、化学兵監部部員。
関口丞:陸軍習志野学校教官
日本鬼子のおきみやげ
初めて知った戦争(毒ガス)
瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々
藤井ヨシカツ(ふじい・よしかつ)
秘密を守るため、島は地図から消された
岡田さんは美術の教師だった。島での体験も描いた。この絵は毒ガスの原料を運搬している様子
竹原市が運営する「大久野島毒ガス資料館」は、1988年にできた。初代館長は故・村上初一さん。製造所の元工員で、養成工の1期生。毒ガス製造機械の修理や新しい機械の製作に携わっていたという。自著などによると、村上さんは当初、展示物の解説などや自分の体験だけを語っていたらしい。
ところが、1996年に中国の研究者から手紙をもらったことで少しずつ姿勢を変えていく。手紙には「中国には現在も日本軍の遺棄毒ガス兵器による後遺症に苦しむ人たちがいます」と記されていた。来館者に「被害の話ばかりなのか」などと言われたこともきっかけになった。
それ以降、村上さんは自身の体験だけでなく、中国での加害の歴史も語るようになったという。そして毒ガス資料館の展示にも加害に関する資料や写真が増やされ、現在まで引き継がれている。
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
・第5回
自衛隊の弾薬、毒ガスの管理状況は?自分が現役の時代、事務所の机の中に催涙ガス10本位置かれていました(管理簿に載っていない毒ガス)。普通は弾薬庫の中にあるはずなのですけど?残念ながらこれが自衛隊の現状です。又、弾薬庫も完璧に警備はされていません。おそらく、自衛隊の現状を考えると警備の隊員も減らされていると思われます。実は、那覇空港の滑走路のすぐ隣も弾薬庫だらけです。
・数日前、那覇空港の中まで機関銃の音が聞こえました。空港の出口正面は訓練場です。
・第4回
「陸上自衛隊化学学校にはガス専用の訓練施設がありました(ガス訓練室)。隊員達はだれとなく「ガス室」と、呼んでいました。昔、開発中の新型防護マスク4型の実用試験に隊員達10名位がモルモットとして、この試験に参加させられました。もう…時効です。農薬(毒ガスによく似た)の充満した部屋に防護マスクを装置して部屋のなかに…隊員が我々はモルモットか?と、叫んでいました。化学学校の研究員2名が実験の担当者でした。陸将補で退官されたと記憶しています。
・第3回
数年前読んだ下里正樹さんの(オウムの黒い霧)の本にオウムにサリンの製造技術を教えた化学学校所属の自衛官(防衛大学校32期:二等陸尉)がいたことが書かれていました。しかし、自分の記憶では二等陸尉(平成七年、十数名がいた)にオウム入信していた幹部自衛官は記憶がありません。ただ、二百名の隊員のなかに自分のかすかな記憶では一人だけ、当時社会的問題を起こしていた宗教に入信していた幹部自衛官がいました。毒ガスの専門家でサリン製造の中枢にも配属されていた幹部研究員です。
・第2回
昔、陸上自衛隊化学学校では、勤務中に医薬品を作っていました。市販の医薬品は必ず成分:分量(重量%)を記入してあります。その為合成は簡単です。実験室なので薬品も無数にあります。ただ、薬品の私的流用は駄目です。この不正行為は氷山の一角です。是非、陸上自衛隊化学学校を取材してみて下さい。
・第1回
化学学校の誰かがオウムにサリンの製造技術を教えた…?地下鉄サリン事件の一年~三年前、サリン製造の中枢(装備研究科)に一人の幹部自衛官が配属されていました。この幹部自衛官は当時宗教(Tという普通の宗教ではありません)に入信していました。普通はこの様な人物は研究科に配属されることはまず(100%㌣)ありません。自分も当時この人事にビックリしました。何か特別な事情(本人の希望等)があったのかも知れません?平成五年頃、陸上自衛隊化学学校の情報はオウムに筒抜けだったと思います。
・平成14年頃の体験談(陸上自衛隊:後方部隊)です。トラック二台ぶんの廃棄物の調達要求書がきていました。中身は使用不能になった衣類(戦闘服等)です。トラックを確認すると、一台で十分積載できる量でした。一台ぶん50万は何処に?…特に年度末に見られます。又、入札を随時契約にするよう頼まれたり…自衛官もアルバイトで大変です。
●ニュース
玉城デニー氏「気持ち固まった」 沖縄県知事選、野党5党派が支援確約
社説[移設不支持が多数]辺野古の海 後世に残せ
恒久平和へ 県原爆死没者慰霊式(18-08-27)
<障害者雇用>省幹部「死亡職員を算入」 意図的水増し証言
エアコン故障3階に入院、新たに患者1人死亡
<地上イージス>秋田県知事「住民には心理的でなく物理的負担だ」懸念改めて伝える
トランプ「押し売り」 安倍「爆買い」ウィークエンドニュース 2018.8.24
オスプレイ反対!!
(時時刻刻)オスプレイ、いきなり合意 地元反発する中、佐賀知事表明
オスプレイ配備受け入れ “着陸対価”は100億円
(社説)障害者雇用 信頼裏切る水増し疑惑
【金子勝】おごるな自民党!総裁選の争点が異常!自浄能力の欠如露呈!!
2018年08月20日 玉城デニー議員 インタビュー
核廃絶、世界で訴え ピースボートが横浜帰港
オスプレイ佐賀空港配備計画、魚への水中音影響「不明」 漁業者ら「再調査を」
防衛予算5兆2986億円 概算要求 過去最大、7年連続増
<海自>護衛艦3隻、インド洋に長期派遣訓練
<精神疾患>50年以上の入院1773人 全国調査
萩市・配備計画のイージス・アショアについて国から回答
金子先生が斬る!膿だらけの日本
「娘に顔向けできないから」 東京医大の入試不正、弁護団が電話ホットラインを開設へ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!!
陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍
不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入
【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」
加計問題はまだまだあった!!
しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。
古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.〉
新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校
逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定
加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に
文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか
オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉
加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!!
南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!!
官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響
少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。
今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!!
国家が根腐れしている!!
ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し
●麻原らの死刑執行の前日からの流れ
●オウム サリン事件
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日
●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5
●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5
●情報公開裁判「衛生学校記事」
●情報公開裁判「化学学校記事」
●ビザ発給拒否・集会妨害裁判
●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!
政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!
「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频 2017.12.13
マギーフィルム(字幕付き)
・南京大虐殺の証言
ベイツ
1938年1月25日
親愛なるアリソン様
昨日金陵大学で起こった事柄を、全面的にご報告する前に、まず午前11時に薄い色の腕章を着けた一群の日本兵が、胡家菜園11号の我々の農具店に闖入した様子をお話しておきます。
彼らは店主を銃で威嚇して身体を検索し、それから婦女を1名連れて行って、強姦しました。やがて日本兵が彼女を放ったと、耳にした者が2人いました。この婦女は自分が連れて行かれたところを、見つけられると思っていますから、私たちは役に立つ細かな点をより多くできるだけ、承知しておこうと思っています。
このケースは勝手気ままな闖入、武力による脅し、縛り上げと強姦にまで渉っています。憲兵がやったのかも知れません。腕章から判断できるもう1つの唯一の可能性は、特務処の人です。
私たちには秩序が安全が無く、彼らには告示と国旗とで明示してあるアメリカの財産に対する尊厳が無く、日本の告示と命令とへの尊敬もありません。
付記:この手紙を書き終えた後に、私は確かな消息を得ましたが、日本兵は入り口に貼ってあった日本の掲示を引きちぎったのです。
驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表
米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)
南京大虐殺80ヵ年
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国
2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!
・南京大虐殺
・親泊朝省(おやどまり ちょうせい)
1903年(明治36年)9月18日 - 1945年(昭和20年)9月3日) 41歳没
日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大佐。沖縄県出身。大本営陸軍部報道部部長、内閣情報局情報官。1945年9月2日、戦艦ミズーリ号で日本が無条件降伏文書に調印をした翌日、妻と子二人とともに拳銃自決をした。 『草莽の文』と題した遺書を陸軍内部に配布し、軍の反省と日本の将来を憂いた。
また外征軍、特に支那に於て昭和十二、十三年頃の暴状は遺憾乍ら世界各国環視の下に日本軍の不信を示したといえる。即ち無辜の民衆に対する殺戮、同民族支那人に対する蔑視感、強姦、掠奪等の結果は、畏れ多き事ながら或る高貴な方をして皇軍をして蝗軍と呼ばしめ奉るに至ったのである。
斯くて皇軍の権威は地を払い、我が陸軍は海軍とも相克対立を示すに至っては、官は軍を離れ、民も亦漸く軍を離れる次第となったのである。(後略)
※なお、親泊朝省については、澤地久枝 『自決 こころの法廷』(日本放送出版協会、2001年)が詳しい。
※しかし、日本に帰還した松井をマスメディアは南京を陥落させた凱旋将軍として報道し、天皇も大軍功の殊勲者として勅語を与えた。
●重慶大爆撃裁判
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。
重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録
戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか
重慶大爆撃訴訟
the battle of china 1944
重慶大爆撃(苦干より)
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
爆撃の効果
「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真
爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。
不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。
●「天皇制」を考える
辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる
侍従日記「戦争責任言われつらい」晩年の昭和天皇吐露
・今夏 日本の戦争を考える!!
「テロリスト伊藤博文」の懺悔
異次元金融緩和の重大かつ深刻な弊害!出口を模索しようにもわずかな金利上昇で日本経済は大混乱!? アベノミクスの無残な最期!~6.18岩上安身によるエコノミスト田代秀敏氏インタビュー18.6.18
「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決
(社説)君が代判決 強制の追認でいいのか
日本は、15年に及ぶアジア太平洋戦争で、アジアの国を侵略し、その果ては、沖縄はじめ日本本土が焦土と化し、潰滅的な状況に陥った!!
そこに至った責任は昭和天皇に無いのか?
・なぜ今でも「帝国ホテル」「帝国データバンク」「帝国劇場」「帝国書院」など、帝国という言葉を使う??
・近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
岩崎 稔
㈠ 近・現代史を理解するうえでの眼目とは何か?
この事実の示すものは、自由民権運動期の時代は「自分たちが国をつくる」という主権者としての意欲と熱意が漲っていた時代、われわれが、近代日本を主導していくという気概と意欲に満ちていた時代と特徴づけることができるだろう。いかに明治期の人たちが、次に来る新しい時代の到来を切望していたか、また新しい時代の到来に、どのような国家(憲法)構想を用意したのか、その切実な熱意の叫びが伝わる。しかしながら、それらの思いを圧殺したうえに明治体制がつくられたことこそが、問題にされなければならない。
・明治憲法(現代語訳)
第3章 帝国議会
第37条 全ての法律は、帝国議会の協賛を経る必要がある。
『日本人と天皇』より
1番目はまったくの飾り言葉よ
だってそれ以前に米軍による空襲で多くの多くの国民が命を失われ、そして米軍の空襲を防ぐ力が日本にはないことをよく知っていながら2発原発を落とされても天皇は終戦を決意しなかったじゃないの。
本当だ。
ところが原発を2発落されても終戦を決意しなかったその天皇は米軍に三種の神器を奪われるかもしれないと怯えたとたんに
終戦を決意したのだ。
国民より三種の神器の方が大事だったのね。
昭和天皇は万世一系の天皇が日本を統治する「国体」を護ることに凝り固まっていたことがよくわかる。
そうか
天皇自身近代天皇制の洗脳を受けていたんだ。
その通り。
1975年の昭和天皇記者会見
(白井聡さんのお話より)
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・
どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党
昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??
●松代大本営(ウィキペディアより)
松代大本営建設に至るまでの皇居の防空対策
御文庫
さらに1941年4月12日、御文庫が極秘に着工され、1942年12月31日に完成した。施工を請負ったのは大林組で建築費は約200万円であった。建坪1,320m2。地上1階、地下1階・2階の3階建て。そこには天皇・皇后の寝室、居間、書斎、応接室、皇族御休息所、食堂、洗面所、侍従室、女官室、風呂、トイレなどがあった。このほか、映写ホール、ピアノ、玉突き台などもあった。屋根は1トン爆弾に耐えるよう、コンクリート1mの上に砂1m、さらにその上にコンクリート1mを重ねた計3mの厚さであった。天皇は午前中は表御座所(御政務室)、午後は御文庫で過ごすのが日課であった。
松代大本営跡を訪ねて
松代大本営跡を訪ねて 2018年7月
沖縄戦全記録 2015 6 14
大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に
果して絶滅の恐れのあるアオウミガメを使う占いが必要なのか?
「大嘗祭」関連儀式でアオウミガメの甲羅を調達へ
<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版
新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更
公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー
20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」
平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に
●侵略戦争!!
近現代史年表
・1900年(明治33)
義和団の乱(北京における駐兵権容認はやがて盧溝橋事件の引き金ともなるのである)
重慶大爆撃パネル展 2017年10月
「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃
アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。
米軍による日本への無差別爆撃
本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル
重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
昭和天皇が戦争狂になった訳
・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
強制連行の決定
満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略
●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター
731部隊展
第3回「戦争の加害」パネル展
感想より
29日(日)
・今まで思っていたこと以上の事柄が分り、恐ろしくなった。(80代男性)
●731の実態
・私自身が逮捕した天津における烈士は、あまりそのような内容に該当しない人なんですよ。諜報員それ自体の宿泊の便宜を与えただけであってそれ以外の関係もなかった。
・・・・昭和14,5年頃からの予算がね731部隊だけで1千万。関東軍の総予算が2千万、残りの1千万があの当時満州に駐留している師団が11個師団ぐらいおったんかな、1個師団2万人として、20万から23万ぐらいの人員に飯を食わせて、服着せて、靴はかせて、防寒着を着せて、鉄砲玉作ってね、支給してという費用が1千万。731部隊の研究費が1千万。そういう莫大な予算をもらっている関係もありますわね。・・・・細菌戦とか毒ガス戦というやつは、条約で禁止しておる関係があって、世界各国極秘裏に研究をやっておるわけですね。ですから、我が731部隊自身のの存在自体もですね、これは重要な最大の国家機密として位置づけられて、極端に言えば日本の国挙げての保護のもとに我が部隊が成り立っていた!!・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・
731(1)
第4回 日本軍による人体実験
闇に消された虐殺~731部隊
731部隊のドキュメンタリー
・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!
悪魔の飽食:復号731
●本の紹介
●特移扱(とくいあつかい)資料
朝鮮被害者李基洙の特移扱の写真1
●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■世界と日本での議論の進展
―戦争放棄、軍事研究復活阻止が決定的に重要であるとしても、「命令には従わざるをえない」ということについてはどう考えればいいでしょうか。
被害者やその遺族の無念・怨念も癒えることはありません。戦後も狂気が癒えず入院したままで世を去った人々や今も入院中の人々がいます。だから医師・医学者は「戦争に反対だ。でも戦争になったらお仕舞」では済まないのです。戦争で医師が狂気に陥り、戦争に賛成し参加すれば、治療や予防という医師の役割に相矛盾します。その意味で「繰り返さない」ということは、医師・医学者自身が、人間の一尊厳、人権、命と健康の擁護を貫ける強靭な倫理観を持つことであり、検証の意義はそこにもあります。
(月刊『前衛』より)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
●731部隊本部(平房)
●731部隊遺跡を世界遺産に!!
●福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。
──日本会議は皇室を敬愛する国民の心が日本の伝統にあるといいます。でも明治時代前の日本人は、殿様は知っていても天皇は知らなかった時代が長かったのでは?
日本会議の言う日本の伝統とは討幕後の明治時代に意図的につくられたもの。大日本帝国時代のわずか80年の歴史だけをもって、日本の伝統ということ自体がおかしいのです。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日 2017年1月27日号
[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……
『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より
「明治憲法」は、国の一切を統治する天皇が人民に与えられたもので、司法・立法・行政の三権が天皇の支配の元にあり、しかも天皇が、「天皇大権」と言って、軍の統帥権や緊急勅令・独立命令など、議会と相談せずに自由に行使しうる権限も認められていました。国民の権利は、法律の範囲内でしか認めておらず、手続きさえ整っていたら、国は人権を犯す法律を作ることが出来ました。
戦前に、人々の思想を取締り、7万人の人を捕らえ、1600人を殺し(中西三洋『治安維持法下の青春』光陽出版、139ページ)、多くの人々を迫害した「治安維持法」も、明治憲法下では完全に憲法で認められていたことなのです。
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕
・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)
・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
(来年の即位の礼、大嘗祭反対!!)
第6章政治的君主の誕生
昭和天皇の治世になって間もないこの重要な時期をとおして、彼の側近の牧野、河井、奈良、岡部らは、日記や回想で若き天皇を賛美している。彼らは、天皇が政党に利用されることに消極的なことを、それが天皇制の本質にふさわしいものと見て賞賛し、父親には身体的に不可能だった政治指導の役を務める彼の決心を喜び、それをなしとげさせる指南役としての彼ら自身の腕に満足を表明した。ただ奈良の見るところでは、彼はこのときはまだ、憲法が保障している統帥権を軍隊に直接発動することに熱心ではなかった。
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!全く民主主義にそぐわない!!
※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!
※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。
戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。
※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!
日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア
井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)
※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)
寧波(ニンポー)細菌戦
麗水細菌戦
日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■国家の代理人
1968年6月18日にハイデルベルグ大学の研究サークル「医学と犯罪」が出版したパンフレットには次のように書かれている。
「1945年以後のハイデルベルグ大学初代総長、教授、医学博士、医学名誉博士、法学名誉博士、大学名誉評議員であるK.H,バウアーは『遺伝病の子供の出生を予防するための法が外科に与える意味』(『外科医』1934年第6号、330-334ページ所収)および『不妊手術の実際』(ライプツィヒ、1936年刊)に次のように書いている。
〈1933年7月14日の《遺伝病の子供の出生を予防するための法》は、ドイツ民族にとって、民族の健康をその最も深い根源において、つまり遺伝素質においてとらえ、ドイツ民族の健康をさまざまな形態の遺伝的障害から解放し、それによって民族の遺伝的素質を世代から世代へ絶えず改善しようとする、巨大な試みに他ならない。
遺伝予防衛生のこの目的を達成する主要手段のひとつ、つまり遺伝病の絶滅は、周知のように、重症の遺伝的患者を生殖不能にすることである。この法の根本思想が解放的行為に移され、実現される唯一の場こそは、外科医の手術室である。
重要なのは患者に対する法的強制の規定である。
法律は、手術が『不妊手術を施される者の意志に反して実行される』ことも可能であるとはっきり規定している。医師は、彼に医師として使用し得る手段を行使する権利があるわけだ・・・しかし強制措置がとれるのは満14歳以上の者に対してである。〉」
日本では考えられない?
医学部の学費が全額無料に。ニューヨーク大学が画期的な奨学金を発表
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
医学界では当たり前か?女性差別!!
【日本共産党】吉良よし子参議院議員にきく「東京医大 女子一律減点・合格者抑制問題」
医者と製薬会社の関係は??
製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解
国はいつも国家犯罪を素直に謝罪しない!!
旧優生保護法の違憲性、国は見解示さぬ方針 強制不妊
強制不妊 男女3人が国提訴へ
<強制不妊手術>GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る
731を問う!!
2018年8月29日水曜日
細菌戦の系譜!!
●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!
●731部隊について
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし
ナレーション
中国東北部にある都市ハルビン。ロシア人が建設したこの国際都市は、戦争中、日本軍の拠点となっていました。
ハルビンの郊外20キロ、731部隊の本部跡が今も残っています。破壊された建物の残骸、終戦間際、存在を隠すために爆破されました。
当時の写真です。
部隊は、周囲数キロに及ぶ広大な敷地で、極秘に研究を進めていました。四角い形の3階建てのビルには、冷暖房を備えた最先端の研究室が並んでいたといいます。
その中央に周囲から見えない形で牢獄が設置され、実験材料とされていた人々が捕らわれていたといいます。
731部隊が編成されたのは1936年。当時の日本は旧満州に進出、国境を接し、軍事的脅威となっていたソ連に対抗するため、細菌兵器を開発していたのです。
部隊を率いていたのは、軍医・石井四郎です。
当時、細菌兵器は国際条約で使用が禁止されていました。
しかし、防衛目的の研究はできるとして開発を進めました。
部隊の人数は最大3000人。【竹田宮を中心とする731部隊の集合写真】
石井は、細菌兵器開発のため、全国の大学から医学者を集めていました。
北大教授が戦時中に人体実験か 講演の速記録に記述
北大教授、戦時下に人体実験 中国人から摘出の睾丸で
「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29
※吉村寿人
※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???
※清野謙治京大教授も、京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対しては病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに「異常なまでにてこ入れした」とされる。
※清野事件
清野は、幼少の頃から考古学を趣味にしており、仕事の傍ら古人骨・古文書・民俗学資料などの収集に情熱を傾けていた。 1938年に医学博士号を取得した直後、「誠に奇妙なる精神状態」のうえに収集癖が高じて、京都の古寺から教典や古文書を盗む窃盗事件を起こす。 清野は逮捕され、控訴審で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受ける。 このことから清野は京大を免職になったばかりか、濱田耕作京大総長も辞意を表明した。
記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)
※1938年8人の京大研究者が731部隊に派遣される。
8人は石川太刀雄丸、岡本耕三、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸三郎、田中英雄
凍傷実験で有名な吉村は、日本学術振興会から研究資金が出ていた。
吉村の恩師は、正路倫之助【軍医学校(731部隊に指令を出していた所)の嘱託】。正路は1946年に、兵庫県立医科大学の学長に就任する。そこに戦後、吉村、岡本、田部井が職を得る。兵庫県立医科大学は、後に神戸大学医学部になる。
岡本は清野の弟子、田部井は木村の弟子だった。
※戸田正三、木村簾両京大教授(軍医学校嘱託)は、戦後医学界として石井機関の医学者をかばったという理解は誤りで、医学界が守ろうとしたのは医学界そのものであった。(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)
戸田正三
長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。
民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。
荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。
荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。
荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。
戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。
また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??
軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦
第5代伝研所長
宮川米次
※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!
※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!
※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」
※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。
講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって
※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!
※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。
※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731
※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)
※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。
731部隊の設計図が1枚も見つかっていない!!(建築学会でも731部隊は全く無視されている!!)
アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)
ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責
黒い太陽731
国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より
日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」
教えてゲンさんより
1940年、日本軍資料
1944年、日本軍資料
1944年の日本の資料は大塚備忘録から始めます。
大塚備忘録から
4月26日 陸軍省局長会報
石井少将より
5月1日研究報告 ホ号は如何
1キロペストを作るに12,500のネズミが必要だった
初期にこれが1割しか出ぬ
生産見込みが立たぬ故1割でやれと命令した
平均2,000で培養された、満州、最低2~3,500
学者を動員しネズミ増殖に関し研究せしめた
水の補給が生殖に重大
服部参謀本部作戦課長
シドニ-、メルボルン、ハワイ、ミッドウエ-、
ペストを1ケ月生かす様にせよ(潜水艦で)
参本
八紘一宇は云わぬ、防禦一点張りか、
対抗手段の為め利用は云わぬ
別名ははっきりした
機密保持
服部、高山、細田
上奏するや否や 親裁 臣下だけでやる
ガス 陛下は不可で許されぬ、
局長は上奏せぬが可といわれた
参本上奏せぬ事に決定した
局長の言であるが、総理大臣にも云わぬほうが可との事なり
それは困る、云ってしまった、隠す訳にはいかぬと参本と云った
石井
編成経過に就いては総理大臣にも云わぬ
ホ号にふれぬ
注:天皇にも総理大臣にも秘密で細菌戦を行おうとしていた
※「○ホ」とは細菌戦のこと
『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶
第4章天理村と隣接した731部隊
1、日本軍の兵器近代化と細菌兵器の開発―石井四郎による731部隊の設立
1941年8月、平房本部は「関東軍第731部隊」と改称され、以後は各班組に分けられた“班名”で称されることになる。防衛上、そうさせたのだ。例えば高橋正彦率いるペスト研究班は、高橋班といったように、だがどれもがのちに世界が震撼する忌まわしい研究内容であった。細菌兵器の研究・開発・製造に従事したのは3000人余りで、外部からは完全に遮断されていた。施設の中心となるロ号棟にはマルタと呼ばれる人体実験者たちの特別監獄が2つあった。背陰河では捕虜の脱走事件が起こっていたため、平房の特設監獄は極めて厳重な構造にされた。人体実験者は、731部隊の要求によって中国各地から憲兵隊の手にかかり汽車でハルビン駅にへ護送され、そこから列車やトラックで平房の部隊の監獄へと送り込まれてきた。ここで実験材料の犠牲になった人々の数はゆうに3000人を超えたといわれる。
※石井は、本当に自分だけで欧米諸国を視察しに行ったのであろうか?軍医学校の上官の小泉親彦とか、京大の教授らの指図はなかったのか?私は、陸軍上層部が、以前から細菌戦を考えていたのではないかと思う。そのレールの上を、石井が走ったのではないか?
※「マルタ」と呼ばれた人達は、囚人ではない。色々な容疑を吹っ掛けられ、捕まえられ、裁判も無しに、人体実験に供された。
4、日本軍による人体実験より
「マルタ」にされたのは「特移扱」と呼ばれる取り扱いで中国各地の憲兵隊から送られてきた人たちでした。彼らは「諜者」(スパイ)や「思想犯人」(民族主義者や共産主義者)の疑いをかけられて捕まった中国人やロシア人、朝鮮人、モンゴル人などで、その中にはごく普通の農民や女性・子どもも含まれていました。彼・彼女たちは七三一部隊からの要求に応じて各地の憲兵隊から汽車でハルビン駅へ護送され、ハルビン駅からは擬装された列車やトラックで平房の部隊の監獄へと送り込まれました。また、ハルビンでソ連のスパイとして捕まったロシア人は特務機関へ回されて取り調べを受け、口を割らなかったり、二重スパイになるのを拒んだり、逃げようとした者が「特移扱」になりました。こうして実験材料にされ殺された人々の数は3000人以上にのぼるといわれています(ちなみにこの3000人という数字は、背陰河の施設や、七三一部隊以外の石井機関の施設における犠牲者の数を含んでいません。これらの施設や陸軍病院での犠牲者も含めると、総数はずっと多くなります)。
新聞紙法
満洲天理村
『国民精神の歌』と天理教
海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日
・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
今の日本は、あの侵略戦争の事を忘れようとしているのではないか?
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。
日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??
「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」
小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。
Tokyo Story (1953)
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)
『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
大牟田「爆発赤痢」事件
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
小島三郎
紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者 くぼちかひろ
第十三章
小宮教授が細菌中毒説を否定して述べた,「今度のように一律に中毒している場合はどうかと思われる。」という発言にも批判が集中した。地元紙は「現に餅を食べながら平気でいる者が一中生の中だけでも二百名もいたのだ。事件五日目に至るもこの事実を見逃したのは慎重に欠くるところがあったわけだ。しかし一二日の夜逸早く「細菌説」を構えてパラBの存在を主張した県衛生技師・藤井義明氏の先見を黙殺して,只管司法的活動を続けた責任は誰にあるか。いま北野軍医正の名が燦然と輝くとき,無念の涙をのむ青年技師藤井君の悲痛な心を誰が知ろう。」と厳しい論説を掲載した。
斎藤知事が一三日の夜に記者会見の席上で,「今回の中毒事件の原因は,鉱物性毒物が外部から入ったものである。」と断言したことも,激しい非難が集中し,その発言は無能無策の代名詞として使われた。
※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていたのではないか。軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためでだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。西とは西俊英軍医大尉(当時)、後に731部隊で活躍する。
小島三郎の記述
小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。
『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
こうした時代状況を考えると、小島が陸軍と密接な関係を持っていなければ、当時まだ食中毒の専門家ではなかった彼が、内務省の衛生担当者と同じ日に浜松入りすることも、また、原因となったゲルトネル菌の入手もありえなかっただろう。軍医学校の嘱託かそれに近い立場にあったために、いち早く食中毒の研究に着手できたことは事実である。研究者の側からすれば、これが嘱託研究者となることのメリットのひとつであった。そして小島の場合、このメリットがその後の医学者としての経歴を作ったのだった。
『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)
小泉親彦と昭和天皇
一方彼は人一倍、心底、現人神(この世に人間の姿をして現れた神)天皇の崇拝者でもあった。
その天皇(昭和天皇)が、1929年11月7日陸軍軍医学校新築を祝い、陸軍軍医学校に初めて行幸した。この様子が、『陸軍軍医学校五十年史』に書かれているが、現代語訳すると次のとおりになる。
「天皇は、9時45分に到着。学校長より陸軍軍医学校の沿革および現況について説明を受けた。その後休憩し、10時から見学を開始した。見学は第一講堂にはじまり、次いで標本室、軍陣衛生学教室および第二講堂に移られ、各室ともご熱心にご見学された。特に軍陣衛生学教室にては第一室より第九室まで各部屋とも丁寧にみられ、小泉教官の説明を熱心に聞かれた。特に兵衣、兵食における業績については、お褒めいただき、予定の時間を若干遅れた。最後に小泉は天皇と一緒に屋上まで上がったところ、朝から降っていた細雨(霧雨)がにわかに止んで、陽光が雲よりもれ、都下の風景が手に取るようにみえた。小泉教官は主要な建物の説明をした。
それに対して天皇は、いちいちうなずいていた。その後天皇は、再び便殿(天皇皇后などの休息所)に午前11時30分に入り、少し休息して11時40分に帰られた。」
「いつの間にか始まった石井部隊」 常石敬一 (人骨の会代表)
「テロリスト伊藤博文」の懺悔
※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験
※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。
※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。
※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。
・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大
「化学兵器とアジア」ー現在進行形の加害と被害を考える!!
※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。
毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言
カネミ油症事件
カネミ油症事件ですが、カネミ倉庫とカネカに責任はあるのですか?
PCBは三井グループのカネカが製造していた。
PCB(ポリ塩化ビフェニル:鐘淵化学工業製造)
2004年(平成16年)「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」に商号変更。
横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系
護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶
イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。
国会での証言と初の公害認定
翌昭和43年5月8日、この日は日本の公害の歴史において記念すべき日となった。園田厚生大臣は萩野の主張をそのまま受け入れ、厚生省見解が次のように発表された。
「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒により腎臓障害を生じ、次いで、骨軟化症を来たし、これに妊娠、授乳、内分泌の変調、老化および栄養としてのカルシウムなどの不足が原因となってイタイイタイ病という疾患を形成したものである。慢性中毒の原因物質として、患者発症地を汚染しているカドミウムについては、神通川上流の三井金属鉱業株式会社神岡鉱業所の事業活動に伴って排出されたもの以外にはみあたらない」このように厚生省は、イタイイタイ病を三井金属神岡鉱業所のカドミウム汚染が原因と正式に認めたのである。さらに厚生省の見解が裁判で争われた場合には、受けて立つとの見解も公表された。
※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の人体実験をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄も金沢医科大学出身である。
三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞
●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)
・細菌戦被害地(中国)の旅
●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!
731部隊という名前を御存知だと思います。先の大戦中に、捕虜に対して人体実験を行い、細菌戦を遂行した日本軍の特殊部隊です。部隊を率いた石井四朗隊長は、戦後、公には姿を現さず、どのような人生を送ったのかも謎とされてきました。その石井隊長の日記が、ノンフィクション作家青木富貴子さんによって発見されました。日記からは、731部隊がなぜ戦犯として訴追から免れたのかなど、さまざまな謎を解くヒントが浮かび上がってきます。
石井四郎の戦後
●軍部は731部隊などの隠蔽を図るために、医学者などにアメリカが占領する前から積極的に原爆の威力の調査をさせた。アメリカ(GHQ)占領後は、医学者はABCC(原爆傷害調査委員会)に協力し、原爆の人体に与える影響の調査だけを行ない、治療などしなかった!!
日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料をアメリカに提供し、その見返りに、731部隊、毒ガス戦部隊などに関与した人々の戦犯免責を図った。戦後、国民には、日本軍の行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦のことについては厳しい箝口令を敷き、その事実をずっと隠し続けている。未だに日本政府は、毒ガス戦、細菌戦、人体実験等の残虐行為に対して公式に認め、謝罪をしていない!!
アメリカの原爆投下を訴える!!
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!
第6章 原子力時代の「受忍」
「受忍」論の追認
御園生(みそのう)は、放射線医学総合研究所所長5年目の1971年11月10日、衆議院科学技術振興対策特別委貝会で、国立予防衛生研究所の柳沢謙(陸軍軍医学校防疫研究所元囑託)所長とともに、広島県選出の大原亨議員(日本社会党)のABCCの調査研究活動に関する質問に次のように答弁している。
大原:ABCCの調査研究活動の中で、たとえば広島、長崎の市民だけではなしに、全国的にいろいろな問題が提起されました。市民がモルモットになっておるのではないか、あるいは米国の原子力戦争のいわゆる軍事利用の側面をになっておるのではないか......
柳沢:ABCCと予研とのこの研究は、先ほどモルモットがわりとかとおっしゃいましたけれビも、東西古今、これ以後あってはならない実験でー実験といえば実験で、落とされたわけですから、ありますので、これはしっかりとひとつやってやってくれ。そしてまた、発表された研究については非常に高く各国が評価しているということも、私はいろいろな外人から聞いておる次第であります。
大原:私は放医研の所長にお伺いしたいのは、いまお話があリましたABCCの今日までの研究の結果についての評価ですね、これについて放医研はどのような評価をされているか、お考えを持たれるか、端的にお伺いしたい。
御園生:ABCCがいままでなさいました研究調査結果というものは、これはもちろん原爆被爆者の医療という点で非常に有効な役割りを果たしておリますけれども、それ以外に原子力の平和利用という上から考えまして、人間についての貴重なデータという意味から申しまして、われわれのやっておりますいろんな研究あるいはその他の研究所や大学で行なっております研究を人間について評価しようとする場合には、このABCCの従来の研究調査結果というものは非常に大きな役割りを持っておりまして、そういう意味でわれわれはABCCの業績を非常に高く評価しております。
柳沢の狼狽と御園生の柳沢への配慮の意図が窺える。
放影研 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究
731部隊の免責を得る為に、日本はアメリカに原爆調査(原爆の効力の調査)のデータをアメリカに渡した。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、
東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された
世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。
●軍学共同の道
(4)遺体の声、治療に生かせず <見つかった被爆者資料>
帝国の骨
日合名誉教授がある段ボール箱を開けると、天野が関わったとみられる被爆者の生体試料が見つかった。
ガラスのプレパラートに、薄いピンク色の組織片が重ねられている。手のひらにのるほどの小さな木箱に収納されている。20枚以上。日合名誉教授から発見を聞くまで、もう廃棄されたのかと、あきらめかけていた。
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
==== 重松逸造 ====
重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。
しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。
福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。
斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。
その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ731出身者の巣窟であった。
重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。
米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の
日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
ABCCはデータを取るだけで全く治療をしてくれない、と原爆被爆者の激しい非難を浴びた。
そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。
そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。
重松、長瀧とも1960年前後にハーバード大学に留学している。
当時は、特別なコネでもなければ海外渡航はできなかった時代である。
奨学金をもらい留学"させてもらった"のかもしれない。要するに米国(IAEA)のヒモつきだ。
恩義があるから米国の言いなりであり、原爆の被害を過小評価するのは当然のことであろう。
(アメとムチは米国のお家芸であり、安倍首相の祖父・岸信介はA級戦犯だったが、無罪放免と引き換えに米国の走狗となった)
重松は水俣病、イタイイタイ病、スモン病など多くの公害、薬害事件において、事実を隠蔽・改ざんし、常に政府・企業側に有利な報告をでっち上げている。
また長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査をし、住民に健康被害はないとのトンデモ報告書をまとめ、全世界から非難を浴びた。(このときの後援者がIAEAと結託した笹川財団である)
重松はIAEA、ICRP、WHOの委員も務めている。
彼は筋金入りの御用である。困ったことに弟子も多い。
2年前に彼が亡くなったときには、あちこちで歓声が上がったという。むべなるかなである。
優生保護法とはより
■「不良な子孫の出生防止」は、障害者への差別
最初にできた法律は、障害者の断種を目的として1940年に成立した国民優生法でした。当時の日本は、世界大戦への道をひた走っていました。兵士となる子どもを「産めよ殖やせよ」という時代で、避妊も中絶も不妊手術も、一般には許されていませんでした。国民優生法は、「遺伝性疾患」をもつ人に限って、優生学的理由による不妊手術(*)を行うことを認めた法律です。しかし、本人の同意なしに不妊手術ができる条文があったものの実施されず、本人が同意した手術の件数も、目的に反して少なかったのです。国民優生法は断種よりもむしろ、一般の中絶をいっそう取り締まることに力を発揮したのでしたが、それでも、“障害をもつ子を産むかも知れない人は、断種して良い”という考え方を、人々に定着させることになりました。
(*)優生保護法も国民優生法も、不妊手術を優生手術と言い表しています。単に妊娠をしないようにするだけではなく、優生学の目的に沿って行う手術だからです。
優生保護法とは
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29
政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家
久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解
※神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した。
被曝をめぐる御用学者の系譜
●原水爆禁止!!核廃絶!!
<米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」
アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷
核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)
放射能汚染地図「川で何が起きているか?」
被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集
水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染
ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)
山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー
アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06
被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
原子力に悩む大国 アメリカ
●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
小路田泰直
そしてこのアメリカの働きかけに、仁科らは積極的に応えたのである。もしそうでなければ、「世界で唯一の被爆国」の知的リーダーに、次のような発言(1949年6月読売科学講演会において)は生まれない。世界平和は「更に威力の大きな原子爆弾」(実際には水爆)の恐怖によってしか実現できないとの発言である。
※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!それをどうするんだ?核兵器開発??
仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)
*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。
何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??
※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」
※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインド・イギリスに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!
※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
●世界の流れ、脱原発
・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)
チェルノブイリの事故
健康被害の実態
事故の後ベラル-シ共和国のゴメリ州にあるゴメリ医科大学では放射線被爆の研究をしています。
199年までゴメリ医科大学の学長を務めた
ユ-リ・I・バンダジェフスキ-の論文から少し引用します。
当時ベラル-シ政府の公式見解は
「低線量の放射線被爆は健康にほとんど影響はない」というものでしたから、
彼は弾圧、投獄されその後フランス、リトアニア、ビリニュスを経てウクライナで働いています。
(2012年現在)
*チェルノブイリ膀胱炎 福島昭治医学博士の調査
元大阪市立大学医学部の教授だった福島昭治がウクライナの教授と共同研究した資料です。
チェルノブイリ膀胱炎と名づけられました。
ウクライナでは10万人当たりの膀胱がんが1986年の事故の後増加しました。
1986年 26.2人
1996年 36.1人
2005年 50.3人
どうする?これからのの日本のエネルギー
●脱原発2
アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。
東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?
日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!
・リニア新幹線反対!!
大地震が起きたらどうなるか??
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?
→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら
安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦
否定しようのない環境への影響
品川-名古屋間286キロのルート上に、直径30mの喚気・非難用立坑が5~10キロごとに造られます。中央アルプスの真下を突き抜ける地下線路は、水脈を乱し、湧き水を枯渇させるばかりでなく、予測不可能な水脈を作り出す可能性もあります。中央アルプスの豊かな自然にどれだけの影響を与えるか、国やJR東海が事前調査をするとは思えません。
トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く
●秘密国家!!情報開示!!
●医療問題
<障害者雇用>省幹部「死亡職員を算入」 意図的水増し証言
エアコン故障の3階に入院、入院患者5人目死者
高血圧薬論文、科学誌が撤回=データ改ざん事件―名古屋大
京大、iPS論文不正の助教解雇=山中教授も処分
●自衛隊
●サリン事件と自衛隊の関係は??
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年
5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事
土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!
中曽根元首相 活動記録を寄託 国会図書館、公開へ作業
自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!
国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?
700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎×大竹まこと:日航機123便墜落事故にかかる陰謀説
日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●憲法9条を守れ!!
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明
東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度
安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条を生かそう!!
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