731を問う!!
2018年8月24日金曜日
細菌戦の系譜!!
●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!
●731部隊について
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし
ナレーション
当事者たちが口を閉ざす中でタブーとなってきた731部隊。戦後72年となる今年、その歴史が改めて問われています。
医学者をはじめ、様々な科学者の代表が集う日本学術会議です。
防衛省から大学への研究資金が急増する中で、いま、大学と軍事研究の在り方が議論されています。
研究者の発言(男性)
軍事研究=兵器研究ではないですよと、兵器研究ではない。軍事研究はもうちょっと幅の広いものだと、こういうふうな認識ではないかと私は思っています。
ナレーション
会場では731部隊がアメリカの原爆開発と並んで取り上げられました。
研究者の発言
科学者の責任ということです。科学者は戦争に動員されたのではなくて、むしろ歴史を見てくると、科学者が戦争を残酷化してきたという歴史があると思います。
北大教授が戦時中に人体実験か 講演の速記録に記述
北大教授、戦時下に人体実験 中国人から摘出の睾丸で
「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29
※吉村寿人
※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???
※清野謙治京大教授も、京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対しては病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに「異常なまでにてこ入れした」とされる。
※清野事件
清野は、幼少の頃から考古学を趣味にしており、仕事の傍ら古人骨・古文書・民俗学資料などの収集に情熱を傾けていた。 1938年に医学博士号を取得した直後、「誠に奇妙なる精神状態」のうえに収集癖が高じて、京都の古寺から教典や古文書を盗む窃盗事件を起こす。 清野は逮捕され、控訴審で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受ける。 このことから清野は京大を免職になったばかりか、濱田耕作京大総長も辞意を表明した。
記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)
※1938年8人の京大研究者が731部隊に派遣される。
8人は石川太刀雄丸、岡本耕三、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸三郎、田中英雄
凍傷実験で有名な吉村は、日本学術振興会から研究資金が出ていた。
吉村の恩師は、正路倫之助【軍医学校(731部隊に指令を出していた所)の嘱託】。正路は1946年に、兵庫県立医科大学の学長に就任する。そこに戦後、吉村、岡本、田部井が職を得る。兵庫県立医科大学は、後に神戸大学医学部になる。
岡本は清野の弟子、田部井は木村の弟子だった。
※戸田正三、木村簾両京大教授(軍医学校嘱託)は、戦後医学界として石井機関の医学者をかばったという理解は誤りで、医学界が守ろうとしたのは医学界そのものであった。(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)
戸田正三
長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。
民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。
荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。
荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。
荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。
戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。
また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??
軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦
第5代伝研所長
宮川米次
※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!
※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!
※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」
※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。
講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって
※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!
※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。
※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731
※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)
※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。
731部隊の設計図が1枚も見つかっていない!!(建築学会でも731部隊は全く無視されている!!)
アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)
ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責
黒い太陽731
国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より
日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」
教えてゲンさんより
1940年、日本軍資料
1943年、日本軍資料
ここでは井本日誌ではなく、1937年8月から陸軍省医務局医事課員になった
金原節三大佐の陸軍省業務日誌摘録を参考にします。
金原摘録
(医校)
1 粕壁付近が主力となる。
1軒30。4千軒で1組合(親1匹1ケ月2匹)。
本年度予定埼玉47.5、茨城20.4、栃木6.45、計74.45万
2 埼玉県に飼料を補給せば20万増産可能。
茨城県、栃木県は指導強化により10万程度増産見込み、
最大産出見込100万
3 輸送の円滑にゆくのは関東軍のみ。
南方軍には種を補給す。
北満、南支特に予定せず。
※「○ホ」とは細菌戦のこと
『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶
第4章天理村と隣接した731部隊
1、日本軍の兵器近代化と細菌兵器の開発―石井四郎による731部隊の設立
ハルビンは当時から美しい街であった。1898年、ロシア帝国は清朝政府からハルビンを買収し、鉄道建設の本拠地として街づくりに着手していった。モスクワをモデルにしたヨーロッパ風の建築が立ち並び、調和あふれる美しい街へと変貌を遂げた。しかし、ロシア革命によってハルビンは再び中国政府の支配下に置かれ、1931年9月の満州事変によってさらに一変する。南満州一帯の占領を企てていた関東軍は直ちに侵略を開始し、1932年3月に満州国を建国、傀儡政権を樹立した。ハルビンは日本軍の手に落ちたのだ。
細菌秘密研究所には731部隊の前身となる「加茂部隊」(石井の出身地ある千葉県加茂部落からの名称)と称される部隊を置いた。そこでは日本では実行不可能な、中国人捕虜を使っての人体実験が次々と行われていた。
※石井は、本当に自分だけで欧米諸国を視察しに行ったのであろうか?軍医学校の上官の小泉親彦とか、京大の教授らの指図はなかったのか?私は、陸軍上層部が、以前から細菌戦を考えていたのではないかと思う。そのレールの上を、石井が走ったのではないか?
※「マルタ」と呼ばれた人達は、囚人ではない。色々な容疑を吹っ掛けられ、捕まえられ、裁判も無しに、人体実験に供された。
4、日本軍による人体実験より
「マルタ」にされたのは「特移扱」と呼ばれる取り扱いで中国各地の憲兵隊から送られてきた人たちでした。彼らは「諜者」(スパイ)や「思想犯人」(民族主義者や共産主義者)の疑いをかけられて捕まった中国人やロシア人、朝鮮人、モンゴル人などで、その中にはごく普通の農民や女性・子どもも含まれていました。彼・彼女たちは七三一部隊からの要求に応じて各地の憲兵隊から汽車でハルビン駅へ護送され、ハルビン駅からは擬装された列車やトラックで平房の部隊の監獄へと送り込まれました。また、ハルビンでソ連のスパイとして捕まったロシア人は特務機関へ回されて取り調べを受け、口を割らなかったり、二重スパイになるのを拒んだり、逃げようとした者が「特移扱」になりました。こうして実験材料にされ殺された人々の数は3000人以上にのぼるといわれています(ちなみにこの3000人という数字は、背陰河の施設や、七三一部隊以外の石井機関の施設における犠牲者の数を含んでいません。これらの施設や陸軍病院での犠牲者も含めると、総数はずっと多くなります)。
新聞紙法
満洲天理村
『国民精神の歌』と天理教
海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日
・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
今の日本は、あの侵略戦争の事を忘れようとしているのではないか?
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。
日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??
「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」
小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。
Tokyo Story (1953)
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)
『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
大牟田「爆発赤痢」事件
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
小島三郎
紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者 くぼちかひろ
第十三章
五月十六日土曜日,事態は小康を見つつあるために,救護班の派遣は二班のみに留め,主に郡部を巡回した。この段階になっても,いまだ罹病者の正確な数は誰にも分からなかった。警察も学校も把握ができていないために,九七五通の往復葉書を全生徒宅に発送して,実態の把握につとめた。
拝啓前略
今回突発せし不慮の災危,誠に申訳も無之候これなきそうろう御子弟其後の御様子如何に候や学校に於ても憂慮致し治療救護に万全を期し度く候間御多忙中恐入り候へ共左記調査事項に御記入の上折返し御投函被下度ごとうかんくだされたく御願申上候
敬具
昭和一一年五月一六日
浜松第一中学校
保護者殿 注意・患者の排泄物は厳重消毒する方安全と存じ候
調査事項(不用文字ハ消シテ下サイ)
一・生徒罹病ノ日時 五月 日
一・生徒現在ノ情況 重症 中症 軽症 健全
一・御家族罹病者数
(生徒ヲ除ク)
一・御家族現在ノ情況 重症 人 中症 人 軽症 人 計 人
(生徒ヲ除ク)
第 学年 組 氏名
右保護者 氏名
昭和一一年 五月 日
事態は小康に向かいつつあるというものの,生徒とその家族の死亡は,いまだ続いていた。
二年生・中村誠一
六七歳・増井なみ(生徒の祖母)
実はこの生徒の祖母は,大福餅を口にしていなかった。二次感染による死亡と判断した小島教授は,ただちに藤井衛生技師とともに患家に出かけ,死亡した老婆の糞便や血液を採取した。ただちに細菌培養試験を行うと,その日の夕刻にはゲルトネル氏菌と判明した。事情を聞いてみると,大福餅を食べて生徒が中毒を起こしたために,祖母が主となって生徒の看護を行っていたという。祖母の細菌感染は,生徒の吐瀉物や糞便を媒介にしていた。
さらに藤井衛生技師は,昨日病理解剖が行われた生徒の肺と腸からも,細菌培養を行っていた。一六日の夕刻には,やはりいずれの検体からも,ゲルトネル氏腸炎菌が確認された。もはや食中毒事件の原因は,細菌感染であることは疑いもなかった。
※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていたのではないか。軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためでだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。西とは西俊英軍医大尉(当時)、後に731部隊で活躍する。
小島三郎の記述
小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。
『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
『日本細菌学会雑誌』32巻6号、1977年には「日本細菌学会(時によりこの名称とは異なる)」
の第1回(1927年)から第20回(1947年)までの講演の一覧がある。 それによるとゲルトネル菌とかサルモネラという言葉が登場するのは第9回(1935年)が最初である。この年は、ゲルトネル菌についての報告とサルモネラについての報告がそれぞれ1本ずつ行われている。翌年の第10回の学会では陸軍の西による鳥取での食中毒についての報告「ゲルトネル氏腸炎菌に依る食中毒」1本だけである。
『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)
小泉親彦と宮川米次の絆
厚生省をつくったのは当時首相であった近衛文麿であるがその機運をつくったのは小泉と私であります.
1937年夏、いよいよ日中戦争(7月7日)がひどくなったある夜 一緒に酒を飲んだとき、小泉君がどうしても健民主義(健康な神民をつくる)で行かなければならない時なので、何とか近衛文麿(総理)を動かさなければならないので、 一寸骨を折ってくれるように頼まれた。
その結果、1937年8月6日保健省の予算が通り、紆余曲折はあったが、厚生省(1938年1月11 日成立)ができた。その後1,2年たって第2次近衛内閣のとき、厚生行政はぜひ医学畑の人から出ないと伴食大臣(役に立たない大臣)になってしまうと話したら、私に厚生大臣になれといわれたが、私は同仁会のことでお国に尽くしているからと固辞した。
「いつの間にか始まった石井部隊」 常石敬一 (人骨の会代表)
「テロリスト伊藤博文」の懺悔
※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験
※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。
※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。
※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。
・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大
「化学兵器とアジア」ー現在進行形の加害と被害を考える!!
※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。
毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言
カネミ油症事件
カネミ油症事件ですが、カネミ倉庫とカネカに責任はあるのですか?
PCBは三井グループのカネカが製造していた。
PCB(ポリ塩化ビフェニル:鐘淵化学工業製造)
2004年(平成16年)「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」に商号変更。
横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系
護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶
イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。
住民が立ち上がる
イタイイタイ病については国会議員も動き出すことになった。昭和42年5月25日、参議院議員の矢追秀彦氏が萩野病院を訪ね、イタイイタイ病患者の悲惨な様子を見て涙を流した。そしてこのような悲惨な公害に何の手も打たず、追求もしなかった政治家としての責任を「申し訳ない」とわび頭を下げた。矢追は大阪出身の医師であった。彼は涙を流しながら、「こんなことが許されるはずはありません。政治家としてイタイイタイ病を国会で取り上げる」と約束してくれた。
※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の人体実験をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄も金沢医科大学出身である。
三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞
●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)
・細菌戦被害地(中国)の旅
●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!
最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!!
石井四郎の戦後
●軍部は731部隊などの隠蔽を図るために、医学者などにアメリカが占領する前から積極的に原爆の威力の調査をさせた。アメリカ(GHQ)占領後は、医学者はABCC(原爆傷害調査委員会)に協力し、原爆の人体に与える影響の調査だけを行ない、治療などしなかった!!
日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料をアメリカに提供し、その見返りに、731部隊、毒ガス戦部隊などに関与した人々の戦犯免責を図った。戦後、国民には、日本軍の行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦のことについては厳しい箝口令を敷き、その事実をずっと隠し続けている。未だに日本政府は、毒ガス戦、細菌戦、人体実験等の残虐行為に対して公式に認め、謝罪をしていない!!
アメリカの原爆投下を訴える!!
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!
第6章 原子力時代の「受忍」
原子力とともに
宮川は、陸上で待機して航海前と帰還後に乗組員や船体等の放射線量を計測する要員のひとりとして、5月26日からスタートする俊鶻丸の第2次調査に参加した。俊鶻丸2次調査は、水産庁主導だった1954年の第1次調査と異なり、原子力委員会主導の調査になっていた。技術顧問団の団長は、原子力委員の藤岡由夫で、計測班顧問にも原子力研究所理事の木村健二郎が加わっていた。当時の『原子力委貝会月報』によれば、5月26日12時半から竹芝横橋で挙行された壮行式には、正力松太郎原子力委員会委貝長ら関係者が参列し、経済団体連合会出身の石川一郎原子力委員のリードによる万歳三唱もあった。原子力委員会の正力委員長の「はしがき」のある「昭和31年版 原子力白書」には、俊鶻丸の第2次調査について、「核爆発影響の調査研究は今後の原子力平和利用に伴う放射線障害防止に資するところ少なからず」との見地から準備が進められたという記述がある。
放影研 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究
731部隊の免責を得る為に、日本はアメリカに原爆調査(原爆の効力の調査)のデータをアメリカに渡した。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、
東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された
世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。
●軍学共同の道
(4)遺体の声、治療に生かせず <見つかった被爆者資料>
帝国の骨
京都帝大医学部の天野重安助教授や東京帝国大から、被爆者資料を持ち去った米軍医アベリル・リーボウが、イエール大教授として49年に発表した論文には、解剖した被爆者に番号が付されている。京都に帰って報道部で、リーボウ論文、広島大の米陸軍病理学研究所(AFIP)資料のデータを表計算ソフトに入力し、京大論文記載の25例と照合してみた。
広島大・原爆放射線医科学研究所が所蔵する米軍返還の生体試料(AFIP資料)など米軍が割り振った症例番号と日米の医学論文を突き合わせ集計していると、それが断ち切られた被爆者一人一人の人生だったことを忘れそうになってしまう。
例えば米軍ナンバー、259113。35歳女性 爆心からの距離千メートル。9月9日死亡。
京都帝国大の原爆調査班に加わった中川定明医師(川崎医科大名誉教授)の追想記に合致する記述があった。要約する。
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
あまりにも御用医学者たちが731部隊と簡単に結びつくのにびっくりしたのではないだろうか。正直、私も驚いた。
活躍中の御用医学者の恩師をさかのぼれば、直接または重松逸造を介して731部隊関係者にたどりつく。
世の中は広いようで狭い。すべて御用の道は731に通ず、というわけだ。
日本の医学界イコール731部隊であり、御用医者のみならず誰をさかのぼっても731部隊に行き着く、という指摘もあるが、これは荒っぽい性急な議論であろう。
なぜなら、731関係者が多かった組織ほど重大な社会問題を引き起こしているからである。
予研がそうであり、また731部隊員の受け皿であったミドリ十字(旧日本ブラッドバンク)も薬害エイズを引き起こした。人命軽視、成果・利益最優先の結果である。
優生保護法とはより
■優生保護法は、女性の生殖における権利も護っていなかった
そもそも、子どもをもつかもたないか、もつならば何時、何人もつのか・・・それ はカップル、とくに女性の意思できめることです。子どもをもたないことを選ぶ人に は、その意思にもとづいて避妊と人工妊娠中絶が合法で安全に行えることが必要です し、子どもをもとうとする人には、生まれてくる子に条件を付けず--子が女でも男 でも障害児であってもなくても歓迎され、育てる支援が必要です。子どもを産むか産 まない(産めない)かによって女性が差別を受けないこと、女性に過重な出産・育児 責任を軽減する--男性も分かち合い社会的援助があることも重要です。これらのこ とは、障害のあるなしに関わらず、誰にでも保障されなければなりません。
優生保護法とは
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29
政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家
久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解
※神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した。
被曝をめぐる御用学者の系譜
●原水爆禁止!!核廃絶!!
<米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」
アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷
核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)
放射能汚染地図「川で何が起きているか?」
被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集
水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染
ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)
山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー
アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06
被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
原子力に悩む大国 アメリカ
●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
しかしアメリカは仁科の虚偽をあえて暴こうとはしなかった。表面上は、 それを聞き入れるかのような姿勢さえ示した。アメリカ軍によるサイクロトロンの破壊(海中投棄)は科学への冒涜だといった世論を、アメリカ国内で盛り上げたりしたのも、その姿勢の現れだったのかもしれない。ではアメリカはなぜ仁科に対して寛大だったのか。次の、GHQ経済科学局科学技術課次長H.C.ケリーが、経済科学局長W.F.マーカットに宛て送った1948年9月3日付の報告書が、その疑問に答えてくれる。
※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!それをどうするんだ?核兵器開発??
仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)
*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。
何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??
※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」
※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインド・イギリスに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!
※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
●世界の流れ、脱原発
・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)
チェルノブイリの事故
健康被害の実態
事故の後ベラル-シ共和国のゴメリ州にあるゴメリ医科大学では放射線被爆の研究をしています。
199年までゴメリ医科大学の学長を務めた
ユ-リ・I・バンダジェフスキ-の論文から少し引用します。
当時ベラル-シ政府の公式見解は
「低線量の放射線被爆は健康にほとんど影響はない」というものでしたから、
彼は弾圧、投獄されその後フランス、リトアニア、ビリニュスを経てウクライナで働いています。
(2012年現在)
* 1997年に死亡した成人と子どもの臓器別セシウム-137の濃度
大人より子どもの方が蓄積は多く、特に心筋、甲状腺、小腸では顕著です。
何故子どもの甲状腺にセシウムが多く含まれるのかは分かっていません。
どうする?これからのの日本のエネルギー
●脱原発3
アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。
東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?
日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!
・リニア新幹線反対!!
大地震が起きたらどうなるか??
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?
→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら
安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦
無視され続けた”慎重論”
東海道新幹線の実現に尽力した元国鉄技師長・島秀雄氏は、生前にリニアモーターカーについて「四百キロとか五百キロとかいった高速を狙うことは振動とか安全面からみて問題だから慎むべきだ」というコメントをしています。
また、元国鉄総裁の仁杉巌氏は、2002年の講演で「一つの国のなかに高速鉄道のシステムが二つあることになれば、鉄道の線路幅や電気の周波数などのケースと同様、不便なことが起こるのではないか」と疑問を投げかけています。
JR東日本の元会長・山之内秀一郎氏も、一般論として「鉄道においては、スピードばかりを競うような考え方はだめだし、そんな思想の技術者もだめだ」と警鐘を唱えています。
JRにとって大先輩に当たる人物たちの慎重論はことごとく無視されたまま、2014年12月、JRはリニア新幹線の着工に踏み切りました。
トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く
●秘密国家!!情報開示!!
●医療問題
●自衛隊
●サリン事件と自衛隊の関係は??
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年
5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事
土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!
中曽根元首相 活動記録を寄託 国会図書館、公開へ作業
自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!
国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?
700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎×大竹まこと:日航機123便墜落事故にかかる陰謀説
日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●憲法9条を守れ!!
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明
東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度
安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条を生かそう!!
2018年8月23日木曜日
細菌戦の系譜!!
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●日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●2018 所沢 平和のための戦争展
●2018 所沢 平和のための戦争展
●今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス事件~
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
臨時毒ガス調査委員会
そこで委員会は常温でも存在可能な臭素を使ってこれを補った。以来、日本軍の中で「カ」号と「オ」号という2種類の化学毒剤が配備された。「カ」は軽いの「か」を表し、比重が比較的軽い塩素をいい、「オ」は重いの「お」で、比重が比較的に重い臭素を指した。毒ガスの研究及び生産は国際条約に違反するものだから、日本は特殊部分を除いては、独自の力で秘密に行った。だが、防毒器材についてはおおっぴらに行なうことが可能だし、しかも国際連盟から比較的詳細な資料を得ることができる。とはいえ、やはり当時の技術的条件には限りがあり、毒ガスの吸収缶の中に使用されているのは、普通の木炭であったから、兵士が防毒面をつけると吸気の時に同時に多くの木炭粉末を吸い込み、顔が真っ黒になったという。
日本鬼子のおきみやげ
初めて知った戦争(毒ガス)
瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々
藤井ヨシカツ(ふじい・よしかつ)
秘密を守るため、島は地図から消された
旧日本軍の毒ガス製造問題は、1990年代になって大きく動く。日本も化学兵器禁止条約を批准し、旧日本軍の中国における「遺棄化学兵器」についても、廃棄処理に取り組んだ。
内閣府・遺棄化学兵器処理担当室のデータによると、旧日本軍の毒ガス兵器を中国国内で約5万6000発も発見、回収し(2017年4月現在)、このうち約4万6000発を廃棄した(同年6月現在)。こうした毒ガス兵器のどの程度が大久野島由来かは、はっきりしていない。しかし、日本本土での旧陸軍の毒ガス製造拠点は他になかった。
島のあちこちに、毒ガス製造器具の破片が今も散らばっている
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ニュース
辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる
侍従日記「戦争責任言われつらい」晩年の昭和天皇吐露
三菱マテリアルのグループ会社捜索…東京地検
「麻原彰晃」死刑翌日に行われた“お通夜” 妻、三女らファミリー集う
オスプレイ 10月1日「正式配備」 横田基地に5機
「沖縄の痛み私たちも」 オスプレイ東京配備、不安の声
障害者雇用水増し拡大 野党追及、13府省庁「精査中」
東電・中部電、原発事業で提携 日立、東芝も参画
2018年08月20日 玉城デニー議員 インタビュー
核廃絶、世界で訴え ピースボートが横浜帰港
オスプレイ佐賀空港配備計画、魚への水中音影響「不明」 漁業者ら「再調査を」
防衛予算5兆2986億円 概算要求 過去最大、7年連続増
<海自>護衛艦3隻、インド洋に長期派遣訓練
<精神疾患>50年以上の入院1773人 全国調査
萩市・配備計画のイージス・アショアについて国から回答
金子先生が斬る!膿だらけの日本
「娘に顔向けできないから」 東京医大の入試不正、弁護団が電話ホットラインを開設へ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!!
陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍
不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入
【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」
加計問題はまだまだあった!!
しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。
古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.〉
新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校
逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定
加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に
文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか
オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉
加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!!
南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!!
官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響
少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。
今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!!
国家が根腐れしている!!
ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し
●麻原らの死刑執行の前日からの流れ
●オウム サリン事件
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日
●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5
●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5
●情報公開裁判「衛生学校記事」
●情報公開裁判「化学学校記事」
●ビザ発給拒否・集会妨害裁判
●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!
政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!
「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频 2017.12.13
マギーフィルム(字幕付き)
・南京大虐殺の証言
ベイツ
1938年1月15日
親愛なるアリソン様
昨日の明け方4時45分に、黄色い襟章をした日本兵が3名、平倉巷3号にどうしても闖入しようとしましたが、そこは我々の居住区でした。彼らは車を2台ねじり込むように入れてきて、援助を提供せよと要求し、走り去ろうとしました。幸いにも林査理[Riggs] が近くにいて、用務員たちが叫んで彼に来てもらい、彼がとうとうこの連中を追い払いました。これまでと同様、兵士2人がアメリカ国旗もアメリカ(大使館)や日本(大使館)の掲示も全く尊重しないのです。彼らには門を入る時に、これらの掲示物がはっきり見えているのです。
夕べ6時に、金陵大学の門の憲兵が引き揚げて行きましたが、交替が来たわけではありません。彼らのこの挙についての説明は受けていません。
付属中学と他の部署が昨晩どういう風だったのか、私にはまだ分かりません。
皆さん方が昨日起こった事と、劉文賓の悲運とに関心を寄せて下さっていることに、私は大変感激しています。同封しましたのは、マッカラムさんの国家劇場が焼かれたことについての声明です。我々がやはりドイツの友人の所から助けを得るのは可能です。
驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表
米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)
南京大虐殺80ヵ年
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国
2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!
・南京大虐殺
24、虐殺数
・虐殺数7
「虐殺」否定説
虐殺否定派は、日本軍は戦時国際法に違反した殺害をしておらず、安全区の外国人の記録も公正さに疑問あり、などととして、30万人の市民の虐殺はなかったと主張している。主な主張者は、新しい歴史教科書をつくる会・日本「南京」学会・南京事件の真実を検証する会のほか、田中正明 (元拓殖大学講師)、東中野修道(亜細亜大学教授)、冨澤繁信(日本「南京」学会理事)、阿羅健一(近現代史研究家)、勝岡寛次(明星大学戦後教育史研究センター)、渡部昇一(上智大学名誉教授)、中川八洋(筑波大学名誉教授)、杉山徹宗(明海大学名誉教授)、早坂隆(ノンフィクション作家)など。
※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。
●重慶大爆撃裁判
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。
重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録
戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか
重慶大爆撃訴訟
the battle of china 1944
重慶大爆撃(苦干より)
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
爆撃の効果
「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真
爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。
不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。
●「天皇制」を考える
・今夏 日本の戦争を考える!!
「テロリスト伊藤博文」の懺悔
異次元金融緩和の重大かつ深刻な弊害!出口を模索しようにもわずかな金利上昇で日本経済は大混乱!? アベノミクスの無残な最期!~6.18岩上安身によるエコノミスト田代秀敏氏インタビュー18.6.18
「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決
(社説)君が代判決 強制の追認でいいのか
日本は、15年に及ぶアジア太平洋戦争で、アジアの国を侵略し、その果ては、沖縄はじめ日本本土が焦土と化し、潰滅的な状況に陥った!!
そこに至った責任は昭和天皇に無いのか?
・なぜ今でも「帝国ホテル」「帝国データバンク」「帝国劇場」「帝国書院」など、帝国という言葉を使う??
・近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
岩崎 稔
㈣ いま、われわれに求められていることは何か?
このような対外侵略への道をいとも簡単に許してしまったのはなぜ?だろうか。この点について最後に考えてみたい。先に、近代化が「民主化」の方向にではなく、近代化が、侵略主義、帝国主義への道をたどったのが近代史であったと述べたが、そうするためには「国民を国家の手段」(臣民)へと変えなければならなかったわけで、現憲法の、基本的人権の尊重(第一八条・二四条)をはじめとする基本権の保障の否定、つまり「生存権の否定」(名誉の戦死)のうえに個の国家への従属を強制する「国家主権と国家体制」の、国家主義の戦争体制(軍事体制)をつくらなければならなかった。その故に、個の身体的自由と内心の自由をも支配する国家主権の確立が戦争体制にはどうしても不可欠であった。
・明治憲法(現代語訳)
第2章 臣民権利義務
第31条 本章に掲げた条規は、戦時又は国家事変の場合において天皇大権の施行を妨げるものではない。
『日本人と天皇』より
・確かになあ、神である自分が臣下の起こした戦争の責任を取るわけないな。
・だから「独白録」で弁明したり、「戦争責任は言葉のアヤ」だなんて言ったんだ。
・今はしょうちょうてんのうせいだから大丈夫ですね。
・とんでもない。1971年の記者会見で、昭和天皇は「天皇は日本国民の統合の象徴」という憲法第1条は「日本の国体の精神に合っている」と言っている。
・ええっ!象徴天皇制は「国体」に合っているというの!
・象徴天皇の意識は敗戦後も全然変わっていなかったのね!
1975年の昭和天皇記者会見
(白井聡さんのお話より)
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・
どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党
昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??
●松代大本営(ウィキペディアより)
一般公開
象山地下壕
放置されていた壕のひとつである象山地下壕は、地元の私立篠ノ井旭高校(現長野俊英高校)の教師土屋光男の指導を受けた沖縄戦研究班(現、郷土研究班)の高校生が市によびかけ、1990年から長野市観光課が一部公開を始めた。
舞鶴山地下壕およびコンクリート庁舎
舞鶴山地下壕には地震計が設置されており、基本的に見学はできないが、コンクリート庁舎内(地下宮殿の手前まで)が一部公開されている。I号舎(天皇御座所)の和室は外から見学できる。
松代大本営跡を訪ねて
松代大本営跡を訪ねて 2018年7月
沖縄戦全記録 2015 6 14
大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に
果して絶滅の恐れのあるアオウミガメを使う占いが必要なのか?
「大嘗祭」関連儀式でアオウミガメの甲羅を調達へ
<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版
新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更
公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー
20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」
平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に
●侵略戦争!!
近現代史年表
・1882年(明治15)
軍人勅諭(西周が起草、福地源一郎・井上毅・山縣有朋によって加筆修正)
「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」
「死は或いは泰山より重く或いは鴻毛より輕し」
重慶大爆撃パネル展 2017年10月
「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃
アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。
米軍による日本への無差別爆撃
本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル
重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
昭和天皇が戦争狂になった訳
・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
強制連行の決定
満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略
●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター
731部隊展
第3回「戦争の加害」パネル展
感想より
29日(日)
・以前も来ましたが、今回も来て良かったです。教科書の記述についての変化がわかりやすくて良かったです。加害について知ることの大切さがパネルの展示を見ながら実感しました。(60代女性)
●731の実態
・しばらくすると、動力班のボイラーは山のように積んでいた機械や資料で埋められた。どんどん搬送されてきたマルタの死体が焼却炉へ転送する時間がなく、露天に燃やし、直ちに埋めることしか出来なかった。「全部入れたんだが、浅いの。それで足が片方から出たり、こんあような状況なもんで、」「それば場所はどのあたりですか、埋めた場所は」「埋めた場所はこの中、ロ号棟の中でやった」・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・
731(5)
第4回 日本軍による人体実験
闇に消された虐殺~731部隊
731部隊のドキュメンタリー
・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!
悪魔の飽食:復号731
●本の紹介
●特移扱(とくいあつかい)資料
原美臻の特移扱資料10
●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■世界と日本での議論の進展
―今も戦争が絶えないもとで、国際的には医学界・医療界ではどんな議論が行われているでしょうか。
人体実験に関する国際規範であるヘルシンキ宣言やその源流となったニュルンべルク綱領も、医学者・医師が軍事研究に従事すること自体については踏み込んではいませんし、世界医師会や世界の医学界・医療界において国際紛争の解決に際しての「戦争と武力による威嚇又は武力の行使」 の禁止や武器生産の禁止についてはほとんど議論されていませんでした。2005年になって、世界で最もよく知られ、評価の高い医学雑誌Lan cet(ランセット) では出版社のエルゼビアの傘下に軍需産業の会社があることが明らかにされ、「兵器と健康を売る医学雑誌の偽善」の論争が起こり、国際的な運動の結果、軍需産業から一切経済的支援を受けないことになり、「生物医学研究者に対する軍需産業との関係についての提案」もなされました。この時には、最大の人為的災害は戦争であり、最も被害を受けるのは女性と子どもであり、国際的な公衆衛生上の課題であるという趣旨のWHO(世界保健機構)の報告についても議論されました。
(月刊『前衛』より)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
●731部隊本部(平房)
●731部隊遺跡を世界遺産に!!
●福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。
──「学問のすすめ」は、教育の大切さを説く本です。なぜ、そんなことを言ったのでしょうか。
教育といっても、福澤は政府が政治をしやすいような人間になるために学問を推奨し、その結果、国民に報国心を抱かせようとしていた。そうなると「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は単なるキャッチコピーに過ぎません。最初にこの言葉に興味を持った人を、民主主義とは反対の方向へ導こうとする。これでは思想的な詐欺と変わりありません。「学問のすすめ」では「大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり」など、人間本来の平等を説いている部分も何カ所かある。これは人が経済的、社会的に成功するかどうかは智を持っているかどうかで、生まれつきの違いはないと福澤が考えていたからです。こうした思想は、中津藩の下級藩士だった父親が身分格差から名を成すことができなかったことが影響しているといわれています。一方で智なき愚人は嫌悪の対象とし、当時の平民を「表向きはまず士族と同等のようなれども、(中略)その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし」と見下しています。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日 2017年1月27日号
[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……
『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より
・福沢諭吉こそ、1945年の破滅に突き進むように日本の方向を定め、人々をその方向に駆り立てた張本人の1人だった。
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕
・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)
・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
(来年の即位の礼、大嘗祭反対!!)
第6章政治的君主の誕生
1927年には、満州をめぐる中国との紛争の記事がふたたび新聞の一面に登場し、昭和の金融恐慌が勃発して、このふたつの危機は年とともに悪化した。と同時に、明治天皇同様のカリスマ的権威という昭和天皇の新イメージを国民に植えつけるため、彼を中心に即位の祭儀が行われるなかにあって、君主制と資本主義への批判、識者のいう「思想問題」は広がっていた。
海軍の高官から国防をめぐって対立する見解が内奏されていることも、天皇をわずらわせた。ワシントン海軍条約に対する反対派の指導者である海軍大将加藤寛治は、国防圏の拡大について天皇に圧力をかけはじめた。彼は〔1929年11月26日〕「西部太平洋方面に於きまして米国の使用致しまする海軍兵力に対抗致しまして帝国国土の安全を期」すことを、1923年決定の兵力量が規定する国土近接海域の防衛以上に強調した。天皇は加藤の上奏内容を承認し、翌27日それを彼に伝えたが、なお加藤に対抗する条約派の主張に与していた。条約派も強力な海軍力を望み、海軍の決戦によって戦争に勝利するという原則に賛成する点では同じだったが、日米の国力格差を考えて、当面は受け身の防衛以外は問題外と見ていたのである。
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!全く民主主義にそぐわない!!
※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!
※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。
戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。
※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!
日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア
井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)
※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)
寧波(ニンポー)細菌戦
麗水細菌戦
日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■亡命医師たち
全国のあらゆる地方から出されている報告が示しているように、『国際医師報告』は、少なくとも一時期は、ドイツ国内に情報提供者の網を張りめぐらしていた。編集者たちは、ユダヤ人の医者に対する残忍な迫害、医学出版物と研究の後退ぶりをつぶさに述べ、患者のケアが悪化していること、歴史的な社会的成果がますます解体させられていること、生産性と健康を強制する「民族共同体」の成立を、資料によって示している。同誌は、個々人の受動的抵抗についても言及しており、病院指導部の指示に逆らって重病の「ごくつぶし」に食事を追加して与えたため解雇されたある長期療養施設の看護婦のこと、容赦なく健康という診断書を書けという健康保険協会の指示に抵抗した医師たちのことについて書いている―この抵抗は『国際医師報告』の過大評価であった。編集者たちはナチズムが早く終わることを望んでいたのだ。
日本では考えられない?
医学部の学費が全額無料に。ニューヨーク大学が画期的な奨学金を発表
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
医学界では当たり前か?女性差別!!
【日本共産党】吉良よし子参議院議員にきく「東京医大 女子一律減点・合格者抑制問題」
医者と製薬会社の関係は??
製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解
国はいつも国家犯罪を素直に謝罪しない!!
旧優生保護法の違憲性、国は見解示さぬ方針 強制不妊
強制不妊 男女3人が国提訴へ
<強制不妊手術>GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る
※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●2018 所沢 平和のための戦争展
●2018 所沢 平和のための戦争展
●今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス事件~
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
臨時毒ガス調査委員会
そこで委員会は常温でも存在可能な臭素を使ってこれを補った。以来、日本軍の中で「カ」号と「オ」号という2種類の化学毒剤が配備された。「カ」は軽いの「か」を表し、比重が比較的軽い塩素をいい、「オ」は重いの「お」で、比重が比較的に重い臭素を指した。毒ガスの研究及び生産は国際条約に違反するものだから、日本は特殊部分を除いては、独自の力で秘密に行った。だが、防毒器材についてはおおっぴらに行なうことが可能だし、しかも国際連盟から比較的詳細な資料を得ることができる。とはいえ、やはり当時の技術的条件には限りがあり、毒ガスの吸収缶の中に使用されているのは、普通の木炭であったから、兵士が防毒面をつけると吸気の時に同時に多くの木炭粉末を吸い込み、顔が真っ黒になったという。
日本鬼子のおきみやげ
初めて知った戦争(毒ガス)
瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々
藤井ヨシカツ(ふじい・よしかつ)
秘密を守るため、島は地図から消された
旧日本軍の毒ガス製造問題は、1990年代になって大きく動く。日本も化学兵器禁止条約を批准し、旧日本軍の中国における「遺棄化学兵器」についても、廃棄処理に取り組んだ。
内閣府・遺棄化学兵器処理担当室のデータによると、旧日本軍の毒ガス兵器を中国国内で約5万6000発も発見、回収し(2017年4月現在)、このうち約4万6000発を廃棄した(同年6月現在)。こうした毒ガス兵器のどの程度が大久野島由来かは、はっきりしていない。しかし、日本本土での旧陸軍の毒ガス製造拠点は他になかった。
島のあちこちに、毒ガス製造器具の破片が今も散らばっている
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ニュース
辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる
侍従日記「戦争責任言われつらい」晩年の昭和天皇吐露
三菱マテリアルのグループ会社捜索…東京地検
「麻原彰晃」死刑翌日に行われた“お通夜” 妻、三女らファミリー集う
オスプレイ 10月1日「正式配備」 横田基地に5機
「沖縄の痛み私たちも」 オスプレイ東京配備、不安の声
障害者雇用水増し拡大 野党追及、13府省庁「精査中」
東電・中部電、原発事業で提携 日立、東芝も参画
2018年08月20日 玉城デニー議員 インタビュー
核廃絶、世界で訴え ピースボートが横浜帰港
オスプレイ佐賀空港配備計画、魚への水中音影響「不明」 漁業者ら「再調査を」
防衛予算5兆2986億円 概算要求 過去最大、7年連続増
<海自>護衛艦3隻、インド洋に長期派遣訓練
<精神疾患>50年以上の入院1773人 全国調査
萩市・配備計画のイージス・アショアについて国から回答
金子先生が斬る!膿だらけの日本
「娘に顔向けできないから」 東京医大の入試不正、弁護団が電話ホットラインを開設へ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!!
陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍
不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入
【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」
加計問題はまだまだあった!!
しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。
古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.〉
新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校
逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定
加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に
文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか
オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉
加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!!
南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!!
官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響
少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。
今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!!
国家が根腐れしている!!
ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し
●麻原らの死刑執行の前日からの流れ
●オウム サリン事件
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日
●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5
●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5
●情報公開裁判「衛生学校記事」
●情報公開裁判「化学学校記事」
●ビザ発給拒否・集会妨害裁判
●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!
政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!
「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频 2017.12.13
マギーフィルム(字幕付き)
・南京大虐殺の証言
ベイツ
1938年1月15日
親愛なるアリソン様
昨日の明け方4時45分に、黄色い襟章をした日本兵が3名、平倉巷3号にどうしても闖入しようとしましたが、そこは我々の居住区でした。彼らは車を2台ねじり込むように入れてきて、援助を提供せよと要求し、走り去ろうとしました。幸いにも林査理[Riggs] が近くにいて、用務員たちが叫んで彼に来てもらい、彼がとうとうこの連中を追い払いました。これまでと同様、兵士2人がアメリカ国旗もアメリカ(大使館)や日本(大使館)の掲示も全く尊重しないのです。彼らには門を入る時に、これらの掲示物がはっきり見えているのです。
夕べ6時に、金陵大学の門の憲兵が引き揚げて行きましたが、交替が来たわけではありません。彼らのこの挙についての説明は受けていません。
付属中学と他の部署が昨晩どういう風だったのか、私にはまだ分かりません。
皆さん方が昨日起こった事と、劉文賓の悲運とに関心を寄せて下さっていることに、私は大変感激しています。同封しましたのは、マッカラムさんの国家劇場が焼かれたことについての声明です。我々がやはりドイツの友人の所から助けを得るのは可能です。
驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表
米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)
南京大虐殺80ヵ年
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国
2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!
・南京大虐殺
24、虐殺数
・虐殺数7
「虐殺」否定説
虐殺否定派は、日本軍は戦時国際法に違反した殺害をしておらず、安全区の外国人の記録も公正さに疑問あり、などととして、30万人の市民の虐殺はなかったと主張している。主な主張者は、新しい歴史教科書をつくる会・日本「南京」学会・南京事件の真実を検証する会のほか、田中正明 (元拓殖大学講師)、東中野修道(亜細亜大学教授)、冨澤繁信(日本「南京」学会理事)、阿羅健一(近現代史研究家)、勝岡寛次(明星大学戦後教育史研究センター)、渡部昇一(上智大学名誉教授)、中川八洋(筑波大学名誉教授)、杉山徹宗(明海大学名誉教授)、早坂隆(ノンフィクション作家)など。
※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。
●重慶大爆撃裁判
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。
重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録
戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか
重慶大爆撃訴訟
the battle of china 1944
重慶大爆撃(苦干より)
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
爆撃の効果
「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真
爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。
不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。
●「天皇制」を考える
・今夏 日本の戦争を考える!!
「テロリスト伊藤博文」の懺悔
異次元金融緩和の重大かつ深刻な弊害!出口を模索しようにもわずかな金利上昇で日本経済は大混乱!? アベノミクスの無残な最期!~6.18岩上安身によるエコノミスト田代秀敏氏インタビュー18.6.18
「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決
(社説)君が代判決 強制の追認でいいのか
日本は、15年に及ぶアジア太平洋戦争で、アジアの国を侵略し、その果ては、沖縄はじめ日本本土が焦土と化し、潰滅的な状況に陥った!!
そこに至った責任は昭和天皇に無いのか?
・なぜ今でも「帝国ホテル」「帝国データバンク」「帝国劇場」「帝国書院」など、帝国という言葉を使う??
・近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
岩崎 稔
㈣ いま、われわれに求められていることは何か?
このような対外侵略への道をいとも簡単に許してしまったのはなぜ?だろうか。この点について最後に考えてみたい。先に、近代化が「民主化」の方向にではなく、近代化が、侵略主義、帝国主義への道をたどったのが近代史であったと述べたが、そうするためには「国民を国家の手段」(臣民)へと変えなければならなかったわけで、現憲法の、基本的人権の尊重(第一八条・二四条)をはじめとする基本権の保障の否定、つまり「生存権の否定」(名誉の戦死)のうえに個の国家への従属を強制する「国家主権と国家体制」の、国家主義の戦争体制(軍事体制)をつくらなければならなかった。その故に、個の身体的自由と内心の自由をも支配する国家主権の確立が戦争体制にはどうしても不可欠であった。
・明治憲法(現代語訳)
第2章 臣民権利義務
第31条 本章に掲げた条規は、戦時又は国家事変の場合において天皇大権の施行を妨げるものではない。
『日本人と天皇』より
・確かになあ、神である自分が臣下の起こした戦争の責任を取るわけないな。
・だから「独白録」で弁明したり、「戦争責任は言葉のアヤ」だなんて言ったんだ。
・今はしょうちょうてんのうせいだから大丈夫ですね。
・とんでもない。1971年の記者会見で、昭和天皇は「天皇は日本国民の統合の象徴」という憲法第1条は「日本の国体の精神に合っている」と言っている。
・ええっ!象徴天皇制は「国体」に合っているというの!
・象徴天皇の意識は敗戦後も全然変わっていなかったのね!
1975年の昭和天皇記者会見
(白井聡さんのお話より)
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・
どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党
昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??
●松代大本営(ウィキペディアより)
一般公開
象山地下壕
放置されていた壕のひとつである象山地下壕は、地元の私立篠ノ井旭高校(現長野俊英高校)の教師土屋光男の指導を受けた沖縄戦研究班(現、郷土研究班)の高校生が市によびかけ、1990年から長野市観光課が一部公開を始めた。
舞鶴山地下壕およびコンクリート庁舎
舞鶴山地下壕には地震計が設置されており、基本的に見学はできないが、コンクリート庁舎内(地下宮殿の手前まで)が一部公開されている。I号舎(天皇御座所)の和室は外から見学できる。
松代大本営跡を訪ねて
松代大本営跡を訪ねて 2018年7月
沖縄戦全記録 2015 6 14
大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に
果して絶滅の恐れのあるアオウミガメを使う占いが必要なのか?
「大嘗祭」関連儀式でアオウミガメの甲羅を調達へ
<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版
新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更
公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー
20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」
平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に
●侵略戦争!!
近現代史年表
・1882年(明治15)
軍人勅諭(西周が起草、福地源一郎・井上毅・山縣有朋によって加筆修正)
「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」
「死は或いは泰山より重く或いは鴻毛より輕し」
重慶大爆撃パネル展 2017年10月
「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃
アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。
米軍による日本への無差別爆撃
本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル
重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
昭和天皇が戦争狂になった訳
・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
強制連行の決定
満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略
●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター
731部隊展
第3回「戦争の加害」パネル展
感想より
29日(日)
・以前も来ましたが、今回も来て良かったです。教科書の記述についての変化がわかりやすくて良かったです。加害について知ることの大切さがパネルの展示を見ながら実感しました。(60代女性)
●731の実態
・しばらくすると、動力班のボイラーは山のように積んでいた機械や資料で埋められた。どんどん搬送されてきたマルタの死体が焼却炉へ転送する時間がなく、露天に燃やし、直ちに埋めることしか出来なかった。「全部入れたんだが、浅いの。それで足が片方から出たり、こんあような状況なもんで、」「それば場所はどのあたりですか、埋めた場所は」「埋めた場所はこの中、ロ号棟の中でやった」・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・
731(5)
第4回 日本軍による人体実験
闇に消された虐殺~731部隊
731部隊のドキュメンタリー
・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!
悪魔の飽食:復号731
●本の紹介
●特移扱(とくいあつかい)資料
原美臻の特移扱資料10
●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■世界と日本での議論の進展
―今も戦争が絶えないもとで、国際的には医学界・医療界ではどんな議論が行われているでしょうか。
人体実験に関する国際規範であるヘルシンキ宣言やその源流となったニュルンべルク綱領も、医学者・医師が軍事研究に従事すること自体については踏み込んではいませんし、世界医師会や世界の医学界・医療界において国際紛争の解決に際しての「戦争と武力による威嚇又は武力の行使」 の禁止や武器生産の禁止についてはほとんど議論されていませんでした。2005年になって、世界で最もよく知られ、評価の高い医学雑誌Lan cet(ランセット) では出版社のエルゼビアの傘下に軍需産業の会社があることが明らかにされ、「兵器と健康を売る医学雑誌の偽善」の論争が起こり、国際的な運動の結果、軍需産業から一切経済的支援を受けないことになり、「生物医学研究者に対する軍需産業との関係についての提案」もなされました。この時には、最大の人為的災害は戦争であり、最も被害を受けるのは女性と子どもであり、国際的な公衆衛生上の課題であるという趣旨のWHO(世界保健機構)の報告についても議論されました。
(月刊『前衛』より)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
●731部隊本部(平房)
●731部隊遺跡を世界遺産に!!
●福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。
──「学問のすすめ」は、教育の大切さを説く本です。なぜ、そんなことを言ったのでしょうか。
教育といっても、福澤は政府が政治をしやすいような人間になるために学問を推奨し、その結果、国民に報国心を抱かせようとしていた。そうなると「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は単なるキャッチコピーに過ぎません。最初にこの言葉に興味を持った人を、民主主義とは反対の方向へ導こうとする。これでは思想的な詐欺と変わりありません。「学問のすすめ」では「大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり」など、人間本来の平等を説いている部分も何カ所かある。これは人が経済的、社会的に成功するかどうかは智を持っているかどうかで、生まれつきの違いはないと福澤が考えていたからです。こうした思想は、中津藩の下級藩士だった父親が身分格差から名を成すことができなかったことが影響しているといわれています。一方で智なき愚人は嫌悪の対象とし、当時の平民を「表向きはまず士族と同等のようなれども、(中略)その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし」と見下しています。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日 2017年1月27日号
[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……
『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より
・福沢諭吉こそ、1945年の破滅に突き進むように日本の方向を定め、人々をその方向に駆り立てた張本人の1人だった。
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕
・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)
・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
(来年の即位の礼、大嘗祭反対!!)
第6章政治的君主の誕生
1927年には、満州をめぐる中国との紛争の記事がふたたび新聞の一面に登場し、昭和の金融恐慌が勃発して、このふたつの危機は年とともに悪化した。と同時に、明治天皇同様のカリスマ的権威という昭和天皇の新イメージを国民に植えつけるため、彼を中心に即位の祭儀が行われるなかにあって、君主制と資本主義への批判、識者のいう「思想問題」は広がっていた。
海軍の高官から国防をめぐって対立する見解が内奏されていることも、天皇をわずらわせた。ワシントン海軍条約に対する反対派の指導者である海軍大将加藤寛治は、国防圏の拡大について天皇に圧力をかけはじめた。彼は〔1929年11月26日〕「西部太平洋方面に於きまして米国の使用致しまする海軍兵力に対抗致しまして帝国国土の安全を期」すことを、1923年決定の兵力量が規定する国土近接海域の防衛以上に強調した。天皇は加藤の上奏内容を承認し、翌27日それを彼に伝えたが、なお加藤に対抗する条約派の主張に与していた。条約派も強力な海軍力を望み、海軍の決戦によって戦争に勝利するという原則に賛成する点では同じだったが、日米の国力格差を考えて、当面は受け身の防衛以外は問題外と見ていたのである。
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!全く民主主義にそぐわない!!
※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!
※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。
戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。
※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!
日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア
井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)
※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)
寧波(ニンポー)細菌戦
麗水細菌戦
日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■亡命医師たち
全国のあらゆる地方から出されている報告が示しているように、『国際医師報告』は、少なくとも一時期は、ドイツ国内に情報提供者の網を張りめぐらしていた。編集者たちは、ユダヤ人の医者に対する残忍な迫害、医学出版物と研究の後退ぶりをつぶさに述べ、患者のケアが悪化していること、歴史的な社会的成果がますます解体させられていること、生産性と健康を強制する「民族共同体」の成立を、資料によって示している。同誌は、個々人の受動的抵抗についても言及しており、病院指導部の指示に逆らって重病の「ごくつぶし」に食事を追加して与えたため解雇されたある長期療養施設の看護婦のこと、容赦なく健康という診断書を書けという健康保険協会の指示に抵抗した医師たちのことについて書いている―この抵抗は『国際医師報告』の過大評価であった。編集者たちはナチズムが早く終わることを望んでいたのだ。
日本では考えられない?
医学部の学費が全額無料に。ニューヨーク大学が画期的な奨学金を発表
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
医学界では当たり前か?女性差別!!
【日本共産党】吉良よし子参議院議員にきく「東京医大 女子一律減点・合格者抑制問題」
医者と製薬会社の関係は??
製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解
国はいつも国家犯罪を素直に謝罪しない!!
旧優生保護法の違憲性、国は見解示さぬ方針 強制不妊
強制不妊 男女3人が国提訴へ
<強制不妊手術>GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る
細菌戦の系譜!!
●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!
●731部隊について
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし
チフス菌の爆弾を開発していた田部井和(たべい・かなう)。
京都大学の教授となり、細菌学の権威となりました。
凍傷研究の吉村寿人も教授に就任。自分は非人道的な実験は行っていないと生涯否定し続けました。
吉村寿人の回想 『喜寿日記』
私は軍隊内において、凍傷や凍死から兵隊をいかにして守るかについて、部隊長の命令に従って研究したのであって、決して良心を失った悪魔になったわけではない。
北大教授が戦時中に人体実験か 講演の速記録に記述
北大教授、戦時下に人体実験 中国人から摘出の睾丸で
「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29
※吉村寿人
※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???
※清野謙治京大教授も、京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対しては病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに「異常なまでにてこ入れした」とされる。
※清野事件
清野は、幼少の頃から考古学を趣味にしており、仕事の傍ら古人骨・古文書・民俗学資料などの収集に情熱を傾けていた。 1938年に医学博士号を取得した直後、「誠に奇妙なる精神状態」のうえに収集癖が高じて、京都の古寺から教典や古文書を盗む窃盗事件を起こす。 清野は逮捕され、控訴審で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受ける。 このことから清野は京大を免職になったばかりか、濱田耕作京大総長も辞意を表明した。
記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)
※1938年8人の京大研究者が731部隊に派遣される。
8人は石川太刀雄丸、岡本耕三、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸三郎、田中英雄
凍傷実験で有名な吉村は、日本学術振興会から研究資金が出ていた。
吉村の恩師は、正路倫之助【軍医学校(731部隊に指令を出していた所)の嘱託】。正路は1946年に、兵庫県立医科大学の学長に就任する。そこに戦後、吉村、岡本、田部井が職を得る。兵庫県立医科大学は、後に神戸大学医学部になる。
岡本は清野の弟子、田部井は木村の弟子だった。
※戸田正三、木村簾両京大教授(軍医学校嘱託)は、戦後医学界として石井機関の医学者をかばったという理解は誤りで、医学界が守ろうとしたのは医学界そのものであった。(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)
戸田正三
長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。
民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。
荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。
荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。
荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。
戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。
また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??
軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦
第5代伝研所長
宮川米次
※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!
※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!
※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」
※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。
講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって
※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!
※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。
※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731
※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)
※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。
731部隊の設計図が1枚も見つかっていない!!(建築学会でも731部隊は全く無視されている!!)
アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)
ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責
黒い太陽731
国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より
日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」
教えてゲンさんより
1940年、日本軍資料
1943年、日本軍資料
ここでは井本日誌ではなく、1937年8月から陸軍省医務局医事課員になった
金原節三大佐の陸軍省業務日誌摘録を参考にします。
金原摘録
(南支)
イ 餅、月1万ケ。月産10kg。7~8は発生不良。
5,6,9,10が良し。
ロ 2月は補給現在迄2万
ハ エヂプトヌマネズミの2代目を作り、粗暴性緩和す。
飼育馴化しあり。自変種にかわりつつあり。
ニ 葡萄糖を利用する等2/3の節用をなしあり。
(南方軍)
イ 昨年9月より研究を開始す。
ケオピス粟は南方において発育良好なり。繁殖力も大なり。
ロ 南方では山稜地区に肺ペストあり(気温15℃)、海岸には腺ペストあり。
一般に四季を通じ散発しあり。
ハ 南方のケオピス(ペストノミ)は硬度大なり。熱に対する抵抗も強し。
アスファルト道路(45℃)では1分間で死亡するも、草原その他では2日以上生存す。
ニ 原法。使用場所小。使用人、餅麦。増殖率小。
改良第1法 南方に適
改良第2法 保存適
ホ 捕鼠は捕鼠器の約1割弱(南方1年を通じ同率で捕獲し得)。
北方は時季により異なる。
ヘ 南方では気候の関係で四時増殖に適す。
雨と日とを避ければ到る所飼育場となる。
ト 北方より輸入の鼠は馴化に1ケ月を要す。
チ 餅種を1回輸入すれば、あとは現地自活も可能なり。
リ 人員265名を要す。50kgの生産可能なり
会議はそのあと真田参謀本部作戦課長が話をし、懇談に移りました。
懇談の内容です。ネズミの補給に就いての懇談です。
※「○ホ」とは細菌戦のこと
『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶
第4章天理村と隣接した731部隊
1、日本軍の兵器近代化と細菌兵器の開発―石井四郎による731部隊の設立
この解決策の1つとして、政府は石井の提案を採用した。1932年4月、陸軍軍医学校防疫部に「防疫研究室」が作られた。研究室設立の目的は戦場での防疫研究―満州事変では兵士が伝染病で倒れる惨事が後を絶たなかったから―とした。だが実際は、石井の願ってやまない細菌兵器開発の研究所であったことはいうまでもない。伝染病で兵士が倒れるのは、満州事変以前に多々あったのだ。
これを受け、石井は東京帝国大学や京都帝国大学を中心として医学研究者を募り、兵器開発のための人材確保に乗り出した。1933年には近衛騎兵連隊の敷地(現在の学習院女子大学、東京都新宿区)に研究施設が完成し、その後、細菌兵器開発の本格的な実験・製造施設を満州に建設することが決定された。秋には石井が現地に赴き、ハルビン近郊の背陰河(ハイインガ=ベイインホー)に細菌戦秘密研究所が設置された。
※石井は、本当に自分だけで欧米諸国を視察しに行ったのであろうか?軍医学校の上官の小泉親彦とか、京大の教授らの指図はなかったのか?私は、陸軍上層部が、以前から細菌戦を考えていたのではないかと思う。そのレールの上を、石井が走ったのではないか?
※「マルタ」と呼ばれた人達は、囚人ではない。色々な容疑を吹っ掛けられ、捕まえられ、裁判も無しに、人体実験に供された。
4、日本軍による人体実験より
「マルタ」にされたのは「特移扱」と呼ばれる取り扱いで中国各地の憲兵隊から送られてきた人たちでした。彼らは「諜者」(スパイ)や「思想犯人」(民族主義者や共産主義者)の疑いをかけられて捕まった中国人やロシア人、朝鮮人、モンゴル人などで、その中にはごく普通の農民や女性・子どもも含まれていました。彼・彼女たちは七三一部隊からの要求に応じて各地の憲兵隊から汽車でハルビン駅へ護送され、ハルビン駅からは擬装された列車やトラックで平房の部隊の監獄へと送り込まれました。また、ハルビンでソ連のスパイとして捕まったロシア人は特務機関へ回されて取り調べを受け、口を割らなかったり、二重スパイになるのを拒んだり、逃げようとした者が「特移扱」になりました。こうして実験材料にされ殺された人々の数は3000人以上にのぼるといわれています(ちなみにこの3000人という数字は、背陰河の施設や、七三一部隊以外の石井機関の施設における犠牲者の数を含んでいません。これらの施設や陸軍病院での犠牲者も含めると、総数はずっと多くなります)。
新聞紙法
満洲天理村
『国民精神の歌』と天理教
海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日
・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
今の日本は、あの侵略戦争の事を忘れようとしているのではないか?
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。
日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??
「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」
小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。
Tokyo Story (1953)
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)
『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
大牟田「爆発赤痢」事件
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
小島三郎
紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者 くぼちかひろ
第十三章
新聞紙上では,従来の「毒物混入説」から一転して,「ゲルトネル氏菌」感染説を支持する論調が溢れた。それに伴って,陸軍衛戍病院の迅速な対応や,陸軍軍医学校の検査能力を賛美する記事が目立った。むろん,それと対比するように県や市の衛生行政を批判し,大勢の死者を出した初期対応に批判が集中した。民間の救護班が,患者にヒマシ油を飲ませ,絶食を命じて,番茶のみを許可したのと対照的に,陸軍では,すぐに生理食塩水の皮下注射やカンフル注射などを積極的に取り入れる事により,一人の死者も出していなかった。「陸軍の科学的な最新治療と比較して,民間のそれは,ただ安臥を勧めるだけで,患者を見殺しにしたに等しい」と口をきわめて行政当局を批判するような記事も掲載された。
県や内務省が,名だたる法医学の権威を招聘したにもかかわらず、原因が究明できなかった事も批判の的となった。批判の矛先は,浜松一中の救護態勢のあり方にまで向けられ,錦織校長も心ない誹謗や中傷に曝された。
※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていたのではないか。軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためでだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。西とは西俊英軍医大尉(当時)、後に731部隊で活躍する。
小島三郎の記述
小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。
『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。
浜松の食中毒事件がきっかけとなり日本でもゲルトネル菌、さらにはサルモネラ系の細菌全体についての研究が開始された。腸チフスやバラチフスは別格で以前から流行があり、研究もされ、またワクチンも開発されていた。
『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)
小泉親彦と宮川米次の絆
六高では、小泉君は、二回目、私は、四回目の卒業生である。六校会を開いて東京で酒を飲んでも、いつでも小泉君は、大将になってやってくる。酒も非常に強かった。ご承知の通り、六高という高等学校は、酒を飲んではいけない学校であった。それをその当時から飲もうと行って、たいてい牛肉屋でやった。必ず四合びんから、コップでぐいっと飲むという恰好であった。しかし気にいらないと一滴も飲まない、そういうところは年をとってからでも同じであった。
「いつの間にか始まった石井部隊」 常石敬一 (人骨の会代表)
「テロリスト伊藤博文」の懺悔
※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験
※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。
※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。
※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。
・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大
「化学兵器とアジア」ー現在進行形の加害と被害を考える!!
※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。
毒入り油で手料理 母悔恨「知らなかった」「ごめんね許して」 家族全員発症 カネミ油症50年の証言
カネミ油症事件
カネミ油症事件ですが、カネミ倉庫とカネカに責任はあるのですか?
PCBは三井グループのカネカが製造していた。
PCB(ポリ塩化ビフェニル:鐘淵化学工業製造)
2004年(平成16年)「鐘淵化学工業株式会社」から「株式会社カネカ」に商号変更。
横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系
護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶
イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。
住民が立ち上がる
この婦中町の住民がそれまでイタイイタイ病について沈黙を守っていたのは、富山県がこの奇病を栄養不足、過労によると意図的に宣伝していたこと、大企業である三井金属が相手では裁判で勝てるはずがないと諦めていたこと、お上に逆らわない引っ込み思案の住民の性格があった。またイタイイタイ病は業病とされ、家族が患者の存在を隠そうとしていたこともその要因であった。小松義久は「イタイイタイ病被害者の会」の組織づくりに奔走し、住民大会を開き、業病の汚名をそそぐべく団結した。「イタイイタイ病被害者の会」は富山県に協力を求めたが、婦中米の不買運動が起きることを理由に協力できないとの回答であった。次に神岡鉱業所との直接交渉を行った。イタイイタイ病被害者の会の30人は神岡鉱業所に出かけ責任者に面会を求めたが、警察による身元確認がなされ長時間待たされたうえ、「三井を犯人扱いしているようだが、そのような科学的根拠はない」というのが返事であった。
※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の人体実験をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄も金沢医科大学出身である。
三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞
●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)
・細菌戦被害地(中国)の旅
●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!
渡邊あきさんは満州の731部隊から無一文で引き揚げたのち、夫婦で食料品店を営みある程度繁盛したという。商売に忙殺され、子供たちを育て、戦後を必死で生きていく中で、部隊の事を思い出す間もなかったが、一方子どもたちにはそのことを隠し続けてきた。
石井四郎の戦後
●軍部は731部隊などの隠蔽を図るために、医学者などにアメリカが占領する前から積極的に原爆の威力の調査をさせた。アメリカ(GHQ)占領後は、医学者はABCC(原爆傷害調査委員会)に協力し、原爆の人体に与える影響の調査だけを行ない、治療などしなかった!!
日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料をアメリカに提供し、その見返りに、731部隊、毒ガス戦部隊などに関与した人々の戦犯免責を図った。戦後、国民には、日本軍の行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦のことについては厳しい箝口令を敷き、その事実をずっと隠し続けている。未だに日本政府は、毒ガス戦、細菌戦、人体実験等の残虐行為に対して公式に認め、謝罪をしていない!!
アメリカの原爆投下を訴える!!
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!
第6章 原子力時代の「受忍」
原子力とともに
中泉正徳は、3月いっばいで東京大学医学部の教授を退官した。4月からは、入れ違いで、宮川が東大医学部放射線医学講座の主任教授となった。宮川は、5月16日、原子力委員会の「国立放射線医学総合研究所設立準備小委貝会」の5人の專門委員のひとりに任命された。宮川は、この年、原子力産業会議RI(ラジオアイソトープ)委貝、 日本放射性同位元素協会理事でもあった。
放影研 被爆者に謝罪へ ABCC時代、治療せず研究
731部隊の免責を得る為に、日本はアメリカに原爆調査(原爆の効力の調査)のデータをアメリカに渡した。
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、
東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された
世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。
●軍学共同の道
(3)米軍、半数以上持ち去りか <見つかった被爆者資料>
帝国の骨
【2018年01月17日掲載】
爆心地からの距離、死亡日と解剖した場所、年齢や性別が手掛かりだ。米国、京都、広島に一度は、ばらばらに分散した資料。英文と日本語が混在し手間こそかかるが、難しい作業ではない。
AFIP資料のうち、京大班が45年8~9月に解剖した25例と合致するのは15例(男7、女8)であることが判明した。場所別でみると牛田国民学校の11例を米軍が持ち去っている。台風で被災し調査が中断した大野陸軍病院からは4例と、やはり少ない。
京大が全資料を米に引き渡した可能性は乏しいが、少なくとも半数以上が持ち去られたことが、初めて分かった。
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====
中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1232/4.html
この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。何をしていたかは容易に想像がつく。
戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。
放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。
彼の弟子が、元放医研所長の佐々木康人教授(現・日本アイソトープ協会・常務理事)であり、ICRP委員も勤めている。その教え子が、われらが中川先生である。
驚くべきことに、彼の恩師をたった2代さかのぼれば731部隊にたどり着くのである。
また中川と同じく、安全だ安全だと繰り返す明石真言は、この研究所の理事である。
ここも法令違反など度重なる不祥事が起きている。そのうち名称が変わるであろう。
いつも内部被曝は無視するから、放射線外部被曝研究所とでも名付けたらよかろう。
以上、簡単にまとめてみたが、みなさんの感想はいかがだろうか。
優生保護法とはより
■「不良な子孫の出生防止」は、障害者への差別
優生保護法は、優生手術を「生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術」と決めていて、それ以外の方法は禁じていました。にもかかわらず規定外のレントゲン照射や子宮の摘出が女性障害者に実施され、しかもこの違法行為は黙認されていました。優生保護法の目的「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」は、障害者から生殖を奪うことについて、人々がためらう気持ちをも奪ったのでした。 優生保護法が1996年に母体保護法に改正された後も、こうした違法行為が続いている心配があります。
優生保護法とは
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29
政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家
久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解
※神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した。
被曝をめぐる御用学者の系譜
●原水爆禁止!!核廃絶!!
<米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」
アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷
核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)
放射能汚染地図「川で何が起きているか?」
被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集
水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染
ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)
山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー
アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06
被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
原子力に悩む大国 アメリカ
●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
アメリカ軍によるサイクロトロン(加速器)の破壊に抗議して、仁科がいかに熱っぽく、連合国軍最高司令官D.マッカーサーに「サイクロトロンは原子爆弾の製造には全く関係ありません。十分な量のウランさえあればサイクロトロンなしで何個でも原子爆弾を造ることができます。しかし十分なウランがなければ、たとえ多くのサイクロトロンをもっていても1個の原子爆弾も製造することはできません。(中略)私たちのサイクロトロンは原子爆弾製造と何の関わりももったことがありません」。我々のサイクロトロンは「生物の世界を支配する自然法則を発見し、農学、林学、水産学、医学のしっかりとした基礎と発展を創出するための」 [★5]ものだと力説してみせても、それが偽りであることは明らかであった。アメリカ軍もそのことは熟知していた。それがこの史料からわかる。だからGHQの判断を飛び越えて、アメリカ本国の判断で、理研と阪大のサイクロトロンは破壊されたのである。朝永振一郎をはじめ「ニ」号研究に携わった多くの関係者が、仁科はより大型のサイクロトロンをつくることには熱心であっても、できたサイクロトロンを使って「生物の世界を支配する自然法則を発見」するための研究を行うことにはさほど熱心でなかったと証言していることは、そのことを裏付けている[★6]。
※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!それをどうするんだ?核兵器開発??
仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)
*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。
何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??
※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」
※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインド・イギリスに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!
※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
●世界の流れ、脱原発
・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)
チェルノブイリの事故
健康被害の実態
事故の後ベラル-シ共和国のゴメリ州にあるゴメリ医科大学では放射線被爆の研究をしています。
199年までゴメリ医科大学の学長を務めた
ユ-リ・I・バンダジェフスキ-の論文から少し引用します。
当時ベラル-シ政府の公式見解は
「低線量の放射線被爆は健康にほとんど影響はない」というものでしたから、
彼は弾圧、投獄されその後フランス、リトアニア、ビリニュスを経てウクライナで働いています。
(2012年現在)
* 母親と乳児のセシウム-137の体内濃度。
これも動物実験ですが、胎児は胎盤による防御機構でセシウム移行が防がれてい ますが、
授乳により少しずつ移行し、その分母親の濃度は下がってきます。
どうする?これからのの日本のエネルギー
●脱原発2
アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。
東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?
日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!
・リニア新幹線反対!!
大地震が起きたらどうなるか??
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?
→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら
安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦
電磁波の人体への影響
また、近年よく聞くようになった「電磁波過敏症」の人の場合、乗車するのに支障があるかもしれません。
様々な問題・課題をクリアしてこそ、世界に誇れるリニア新幹線となるのですが、果たして大丈夫なのでしょうか。こんなはずじゃなかった・・・と泣きを見る人が出て来ないで済めば一番いいですが、「ま、ちょっと覚悟はしておけ」というところかもしれません。
トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く
●秘密国家!!情報開示!!
●医療問題
●自衛隊
●サリン事件と自衛隊の関係は??
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年
5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事
土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!
中曽根元首相 活動記録を寄託 国会図書館、公開へ作業
自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!
国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?
700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎×大竹まこと:日航機123便墜落事故にかかる陰謀説
日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●憲法9条を守れ!!
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明
東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度
安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条を生かそう!!
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