1938年3月27日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「戦犯として奉天市公安局地下独房へ
この翻訳が終わると、私は再び奉天に戻された。しかし、今度はすぐに、汽車で、北京に送られた。北京華東軍区軍事監獄に収監されたのである。昭和27年4月のことであった。
ここでもまた独房暮らしである。とても寒かった。私は長い獄中生活で、ついに喀血してしまった。当局は治療を申し出てくれたが、私は辞退した。好意はうれしかったが、私の経験から予想される中国側の化学療法は、好ましいものではなかったからである。
私は、自分の置かれている環境をできるだけ冷静に分析して、自己診断を行なった。
その上で、自分なりに治療法を考え出したのである。といっても、独房の中の囚人にできることは、たかが知れている。
私が考え出した治療法とは、とにかく歩くことであった。狭い独房の中を、それこそ檻の中の虎のように休み無く動き回るのである。私は、この方法で、1日に約40キロ歩くことにした。
独房の生活は、単調であった。退屈であった。私は、何か読む物をくれと、折に触れて、要求した。そうすると、時々、思い出したように、中国共産党機関紙「人民日報」が差し入れられた。
※どこの戦犯管理所も撫順のようにはいかなかった様だ。撫順は特別だったのかもしれない。北京の監獄での生活は寒く、単調なものと書いている。それにしても、自分の症状を的確に判断して、中国の治療を断り、自分なりに健康法を考え出した力はさすが医学者だと思う。
この方は731部隊に在籍したのはわずかな期間で、731部隊で行なった仕事も、ソ連の文献の翻訳に携わり、生体実験にかかわらなかった。この人が監獄生活で大変な思いをしたのに比べると、酷い生体実験を行なったほとんどの幹部たちのその後は、裁きを受けて監獄に入ることも無く、職を得て日本で活躍した、何という違いだろう!!
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
12月17日 金曜日
皆さん方のお部屋でも、皆さん方ご自身の隣人の部屋でも、一目瞭然でしょうが、恐怖と残酷な統治とがいまだに続いています。
(1)昨夜兵士たちが、わが難民をいっぱい収容している図書館に絶え間なくやってきては、財貨や懐中時計や婦女を銃剣でゆすった。人々はすでに財貨も腕時計も無く、過去2日ですでに何度も略奪されていたので、この兵士たちは窓を叩き壊し、乱暴に人々を突き飛ばした。我等の地位の高い職員が、こうした状況の下で、銃剣でつつかれ傷を負った。
(2)図書館では、この地区の他のところと同様、昨夜多くの婦女が兵士たちに強姦された。
(3)兵士が我等の門衛を殴打したのは、彼が兵士に、蹂躙に供する娘さんを用意しなかったからだった。
(4)昨晩何軒かの、アメリカ国旗が掛かっていて、大使館の掲示が貼り出してあるアメリカ人の住宅が、付近をうろつき回っていた兵士たちに闖入され、あるところは数回闖入された。これらの住宅には、我がアメリカ人同僚3名が現に住まっている建物が含まれている。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
731を問う!!
2011年3月27日日曜日
2011年3月26日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
1938年3月26日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「戦犯として奉天市公安局地下独房へ
私が連行された所は、奉天市公安局の地下にある独房であった。狭いコンクリートの独房には、裸電球が1つ、ポツンとぶら下がっているだけである。夜ともなると、寒くて仕方がなかった。
足元をよく見ると、南京虫が死んでいる。戸外で運動できるのは、1日1回、15分だけである。食事は、朝昼晩と3食であったが、いずれも塩汁である。ただ、どういうわけか、土曜の夜には、この塩汁の中に、豆腐が2、3切れ入っていた。私にとって、このわずか2、3切れの豆腐が、どれほどか待ち遠しく、また楽しみなものであったことか。
それでも不思議なもので、私は痩せなかった。といっても、むくみがきただけのことであるが。こうして、4ヶ月をこの独房で過ごした。その間、いわゆる取調べは、全く無かった。
4ヶ月ほど経った頃、私は突然、撫順監獄(戦犯管理所)に移送された。今度は、奉天の地下室と比べて、まるで天と地ほどにも違う、素晴らしい待遇であった。鉄格子こそはまっていたものの、もはや地下室ではなく、清潔な独房が与えられた。
3度の食事も奉天の時とは比べものにならないほどのご馳走となり、煙草もふんだんに与えられた。そして私は、この独房で、翻訳の仕事を与えられたのである。
翻訳は、政府の仕事らしかった。大部のソ連の衛生学書を訳すのである。翻訳し終わるのに、数ヶ月を要した。
※大変な奉天での監獄生活であったと思う。ただ、中国当局の対応で驚くのは、日本軍の監獄でよく行なわれていた厳しい取調べや拷問がなかったことである。また、食事も粗末ではあるか3度出たことも不思議だ!!当時の中国の状況も戦後の混乱で大変だったと思う。
さらに驚くのは撫順監獄に移送されてからは、待遇が素晴らしくよくなり、ご馳走が出て、取調べのことは書いてないがほとんど無かったのではないか?そして、翻訳の仕事を与えられた。
この撫順戦犯管理所では、自由な時間もあり、運動もできた。最初は、自分たちは上官の命令で人を突き殺したり、焼き殺したりので、自分たちには全く罪はないと言っていた戦犯たちも、時間が経つに連れて自分たちの非道な所業を自ら告白し、悔い改めるようになっていった。ここ撫順に収容された戦犯は一人も死刑されずに日本に帰された。これを「撫順の奇跡」というのだそうだ。この方々が、日本に帰られてから、「中国帰還者連絡会」を立ち上げ、戦後の日本で自らが中国で行なった非人道的な所業を地道に証言していった!!
撫順戦犯管理所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
撫順戦犯管理所(ぶじゅんせんぱんかんりしょ、抚顺战犯管理所)は、撫順市順城区にあった中華人民共和国による戦犯管理所。
満州国時代は、撫順監獄であったところを戦犯管理所に改造し、1950年ソ連より引き渡された900人以上の日本人や満州国の戦犯を収容した。満州国戦犯の中で愛新覚羅溥儀が最も有名で、有名な映画「ラスト・エンペラー」は、かつてここで撮影された。日本人戦犯は、1964年迄に帰国し中国帰還者連絡会を結成した。
1987年、観光地として開放的された。2006年、撫順戦犯管理所旧址として、中華人民共和国全国重点文物保護単位(分類近現代重要史跡及代表性建築、編号6-920)に登録された。
主な収容者
•愛新覚羅溥儀、愛新覚羅毓セン、張景恵、張煥相、盧元善
•武部六蔵(国務院総務庁長官)、古海忠之(国務院総務庁次長)、今吉均(満州国警察総局警務処長)、柏葉勇一(撫順警察局長)、斉藤美夫(満州国憲兵訓練所長少将)、富永順太郎(日本特務華北交通防衛本部、いわゆる富永機関)、鈴木啓久(陸軍中将)、藤田茂(陸軍中将)、城野宏(山西省軍司令官)、佐々真之助(陸軍少将)、金子安次(陸軍兵士)
・「撫順戦犯管理所」より
講堂の反省台ー戦犯らは壇上から罪状を告白するなどして人間教育を受けた
1949年9月、日本の侵略を打ち破り中華人民共和国を成立させた中国共産党は、日本人戦犯を各地の戦犯管理所に収監し、戦争犯罪の記録を克明に記録させたという。撫順管理所もその一つで、今回同行させていただいた小山一郎さんはここに5年間、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)らとともに収監され、「人間改造」教育を受けた。
・「撫順戦犯管理所の思い出」より
中島宗一・・・そうですなぁ、わしや偽満州国の警察に長くおったんですが、あの昨日の自分たちに対する処理を宣告された時、検察員先生の方が、ここにいる戦争犯罪者は人道主義に反し、国際法に反した罪行を犯した者と言われました。私もひとつの例をあげてみるならば、日本が東北を侵略した時、これに反抗して立ち上がった抗日軍を指揮した趙尚志将軍を道案内したというたったひとつの理由でオロチョンの方をとらえ、日本刀で首をきり、さらにその上脳味噌を取り黒やきにして薬だといってのんだ、人間では考えられない行爲をした自分が、だんだん人間としての気もちをもつようになり、私のやった事が本当に悪いことであることを知り、当然中国人民に厳重な処罰をうけなくちゃならないというふうに考えていました。それがこのような寛大処理の恩典によくして、あの時の自分は電気にうたれたようになりました(一同同感の声)。あの時の感謝と感激は一生忘れられません。
※オロチョン・・・中国の内モンゴル自治区や黒龍江省の北部に居住する民族
・「中国帰還者連絡会」より
私たちは、先の日中15年戦争の間、日本軍国主義の積極的な手先となって数多くの非人道的な罪を犯し、敗戦後、中国の「撫順戦犯管理所」(969名)と「太原戦犯管理所」(140名)とに、戦犯として拘留されました。
中国の戦犯管理所では強制労働がないばかりか、有り余る時間が私たち戦犯に与えられました。中国政府の戦犯にたいする方針は「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」という人道主義の政策であり、管理所の全工作員も個人の恨みを超えて、この政策を忠実に実行されました。工作員たちは、日々コウリャン飯を食べながら、戦犯には白米飯と豊かな副食を精一杯調え、罵る戦犯には笑顔で応え、病人には高価な貴重薬を惜しげもなく投与しました。その他、衛生・運動・文化・学習などすべてに好い条件を保証されました。
・中国『撫順戦犯管理所』が60周年式典
●3月26日(土)午後1時半~5時 以下のような学習会が予定されています。予定のつく方はどうぞ!!場所:中野区勤労福祉会館3階大会議室
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
12月16日、木曜日
今日午前に差し上げました手紙の第2項に、少し補充させて下さいますように。
私の学校の農業経済系(小桃園)[Agricultural Economics Department(Hsiano T’ao Yuan)]で強姦された者は、30人を超えていて、それは夕べ日本軍が大勢、絶えずやってきてはやらかしたのです。私はすでにそれを全部調べて、報告事項の正確さを確かめました。
市街のその部分の状況は極めて悲惨なものです。皆さん方が軍当局に、すでに充分に表明しておられ、同時に充分な同情の想いをも表しておられるのを、私たちは確信しております。数万の一般市民にとっては、命を保つのが当面の急務なのです。
金陵大学は安全区に位置していて、この地域の環境と存在という問題から影響を直接受けています。何がしかの(日本の)上級官吏が以前に友好的な態度を表明され、安全区の働きの趣旨を了解されました。他の人たちは冷ややかで猜疑的でした。何とかその人たちに、(安全区)国際委員会が始まってから今までにやったことを、すべてはっきりと知っていただきたいです。どの事務室も建物も、安全区国際委員会のメンバー誰しもの行動も、毎日いつでも門戸を開いていて検査が受けられます。委員会は情勢が正常に回復し、人道主義的な救済はもう要らないということで、解散されるならば、大いに喜び小躍りするでしょう。私たちはただただ最大限の努力をし、極めて困難な条件の下で、あの戦争で家から追い出され、いまだにはなはだしい恐怖の只中で生活している人たちのために、住まいと食物とを提供しているだけなのです。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「戦犯として奉天市公安局地下独房へ
私が連行された所は、奉天市公安局の地下にある独房であった。狭いコンクリートの独房には、裸電球が1つ、ポツンとぶら下がっているだけである。夜ともなると、寒くて仕方がなかった。
足元をよく見ると、南京虫が死んでいる。戸外で運動できるのは、1日1回、15分だけである。食事は、朝昼晩と3食であったが、いずれも塩汁である。ただ、どういうわけか、土曜の夜には、この塩汁の中に、豆腐が2、3切れ入っていた。私にとって、このわずか2、3切れの豆腐が、どれほどか待ち遠しく、また楽しみなものであったことか。
それでも不思議なもので、私は痩せなかった。といっても、むくみがきただけのことであるが。こうして、4ヶ月をこの独房で過ごした。その間、いわゆる取調べは、全く無かった。
4ヶ月ほど経った頃、私は突然、撫順監獄(戦犯管理所)に移送された。今度は、奉天の地下室と比べて、まるで天と地ほどにも違う、素晴らしい待遇であった。鉄格子こそはまっていたものの、もはや地下室ではなく、清潔な独房が与えられた。
3度の食事も奉天の時とは比べものにならないほどのご馳走となり、煙草もふんだんに与えられた。そして私は、この独房で、翻訳の仕事を与えられたのである。
翻訳は、政府の仕事らしかった。大部のソ連の衛生学書を訳すのである。翻訳し終わるのに、数ヶ月を要した。
※大変な奉天での監獄生活であったと思う。ただ、中国当局の対応で驚くのは、日本軍の監獄でよく行なわれていた厳しい取調べや拷問がなかったことである。また、食事も粗末ではあるか3度出たことも不思議だ!!当時の中国の状況も戦後の混乱で大変だったと思う。
さらに驚くのは撫順監獄に移送されてからは、待遇が素晴らしくよくなり、ご馳走が出て、取調べのことは書いてないがほとんど無かったのではないか?そして、翻訳の仕事を与えられた。
この撫順戦犯管理所では、自由な時間もあり、運動もできた。最初は、自分たちは上官の命令で人を突き殺したり、焼き殺したりので、自分たちには全く罪はないと言っていた戦犯たちも、時間が経つに連れて自分たちの非道な所業を自ら告白し、悔い改めるようになっていった。ここ撫順に収容された戦犯は一人も死刑されずに日本に帰された。これを「撫順の奇跡」というのだそうだ。この方々が、日本に帰られてから、「中国帰還者連絡会」を立ち上げ、戦後の日本で自らが中国で行なった非人道的な所業を地道に証言していった!!
撫順戦犯管理所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
撫順戦犯管理所(ぶじゅんせんぱんかんりしょ、抚顺战犯管理所)は、撫順市順城区にあった中華人民共和国による戦犯管理所。
満州国時代は、撫順監獄であったところを戦犯管理所に改造し、1950年ソ連より引き渡された900人以上の日本人や満州国の戦犯を収容した。満州国戦犯の中で愛新覚羅溥儀が最も有名で、有名な映画「ラスト・エンペラー」は、かつてここで撮影された。日本人戦犯は、1964年迄に帰国し中国帰還者連絡会を結成した。
1987年、観光地として開放的された。2006年、撫順戦犯管理所旧址として、中華人民共和国全国重点文物保護単位(分類近現代重要史跡及代表性建築、編号6-920)に登録された。
主な収容者
•愛新覚羅溥儀、愛新覚羅毓セン、張景恵、張煥相、盧元善
•武部六蔵(国務院総務庁長官)、古海忠之(国務院総務庁次長)、今吉均(満州国警察総局警務処長)、柏葉勇一(撫順警察局長)、斉藤美夫(満州国憲兵訓練所長少将)、富永順太郎(日本特務華北交通防衛本部、いわゆる富永機関)、鈴木啓久(陸軍中将)、藤田茂(陸軍中将)、城野宏(山西省軍司令官)、佐々真之助(陸軍少将)、金子安次(陸軍兵士)
・「撫順戦犯管理所」より
講堂の反省台ー戦犯らは壇上から罪状を告白するなどして人間教育を受けた
1949年9月、日本の侵略を打ち破り中華人民共和国を成立させた中国共産党は、日本人戦犯を各地の戦犯管理所に収監し、戦争犯罪の記録を克明に記録させたという。撫順管理所もその一つで、今回同行させていただいた小山一郎さんはここに5年間、ラストエンペラー溥儀(ふぎ)らとともに収監され、「人間改造」教育を受けた。
・「撫順戦犯管理所の思い出」より
中島宗一・・・そうですなぁ、わしや偽満州国の警察に長くおったんですが、あの昨日の自分たちに対する処理を宣告された時、検察員先生の方が、ここにいる戦争犯罪者は人道主義に反し、国際法に反した罪行を犯した者と言われました。私もひとつの例をあげてみるならば、日本が東北を侵略した時、これに反抗して立ち上がった抗日軍を指揮した趙尚志将軍を道案内したというたったひとつの理由でオロチョンの方をとらえ、日本刀で首をきり、さらにその上脳味噌を取り黒やきにして薬だといってのんだ、人間では考えられない行爲をした自分が、だんだん人間としての気もちをもつようになり、私のやった事が本当に悪いことであることを知り、当然中国人民に厳重な処罰をうけなくちゃならないというふうに考えていました。それがこのような寛大処理の恩典によくして、あの時の自分は電気にうたれたようになりました(一同同感の声)。あの時の感謝と感激は一生忘れられません。
※オロチョン・・・中国の内モンゴル自治区や黒龍江省の北部に居住する民族
・「中国帰還者連絡会」より
私たちは、先の日中15年戦争の間、日本軍国主義の積極的な手先となって数多くの非人道的な罪を犯し、敗戦後、中国の「撫順戦犯管理所」(969名)と「太原戦犯管理所」(140名)とに、戦犯として拘留されました。
中国の戦犯管理所では強制労働がないばかりか、有り余る時間が私たち戦犯に与えられました。中国政府の戦犯にたいする方針は「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」という人道主義の政策であり、管理所の全工作員も個人の恨みを超えて、この政策を忠実に実行されました。工作員たちは、日々コウリャン飯を食べながら、戦犯には白米飯と豊かな副食を精一杯調え、罵る戦犯には笑顔で応え、病人には高価な貴重薬を惜しげもなく投与しました。その他、衛生・運動・文化・学習などすべてに好い条件を保証されました。
・中国『撫順戦犯管理所』が60周年式典
●3月26日(土)午後1時半~5時 以下のような学習会が予定されています。予定のつく方はどうぞ!!場所:中野区勤労福祉会館3階大会議室
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
12月16日、木曜日
今日午前に差し上げました手紙の第2項に、少し補充させて下さいますように。
私の学校の農業経済系(小桃園)[Agricultural Economics Department(Hsiano T’ao Yuan)]で強姦された者は、30人を超えていて、それは夕べ日本軍が大勢、絶えずやってきてはやらかしたのです。私はすでにそれを全部調べて、報告事項の正確さを確かめました。
市街のその部分の状況は極めて悲惨なものです。皆さん方が軍当局に、すでに充分に表明しておられ、同時に充分な同情の想いをも表しておられるのを、私たちは確信しております。数万の一般市民にとっては、命を保つのが当面の急務なのです。
金陵大学は安全区に位置していて、この地域の環境と存在という問題から影響を直接受けています。何がしかの(日本の)上級官吏が以前に友好的な態度を表明され、安全区の働きの趣旨を了解されました。他の人たちは冷ややかで猜疑的でした。何とかその人たちに、(安全区)国際委員会が始まってから今までにやったことを、すべてはっきりと知っていただきたいです。どの事務室も建物も、安全区国際委員会のメンバー誰しもの行動も、毎日いつでも門戸を開いていて検査が受けられます。委員会は情勢が正常に回復し、人道主義的な救済はもう要らないということで、解散されるならば、大いに喜び小躍りするでしょう。私たちはただただ最大限の努力をし、極めて困難な条件の下で、あの戦争で家から追い出され、いまだにはなはだしい恐怖の只中で生活している人たちのために、住まいと食物とを提供しているだけなのです。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2011年3月25日金曜日
この世の地獄!原子力
ヤフーの掲示板からの転載です!!
転送歓迎です
◆ 地震と原発事故情報 その22 ◆
6つの情報(3月25日山田太郎さんのお話、3/26は夕方の部も開催、若者たちが東電糾弾行動、30キロ圏外も100ミリシーベルト、反原発政党が得票倍増、原子力安全委員長が謝罪)
1.緊急学習会・その6のご案内
日 時:3月25日(金)午後6:00開場 6:30~8:45
資料代:800円
会 場:たんぽぽ舎
テーマ1 原発技術者からみた「原発のアキレス腱」
講師:山田太郎さん(元・東芝原発技術者)
目からウロコと評判の小冊子『原発を並べて自衛戦争はできないー原発と憲法の関係』(15頁)の筆者が講師です。
原発のアキレス腱についての今回の話も『目からウロコの話』になると思います。
テーマ2 サクラ調査の目的と意味-「福島原発事故放射能とサクラ調査」
お話:奥田智子(サクラ調査ネットワーク)
2.3月26日(土)『たんぽぽ舎22周年の集い』―緊急講演会に切り替えます。
2部(午後と夕方)構成になります。お間違いないように
会 場:全水道会館会議室 (JR水道橋駅東口下車2分)
イ.13:30開場 ◆満員締め切り◆
14:00~17:00記念講演(お二人の講師)
テーマ1、「『大地震が近づく浜岡原発』―原子炉時限爆弾―」
講師:広瀬 隆さん(作家)
テーマ2、「全てが人災、福島原発・同時多発事故」
講師:槌田 敦さん(核開発に反対する会代表)
ロ.17:30開場
18:00~20:30(広瀬隆さんお一人の講演)
テーマ 「『大地震が近づく浜岡原発』―原子炉時限爆弾―」
講師:広瀬 隆さん(作家)
資料代:1000円
★イ.の1部は申込多数のため、受付を締め切らせていただきました。
そこで、2部を、同じ会場で開催致します。
よろしくお願いいたします。
3.警察権力の不当な規制を撥ね退け青年労働者が東電糾弾に起ちあがる
●3月20日午後1時、東電本社へ抗議行動に来た3人に対して20人近い警察官が立ちふさがった。
他の人たちは通行できるのに我々だけは道路を渡って反対側に行けと命じる。「どういう法律や条例に基づいて通さないんだ」と何度も抗議しても何も答えず、仲間のひとりを3人がかりで引きずって道路の反対側に連れて行く。
50人を超す警察官が警備する東電本社に向かい、その責任を糾弾し、すべての原子力被災者に謝罪し補償すること、またすべての原発を止めることなどを要求した。
通行する市民に福島原発事故が想定外ではなく、また天災でなく人災であることなどを訴え、ビラを渡した。受け取る人が多く、特に子供連れの母親はほとんど取ってくれる反面、「原発は必要なんだよ」と反発する者もごく少数ではあるが現れ、反応が明確に出ていた。
フリーター労組の若者を中心につぎつぎと参加者が現れ、USTREAMはライブで中継し、またTBSなどの民放もカメラを回し(たぶん放映はなし)、台湾の記者も取材していた。
●福島の被曝者、とりわけ子供たちの事を考えると胸が張り裂ける思いです。
天災の津波と人災の原発事故で被災した東北地方の人達の生活はまったく先が見えません。
福島原発事故は首都圏の経済も直撃します。私はタクシー労働者ですが、規制緩和、不況、リーマンショックで営業収入はがた減りで、職場では過労による脳梗塞などの死亡が相次ぎ、生活苦による首つり自殺もあります。
3.11以後営業収入は一段と減り、「生活保護か死ぬかどっちかだよ」という声がでています。まさしく人々の命と暮らしを破壊する原発です。
しかし今回の青年労働者を中心とした東電糾弾行動は規模は小さくても反原発運動の可能性を切り開く戦いでした。
●当日の行動はUSTREAMで見ることができます。
http://www.ustream.tv/recorded/13441127
3月21日現在1000人を超す視聴者です。最初の34分は飛ばして下さい。(S)
4.30キロ圏外も100ミリシーベルト 事故後屋外被ばく量試算-原子力安全委員会発表
政府の原子力安全委員会(斑目春樹委員長)が23日、「緊急時迅速放射能影響予測」(SPEEDⅠ=スピーディ)の試算結果として明らかにしたところによると、福島第1原子力発電から半径20km圏外の地点で、事故後から24日までずっと屋外にいたと仮定すると、大気中の放射性ヨウ素を取り込むことによる甲状腺の被ばく総量は
100ミリシーベルトを超える危険性があることが分かった。
この試算は、放射性ヨウ素の影響を受けやすい1歳児が対象。100ミリシーベルトは甲状腺がんの予防のため、安定ヨウ素剤を服用する基準だが、枝野官房長官は、「直ちに避難や屋内退避をする状況ではないが、風下の場合は、念のため窓を閉め、屋内にとどまってほしい」と注意を呼び掛けた。
100ミリシーベルトを超える範囲は北西に最大55キロ、南に同45キロにまで広がっていた。北西側では福島県伊達市や川俣町、南側では同県いわき市までが含まれる。
「SPEEDⅠ(スピーディー)」は、今回のような事故を想定して2010年度予算で7億8000万円が計上され開発されたシステムだが、「生データを公表すれば誤解を招く」として事故以来試算結果が明らかにされていないことに批判が集まっていた。 (3月24日 東京新聞 1面要約)
5.反原発政党が得票率倍増=独州議会選
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011032100079
ドイツ東部のザクセン・アンハルト州で20日、州議会選挙が行われ、反原発を掲げる環境政党の90年連合・緑の党が得票率を前回の3.6%から7.1%にほぼ倍増させた。福島第1原発の事故が影響したとみられる。
6.原子力安全委員長 事故想定で謝罪
政府の原子力安全委員会の斑目春樹委員長は22日の参院予算委員会で、東日本巨大地震による東京電力福島第1原子力発電の事故に関し、「(原発設計の)想定が悪かった。想定について世界的に見直しがなされなければならない。原子力を推進してきた者の一人として、個人的には謝罪する気持ちはある」と述べ、陳謝した。社民党の福島瑞穂氏の質問に答えたもの。
斑目氏は2007年2月の中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)運転差し込め訴訟の静岡地裁での証人喚問で、非常用発電機や、制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を問われ、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と述べていた。福島氏はこの証言を取り上げ「割り切った結果が今回の事故につながった」として謝罪を求めた。(読売3月23日)
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今、「地震と原発事故情報」を発信しています。
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たんぽぽ舎 たんぽぽ舎は、月曜~土曜-
13:00~20:00のオープンです。
日曜・休日は、お休みです。
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FAX:020-4624-2381
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◆ 地震と原発事故情報 その22 ◆
6つの情報(3月25日山田太郎さんのお話、3/26は夕方の部も開催、若者たちが東電糾弾行動、30キロ圏外も100ミリシーベルト、反原発政党が得票倍増、原子力安全委員長が謝罪)
1.緊急学習会・その6のご案内
日 時:3月25日(金)午後6:00開場 6:30~8:45
資料代:800円
会 場:たんぽぽ舎
テーマ1 原発技術者からみた「原発のアキレス腱」
講師:山田太郎さん(元・東芝原発技術者)
目からウロコと評判の小冊子『原発を並べて自衛戦争はできないー原発と憲法の関係』(15頁)の筆者が講師です。
原発のアキレス腱についての今回の話も『目からウロコの話』になると思います。
テーマ2 サクラ調査の目的と意味-「福島原発事故放射能とサクラ調査」
お話:奥田智子(サクラ調査ネットワーク)
2.3月26日(土)『たんぽぽ舎22周年の集い』―緊急講演会に切り替えます。
2部(午後と夕方)構成になります。お間違いないように
会 場:全水道会館会議室 (JR水道橋駅東口下車2分)
イ.13:30開場 ◆満員締め切り◆
14:00~17:00記念講演(お二人の講師)
テーマ1、「『大地震が近づく浜岡原発』―原子炉時限爆弾―」
講師:広瀬 隆さん(作家)
テーマ2、「全てが人災、福島原発・同時多発事故」
講師:槌田 敦さん(核開発に反対する会代表)
ロ.17:30開場
18:00~20:30(広瀬隆さんお一人の講演)
テーマ 「『大地震が近づく浜岡原発』―原子炉時限爆弾―」
講師:広瀬 隆さん(作家)
資料代:1000円
★イ.の1部は申込多数のため、受付を締め切らせていただきました。
そこで、2部を、同じ会場で開催致します。
よろしくお願いいたします。
3.警察権力の不当な規制を撥ね退け青年労働者が東電糾弾に起ちあがる
●3月20日午後1時、東電本社へ抗議行動に来た3人に対して20人近い警察官が立ちふさがった。
他の人たちは通行できるのに我々だけは道路を渡って反対側に行けと命じる。「どういう法律や条例に基づいて通さないんだ」と何度も抗議しても何も答えず、仲間のひとりを3人がかりで引きずって道路の反対側に連れて行く。
50人を超す警察官が警備する東電本社に向かい、その責任を糾弾し、すべての原子力被災者に謝罪し補償すること、またすべての原発を止めることなどを要求した。
通行する市民に福島原発事故が想定外ではなく、また天災でなく人災であることなどを訴え、ビラを渡した。受け取る人が多く、特に子供連れの母親はほとんど取ってくれる反面、「原発は必要なんだよ」と反発する者もごく少数ではあるが現れ、反応が明確に出ていた。
フリーター労組の若者を中心につぎつぎと参加者が現れ、USTREAMはライブで中継し、またTBSなどの民放もカメラを回し(たぶん放映はなし)、台湾の記者も取材していた。
●福島の被曝者、とりわけ子供たちの事を考えると胸が張り裂ける思いです。
天災の津波と人災の原発事故で被災した東北地方の人達の生活はまったく先が見えません。
福島原発事故は首都圏の経済も直撃します。私はタクシー労働者ですが、規制緩和、不況、リーマンショックで営業収入はがた減りで、職場では過労による脳梗塞などの死亡が相次ぎ、生活苦による首つり自殺もあります。
3.11以後営業収入は一段と減り、「生活保護か死ぬかどっちかだよ」という声がでています。まさしく人々の命と暮らしを破壊する原発です。
しかし今回の青年労働者を中心とした東電糾弾行動は規模は小さくても反原発運動の可能性を切り開く戦いでした。
●当日の行動はUSTREAMで見ることができます。
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3月21日現在1000人を超す視聴者です。最初の34分は飛ばして下さい。(S)
4.30キロ圏外も100ミリシーベルト 事故後屋外被ばく量試算-原子力安全委員会発表
政府の原子力安全委員会(斑目春樹委員長)が23日、「緊急時迅速放射能影響予測」(SPEEDⅠ=スピーディ)の試算結果として明らかにしたところによると、福島第1原子力発電から半径20km圏外の地点で、事故後から24日までずっと屋外にいたと仮定すると、大気中の放射性ヨウ素を取り込むことによる甲状腺の被ばく総量は
100ミリシーベルトを超える危険性があることが分かった。
この試算は、放射性ヨウ素の影響を受けやすい1歳児が対象。100ミリシーベルトは甲状腺がんの予防のため、安定ヨウ素剤を服用する基準だが、枝野官房長官は、「直ちに避難や屋内退避をする状況ではないが、風下の場合は、念のため窓を閉め、屋内にとどまってほしい」と注意を呼び掛けた。
100ミリシーベルトを超える範囲は北西に最大55キロ、南に同45キロにまで広がっていた。北西側では福島県伊達市や川俣町、南側では同県いわき市までが含まれる。
「SPEEDⅠ(スピーディー)」は、今回のような事故を想定して2010年度予算で7億8000万円が計上され開発されたシステムだが、「生データを公表すれば誤解を招く」として事故以来試算結果が明らかにされていないことに批判が集まっていた。 (3月24日 東京新聞 1面要約)
5.反原発政党が得票率倍増=独州議会選
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011032100079
ドイツ東部のザクセン・アンハルト州で20日、州議会選挙が行われ、反原発を掲げる環境政党の90年連合・緑の党が得票率を前回の3.6%から7.1%にほぼ倍増させた。福島第1原発の事故が影響したとみられる。
6.原子力安全委員長 事故想定で謝罪
政府の原子力安全委員会の斑目春樹委員長は22日の参院予算委員会で、東日本巨大地震による東京電力福島第1原子力発電の事故に関し、「(原発設計の)想定が悪かった。想定について世界的に見直しがなされなければならない。原子力を推進してきた者の一人として、個人的には謝罪する気持ちはある」と述べ、陳謝した。社民党の福島瑞穂氏の質問に答えたもの。
斑目氏は2007年2月の中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)運転差し込め訴訟の静岡地裁での証人喚問で、非常用発電機や、制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を問われ、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計ができなくなる」と述べていた。福島氏はこの証言を取り上げ「割り切った結果が今回の事故につながった」として謝罪を求めた。(読売3月23日)
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たんぽぽ舎 たんぽぽ舎は、月曜~土曜-
13:00~20:00のオープンです。
日曜・休日は、お休みです。
〒101-0061
東京都千代田区三崎町2-6-2ダイナミックビル5F
TEL 03-3238-9035 FAX 03-3238-0797
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・・南京への道・史実を守る会・・・・・・・
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mail:honda_sien-owner@egroups.co.jp
FAX:020-4624-2381
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
1938年3月25日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「戦犯として奉天市公安局地下独房へ
昭和24年10月1日、毛沢東を主席とする中華人民共和国が成立した。
過去の経歴よりも医者としての腕が必要であった時代は終わりつつあった。私は、いずれ私の元731部隊員であった過去が問われる時が来ることを、密かに覚悟していた。
私が731部隊にいたことを知っている日本人は、まだ多勢、ハルピンに住んでいた。万一誰かが私のことを当局に密告したら、経歴のやましさを故意に隠していたと思われても仕方がなかった。
もともと、私には経歴を隠すつもりはなかった。堂々と裁きを受け容れるつもりであった。私は、当時の中国での慣例に従って、自らの問題点を、公安局に届け出る決心を固めた。自己申告とでもいえばよいであろうか。昭和24年のことだったと思う。
公安局に元731部隊員であったことを届け出てからも、当局からは何の音沙汰も無い。私は医学書の編訳を続けていた。
昭和26年に入ると、中国全土で反革命鎮圧運動が展開され始めた。一種の整風運動だ。4月のある日、当時奉天にいた私の家に、1台のトラックが横付けになった。
トラックの中から5人の人間が降り立った。5人は家に入って来た。1人は自動小銃を構えている。2人は、家宅捜索を始めた。あとの2人は、私に手錠をはめ、腰縄を打つ。あまりの物々しさに、いつまでたっても逮捕されないのでつい気の緩んでいた私は、いささか驚いてしまった。とにかく、私は、敗戦後6年も経ってから、逮捕されたのである。
※この方は、731部隊にいても生体解剖や生体実験をしていなかったから、自己申告できたのではないのかな。もしやっていたらとにかく身を隠して生きたのではないか?
●3月26日(土)午後1時半~5時 以下のような学習会が予定されています。予定のつく方はどうぞ!!場所:中野区勤労福祉会館3階大会議室
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
私たちは軍が規律を回復するよう、切に期待しております。今や恐怖がこのようにその極みに達しており、ラオパーイシン[老百姓=ごく普通の人たち、全くの庶民―日本語訳者]は食物を探しに外出することすらできず、もはや正常な生活も仕事もできなくなっています。私たちは閣下に、上級官吏による直接の指導の下に規律をもって行なわれる適宜な検査を、按配して下さるようお願いしたく、そうすることにより、群をなしてうろつき回る兵士たちが、毎日10回以上も同一地点に侵入して、人々から食物や金銭を奪い去ることのないように、していただきたいと願っております。それにまた、日本軍と日本帝国の名誉のために、日本の当局と中国の一般民衆[common people]との間に良好なる関係の為に、皆さん方の懐かしんでおられるご自身の奥様やご姉妹やお嬢様のためにも、皆さん方の南京の数十万の家庭を守って下さり、兵士たちの凶暴行為が起こらないようにして下さるよう、私たちは呼びかけます。
中国軍の無秩序と潰走とが、日本軍に(中国の)民衆の信頼を勝ち得る機会を与えたのでしたが、不幸にもその機会が、失われてしまい、人類の公共の利益にとっても道徳にとっても、遺憾なことになってしまいました。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「戦犯として奉天市公安局地下独房へ
昭和24年10月1日、毛沢東を主席とする中華人民共和国が成立した。
過去の経歴よりも医者としての腕が必要であった時代は終わりつつあった。私は、いずれ私の元731部隊員であった過去が問われる時が来ることを、密かに覚悟していた。
私が731部隊にいたことを知っている日本人は、まだ多勢、ハルピンに住んでいた。万一誰かが私のことを当局に密告したら、経歴のやましさを故意に隠していたと思われても仕方がなかった。
もともと、私には経歴を隠すつもりはなかった。堂々と裁きを受け容れるつもりであった。私は、当時の中国での慣例に従って、自らの問題点を、公安局に届け出る決心を固めた。自己申告とでもいえばよいであろうか。昭和24年のことだったと思う。
公安局に元731部隊員であったことを届け出てからも、当局からは何の音沙汰も無い。私は医学書の編訳を続けていた。
昭和26年に入ると、中国全土で反革命鎮圧運動が展開され始めた。一種の整風運動だ。4月のある日、当時奉天にいた私の家に、1台のトラックが横付けになった。
トラックの中から5人の人間が降り立った。5人は家に入って来た。1人は自動小銃を構えている。2人は、家宅捜索を始めた。あとの2人は、私に手錠をはめ、腰縄を打つ。あまりの物々しさに、いつまでたっても逮捕されないのでつい気の緩んでいた私は、いささか驚いてしまった。とにかく、私は、敗戦後6年も経ってから、逮捕されたのである。
※この方は、731部隊にいても生体解剖や生体実験をしていなかったから、自己申告できたのではないのかな。もしやっていたらとにかく身を隠して生きたのではないか?
●3月26日(土)午後1時半~5時 以下のような学習会が予定されています。予定のつく方はどうぞ!!場所:中野区勤労福祉会館3階大会議室
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
私たちは軍が規律を回復するよう、切に期待しております。今や恐怖がこのようにその極みに達しており、ラオパーイシン[老百姓=ごく普通の人たち、全くの庶民―日本語訳者]は食物を探しに外出することすらできず、もはや正常な生活も仕事もできなくなっています。私たちは閣下に、上級官吏による直接の指導の下に規律をもって行なわれる適宜な検査を、按配して下さるようお願いしたく、そうすることにより、群をなしてうろつき回る兵士たちが、毎日10回以上も同一地点に侵入して、人々から食物や金銭を奪い去ることのないように、していただきたいと願っております。それにまた、日本軍と日本帝国の名誉のために、日本の当局と中国の一般民衆[common people]との間に良好なる関係の為に、皆さん方の懐かしんでおられるご自身の奥様やご姉妹やお嬢様のためにも、皆さん方の南京の数十万の家庭を守って下さり、兵士たちの凶暴行為が起こらないようにして下さるよう、私たちは呼びかけます。
中国軍の無秩序と潰走とが、日本軍に(中国の)民衆の信頼を勝ち得る機会を与えたのでしたが、不幸にもその機会が、失われてしまい、人類の公共の利益にとっても道徳にとっても、遺憾なことになってしまいました。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2011年3月24日木曜日
この世の地獄!原子力
東日本大震災:都水道水ヨウ素検出 水求め母奔走 「長期化したら…」品薄に募る不安
東京都葛飾区の浄水場から0歳乳児の飲用基準の2倍に当たる放射性ヨウ素検出が発表された23日、都内の保育園や乳児院、乳飲み子を抱える母親たちはミネラルウオーターの確保に奔走した。地震直後から品薄が続いており、今後の供給を不安視する人や施設も。原発事故の影響が首都の水源にまで及び、事態の長期化を懸念する声も聞かれた。【田村佳子、木村葉子、中村美奈子、杉本修作、桐野耕一】
東京都新宿区で24時間保育をしている無認可の「たいよう保育園」では、水道水を沸かして作っていた麦茶を市販のペットボトルのものに変えた。石沢ハルノ園長は「『乳児の摂取を控えて』というが、1歳以上の子なら大丈夫という確信がない」。保護者からも心配する声が寄せられているといい、園の入り口には「水道水は使っていません」との張り紙が張られた。
葛飾区の小宅産婦人科では22日から買い置きしていたペットボトルのミネラルウオーターで粉ミルクを調乳しているが、小宅正博院長は「今日はどこに行ってもミネラルウオーターが売り切れ。この状態が長く続くなら国は産院が確実に入手できるよう対応してほしい」と要望した。
新宿区の二葉乳児院では乳幼児11人分のミルクと39人分の食事を作るための水を毎日必要としているが、都留和光施設長は「備蓄したミネラルウオーターはあと数日分。今後、数値が幼児向けの基準を超えたり、長期化したらどうなるのか」と焦りを隠さない。
全国規模で保育サービスを展開する「ポピンズコーポレーション」(本社・渋谷区)は23日午後、東京、神奈川、千葉3都県の保育所計約75カ所で、0歳児と1歳児約1000人への調乳を軟水のミネラルウオーターで行うようにした。水道水で作った麦茶はすべて捨て、おやつのイチゴをミネラルウオーターで洗った所も。
産婦人科や新生児科のある愛育病院(港区)は1本20リットルのミネラルウオーターを40~50本蓄える。約70日分に当たり、普段なら大人も飲むが、都の発表を受け乳児のミルクを作る際などだけに使うようにした。ただし、中林正雄院長は「母親が水道水を飲んでも母乳は大丈夫だし、離乳食を調理する際に水道水を使っても問題ない」と冷静だ。
千代田区のスーパー「冨士屋」では用意していた2リットル6本入りケース10箱が午後4時までの2時間で売り切れた。飲料担当の前川朝洋さん(39)は「倉庫にも在庫はなく、入荷は未定」と頭を抱えた。スーパー隣の自動販売機では、千代田区の会社員女性(38)が飲料水500ミリリットル入りペットボトル十数本を購入。「2歳の子どもがいるので、どうしても水を手に入れないといけない」と語った。
消費者団体「食のコミュニケーション円卓会議」の市川まりこ代表は「現時点では大人が水道水を飲んでも健康への影響はない。むやみにミネラルウオーターを買いだめするのはやめよう」と呼び掛けている。
毎日新聞 2011年3月24日 東京朝刊
ヤフーの掲示板より転載
日本政府と東電へ
●日本政府と東電は妊婦、乳幼児を原発現場から80キロメートル以上に至急待避をさせよ。
●ミネラルウォーターは国で買い上げ、妊婦、乳幼児宅に無料配布せよ (市民が求め創るマニフェストの会:石垣)
2011年3月19日(土)17時0分配信 夕刊フジ
米国防総省はすでに、北方軍から核、生物、化学(NBC)兵器の専門家9人を日本へ派遣。米政府は福島第1原発から半径50カイリ(約93キロ)圏内への米兵の立ち入りを原則禁じているが、9人は原発付近で放射線量の測定も行うとみられる。
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【PJニュース 2011年3月22日】フリーターの園良太氏の呼びかけで、2011年3月20日に東京都千代田区内幸町の東京電力本店前で原子力発電に対する抗議活動が行われた。東京電力本店には福島第一原発事故の統合対策本部(本部長・菅直人首相)が設置されており、連日抗議活動が行われている。議の模様は動画サイト「ユーストリーム」で中継された。
最初にマイクを握った園氏は日本政府と東京電力に対し、痛烈に批判した。これまで原発は安全であると私達一人一人を欺いておきながら、事故が起きたら「国民一丸となって頑張りましょう」と言う資格はない。政府は「冷静になって下さい」と呼びかけるが、冷静になれるわけがない。放射能は確実に東京を汚染している。日本政府と東京電力が原発を止めないことが問題である。反対の声に耳を傾けてこなかった。原発事故は一人一人の人生をズタズタに切り裂いていくものであると主張した。
抗議活動に対しては、多数の警察官が配備された。13時半頃には横断歩道を渡ろうとした女性が多数の警察官によって強制的に排除される一幕もあった。抗議者達は警察の排除に抗議した。被災者への金銭的な保障や住む場所の保証をせずに節電を呼びかけ、警察を使って抗議行動を抑え込むことは許されない。「東京電力は責任をとれ」「日本政府は責任をとれ」「今すぐ原発を止めろ」などのシュプレヒコールもなされた。警察の対応には「警察は何を守っているのか」「警察官である前に人間だろう」という感想が寄せられた。
http://www.pjnews.net/news/794/20110320_3
警察間に排除された女性は福島市に家族がいると話す。福島市では放射線量が10マイクロシーベルト/時になっている。その中で生活していることが大問題であるとした。その上で、「多くの市民が被曝している状況で、日本の警察官が行っていることしていることは何なのか」「他の人が普通に通っている道路を私達が通行できないことはおかしい」と問いかけた。
会場には「人・海・動物の命を奪う原発いらない」などと書かれたプラカードも複数掲示された。戦争や女性への暴力に反対するWomen in Blackの活動家は「時間は巻き戻せない 失った命は戻らない 核・原子力はいらない」と書かれたプラカードを掲示した。RCサクセション「サマータイムブルース」など反原発の曲も流された。別の抗議者は「上からの指示に唯々諾々と従うだけの無責任体制が今回の事故を引き起こした」と述べた。【了】
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『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力
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俳優の有馬理恵さんが台湾の「慰安婦」アマを支援するMLに投稿されたメールを多くの人に読んでほしい、知ってほしいと考え、有馬さんと布施祐仁の転載許可を得ましたので、転載します。
初めて、投稿させて頂きます。
憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」でロラ・マシンを演じさせて頂きました、劇団俳優座の有馬理恵です。
宋神道さんのご無事、憲法ミュージカルのメンバーにもお伝えさせて頂きました。
みんな本当に喜んでいました。
お知らせ頂き、本当にありがとうございます。
さて、昨日こんなことがありました。もし次の救援便が、確実に決まりましたら、改めてご連絡させて頂きます。
私の親友、布施祐仁くんが、福島原発の周辺に住む青年(未成年)のツイートの叫びを読んで、昨朝(3/19)、2歳の娘を保育園に預け、福島原発付近避難所へ物資を積んで向かいました。
布施祐仁くんを動かした青年の叫びの一部をご紹介させて下さい。
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mazinal 国なんて信じないぞ!!テレビで本当のことを流せ!!何故三号機が爆発したときに南相馬市に向かっていた自衛隊がマスクをして、消防車がサイレンを鳴らしながら戻ってくるんだ!!人を乗せるバスも何故ユーターンして戻ってくるんだ!?助けろよ!!助けてよ!!
1日前
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mazinal 拡散お願いします!! 南相馬市をどうか助けてください!! 放射能で行政も入ってきません!!そこの地区の人たちは使命感にかられて残っています!! しかし、中にはガソリンさえあれば逃げたい人だっています!! 彼や彼女たちに逃げる術を授けてください!!
約21時間前
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mazinal 大丈夫なところばかりながすな!!現実をながしてくれ!! 相馬市なんかは放射能を浴びながら津波でなくなった人の死体をかたずけてるんだ!! しかもテレビでやってる放射能どこの問題じゃない!! 私はなにも出来ない未成年だ!!だから皆助けてくれ!!
約9時間前
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mazinal 放射能が大丈夫なら何故国は私達を助けにこない!!??おかしいだろ!!助けてくれ!!見殺しにしないでくれ!!
約9時間前
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mazinal 放射能はもうあの30キロだけの話じゃなくなっている!!相馬市でも放射能は凄いんだ!!で
も、南相馬市でも、相馬市でも津波の被害は大きくて放射能を浴びながら死体を片付けているんだ!!
8分前
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mazinal あの避難地域30キロはなにかっていうと国が遠まわしにここしか補償しませんよ。というメッセージのようにしか感じられない!!
7分前
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mazinal 家もなく、車もなく、車があってもガソリンなく、私の友達のお母さんは避難出来ないことを息子に泣きながら謝ってるんだぞ!!母親に泣かれるのはつらいのは皆同じだろ!!残ってる人たちだって皆と同じような家族なんだ!!お願いだから自分のように考えてくれ!!
3分前
布施祐仁くんの報告です。
昨夜、福島より帰ってきました。皆さまの協力で何とか南相馬市(原発の北30キロ圏内)に300キロのお米をはじめ、野菜や果物、水、漬け物などの食料、マスクやおむつ、ガスコンロなどの日用品を届けることができました。ありがとうございました!少し長くなりますが、簡単に報告したいと思います。
福島市から南相馬市に向かう途中、10台近く連なってサイレンを鳴らして走る救急車、自衛隊の衛生部隊の車両、警察の機動隊車両、そして避難する住民を載せた大型バスとひっきりなしにすれ違い、否応なしに緊迫感が伝わってきました。
物資を集積している市の体育館に着くと、大きなトラックが停まっており、水とお茶を下ろしているところでした。市長が繰り返しテレビなどに電話出演し危機的な状況を訴えてきたりしたことで、こうした支援が届き始めているようでした。このあと、僕たちも物資を車から下ろし、体育館に運びこみました。
すると、そこに一人の杖をついたおばあちゃんがやってきて、「食料が欲しいのですが、どうしたら手に入れられるのですか?」と尋ねられました。それで、市役所の職員を呼んでその方法を説明してもらったあと、僕は「おばあちゃんは、避難するつもりはないのですか?」と聞きました。すると、「私は足が悪くて障害者なので、段差があると歩けないし、(避難所で)毛布一枚で寝るのはしんどいので…」と。そして、こう言ったのです。
「もし再臨界になったら隣の街に家を借りて住もうと思っています」
再臨界とは、原発で再び核分裂の連鎖が始まり、制御不能になって暴走する最悪のシナリオです。当然、それが起こってからでは遅いし、おそらく生きていることはできない。それを伝えると、おばあちゃんは「(再臨界は)危ないんですか…」と絶句し、「考えます」と言って立ち去りました。
南相馬市は市長の決断で全市民避難を決めましたが、市役所の職員によれば、このおばあちゃんのように残る人が相当数いるだろうとのことでした。数日前の段階で約3万人が市内に残っていて、市の用意したバスに乗って避難したのは約6000人。自力で避難した人を加えても、おそらく一万人程度と思われます。つまり、まだ二万人もの人が残っている可能性があるのです。通常の物流はすべて止まっているので、この人達のいのちをつなぐ物資が必要です。
しかし、街はまるでゴーストタウンのようでした。屋内退避指示が出されているため、みんな家の中にいるからです。ときおり犬の散歩をさせている人などを見かける程度でしたが、そのなかにはマスクすらしていない人もいました。国が繰り返し「ただちに人体に影響はない」と繰り返していることで、大変な思いまでして避難しなくても大丈夫と思っている人が少なくないのです。
しかし、事態が深刻なことは警察官の服装を見るだけでよく分かります。全身防護服に防塵マスク。外から見えるのは目だけ。その上、手足の袖口までガムテープをぐるぐる巻いて放射性物質が入らないようにしています。これは彼らが内部被曝の危険性をはっきり認識している証です。テレビでは繰り返し「レントゲンと比べて…」などと説明されていますが、外部から一瞬照射されるレントゲンと違って、放射性物質が体内に入って半永久的に内臓などが被曝し続ける内部被曝は、たとえ低線量でも人体に影響を及ぼすリスクが高いのです。しかし、住民はそ
のことを知らされていない。このままでは、いや、すでに甚大な被害が出ると思います。その上、再臨界などか起こったら…。想像もしたくありません。残った人を避難させるためには、国が危険性を認めて、また最悪のケースを考えた予防措置として、避難指示を今の20キロ圏内から少なくても30キロに広
げるべきです。
この日も、海岸では400体の遺体が収容されたようです。津波被害が大きかった南相馬ですが、原発事故と屋内退避でこれまで行方不明者を捜すことも、遺体を収容することもできませんでした。これも、住民が避難を躊躇する理由になっています。まだ帰ってくるかもしれない…、遺体を置いて自分だけ離れるわけにはいかない…、やはりそういう気持ちがあるのです。
僕たちも海岸まで行ってみました。そこで見た光景は、ちょっともう言葉では言い表せない。灰色の死の世界。どこまでが陸地でどこからが海だったか分からないほど、廃墟の世界が広がっていました。
帰り、誰もいない道端に、黒い小さな可愛い犬がさまよい歩いていました。おそらく室内犬として飼われていた犬。バスで避難した人が連れていくことはできないと、置いていったのだと思います。それを見て、本当に悔しかったです。連れて帰ればよかったと、今になって悔やんでいます。
南相馬は、景色も素晴らしいし、何もなかったら本当にいいところなんだろうなと思いました。こんな
ことでふるさとを離れざるを得なくなった人達の心中を想うと、本当にやりきれない。
僕には、南相馬がこれからどういうことになっていくか、まったく想像できません。ただ言えることは、国は一刻も早く退避指示の範囲を拡大すべきです。
また状況を見て現地に行くかもしれませんが、それまでは東京で、日常生活のなかで、できることをやっていきたいと思います。
あと今回、ツイッターでつながりこの行動のきっかけとなった南相馬に住む女子高校生は、家族と一緒に無事に岩手に避難することができました。しかし、おじいちゃんだけは、国の避難指示が出るまでは残るといって来なかったそうです。
最後に、今回急な呼びかけにもかかわらず、貴重な物資などを提供していただいた全日本民医連、福島農民連をはじめ、力になっていただいた皆さまに心より御礼申し上げます。これから救援と復興は長く困難な道程になるでしょうが、そういうときだからこそ希望を持って、みんなで連携し合い協力し合って一歩一歩前に進んでいきたいと思いますので、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
俵義文です。
先日、転載した有馬理恵さん、布施祐仁さんの被災地への支援の要請を転載します。
有馬理恵です。
布施祐仁くんからのご協力お願いメールです。
以下、転送、転載お願いします!
布施祐仁(ジェーナリスト平和新聞編集長)です。
今週末もハイエースに物資を詰め込んで、福島に行こうと準備を始めています。
僕らが目指すのは、前回の南相馬と同じく原発30キロ圏内で屋内退避指示が出されている地域です(いわき市北部を検討中です)。
「屋内退避指示が出ている=危ない」という図式ができてしまって(実際は必ずしもそうではない)、孤立して物資がなかなか入ってきていないのです。
まぁ実際運べるのはホント雀の涙でしかないんですが、マスコミが一人もいない原発30キロ圏内に行って現地の状況を伝えることも、僕らの役割だと思っています。
現地で残っている人のニーズを聞いて、以下のものを持っていきたいと考えているので、ぜひ提供をお願いしたいのです!(最後に注意点あり)
・水
・野菜
・高齢者用のオムツ
・尿取りパット
・女性用の生理用品
・ポカリスエット、アクエリアスなどのスポーツ飲料
・温めるだけで食べられるパウチ式の「おかゆ」など
・ホッカイロ
で、お願いしたいのは、なるべくまとまった量でいただけるとありがたいです。できれば箱やケース単位で。というのは、現地の避難所などでは仕分けしている余裕はなく、すぐに数が把握できることが重要だからです。というと、途端にハードルが高くなってしまいますよね。なので、もちろん小ロットでもありがたく頂戴いたします。僕らは小回りがきくので、個人宅など避難所以外での活用も考えます。
救援物資は、金曜の夜必着で、日本平和委員会まで送るか、届けてください。
それではご協力よろしくお願いします!!
○物資の送り先住所は、
〒105-0014 東京都港区芝1-4-9平
和会館4階 日本平和委員会「震災救援」係
TEL 03-3451-6377
(送る前に一報ください!08032097844
salaamosir@softbank.ne.jp 布施)
○カンパでの協力も大歓迎です(笑)
<郵便振替 00100-4-83731 日本平和委員会>(※通信欄に
「震災救援」と明記してください)
以下は、有馬理恵からです。
もうご存知かも知れませんが、、、。まもなく、緊急報告会!ネットでも観れます。下記のサイトへ、ぜひとも!
3月23日(水)19:00~21:00
緊急報告 広瀬隆/広河隆一
「福島原発で何が起こっているか?
-現地報告と『原発震災』の真実」
USTREAM
http://bit.ly/ee8dNy
俵 義文(TAWARA Yoshihumi)
E-mail: tawara@dog.email.ne.jp
HP: http://www.ne.jp/asahi/tawara/goma/
~~~~~*~~~~~*~~~~~*~~
私が事務局長を努める
子どもと教科書全国ネット21
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東京都葛飾区の浄水場から0歳乳児の飲用基準の2倍に当たる放射性ヨウ素検出が発表された23日、都内の保育園や乳児院、乳飲み子を抱える母親たちはミネラルウオーターの確保に奔走した。地震直後から品薄が続いており、今後の供給を不安視する人や施設も。原発事故の影響が首都の水源にまで及び、事態の長期化を懸念する声も聞かれた。【田村佳子、木村葉子、中村美奈子、杉本修作、桐野耕一】
東京都新宿区で24時間保育をしている無認可の「たいよう保育園」では、水道水を沸かして作っていた麦茶を市販のペットボトルのものに変えた。石沢ハルノ園長は「『乳児の摂取を控えて』というが、1歳以上の子なら大丈夫という確信がない」。保護者からも心配する声が寄せられているといい、園の入り口には「水道水は使っていません」との張り紙が張られた。
葛飾区の小宅産婦人科では22日から買い置きしていたペットボトルのミネラルウオーターで粉ミルクを調乳しているが、小宅正博院長は「今日はどこに行ってもミネラルウオーターが売り切れ。この状態が長く続くなら国は産院が確実に入手できるよう対応してほしい」と要望した。
新宿区の二葉乳児院では乳幼児11人分のミルクと39人分の食事を作るための水を毎日必要としているが、都留和光施設長は「備蓄したミネラルウオーターはあと数日分。今後、数値が幼児向けの基準を超えたり、長期化したらどうなるのか」と焦りを隠さない。
全国規模で保育サービスを展開する「ポピンズコーポレーション」(本社・渋谷区)は23日午後、東京、神奈川、千葉3都県の保育所計約75カ所で、0歳児と1歳児約1000人への調乳を軟水のミネラルウオーターで行うようにした。水道水で作った麦茶はすべて捨て、おやつのイチゴをミネラルウオーターで洗った所も。
産婦人科や新生児科のある愛育病院(港区)は1本20リットルのミネラルウオーターを40~50本蓄える。約70日分に当たり、普段なら大人も飲むが、都の発表を受け乳児のミルクを作る際などだけに使うようにした。ただし、中林正雄院長は「母親が水道水を飲んでも母乳は大丈夫だし、離乳食を調理する際に水道水を使っても問題ない」と冷静だ。
千代田区のスーパー「冨士屋」では用意していた2リットル6本入りケース10箱が午後4時までの2時間で売り切れた。飲料担当の前川朝洋さん(39)は「倉庫にも在庫はなく、入荷は未定」と頭を抱えた。スーパー隣の自動販売機では、千代田区の会社員女性(38)が飲料水500ミリリットル入りペットボトル十数本を購入。「2歳の子どもがいるので、どうしても水を手に入れないといけない」と語った。
消費者団体「食のコミュニケーション円卓会議」の市川まりこ代表は「現時点では大人が水道水を飲んでも健康への影響はない。むやみにミネラルウオーターを買いだめするのはやめよう」と呼び掛けている。
毎日新聞 2011年3月24日 東京朝刊
ヤフーの掲示板より転載
日本政府と東電へ
●日本政府と東電は妊婦、乳幼児を原発現場から80キロメートル以上に至急待避をさせよ。
●ミネラルウォーターは国で買い上げ、妊婦、乳幼児宅に無料配布せよ (市民が求め創るマニフェストの会:石垣)
2011年3月19日(土)17時0分配信 夕刊フジ
米国防総省はすでに、北方軍から核、生物、化学(NBC)兵器の専門家9人を日本へ派遣。米政府は福島第1原発から半径50カイリ(約93キロ)圏内への米兵の立ち入りを原則禁じているが、9人は原発付近で放射線量の測定も行うとみられる。
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【PJニュース 2011年3月22日】フリーターの園良太氏の呼びかけで、2011年3月20日に東京都千代田区内幸町の東京電力本店前で原子力発電に対する抗議活動が行われた。東京電力本店には福島第一原発事故の統合対策本部(本部長・菅直人首相)が設置されており、連日抗議活動が行われている。議の模様は動画サイト「ユーストリーム」で中継された。
最初にマイクを握った園氏は日本政府と東京電力に対し、痛烈に批判した。これまで原発は安全であると私達一人一人を欺いておきながら、事故が起きたら「国民一丸となって頑張りましょう」と言う資格はない。政府は「冷静になって下さい」と呼びかけるが、冷静になれるわけがない。放射能は確実に東京を汚染している。日本政府と東京電力が原発を止めないことが問題である。反対の声に耳を傾けてこなかった。原発事故は一人一人の人生をズタズタに切り裂いていくものであると主張した。
抗議活動に対しては、多数の警察官が配備された。13時半頃には横断歩道を渡ろうとした女性が多数の警察官によって強制的に排除される一幕もあった。抗議者達は警察の排除に抗議した。被災者への金銭的な保障や住む場所の保証をせずに節電を呼びかけ、警察を使って抗議行動を抑え込むことは許されない。「東京電力は責任をとれ」「日本政府は責任をとれ」「今すぐ原発を止めろ」などのシュプレヒコールもなされた。警察の対応には「警察は何を守っているのか」「警察官である前に人間だろう」という感想が寄せられた。
http://www.pjnews.net/news/794/20110320_3
警察間に排除された女性は福島市に家族がいると話す。福島市では放射線量が10マイクロシーベルト/時になっている。その中で生活していることが大問題であるとした。その上で、「多くの市民が被曝している状況で、日本の警察官が行っていることしていることは何なのか」「他の人が普通に通っている道路を私達が通行できないことはおかしい」と問いかけた。
会場には「人・海・動物の命を奪う原発いらない」などと書かれたプラカードも複数掲示された。戦争や女性への暴力に反対するWomen in Blackの活動家は「時間は巻き戻せない 失った命は戻らない 核・原子力はいらない」と書かれたプラカードを掲示した。RCサクセション「サマータイムブルース」など反原発の曲も流された。別の抗議者は「上からの指示に唯々諾々と従うだけの無責任体制が今回の事故を引き起こした」と述べた。【了】
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『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者 林田力
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俳優の有馬理恵さんが台湾の「慰安婦」アマを支援するMLに投稿されたメールを多くの人に読んでほしい、知ってほしいと考え、有馬さんと布施祐仁の転載許可を得ましたので、転載します。
初めて、投稿させて頂きます。
憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」でロラ・マシンを演じさせて頂きました、劇団俳優座の有馬理恵です。
宋神道さんのご無事、憲法ミュージカルのメンバーにもお伝えさせて頂きました。
みんな本当に喜んでいました。
お知らせ頂き、本当にありがとうございます。
さて、昨日こんなことがありました。もし次の救援便が、確実に決まりましたら、改めてご連絡させて頂きます。
私の親友、布施祐仁くんが、福島原発の周辺に住む青年(未成年)のツイートの叫びを読んで、昨朝(3/19)、2歳の娘を保育園に預け、福島原発付近避難所へ物資を積んで向かいました。
布施祐仁くんを動かした青年の叫びの一部をご紹介させて下さい。
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mazinal 国なんて信じないぞ!!テレビで本当のことを流せ!!何故三号機が爆発したときに南相馬市に向かっていた自衛隊がマスクをして、消防車がサイレンを鳴らしながら戻ってくるんだ!!人を乗せるバスも何故ユーターンして戻ってくるんだ!?助けろよ!!助けてよ!!
1日前
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mazinal 拡散お願いします!! 南相馬市をどうか助けてください!! 放射能で行政も入ってきません!!そこの地区の人たちは使命感にかられて残っています!! しかし、中にはガソリンさえあれば逃げたい人だっています!! 彼や彼女たちに逃げる術を授けてください!!
約21時間前
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mazinal 大丈夫なところばかりながすな!!現実をながしてくれ!! 相馬市なんかは放射能を浴びながら津波でなくなった人の死体をかたずけてるんだ!! しかもテレビでやってる放射能どこの問題じゃない!! 私はなにも出来ない未成年だ!!だから皆助けてくれ!!
約9時間前
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mazinal 放射能が大丈夫なら何故国は私達を助けにこない!!??おかしいだろ!!助けてくれ!!見殺しにしないでくれ!!
約9時間前
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mazinal 放射能はもうあの30キロだけの話じゃなくなっている!!相馬市でも放射能は凄いんだ!!で
も、南相馬市でも、相馬市でも津波の被害は大きくて放射能を浴びながら死体を片付けているんだ!!
8分前
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mazinal あの避難地域30キロはなにかっていうと国が遠まわしにここしか補償しませんよ。というメッセージのようにしか感じられない!!
7分前
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mazinal 家もなく、車もなく、車があってもガソリンなく、私の友達のお母さんは避難出来ないことを息子に泣きながら謝ってるんだぞ!!母親に泣かれるのはつらいのは皆同じだろ!!残ってる人たちだって皆と同じような家族なんだ!!お願いだから自分のように考えてくれ!!
3分前
布施祐仁くんの報告です。
昨夜、福島より帰ってきました。皆さまの協力で何とか南相馬市(原発の北30キロ圏内)に300キロのお米をはじめ、野菜や果物、水、漬け物などの食料、マスクやおむつ、ガスコンロなどの日用品を届けることができました。ありがとうございました!少し長くなりますが、簡単に報告したいと思います。
福島市から南相馬市に向かう途中、10台近く連なってサイレンを鳴らして走る救急車、自衛隊の衛生部隊の車両、警察の機動隊車両、そして避難する住民を載せた大型バスとひっきりなしにすれ違い、否応なしに緊迫感が伝わってきました。
物資を集積している市の体育館に着くと、大きなトラックが停まっており、水とお茶を下ろしているところでした。市長が繰り返しテレビなどに電話出演し危機的な状況を訴えてきたりしたことで、こうした支援が届き始めているようでした。このあと、僕たちも物資を車から下ろし、体育館に運びこみました。
すると、そこに一人の杖をついたおばあちゃんがやってきて、「食料が欲しいのですが、どうしたら手に入れられるのですか?」と尋ねられました。それで、市役所の職員を呼んでその方法を説明してもらったあと、僕は「おばあちゃんは、避難するつもりはないのですか?」と聞きました。すると、「私は足が悪くて障害者なので、段差があると歩けないし、(避難所で)毛布一枚で寝るのはしんどいので…」と。そして、こう言ったのです。
「もし再臨界になったら隣の街に家を借りて住もうと思っています」
再臨界とは、原発で再び核分裂の連鎖が始まり、制御不能になって暴走する最悪のシナリオです。当然、それが起こってからでは遅いし、おそらく生きていることはできない。それを伝えると、おばあちゃんは「(再臨界は)危ないんですか…」と絶句し、「考えます」と言って立ち去りました。
南相馬市は市長の決断で全市民避難を決めましたが、市役所の職員によれば、このおばあちゃんのように残る人が相当数いるだろうとのことでした。数日前の段階で約3万人が市内に残っていて、市の用意したバスに乗って避難したのは約6000人。自力で避難した人を加えても、おそらく一万人程度と思われます。つまり、まだ二万人もの人が残っている可能性があるのです。通常の物流はすべて止まっているので、この人達のいのちをつなぐ物資が必要です。
しかし、街はまるでゴーストタウンのようでした。屋内退避指示が出されているため、みんな家の中にいるからです。ときおり犬の散歩をさせている人などを見かける程度でしたが、そのなかにはマスクすらしていない人もいました。国が繰り返し「ただちに人体に影響はない」と繰り返していることで、大変な思いまでして避難しなくても大丈夫と思っている人が少なくないのです。
しかし、事態が深刻なことは警察官の服装を見るだけでよく分かります。全身防護服に防塵マスク。外から見えるのは目だけ。その上、手足の袖口までガムテープをぐるぐる巻いて放射性物質が入らないようにしています。これは彼らが内部被曝の危険性をはっきり認識している証です。テレビでは繰り返し「レントゲンと比べて…」などと説明されていますが、外部から一瞬照射されるレントゲンと違って、放射性物質が体内に入って半永久的に内臓などが被曝し続ける内部被曝は、たとえ低線量でも人体に影響を及ぼすリスクが高いのです。しかし、住民はそ
のことを知らされていない。このままでは、いや、すでに甚大な被害が出ると思います。その上、再臨界などか起こったら…。想像もしたくありません。残った人を避難させるためには、国が危険性を認めて、また最悪のケースを考えた予防措置として、避難指示を今の20キロ圏内から少なくても30キロに広
げるべきです。
この日も、海岸では400体の遺体が収容されたようです。津波被害が大きかった南相馬ですが、原発事故と屋内退避でこれまで行方不明者を捜すことも、遺体を収容することもできませんでした。これも、住民が避難を躊躇する理由になっています。まだ帰ってくるかもしれない…、遺体を置いて自分だけ離れるわけにはいかない…、やはりそういう気持ちがあるのです。
僕たちも海岸まで行ってみました。そこで見た光景は、ちょっともう言葉では言い表せない。灰色の死の世界。どこまでが陸地でどこからが海だったか分からないほど、廃墟の世界が広がっていました。
帰り、誰もいない道端に、黒い小さな可愛い犬がさまよい歩いていました。おそらく室内犬として飼われていた犬。バスで避難した人が連れていくことはできないと、置いていったのだと思います。それを見て、本当に悔しかったです。連れて帰ればよかったと、今になって悔やんでいます。
南相馬は、景色も素晴らしいし、何もなかったら本当にいいところなんだろうなと思いました。こんな
ことでふるさとを離れざるを得なくなった人達の心中を想うと、本当にやりきれない。
僕には、南相馬がこれからどういうことになっていくか、まったく想像できません。ただ言えることは、国は一刻も早く退避指示の範囲を拡大すべきです。
また状況を見て現地に行くかもしれませんが、それまでは東京で、日常生活のなかで、できることをやっていきたいと思います。
あと今回、ツイッターでつながりこの行動のきっかけとなった南相馬に住む女子高校生は、家族と一緒に無事に岩手に避難することができました。しかし、おじいちゃんだけは、国の避難指示が出るまでは残るといって来なかったそうです。
最後に、今回急な呼びかけにもかかわらず、貴重な物資などを提供していただいた全日本民医連、福島農民連をはじめ、力になっていただいた皆さまに心より御礼申し上げます。これから救援と復興は長く困難な道程になるでしょうが、そういうときだからこそ希望を持って、みんなで連携し合い協力し合って一歩一歩前に進んでいきたいと思いますので、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
俵義文です。
先日、転載した有馬理恵さん、布施祐仁さんの被災地への支援の要請を転載します。
有馬理恵です。
布施祐仁くんからのご協力お願いメールです。
以下、転送、転載お願いします!
布施祐仁(ジェーナリスト平和新聞編集長)です。
今週末もハイエースに物資を詰め込んで、福島に行こうと準備を始めています。
僕らが目指すのは、前回の南相馬と同じく原発30キロ圏内で屋内退避指示が出されている地域です(いわき市北部を検討中です)。
「屋内退避指示が出ている=危ない」という図式ができてしまって(実際は必ずしもそうではない)、孤立して物資がなかなか入ってきていないのです。
まぁ実際運べるのはホント雀の涙でしかないんですが、マスコミが一人もいない原発30キロ圏内に行って現地の状況を伝えることも、僕らの役割だと思っています。
現地で残っている人のニーズを聞いて、以下のものを持っていきたいと考えているので、ぜひ提供をお願いしたいのです!(最後に注意点あり)
・水
・野菜
・高齢者用のオムツ
・尿取りパット
・女性用の生理用品
・ポカリスエット、アクエリアスなどのスポーツ飲料
・温めるだけで食べられるパウチ式の「おかゆ」など
・ホッカイロ
で、お願いしたいのは、なるべくまとまった量でいただけるとありがたいです。できれば箱やケース単位で。というのは、現地の避難所などでは仕分けしている余裕はなく、すぐに数が把握できることが重要だからです。というと、途端にハードルが高くなってしまいますよね。なので、もちろん小ロットでもありがたく頂戴いたします。僕らは小回りがきくので、個人宅など避難所以外での活用も考えます。
救援物資は、金曜の夜必着で、日本平和委員会まで送るか、届けてください。
それではご協力よろしくお願いします!!
○物資の送り先住所は、
〒105-0014 東京都港区芝1-4-9平
和会館4階 日本平和委員会「震災救援」係
TEL 03-3451-6377
(送る前に一報ください!08032097844
salaamosir@softbank.ne.jp 布施)
○カンパでの協力も大歓迎です(笑)
<郵便振替 00100-4-83731 日本平和委員会>(※通信欄に
「震災救援」と明記してください)
以下は、有馬理恵からです。
もうご存知かも知れませんが、、、。まもなく、緊急報告会!ネットでも観れます。下記のサイトへ、ぜひとも!
3月23日(水)19:00~21:00
緊急報告 広瀬隆/広河隆一
「福島原発で何が起こっているか?
-現地報告と『原発震災』の真実」
USTREAM
http://bit.ly/ee8dNy
俵 義文(TAWARA Yoshihumi)
E-mail: tawara@dog.email.ne.jp
HP: http://www.ne.jp/asahi/tawara/goma/
~~~~~*~~~~~*~~~~~*~~
私が事務局長を努める
子どもと教科書全国ネット21
℡:03-3265-7606 Fax:03-3239-8590
E-mail: kyokashonet@a.email.ne.jp
HP: http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/
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この世の地獄!イレッサ訴訟・731部隊・南京大虐殺
1938年3月24日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●イレッサ訴訟・・今の薬事行政はどうなっているのだろうか?
イレッサ訴訟、東京地裁は国の責任認定
肺がん治療薬「イレッサ」(一般名・ゲフィチニブ)の服用後に副作用の重い肺炎で死亡した患者3人の遺族4人が、国と輸入販売元の製薬会社「アストラゼネカ」(大阪市)に計7700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、東京地裁であった。
松並重雄裁判長は「重い副作用が起きる可能性があると認識しながら、十分な措置を講じなかった」として国とア社の責任を認定し、患者2人の遺族2人に対して計1760万円を賠償するよう命じた。国とア社は控訴を検討する。
副作用で死亡した患者が昨年9月末現在で819人(厚生労働省調べ)に上るイレッサを巡る訴訟で、国の責任を認めた判決は初めて。大阪地裁は2月、国の責任は認めず、ア社のみに賠償を命じていた。
東京地裁の訴訟では、国が2002年の承認にあたり、ア社に副作用の「間質性肺炎」について注意喚起するよう十分な指導をしていたかが主な争点となった。
ア社は国の指導を受け、添付文書の「重大な副作用」欄で、重度の下痢や肝機能障害などに続く4番目に間質性肺炎の可能性を記載したが、判決は「警告欄に記載するか、他の副作用よりも前に記載するよう指導すべきだった」と指摘。ア社については、「安全性確保のための情報提供が不十分だった」と判断した。
この訴訟で、東京・大阪両地裁は1月、和解を勧告。原告側は受け入れを表明したが、国とア社は拒否した。
(2011年3月23日15時12分 読売新聞)
憲法情報Now<憲法関連裁判情報>
薬害イレッサ訴訟
T・O記
薬害イレッサ訴訟とは、抗がん剤イレッサの副作用によって、間質性肺炎などを発症し、死亡した肺がん患者の遺族が、イレッサを販売したアストラゼネカ社と、イレッサを承認した国を相手に、損害賠償を請求している事件です。
イレッサとは、「副作用が少なく、手軽に自宅でも職場でも少しの水で服用出来て、奏効率は従来の抗がん剤と比較すると何倍も高い」などの宣伝文句で登場し、肺がん患者の希望の薬となりました。2002年8月に発売され、2カ月の間に、1万人以上の患者に投与されました。しかし、その間に、125名に副作用の症状が現れ、うち39名が死亡しました。日が経つにつれ、重篤患者、死者の数は増え続け、2004年3月までの間に、3万5千人の患者に投与され、死者は444名にのぼっています。
では、なぜこのような薬が承認されたのでしょうか。新薬の承認は、非臨床試験と、臨床試験を通過して、初めてなされます。非臨床試験は、ラットなどの動物に投与して行われます。臨床試験は、人に対して行われます。そして通常、以下のようになされます。第一段階として、健康な成人に投与して、安全性を確認します。第二段階として、対象疾患の患者さんのごく少数に投与して、効果の範囲や、適正な量を調べます。そして第三段階として、有効性と安全性を確かめるために、一定規模の患者さんに対して投与し、効果や安全性の最終確認をします。そして厚生労働大臣の承認を経て、初めて薬として市場への流通が認められます。
ところが、抗がん剤については、第二段階で効果が認められれば、第三段階を経ないまま、承認される仕組みになっています。しかも、第二段階で認められる効果は、治癒率や延命効果ではなく、一ヶ月の間に腫瘍の大きさが半分以下になる症例が一定程度あればよい、とされているのです。また、薬事法第14条7項は、当該医薬品の対象疾患が重篤であり、かつ既存の医薬品と比較して有効性または安全性が医療上明らかに優れていると認められるときは、申出により優先審査品目とすることができるとしています。そして、イレッサはその対象が肺がんであることから、この制度の対象とされて、後で述べるように、拙速でずさんな審査が行われたのです。2002年1月25日に承認申請され、半年も経たない同年7月5日に承認がなされました。
さらに、イレッサの臨床試験において、データの改ざん・無視がなされていました。まず、臨床試験に当たっていた医者が、副作用と見られる間質性肺炎を確認し、その症状について、死亡の恐れがあることを示す「グレード4」で報告したにもかかわらず、会社は、承認審査のための報告書に、生命の危険のない「グレード3」と記載していました。また、動物実験でも、肺障害の悪化が確認されたにもかかわらず、その学会報告を中止し、厚生労働省への報告も承認後までしていませんでした。この他にも、いくつものデータの改ざん・無視があったそうです。
国の審査もずさんなものでした。たとえば、被告アストラゼネカ社は、海外で行われた臨床試験において、イレッサを投与された患者約1万9千人のうち、重篤な副作用が疑われた患者として196人を厚生労働省に報告しました。このうち死者は55人で、この中には間質性肺炎や急性肺障害の疑いのある死者12人も含まれていました。しかし承認審査を担当した厚生労働省の医薬品医療機器審査センタ-は、海外からの副作用報告について、アストラゼネカ社にそのデータを求めておらず、副作用かどうかの判断を事実上棚上げし、審査報告書にも盛り込みませんでした。
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「われ、ハルピンを脱出せず」
私は、戦闘の激化と部隊の移動に伴ない、ハルピンから、朱河、延寿、一面坡などを転戦した。設備も薬も人員も不足だらけの野戦での傷病兵の手当ては、想像を絶する困難を伴なった。大きな戦闘の後には、1度に200名ほどの負傷者がどっと後送されてくるのである。それこそ寝食を忘れて、治療に当たらねばならなかった。
八路軍と行を共にし始めてから6ヵ月後、私は、妻を喪った。
当時の八路軍にあっては、兵士の家族も部隊とともに行動した。鍋釜を持った家族が部隊の後からついて行くのである。旧日本軍に比べると、実際八路軍は奇妙な軍隊であった。山岳部で煙草を仕入れ、町に進駐するとそれを売って商売したりもする。軍隊そのものが、自律的な生産単位であったのである。
私も、妻を連れて転戦していた。元来あまり身体が丈夫でなかった妻は、強行軍の中で、ついに病に倒れてしまった。そして、昭和21年12月、一面坡から森林鉄道でさらに山奥に入った地点で、短い生涯を閉じた。肺結核であった。
私は、医者として、夫として、そばに付き添っていながらも、何もしてやれぬ自分に、何とも言い知れぬ腹立ちと哀しみを覚えざるを得なかった。
東北地方を舞台とした国共内戦が、一段落すると、私は病院勤務を離れて、専らソ連医学書の翻訳に従事することになった。ここでも、ロシア語が役に立った。昭和23年5月、軍事衛生部翻訳処に勤務、ついで翌24年4月には、東北人民政府衛生部翻訳処に移った。当時の中国は、ソ連一辺倒の政策をとっており、医学の分野においても、それは例外ではなかったのである。
※当時の八路軍の戦い方は、大変だっただろう。自律的な生産単位とは言っても、家族まで行動を共にするとは、私には考えられない。狙われなかったのだろうか?
肺結核になって、行動を共にしていたら、療養どころではないだろう?
●3月26日(土)午後1時半~5時 以下のような学習会が予定されています。予定のつく方はどうぞ!!場所:中野区勤労福祉会館3階大会議室
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
(1)12月14日―兵士らがアメリカの国旗を引き下ろし、わが金陵大学[the University of Nanking]の農業経済系(小桃園)[Agricultural Economics Department(Hsiao T’ao Yuan)の正門に貼りだしてあった、アメリカ大使館の掲示を引き破り、そこに住んでいる教師と助手とから強奪し、しかも鍵を探してくるのを待たずに、戸を幾つもこじ開けた。
(2)12月15日―上記の地点には兵士が数回やって来て、そこに収容されている難民から現金とその他の物品とを奪い取り、女の人も奪い去って行った。
(3)12月15日―平民[common people]を1500人収容しているわれらが新しい図書館で、婦女が4人強姦された。3人奪い去られてまだもどってきてなく、1人は奪い去られたが貴館の近くで日本の憲兵により釈放された。兵士たちのこの類の行動が、その婦女たちの家庭と近隣ないしはその地区に、絶大なる苦痛と恐怖とをもたらしている。今日午前中に私は、安全区のその他の所で100件余り、類似した凶暴行為が起きているとの、報告に接した。それらの事例は、私の働きの範囲外のものではあるが、それをここに言及するゆえんは、貴館に近いこの大学の問題が、兵士たちによって人々の間でほしいままにされている、略奪と強姦という巨大な災難の一例に過ぎないことを、示すにある。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●イレッサ訴訟・・今の薬事行政はどうなっているのだろうか?
イレッサ訴訟、東京地裁は国の責任認定
肺がん治療薬「イレッサ」(一般名・ゲフィチニブ)の服用後に副作用の重い肺炎で死亡した患者3人の遺族4人が、国と輸入販売元の製薬会社「アストラゼネカ」(大阪市)に計7700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、東京地裁であった。
松並重雄裁判長は「重い副作用が起きる可能性があると認識しながら、十分な措置を講じなかった」として国とア社の責任を認定し、患者2人の遺族2人に対して計1760万円を賠償するよう命じた。国とア社は控訴を検討する。
副作用で死亡した患者が昨年9月末現在で819人(厚生労働省調べ)に上るイレッサを巡る訴訟で、国の責任を認めた判決は初めて。大阪地裁は2月、国の責任は認めず、ア社のみに賠償を命じていた。
東京地裁の訴訟では、国が2002年の承認にあたり、ア社に副作用の「間質性肺炎」について注意喚起するよう十分な指導をしていたかが主な争点となった。
ア社は国の指導を受け、添付文書の「重大な副作用」欄で、重度の下痢や肝機能障害などに続く4番目に間質性肺炎の可能性を記載したが、判決は「警告欄に記載するか、他の副作用よりも前に記載するよう指導すべきだった」と指摘。ア社については、「安全性確保のための情報提供が不十分だった」と判断した。
この訴訟で、東京・大阪両地裁は1月、和解を勧告。原告側は受け入れを表明したが、国とア社は拒否した。
(2011年3月23日15時12分 読売新聞)
憲法情報Now<憲法関連裁判情報>
薬害イレッサ訴訟
T・O記
薬害イレッサ訴訟とは、抗がん剤イレッサの副作用によって、間質性肺炎などを発症し、死亡した肺がん患者の遺族が、イレッサを販売したアストラゼネカ社と、イレッサを承認した国を相手に、損害賠償を請求している事件です。
イレッサとは、「副作用が少なく、手軽に自宅でも職場でも少しの水で服用出来て、奏効率は従来の抗がん剤と比較すると何倍も高い」などの宣伝文句で登場し、肺がん患者の希望の薬となりました。2002年8月に発売され、2カ月の間に、1万人以上の患者に投与されました。しかし、その間に、125名に副作用の症状が現れ、うち39名が死亡しました。日が経つにつれ、重篤患者、死者の数は増え続け、2004年3月までの間に、3万5千人の患者に投与され、死者は444名にのぼっています。
では、なぜこのような薬が承認されたのでしょうか。新薬の承認は、非臨床試験と、臨床試験を通過して、初めてなされます。非臨床試験は、ラットなどの動物に投与して行われます。臨床試験は、人に対して行われます。そして通常、以下のようになされます。第一段階として、健康な成人に投与して、安全性を確認します。第二段階として、対象疾患の患者さんのごく少数に投与して、効果の範囲や、適正な量を調べます。そして第三段階として、有効性と安全性を確かめるために、一定規模の患者さんに対して投与し、効果や安全性の最終確認をします。そして厚生労働大臣の承認を経て、初めて薬として市場への流通が認められます。
ところが、抗がん剤については、第二段階で効果が認められれば、第三段階を経ないまま、承認される仕組みになっています。しかも、第二段階で認められる効果は、治癒率や延命効果ではなく、一ヶ月の間に腫瘍の大きさが半分以下になる症例が一定程度あればよい、とされているのです。また、薬事法第14条7項は、当該医薬品の対象疾患が重篤であり、かつ既存の医薬品と比較して有効性または安全性が医療上明らかに優れていると認められるときは、申出により優先審査品目とすることができるとしています。そして、イレッサはその対象が肺がんであることから、この制度の対象とされて、後で述べるように、拙速でずさんな審査が行われたのです。2002年1月25日に承認申請され、半年も経たない同年7月5日に承認がなされました。
さらに、イレッサの臨床試験において、データの改ざん・無視がなされていました。まず、臨床試験に当たっていた医者が、副作用と見られる間質性肺炎を確認し、その症状について、死亡の恐れがあることを示す「グレード4」で報告したにもかかわらず、会社は、承認審査のための報告書に、生命の危険のない「グレード3」と記載していました。また、動物実験でも、肺障害の悪化が確認されたにもかかわらず、その学会報告を中止し、厚生労働省への報告も承認後までしていませんでした。この他にも、いくつものデータの改ざん・無視があったそうです。
国の審査もずさんなものでした。たとえば、被告アストラゼネカ社は、海外で行われた臨床試験において、イレッサを投与された患者約1万9千人のうち、重篤な副作用が疑われた患者として196人を厚生労働省に報告しました。このうち死者は55人で、この中には間質性肺炎や急性肺障害の疑いのある死者12人も含まれていました。しかし承認審査を担当した厚生労働省の医薬品医療機器審査センタ-は、海外からの副作用報告について、アストラゼネカ社にそのデータを求めておらず、副作用かどうかの判断を事実上棚上げし、審査報告書にも盛り込みませんでした。
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「われ、ハルピンを脱出せず」
私は、戦闘の激化と部隊の移動に伴ない、ハルピンから、朱河、延寿、一面坡などを転戦した。設備も薬も人員も不足だらけの野戦での傷病兵の手当ては、想像を絶する困難を伴なった。大きな戦闘の後には、1度に200名ほどの負傷者がどっと後送されてくるのである。それこそ寝食を忘れて、治療に当たらねばならなかった。
八路軍と行を共にし始めてから6ヵ月後、私は、妻を喪った。
当時の八路軍にあっては、兵士の家族も部隊とともに行動した。鍋釜を持った家族が部隊の後からついて行くのである。旧日本軍に比べると、実際八路軍は奇妙な軍隊であった。山岳部で煙草を仕入れ、町に進駐するとそれを売って商売したりもする。軍隊そのものが、自律的な生産単位であったのである。
私も、妻を連れて転戦していた。元来あまり身体が丈夫でなかった妻は、強行軍の中で、ついに病に倒れてしまった。そして、昭和21年12月、一面坡から森林鉄道でさらに山奥に入った地点で、短い生涯を閉じた。肺結核であった。
私は、医者として、夫として、そばに付き添っていながらも、何もしてやれぬ自分に、何とも言い知れぬ腹立ちと哀しみを覚えざるを得なかった。
東北地方を舞台とした国共内戦が、一段落すると、私は病院勤務を離れて、専らソ連医学書の翻訳に従事することになった。ここでも、ロシア語が役に立った。昭和23年5月、軍事衛生部翻訳処に勤務、ついで翌24年4月には、東北人民政府衛生部翻訳処に移った。当時の中国は、ソ連一辺倒の政策をとっており、医学の分野においても、それは例外ではなかったのである。
※当時の八路軍の戦い方は、大変だっただろう。自律的な生産単位とは言っても、家族まで行動を共にするとは、私には考えられない。狙われなかったのだろうか?
肺結核になって、行動を共にしていたら、療養どころではないだろう?
●3月26日(土)午後1時半~5時 以下のような学習会が予定されています。予定のつく方はどうぞ!!場所:中野区勤労福祉会館3階大会議室
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
(1)12月14日―兵士らがアメリカの国旗を引き下ろし、わが金陵大学[the University of Nanking]の農業経済系(小桃園)[Agricultural Economics Department(Hsiao T’ao Yuan)の正門に貼りだしてあった、アメリカ大使館の掲示を引き破り、そこに住んでいる教師と助手とから強奪し、しかも鍵を探してくるのを待たずに、戸を幾つもこじ開けた。
(2)12月15日―上記の地点には兵士が数回やって来て、そこに収容されている難民から現金とその他の物品とを奪い取り、女の人も奪い去って行った。
(3)12月15日―平民[common people]を1500人収容しているわれらが新しい図書館で、婦女が4人強姦された。3人奪い去られてまだもどってきてなく、1人は奪い去られたが貴館の近くで日本の憲兵により釈放された。兵士たちのこの類の行動が、その婦女たちの家庭と近隣ないしはその地区に、絶大なる苦痛と恐怖とをもたらしている。今日午前中に私は、安全区のその他の所で100件余り、類似した凶暴行為が起きているとの、報告に接した。それらの事例は、私の働きの範囲外のものではあるが、それをここに言及するゆえんは、貴館に近いこの大学の問題が、兵士たちによって人々の間でほしいままにされている、略奪と強姦という巨大な災難の一例に過ぎないことを、示すにある。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2011年3月23日水曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
1938年3月23日 南京では日本軍の虐殺が続いていた!!
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「われ、ハルピンを脱出せず」
そのためには、いかなる経歴といえども、とにかく医師を確保したかったというのが本音であった。
こうして昭和21年5月、私は八路軍軍医となり、松江軍区後方病院(延寿)に勤務することになった。
私が八路軍に入ってからの戦況を、東北(旧満州)地方について概観すると、次のようになる。5月23日、国民党軍は長春(旧新京)を、ついで28日には吉林を占領。東北民主連軍総司令官林彪は、9月、長春、四平街、鉄嶺、鞍山など国民党軍占領下の諸都市への総攻撃を指令。11月30日、東北民主連軍、10個師をもって長春を攻撃。
翌昭和22年1月6日、国民党軍20万、松花江を渡河、長春周辺を攻撃。5月10日、東北民主連軍、吉林攻撃を開始。5月21日、東北民主連軍、長春に突入。7月10日、民主連軍総司令部コミュニケ発表―7月1日までに全東北地域、人口過半数、鉄道の3分の2を支配、遼寧省県城20、河北省7、熱河省5、吉林省4を占領。12月31日、東北民主連軍、「東北人民解放軍」と改称。
昭和23年3月9日、東北人民解放軍、吉林を解放。10月19日、長春を解放。11月1日、豊北人民解放軍、包囲戦の後、瀋陽(旧奉天)総攻撃、入城。以後、主戦場は、華北以南へと移る。
※日中戦争後の中国も内戦で混乱し、人々の生活も大変だったようだ!!八路軍は731部隊等の情報収集どころではなかった。今度は同じ中国人を相手に戦った!!悲惨といえば悲惨だ!!
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
12月16日
私は非公式に、貴大使館のそば近くにある大学の財産に関わる、公共の安全と秩序の問題で、貴殿に注意を喚起します。私たちは誰しも、皇軍は一般公民を傷つけようとはしないとの、日本当局の公式な言明を聞き承知しておりますし、日本側から権限を授けられたいかなる政府も、平和な生活を回復し得るようにと願っております。けれども今この時点では、一般市民の苦痛と恐怖とははなはだ著しいものがあります。以下に述べます事例は、貴館のすぐ近くの金陵大学のキャンパスで起こったもので、他の多くの事例は、私たちの病院と付属中学、並びに付近の農業専修科学校で起こったものであります。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?
「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
新しい日本!!
「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
●731部隊
『【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
V 私は中国軍の捕虜だった
総務部調査課翻訳(情報)班 H・M
「われ、ハルピンを脱出せず」
そのためには、いかなる経歴といえども、とにかく医師を確保したかったというのが本音であった。
こうして昭和21年5月、私は八路軍軍医となり、松江軍区後方病院(延寿)に勤務することになった。
私が八路軍に入ってからの戦況を、東北(旧満州)地方について概観すると、次のようになる。5月23日、国民党軍は長春(旧新京)を、ついで28日には吉林を占領。東北民主連軍総司令官林彪は、9月、長春、四平街、鉄嶺、鞍山など国民党軍占領下の諸都市への総攻撃を指令。11月30日、東北民主連軍、10個師をもって長春を攻撃。
翌昭和22年1月6日、国民党軍20万、松花江を渡河、長春周辺を攻撃。5月10日、東北民主連軍、吉林攻撃を開始。5月21日、東北民主連軍、長春に突入。7月10日、民主連軍総司令部コミュニケ発表―7月1日までに全東北地域、人口過半数、鉄道の3分の2を支配、遼寧省県城20、河北省7、熱河省5、吉林省4を占領。12月31日、東北民主連軍、「東北人民解放軍」と改称。
昭和23年3月9日、東北人民解放軍、吉林を解放。10月19日、長春を解放。11月1日、豊北人民解放軍、包囲戦の後、瀋陽(旧奉天)総攻撃、入城。以後、主戦場は、華北以南へと移る。
※日中戦争後の中国も内戦で混乱し、人々の生活も大変だったようだ!!八路軍は731部隊等の情報収集どころではなかった。今度は同じ中国人を相手に戦った!!悲惨といえば悲惨だ!!
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
① 731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
②731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
③細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
④731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
⑤細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
⑥細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本大使館宛の書簡(1937年12月16日~27日)
12月16日
私は非公式に、貴大使館のそば近くにある大学の財産に関わる、公共の安全と秩序の問題で、貴殿に注意を喚起します。私たちは誰しも、皇軍は一般公民を傷つけようとはしないとの、日本当局の公式な言明を聞き承知しておりますし、日本側から権限を授けられたいかなる政府も、平和な生活を回復し得るようにと願っております。けれども今この時点では、一般市民の苦痛と恐怖とははなはだ著しいものがあります。以下に述べます事例は、貴館のすぐ近くの金陵大学のキャンパスで起こったもので、他の多くの事例は、私たちの病院と付属中学、並びに付近の農業専修科学校で起こったものであります。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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