731を問う!!
2009年8月5日水曜日
こんな教科書が採択されていいのか!!
朝日新聞(09.8.4夕刊)の記事を転載します。
「つくる会」主導の歴史教科書、横浜市の8区で採択
2009年8月4日13時24分
横浜市教育委員会(今田忠彦委員長、6人)は4日、来春から市内全18区のうち8区の市立中学校で使う歴史教科書について、「新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編集された自由社版を採択することを決めた。同市の公立中で「つくる会」主導の教科書が採択されるのは初めて。全145の市立中のうち計71校(在校生徒数約3万9千人)が対象になる。
「つくる会」主導の歴史教科書をめぐっては、路線対立などによる分裂により、当初からの扶桑社版と、今春検定に合格した自由社版という、ほぼ同じ内容の二つが並立する状態になっている。現在、「つくる会」主導の教科書を採択しているのは、東京都杉並区、東京都(都立校のみ)などの5教委で、いずれも扶桑社版。今回の横浜市8区はこれまでで最大の採択規模になる。
この日の教育委員会では、自由社版について委員から「中身が濃くて、読み物として楽しい」などの意見が出た。市教委の事務局案を踏まえて各委員が投票した結果、港南、旭、金沢、港北、緑、青葉、都筑、瀬谷の計8区で自由社版の歴史教科書が採択された。
今田委員長は「正しい歴史認識に基づく教科書を選びたい。自由社の教科書は内容に深みがあって、例えば日露戦争の記述では愛情を持った表現が多かった」などと評価した。
横浜市の前回05年の採択の際は、当時委員だった今田委員長が1人だけ、扶桑社版について「自国を愛し、繁栄と平和を図る上で効果的」と唱えた経緯がある。委員長を含む教育委員6人は、中田宏・横浜市長が市議会の同意を得て任命する。前回採択時の委員のうち、5人はその後の人事で退いたが、今田氏は残り、06年7月、教育委員長に選ばれた。
これに抗議する声明
【談話】横浜市教育委員会の自由社版歴史教科書採択に対して、
断固として抗議し、採択の撤回、採択手続きのやり直しを要求する
俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
横浜市教育委員会は、本日8月4日、新しい歴史教科書をつくる会(「つくる会」)編集の自由社版歴史教科書を市内18採択地区中8地区(港南・旭・金沢・港北・緑・青葉・都築・瀬谷、145校中71校)に採択した。私たちはこの暴挙に怒りを込めて抗議し、採択の撤回・やり直しを要求する。
自由社版歴史教科書は、極めて問題の多い扶桑社版教科書の「複写」教科書であり、ほとんど同じ内容の教科書である。したがって、自由社版は扶桑社版の問題点をそのまま引き継いでいる上、戦争の美化・正当化をいっそう色濃くしている。この教科書は、日本の歴史を天皇中心に描いている。また、日本の植民地支配や侵略戦争を正当化・美化し、日本の戦争の加害や被害をほとんど書いていない。戦争そのものを正当化し、日本国憲法を敵視し、平和や人権をないがしろにしている。歪曲した歴史を子どもたちに刷り込むことによって、子どもたちを「戦争をする国」の忠実な国民に育てることをねらいとするものである。
こんな教科書を使うことになる約13,000人の横浜の中学生は、国際都市横浜の子どもとしてふさわしくない歴史、歪曲した間違った歴史を学ばされ、アジアを蔑視する歴史観を身につけることになりかねない。
さらに自由社版教科書は、きわめて無責任でずさんな編集によってつくられたために、扶桑社版の間違いに加えて、新たな不適切な内容や誤字誤植がたくさある。しかも、文字が小さくルビなどはほとんど読めない、資料の図版などへの斜体文字の多様や色つきの紋様(地紋)の上から印刷するなど趣味的な編集のために読みづらく、教科書としての使用に堪えないものである。こうした内容以前の問題からみても、この教科書で学ばされることになる横浜の子どもたちの学習にとっては重大な問題だといえる。
横浜市教育委員会は、こうした多くの誤りのある教科書を今後さらに2年間、子どもたちに使わせることを決定したわけである。
加えて、「つくる会」は06年に分裂し、扶桑社版教科書の著作権をめぐって裁判で争うなどの醜い抗争をつづけている。子どもや教育そっちのけで争いを続けている無責任な団体が編集した教科書を採択したことは、子どもたちの教育を考えても重大な問題である。
東京都・滋賀県・愛媛県・杉並区・大田原市の教育委員会が、2005年に扶桑社版教科書を採択したことに対して、当該地域はもとより日本各地の市民や諸団体、韓国をはじめアジアの人びとや団体から、多くの抗議や批判が寄せられてきた。さらに、今回の採択にあたっても、横浜市民・神奈川県民をはじめ全国各地から、さらにはアジアから、多くの人びとや団体が、扶桑社版・自由社版を採択しないことを求める要請を多数寄せていた。しかし、横浜市教育委員会はこうした声を完全に無視して、扶桑社版・自由社版の採択を強行した。
今回の採択には不正の疑惑もある。今年3月頃から、横浜市教育委員会の今田忠彦委員長と藤岡信勝「つくる会」会長が何回も会い、今田氏が藤岡氏に自由社版教科書を採択するという内諾を与え、そのことを「市執行部や議会の一部幹部にも報告済み」「『つくる会』の限られた幹部も『今田さんと話が付いている』と話している」という内部情報があった。今回の採択を主導したと思われる今田委員長は、4年前にただ一人扶桑社版を絶賛し、扶桑社版の採択を強く主張していた。同じ「つくる会」教科書でも、扶桑社版ではなく自由社版を採択したというのは、この情報が事実であることを裏付けるものである。これが事実だとすれば、今回の採択は不公正であり、不正なものだといえる。何故なら、「つくる会」はこの教科書を編集しただけではなく、事実上の発行事業者であり、その責任者と事前に打ち合わせを行ったというのは、明らかな不正であり、不公正な採択だといえよう。
この教科書を採択した教育委員はすべて、「つくる会」教科書を支持してきた中田宏横浜市長が任命した委員である。その意味では中田市長の責任も問われかねないといえる。
横浜市の教育に責任を負う教育委員会が、子どもや教育のことを考慮しないで、政治的な判断のみで「つくる会」教科書を採択した“非教育的”で無責任な所業に対し、心からの怒りを禁じえない。私たちはこの暴挙に対し、断固として抗議するとともに、採択の撤回・やり直しを要求するものである。
以上。
子どもと教科書全国ネット21
代表委員:石田米子・尾山宏・小森陽一・高嶋伸欣・田港朝昭・
鶴田敦子・西野瑠美子・藤本義一・山田朗・渡辺和恵
〒102-0072 東京都千代田区飯田橋2-6-1 小宮山ビル201
℡:03-3265-7606 Fax:03-3239-8590
抗議先
とても残念な報告です。
横浜市教育委員会は本日「つくる会」の自由社版歴史教科書を、18地区中8地区で採択しました。
採択した地区は、港南、旭、金沢、港北、緑、青葉、都築、瀬谷です。
横浜の中学校は145校ですが、採択した地区内には71校があります。
採択冊数は、私の概算では約14,000冊くらいだと思います。
この採択を主導したと思われる今田教育委員長は、4年前にただ一人扶桑社版を絶賛し、
扶桑社版の採択を強行に主張していました。
扶桑社ではなく自由社を採択したというのは、2日前から流れた
、藤岡氏と今田氏が何回も会って、自由社版採択について相談し、
今田氏が藤岡氏に内諾を与えた、という情報が正しかったといえます。
本日の教育委員会の詳しい情報などは、傍聴された地元の人から流されるはずです。
この採択に対する抗議先は以下のとおりです。
郵便、FAXの送付先は、
【宛名】横浜市教育委員会委員長 または以下の教育委員
横浜市教育委員長 今田 忠彦
委員長職務代理 小濱 逸郎
教育委員 吉備 カヨ
〃 野木 秀子
〃 中里 順子
教育長 田村 幸久
【住所】〒231-0017横浜市中区港町1-1
【電話・FAX】
(教育委員あて) 教育委員会総務部総務課
電話 045-671-3240
FAX 045-663-5547
(教科書採択担当) 教育委員会小中学校教育課
電話 045-671-3265
FAX 045-664-5499
(公聴担当) 教育委員会教育政策課
電話 045-671-3243
FAX 045-663-3118
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)ハルピンの朝
731部隊から入隊許可書が送られてきたのは、昭和16年の春だった。いろいろ自分なりに悩んだ末の入隊希望だったので、不安はあったが、やはりうれしかった。準備のため長野の実家に戻り、父や母と別れを惜しんですぐ下関に向かった。そこから船で大連へ、次は汽車で5日間かけ、ようやくハルピンに着いた。
5月の初旬のハルピン駅の朝はさわやかだった。汽車から降りると、きれいな音色の鐘が鳴り響いていた。当時満鉄は発車時に、汽笛のかわりに鐘を使っていたのだった。駅舎はドーム型の赤煉瓦づくりの美しい建物で、駅前広場は広々として、厳しい冬を突き抜けて一斉に芽吹き始めたアカシアと、ポプラの並木が続く広い通りが、放射状にのびていた。そして一頭立ての馬車、マーチョがのどかに並木の間を行き来している。異国風のハルピン駅の風景は私の心をわくわくさせ、何か新しい運命への期待を抱かせるものがあった。
とりあえず私は、731部隊への入隊に世話をしてくれた斉藤さんの家に、泊めてもらうことになっていた。 (明日に続く)
※軍隊から一時解放され、新天地での新しい生活に多少不安もあったが夢を膨らませている。世の中、なかなかうまい話はないものですね!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
蒋冠英(男、67歳)の証言
1937年の冬月9日には、家は浦口で、私は20歳でした。中国の警官たちが私たちを住んでいる所から追い立てて、日本人が来るぞとか何とか言うので、その晩9時頃に、私と妻と8歳の妹にそれからお隣とが、河沿洲の小さな村へ逃げたのですが、その時とっても取り乱していて、そこに着いて見たら、妻ははぐれてしまっていたのが分かり、それ以来私たちずっと会えずにいるのです。
冬月11日の午前中、一緒に逃げた4人と好奇心で街へ走って行ってみて、長江の土手に腹ばいになって見ていたら、不意に銃声が2発聞こえ、2人やられてしまい、残った2人で走って帰ってきました。
冬月12日の午後、私たち6人(男2人、女4人)みんな若いのが、空き地で竹のベッドで 日向ぼっこしていたら、日本兵が4人来て、私たちを中国兵だと言い、ベッドから引きずり下ろし、私たち動けもせず、日本兵4人が婦女4人を家に引きずり込んで強姦した、その機に乗じて、私たち2人は逃げ出しました。夜になって、帰ってきた時、彼女たちが口々に泣いて訴えるには、前後してみんなで20人余りもの日本兵が彼女たちを強姦したと言います。その時、私たちはその4人を小双心圩まで送って隠れさせましたが、その内の1人は腰すらまっすぐには伸ばせませんでした。
冬月13日の晩に、私は張さんというお婆さんとまだそこで門番をしていました。また日本軍が何人か来て、夜ではっきり見えなかったのか、門を入るなり私とお婆さんとにホアクーニャン(=若い娘)をと要求するので、ホアクーニャンはいないと言うと、辺りを見て、本当にいないと分かったら、銃剣で私の腹をむやみに刺したので、後で私は腹に痛みを感じ、血が流れているのに気づきました。今でも腹にまだ日本軍が残した傷痕があります。(王瑞屏と魏福が記録)
※一般の庶民が訳もなく殺害されたり、強姦された。また、ちょっとしたことで銃剣で刺された。何でこんなことをしたのだろうか?あまりに無謀な作戦で日本軍兵士は神経が高ぶり、興奮していたのだろうか?(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
ひとりひとりの安全を
大事にする世界
また、地球上の人々の生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、という考え方も広がりつつあります。たとえば、国の中で紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人々の生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。
それは前文の次の言葉です。
「我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
世界には、戦争に行くことを正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人々もいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年8月4日火曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)戦わずして野戦病院へ
傷もほとんどなおって、外出も許され、私はよく陸軍病院近くの遼陽白塔公園にでかけた。何層にも積み重ねられた塔がひときわくっきりそびえ、まわりには満州の国花でもある杏の花が、馥郁(ふくいく)と香っていた。信州で慣れ親しんだ杏より赤みが濃く、とりわけたそがれ時は妖しいまでに美しく、私はいっとき戦争の渦の中にあることを忘れたものである。
やがて、半年間にわたる病院生活が終って、私は原隊に復帰することになった。その時、原隊は黒龍江沿岸の黒河(コッカ)神武屯へ移動していた。昭和15年の3月頃だったと思う。
私はその時、上等兵になっていた。工業学校出身であったので、幹部候補生を志願することを勧められたが、私はどうしても軍隊で飯を食う気持ちにはなれなかった。乙種幹部候補生でも軍曹まではいけたが、その気にもなれなかった。
そして私は、予備役編入で兵長から伍長になったが、私の気持ちの中では、731部隊のことがいつも気になっていた。満期除隊で内地へ帰っても、いつ召集されるかわからない。内地へ帰って半月で戦場にひっぱり出される者もいたのだ。そんなことを思うたびに、私はハルピン病院での731部隊の斉藤さんから聞いた話が自分のなかで次第にふくらんでいくのを感じていた。好きな自動車の技術が生かせ、官舎もあるということ、それに召集の心配もないということであった。
日本人のすべてが、戦争に勝つためにまっしぐらに突き進んでいた時、私はこんなことを考えていたのだった。決して口になんて出していえないが、やはり戦争に勝つことと自分が生きることには矛盾があるように思えた。
私は悩んでいたのだった。 (明日に続く)
※ほとんどの日本人は戦争に召集されるのはいやだったと思う。そして平和な暮らしを望んでいたのではないのか?一部軍人に憧れ、天皇のために戦うことに意義を見出していた人以外は。
でも小さい時から「この国は神の国で、天皇が現人神である。そしてその天皇の下に世界を治める」と言うようなことを教え込まれた人たちは仕方なく軍隊に行ったのではないか。何のために戦争しているのかもはっきりとした意義を見出せずに。ただ天皇の帝国を作るために!!しかし大日本帝国が焦土と化し、徹底的に敗れた時、天皇は責任をうまく回避した!!天皇はその権力をうまく使って、マッカーサーにうまく取り入ったのだろう。片や洗脳されていたほとんどの日本人が天皇の戦争責任を追及できなかった!!現実問題としてはどうやってこれから生きていくかで(食糧難)で頭がそこまで回らなかっただろうし、戦前の特高のことを知っているので天皇を批判できなかったのだろう!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
汪昌海(男、60歳)の証言
日本軍が南京を占領した時、私はやっと14歳で、1937年の冬月に今の延安劇場のそばで酒を買っていた時に、突然日本兵を何人か見かけ、とても恐くて、うっかり酒の瓶を落としてしまいました。それで日本兵に見つかり、日本兵が1人私の口を一太刀突っついたので、今でも傷痕が残っています。そこで私は中国人がたくさん日本兵に殺害され、50人余りの死体がごろごろ転がっているのを見かけました。(李紅珠と馬瑞芳と楊鳳珍と鄭蘭芳が記録)
※日本兵が刀を持っていたことが分かる。日本刀が中国戦ではよく使われ、ちょっとしたことで中国の一般庶民がその被害にあっていたことが分かる!(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
ひとりひとりの安全を
大事にする世界
これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。
2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年8月3日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)戦わずして野戦病院へ
日本軍の敗北は明らかであった。とにかく、彼らとの戦力のの差異を徹底的に見せ付けられた戦闘であった。今思えば、この戦力の差異が731部隊の細菌戦準備に拍車をかけたのかも知れない。
その後、私はチチハル野戦病院からハルピン陸軍病院、当時、7部隊と呼ばれている病院へ護送された。私が入った病室は4人部屋で、そこには、特務機関の幹部の人、憲兵隊の幹部でハルピンの立入禁止区域道外の分遣隊長をしていた人、そしてもう1人が731部隊(当時は石井隊長の出身地の地名をとって加茂部隊と呼ばれていた)の研究班にいた北海道出身の斉藤さんの3人がいた。
私と斉藤さんとは気が合い、よく話をした。その中で、私の自動車免許は昭和9年以来のものであること、長野にいる頃知事専用車に保温器を考案したこと、などを話した。するとこの人は大変関心を寄せて「加茂部隊(石井部隊の前身)は技術者を集めているが、来ないか」と熱心に勧誘した。宿舎も与えられ、軍属という資格で入隊すると召集がないという。それを聞いて、私は大いに心が動いた。
しかし、傷が快方に向かうと、南満州の遼陽の陸軍病院へ移されたので、斉藤さんとはそこで別れることになった。当時、陸軍では病状が快方に向かうにつれて暖かい方へ、より原隊に近い方へ移動させるのがならわしになっていた。 (明日に続く)
※ノモンハンでのソ連軍との戦闘は、日本軍に相当な打撃を与えたようだ。ノモンハンで石井部隊はいろいろと実践したが、あまりに関東軍の打撃が大きかったので、最新兵器の開発を急ピッチに進めたのだろう。もちろん、大元帥昭和天皇や軍部の了解の下に。
(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
邵栄奎(男、63歳)の証言
1937年の冬月11日に、日本軍の飛行機が南京城内にむやみに爆弾を落としたので、私は難を逃れて江心洲へ行きました。江心洲で私は日本軍が我が同胞を3百人余り機関銃で撃ち殺してから、、死体を長江に押し入れたのをこの目で見ました。やがて、私は日本兵に捕まって人夫にされましたが、途中で、私を連行している日本兵が鶏をつかまえに行ったので、その隙に私は逃げてしまいました。そのほかに、莫愁湖の東の池で、中国人が8人、日本軍に縛られ水の中に放り込まれ、8人とも活きながらに溺れ死んだのを、私はこの目で見ました。(童学華と○厚明と夏龍生が記録)
※日本軍の機関銃による集団虐殺と略奪の様子、中国人を人夫としてただ働きさせたこと、リンチの様子がわかる。日本軍の一方的な侵略戦争で行われたことだ!(ノブ)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界
また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人々が主人公になるべきであり、人々が自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利を持つ事が重要です。貧しい国に「援助してあげる」のではなく、人々の権利を保障していく事が、平和の基盤をつくるのです。
いわゆる「テロ問題」も同じです。テレビでは連日、イラクなどでの「自爆テロ」が報道されています。それに対して軍が投入されても、「テロ」はなくなるどころか、かえって増えていってしまいます。「テロリスト」と言う言葉が独り歩きしていますが、このような暴力をふるう人たちは、いったいどのような動機からそうしているのでしょうか。
「貧困、不正義、苦痛、戦争をなくしていくことによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせる事ができる」と、コフィ・アナン国連前事務総長は語っています。暴力に対してさらに大きな暴力で対処しようとすることは、結果的に暴力を拡大させ、人々の命を奪い、人々を大きな不安の中におとしいれます。どうすれば人々が暴力に走ることを予防できるのか考える事が大事です。
そのための鍵は、軍隊の力にあるのではなく、市民どうしの対話と行動にあるのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年8月2日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)戦わずして野戦病院へ
9月初めのある日、私はいすず97式という高射砲牽引車を運転していた。夏服のまま出撃したが、9月初旬というのに氷はバリバリ張り、冷雨には叩かれるので、服は雨と油にまみれ、私たち兵士は寒さに震え上がっていた。
我が軍の高射砲は7.5サンチの口径で25メートル四方に弾丸が散る、相当威力のあるものであった。ところが、敵影もつかめず、自慢の高射砲弾を一発も射たぬうちに、50メートルの至近距離で敵の砲弾が炸裂し、私の運転台のドアを撃ち抜いて、弾片が飛び込んできた。
足に熱いものを感じ、腰の下がしびれてしまい、気を失ってしまった。革の長靴を突き破って、ふくらはぎをやられたのであった。私はやむなく戦列を離れねばならなかった。また戦いらしい戦いもせずにである。運び込まれたのはチチハルの野戦病院で、廊下まで負傷者や病院であふれ、ごったがえしていた。
9月7日には総攻撃をするということで、中国各地にいた部隊が集められて、準備中であったが、結局昭和14年9月20日に停戦となった。 (明日に続く)
※ソ連との軍備の差は明らかだったのかな?(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
張連才(男、64歳)の証言
1938年の1月13日に、私が燕子磯から中山門まで行った時、道々何千体もの屍が見え、みんな日本軍に殺された中国人でしたが、その内の苗木畠に屍がたくさんありました。
1月16日の日に、私と師匠と小麦粉を買いに珠江路に行ったら、日本兵が1人そこで小麦粉を買おうと並んでいる女の人の腹を刀で一突きし、その女の人が地に倒れるのが見えました。明くる日、私は南捕庁の師匠の家から府西街まで水を担いだのですが、道で日本の将校1人と出くわし、「小さいの!」と呼ぶので、私が水の桶を下ろしたら、突然、腰の刀を抜いて私の頭に一太刀、私が頭を下げた方が速かったので、帽子が飛ばされ、私は恐くて振り向けざま駆け出し、桶もうっちゃらかして、一気に師匠の家まで走って行って、情況を訴えました。しばらくして私は師匠を離れて難を逃れて行ったのです。(金登林と楊雲と夏龍生が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界
「反応ではなく予防を」。これは、2005年にニューヨークの国連本部で開かれた国連NGO会議(GPPAC世界会議)で掲げられた合言葉です。紛争が起きてから反応してそれに対処するよりも、紛争が起こらないようにあらかじめ防ぐこと(紛争予防)に力を注いだ方が、人々の被害は少なくてすみ、経済的な費用も安くおさえられるのです。
紛争予防のためには、日頃から対話をして信頼を築き、問題が持ち上がってきたときにはすぐに話し合いで対処する事が必要です。こうした分野では、政府よりも民間レベルが果たせる役割の方が大きいと言えます。どこの国でも、政府は、問題が大きくなってからようやく重い腰を上げるものです。ましてや軍隊は、問題が手におえなくなってから出動するものです。市民レベルの交流や対話が、紛争予防の基本です。市民団体が、政府や国連と協力して活動する仕組みをつくり上げることも必要です。
2005年、国連に「平和構築委員会」という新しい組織が生まれました。これは、アフリカなどで紛争を終わらせた国々が、復興や国づくりをしていくことを支援する国際組織です。このような過程で、再び武力紛争が起きないような仕組みをつくる事が大事です。貧困や資源をめぐる争いが武力紛争の大きな原因になっている場合も多く、こうした原因を取り除いていく必要があります。つまり、紛争を予防するためには、経済や環境に対する取り組みが重要なのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年8月1日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊
『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)高射砲隊3番
ハイラルへいざ出撃してみると、見渡す限り荒涼たる大平原で、敵影が全く見えないのに、至近弾がどんどん飛んでくる。ソ連の飛行機は性能が大変すぐれていて、鋭い金属音をたて超スピードで突っ込んでくる。日本の飛行機が飛び立っても、直ちに追いまくられてしまう始末で、飛行機と戦車を相手に小銃で戦うのでは、とてもいくさにはならない。
“15輌”と恐れられている15サンチ砲弾が、こちらが煙1つ立てても、どこからともなく飛んでくる。この砲弾は、炸裂すると30メートルから50メートル四方にわたって、人も武器もたちまちにして吹く飛ばして、草1本残さない。また砂の上にはピアノ線が張ってあり、外から見えないようにしてあるので、戦車のキャタピラがからまって前にも後ろにも動けなくなる。そこを集中的に叩かれる。戦車もろとも、勇敢な隊員が吹っ飛ぶのを遠望するのは、つらい事であった。
“関東軍の虎の子”と言われ、勇猛果敢でその名をとどろかせていた玉田戦車隊でさえも、苦戦を強いられていた。ふつう戦車兵というものは、小柄でずんぐりした人が多い。しかし、玉田隊の隊員はつなぎの作業服を着て、見るからにキビキビ行動し、頼もしい存在であったが、それでもどうにもならなかった。(明日に続く)
※ソ連軍と日本軍の当時の武器の質の差がよくわかる。ノモンハンでは石井部隊も初めて作戦に参加し天皇から感状を貰っている。(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
姚春栄(男、58歳)の証言
日本軍が南京を占領した時、家は莫愁湖の向かいでした。私は日本兵が3人で機関銃を据え付け、我が難民をねらって掃射し、途端に死骸が地にあまねく、血が河と流れて、広東墳墓の傍の死体置き場2つに屍がいっぱい詰まってしまったのを、この目で見ました。
やがて、私は難民区に入りました。ある日、日本兵が40人余りを引き出し、刀がすでに私の首に押し付けられていた、その時に、その日本兵がまた1人回族の娘さんを見つけるや、私をうっちゃって、その娘さんを強姦しに捕まえに行ったので、その隙に私は急いで逃げてしまったのですが、叔父や叔母は逃げ切れずに、日本軍に縛られ水に放り込まれて溺れ死にました。謝という家の人が5人みんな、日本軍に突っつき殺されましたが、その中の身ごもっていた婦人は、お腹の中の子供までくびり出されてしまい、その様は私がこの目で目撃したものです。それと1人裁縫職人がいて、日本兵が河に降りて魚をつかまえて来いと命じたのに、冬でとても寒く、どうしても行こうとせず、日本兵が刀で2つ身に斬ってしまい、その様は見るに忍びないすさまじさでした。(童学華と○厚明と夏龍生が記録)
○・・・日本の漢字に変換できない字。
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
女性たちが
平和をつくる世界
ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会を目指す取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」
この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズ、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバティさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年7月31日金曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。
越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
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『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
1,白地に紅く
(昨日の続き)高射砲隊3番
私は、徴兵検査を長野市の城山にある現在の蔵春閣で受けた。当時、誰もがお国のためという大義の前に忠実だった。もちろん、私も何のためらいもなく甲種合格をよろこび、兵隊への道を歩みはじめた。
その徴兵検査では、総員130名に近く、その中で甲種は27名、第一乙種合格者は45名ぐらいだったと記憶している。
昭和13年12月、「高射砲隊3番」の知らせが私に来た。当時高射砲隊は千葉と浜松の2ヶ所だけだったので、どちらかと気をもんでいると、予想に反して「関東軍ニ7入隊セヨ」との連絡がきた。
内地入隊は12月と決まっていたが、関東軍はおくれて、翌年2月初旬、大阪集合ということだった。次の年、大阪に行くと、肩章も何もない軍服に着替えさせられ、大阪湾を出た。船の中で、予防接種をされたり、防寒外套を受け取って大連に入港、旧南満州の公主嶺に向かった。
私は飯塚部隊=642部隊に入り、さっそく敷島台演習場で第1期の検閲を3ヶ月間受け、2等兵から1等兵になった。やれやれこれで少しは楽ができるかと思っていた矢先に、ノモンハン事件が勃発、直ちに国境地帯ハイラルへ出撃したのだった。(明日に続く)
※この当時は、学校でも兵隊さんになることが夢であるようなことも書かれ、軍国主義の全盛期だった。反抗するものは特高ににらまれ監獄で拷問を受けた。天皇は大元帥であり、神聖にして侵すべからざる者であり、現人神であった。こんな暗黒な時代がこの日本にはあったのだ!!(ノブ)
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
陳金茂(男、72歳)の証言
1937年の12月11日に、日本軍が南京を砲撃しましたが、その時私たちは白衣巷30号の家に住んでいました。2,3日後に、日本軍が南京を占領したので、私たち寧海路22号の難民区へ引き移り、家を建てる作業場に住み着きました。日本軍が入って来た2日目に、私は日本軍の騎兵隊が、中国のラオパーイシン(=庶民)数百人をくくったまま街を連行して行くのを見ましたが、その時私はちょうど門のところの空き地で大便をしていて、日本人が私を捕まえたのを、祖父と祖母とが日本軍に私を連れて行かないようにと哀願してくれ、3歳の子供も目の前で泣き出して、やっと幸いにも引っ張られないで済みました。けれどもくくられて連行されたあのたくさんの人たちは、日本軍の江辺の下関まで連行され、機銃掃射で殺されたのです。寧海路には「蘇州同郷会」もあって、その中に閉じ込められた青年男子何百名かも捕まって行きました。2日して、日本軍は又私たちを集めて会をし、家の無い者は彼らに付いて行くのだと言って、親族と認める人のない者たちは連れて行かれました。10日余りして、私がこっそり家へ走って帰って見ましたら、道沿いの家が焼かれて空が一面に真っ赤で、大香炉通りには無数の中国人が日本軍に殺害されていて、中には婦女や児童もいるなど、全く見るだけでも忍びないものでしたが、ずっと時が過ぎて、情勢が少し安定して来て、やっと私たち家に戻りました。(沈崇峰と王佩如が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
女性たちが
平和をつくる世界
戦争で一番苦しむのは、いつも女たちです。戦争で女たちは、強姦され、殺され、難民となってきました。それだけでなく女たちは、男たちが戦場に行くことを支えることを強いられ、さらに男たちがいなくなった後の家族の生活も支えなければなりません。戦場では軍隊の「慰安婦」として、女たちは強制的に男たちの相手をさせられてきました。これは「性の奴隷制」であると世界の人々は気づき、このような制度を告発しています。
男が働き、戦う。女はそれを支える。昔から、このような考え方が正しいものだとされてきました。最近では日本の大臣が「女は子を生む機械だ」と発言して問題になりました。その背景には「女は子を生む機械だ。男は働き戦う機械だ」という考え方があったのではないでしょうか。第二次世界大戦下、日本の政府は、こういう考え方をほめたたえ、人々を戦争に駆り立ててきました。このような男女の役割の考え方と、軍国主義はつながっているのです。
「男は強く女は弱い」という偏見に基づいた、いわゆる「強さ」「勇敢さ」といった意識が、世界の武力を支えています。外からの脅威に対して、武力で対抗すれば「男らしく勇ましい」とほめられる一方、話し合おうとすれば「軟弱で女々しい」と非難されます。しかし、平和を追求することこそ、本当の勇気ではないでしょうか。私たちが、国々や人々どうしがともに生きる世界を望むならば、こうした「男らしさ、女らしさ」の価値観を疑ってかかり、「強さ」という考え方を転換する必要があります。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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