夏淑琴裁判で夏さんの最高裁での勝訴が確定しました!!
弁護団の声明
最高裁判所第1小法廷は、本日、南京大虐殺事件の被害者である夏淑琴氏に対する名誉毀損に関し、慰謝料の支払い等を求めた事件について、一審被告東中野修道等による上告及び上告受理申立を、いずれも棄却する決定を行った。これによって、夏淑琴氏の勝訴が確定した。
本件訴訟は、夏淑琴氏が1937年12月に南京で発生した旧日本軍による虐殺事件(南京大虐殺事件)において、両親など家族7人を虐殺され、自らも銃剣で刺されて重傷を負うなどの筆舌に尽くがたい深甚な被害を被ったのにもかかわらず、被告東中野修道が、その名誉を毀損する書籍「『南京虐殺』の徹底検証」を被告株式会社展転社等から出版したことに対し、夏淑琴氏が名誉毀損及び人格権の侵害を理由として、損害賠償と謝罪広告の掲載を求めたものである。
すなわち本件書籍は、史料に被害者として登場する「『八歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される」、「『八歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり、事実をありのままに語っているのであれば、証言に、食い違いの起きるはずもなかった」、「さらに驚いたことには、夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである」等と記載され、これらの記述は、原告が「ニセの被害者」であると決めつけ、ウソの証言までしているものと非難するものであり、原告の名誉を毀損するとともに、その人格権を著しく侵害するものである。
一審被告らは、上告審においても、南京事件は国民政府の謀略である等、荒唐無稽の主張と史実の歪曲を重ねたが、最高裁判所もこれらの主張を受け付けなかった。南京大虐殺事件は歴史的事実であり、当時の日本の侵略性を示す事件として世界に広く報道され、国際的な批判を浴びた蛮行であった。大都市における顕著な侵略的事実は、当然のことながら多くの目撃者と記録が残され、現地においては公知の事実であり、大規模な虐殺行為が行われたという歴史的事実は疑いのないところであって、現在の歴史学界における定説といってよい。
過去と向き合い、事実をありのままに受け入れることからしか、侵略の歴史への反省はあり得ないし、真のアジアの平和の構築も実現しない。
夏淑琴氏が、高齢にもかかわらず本件訴訟を提起したのは、自分の悲惨な体験を語り続け、戦の悲惨さと平和の尊さを社会に訴えることが、日中両国民の信頼関係の確立と、アジアの平和にとって必要なことであるという信念に基づく。
最高裁判所が今般、あらためて夏淑琴氏の主張を認め、一審被告らの上告を棄却したことは、本件訴訟のこのような趣旨に照らし極めて大きな意義を有する。誤った歴史観を許さず、歴史の改竄を許さないことによって平和な国際社会を実現することは、日中両国の心ある市民と我々弁護団の共通の願いである。今般の最高裁決定によって、この願いが改めて実現したことを、私たちは高く評価するものである。
2009年2月5日
南京大虐殺・夏淑琴氏名誉毀損事件弁護団
「産経新聞」より
南京事件研究書で賠償確定
2009.2.5 22:05
南京事件の研究書で事件の被害者とは別人と指摘され、名誉を傷つけられたとして、中国人の夏淑琴さんが、著者の東中野修道・亜細亜大学教授と出版元の展転社に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(涌井紀夫裁判長)は5日、教授と同社の上告を退ける決定をした。東中野教授と同社に計400万円の支払いを命じた1、2審判決が確定した。
731を問う!!
2009年2月6日金曜日
1938年 南京 2月6日
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月6日
南京との訣別
通りすがりに、あちこちの防空壕をのぞいてきた。この前の中国の空襲があったとき、みな中に入ろうとしなかったのが印象に残っていたからだ。防空壕にはどれも例外なく地下水で水びたしになっていた。日本兵にあれほどひどい目にあわされたので、空襲など怖くなくなってしまったのだろう。難民たちが大勢、黙って庭で空を眺めていた。なかには飛行機など気にも留めず、わら小屋で普段どおりに過ごしている者もいた。
今日、日本大使館に上海まで往復する許可を申請してきた。「原則的には、この手のものはすべて却下されますが、なんとか努力してみましょう」と福井氏は言ってくれた。ローゼンが推薦状を書いてくれたが、あまり役には立つまい。前にも書いたが、ローゼンは日本人から見て決して好ましい外交官ではないからだ。しかも、かくいう私も国際委員会の代表であり、やはり日本人から好かれているとは言いがたい。とはいえ、いまだに中国本社から滞在継続を認めるといってこない以上、こうするよりほかないのだ。もしそれでも許可が下りたら、外国の砲艦に乗せてもらって行きたいと思っている。
ドイツ大使館南京分館からのローゼンの報告
今日の5日に、日本大使館におきまして、ティーパティーが催されました。新しく任命された日本の駐屯部隊司令官天谷直次郎少将が、当地の在外公館のメンバーを招待したのです。
かなり長いこと待たされた後、我々は席に着くようすすめられました。少将は長ったらしいスピーチを読み上げ、それを福田書記官がつっかえながら英語に訳しました。
まず第一に、少将は日本軍の規律正しさについて述べました。
我が軍はその規律の正しさで世界に知られている。日露戦争においても満州出兵においても、これが破られることはなかった。このたび中国においてこのような事態が起こってしまったのは、ひとえに中国側の責任である。とはいっても、他国の軍隊であったらもっとひどいことが起きたに違いないと確信している。蒋介石は軍のみならず人民全体に抵抗を呼びかけ、それが日本兵の感情を甚だしく害したのである。なぜなら進撃途上で、食糧その他の必需品を一切手に入れることができず、その結果、兵士は人民に怒りをぶつけずにはいられなくなったのだ。南京への進撃はあまりに迅速だったため、食糧の補充は決して容易ではなかった。(こういっておきながら、あとから、食糧補給隊は時間を持て余し、そのためあのような行為に及んだ、という矛盾する発言がありました!)
天谷少将は徹底的に中国側を批判しました。
中国軍はまず第一に日本の将校を狙った。そのため、将校たちは兵卒の軍服を着なければならなかった!中国人スパイもまた、発火信号などを用いて、参謀本部の所在地を目に付くようにして、砲兵隊や航空兵に参謀本部を攻撃させたのである!
南京に関していえば、外国人、とりわけ「ある国家」の人間がでしゃばって裁判官の役割を果たしている。外国人の介入がなければ、南京における日本と中国の関係は間違いなくもっとうまくいったに違いない!日本軍に抵抗するよう中国軍にけしかけたのはこれらの外国人に他ならない。外国人に損害を与えた点に関しては、いかなる批判にも甘んじよう。だが、こと中国との関係については、干渉されたくはない。
最後に、天谷少将は、何か意見があるかと我々に訊ねました。私はすでにこの「スピーチ」のおかしな論理に反感を抱いており、在外公館の最古参者ではありますが、何も言う気になれませんでした。一方アメリカ大使館の南京責任者アリソン氏は、原稿の写しを要求しました。すると、あろうことか、突如として今のは全くの即興だったというのではありませんか。たった、今、少しでも明るい方へと時々原稿を動かしながら、少将が眼鏡をかけて一語一語読み上げ、福田書記官がもう一枚の原稿からとつとつと訳していたというのに!
天谷少将の挨拶に話を戻しますと、さしあたって次のような結論が引き出されましょう。つまり、中国軍の抵抗により日本軍はかなり動揺したということです。ある民族が、積年の苦しみと絶え間ない屈辱の果てに、ついに侵入者に反旗を翻すということぐらい、愛国心の強い日本人には自明の理だと思うのですが。ところが、際限なくのぼせ上がった日本人は決してこの事実に目を向けようとしませんでした。およそ2年前、満州国の外交部次長であり、日中戦争の最高責任者の1人である大橋忠一氏は豪語したものです。中国の主力軍など、日本の2師団もあればわけなくおさえられるだろう、と。
将校、いやそれどころか参謀本部についても天谷少将が不安を感じたという事実は、中国進軍について、日本が全く別のイメージを抱いていたことを如実に物語っています。
南京住民が日本人を受け入れなかった理由を外国人のせいにしようとする天谷少将の試みは的外れとしか申せません。なにより、南京に残っている外国人が、リーダーとして同盟国であるドイツの人間、しかもナチ党員であるジョン・ラーベ氏を据えたことを考えれば、それは明らかです。
また、少将が「ある国家」にアメリカをも含めととしても事情は変わりません。アメリカ人はドイツ人と共に密接に提携して共に行動してきました。ドイツ人がしたことはすべてアメリカ人が加わり、無条件に承認したのです。ドイツ人とアメリカ人が敢然と間に立つことがなかったら、日本軍の殺戮は著しく増加していたと思われます。ですから、日本は外国人に心から感謝して当然なのです。
我々外国人の予想に反して、日々繰り返される空襲や市街戦に苦しめられながらも、中国人民は非の打ち所のない規律を示し、比較的重要でない事柄を除けば外国の国旗を尊重したのです、一方日本軍のほうは、南京がとっくに平穏な兵站基地になったあとも、人を殺し、強姦し、街を焼き払い、あらゆるものを、ドイツ人はじめほかの外国人の所有物をも襲ったのです。
ラジオのニュースによりますと、ドイツの外交政策の転換により、日本は自国の中国政策が追認されるのではないかと大きな望みをかけている模様です。けれどもその際、日本はあることを見逃しております。ほかならぬ防共協定の創案者(ヒトラーのこと)が、日本によるこの高尚な理念の濫用に対して若干もの申すかもしれないということを。
漢口との郵便連絡がうまくいきません。よって、この報告書を外務省に直接提出します。
ローゼン
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月6日 日曜日
立春は2月4日だった。いくらか暖かくなった。日が照っている。新しい春を告げる鳥たちがあたりでさえずっている。再び春を迎えるにはあまりにも悲しいように思われる。
目の具合が悪いので、今日は家にいた。具合の悪いのが左手であったら、そのほうがよいのだが。その場合には、少なくとも読み書きだけはできるだろうに。
今日は兵士1名が訪れただけだった。王さんが彼を案内した。避難民は2月8日までに収容所を出なければならないそうだ。私たちの収容所については事情が違うー現在、大部分が若い女性だーという理由で、何か思い切ったことをしてくれるのだろうか。
午後の集会は素晴らしかった。・・・・・・・・
昨日ブランチとマッカラム氏が、年齢の高い避難民男性2人を自然科学研究所に連れて行き、そこに住まわせるようにした。残存している生物学標本を損壊されないようにするためだ。2人は大喜びで行った。彼らの年齢では、いくらなんでも過激な青年だと非難されることなどありえない。あの立派な植物標本の損壊とともに無に帰した努力のことを思い出す。
今朝ルイスがやってきて、栄養不良者に与えるミルクと肝油の割合について指示を出した。その少しあとでプラマーがやってきて、避難民用として300ドルを提供してくれた。贈与分の100ドルと、最終的には500ドルになる貸付資金のうちの200ドルだ。(安全区国際)委員会は、直接的な救援がどうしても必要なので、学校の開設という考えに賛成ではあるものの、その資金を別に用意することは不可能だと思っている。
今日はたくさんの重爆撃機が市街上空を飛んでいる。
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん
世界から戦争のなくなった
平和な世界を。
Imagine,
A peaceful world without war.
でも、どうやったら
そんな世界がやってくるのかな
一つひとつ考えてみよう。
But,how can such a world be
made?
let's think about it.
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
クリックお願いします!!
2月6日
南京との訣別
通りすがりに、あちこちの防空壕をのぞいてきた。この前の中国の空襲があったとき、みな中に入ろうとしなかったのが印象に残っていたからだ。防空壕にはどれも例外なく地下水で水びたしになっていた。日本兵にあれほどひどい目にあわされたので、空襲など怖くなくなってしまったのだろう。難民たちが大勢、黙って庭で空を眺めていた。なかには飛行機など気にも留めず、わら小屋で普段どおりに過ごしている者もいた。
今日、日本大使館に上海まで往復する許可を申請してきた。「原則的には、この手のものはすべて却下されますが、なんとか努力してみましょう」と福井氏は言ってくれた。ローゼンが推薦状を書いてくれたが、あまり役には立つまい。前にも書いたが、ローゼンは日本人から見て決して好ましい外交官ではないからだ。しかも、かくいう私も国際委員会の代表であり、やはり日本人から好かれているとは言いがたい。とはいえ、いまだに中国本社から滞在継続を認めるといってこない以上、こうするよりほかないのだ。もしそれでも許可が下りたら、外国の砲艦に乗せてもらって行きたいと思っている。
ドイツ大使館南京分館からのローゼンの報告
今日の5日に、日本大使館におきまして、ティーパティーが催されました。新しく任命された日本の駐屯部隊司令官天谷直次郎少将が、当地の在外公館のメンバーを招待したのです。
かなり長いこと待たされた後、我々は席に着くようすすめられました。少将は長ったらしいスピーチを読み上げ、それを福田書記官がつっかえながら英語に訳しました。
まず第一に、少将は日本軍の規律正しさについて述べました。
我が軍はその規律の正しさで世界に知られている。日露戦争においても満州出兵においても、これが破られることはなかった。このたび中国においてこのような事態が起こってしまったのは、ひとえに中国側の責任である。とはいっても、他国の軍隊であったらもっとひどいことが起きたに違いないと確信している。蒋介石は軍のみならず人民全体に抵抗を呼びかけ、それが日本兵の感情を甚だしく害したのである。なぜなら進撃途上で、食糧その他の必需品を一切手に入れることができず、その結果、兵士は人民に怒りをぶつけずにはいられなくなったのだ。南京への進撃はあまりに迅速だったため、食糧の補充は決して容易ではなかった。(こういっておきながら、あとから、食糧補給隊は時間を持て余し、そのためあのような行為に及んだ、という矛盾する発言がありました!)
天谷少将は徹底的に中国側を批判しました。
中国軍はまず第一に日本の将校を狙った。そのため、将校たちは兵卒の軍服を着なければならなかった!中国人スパイもまた、発火信号などを用いて、参謀本部の所在地を目に付くようにして、砲兵隊や航空兵に参謀本部を攻撃させたのである!
南京に関していえば、外国人、とりわけ「ある国家」の人間がでしゃばって裁判官の役割を果たしている。外国人の介入がなければ、南京における日本と中国の関係は間違いなくもっとうまくいったに違いない!日本軍に抵抗するよう中国軍にけしかけたのはこれらの外国人に他ならない。外国人に損害を与えた点に関しては、いかなる批判にも甘んじよう。だが、こと中国との関係については、干渉されたくはない。
最後に、天谷少将は、何か意見があるかと我々に訊ねました。私はすでにこの「スピーチ」のおかしな論理に反感を抱いており、在外公館の最古参者ではありますが、何も言う気になれませんでした。一方アメリカ大使館の南京責任者アリソン氏は、原稿の写しを要求しました。すると、あろうことか、突如として今のは全くの即興だったというのではありませんか。たった、今、少しでも明るい方へと時々原稿を動かしながら、少将が眼鏡をかけて一語一語読み上げ、福田書記官がもう一枚の原稿からとつとつと訳していたというのに!
天谷少将の挨拶に話を戻しますと、さしあたって次のような結論が引き出されましょう。つまり、中国軍の抵抗により日本軍はかなり動揺したということです。ある民族が、積年の苦しみと絶え間ない屈辱の果てに、ついに侵入者に反旗を翻すということぐらい、愛国心の強い日本人には自明の理だと思うのですが。ところが、際限なくのぼせ上がった日本人は決してこの事実に目を向けようとしませんでした。およそ2年前、満州国の外交部次長であり、日中戦争の最高責任者の1人である大橋忠一氏は豪語したものです。中国の主力軍など、日本の2師団もあればわけなくおさえられるだろう、と。
将校、いやそれどころか参謀本部についても天谷少将が不安を感じたという事実は、中国進軍について、日本が全く別のイメージを抱いていたことを如実に物語っています。
南京住民が日本人を受け入れなかった理由を外国人のせいにしようとする天谷少将の試みは的外れとしか申せません。なにより、南京に残っている外国人が、リーダーとして同盟国であるドイツの人間、しかもナチ党員であるジョン・ラーベ氏を据えたことを考えれば、それは明らかです。
また、少将が「ある国家」にアメリカをも含めととしても事情は変わりません。アメリカ人はドイツ人と共に密接に提携して共に行動してきました。ドイツ人がしたことはすべてアメリカ人が加わり、無条件に承認したのです。ドイツ人とアメリカ人が敢然と間に立つことがなかったら、日本軍の殺戮は著しく増加していたと思われます。ですから、日本は外国人に心から感謝して当然なのです。
我々外国人の予想に反して、日々繰り返される空襲や市街戦に苦しめられながらも、中国人民は非の打ち所のない規律を示し、比較的重要でない事柄を除けば外国の国旗を尊重したのです、一方日本軍のほうは、南京がとっくに平穏な兵站基地になったあとも、人を殺し、強姦し、街を焼き払い、あらゆるものを、ドイツ人はじめほかの外国人の所有物をも襲ったのです。
ラジオのニュースによりますと、ドイツの外交政策の転換により、日本は自国の中国政策が追認されるのではないかと大きな望みをかけている模様です。けれどもその際、日本はあることを見逃しております。ほかならぬ防共協定の創案者(ヒトラーのこと)が、日本によるこの高尚な理念の濫用に対して若干もの申すかもしれないということを。
漢口との郵便連絡がうまくいきません。よって、この報告書を外務省に直接提出します。
ローゼン
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月6日 日曜日
立春は2月4日だった。いくらか暖かくなった。日が照っている。新しい春を告げる鳥たちがあたりでさえずっている。再び春を迎えるにはあまりにも悲しいように思われる。
目の具合が悪いので、今日は家にいた。具合の悪いのが左手であったら、そのほうがよいのだが。その場合には、少なくとも読み書きだけはできるだろうに。
今日は兵士1名が訪れただけだった。王さんが彼を案内した。避難民は2月8日までに収容所を出なければならないそうだ。私たちの収容所については事情が違うー現在、大部分が若い女性だーという理由で、何か思い切ったことをしてくれるのだろうか。
午後の集会は素晴らしかった。・・・・・・・・
昨日ブランチとマッカラム氏が、年齢の高い避難民男性2人を自然科学研究所に連れて行き、そこに住まわせるようにした。残存している生物学標本を損壊されないようにするためだ。2人は大喜びで行った。彼らの年齢では、いくらなんでも過激な青年だと非難されることなどありえない。あの立派な植物標本の損壊とともに無に帰した努力のことを思い出す。
今朝ルイスがやってきて、栄養不良者に与えるミルクと肝油の割合について指示を出した。その少しあとでプラマーがやってきて、避難民用として300ドルを提供してくれた。贈与分の100ドルと、最終的には500ドルになる貸付資金のうちの200ドルだ。(安全区国際)委員会は、直接的な救援がどうしても必要なので、学校の開設という考えに賛成ではあるものの、その資金を別に用意することは不可能だと思っている。
今日はたくさんの重爆撃機が市街上空を飛んでいる。
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん
世界から戦争のなくなった
平和な世界を。
Imagine,
A peaceful world without war.
でも、どうやったら
そんな世界がやってくるのかな
一つひとつ考えてみよう。
But,how can such a world be
made?
let's think about it.
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年2月5日木曜日
1938年 南京 2月5日
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月5日
強姦などの暴行は、2月1日から2月3日までのたった三日間でまたもや98件もあった。さいわいわが家の収容所では、今日も問題は起きなかった。けれども、事態のひどさはこの中国人の手紙が雄弁に物語っている。収容所の責任者であるこの人が言うには、そこの中学では5000人だった難民が8000人に増えたそうだ。
金陵大学付属中学からの手紙 1938年2月5日 於南京
拝啓 ラーベ様
書面をもって報告させていただきます。保護を求めて戻ってくる難民の数は増える一方です。そして、家には長くはいられないと口々に訴えております。といいますのも、日本兵に絶え間なくひどい目にあわされるからです。娘を出せと言われ、言うことを聞かなければ殺すと脅迫されるのです。
ラーベ様、あなたやあなたのご友人たちの他、私どもには誰一人頼れる人はありません。なにとぞ、ドイツ、アメリカ、日本の大使館と話し合ってくださるようお願いいたします。難民たちは、私のところに助けを求めてやってくるのですが、助けてやりたくとも私にはどうすることもできないのです。
自治委員会には日本に対する影響力は全くありません。委員会から、難民を助けることのできるのは国際委員会だけだと言われました。自治委員会の妻たちでさえ、一般民と同じように強姦されているありさまなのです。それなのに、なぜ自治委員会が難民たちに自分の家に戻れと言えるのか、私には理解できません。安全区の外に出たら最後、身を守るすべがないことは、自治委員会にもよくわかっているのですから。
難民たちがいかに悲惨な状況にあるか、それを言い表す言葉はとうてい見つかりません。
なにとぞ中国をお見捨てにならぬよう、我々をお救い下さるよう、神に祈るばかりです。あなた様やそのご友人たちが手をさしのべてくださらなかったら、いったい誰が助けてくれると言うのでしょう。お願いです、どうか、ご友人たちと一緒に考えてください。
敬愛するラーベ様、あなたは私たちの師です。これを書きながら、私は涙をおさえることができません。あなたに神のご加護がありますように。そして私たちのためにもお祈りくださいますよう。
敬具
D・G・ライムズ
14時15分
またもや中国機が上空を飛んでいる。とにかく飛行機に中国の印がついていることだけは確かだ。パイロットがどこの国の人間かはわからない。ロシア人でないといいが。ロシア人だとすると、ハーケンクロイツの旗を掲げてもあまり効き目はないだろうから。
収容所を2月8日に閉鎖するという新たな指令が出た。大混乱になり、いっこうにおさまらない。これまでに、約三分の一が出て行った。残ったのは大半が女の人だ。ここから出て行きたくないのだ。今日、鼓楼病院の医師たちから連絡があった。脚気の患者が2人運ばれてきたという。米飯だけのかたよった食事では不思議はない。上海に「薬を送れ」と電報を打つことにした。
我々ドイツ人は、ラジオのニュースで一様に大きなショックを受けている。国ではプロンベルグ、フリッチュ、そのほか数人の将官が辞任、ないし解任されたというではないか。外交政策を考慮して、という話だが、1日も早く詳しいことを知りたい。そうでなくてさえ、目の前に悲惨な出来事がごまんとあるというのに、この上、祖国の平和を憂えなければならないとは・・・・・・。勘弁してくれ!
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月5日 土曜日
中国の暦によれば、昨日が立春。今日は日差しがとても暖かい。雪はすっかり融けてしまった。
目が充血し、扁桃腺炎の気味があったので、終日ずっと部屋にいた。王さんが終日私の執務室にいた。客を迎えたり、行方不明の人たちを職業別に分類するためだ。可能であれば、その件で日高さんに会いたい。ほかの職員は、彼らがこの1週間のうち3日を費やして入手した資料の分類作業をしている。安全区国際委員会から救援が得られるかどうかは、私たちの勧告いかんで決まる。この大問題に対処するには、南京にいる練達の職員も何と無力なことだろう。午前中、私たち5人は3時間を費やして、国際委員会に提出する勧告を作成した。
昨日自宅に帰った女性のうち4人が今朝戻ってきた。この4人の中の1人である40歳の女性は、城門から出る際に衛兵に3ドルを強奪された上、そこから少し先に行ったところで別の兵士によって退避壕へ連れて行かれた。彼女を拉致した兵士は、畑の向こうからやってくる女性(20歳)の姿を見ると彼女を解放した。危険を冒して自分の家ーというよりは家の残骸ーに帰るくらいなら、このキャンパスで餓死するほうがましだと、年齢の高い女性たちまでもが考えるのも不思議ではない。1週間以内に全員が安全区に戻ってくるだろう、と予言する人もいる。全く気の毒な女性たちだ。何たる窮地であろう。
門衛でさえも気づかないうちに、かなりの数の若い女性たちがこっそり入ってきている。彼女たちは閉鎖された難民収容所からきたのだ。昨日私たちは、避難民がよその収容所からこの収容所へ殺到するのを食い止めようとした。
今日キャンパスにはいまなお約4000人ー大多数は若い女性ーがいると思う。現在までに37件の出産と27件の死亡があったが、死亡者のうち5件は成人である。今日は文科棟の階下のホールから階上の教室に若い女性たちを移すつもりだ。そうすれば玄関ホールをきれいに片付けることができるし、ぜひそうする必要がある。階段下のガラスで囲まれた場所にはいまなお女性たちがいる。ガラスの家に住んでいる人たち、というわけだ。
午後、警戒警報がとてもはっきり聞こえた。それは、どんなに多くのことを私に思い出させたことか。多分、中国軍の飛行機が句容へ向かっていたのだろう。
「Imagine9」【合同出版】より
MESSAGE(メッセージ)
環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。
人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。
あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。
ワンガリ・マータイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2月5日
強姦などの暴行は、2月1日から2月3日までのたった三日間でまたもや98件もあった。さいわいわが家の収容所では、今日も問題は起きなかった。けれども、事態のひどさはこの中国人の手紙が雄弁に物語っている。収容所の責任者であるこの人が言うには、そこの中学では5000人だった難民が8000人に増えたそうだ。
金陵大学付属中学からの手紙 1938年2月5日 於南京
拝啓 ラーベ様
書面をもって報告させていただきます。保護を求めて戻ってくる難民の数は増える一方です。そして、家には長くはいられないと口々に訴えております。といいますのも、日本兵に絶え間なくひどい目にあわされるからです。娘を出せと言われ、言うことを聞かなければ殺すと脅迫されるのです。
ラーベ様、あなたやあなたのご友人たちの他、私どもには誰一人頼れる人はありません。なにとぞ、ドイツ、アメリカ、日本の大使館と話し合ってくださるようお願いいたします。難民たちは、私のところに助けを求めてやってくるのですが、助けてやりたくとも私にはどうすることもできないのです。
自治委員会には日本に対する影響力は全くありません。委員会から、難民を助けることのできるのは国際委員会だけだと言われました。自治委員会の妻たちでさえ、一般民と同じように強姦されているありさまなのです。それなのに、なぜ自治委員会が難民たちに自分の家に戻れと言えるのか、私には理解できません。安全区の外に出たら最後、身を守るすべがないことは、自治委員会にもよくわかっているのですから。
難民たちがいかに悲惨な状況にあるか、それを言い表す言葉はとうてい見つかりません。
なにとぞ中国をお見捨てにならぬよう、我々をお救い下さるよう、神に祈るばかりです。あなた様やそのご友人たちが手をさしのべてくださらなかったら、いったい誰が助けてくれると言うのでしょう。お願いです、どうか、ご友人たちと一緒に考えてください。
敬愛するラーベ様、あなたは私たちの師です。これを書きながら、私は涙をおさえることができません。あなたに神のご加護がありますように。そして私たちのためにもお祈りくださいますよう。
敬具
D・G・ライムズ
14時15分
またもや中国機が上空を飛んでいる。とにかく飛行機に中国の印がついていることだけは確かだ。パイロットがどこの国の人間かはわからない。ロシア人でないといいが。ロシア人だとすると、ハーケンクロイツの旗を掲げてもあまり効き目はないだろうから。
収容所を2月8日に閉鎖するという新たな指令が出た。大混乱になり、いっこうにおさまらない。これまでに、約三分の一が出て行った。残ったのは大半が女の人だ。ここから出て行きたくないのだ。今日、鼓楼病院の医師たちから連絡があった。脚気の患者が2人運ばれてきたという。米飯だけのかたよった食事では不思議はない。上海に「薬を送れ」と電報を打つことにした。
我々ドイツ人は、ラジオのニュースで一様に大きなショックを受けている。国ではプロンベルグ、フリッチュ、そのほか数人の将官が辞任、ないし解任されたというではないか。外交政策を考慮して、という話だが、1日も早く詳しいことを知りたい。そうでなくてさえ、目の前に悲惨な出来事がごまんとあるというのに、この上、祖国の平和を憂えなければならないとは・・・・・・。勘弁してくれ!
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月5日 土曜日
中国の暦によれば、昨日が立春。今日は日差しがとても暖かい。雪はすっかり融けてしまった。
目が充血し、扁桃腺炎の気味があったので、終日ずっと部屋にいた。王さんが終日私の執務室にいた。客を迎えたり、行方不明の人たちを職業別に分類するためだ。可能であれば、その件で日高さんに会いたい。ほかの職員は、彼らがこの1週間のうち3日を費やして入手した資料の分類作業をしている。安全区国際委員会から救援が得られるかどうかは、私たちの勧告いかんで決まる。この大問題に対処するには、南京にいる練達の職員も何と無力なことだろう。午前中、私たち5人は3時間を費やして、国際委員会に提出する勧告を作成した。
昨日自宅に帰った女性のうち4人が今朝戻ってきた。この4人の中の1人である40歳の女性は、城門から出る際に衛兵に3ドルを強奪された上、そこから少し先に行ったところで別の兵士によって退避壕へ連れて行かれた。彼女を拉致した兵士は、畑の向こうからやってくる女性(20歳)の姿を見ると彼女を解放した。危険を冒して自分の家ーというよりは家の残骸ーに帰るくらいなら、このキャンパスで餓死するほうがましだと、年齢の高い女性たちまでもが考えるのも不思議ではない。1週間以内に全員が安全区に戻ってくるだろう、と予言する人もいる。全く気の毒な女性たちだ。何たる窮地であろう。
門衛でさえも気づかないうちに、かなりの数の若い女性たちがこっそり入ってきている。彼女たちは閉鎖された難民収容所からきたのだ。昨日私たちは、避難民がよその収容所からこの収容所へ殺到するのを食い止めようとした。
今日キャンパスにはいまなお約4000人ー大多数は若い女性ーがいると思う。現在までに37件の出産と27件の死亡があったが、死亡者のうち5件は成人である。今日は文科棟の階下のホールから階上の教室に若い女性たちを移すつもりだ。そうすれば玄関ホールをきれいに片付けることができるし、ぜひそうする必要がある。階段下のガラスで囲まれた場所にはいまなお女性たちがいる。ガラスの家に住んでいる人たち、というわけだ。
午後、警戒警報がとてもはっきり聞こえた。それは、どんなに多くのことを私に思い出させたことか。多分、中国軍の飛行機が句容へ向かっていたのだろう。
「Imagine9」【合同出版】より
MESSAGE(メッセージ)
環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。
人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。
あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。
ワンガリ・マータイ(ケニア/グリーンベルト運動代表、ノーベル平和賞受賞者)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年2月4日水曜日
1938年 南京 2月4日
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月4日
今日は見張りに出なければ。うちの収容所と、裏のドイツ人学校、表の中学校の三ヶ所に目を光らせるのだ。それぞれ、ドイツ人学校には600人、中学校には5000人の難民がいる。日本軍に力ずくで入ってこられれば歯が立たない。だが、せめてこの目でしかと見届けることはできる。そうすれば、世界中の人に伝えることができるのだ。
恐れていた2月4日が過ぎた。何も起こらなかった。日本軍に不愉快な目にあわせられることもなかった。今日は、正月の最終日だ。雨や雪もなんのその、人々は庭で爆竹を鳴らしてにこにこしている。貧しい人というものは、こんなにも欲のないものなのだ。殴り殺されさえしなければ、もうそれで満足なのだ。
フィッチが、昨晩再び上海ラジオにでた。今回も日本に対して好意的なことを言っていたが、それは、1月28日から31日の間に強姦などの事件がさらに増えたことを知らないからだ。もし知っていたらああいう言い方はしなかったろう。なにしろ今までで一番ひどかった12月の数日間より多かったのだから。
それはそうと、日記帳は無事届いただろうか?ドーラはなんとも言ってこないが。本社からも音沙汰がない。3月の初めまでここにいてもいいのだろうか?
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月4日 金曜日
気の毒な女性たちにとって今日は恐怖の日だ。彼女たちがそれぞれの家に帰ることになっている日なのだ。この日がどんな結果を産むのか、私たちにはわからない。私たちとしては、無理やりに人々を帰宅させるつもりはない。彼女たちが責任を負わされることになる。
午前中、5人の若い女性が聖経師資培訓学校(聖書講師養成学校)からやってきて、きのうそこの収容所が閉鎖されたこと、彼女たちがそれぞれの家に帰ったこと、夜間、兵士たちが侵入してきたこと、彼女たちが家の塀をよじ登って聖経師資培訓学校に逃げ戻ったことを話した。彼女たちはここに来たがっている。私たちとしては、彼女たちを受け入れたら避難民が殺到することになろうし、その場合には、いまなおここにいる4000人ないしそれ以上の避難民にいっそうの危険がもたらされるのではないかと心配だ。このあと私たちは、彼らを受け入れることを決めた。よその収容所を出て帰宅した若い女性たちが、このあと数日たって、自宅にずっといることはできないと思ったら、私たちは彼女を受け入れ、その結果について責任を負わなければならないだろう。
10時と12時30分に憲兵2人がやってきて、いくつかの棟を査察した。彼らは、別状がないかを確かめにきた、と言った。もっとも彼らには、多分それ以外の目的があったようだが。私たちは、避難民は1万人いたが、今残っているのは4000人だけで、多くの避難民はすでに帰宅した、と説明した。避難民の中には、上海、無錫、その他の出身で、交通機関が開通しなければ帰宅できないものがいるし、一家の稼ぎ手である息子や夫が連れ去られ、生活手段のない者もいること、さらには、家を焼かれてしまい、帰るべきところのない者もいることも説明しようとした。
3時に大使館の警官二名と中国人一名がやってきて、避難民の帰宅計画について彼らに説明したいので全員を集めてもらいたい、と言った。私たちは、理科棟にいる避難民を大講義室に集めた上で、そのグループを手はじめに一棟ずつ説明していくことを提案した。彼らはこの案に賛成したが、しかし、最初の棟だけで説明をやめてしまった。避難民女性たちの理解を得るのは容易なことではない。要点は次の3点だ。
1、全員が帰宅しなければならない。憲兵、普通警察および特別地区維持会(南京には4つの特別地区がある)の関係団体(自治委員会の組織)が彼女たちを保護してくれる。
2、夫が連行されたり、家屋が焼かれたりした場合、もしくは極貧である場合には当該特別地区の関係団体に申し出ること。
3、今後は安全区に対する保護措置はとらない。4つの特別地区のみが保護される。家財を安全区に持ち帰ってはならない。
その中国人はわざわざ居残るようにして、若い女性は安全ではないから、引き続きキャンパスに留まらせるほうがよい、と小声で助言してくれた。
午後5時30分、救援計画について相談するためプラマーがやってきて、どこの収容所でも強制退去は行われていない旨を述べた。午後5時、若い女性200人ほどがやってきて頭を地面にすりつけ、ここにいさせてくれと懇願した。私たちは、彼女たちを強制的に帰宅させることは考えていなかった。このあとプラマーが立ち去る時、彼女たちは彼の車の前で涙を流し、頭を地面にすりつけて要請行動を行った。気の毒な人たちだ。
「Imagine9」【合同出版】より
はじめに
戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2月4日
今日は見張りに出なければ。うちの収容所と、裏のドイツ人学校、表の中学校の三ヶ所に目を光らせるのだ。それぞれ、ドイツ人学校には600人、中学校には5000人の難民がいる。日本軍に力ずくで入ってこられれば歯が立たない。だが、せめてこの目でしかと見届けることはできる。そうすれば、世界中の人に伝えることができるのだ。
恐れていた2月4日が過ぎた。何も起こらなかった。日本軍に不愉快な目にあわせられることもなかった。今日は、正月の最終日だ。雨や雪もなんのその、人々は庭で爆竹を鳴らしてにこにこしている。貧しい人というものは、こんなにも欲のないものなのだ。殴り殺されさえしなければ、もうそれで満足なのだ。
フィッチが、昨晩再び上海ラジオにでた。今回も日本に対して好意的なことを言っていたが、それは、1月28日から31日の間に強姦などの事件がさらに増えたことを知らないからだ。もし知っていたらああいう言い方はしなかったろう。なにしろ今までで一番ひどかった12月の数日間より多かったのだから。
それはそうと、日記帳は無事届いただろうか?ドーラはなんとも言ってこないが。本社からも音沙汰がない。3月の初めまでここにいてもいいのだろうか?
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月4日 金曜日
気の毒な女性たちにとって今日は恐怖の日だ。彼女たちがそれぞれの家に帰ることになっている日なのだ。この日がどんな結果を産むのか、私たちにはわからない。私たちとしては、無理やりに人々を帰宅させるつもりはない。彼女たちが責任を負わされることになる。
午前中、5人の若い女性が聖経師資培訓学校(聖書講師養成学校)からやってきて、きのうそこの収容所が閉鎖されたこと、彼女たちがそれぞれの家に帰ったこと、夜間、兵士たちが侵入してきたこと、彼女たちが家の塀をよじ登って聖経師資培訓学校に逃げ戻ったことを話した。彼女たちはここに来たがっている。私たちとしては、彼女たちを受け入れたら避難民が殺到することになろうし、その場合には、いまなおここにいる4000人ないしそれ以上の避難民にいっそうの危険がもたらされるのではないかと心配だ。このあと私たちは、彼らを受け入れることを決めた。よその収容所を出て帰宅した若い女性たちが、このあと数日たって、自宅にずっといることはできないと思ったら、私たちは彼女を受け入れ、その結果について責任を負わなければならないだろう。
10時と12時30分に憲兵2人がやってきて、いくつかの棟を査察した。彼らは、別状がないかを確かめにきた、と言った。もっとも彼らには、多分それ以外の目的があったようだが。私たちは、避難民は1万人いたが、今残っているのは4000人だけで、多くの避難民はすでに帰宅した、と説明した。避難民の中には、上海、無錫、その他の出身で、交通機関が開通しなければ帰宅できないものがいるし、一家の稼ぎ手である息子や夫が連れ去られ、生活手段のない者もいること、さらには、家を焼かれてしまい、帰るべきところのない者もいることも説明しようとした。
3時に大使館の警官二名と中国人一名がやってきて、避難民の帰宅計画について彼らに説明したいので全員を集めてもらいたい、と言った。私たちは、理科棟にいる避難民を大講義室に集めた上で、そのグループを手はじめに一棟ずつ説明していくことを提案した。彼らはこの案に賛成したが、しかし、最初の棟だけで説明をやめてしまった。避難民女性たちの理解を得るのは容易なことではない。要点は次の3点だ。
1、全員が帰宅しなければならない。憲兵、普通警察および特別地区維持会(南京には4つの特別地区がある)の関係団体(自治委員会の組織)が彼女たちを保護してくれる。
2、夫が連行されたり、家屋が焼かれたりした場合、もしくは極貧である場合には当該特別地区の関係団体に申し出ること。
3、今後は安全区に対する保護措置はとらない。4つの特別地区のみが保護される。家財を安全区に持ち帰ってはならない。
その中国人はわざわざ居残るようにして、若い女性は安全ではないから、引き続きキャンパスに留まらせるほうがよい、と小声で助言してくれた。
午後5時30分、救援計画について相談するためプラマーがやってきて、どこの収容所でも強制退去は行われていない旨を述べた。午後5時、若い女性200人ほどがやってきて頭を地面にすりつけ、ここにいさせてくれと懇願した。私たちは、彼女たちを強制的に帰宅させることは考えていなかった。このあとプラマーが立ち去る時、彼女たちは彼の車の前で涙を流し、頭を地面にすりつけて要請行動を行った。気の毒な人たちだ。
「Imagine9」【合同出版】より
はじめに
戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年2月3日火曜日
1938年 南京 2月3日
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月3日
収容所ではどこもかしこも似たような光景が繰り広げられている。うちの庭でも、70人もの女の人がひざまずいて、頭を地面にこすりつけながら泣き叫んでいる。なんという哀れな姿だろう・・・・胸がふさがる。みな、ここから出て行きたくないのだ。日本兵が怖いのだ。強姦されはしないかとおびえている。しごく最もな話だ。私はくり返し訴えられた。
「あなたは、私たちの父であり、母です。これまで私たちを守ってくださいました。お願いです、どうか見捨てないで!最後まで守ってください。辱められ、死ななくてはならないというのなら、ここで死なせてください!」
胸がつぶれるようだ。その気持ちはいたいほどわかる。だから私はここに残ってもいいと言った。結局年寄りが何人か出て行っただけだった。
日高氏の言葉は本当だろうか。日本軍は暴力を用いることはないといっていたが。だが今までさんざん煮え湯を飲まされてきたので、少々のことでは驚かないだけの覚悟はある。明日、委員会のメンバーはそれぞれ警戒を怠らないだろう。我々はいい加減腹に据えかねている。日本当局はやつらを「ならずもの」とか呼んでいるそうだが、聞いて呆れる。こっちじゃ「人殺し部隊」といってるんだ。そういう輩が今度は正々堂々と収容所へ入ってくるとなれば、ただじゃすまないだろう。
今しがた張から聞いたのだが、私たちがかつて住んでいた家の近く、通りを入ったすぐのところの小さな家で人が殺されたそうだ。17人の家族のうち、6人が殺されたという。娘たちをかばって家の前で日本兵にすがりついたからだ。年寄りが撃ち殺されたあと、娘たちが連れ去られて強姦された。結局女の子が一人だけ残され、みかねた近所の人が引き取った。
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を超えた人さえ、何度も暴行されているのだ。
日高氏に手紙を書いて、難民を力ずくで追い出すことはないという先日の約束を文書にしてくれるよう、また、その件について軍当局と是非もう一度話し合ってくれるよう頼んだ。
江南セメント工場のシンバーグさんが、ギュンターさんの報告を届けてくれた。これを見ると、南京だけが日本兵に苦しめられているいるのではないことがわかる。強姦、殺人、撲殺。同じような報告が、四方八方から入ってくる。日本中の犯罪者が軍服を着て南京に勢揃いしたのかといいたくなる。
ローゼンの内密の情報に間違いがなければ、私の勲章のコレクションは、近々もう一つ増えることになりそうだ。ドイツの赤十字勲章の候補になっているらしい。クレーガーやシュペアリングもそうだと言うし、私もじたばたせずに、成り行きに任せることにしよう。
注・トラウトマン大使は、この3人を赤十字勲功十字章受章者に推薦した。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月3日 木曜日
ひっきりなしに雪が降っている。とても寒い。一棟当たりでおそらく900人以上いる二つの研究棟を除くすべての棟の避難民登録を終了した。乳幼児や病気の子どもたちに肝油と粉ミルクを配給する方法についての相談で、ルイス・スマイスが午前、そして午後にも電話をかけてきた。彼は、安全区委員会としては、収容所を管理している私たち全員に対し、避難民が帰宅する期日である明日はそれぞれの部署についているよう要望していることも伝えた。
自分たちの家に帰らされるとは、住民にしてみれば何と恐ろしい決定だろう。帰宅すれば物品を強奪されたり、銃剣で刺されたりするだけでなく、強姦されるというきわめて重大な危険に依然としてさらされているのだ。きょうは、私たちの力の一部は、比較的年齢の高い女性にたいし、たとえ危険を冒しても帰宅するよう促すことに費やされた。若い女性たちがここに安全に留まっていられるようにするためである。
かつて神学院の女子寄宿舎の舎監をしていた李さんが、神学院収容所の若い女性たちの要請をを受けてやってきた。彼女たちは、そこの収容所が閉鎖された場合、ここに来たがっている。若い女性は全員を私たちが船で上海に連れて行ってくれるという根も葉もない話を聞いたからだ。・・・・・
今夜は目が充血して痛いが、程先生が手当てをし、眼帯をしてくれた。私は、4人の盲目の避難民女子に対し、これまでにもまして同情を覚えている。彼女たちは、どのようにしてあれほど快活になれるのだろうか。
「Imagine9」【合同出版】より
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。
また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2月3日
収容所ではどこもかしこも似たような光景が繰り広げられている。うちの庭でも、70人もの女の人がひざまずいて、頭を地面にこすりつけながら泣き叫んでいる。なんという哀れな姿だろう・・・・胸がふさがる。みな、ここから出て行きたくないのだ。日本兵が怖いのだ。強姦されはしないかとおびえている。しごく最もな話だ。私はくり返し訴えられた。
「あなたは、私たちの父であり、母です。これまで私たちを守ってくださいました。お願いです、どうか見捨てないで!最後まで守ってください。辱められ、死ななくてはならないというのなら、ここで死なせてください!」
胸がつぶれるようだ。その気持ちはいたいほどわかる。だから私はここに残ってもいいと言った。結局年寄りが何人か出て行っただけだった。
日高氏の言葉は本当だろうか。日本軍は暴力を用いることはないといっていたが。だが今までさんざん煮え湯を飲まされてきたので、少々のことでは驚かないだけの覚悟はある。明日、委員会のメンバーはそれぞれ警戒を怠らないだろう。我々はいい加減腹に据えかねている。日本当局はやつらを「ならずもの」とか呼んでいるそうだが、聞いて呆れる。こっちじゃ「人殺し部隊」といってるんだ。そういう輩が今度は正々堂々と収容所へ入ってくるとなれば、ただじゃすまないだろう。
今しがた張から聞いたのだが、私たちがかつて住んでいた家の近く、通りを入ったすぐのところの小さな家で人が殺されたそうだ。17人の家族のうち、6人が殺されたという。娘たちをかばって家の前で日本兵にすがりついたからだ。年寄りが撃ち殺されたあと、娘たちが連れ去られて強姦された。結局女の子が一人だけ残され、みかねた近所の人が引き取った。
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。70を超えた人さえ、何度も暴行されているのだ。
日高氏に手紙を書いて、難民を力ずくで追い出すことはないという先日の約束を文書にしてくれるよう、また、その件について軍当局と是非もう一度話し合ってくれるよう頼んだ。
江南セメント工場のシンバーグさんが、ギュンターさんの報告を届けてくれた。これを見ると、南京だけが日本兵に苦しめられているいるのではないことがわかる。強姦、殺人、撲殺。同じような報告が、四方八方から入ってくる。日本中の犯罪者が軍服を着て南京に勢揃いしたのかといいたくなる。
ローゼンの内密の情報に間違いがなければ、私の勲章のコレクションは、近々もう一つ増えることになりそうだ。ドイツの赤十字勲章の候補になっているらしい。クレーガーやシュペアリングもそうだと言うし、私もじたばたせずに、成り行きに任せることにしよう。
注・トラウトマン大使は、この3人を赤十字勲功十字章受章者に推薦した。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月3日 木曜日
ひっきりなしに雪が降っている。とても寒い。一棟当たりでおそらく900人以上いる二つの研究棟を除くすべての棟の避難民登録を終了した。乳幼児や病気の子どもたちに肝油と粉ミルクを配給する方法についての相談で、ルイス・スマイスが午前、そして午後にも電話をかけてきた。彼は、安全区委員会としては、収容所を管理している私たち全員に対し、避難民が帰宅する期日である明日はそれぞれの部署についているよう要望していることも伝えた。
自分たちの家に帰らされるとは、住民にしてみれば何と恐ろしい決定だろう。帰宅すれば物品を強奪されたり、銃剣で刺されたりするだけでなく、強姦されるというきわめて重大な危険に依然としてさらされているのだ。きょうは、私たちの力の一部は、比較的年齢の高い女性にたいし、たとえ危険を冒しても帰宅するよう促すことに費やされた。若い女性たちがここに安全に留まっていられるようにするためである。
かつて神学院の女子寄宿舎の舎監をしていた李さんが、神学院収容所の若い女性たちの要請をを受けてやってきた。彼女たちは、そこの収容所が閉鎖された場合、ここに来たがっている。若い女性は全員を私たちが船で上海に連れて行ってくれるという根も葉もない話を聞いたからだ。・・・・・
今夜は目が充血して痛いが、程先生が手当てをし、眼帯をしてくれた。私は、4人の盲目の避難民女子に対し、これまでにもまして同情を覚えている。彼女たちは、どのようにしてあれほど快活になれるのだろうか。
「Imagine9」【合同出版】より
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。
また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年2月2日月曜日
1938年 南京 2月2日
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月2日
韓の調べによると、うちの難民は600人を超え、世帯数は135だと言う。そのうち、24家族は家を焼かれ、帰る所がない。昨日、泣きながら出て行った人もいた。誰も日本軍を信頼していない。当たり前だ。2つの収容所の報告から、まだ安全でないことがよくわかった。
昨日、本間少将到着。南京の混乱を鎮めるため、日本政府から全権を与えられているそうだ。ここには2日しかいないというが、それで足りるのだろうか。ローゼンは、1月30日付けの私の手紙をもとに、難民がどんなに困っているかを詳しく説明した結果、あまり本間には期待できないだろうという意見だ。
今日、上海日本大使館の日高信六郎参事官と、ローゼン宅で昼食。我々が記録した日本兵の暴行はこの3日間だけでなんと88件もある。これはこの種のものとしては、今までで一番ひどかった12月を上回っている。報告書を渡すと、日高氏は全く困ったものだとつぶやいて、部隊が交代するときには往々にしてこういう事件が起きがちだと言い訳した。
「前の部隊は評判が悪く、1月28日に離任させられたんですが、撤退前にもう一度けしからぬ振る舞いに及んだという話です」
この手の逃げ口上は先刻承知だ。けれども我々は、いま報告されている強姦などの事件が実は新しい部隊のしわざだという証拠をつかんでいる。難民が2月4日に力ずくで追い立てられるというのは本当かと聞くと、自分が知る限りでは、絶対にそんなことはないと日高氏は言った。「それに、2月4日以前に収容所を出れば、元の家に戻るにあたって多少補償があるはずです。つまり、家が焼けている場合は別の家を与えられることになっています。今までにもう、8万人以上が戻るといってきましたよ」
私は念を押した。「近いうちに我々も収容所を解散したいと考えています。ですからなおのこと、いくども難民に家に帰るようすすめました。けれどもそのために、一にも二にも安全であることが条件になります」
日高氏は、強制執行しないということは中国人には黙っていてくれといった。すんなりいかないと困るというのだ。私は約束した。・・・・・・・
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月2日 水曜日
今朝は薄暗くて寒い朝だったが、たくさんの飛行機が西北部に死と損壊をもたらした。
アーネスト・フォスター、ジェームズ・マッカラムと一緒に10時、最初に城南にあるキリスト教伝道館へ、そのあとアメリカ教会伝道本部へ行った。インディアナビルディングは、外側はそれほどひどく損壊していなかったが、とくに最上階の部屋は徹底的な略奪をこうむっていた。西地区の校舎は焼け落ちていた。中華路では、最高級の建物の80パーセントが焼けてしまったようだった。キリスト教青年会は、真っ先に焼かれた建物の一つだった。日本軍入城直後の数日間、火災はそれほど多くなかったが、1週間と経たないうちに、計画的に略奪した上で放火するという方針がとられ、何日間もそれが続けられた。結果は、今朝私が見たとおりだ。撤退するさいに中国軍は、金銭を奪う以外はほとんど略奪を働かなかった。全く奇妙な話だが、私たちとしては、こんなことになるとは思ってもみなかった。私たちの多くは、(日本軍の)長期にわたる包囲攻撃と、中国軍兵士による略奪を恐れていた。いやむしろ、日本軍はきわめてよく訓練されているから略奪や放火はしないと確信していた。アメリカ教会伝道本部も、ほぼ同じような状態だった。伝道施設はアメリカ側と日本側の声明によって十分に保護されていたはずであるにもかかわらず、徹底的な略奪をこうむっていた。学校はほとんどの部分が爆弾で破壊されていたが、教会はそれほどひどい損害を受けていなかった。
太平路では商店がほとんど軒並み焼かれてしまった。徹底的な略奪の証拠を隠蔽するためだ。軍のトラックが略奪品を運び出した。後日、かりに日本人実業家が南京市に居住しようとしても、必要な建物を建てるには巨額な資金がいるだろう。商店は、日本人が開設した少数の店以外は一軒も残っていなかった。
上海からついさっき帰ってきた福田氏に会うため、11時15分、日本大使館へ行った。彼は、私が提供した、658人の行方不明者ー私たちの収容所にいる避難民女性の夫や息子ーの資料を受け取った。大多数の者は12月16日に連行された。福田氏は、できることはするつもりだ、と言ってくれたが、私は、それは誠実な言葉だったと思う。というのも、夫のいなくなったそうした女性たちが社会に頼っていることを彼は認識していたからだ。だが、そのような社会など存在しないのだ。すべての避難民に帰宅を強制する命令が出されていることについて彼に手短に話し、また、最近三日間に発生した何件かの強姦のことを伝えた。彼は、もっと多くの事実を知りたい、と言った。この訪問のあと私は紅卍字会本部へ行き、キャンパスの西隣に放置された死体ーとりわけ、二つの池の岸に放置された焼け焦げ死体のことを伝えた。(南京)占拠以来、紅卍字会は1000体を超える死体を棺に納めてきたのだ。
3時から5時30分まで執務室にいた。といっても、仕事をするためではない。数人の女性がやってきて、彼女たちのこうむった悲劇的事件ー信じがたいほど残酷残忍に思われる事件ーについて語った。いつかそのうち、日本の女性たちにこうした何とも悲しい話を知ってもらいたいものだ。・・・・・・
・・・・・・・・
明日午後の集会の参加券を郭江(音訳)と私が配っていたら、若い女性たちが、2月4日に強制的に帰宅させられることのないよう、精一杯努力してほしい、と哀願した。彼女たちは、退去を強制されるくらいならキャンパスで餓死したい、と言った。
Imagine9」【合同出版】より
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2月2日
韓の調べによると、うちの難民は600人を超え、世帯数は135だと言う。そのうち、24家族は家を焼かれ、帰る所がない。昨日、泣きながら出て行った人もいた。誰も日本軍を信頼していない。当たり前だ。2つの収容所の報告から、まだ安全でないことがよくわかった。
昨日、本間少将到着。南京の混乱を鎮めるため、日本政府から全権を与えられているそうだ。ここには2日しかいないというが、それで足りるのだろうか。ローゼンは、1月30日付けの私の手紙をもとに、難民がどんなに困っているかを詳しく説明した結果、あまり本間には期待できないだろうという意見だ。
今日、上海日本大使館の日高信六郎参事官と、ローゼン宅で昼食。我々が記録した日本兵の暴行はこの3日間だけでなんと88件もある。これはこの種のものとしては、今までで一番ひどかった12月を上回っている。報告書を渡すと、日高氏は全く困ったものだとつぶやいて、部隊が交代するときには往々にしてこういう事件が起きがちだと言い訳した。
「前の部隊は評判が悪く、1月28日に離任させられたんですが、撤退前にもう一度けしからぬ振る舞いに及んだという話です」
この手の逃げ口上は先刻承知だ。けれども我々は、いま報告されている強姦などの事件が実は新しい部隊のしわざだという証拠をつかんでいる。難民が2月4日に力ずくで追い立てられるというのは本当かと聞くと、自分が知る限りでは、絶対にそんなことはないと日高氏は言った。「それに、2月4日以前に収容所を出れば、元の家に戻るにあたって多少補償があるはずです。つまり、家が焼けている場合は別の家を与えられることになっています。今までにもう、8万人以上が戻るといってきましたよ」
私は念を押した。「近いうちに我々も収容所を解散したいと考えています。ですからなおのこと、いくども難民に家に帰るようすすめました。けれどもそのために、一にも二にも安全であることが条件になります」
日高氏は、強制執行しないということは中国人には黙っていてくれといった。すんなりいかないと困るというのだ。私は約束した。・・・・・・・
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月2日 水曜日
今朝は薄暗くて寒い朝だったが、たくさんの飛行機が西北部に死と損壊をもたらした。
アーネスト・フォスター、ジェームズ・マッカラムと一緒に10時、最初に城南にあるキリスト教伝道館へ、そのあとアメリカ教会伝道本部へ行った。インディアナビルディングは、外側はそれほどひどく損壊していなかったが、とくに最上階の部屋は徹底的な略奪をこうむっていた。西地区の校舎は焼け落ちていた。中華路では、最高級の建物の80パーセントが焼けてしまったようだった。キリスト教青年会は、真っ先に焼かれた建物の一つだった。日本軍入城直後の数日間、火災はそれほど多くなかったが、1週間と経たないうちに、計画的に略奪した上で放火するという方針がとられ、何日間もそれが続けられた。結果は、今朝私が見たとおりだ。撤退するさいに中国軍は、金銭を奪う以外はほとんど略奪を働かなかった。全く奇妙な話だが、私たちとしては、こんなことになるとは思ってもみなかった。私たちの多くは、(日本軍の)長期にわたる包囲攻撃と、中国軍兵士による略奪を恐れていた。いやむしろ、日本軍はきわめてよく訓練されているから略奪や放火はしないと確信していた。アメリカ教会伝道本部も、ほぼ同じような状態だった。伝道施設はアメリカ側と日本側の声明によって十分に保護されていたはずであるにもかかわらず、徹底的な略奪をこうむっていた。学校はほとんどの部分が爆弾で破壊されていたが、教会はそれほどひどい損害を受けていなかった。
太平路では商店がほとんど軒並み焼かれてしまった。徹底的な略奪の証拠を隠蔽するためだ。軍のトラックが略奪品を運び出した。後日、かりに日本人実業家が南京市に居住しようとしても、必要な建物を建てるには巨額な資金がいるだろう。商店は、日本人が開設した少数の店以外は一軒も残っていなかった。
上海からついさっき帰ってきた福田氏に会うため、11時15分、日本大使館へ行った。彼は、私が提供した、658人の行方不明者ー私たちの収容所にいる避難民女性の夫や息子ーの資料を受け取った。大多数の者は12月16日に連行された。福田氏は、できることはするつもりだ、と言ってくれたが、私は、それは誠実な言葉だったと思う。というのも、夫のいなくなったそうした女性たちが社会に頼っていることを彼は認識していたからだ。だが、そのような社会など存在しないのだ。すべての避難民に帰宅を強制する命令が出されていることについて彼に手短に話し、また、最近三日間に発生した何件かの強姦のことを伝えた。彼は、もっと多くの事実を知りたい、と言った。この訪問のあと私は紅卍字会本部へ行き、キャンパスの西隣に放置された死体ーとりわけ、二つの池の岸に放置された焼け焦げ死体のことを伝えた。(南京)占拠以来、紅卍字会は1000体を超える死体を棺に納めてきたのだ。
3時から5時30分まで執務室にいた。といっても、仕事をするためではない。数人の女性がやってきて、彼女たちのこうむった悲劇的事件ー信じがたいほど残酷残忍に思われる事件ーについて語った。いつかそのうち、日本の女性たちにこうした何とも悲しい話を知ってもらいたいものだ。・・・・・・
・・・・・・・・
明日午後の集会の参加券を郭江(音訳)と私が配っていたら、若い女性たちが、2月4日に強制的に帰宅させられることのないよう、精一杯努力してほしい、と哀願した。彼女たちは、退去を強制されるくらいならキャンパスで餓死したい、と言った。
Imagine9」【合同出版】より
考えてみよう、
日本の憲法9条のこれから。
「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2009年2月1日日曜日
1938年 南京 2月1日
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月1日
ラウテンシュラーガー氏あてに祝電を打つ件だが、ローゼンが反対したので電報は見合わせた。波風をたてたくない。ヒトラー全権掌握五周年記念祝賀会へ電報を打とうとしたのだが、ユダヤ人の血を引くローゼンは招かれていなかったからだ。だから、南京のドイツ人がみな祝ったとは言えない。
右を向いても左を向いても、聞こえてくるのは中国人の嘆きばかり。家に帰ったはいいが、妻や娘が強姦されたというのだ。結局あとからあとから安全区へ舞い戻ってきた。また受け入れてやるよりほかない。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月1日 火曜日
かなりよく晴れた暖かな一日だった。またまた飛行機が飛んでいる。大型機が北西方向に飛んでいる。今日は飛行船も飛んでいる。浦口付近上空だ。どういうわけでこんなに近いところを飛ぶのか合点がいかない。
今朝9時から避難民のいる6つの建物で女子学院独自の避難民登録を始めた。というのも、避難民が家へ帰る前に彼らそれぞれの家庭についてもっと詳しいことを知りたいからだ。この作業を手伝ってくれる人がどの建物にもそれぞれ2人いる。作業を終了するには2日かかるだろう。王さんとフランシス陳が難民収容所所長会議に出かけた。私の代わりに王さんが出席するのが一番よさそうに思われた。その会議では、避難民をそれぞれの家に帰らせるという重要な問題について話し合うことになっているからだ。会議の大部分を通じ、家に帰ろうとした人々に対する暴行の報告が相次いだ。若い女性たちはどうすれば家へ帰れるのか、見当がつかない。それに、なぜ軍の責任者たちが彼女たちを帰宅させたがるのかも、私には理解できない。なぜなら、そんなことをすれば、たぶん、虐待や陵辱の話がいちじるしく増えるだろうからだ。会議の出席者たちは、軍の高官が参加するのだから、帰宅の期日を延期してもらうことはたぶん可能だと考えていた。
ちょうど正午前、ある女性(39歳)が6時30分(ママ)に、彼女の悩みについて相談しにやってきた。今朝のことだが、彼女は、彼女と同じ家で働いている男性に、多分、家の品物が残っているだろうから、それを取りに(いっしょに)行ってくれ説得した。彼女は5人の兵士に捕まって強姦され、男は平手打ちされた上に9ドルを奪い取られた。彼女の夫は12月27日に拉致され、まだ戻ってきていない。この女性が私の執務室から立ち去ったすぐあと、57歳の別の女性が入ってきた。彼女と彼女の夫は日曜日に帰宅したのだが、夫が家から無理やり追い出されたあと、2人の兵士が彼女を陵辱した。女性たちは、自分から進んでこういった話はしない。そうしたことの恥辱をあまりにも深刻に感じているからだ。若い女性に家へ帰るようにと、どうして言えようか。キャンパスの端から端へと歩いて行くたびに、いつものように今日もまた一団の女性が集まってきて、キャンパスにずっといられるように取り計らってほしいと懇願した。彼女たちのことを思うと、何と心が痛むことか。
今朝、ジョン・マギーに車を貸してもらい、メリーと程先生がクリスチアナ蔡の家に2人の老人を連れて行った。彼らが、その古びた立派な邸宅の残存部分を被害から守ることができるかどうか確かめるためだ。その家はすでに、ひどい略奪をこうむったあとだったが、比較的にずっしりしたマホガニーの家具が何点か邸内に残されていた。1時30分、ブランチ呉と一緒に、市の東部にある国立中央研究院へ出かけた。そこは、何と気を滅入らせる光景だったろう。いたるところで住宅や店舗はすっかり焼き払われ、略奪をこうむっていた。あたりには兵士以外はほとんど誰一人見かけなかった。研究院では主要な建物のうち3棟焼かれてしまい、目にしたのは、長年の努力の結実である立派な植物標本の焼け焦げた残骸だった。生物学研究棟は略奪を受けていたが、しかし、焼けてはいなかった。私たちは平(音訳)博士の研究室に行き、残されていた研究資料らしいものを集めようとした。私たちは、年輩の信頼できる人を何人かそこへ出向かせ、管理人として、残された資料を保全してもらうつもりだ。私たちが帰ってくると、そのあと程先生とメリーが再び出かけて行った。今度はメリー陳の家だ。何たる光景であろう。あらゆる物が略奪され、損壊されていたのだ。長い歴史をもつ南京で何が春まで残るのだろうか。・・・・・・・・・
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)
・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)
・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)
・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)
・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2月1日
ラウテンシュラーガー氏あてに祝電を打つ件だが、ローゼンが反対したので電報は見合わせた。波風をたてたくない。ヒトラー全権掌握五周年記念祝賀会へ電報を打とうとしたのだが、ユダヤ人の血を引くローゼンは招かれていなかったからだ。だから、南京のドイツ人がみな祝ったとは言えない。
右を向いても左を向いても、聞こえてくるのは中国人の嘆きばかり。家に帰ったはいいが、妻や娘が強姦されたというのだ。結局あとからあとから安全区へ舞い戻ってきた。また受け入れてやるよりほかない。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月1日 火曜日
かなりよく晴れた暖かな一日だった。またまた飛行機が飛んでいる。大型機が北西方向に飛んでいる。今日は飛行船も飛んでいる。浦口付近上空だ。どういうわけでこんなに近いところを飛ぶのか合点がいかない。
今朝9時から避難民のいる6つの建物で女子学院独自の避難民登録を始めた。というのも、避難民が家へ帰る前に彼らそれぞれの家庭についてもっと詳しいことを知りたいからだ。この作業を手伝ってくれる人がどの建物にもそれぞれ2人いる。作業を終了するには2日かかるだろう。王さんとフランシス陳が難民収容所所長会議に出かけた。私の代わりに王さんが出席するのが一番よさそうに思われた。その会議では、避難民をそれぞれの家に帰らせるという重要な問題について話し合うことになっているからだ。会議の大部分を通じ、家に帰ろうとした人々に対する暴行の報告が相次いだ。若い女性たちはどうすれば家へ帰れるのか、見当がつかない。それに、なぜ軍の責任者たちが彼女たちを帰宅させたがるのかも、私には理解できない。なぜなら、そんなことをすれば、たぶん、虐待や陵辱の話がいちじるしく増えるだろうからだ。会議の出席者たちは、軍の高官が参加するのだから、帰宅の期日を延期してもらうことはたぶん可能だと考えていた。
ちょうど正午前、ある女性(39歳)が6時30分(ママ)に、彼女の悩みについて相談しにやってきた。今朝のことだが、彼女は、彼女と同じ家で働いている男性に、多分、家の品物が残っているだろうから、それを取りに(いっしょに)行ってくれ説得した。彼女は5人の兵士に捕まって強姦され、男は平手打ちされた上に9ドルを奪い取られた。彼女の夫は12月27日に拉致され、まだ戻ってきていない。この女性が私の執務室から立ち去ったすぐあと、57歳の別の女性が入ってきた。彼女と彼女の夫は日曜日に帰宅したのだが、夫が家から無理やり追い出されたあと、2人の兵士が彼女を陵辱した。女性たちは、自分から進んでこういった話はしない。そうしたことの恥辱をあまりにも深刻に感じているからだ。若い女性に家へ帰るようにと、どうして言えようか。キャンパスの端から端へと歩いて行くたびに、いつものように今日もまた一団の女性が集まってきて、キャンパスにずっといられるように取り計らってほしいと懇願した。彼女たちのことを思うと、何と心が痛むことか。
今朝、ジョン・マギーに車を貸してもらい、メリーと程先生がクリスチアナ蔡の家に2人の老人を連れて行った。彼らが、その古びた立派な邸宅の残存部分を被害から守ることができるかどうか確かめるためだ。その家はすでに、ひどい略奪をこうむったあとだったが、比較的にずっしりしたマホガニーの家具が何点か邸内に残されていた。1時30分、ブランチ呉と一緒に、市の東部にある国立中央研究院へ出かけた。そこは、何と気を滅入らせる光景だったろう。いたるところで住宅や店舗はすっかり焼き払われ、略奪をこうむっていた。あたりには兵士以外はほとんど誰一人見かけなかった。研究院では主要な建物のうち3棟焼かれてしまい、目にしたのは、長年の努力の結実である立派な植物標本の焼け焦げた残骸だった。生物学研究棟は略奪を受けていたが、しかし、焼けてはいなかった。私たちは平(音訳)博士の研究室に行き、残されていた研究資料らしいものを集めようとした。私たちは、年輩の信頼できる人を何人かそこへ出向かせ、管理人として、残された資料を保全してもらうつもりだ。私たちが帰ってくると、そのあと程先生とメリーが再び出かけて行った。今度はメリー陳の家だ。何たる光景であろう。あらゆる物が略奪され、損壊されていたのだ。長い歴史をもつ南京で何が春まで残るのだろうか。・・・・・・・・・
「Imagine9」【合同出版】より
世界は、
9条をえらび始めた。
・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)
・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)
・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)
・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)
・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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