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●日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!!
●2018 所沢 平和のための戦争展
●2018 所沢 平和のための戦争展
●今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス事件~
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
化学兵器の研究
帰国後、彼は2部の報告書を作成し、再び化学兵器の発展がより急務であると強調した。陸軍省は報告書を受け取ると、すぐに研究経費を年額30万に増額することを認可し、同時に120万円の研究施設費を支出することとした。こうのようにして、日本の化学兵器研究は新しい段階に入った。ここで特に指摘したいのは、日本の政府と陸軍省がこのように化学兵器の研究を重視するには、当時の国際的な背景と密接な関係があるという事だ。
日本鬼子のおきみやげ
初めて知った戦争(毒ガス)
瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々
藤井ヨシカツ(ふじい・よしかつ)
秘密を守るため、島は地図から消された
大久野島は「ウサギの島」として有名だ
山内さんは言う。「歩くのは大事ですよ。特に暑いとき。歩きながらしゃべるのには、すごい体力いるから。まず元気でいないと」
藤井ヨシカツ(ふじい・よしかつ)
1979年、広島県生まれ。東京造形大学で映像を学んだ後、写真家として活動を始める。2015年から広島を拠点として、風化する戦争の記憶をテーマに作品を制作している。2018年、「毒ガス島」として知られる大久野島を題材にした手製写真集「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」が、アメリカでThe Anamorphosis Prizeを受賞した。
※海軍の毒ガス工場、相模海軍工廠(寒川)では、毒ガスの人体実験が行われていた!!
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
・第5回
自衛隊の弾薬、毒ガスの管理状況は?自分が現役の時代、事務所の机の中に催涙ガス10本位置かれていました(管理簿に載っていない毒ガス)。普通は弾薬庫の中にあるはずなのですけど?残念ながらこれが自衛隊の現状です。又、弾薬庫も完璧に警備はされていません。おそらく、自衛隊の現状を考えると警備の隊員も減らされていると思われます。実は、那覇空港の滑走路のすぐ隣も弾薬庫だらけです。
・数日前、那覇空港の中まで機関銃の音が聞こえました。空港の出口正面は訓練場です。
・第4回
「陸上自衛隊化学学校にはガス専用の訓練施設がありました(ガス訓練室)。隊員達はだれとなく「ガス室」と、呼んでいました。昔、開発中の新型防護マスク4型の実用試験に隊員達10名位がモルモットとして、この試験に参加させられました。もう…時効です。農薬(毒ガスによく似た)の充満した部屋に防護マスクを装置して部屋のなかに…隊員が我々はモルモットか?と、叫んでいました。化学学校の研究員2名が実験の担当者でした。陸将補で退官されたと記憶しています。
・第3回
数年前読んだ下里正樹さんの(オウムの黒い霧)の本にオウムにサリンの製造技術を教えた化学学校所属の自衛官(防衛大学校32期:二等陸尉)がいたことが書かれていました。しかし、自分の記憶では二等陸尉(平成七年、十数名がいた)にオウム入信していた幹部自衛官は記憶がありません。ただ、二百名の隊員のなかに自分のかすかな記憶では一人だけ、当時社会的問題を起こしていた宗教に入信していた幹部自衛官がいました。毒ガスの専門家でサリン製造の中枢にも配属されていた幹部研究員です。
・第2回
昔、陸上自衛隊化学学校では、勤務中に医薬品を作っていました。市販の医薬品は必ず成分:分量(重量%)を記入してあります。その為合成は簡単です。実験室なので薬品も無数にあります。ただ、薬品の私的流用は駄目です。この不正行為は氷山の一角です。是非、陸上自衛隊化学学校を取材してみて下さい。
・第1回
化学学校の誰かがオウムにサリンの製造技術を教えた…?地下鉄サリン事件の一年~三年前、サリン製造の中枢(装備研究科)に一人の幹部自衛官が配属されていました。この幹部自衛官は当時宗教(Tという普通の宗教ではありません)に入信していました。普通はこの様な人物は研究科に配属されることはまず(100%㌣)ありません。自分も当時この人事にビックリしました。何か特別な事情(本人の希望等)があったのかも知れません?平成五年頃、陸上自衛隊化学学校の情報はオウムに筒抜けだったと思います。
・平成14年頃の体験談(陸上自衛隊:後方部隊)です。トラック二台ぶんの廃棄物の調達要求書がきていました。中身は使用不能になった衣類(戦闘服等)です。トラックを確認すると、一台で十分積載できる量でした。一台ぶん50万は何処に?…特に年度末に見られます。又、入札を随時契約にするよう頼まれたり…自衛官もアルバイトで大変です。
●ニュース
銃弾1人180発、駆けつけ警護備え重武装 南スーダン
北海道地震 肉用牛 養豚 影響尾を引く 水不足、畜舎損壊 復旧「一刻も早く」 厚真町、安平町
【金子勝】おごるな自民党!総裁選の争点が異常!自浄能力の欠如露呈!!
2018年08月20日 玉城デニー議員 インタビュー
核廃絶、世界で訴え ピースボートが横浜帰港
オスプレイ佐賀空港配備計画、魚への水中音影響「不明」 漁業者ら「再調査を」
防衛予算5兆2986億円 概算要求 過去最大、7年連続増
<海自>護衛艦3隻、インド洋に長期派遣訓練
<精神疾患>50年以上の入院1773人 全国調査
萩市・配備計画のイージス・アショアについて国から回答
【自民党総裁選】斎藤農水相への辞任圧力 - 麻生副総理は擁護
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!!
陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍
不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入
【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」
加計問題はまだまだあった!!
しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。
古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.〉
新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校
逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定
加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に
文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか
オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉
加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!!
南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!!
官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響
少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。
今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!!
国家が根腐れしている!!
ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し
●麻原らの死刑執行の前日からの流れ
●オウム サリン事件
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7
●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日
●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5
●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5
●情報公開裁判「衛生学校記事」
●情報公開裁判「化学学校記事」
●ビザ発給拒否・集会妨害裁判
●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!
政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!
「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频 2017.12.13
マギーフィルム(字幕付き)
・南京大虐殺の証言
ベイツ
1938年3月20日
親愛なるアリソン様:
尊敬をこめて
5月1日の日曜日に、私とスマイス博士とで城南を散歩し、街並みと運河との写真を何枚か私が撮りました。およそ(午後)4時15分頃に私たちは、中華路の方へ向きを変え、北へ歩いていきました。私は大通りの向かい側を写真に1枚撮りました。写真機はずっと私の手にありました。私たちは日本兵がいるのを見ませんでしたし、いかなる時にも軍事に関わりあるいかなる写真も、私はとったことはありませんでした。
突然、兵士を乗せたトラックが数台、私たちの後ろから疾走して来て、私たちを追い越したのですが、後ろに大砲を曳いていました。私はいかなる厄介なことも引き起こしたくないので、急いで写真機をポケットにしまいました。トラックは北へと走り去り、一切がまったく平静でした。私はまた大通りの向かい側を、写真に1枚撮りました。だいたい3,4分後に、兵士たちの一隊が南へ走って来て、私たちの道を遮りました。将校が1人車に乗って、後ろに付いていました。
驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表
米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)
南京大虐殺80ヵ年
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国
2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!
・南京大虐殺
30、南京軍事法廷
・谷寿夫・・・当時陸軍中将。第10軍隷下第6師団長。1947年3月10日、BC級戦犯として死刑判決を受け、4月26日、同地で銃殺刑、享年64。
※裁判において谷は、申弁書の中で、掃討戦は中島部隊(第16師団)が起こしたものであり、第6師団は無関係であったと主張したが報われなかった。 谷の上司である第10軍司令官の柳川平助と、主力として南京掃討戦を行なった第16師団長の中島今朝吾は、'45に死去しており、松井石根につぐ責任者である上海派遣軍司令官の朝香宮鳩彦王は皇族であり不起訴となったため、生き残っていた谷に責任がまわり罪をかぶせられたとされる。なお、皇族が訴追されなかった理由は、アメリカ側の皇族は戦争犯罪に問わないという方針に基づいたものである。
・田中軍吉・・・当時陸軍大尉。第6師団中隊長。300人斬りの容疑で起訴、山中峯太郎編著『皇兵』(昭和15年)のなかの「三百人も斬った隊長の愛刀助広」として説明されたことや中国人の処刑写真などが証拠とされ、死刑判決。反証提出は許されなかった。1948年1月28日、雨花台で銃殺刑。享年42。
・向井敏明・・・当時陸軍少尉。第16師団歩兵第9連隊[1]。百人斬り競争の容疑で起訴、1947年12月18日、第一回公判、当日死刑判決。東京日日新聞昭和12年12月13日の記事、それを転載したハロルド・J・ティンパーリの書籍が証拠とされた。反証提出は許されなかった。1948年1月28日、雨花台で銃殺刑。享年36。
・野田毅・・・当時陸軍少尉。第16師団歩兵第9連隊。百人斬り競争の容疑で向井敏明と共に死刑判決を受けて1948年1月28日、雨花台で銃殺刑。享年35。
※しかし、日本に帰還した松井をマスメディアは南京を陥落させた凱旋将軍として報道し、天皇も大軍功の殊勲者として勅語を与えた。
●重慶大爆撃裁判
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。
重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録
戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか
重慶大爆撃訴訟
the battle of china 1944
重慶大爆撃(苦干より)
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
爆撃の効果
「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真
爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。
不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。
●「天皇制」を考える
辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる
侍従日記「戦争責任言われつらい」晩年の昭和天皇吐露
・今夏 日本の戦争を考える!!
「テロリスト伊藤博文」の懺悔
異次元金融緩和の重大かつ深刻な弊害!出口を模索しようにもわずかな金利上昇で日本経済は大混乱!? アベノミクスの無残な最期!~6.18岩上安身によるエコノミスト田代秀敏氏インタビュー18.6.18
「日の丸・君が代訴訟」最高裁判決
(社説)君が代判決 強制の追認でいいのか
日本は、15年に及ぶアジア太平洋戦争で、アジアの国を侵略し、その果ては、沖縄はじめ日本本土が焦土と化し、潰滅的な状況に陥った!!
そこに至った責任は昭和天皇に無いのか?
・なぜ今でも「帝国ホテル」「帝国データバンク」「帝国劇場」「帝国書院」など、帝国という言葉を使う??
・近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
岩崎 稔
㈢ 自由民権運動「解体」の落し穴
② 対外侵略への道―日清戦争と福沢諭吉
帝国主義者・侵略主義者の典型として、日清戦争を扇動したのが福沢諭吉といえるだろう。幕末・吉田松陰の「一君万民」論から福沢諭吉の「絶対的天皇論」への道筋を示すまでもなく、福沢は、官民共存=民権と国権が共存していた『学問のすすめ』から、官権主義、すなわち「国民は手段」となった国権主義『文明論之概略』へ、さらに『時事新報』での侵略主義へと深化をたどっていくのは、まさに、大日本帝国憲法体制への道を準備するものであった。つまり脱亜入欧から『帝室論』(尽忠報国)は、福沢が、明治体制を下支えした思想家であったことを端的に、示している。日清戦争を「聖戦」と謳いあげ、野蛮を教化するための戦争とし、侵略主義を煽る。「文明と野蛮」という機軸でもってアジアを蔑視しかつ人権思想に離反したアジア蔑視を公言し、皆殺し(殲滅)を煽る。まさに侵略主義の思想である。
・明治憲法(現代語訳)
第3章 帝国議会
第42条 帝国議会は会期を三ヶ月とする。必要が有る場合には勅命で延長することが有る。
『日本人と天皇』より
・結局昭和天皇が、戦争責任を認めたというのは、マッカーサーの回顧録に書いてあるだけ。
・昭和天皇自身は一言も戦争責任を認める発言をしたことは無い。
・マッカーサーの回顧録について、アメリカのマサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー教授は、マッカーサーが天皇の発言を脚色したと言っているわ。
・マッカーサーと昭和天皇の通訳をした奥村勝蔵の残した極秘メモにも天皇がマッカーサーにそんなことを言った事は全然記されていない。
・一体真相は何なんだ!
・昭和天皇の態度は不可解というより無責任と言った方がいいが、これは昭和天皇個人の人格のせいだけではない。
・近代天皇制の下で天皇になれば誰でもこんな態度取らざるを得ない。
・誰が天皇になってもですか?
・それが、近代天皇制の最大の害悪の1つなのだ。
1975年の昭和天皇記者会見
(白井聡さんのお話より)
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・
どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党
昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??
●松代大本営(ウィキペディアより)
建設
1944年11月11日11時11分、象山にて最初の発破が行われ、工事が開始された。「11」が並ぶ時間が選ばれたのは、漢字の十一を縦書きにすると「士」に通じることが理由とされる。ダイナマイトで発破して、崩した石屑をトロッコなどを使った人海戦術で運び出すという方法で行われた。建設作業にあたっては徴用された日本人労働者および日本国内および朝鮮半島から動員された朝鮮人労務者が中心となった。工事は西松組や鹿島組が請け負った。満州国からの第4639部隊や、賢所工事には鉄道省静岡隧道学校の若者も当たり、付近の住民は勤労奉仕隊としてズリなどの運搬に、また当時の旧制屋代中学、旧制松代商業らの生徒も陸軍工兵隊の指揮の下、運搬などに学徒動員され、国民学校初等科の生徒も運搬や山から採ってきた枝でズリを隠す作業等を行った。
松代大本営跡を訪ねて
松代大本営跡を訪ねて 2018年7月
沖縄戦全記録 2015 6 14
大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に
果して絶滅の恐れのあるアオウミガメを使う占いが必要なのか?
「大嘗祭」関連儀式でアオウミガメの甲羅を調達へ
<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版
新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更
公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー
20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」
平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に
●侵略戦争!!
近現代史年表
・1910年(明治43)
5月25日 大逆事件の検挙始まる
8月22日 韓国併合に関する日韓条約調印
9月30日 朝鮮総督府管制公布(初代総督寺内正毅)
重慶大爆撃パネル展 2017年10月
「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃
アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。
米軍による日本への無差別爆撃
本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル
重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
昭和天皇が戦争狂になった訳
・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
強制連行の決定
満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略
●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター
731部隊展
第3回「戦争の加害」パネル展
感想より
29日(日)
・北さんのお話とても勉強になりました。加害という視点を持つということはとても大切だと思います。このような展示がこれからも続き又広がっていくことを願いまた、できる事を考えていきたい。(50代女性)
●731の実態
・特に目についたのは高い煙突です。篠塚さんの見た煙突はロ号棟の北西側にあった、その下につながれているのは、実験者の遺体を燃やす焼却炉だった。1945年8月、731部隊が撤退したとき、徹底的に破壊された。その後ろには、動物の遺体を燃やす焼却炉と日本人の遺体を燃やす専用焼却炉が並んでいた。少年隊員の日常は間もなく、様々な授業に占められた。基礎的授業以外に防疫給水や消毒殺菌、人体構造、細菌学の授業もあった。
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731 (2)
第4回 日本軍による人体実験
闇に消された虐殺~731部隊
731部隊のドキュメンタリー
・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!
悪魔の飽食:復号731
●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■「医学犯罪」の舞台はどうつくられたか
―医学界・医療界、医学者・医師は、先の戦争にどのように加担したのでしょうか。また、731部隊をはじめ、どのような規模で、どのような形でおこなわれていたのでしょうか。
「戦争医学犯罪」というと「731部隊」と思われがちですが、私たちは、そのような予断を避け、解明しようということで始めました。
2000年に15年戦争と日本の医学医療研究会(略称、戦医研)が発足した当時、先の戦争、すなわち1931年から1945年8月の日本敗戦(ポツダム宣言受諾) に至るまでの15年戦争の間における史実解明の課題として、
①日本の医学医療の軍事化の経過、
②医学医療の軍事化に積極的に協力し、進めた学会・医学者、そして協力を拒否した人々の経緯、
③研究テーマの軍事的な制約、 戦時体制からくる研究費・研究体制の制約による医学医療の歪み・停滞、
④欧米諸国との交流の断絶による日本の医学医療の停滞、
⑤戦時体制による日本の医療の崩壊をあげました。
その後の調査研究で、日本の医学者・医師らが主に海外の地で、何万人ともいわれる人々を、様々な実験の材料や手術の練習台にして殺害した主たる舞台となったのは、 石井四郎(1920年、京都帝国大学医学部卒業)が組織した、731部隊をはじめとする軍事医学研究機関のネットワーク(「石井機関」ともいわれる)だけでないことを明らかにしました。さらに、日本の医学界・医療界、医学者・医師の戦争加担を間題にする際、731部隊を抜きにして語ることはできないことや731部隊はかつての日本の医学界・医療界における最悪の戦争医学犯罪であることを明らかにしました。
(月刊『前衛』より)
●731部隊『留守名簿』公開
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
●731部隊本部(平房)
●731部隊遺跡を世界遺産に!!
●福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。
──富国強兵ならぬ強兵富国とは。つまり民主主義者とは正反対の考えを持っていたということですか。
実際に、日本が朝鮮支配を進めるために福澤が果たした役割は小さくなかった。詳しくはマンガを読んでほしいのですが、朝鮮宮廷内で起きたクーデターを計画したうえで実行にも加担し、明治政府が仕掛けた日清戦争では言論であおりまくった。戦争に勝つと国権皇張ができたと嬉し泣きしています。そのうえ軍は天皇直属であり、日清戦争は外交の序開きだと言うなど、侵略している意識すらなかったのです。戦争になったら国のために死ぬことが大義だと言い、教育勅語を歓迎した人物が民主主義者のわけがありません。福澤は天皇制絶対主義や皇国思想を日本人に浸透させ、朝鮮人、中国人への激しい侮蔑心をあおった。そのレールの上を走り、日本は第2次世界大戦に負けました。アジア蔑視は、現代の日本人にまで尾を引いています。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日 2017年1月27日号
[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……
『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より
・「軍国主義」を確立し、しかもその軍を、天皇を最高指導者とし、兵は天皇のために死ぬ「皇軍」とすることに力を尽くした。
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕
・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)
・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
(来年の即位の礼、大嘗祭反対!!)
第6章政治的君主の誕生
具体的な記憶をめぐるこれらのおびただしい記述の魔力のお陰で、明治末期の戦争に対する長い忘却の時代は幕を閉じた。両親が1904-5年の戦争を経験している子どもや青年は、日本を大陸国家に押し上げたこの戦争について、多くのことを知るようになった。反軍国主義は終息し、正反対の精神で新時代が始まった。東郷元帥、乃木大将のような「軍神」、若い天皇の「聖徳」という神話に希望を託して、帝国の力強い再確認が始まった。
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!全く民主主義にそぐわない!!
※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!
※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。
戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。
※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!
日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア
井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)
※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)
寧波(ニンポー)細菌戦
麗水細菌戦
日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■狂信者の健康への意志
ドイツ国民が戦争のための軍備拡張を続ける中でドイツ労働者戦線(DAF)はある宣伝キャンペーンを組織した。それは「狂信的な健康への意志」を、生涯の労働時間の延長を目指すものであった。成果は上がり、労働不能の時間が1933年の年平均22.6日から1937年の7日に減少した。全国医師会副指導者のフリードリッヒ・バステルスは「生産性を遺伝病理学的、人種的に可能な限り強化すること」を要求した。彼の狙いは、企業の医師に定期的に検査を行わせ、全ドイツ国民の恒常的生産能力の総括を行わせることだった。すべての公的機関に通用するあらゆる「創造する国民」の「健康手帳」に必要なデータが、産婆の、乳母の、家庭医の、校医の、企業医の、そして軍医のデータが記録されることになった。
日本では考えられない?
医学部の学費が全額無料に。ニューヨーク大学が画期的な奨学金を発表
旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢
医学界では当たり前か?女性差別!!
【日本共産党】吉良よし子参議院議員にきく「東京医大 女子一律減点・合格者抑制問題」
医者と製薬会社の関係は??
製薬会社から謝礼もらった医師、年1917万円受領教授らの見解
国はいつも国家犯罪を素直に謝罪しない!!
旧優生保護法の違憲性、国は見解示さぬ方針 強制不妊
強制不妊 男女3人が国提訴へ
<強制不妊手術>GHQ「医学的根拠不明」 日本側押し切る
731を問う!!
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- ●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
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