2018年6月23日土曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●「福島の今」
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●不二越訴訟
●中国残留孤児 中島幼八「足跡展」


●731部隊を支えた石井四郎の故郷の人々
三里塚闘争と石井部隊長の故郷(加瀬勉講演)2018年3月

●お知らせ

沖縄の特別の日 6月23日
沖縄戦全記録 2015 6 14

昭和天皇の沖縄メッセージ
天皇は、アメリカが沖縄をはじめ琉球諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる。



●人体実験のデータで博士の学位を取っていたら大問題だ!!
●ご紹介 検証を求める会  第1次署名締切は6月30日

731部隊員 平沢正欣(まさよし)論文の学位授与の検証 常石敬一


・戸田正三・木村簾【京大教授・731部隊嘱託(軍医学校嘱託)】は、きちんと平沢の論文を審査したのだろうか?敗戦直前の5月・6月の日本の状況を考えると難しいのではないか?6月6日に教授会をやって、即認めたのだろうか?
・「特殊実験」という平沢の言葉をそのまま、両教授は、容認し、学位審査の書面に記載している。「特殊実験」とは人体実験だろう。
・平沢(軍医でありパイロットだった)の論文を審査し、細菌戦に嘱託としてかかわった戸田正三は、戦後公職追放をとかれてから、1949年金沢大学の初代学長に就任、4選され1961年まで務めた。1951年、日本学士院会員、1961年11月20日(76歳没)。同じく731部隊嘱託の木村簾は、昭和3年京都帝大教授となり,同大ウイルス研究所長をへて,昭和32年名古屋市立大学長。腸内細菌によるビタミンB1の分解の研究などで知られた。昭和34年学士院賞(共同研究)。昭和58年5月28日死去。
論文を書いた平沢正欣は、1945年6月に飛行機事故で死亡している。

記者会見 :研究者が戦争に協力するとき 2018.4.14(京都大学)


旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!


アピール1 731部隊員の学位論文(京大)を検証する 西山勝夫(滋賀医科大学名誉教授)



・1952年10月の日本学術会議の第7部会で、「細菌兵器の使用禁止」を求めるジュネーブ議定書を批准するよう提案されたが、細菌戦に係わっていた戸田正三、木村簾は反対した。そして自ら係わっていたことを全く反省せずに、戸田は次のように言ったという。
「生物兵器は、4,50年前に解決している問題でありまして、、今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労までして日本で作るという馬鹿が出ましたら、そんな馬鹿な事をするなという勧告を私からよくいたしますから、どうかその点ご安心ください」
戸田・木村らは自ら係わった細菌戦のことに全く触れず、日本の医学界の犯罪を隠し続けた。
生物兵器禁止条約は、2018年現在の締約国(および地域)数は179で、日本は1972年4月10日(署名開放日)に署名、1982年6月8日に批准[した。
※しかし、自衛隊・国立感染症研究所等いろいろな研究機関では、本当に生物兵器開発をしていないのだろうか??


「軍機」医学、歴史の闇に <731部隊軍医の博士論文>

研究者が戦争に協力する時 ―731部隊の生体実験をめぐって―(京都大学) 常石敬一・神奈川大学名誉教授講演


●731部隊だけじゃなかった!旧日本軍「513部隊」の存在が初めて明らかに

●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示
4/14(土) 22:31配信 京都新聞


約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した

ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。



●軍学共同反対!!
岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!!
防衛省の研究助成継続を辞退、北海道大学が大学で初


軍学共同反対連絡会のニュースレター18号

防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ

アピール2 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 鯵坂 真(関西大学名誉教授)


アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 池内 了(名古屋大学名誉教授)


アピール4 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)


アピール5 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 福島 雅典京都大学名誉教授


●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!

政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!

「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13


南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频  2017.12.13


マギーフィルム(字幕付き)


・南京大虐殺の証言

南京大虐殺が起きた時、ベイツは1人南京にいて、妻と子供2人とはちょうど日本に滞在していた。彼は南京安全区国際委員会の働きに献身し、日本軍の虐殺と強姦との凶暴行為の下で中国の民衆を保護し、幾千万もの人々をして飢えと寒さとを免れしめた。彼の日本人に対応する力を強めるために、金陵大学理事会が1938年1月13日に彼を副学長に任命した。南京が陥落して2日を経ぬうちに、日本大使館に日本軍の凶暴行為への最初の抗議を行なったが、それに引き続いたのが彼によるかの有名な1938年1月10日の抗議書簡であり、その写しが自由中国(国統区―訳者)へ届けられた。
 ベイツはティムパレイ『日本軍の中国での凶暴な行為』(1938年6月)の主たる企画者であった。日本を7回短く訪れインドを1回訪れて会議に参加したほかは、ベイツは1937年から1941年までずっと南京に留まり、日本当局の暴虐行為に、とりわけ麻薬貿易に挑戦した。彼は南京国際救済委員会を代表してパンフレットを2冊書いたが、1冊が『南京地域の食料調査』、もう1冊が『南京の人口』で、両者ともに我々が南京大虐殺を了解するのに役立っている。戦後に彼は召し出されて東京裁判に証人として出席し、引き続き中国の日本戦犯に対する裁判に出席して証言した。



驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)


南京大虐殺80ヵ年

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

27、日本政府の言論統制
11月に大本営が設置されると、これに合わせ大本営内に陸海の両報道部が設けられた。世情は一変し、言論への当局の目はいっそう厳しく光りだし、いよいよ軍主導の政治時代に突入した。
 第1回芥川賞を受賞した石川達三は、1937年12月の南京陥落後に、南京に入り、兵士の聞き取りなどによって、戦場の様子を描いた『生きている兵隊』を『中央公論』に掲載したが、内務省は、「聖戦にしたがう軍を故意に誹謗したもの」として、発禁処分にし、石川は禁固4ヶ月執行猶予3年の判決を受けた。
※南京戦に従軍した兵士たちは、写真・手紙等の検閲の他、かん口令が敷かれた。



●重慶大爆撃裁判 
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。






戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか


重慶大爆撃訴訟

the battle of china 1944


重慶大爆撃(苦干より)


重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。


爆撃の効果

「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真

爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。



不当判決!!

中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)

日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。

判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。

祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。


●情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年7月4日(水)11:30~東京地裁522号法廷
モリカケ問題でも、記録文書の存否が問題になっているが、防衛省でも、化学学校で作った『化学学校記事』の記録をきちんと把握していないという。
何でこうなるのだろうか?
防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強しているとしか思えない。
防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。

自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。

国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?

実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には
『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。
陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い。「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。


1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。
又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている)

1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!!

1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 

ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項

※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)

※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」

オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」


●安倍晋三の別荘のある地、鳴沢村とは旧上九一色村のあった土地である。かつて笹川財団が所有
塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
首相動静(8月15日)
午後5時57分、鳴沢村の笹川陽平日本財団会長の別荘着。笹川会長、森喜朗元首相、小泉純一郎元首相、麻生太郎副総理兼財務相、茂木敏充経済再生担当相、西村康稔官房副長官、萩生田光一自民党幹事長代行、日枝久フジテレビ相談役らと会食。

共通点は北朝鮮と露、CIA。

塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
2017年8月15日
返信先: @TsukamotoSozanさん
安倍晋三と笹川陽平の別荘がある鳴沢村とは、旧上九一色村のあった土地である。笹川財団が所有していた。つまり、オウム真理教のバックに笹川財団がいた。浜田幸一の著書に「山口敏夫と石原慎太郎がオウムに資金援助していた」宗教学者中沢新一の著書には「石原四男の石原延啓がオウム幹部であった」と

●サリン事件と自衛隊の関係は??



長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??


●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
・「衛生学校記事」情報公開裁判
次回は、7月12日(木)15:00~東京地裁419号法廷。

裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。
また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。
防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。

防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。

30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理

公文書の在り方


自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??

『衛生学校記事』情報公開裁判


森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??

森友学園との交渉記録存在 財務省前局長「廃棄」と答弁

国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!


海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

自衛隊と日航機墜落事故の関係は??

加計問題!!証拠を隠すな!!

サリン事件と自衛隊の関係は??

陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年





●731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。

“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」

命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない

●ビザ発給拒否・集会妨害裁判(2018.6.8)
ビザ発給拒否・集会妨害裁判(2018.6.8)
内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!!
「中国人戦争被害者へのビザ発給拒否・集会妨害」第9回裁判
6月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷
前回の3月9日の裁判では裁判長が変わったが、今回は右陪席と左陪席の裁判官が変わった。
変わるのはいいが、しっかりと裁判をしてもらいたい!!
原告側は、外務省の役人3人の証人申請をしているが、7月27日までに書面でその回答を出すという。
9月6日(木)に裁判の進行協議が行われ、次回は9月21日(金)am11:30~になった。
是非、外務省の課長3人の法廷での証言を聞いてみたい!!
果たして上からの指示があったのか、政治家の関与があったのか?
森友問題・加計問題と同じような構図ではないのか??

今まで、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にするが、
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?

それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次々回の裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!

安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??


《ビザ発給拒否》裁判!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!
外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
ビザ発給拒否・集会妨害裁判



●憲法9条を世界へ普及させよう!!
イラク日報「幹部の処分軽すぎる」

9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む

9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??

自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!!

日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後

世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生

【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる

「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25)

米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25)


軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●「天皇制」を考える

・天皇制廃止!!
・・・・1回目の国体の破綻の時に何が起こったかをよく思い出してみる必要があると思うのです。あの時、第2次大戦の最後、非常に長引いて、それで非常に犠牲者が最後の方に出てきたんです。一方的にやられる展開になって行って、日本人の犠牲者、300万の内、200万が最後の一年間に亡くなっているわけです。早く辞めればいいのに。なぜ、早く辞められなかったかと言うと、国体護持という事に、ずっと戦争指導部がこだわっていたからです。どうしたら国体護持が出来るんだろうか。国体護持をしつつ負けるにはどうしたらいいんだろうかと一生懸命考えているうちに200万もの人が犠牲になっていった。結局45年8月にポツダム宣言受諾を決断するわけですけれども、この時も、なぜあのタイミングでやめたのかというのも、本土決戦をせずにやめたのかと言うのも、結局のところ国体護持のためだったんですね。本土決戦しちゃうと国体護持を出来なくなってしまうから。ずっとあの時、終始一貫国体護持の事しか考えていなかったのです、・・・・・・
白井聡:誰も書かなかった日本の深層!「国体論/菊と星条旗」 極シアター2018年5月31日



【戦後70年】敗戦?終戦?『戦後』の正体! 米国ケツなめ。。。(白井聡・宮台真司)



昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??

大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に

<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開

昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更

公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー


20180412 UPLAN 広瀬隆「明治150年の驕慢を斬る:日本近現代史の本当の話」


平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に



●ニュース
【加計学園問題】 加計孝太郎理事長の会見が失敗だったワケ

加計学園問題 事のプロローグから聞いてみると


金子勝:ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録 2018.6.22


森功:加計学園理事長記者会見アリバイ作りの茶番! くにまるジャパン極2018年6月22日



<加計理事長の会見を受けて>中村・愛媛県知事が会見 2018-6-19



モリカケ問題(2018年6月)

・道徳教育とは何なんだ?嘘をつくことが道徳なのか?加計孝太郎と安倍晋三をみんなで裁こう!!








0180601 UPLAN【記者会見】森友問題の真相究明に注力したNHK記者の左遷を許してはならない


誰が信じる安倍画策「日朝会談」報道/燃焼しないW杯/大谷の危機 日刊ゲンダイ週末号Vol 56 2018 06 15





●侵略戦争!!
日中戦争全史年表

・1925年(大正14)
1月    日本、ソ連を承認
3月12日  孫文、「革命未だならず、同志諸君、奮闘努力せよ」と国民党への遺嘱を残し病死
3月    治安維持法・普通選挙法成立
4月22日  加藤高明護憲3派内閣により治安維持法公布
5月5日  普通選挙法(25歳以上の男子に選挙権)公布
5月    4個師団廃止。日本労働組合評議会創立。中国で5・30事件
8月    護憲3派分裂し、加藤憲政会内閣成立
12月    農民労働党結成、即日禁止

重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!



昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。

強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター

731部隊展

第3回「戦争の加害」パネル展

感想より
28日(土)
・北氏の講演を聞きに来ました。貴重な話を聞くことができました。ありがとうございました。(70代男性)


●731の実態
・特に目についたのは高い煙突です。篠塚さんの見た煙突はロ号棟の北西側にあった、その下につながれているのは、実験者の遺体を燃やす焼却炉だった。1945年8月、731部隊が撤退したとき、徹底的に破壊された。その後ろには、動物の遺体を燃やす焼却炉と日本人の遺体を燃やす専用焼却炉が並んでいた。少年隊員の日常は間もなく、様々な授業に占められた。基礎的授業以外に防疫給水や消毒殺菌、人体構造、細菌学の授業もあった。・・・・・


731 (2)




第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
原美臻の特移扱資料6






●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を2017年4月に慰霊した。3





謝恩と巡礼訪中報告会

謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)


中島幼八「足跡展」2018年5月5日 三茶しゃれなあど


1958年における強制連行の劉連仁と残留孤児の中島幼八(講師:今井雅巳)



731部隊の展示会(中国)

特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


4、ドイツではどのように向き合ったのか

■ドイツのとりくみと困難

それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならなぃことはあるのでしょうか

2012年5月にはニュルンべルク医師裁判が行われた地において開催されたドイツ医師会年次大会が、全会一致でナチ時代の医学犯罪について重大な共同責任を認め、ドイツ医師会の中に歴史研究を行う委員会を設けるという声明が出されました。
 自らの過ちに関するDGPPNのドイツ内外での移動展示は、紆余曲折がありましたが、2015年に日本でも開催され、その間に2010年当時のDGPPN会長の講演も行われました。

(月刊『前衛』より)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──富国強兵ならぬ強兵富国とは。つまり民主主義者とは正反対の考えを持っていたということですか。

 実際に、日本が朝鮮支配を進めるために福澤が果たした役割は小さくなかった。詳しくはマンガを読んでほしいのですが、朝鮮宮廷内で起きたクーデターを計画したうえで実行にも加担し、明治政府が仕掛けた日清戦争では言論であおりまくった。戦争に勝つと国権皇張ができたと嬉し泣きしています。そのうえ軍は天皇直属であり、日清戦争は外交の序開きだと言うなど、侵略している意識すらなかったのです。戦争になったら国のために死ぬことが大義だと言い、教育勅語を歓迎した人物が民主主義者のわけがありません。福澤は天皇制絶対主義や皇国思想を日本人に浸透させ、朝鮮人、中国人への激しい侮蔑心をあおった。そのレールの上を走り、日本は第2次世界大戦に負けました。アジア蔑視は、現代の日本人にまで尾を引いています。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日  2017年1月27日号

[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……

『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より
福沢諭吉の台湾に対する方針は、最初から変わりません。
・「欲しいのは台湾の土地であって、台湾人は眼中にない」
・「日本人を多く移住させて、台湾の殖産を日本人のものにする」
・「そのために抵抗する台湾人は容赦なく殺し尽くす」
この3つが福沢諭吉の台湾に対する一貫した態度で、台湾住民の抵抗が激しくなると、それに合わせて激烈になりますが、基本は変わることがことがありません。




●戦争に反対した人々 

三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。

思想
ドイツ留学時代
ハイデルベルク
ハイデルベルクでは古参の大御所から少壮の新進学者まで多くの人々と交わる機会を得た。ゲオルグ・ジンメル(George Simmel 1858-1918)の下で学び1919年のハンガリー革命 (1919年)に参加したが敗れてドイツに亡命していたカール・マンハイム(Karl Mannheim 1893-1947)、後にヘーゲル全集の編纂・刊行で著名になるヘルマン・グロックナー、ギリシア哲学のエルンスト・ホフマン、ヴィルヘルム・ヴィンデルバントとリッケルトに師事したエミール・ラスク(Emil Lask 1875-1915)の弟子で後に東北帝国大学教授も務め、『日本の弓術』の著者でもあるオイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel 1884-1955)らである。


今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)

●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕

・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


第5章   新しい皇室、新しい国家主義

宮中グループの構成員は時期に応じて変化してゆき、その政治思想、特殊性日本の政治構造における他の勢力への対処戦略なども、不変のものではなかった。しかし彼らはどの時期にも、政治問題に関して天皇の先を行くことがないよう注意を払った。天皇は通常、内大臣の進言がなくても、自分の意図(聖旨)を政治過程に反映させるよう積極的に側近に命じ、必要があればいずれかの機関やその代表者に意思を伝えさせた。つまり天皇は、パイプ役として以外、彼ら自身には何の力もない側近グループを「指揮」したのであり、側近は彼の意図を体するかぎりで彼の代理人として助言や忠告を行い、閣僚や各省に強い影響力を発揮することができたのである。


※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!

※東条英機の東京裁判での証言
(天皇が平和を希望していることに反して木戸内大臣が行動したり進言した事があるか、との問いに)
「そういう事例はない。日本国の臣民が、陛下のご遺志に反して、あれこれすることはあり得ない。よもや日本の文官においておや・・・」
・・・・日本の支配層の中で天皇は絶大な力を持っており、東条らもその意志に反して行動することはあり得なかった、という発言である。


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)





寧波(ニンポー)細菌戦





麗水細菌戦






日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!


中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

ベルリン医師会理事会を代表して  
ヘルムート・ベッカー博士
エリス・フーバー博士

序言
あの歴史的不幸のもうひとつの原因は、医師の全能という幻想をかれらの無力という現実との間にあった緊張関係であった。日常な悲惨、貧困と見通しのなさ、人間の謎に対する医師たちのシシポスのような労働を、医学はどうすることもできなかった。現代医学は、昏睡状態になって骨折し何度も病院に運び込まれるアルコール中毒患者をどうすることもできない。かれを立ち直らせようとする試みは、いつも困難きわまりない。そこで、何のためにこのような消耗的な仕事をするのか、という疑問が出てくる。


強制不妊手術、被害者らが早期の謝罪と補償訴える

全国弁護士が被害弁護団結成 強制不妊手術

強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査

旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」

強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは?




















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