731を問う!!
2018年3月9日金曜日
細菌戦の系譜!!
●731部隊について
BS1 「731部隊」
西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説
前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容
「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。
後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。
731部隊展
ABC企画委員会
NHKの解説
戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。
番組内容
戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。
BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編)
BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編)
NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし
ナレーション
当事者たちが口を閉ざす中でタブーとなってきた731部隊。戦後72年となる今年、その歴史が改めて問われています。
医学者をはじめ、様々な科学者の代表が集う日本学術会議です。
防衛省から大学への研究資金が急増する中で、いま、大学と軍事研究の在り方が議論されています。
研究者の発言(男性)
軍事研究=兵器研究ではないですよと、兵器研究ではない。軍事研究はもうちょっと幅の広いものだと、こういうふうな認識ではないかと私は思っています。
ナレーション
会場では731部隊がアメリカの原爆開発と並んで取り上げられました。
研究者の発言
科学者の責任ということです。科学者は戦争に動員されたのではなくて、むしろ歴史を見てくると、科学者が戦争を残酷化してきたという歴史があると思います。
※吉村寿人
※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???
戸田正三
長與は、1919年から1834年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。
民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。
荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。
荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。
荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。
戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。
また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??
軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦
第5代伝研所長
宮川米次
※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!
※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!
※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」
※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。
講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって
※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!
※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。
※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731
※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)
※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。
ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責
黒い太陽731
国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より
日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」
教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)
ハバロフスク軍事裁判
「被告三友一男」の訊問
* あるロシア人の被実験者は、松井研究員の命令で青酸カリを10分の1注射されて殺されました。
私が注射をしました。
* 私は部隊にあった家畜墓地で死体を解剖しました。
* 部隊裏の家畜墓地に穴を掘って埋めました。
家畜の死体を埋めていた所と同じですが、穴は違います。(注:場内、うごめき憤激の声満る)
* この被実験者に青酸カリを注射するため、松井の指示によって下痢を起こさせました。
これが青酸カリを注射する口実になりました。
* 中国人の被実験者が1人、私が毒を混入した粥を食べ、数時間意識不明の状態を続けた後死亡しました。
毒はヘロイン1グラムであります。
* この死体もロシア人と同じ家畜墓地に埋められました。
* 他には、ロシア人の被実験者が2人と中国人が1人同じ家畜墓地で憲兵に射殺されました
* 実験用として第100部隊に送致された人々は皆殺されました。
海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日
・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。
日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)
『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
大牟田「爆発赤痢」事件
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
小島三郎
紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者 くぼちかひろ
第十三章
この日になって,ようやく配属将校の福沢少佐の尽力が実り,自動車やオートバイが運転手付きで,軍隊から貸与されることになった。その内訳は,浜松飛行学校より自動車三台,飛行第七聨隊より自動車一台,高射砲聨隊よりサイドカー一台であった。これによって貸切り状態であった浜松のタクシーやハイヤーを返還することができた。
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している?
小島三郎の記述
小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。
『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
軍医学校による原因の究明が手際よく行われたのは、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたためだった。その頃ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、前年、鳥取県でこの菌が原因の食中毒を経験し、死者4人を出していた陸軍だけだった。浜松での食中毒の原因究明にあたった西は、鳥取でのゲルトネル菌による食中毒の解明に従事していた。
浜松の食中毒事件がきかけとなり日本でもゲルトネル菌、さらにはサルモネラ系の細菌全体についての研究が開始された。腸チフスやバラチフスは別格で以前から流行があり、研究もされ、またワクチンも開発されていた。
『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)
小泉親彦と昭和天皇
一方彼は人一倍、心底、現人神(この世に人間の姿をして現れた神)天皇の崇拝者でもあった。
その天皇(昭和天皇)が、1929年11月7日陸軍軍医学校新築を祝い、陸軍軍医学校に初めて行幸した。この様子が、『陸軍軍医学校五十年史』に書かれているが、現代語訳すると次のとおりになる。
「天皇は、9時45分に到着。学校長より陸軍軍医学校の沿革および現況について説明を受けた。その後休憩し、10時から見学を開始した。見学は第一講堂にはじまり、次いで標本室、軍陣衛生学教室および第二講堂に移られ、各室ともご熱心にご見学された。特に軍陣衛生学教室にては第一室より第九室まで各部屋とも丁寧にみられ、小泉教官の説明を熱心に聞かれた。特に兵衣、兵食における業績については、お褒めいただき、予定の時間を若干遅れた。最後に小泉は天皇と一緒に屋上まで上がったところ、朝から降っていた細雨(霧雨)がにわかに止んで、陽光が雲よりもれ、都下の風景が手に取るようにみえた。小泉教官は主要な建物の説明をした。
※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験
※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。
※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。
※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。
・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大
横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系
護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶
※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。
イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。
なぜ婦中町だけが
神通川の水は北アルプスの山々から平野に入るまでは地形の高度差が大きく流れが速かった。そのため川底が深く洪水の被害は少なかった。また渓谷のため神通川の川水は農業用水として利用していなかった。しかし婦負郡婦中町付近では神通川の流れは急に緩慢となり、急流によって運ばれてきた土砂が川底に堆積し、周囲の水田より川底が高くなっていた。いわゆる天井川で、そのため婦中町では堤防工事が完成するまでは毎年のように洪水による被害が起きていた。そのため婦中町の住民は神通川を暴れ川とよんでいたほどであった。川底が周囲の水田より高いことから、婦中町では神通川の水を農業用水として取り入れ、大沢野用水、大久保用水、牛ヶ首用水が張り巡らされていた。そして神通川は婦中町を流れると、すぐに井田川、熊野川と合流して富山市に流れ込んだ。
「神の通る川」、神通川の川水は農業用水として田畑を潤し、水道が引かれる昭和40年まで、住民は生活用水や飲料水として利用していた。特に井戸が凍る冬場は川水を汲み飲用水として飲んでいた。
御用学者は、民衆のに付かず、国・大企業の側に立つ!!この人は細菌戦にどのように関わったのだろう??
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。
三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞
●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)
・本の紹介
ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ (風響社あじあ選書1) (風響社あじあ選書 1)
カスタマーレビュー
おそらく、正統派歴史学者のなかで、もっとも面白い作品を書き続けている著者の一人による、
最高の作品の一つ。
著者自身、歴史学と社会人類学の手法を融合させ研究をしていると述べたことがあるが、
その魅力は本書でもいかんなく発揮されている。
単に歴史的事件について叙述するだけではなく、中国の社会文化の背景にまで踏み込み、
その事件を適切に文脈化している。
さらに、細菌戦の国家賠償請求裁判についての推移を紹介することで、本書は、戦中の「歴史」が、
現代の日本人とどのように関わるのかについての問いかけをなしている。
優れた文体は、研究者だけでなく、ひろく一般読者にとっても読みやすいものになっているものと思う。
学者による社会貢献の一つの理想像であるとも感じた。
・細菌戦被害地(中国)の旅
●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!
731部隊という名前を御存知だと思います。先の大戦中に、捕虜に対して人体実験を行い、細菌戦を遂行した日本軍の特殊部隊です。部隊を率いた石井四朗隊長は、戦後、公には姿を現さず、どのような人生を送ったのかも謎とされてきました。その石井隊長の日記が、ノンフィクション作家青木富貴子さんによって発見されました。日記からは、731部隊がなぜ戦犯として訴追から免れたのかなど、さまざまな謎を解くヒントが浮かび上がってきます。
石井四郎の戦後
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!
第3章 残党の系譜
予研主導の研究集約組織
731部隊宮川班
宮川は、戦後、亀井文夫監督の記録映画「世界は恐怖する―死の灰の正体」(1957年)の撮影に協力している。この映画には、宮川も理事を務めていた日本放射性同位元素協会(後の 「日本アイソト-プ協会」)や山崎文男、村地孝一らの科学者も協力していた。映画には、放射線を長時間、実験用のマウスに照射して死に至るまで観察する実験が記録されている。ネズミへの放射線照射の映像は、映画の中では、あくまで放射線の恐ろしさを実感させる素材として使われているが、一面では731部隊が死に至る人体実験の様子をフィルムに記録したという証言を彷彿させるものだった。1960年8月には、茨城県東海村の日本原子力研究所で宮川らがネズミにガンマ線を照射し、被曝時の生体変化を観察する実験を実施すると報道されたこともあった。
宮川が731部隊でレントゲン班の責任者だったことは消せない事実だが、宮川が直接行ったとする人体実験の具体的な証言や記録は今のところ確認されていない。
ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2)
宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、
東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された
世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。
※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!!
金沢と京都を結ぶ線 <元731部隊 調書を読み解く>
米議会図書館所蔵の731部隊「Q報告」。ペスト患者の解剖記録で1973年機密解除された
京大の原爆調査班の論文で「金沢医大教授石川太刀雄氏等がこの剖検に援助を与えられた」とあるのを読んで心がざわつく。石川は京大医学部出身、ペストなどの細菌戦を研究した旧満州(中国東北部)の関東軍防疫給水部「731部隊」第六課病理班長だった。
京大班の被爆者標本は米軍が持ち去り軍事機密とされた。一方、石川は満州から731部隊が解剖した病理標本多数を戦時中に金沢に持ち帰り、戦犯訴追されない代償に米側に渡す秘密取引をしたと、日本の研究者が指摘してきた。
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
=== 重松逸造 ====
重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。
しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。
福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。
斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。
その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ731出身者の巣窟であった。
重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。
米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の
日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
ABCCはデータを取るだけで全く治療をしてくれない、と原爆被爆者の激しい非難を浴びた。
そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。
そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。
重松、長瀧とも1960年前後にハーバード大学に留学している。
当時は、特別なコネでもなければ海外渡航はできなかった時代である。
奨学金をもらい留学"させてもらった"のかもしれない。要するに米国(IAEA)のヒモつきだ。
恩義があるから米国の言いなりであり、原爆の被害を過小評価するのは当然のことであろう。
(アメとムチは米国のお家芸であり、安倍首相の祖父・岸信介はA級戦犯だったが、無罪放免と引き換えに米国の走狗となった)
重松は水俣病、イタイイタイ病、スモン病など多くの公害、薬害事件において、事実を隠蔽・改ざんし、常に政府・企業側に有利な報告をでっち上げている。
また長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査をし、住民に健康被害はないとのトンデモ報告書をまとめ、全世界から非難を浴びた。(このときの後援者がIAEAと結託した笹川財団である)
重松はIAEA、ICRP、WHOの委員も務めている。
彼は筋金入りの御用である。困ったことに弟子も多い。
2年前に彼が亡くなったときには、あちこちで歓声が上がったという。むべなるかなである。
※いろいろな医学系の研究所では今何が行われているのだろうか??
子宮頸がんワクチン接種後の症状
政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家
久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解
※神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。
被曝をめぐる御用学者の系譜
●原爆を投下された昭和天皇の責任は?(敗戦を引き延ばした)また原爆を投下したアメリカの責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)
ニュース259号では、驚くことに被爆地広島に昭和天皇は行かず、侍従に行かせた。
そして、次のニュースには、GHQの報道管制の下で、米軍を好意的に紹介し、原爆批判は全く無い。
日本への空襲
八王子平和・原爆資料館
昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??
1975年昭和天皇記者会見
●原水爆禁止!!
アメリカは非人道な広島・長崎の原爆投下では終わらず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!
1月16日、ICANと国会議員との討論集会
核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)
放射能汚染地図「川で何が起きているか?」
被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集
水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染
ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)
山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー
アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06
被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!!
1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!!
1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!!
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!!
※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!!
原子力に悩む大国 アメリカ
●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
日本の物理学者は、日本の原爆開発を反省していない!!明かに原爆・水爆を作りたがっている!!
戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後は、アメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している??
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
ソ連も入る極東委員会は、日本の核開発に終始否定的だった。1947年1月30日には「日本人が現在原子力の分野において研究を行ない、または原子力を開発もしくは利用することを許されるべきではないと考える」との決定を下し、「核分裂性核種の生産を目的とするすべての研究または開発」 「化学元素の天然同位体混合物より核分裂性の同位体を分離または濃縮することを目的とするすべての研究または開発」を禁止した。さらには 「医療用ラジウムの如き許可された目的をもつ…放射性物質の採掘、処理および精製」でさえ、連合軍最高司令官の監督下におくことを条件とした[★9]。この極東委員会の姿勢を、アメリカもはばからなくてはならなかったからである。だから冷戦が激化し始め、そのはばかりが必要なくなるまで、アメリカは、日本の学術研究体制の刷新運動—その帰結が1949年1月の日本学術会議の結成—の中心に仁科を据えるなど、仁科らの研究チームを雲散霧消させないよう意を用いなくてはならなかったのである。 だからアメリカは仁科に寛容だったのである。
※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!
仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)
*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。
【ハリー・シー・ケリーと朝永振一郎が仁科芳雄と共に眠る理由】
多磨霊園は都営であるため規制が厳しく、宗教関係で例外的に血縁以外の者たちと眠る墓所はあるが、基本的に一般墓地は6頭身の血縁までと定めている。よって仁科芳雄の墓所は血縁外の人物と眠る例外的な墓所である。
ハリー・シー・ケリーはマッカーサーの科学顧問として戦後すぐに来日し、GHQ経済科学局科学技術部長などを務めた人物である。戦後の日本の科学界が最もつらかった時期に、苦楽を共にし、'50.4仁科芳雄を助け、米国からラジオ・アイソトープの輸入を実現した。'76.2.2ハリー・シー・ケリーが逝去し、仁科の隣りにケリーを眠らせてあげたいという話が両家から出て、没後五ヶ月して、多磨霊園に分骨埋葬された。
仁科芳雄を師として仰ぎノーベル物理学賞に輝いた朝永振一郎も同墓に分骨されている。朝永振一郎が亡くなったのは'79であるため、ハリー・シー・ケリーの没後である。察するにハリー・シー・ケリーが仁科芳雄の墓所に分骨される納骨式に参列したと予測する。二人と同様に苦楽を共にした同志として同じ気持ちを抱き、生前に仁科家に遺言を託したと推測される。朝永振一郎の正墓は京都の東本願寺にあり、墓石に両親の名と並び刻む。仁科芳雄の墓には「師とともぬ眠る」と刻む。
何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??
※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」
※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!
※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
●核・生物化学兵器廃絶!!
「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え
広島市長、核の傘は「錯覚」=禁止条約
「Yes! I can!」2000人がノーベル平和賞受賞者の応援に駆け付けた オスロの冬の夜
●世界の流れ、脱原発
・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)
半減期と安定の仕組み
どうする?これからのの日本のエネルギー
●脱原発6
[THE MANZAI 2017] 大注目を浴びたウーマン 時事ネタ漫才!賞賛の声
アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。
東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?
日本は韓国を見習おう!!
・リニア新幹線反対!!
大成、資料を社員寮に移動 元常務宅も捜索
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?
→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら
リニア品川駅、深夜の工事を初公開 2027年開業
慎重論派の指摘内容
慎重論を唱える人々が共通して持っている疑問や不安は次のような事項です。
大量の電力消費 エコに逆行!!
リニア新幹線がエコロジーの申し子のような低電力設計だったらよかったのですが、残念ながら消費電力は従来の新幹線の2倍です。もしも従来の新幹線の運転本数を減らすことなくリニア新幹線を運行させようものなら、鉄道にかかる消費電力の総量はとてつもないものになります。もちろん従来の新幹線を減らすことは検討内容に含まれているようですが、もしリニアの運賃が高額で利用率が伸び悩み、新幹線中心の運行に戻るようなことがあれば、即電力不足に陥ります。
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く
●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!
戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す
きちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!
天皇制を考えよう!!
昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊は出来なかった。細菌戦・毒ガス戦を命じた昭和天皇の戦争責任は?
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり
眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味
天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上)
両陛下「お召し列車」で茨城県を訪問???
「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
日本への空襲
天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!!
大嘗祭は31年11月
象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!
池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1
・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!!
戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!!
戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!!
●医療問題
医療闇 横浜市の病院 大口病院 点滴異物 殺人疑い 3ヶ月50人死亡!?「横浜はじめ病院」変更
医療事故で女児寝たきり=市立医療センター、チューブ誤挿入-大阪
石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」
731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に
チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正
実験「生データ」厳重保存も不正防げず 京大iPS研
不倫相手女性に覚醒剤注射容疑 35歳医師を逮捕 警視庁
広島大医学部で何が起きた…「神経解剖学」追試120人「全員不合格」の仰天、“悪しき伝統”暴露でネット炎上
聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生
『座間市9遺体遺棄事件』白石隆浩容疑者(27)の全て
●自衛隊
三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな
自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製
<陸自ヘリ墜落>機長の斉藤さん「操縦のスペシャリスト」
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
<コンビニ強盗>容疑で陸自幹部を逮捕 60万円奪う 埼玉
サリンの毒性(ウィキペディアより)
・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである
。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年
1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正美
5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
大宮駐屯地5月28日
市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事
土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!
自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!
国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?
700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実
自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●憲法9条を守れ!!
大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明
東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度
安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条を生かそう!!
登録:
コメントの投稿 (Atom)
フォロワー
ブログ アーカイブ
-
▼
2018
(680)
-
▼
3月
(63)
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
- 細菌戦の系譜!!
-
▼
3月
(63)
自己紹介
- ノブ
- 新しい自分を発見中
0 件のコメント:
コメントを投稿