2017年4月25日火曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊について

日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


始めに

第二次世界大戦で細菌戦と毒ガス戦を行なったのは世界で日本だけだと思います。
戦争になると軍隊はどこへ行かされるか分かりません。
シベリアの様な極寒の地、ニュ-ギニアの様な熱帯雨林、砂漠・・・・
その他ありとあらゆる所で戦争が行なわれるからです。
その為師団の様な自己完結型の部隊は戦闘部隊だけではなく様々な要員を必要とします。
むしろ戦闘員の方が少ないくらいです。
食糧、水、病院、洋服屋、靴屋、床屋、輸送班・・・・部隊は部隊そのものを維持する組織が内部に必要なのです。
外部から一切の援助がなくても戦争を遂行するためには何でも部隊の中に揃っていなければなりません。
災害救助に軍隊が出動するのも自給自足出来るからです。
そしてその中には防疫(病気を防ぐ)と給水(安全な水を供給する)を行なう要員が必要です。



毒ガス/化学兵器
 


黒い太陽731


悪魔の飽食:復号731


・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!



・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)


・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


カドニウムの発見

萩野は金沢大学、富山大学の図書館でカドミウム中毒の文献を探したが見つからなかった。そうこうしている間に、吉岡がドイツの医学雑誌「中毒の治療と臨床」に、わずかに「慢性カドミウム中毒」の記載があるのを見つけてくれた。その論文はカドミウム電池工場で働く6人の労働者がカドミウム中毒によって歩行ができなくなり、レントゲンでは骨に横断状のひびが見られたというものであった。カドミウム中毒として記載されたその症状は、まさにイタイイタイ病の中期症状そのものであった。



細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)




中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。
・細菌戦最大の被害地・浙江省を訪ねるスタディツアー

2016年10月24日 衢州(くしゅう)


2016年10月25日 麗水 (れいすい)


2016年10月25日(火) 麗水№2


2016年10月26日(水) 四路口(しろこう)



2016年10月27日(木) 武義、金華石門


2016年10月28日(金) 金華市街


2016年10月29日(土)義烏市崇山村


台湾義勇隊(金華 )


台湾義勇隊(上)抗日戦争:細菌戦


台湾義勇隊(下)(抗日戦争)


事前学習会


瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」






「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦




話は今につながっている!!


最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!!



石井隊長の戦後4



日本の医療の原点 731部隊の関係者のその後の職業・役職 及び厚労省との関係 フクシマと731部隊

筑紫哲也さんはガンで死んだのではない。
ガン治療のウラ 3/8




厚労省の敷地内に『誓いの碑』がある。そこにはこう書いてある。

命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような
医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう
医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する

千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した

平成11年8月  厚生省


碑を建てても薬害は続く!!
8月24日を「薬害根絶デー」とし、毎年要望している。

薬害根絶求め要望書 エイズなど被害者12団体




「ミドリ十字」という会社




内藤良一・・・731部隊員、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験に関与した。

・内藤良一は戦後、他の731部隊員と共に、日本ブラッドバンクを立ち上げ、1964年に社名をミドリ十字改称した。

ミドリ十字の変遷
以下、ウィキペディアより
・ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年8月に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
・1982年、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた[1]。
・ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。



・731部隊と原爆・原子力の関係
国から派遣された日本の医学者は原爆症患者を救わず、アメリカに協力して原子爆弾の威力・効果を調べた!!

ABCC委員会と731部隊
・・・・ABCC[には、731部隊の顔ぶれやいくつかの関連事実が登場してきます。731部隊の凍傷研究班の班長であり、同時に特移扱いにされたマルタの管理を行っていた班の班長でもあった吉村寿人、後に京都府立医大の学長になる病理学者もその1人です。この吉村寿人が度々ABCCに出入りし調査をしていた記録が残っていますし、これを裏付ける関係者の証言もあります。
ABCCと旧731部隊の関係についてですが、ABCCが最初に広島の北の方、高台の所に出来たときの施設には、石井四朗の叔父の家が提供されて、その建物を使っています。今調べていますが、ABCCの当時の職員名簿を見ると、日本側の職員の中に731部隊の旧隊員が何人もいます。その1人貞政昭二郎が私の取材に「吉村さんはABCCによく来ていた」と話しています。
1948年の終わりから49年という時期に、職員にそういう人たちが出てきます。ちょうど日米の取引の成立直後くらいです。48年の終わりというのはヒル・レポートもできる頃で、その頃には協力体制が出来上がっており、旧731部隊とABCCの共同で動き始めていたのかも知れません。しかし戦後に共同という形で調査をしていたという動きは今のところ記録上ははっきりとはしてません。(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)


ABCCと国立予防衛生研究所(予研)の関係・・・ウキペディアより
米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。
施設は、広島市の比治山の山頂(元々比治山陸軍墓地があった地)に作られた。カマボコ型の特徴的な建物であった。
ABCCは調査が目的の機関であるため、
被爆者の治療には一切あたることはなかった。ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。
1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)原子爆弾影響研究所を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された[4]。





・731部隊の罪業をアメリカは不問に付した結果、日本は731部隊の反省を全くしなかった。戦後、731部隊員は国立予防衛生研究所(予研→国立感染症研究所)に入り、研究を続けた。!!
・エイズ・エボラ出血熱・マーズ・サーズ・新型インフルエンザなどの病気は、世界のこういった研究所で作られたのではないか??
一体、国立感染症研究所は、どんな仕事をやっているのだろうか??
国立感染症研究所

国立感染症研究所

どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
国立感染症研究所の危険性!!



長崎大学のBSL4施設設置計画は白紙撤回を!

感染研村山庁舎BSL4施設関連事象の時系列

731細菌部隊と帝銀事件との真相1

防御と称して、生物兵器開発を進めてはいないか???






ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永



第6章 原子力時代の「受忍」


「受忍」論の追認

1988年4月、御園生の後を継いで放医研所長となっていた熊取敏之は、「チェルノブイリ原発事故被曝者の放射線障害―実態と治療」(『日本臨床』46巻・4号)という報告を書き、事故被災者、周辺住民の疫学調査が「人における放射線影響に関し、極めて貴重なデータを提供し、将来の原子力開発に大きな貢献をなすものと思う」と、疫学調査の目的が被災者の治療のためではなく原子力開発の発展のためであるとも受け止められかねない発言をした。第五福龍丸事件で乗組員の治療に尽力した熊取も御圍生と同様に原子力産業の守護神のひとりになってしまっていた。



世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

田宮猛雄
戦争当時、防疫研究室の嘱託研究者。東京帝国大学で若い研究者を731に送り込んだ。


山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。
重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。


驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く



御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
福見秀雄は1980年に長崎大学学長に就任。
同年、長瀧重信が医学部教授に、のちに医学部長になっている。
長瀧の教え子が山下俊一、そのまた教え子が高村昇である。
長崎大医学部は、731部隊直系の研究組織と言ってよい。
そして、そこから御用学者が何人も出ていることは決して偶然ではない。



放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集




開示された文書「何で黒塗り?」







・日本の科学者の核兵器への執念の系譜

戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後もアメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!

「ビキニ被曝」11人、船員保険適用困難に 有識者会議

<核禁止条約>「対象に保有含めるべきだ」メキシコ国連大使

【報ステ】再稼働認める判断…高浜原発3・4号機

「被爆国として、核兵器廃絶に向けて世界をリードする」と言っても説得力はなくなった。
(社説)核禁止条約―被爆国の責任放棄だ



「日本に裏切られた」=被爆者が痛烈非難―核禁止条約交渉

核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も


潜在的核保有国化を目指す日本は、核兵器禁止条約制定目指す決議案に反対!!

非核3原則は嘘だった!!
※2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。
※非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている。

日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!!

なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか??


アメリカと日本の取引!!
我々日本人は、被爆国としてのアメリカの残虐な原爆無差別殺戮犯罪や絨毯爆撃を問わない代わりに、アメリカも、日本軍が行ったアジア太平洋各地で行った残虐な戦争犯罪(毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃、慰安婦問題等)を問わない時代がずっと続いている!!
これでいいのだろうか??

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—



小路田泰直

そしてもう一つは、立地自治体の貧困・困難をみすかし、利益誘導をテコに立地促進をはかるという方法であった。国鉄(現 JR) 阪和線熊取駅に快速電車を止めることを条件に、市町村合併をめぐり当時町内が貝塚派と泉佐野派に激しく引き裂かれていた大阪府泉南郡熊取町に、最後は立地を決めたのである。
しかしこうしたやり方には当然副作用が伴った。その結果、原子炉や原発の立地に、科学的で客観的な安全基準がいらなくなってしまったからである。「大学が、原子炉を設置するという観点より、どのような技術的考慮をすれば、地元住民が問題としている点について、その納得を得られるかという事等を配慮しながら精密な調査を行う」[★20]ことが立地の前に行なう「精密調査」の中身になってしまった。所詮は原子力に対しては素人にすぎない住民の主観的「納得」が、最大の安全基準になってしまったからである。
 かくて、「想定外」が想定されない、根拠なき安全神話が生まれ、それが一人歩きする土壌が生まれたのである。



湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。


※今現在も、潜在的核保有国なのか、もう核兵器を持っているのだろうか?全ては極秘裏に進められている!!



・脱原発5



ETV特集 シリーズ 原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」


リニア新幹線建設反対!!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら



無視され続けた”慎重論”

東海道新幹線の実現に尽力した元国鉄技師長・島秀雄氏は、生前にリニアモーターカーについて「四百キロとか五百キロとかいった高速を狙うことは振動とか安全面からみて問題だから慎むべきだ」というコメントをしています。
また、元国鉄総裁の仁杉巌氏は、2002年の講演で「一つの国のなかに高速鉄道のシステムが二つあることになれば、鉄道の線路幅や電気の周波数などのケースと同様、不便なことが起こるのではないか」と疑問を投げかけています。
JR東日本の元会長・山之内秀一郎氏も、一般論として「鉄道においては、スピードばかりを競うような考え方はだめだし、そんな思想の技術者もだめだ」と警鐘を唱えています。
JRにとって大先輩に当たる人物たちの慎重論はことごとく無視されたまま、2014年12月、JRはリニア新幹線の着工に踏み切りました。


リニア中央新幹線がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤ



●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)
アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。


<日本ペンクラブ>北朝鮮めぐり「軍事的破局を回避せよ」

「知事は国の言いなり」経産相訪問に県民ら抗議

安倍昭恵氏が元暴力団組長らと福島原発を視察 記念写真も撮影

東芝4事業分社 転籍2万人超、再建へ士気保てるか

沖縄県民調査 - 辺野古埋め立て「妥当ではない」



審議前に売買契約の手順資料 財務省、森友側に渡す


金子勝:メディアスルーされた森友学園問題と佐川理財局長の偽証



・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
軍部・政府・医学界は、中国、アジア諸国で、その後戦争被害の後遺症に悩む人を無視している!!
遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦問題、空襲・虐殺等でのPTSDなど。


化学兵器(毒ガス)・生物兵器をは日本軍は中国で多用していた!!

他国の事は報道するが、日本の過去を省みないマスメディア!!
化学兵器疑惑、死者88人に=シリア

金子勝:自国の政権の滅茶苦茶ぶりを戦争でごまかす日米同盟


国は、原子力政策の失敗を東芝に押し付けている!!

原発、森友、東芝をつなぐ5つの「問題発言」

どうなる「東芝」大解体ショー 原発立国を謳った「経産省」の責任は

今井尚哉


東証 東芝の決算発表対応が妥当だったか経緯を調査へ
4月3日(月)放送分 「東芝赤字1兆円超から見える日米関係」


原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)

「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)

731部隊員や昭和天皇の戦争犯罪に対する免責を得るために、日本の科学者や医学者は原爆の威力の調査に尽力し、被爆者の治療は一切しなかった。この報告書は、英語で書かれ、アメリカに提出された。これによって、日本はアメリカに追従するようになり、属国になってしまった。日本政府は、これ以後、731の非人道的行為を隠し、またアメリカの原爆などの非人道的行為を訴えることは無かった!!あの侵略戦争のことを全く反省しないでいる!!

封印された原爆報告書



1975年昭和天皇記者会見


日本政府は、侵略戦争の歴史を改ざんするな!!
戦争遂行の最高責任者・大元帥昭和天皇の戦争責任を回避する発言!!
裕仁は、戦争責任を、東条や陸軍に押し付けた!!

「天皇陛下はホワイトハウスで、『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします」と。
天皇は顔をこわらせて「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答え、また広島への原爆投下について聞かれ、「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」と述べた。その統治下の出来事に対してまったく責任のない傍観者のような天皇の言い逃れは、多くの日本人にとってあまりにも非情であった。彼の「やむをえない」発言は、広島の悲劇を導いた過程における天皇の役割をまったく否認するものであり、とりわけ歴史学者を憤慨させた。(ハーバード・ビックス著『昭和天皇』より)


特捜は、森友問題をきちんと捜査すべきだ!!

昭恵氏付職員の同行、新たに2回 選挙応援、計15回

財務省も安倍首相も明らかに、真相を隠すために、嘘と詐術を使っていたことが明らかになった。
森友問題は終わっていない! 菅野完が国有地不正取引に財務省関与の新証拠、安倍首相は自民議員の質問に圧力


安倍は、事実を全く隠蔽し、森友問題を、籠池理事長に押し付けている!!

財務省・大阪府・防衛省その他の国の機関は、きちんとデータ出しなさい!!まずい資料はすべて隠蔽!!

森友問題で7割「納得せず」=首相説明に不満大きく―時事世論調査

安倍昭恵氏らの証人喚問 民進党など重ねて要求

<森友学園>財務省理財局から開示された真っ黒のり弁資料のナゾ


森友学園4 12宮本岳志(共産):衆院・財務金融委員会


財務省データ、野党が開示要求へ 森友学園問題
佐川理財局長の「自動的消去」答弁について「2週間で復元できなくなるシステム」と次長4 10衆院決算行政監視委員会第一分科会0410



安倍昭恵と言う人物

安倍首相主催の「桜を見る会」で昭恵夫人が大はしゃぎ SPも困惑か

安倍昭恵夫人の中身のない「万能感」がキモチワルイ 「私の力」を勘違いしていませんか?

安倍昭恵首相夫人 反社会的勢力との複数の接点が浮上

森友問題の要所には必ず、アッキーの影 昭恵首相夫人「主犯説」を追う



・安倍昭恵氏、迫田国税庁長官、松井大佐府知事、吉本大阪府私学課課長、谷査恵子氏の証人喚問をしてください!!

問題点
・安倍夫妻が、教育勅語、ヘイトスピーチ、政治的な発言を、幼稚園児に強要した森本学園の教育を応援していた事実。
また、昭恵夫人が体罰や教育方針で問題になっていた学園の名誉校長をしていた事実。
・昭恵夫人の小学院設置に向けての省庁に対しての口利きは無かったか。
・瑞穂の国記念小学院設置する際の認可適当を大阪府が出した経緯が不透明。(なぜ、国のお役人が大阪府に行く?)
・国有地の売却を巡って財務省に政治の関与が無かったのか。



安倍昭恵、迫田英典、今井尚也、谷さえこ、松井一郎を証人喚問しよう!


松井一郎大阪府知事と籠池理事長の面識は本当に無かったのか?(松井知事と塚本幼稚園児の遭遇)


森友学園の怪 53 独占映像「籠池夫妻と松井知事の接点」浮上した”第3の男”


安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」



森友学園の怪 48 真相究明は「近畿財務局と大阪府」から


<クロ現+>追跡「森友学園問題」~国と大阪府の責任


籠池理事長夫人が稲田防衛大臣の『嘘』に怒り発言【森友学園】



陸自に南スーダンPKO撤収命令

陸自PKO部隊の日報



<クロ現+>新証言「自衛隊の日報隠ぺい問題」


米下院外交委員長「少女像撤去の上告却下を歓迎」

『抗がん剤で殺される?ハラダヨシオも殺された?薬って毒なの?』


新薬を投与された影響はなかったのか??
【訃報】ラグビー元日本代表の平尾誠二氏が死去

妻が43歳の若さで 夫が病院を提訴

・水俣病の原因解明を遅らせたチッソと東大医学部
医学は水俣病で何をしたか   宇井純
水俣病


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した

田宮猛雄といえば、水俣病研究懇談会、通称「田宮委員会」での悪行が有名である。
医師会会長の権威を利用して、腐った魚を喰ったせいだなどという説をでっちあげ、
真の原因である有機水銀説をつぶし、被害を拡大させ新潟での第二水俣病まで引き起こした[5]。

しかし彼は731部隊にも深く関与しており、部隊員とも懇意で、戦後も人体実験をしていたことは
あまり知られていない。

彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている[6]。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。

また田宮は731部隊の別働隊でもある北京の1855部隊へ出張していたとも言われている[7]。

田宮は731部隊第2代部隊長・北野政次とも非常に親しく、戦後、北野が東大伝研に現われたとき、
もっとも北野の庇護したのが田宮であった[8]。
また福見秀雄や北岡正見とも一緒に研究をしている[2]。

・京都府立大学の黒い影
収監逃れ、病院内で金品授受か 京都、容疑で3人送検

虚偽診断書類 病院職員が「下書き」

731で凍傷実験の人体実験や同時に特移扱いにされたマルタの管理を行っていた班の班長でもあった吉村寿人は、戦後南極観測の特別委員会の委員を務め、京都府立大学の学長になった!!
淵上輝夫『戦争・罪・贖罪-吉村寿人の場合』

ディオバン事件

収監逃れ疑惑、京都府医大に府幹部派遣へ
暴力団に虚偽診断疑惑の名門・京府医大の「闇」…過去にもトンデモ不祥事連発

<森永ヒ素ミルク>障害被害者、高い死亡率…発生から62年

・神奈川大口病院
大口病院

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【千葉大医学部レイプ事件】23歳犯人たちの「華麗すぎる家柄」

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・日航機墜落事故は自衛隊のミサイルがジャンボの尾翼を破損して起きたのではないか?
森永卓郎X大竹まこと 日航機墜落の陰謀説暴露

日航機墜落事故(空白の16時間)


・地下鉄サリン事件と自衛隊!!
戦後、日本軍の毒ガスのデータも全てアメリカに渡った。そして日米軍事同盟の交流の中で新たな毒ガス開発が続いている!!
1964年には、既に自衛隊ではサリンを製造していた。

日本陸軍の毒ガス技術がアメリカへ!!(731と構図は全く同じ)
「そもそも、現在沖縄米軍基地にあるサリンガスの、合成、使用、防護、治療のノウハウは、日本軍から米軍に渡ったもの。戦時中、『関東軍メソッド』という謀略組織があってねえ・・・・・」
「要人暗殺用に毒ガスを使えないかというのが、『関東軍メソッド』のテーマの1つだった」
―「関東軍メソッド」の幹部の1人でもあり、六研の責任者の1人でもあった横山中佐は、米軍=GHQの呼び出しに応じ、終戦の翌年(1946年)㋂、元六研の技術将校グループ10数名とともに、東京・日生ビルに出頭した。
―米軍から横山中佐以下全員に、「日本陸軍の毒ガス技術について、詳細なレポートを提出せよ」と命令がなされた。その代わり、ジュネーブ協定の違反の罪、戦争犯罪の対象から外すというのであった。
―鼻の先に戦犯免責のエサをぶら下げての、毒ガスレポート提出である。日中戦争では、日本陸軍は実際に毒ガス戦を展開した。東京裁判でもそのことを問おうとする動きがあった。
―戦犯に問われるかもしれない。その恐怖は、毒ガス将校たちのアキレス腱でであった。旧六研関係者は、米軍の命令に抵抗できなかった。レポート作業は約6ヶ月続いた。
―ナチスドイツから日本陸軍に渡ったサリン、ソマン、タブンなどの神経ガスの技術文献は、このときに横山中佐からひそかに米軍に提出された・・・・・。
「ソ連はドイツ本国から多数の技術者と機械設備をロシアに持ち帰って、サリンの研究を続けた。アメリカさんは日本陸軍から技術文献で、戦後サリンの研究を開始したんだ」
『悪魔の白い霧』下里正樹著より

地下鉄サリン事件から22年を前に 被害伝える集会

土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

オウム真理教の中に化学学校の隊員がいて、サリンの製造方法が漏れていたのではないのか?
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース

防衛省は、2002年~12年の製造・使用・廃棄・最大保有量などの実績値を初めて公表。過去11年間に製造された特定物質は全11種類にのぼっている。その中には、神経系統を破壊するサリン、タブン、ソマン、VXガス、皮膚のただれを起こすマスタードガス、チッソマスタード、ルイサイトなどが含まれる。(自衛隊化学学校・・・陸自大宮駐屯地所在)
第6回目




・辺見庸さんは、地下鉄サリン事件の後遺症と闘いながら、今の右傾化する世間に警鐘を鳴らし続けている!!
辺見庸 1★9★3★7(征く皆 イクミナ)



・自衛隊とパワハラ(1)
部屋に押し入り女性に“強盗暴行” 自衛官の男逮捕

航空自衛隊員を不起訴処分

窃盗容疑、陸上自衛官逮捕=空港施設で財布持ち去る―北海道警





“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。




























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