2017年4月12日水曜日

細菌戦の系譜!!


・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
恐るべき遠足


死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
部落は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。


黒い太陽731


悪魔の飽食:復号731


・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!



・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)




・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇(富山のシュヴァイツァー)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。

なぜ婦中町だけが

神岡鉱業所の排水による鉱毒説が正しければ、神通川上流に患者がいないのは川の流れが速く、川底が深いため氾濫がおきないことから説明がついた。また下流に患者が少ないのは、井田川、熊野川の合流によって鉱毒が希釈されることで説明がついた。萩野は意識していなかったが、それは疫学調査であり、疾患と地理的関係を示すものであった。彼は神通川の水を採取し、全国の大学や研究所に送りその分析を依頼した。しかしいずれの分析でも有毒物質を検出することはできなかった。

細谷省吾

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)





中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。
・細菌戦最大の被害地・浙江省を訪ねるスタディツアー

2016年10月24日 衢州(くしゅう)


2016年10月25日 麗水 (れいすい)


2016年10月25日(火) 麗水№2


2016年10月26日(水) 四路口(しろこう)



2016年10月27日(木) 武義、金華石門


2016年10月28日(金) 金華市街


2016年10月29日(土)義烏市崇山村


台湾義勇隊(金華 )


台湾義勇隊(上)抗日戦争:細菌戦


台湾義勇隊(下)(抗日戦争)


事前学習会


瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」






「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦




話は今につながっている!!

最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!!

石井隊長の戦後4



日本の医療の原点 731部隊の関係者のその後の職業・役職 及び厚労省との関係 フクシマと731部隊

筑紫哲也さんはガンで死んだのではない。
ガン治療のウラ 3/8




厚労省の敷地内に『誓いの碑』がある。そこにはこう書いてある。

命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような
医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう
医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する

千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した

平成11年8月  厚生省


碑を建てても薬害は続く!!
8月24日を「薬害根絶デー」とし、毎年要望している。

薬害根絶求め要望書 エイズなど被害者12団体




「ミドリ十字」という会社




内藤良一・・・731部隊員、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験に関与した。

・内藤良一は戦後、他の731部隊員と共に、日本ブラッドバンクを立ち上げ、1964年に社名をミドリ十字改称した。

ミドリ十字の変遷
以下、ウィキペディアより
・ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年8月に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
・1982年、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた[1]。
・ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。



・731部隊と原爆・原子力の関係
国から派遣された日本の医学者は原爆症患者を救わず、アメリカに協力して原子爆弾の威力・効果を調べた!!

ABCC委員会と731部隊
・・・・ABCC[には、731部隊の顔ぶれやいくつかの関連事実が登場してきます。731部隊の凍傷研究班の班長であり、同時に特移扱いにされたマルタの管理を行っていた班の班長でもあった吉村寿人、後に京都府立医大の学長になる病理学者もその1人です。この吉村寿人が度々ABCCに出入りし調査をしていた記録が残っていますし、これを裏付ける関係者の証言もあります。
ABCCと旧731部隊の関係についてですが、ABCCが最初に広島の北の方、高台の所に出来たときの施設には、石井四朗の叔父の家が提供されて、その建物を使っています。今調べていますが、ABCCの当時の職員名簿を見ると、日本側の職員の中に731部隊の旧隊員が何人もいます。その1人貞政昭二郎が私の取材に「吉村さんはABCCによく来ていた」と話しています。
1948年の終わりから49年という時期に、職員にそういう人たちが出てきます。ちょうど日米の取引の成立直後くらいです。48年の終わりというのはヒル・レポートもできる頃で、その頃には協力体制が出来上がっており、旧731部隊とABCCの共同で動き始めていたのかも知れません。しかし戦後に共同という形で調査をしていたという動きは今のところ記録上ははっきりとはしてません。(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)


ABCCと国立予防衛生研究所(予研)の関係・・・ウキペディアより
米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。
施設は、広島市の比治山の山頂(元々比治山陸軍墓地があった地)に作られた。カマボコ型の特徴的な建物であった。
ABCCは調査が目的の機関であるため、
被爆者の治療には一切あたることはなかった。ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。
1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)原子爆弾影響研究所を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された[4]。





・731部隊の罪業をアメリカは不問に付した結果、日本は731部隊の反省を全くしなかった。戦後、731部隊員は国立予防衛生研究所(予研→国立感染症研究所)に入り、研究を続けた。!!
・エイズ・エボラ出血熱・マーズ・サーズ新型インフルエンザなどの病気は、世界のこういった研究所で作られたのではないか??
一体、国立感染症研究所は、どんな仕事をやっているのだろうか??
国立感染症研究所

国立感染症研究所

どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
国立感染症研究所の危険性!!



長崎大学のBSL4施設設置計画は白紙撤回を!

感染研村山庁舎BSL4施設関連事象の時系列

731細菌部隊と帝銀事件との真相1

防御と称して、生物兵器開発を進めてはいないか???






ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永



第5章放射線医学への「脚光」の下で

大学教授、政府組織の委員へ

同仁会は、731部隊と繋がりの深い宮川米次東大名誉教授(1959年死去)が副会長を務めていた医療機関だった。華北中央防疫処では発疹チフスのワクチン製造用のシラミの飼育箱を中国人労働者の皮膚に密着させ、吸血させたという報告が1943年発行の同仁会の刊行物に掲載されている。731部隊の関係者の戦友会である「精魂会」の名薄(日韓関係を記録する会編『資料・細菌戦』[1979年、晩聲社]を見ると、横浜医科大学時代以降の連絡先と思われる住所が掲載されている。宮川(正)と731部隊の関係者との繋がりは戦後もある時期まで、維持されたものと考えられる。

田宮猛雄


放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集




開示された文書「何で黒塗り?」







・日本の科学者の核兵器への執念の系譜

戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後もアメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!

「ビキニ被曝」11人、船員保険適用困難に 有識者会議

<核禁止条約>「対象に保有含めるべきだ」メキシコ国連大使

【報ステ】再稼働認める判断…高浜原発3・4号機

「被爆国として、核兵器廃絶に向けて世界をリードする」と言っても説得力はなくなった。
(社説)核禁止条約―被爆国の責任放棄だ



「日本に裏切られた」=被爆者が痛烈非難―核禁止条約交渉

核兵器禁止条約制定目指す決議案 日本は反対 批判の声も


潜在的核保有国化を目指す日本は、核兵器禁止条約制定目指す決議案に反対!!

非核3原則は嘘だった!!
※2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。
※非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている。

日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!!

なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか??


◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

小路田泰直

私たちはいま非常に忙しくしています。しかし純粋研究から、いまアメリカで弾みをつけつつある再軍備プログラムに直接結びついた研究にはまだ転換されていません。朝鮮での事態の転換は本当に悲しいものです。 お手紙をいただいた頃から、一般的な戦争ではないにしても、疑いもなくより大きな混乱を惹き起こす方向に事態は向かっています。朝鮮の偶発的な事件に赤い中国がはっきりと軍隊を投じた現在、次の数週間のうちに情況がどう変わるか誰にも分かりません。責任のありかを言うことは困難ですが、すべての面倒なことの背後にはロシアがいることは確かです。1950年にロシアで造られ、捕獲された爆弾が国連の開催期間中に展示されましたが、ロシアはそれに何らかの接触をしたこともないし、どこで造られたかも知らないと言っています。このような嘘は、われわれも理解を超えていますし、情況を大変難しいものにします。



湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。


※今現在も、潜在的核保有国なのか、もう核兵器を持っているのだろうか?全ては極秘裏に進められている!!



●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)
アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。


・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



化学兵器(毒ガス)・生物兵器をは日本軍は中国で多用していた!!

<シリア攻撃>「化学兵器、何度も使用」米高官、背景説明

20170410 報道するラジオ「どこまでやるの?トランプのミサイル攻撃」


原発、森友、東芝をつなぐ5つの「問題発言」

今井尚哉

東証 東芝の決算発表対応が妥当だったか経緯を調査へ
4月3日(月)放送分 「東芝赤字1兆円超から見える日米関係」


原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)


731部隊員や昭和天皇の戦争犯罪に対する免責を得るために、日本の科学者や医学者は原爆の威力の調査に尽力し、被爆者の治療は一切しなかった。この報告書は、英語で書かれ、アメリカに提出された。これによって、日本はアメリカに追従するようになり、属国になってしまった。日本政府は、これ以後、731の非人道的行為を隠し、またアメリカの非人道的行為を訴えることは無かった!!あの戦争のことを全く反省しないでいる!!

封印された原爆報告書



1975年昭和天皇記者会見

戦争遂行の最高責任者・大元帥昭和天皇の戦争責任を回避する発言!!

「天皇陛下はホワイトハウスで、『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします」と。
 天皇は顔をこわらせて「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答え、また広島への原爆投下について聞かれ、「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」と述べた。その統治下の出来事に対してまったく責任のない傍観者のような天皇の言い逃れは、多くの日本人にとってあまりにも非情であった。彼の「やむをえない」発言は、広島の悲劇を導いた過程における天皇の役割をまったく否認するものであり、とりわけ歴史学者を憤慨させた。(ハーバード・ビックス著『昭和天皇』より)


特捜は、森友問題をきちんと捜査すべきだ!!

<森友学園>出たぞ出たぞ。大阪府で新たな疑惑が続々と


財務省データ、野党が開示要求へ 森友学園問題
佐川理財局長の「自動的消去」答弁について「2週間で復元できなくなるシステム」と次長4 10衆院決算行政監視委員会第一分科会0410


大竹まこと:森友学園問題に関する財務省の電子データ復元の可能性


昭恵つき職員も私的バスツアー! 「もったいない学会8000万」は否定 衆院・決算行政監視委員会第一分科会


森友問題の要所には必ず、アッキーの影 昭恵首相夫人「主犯説」を追う

<森友学園>昭恵夫人とやりとりした経産OBの飯塚氏が生激白


近畿財務局が不当に安く国有地売却として背任で告発 検察受理

近畿財務局、府庁を5回訪問 森友学園の審議状況聞く


・安倍昭恵氏、迫田国税庁長官、松井大佐府知事、吉本大阪府私学課課長、谷査恵子氏の証人喚問をしてください!!
問題点
・安倍夫妻が、教育勅語、ヘイトスピーチ、政治的な発言を、幼稚園児に強要した森本学園の教育を応援していた事実。
また、昭恵夫人が体罰や教育方針で問題になっていた学園の名誉校長をしていた事実。
・昭恵夫人の小学院設置に向けての省庁に対しての口利きは無かったか。
・瑞穂の国記念小学院設置する際の認可適当を大阪府が出した経緯が不透明。(なぜ、国のお役人が大阪府に行く?)
・国有地の売却を巡って財務省に政治の関与が無かったのか。

昭恵夫人、谷査恵子氏らを証人喚問へ、署名お願いします!!




安倍昭恵を証人喚問せよ!


松井一郎大阪府知事と籠池理事長の面識は本当に無かったのか?(松井知事と塚本幼稚園児の遭遇)


森友学園の怪 53 独占映像「籠池夫妻と松井知事の接点」浮上した”第3の男”


安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」



森友学園の怪 48 真相究明は「近畿財務局と大阪府」から


<クロ現+>追跡「森友学園問題」~国と大阪府の責任


【大谷昭宏】森友学園・証人喚問「籠池さんを呼ぶなら、首相夫人・昭恵さんも呼ぶべき!?」<2017年3月20日>【報道二郎・保守論NEWS】


籠池理事長夫人が稲田防衛大臣の『嘘』に怒り発言【森友学園】



陸自に南スーダンPKO撤収命令

陸自PKO部隊の日報



<クロ現+>新証言「自衛隊の日報隠ぺい問題」


隠ぺい? 稲田防衛相に「集中砲火」


米下院外交委員長「少女像撤去の上告却下を歓迎」

(朝鮮日報日本語版) 【社説】85日ぶり駐韓日本大使帰任、ひそかに見解を変えた安倍首相

『抗がん剤で殺される?ハラダヨシオも殺された?薬って毒なの?』


新薬を投与された影響はなかったのか??
【訃報】ラグビー元日本代表の平尾誠二氏が死去

妻が43歳の若さで 夫が病院を提訴

・水俣病の原因解明を遅らせたチッソと東大医学部
医学は水俣病で何をしたか   宇井純
水俣病


・京都府立大学の黒い影
収監逃れ、病院内で金品授受か 京都、容疑で3人送検

虚偽診断書類 病院職員が「下書き」

731で凍傷実験の人体実験をした吉村寿人は、戦後南極観測の特別委員会の委員を務め、京都府立大学の学長になった!!
淵上輝夫『戦争・罪・贖罪-吉村寿人の場合』

ディオバン事件

収監逃れ疑惑、京都府医大に府幹部派遣へ
暴力団に虚偽診断疑惑の名門・京府医大の「闇」…過去にもトンデモ不祥事連発

<森永ヒ素ミルク>障害被害者、高い死亡率…発生から62年

・神奈川大口病院
大口病院

【千葉大医学部レイプ事件】23歳犯人たちの「華麗すぎる家柄」
“集団性的暴行” 研修医ら3人を不起訴に

・日航機墜落事故は自衛隊のミサイルがジャンボの尾翼を破損して起きたのではないか?
森永卓郎X大竹まこと 日航機墜落の陰謀説暴露

日航機墜落事故(空白の16時間)


・地下鉄サリン事件と自衛隊!!
戦後、日本軍の毒ガスのデータも全てアメリカに渡った。そして日米軍事同盟の交流の中で新たな毒ガス開発が続いている!!
1964年には、既に自衛隊ではサリンを製造していた。

日本陸軍の毒ガス技術がアメリカへ!!(731と構図は全く同じ)
「そもそも、現在沖縄米軍基地にあるサリンガスの、合成、使用、防護、治療のノウハウは、日本軍から米軍に渡ったもの。戦時中、『関東軍メソッド』という謀略組織があってねえ・・・・・」
「要人暗殺用に毒ガスを使えないかというのが、『関東軍メソッド』のテーマの1つだった」
―「関東軍メソッド」の幹部の1人でもあり、六研の責任者の1人でもあった横山中佐は、米軍=GHQの呼び出しに応じ、終戦の翌年(1946年)㋂、元六研の技術将校グループ10数名とともに、東京・日生ビルに出頭した。
―米軍から横山中佐以下全員に、「日本陸軍の毒ガス技術について、詳細なレポートを提出せよ」と命令がなされた。その代わり、ジュネーブ協定の違反の罪、戦争犯罪の対象から外すというのであった。
―鼻の先に戦犯免責のエサをぶら下げての、毒ガスレポート提出である。日中戦争では、日本陸軍は実際に毒ガス戦を展開した。東京裁判でもそのことを問おうとする動きがあった。
―戦犯に問われるかもしれない。その恐怖は、毒ガス将校たちのアキレス腱でであった。旧六研関係者は、米軍の命令に抵抗できなかった。レポート作業は約6ヶ月続いた。
―ナチスドイツから日本陸軍に渡ったサリン、ソマン、タブンなどの神経ガスの技術文献は、このときに横山中佐からひそかに米軍に提出された・・・・・。
「ソ連はドイツ本国から多数の技術者と機械設備をロシアに持ち帰って、サリンの研究を続けた。アメリカさんは日本陸軍から技術文献で、戦後サリンの研究を開始したんだ」
『悪魔の白い霧』下里正樹著より

地下鉄サリン事件から22年を前に 被害伝える集会

土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

オウム真理教の中に化学学校の隊員がいて、サリンの製造方法が漏れていたのではないのか?
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース

防衛省は、2002年~12年の製造・使用・廃棄・最大保有量などの実績値を初めて公表。過去11年間に製造された特定物質は全11種類にのぼっている。その中には、神経系統を破壊するサリン、タブン、ソマン、VXガス、皮膚のただれを起こすマスタードガス、チッソマスタード、ルイサイトなどが含まれる。(自衛隊化学学校・・・陸自大宮駐屯地所在)
第5回目




・辺見庸さんは、地下鉄サリン事件の後遺症と闘いながら、今の右傾化する世間に警鐘を鳴らし続けている!!
辺見庸 1★9★3★7(征く皆 イクミナ)



・自衛隊とパワハラ(2)
<横須賀基地>護衛艦で自殺未遂か 20代幹部自衛官




第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。




























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