2016年5月19日木曜日

国家犯罪!731から熊本大震災まで!!

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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展



●ニュース
熊本地震の保険支払い額 過去2番目の規模に

<安倍首相>同日選を視野 消費増税の再延期検討 

安倍首相「立法府の長」発言、おおさか維新二人目公募とか。- 2016.05.19



三菱自に続きスズキも不正 「ケチケチ戦略」裏目…自動車業界、揺らぐ信頼

三菱自動車燃費不正 相川社長辞任へ 日産から役員迎える方針

燃費目標「とにかく達成しろ」 三菱自上層部が圧力


2年以内「がれき処理」へ 熊本地震で最大130万トン


オバマ氏「道義的責任」言及へ 訪問時、広島・長崎の犠牲者追悼

(オバマ米大統領 広島へ)私は考える:1 日米の記憶、結ぶ機会に キャロル・グラックさん

舛添氏の政党支部→資金団体 解散直前に526万円

舛添知事 政治資金で美術品 購入の実態は


自衛官の母、安保法「反対」貫く 迷惑かかる…息子と「絶縁」

C型肝炎治療薬 服用の患者死亡 “因果関係否定できず”

トランプ氏、正恩氏と会談に意欲…中国に圧力も


G7閣僚 高い関心 イタイイタイ病の教訓 世界へ/富山


自然は人類の都合とは関係なく動いている…だ・か・ら…(;´д`)


もんじゅ検討会 報告書案で具体的運営主体示さず

なぜだ!核兵器を作っているいる科学者の野望か???
政府、もんじゅ存続表明へ 機構に代わる受け皿探しは難航

「もんじゅ」の廃炉求める提言 市民団体がまとめる

何で、情報開示しない??
特定秘密の運用監視 情報開示促進で意見聴取へ

軍事費が国を滅ぼす!!
トランプ氏の「日本防衛費全額要求」について。-2016.05.05


志賀原発1号機の断層「動く可能性否定できず」

<ハンセン病>元患者ら「身内に甘い判断」特別法廷報告書に

光田健輔園長が初診察で「宇佐美、出て行け!

「組織罰」実現へ団体発足 尼崎脱線事故の遺族らがシンポ

天皇や安倍首相は731部隊跡や南京虐殺記念館には行かないのか?
米・オバマ大統領、5月27日に広島を訪問する方針固める

なぜだ??
米高官 核燃料サイクルに反対も日本に放棄求めず

20160402 自由なラジオ・ライトアップ「小出裕章ジャーナル」




●脱原発!!
地震大国日本!これでも原発を動かすの??
活断層、日本に2千以上 どこでも大地震が起こる恐れ

「熊本地震は南海トラフ地震の前兆」専門家が緊急警告
「高浜原発の運転は不安」が最多 意見公募、規制委に 審査書案は修正わずか
甲状腺がん「チェルノブイリの多発傾向と酷似」〜疫学専門家

福島の癌→子供の甲状腺がん増加地図をチェルノブイリと比較する
母ちゃんの嘆き…子どもの叫び…過去を心に刻もうとしないモノへ…(¬_¬)


福島の甲状腺がんの患者に対していつ国は賠償をするのだろうか??
以下『NNNドキュメント THE 放射能 人間vs 放射線 科学はどこまで迫れるか?』
のビデオの冒頭の部分起こし。

「放射能は怖くない」。そう教えられていました。第2次大戦後、アメリカは爆心地の近くで人間はどこまで戦えるのか人体実験していたのです。その数25万とも言われるアトミック・ソルジャー(Atomic Soldier)、アメリカ政府が責任を認め、兵士たちに賠償するまで40年かかりました。
また、チェルノブイリ原発事故で多発した子どもたちの甲状腺がんが、放射能が原因だと認められるまで20年の歳月がかかりました。

5年前に起きた東電福島第一原発事故、100ミリシーベルト以下の低線量被曝を受けた作業員たちも病魔に襲われています。・・・・

NNNドキュメント THE 放射能 人間vs 放射線 科学はどこまで迫れるか?

・放射能の被害が深刻化しているのに、なぜ日本の医学界は“脱原発”と叫ばない??
731部隊でも放射線をマルタに浴びせて人体実験をしていた。
科学者は、治療よりも、やはり新兵器に夢を託すのか?再び大日本帝国を目指して。
毒ガスの製造が明らかになったんだから、それと並行して生物兵器、核兵器も勿論自衛隊、国立感染症センターなどでは研究しているだろう。
731の秘密を隠すために、放射能の被害については、何も言わない??
「心証を良くする為にとは、何のために心証をよくするんですか?」
「731のことなんかもあるでしょうね」
※ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの治療よりも原爆の威力の調査が優先された。
国体護持のために。
今のフクシマの現状も同じではないか?
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?

放射能の危険性


トリチウム処理「慎重対応を」 県と県漁連
トリチウムについて!!
核融合はやるべきではない!!
トリチウム含む汚染水 海洋放出が最安で最短の評価結果
川内原発は不安「すぐ止めて」 首相官邸前で緊急デモ
原発運転反対の弁護士団体 川内原発停止を申し入れ
M7.3地震 約50キロの断層が2m近く横ずれか
地震回数が過去最多ペース 気象庁、活発な活動続く
「川内原発の運転停止求めた」 共産・小池氏
「川内」運転 住民ら不安 政府、地震域拡大でも静観
【熊本地震】丸川担当相「川内原発停止の必要なし」について。- 2016.04.16




●731問題
特定秘密保護法撤廃!!
国民は「知る権利」を行使し、軍事増強を阻止しよう!!





4月12日(火)15:00から東京地裁419号室で『衛生学校記事』の情報公開裁判がありました。
10回目の法廷で、初めて傍聴席52席が満杯になり、熱気を帯びてきました。
なぜ、自衛隊衛生学校で作った『衛生学校記事』がきちんと保管されていないのだろうか?
衛生学校と言っても、国民の税金で作られた公の施設である。自衛隊だから戦後、物品の管理はしっかりやっていると思うのであるが、不思議である。自分たちの大事な研究をまとめた機関誌である。寄贈資料も所在不明、よほど、管理が杜撰なのか??
季刊誌『ふかみどり』がきちんとあるのに、なぜ、その前の『衛生学校記事』ない??
原告の陳述より
2 街生学校図書室を見学して判明したこと
(5) 図書室内部には、 隊員が参考文献等として使用する一般書物や衛生業務関連本が中心でしたが、他方、旧軍関係者が自費出版した回顧録などで寄贈された本類も沢山ありました。
(6)また、衛生学校から、「衛生学校等作成図書一覧」を頂きました。しかし、
『ふかみどり』 『保安衛生』 『防衛衛生』 『衛生学校史』を掲載しているにもかかわらず、『衛生学校記事』が入っていません。これは最初から『衛生学校記事』 を隠蔽しようとしているとしか考えられません。


なんとか、この防衛省の内部研究誌を公開させたい!!
※尚、情報公開・個人情報保護審査会の答申が3月にあり、「『化学学校記事』と『衛生戦史資料の体系化』も不開示決定は妥当」としたことに対しても、裁判で公開を求めることにしたという。
※特定秘密保護法が施行され、TPPはじめ、各省の情報開示が困難になってきている昨今、マスコミはこういう裁判を積極的に報道し、国の隠蔽体質を明らかにするべきだと思うが、一社も取材しないとは、どういうことだろうか?嘆かわしい!!



日本は「核兵器の非人道性」を主張する前に「731の非人道性」を謝罪せよ!!
<G7外相会合>「核兵器の非人道性」盛らず 広島宣言

歴代日本政府は、天皇制護持の為、いつも情報を隠蔽している!!
TPP文書だけではない!!
ビキニ事件 周辺で操業の元乗組員などが国を提訴へ
内部文書「黒塗り」の中… TPP内幕本の出版未定に
開示された文書「何で黒塗り?」

歴史を繰り返さないための海外の取組み!!日本もパナマ文書等、情報を開示せよ!!
<パナマ文書>中国2.8万件 日本関連800件
パナマ文書 民進が調査チームを発足
ヒトラー生家、強制収用へ=ナチス支持者の利用防止―オーストリア
守秘徹底、法人設立も容易=「文書」発端の租税回避地-パナマ
特定秘密の国会監視 実効性高められるかが課題
何で、行政が後押ししない??
高知県、731部隊講演の後援断る 「事業に該当せず」
731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!

こっちで双眼鏡で見ているとき、大体4㎞ぐらい離れた所から見ていると、バーっと煙だけ立つだけで、音はしないよね。当たるところは、こんなところで、・・・・
731(3)


・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15


※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。


朝枝繁春の証言





●水俣病
水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。

水俣語り部、金子スミ子さん死去 一家で経験の苦しみ伝え
「出生年の線引きはおかしい。確かに症状があるのに。認めてほしい」
<水俣病>46歳、認められぬ苦難…公式確認60年
水俣病公式確認60年 未曽有の被害 全容未解明
水俣病



日本の公害






イタイイタイ病も賠償まで50年かかった!!
1920年(大正9年)、当時の上新川郡農会長であった金岡又左衛門が農商務大臣山本達雄と富山県知事東園基光に神岡鉱業所の鉱毒除去の建議書を提出したのが神通川流域の鉱毒被害の表面化の始まりである。
1966年(昭和41年)11月、被害者の家族や遺族らがイタイイタイ病対策協議会(略称:イ対協)を結成した。 その後、イ対協は神岡鉱業所と交渉するも企業側の対応が冷ややかだったためイ対協の会長であった小松義久などは裁判で訴えることを決意する。 1968年(昭和43年)1月、全国から集まった20人の弁護士によってイタイイタイ病訴訟弁護団を結成した[8]。
1968年(昭和43年)3月9日、患者・遺族28人が三井金属鉱業を相手に総額約6億3000万円の第1次訴訟を起こす。 1971年(昭和46年)6月に第1審が原告勝訴の判決を下した。 1審判決を不服とする三井金属鉱業は控訴したが、第2審も1972年(昭和47年)8月9日に原告側勝訴の判決となった。 三井金属鉱業は上告を断念し、第2次以下の訴訟も判決内容にしたがって補償することを決めた。判決ではカドミウムの放流とイタイイタイ病とは因果関係があると断定した。 三井金属鉱業は第5次訴訟まで総額23億5633万円の損害賠償金の支払い、農業被害の賠償と汚染土壌の復元義務、住民の立ち入り調査権を認めた公害防止協定書の締結の3点を内容とする和解に応じることとなった。・・・・・
2014年(平成26年)9月末時点では認定患者は198人で要観察者が延べ408人となっており[15]、患者数は増加し続けている。
さらに、2014年(平成26年)9月の検査では従来行われてきた5歳刻みで対象年齢を決めていた流域住民への健康調査を全年齢を対象に切り替えたところ、1969年(昭和44年)の調査開始以来最多の精密検査対象者が出ており、健康調査への受診率が低迷していることも合わせると、患者数の正確な数字は把握できていない[15]。
患者に認定されると公害医療手帳が支給され、国から医療費・障害補償費・療養手当などが給付される。また、三井金属鉱業からも賠償費・医療費・入通院費・医療介護手当・温泉療養費が支給される[14]。
しかし、認定にハードルは厳しく、いまだに行政の救済を受けることができずに苦しんでいる人たちが残っている。現代での問題点は原因分析ではなく、患者認定・要観察判定の具体的な基準に移っている。行政側である県認定審査会は厳しい基準を課して却下する事例が多い。 具体的には、イタイイタイ病の認定の4要件の1つとなる骨軟化症の判定をおこなっている。

ドキュメンタリー:イタイイタイ病

「イタイイタイ病」全面解決??


萩野医師によって、原因究明がなされたが、日本医学界はこの問題にきちんと向き合ったのだろうか???

「カドミウム原因説」発表後、萩野を取り巻く状況は一変する。「田舎医者に何が分かる」「売名のためのPRだ」と罵声が浴びせられ、地元からも「嫁のきてが無くなる」「米が売れなくなる」と白眼視される。「萩野は砂利トラックに撥ねられて死ぬだろう」との風評が飛びかい、患者の元には白衣の男たちが現われて「鉱毒説に関わると大変なことになる」と脅迫した。萩野は荒れ、富山市内に繰り出しては飲み歩く日々が続いた。・・・・・

萩野昇の人生
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。







●横浜「戦争と加害」のパネル



細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)

毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜




参観者の感想
・今まで新聞等の報道で得ていた知識はほんの断面で事実はもっとむごたらしいことを思い知らされた。正しい戦争などありえない!神奈川県内に毒ガス兵器に関わる場所がたくさんあることに驚いた。人間とはなんと愚かなのだろう。60代女性

「戦争の加害」テーマに 13日まで横浜でパネル展





●全世界!!脱原発!!核兵器廃絶!!どこで地震・テロが起こるか分からない!!
核実験・戦争・軍事演習こそが、地球環境を破壊する!!
核保有国は、環境破壊の責任を取ってもらいたい!!

オバマ氏「道義的責任」言及へ 訪問時、広島・長崎の犠牲者追悼

広島原爆投下


戦中、日本は原爆開発をしていた。戦後もその動きが続いている!
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

小路田泰直
しかしアメリカは仁科の虚偽をあえて暴こうとはしなかった。表面上は、 それを聞き入れるかのような姿勢さえ示した。アメリカ軍によるサイクロトロンの破壊(海中投棄)は科学への冒涜だといった世論を、アメリカ国内で盛り上げたりしたのも、その姿勢の現れだったのかもしれない。ではアメリカはなぜ仁科に対して寛大だったのか。次の、GHQ経済科学局科学技術課次長H.C.ケリーが、経済科学局長W.F.マーカットに宛て送った1948年9月3日付の報告書が、その疑問に答えてくれる。
主題 :合衆国による日本科学者の利用
1.貴方の1946年3月の口頭による要請にこたえ
合衆国による日本科学者の利用の可能性を調べた。
2.日本は理論科学に優れた指導者をもっている。実験科学では、仁科や菊池といった2、3の例外を除けば、むしろ弱い。
理論科学者たちは、理論原子核物理学の分野で際立った寄与をしてきた。 Oppenheimer博士のような最良の助言者によれば、核理論の発展において彼らは合衆国とほとんど肩を並べている。 実験核物理学における彼らの寄与はほとんど無視できるほど小さい。
3.日本の科学者が合衆国に行くとすれば、学者として、安全に責任をもつ民間の機関をスポンサーとして行くべきであり、ドイツの場合のように彼らを輸入すべきではない。ドイツ科学者の輸入による—アメリカの科学者自身にさえよる—負の宣伝効果を見れば、われわれの方法がより実際的なものであることが分かる。
4.合衆国に行くべき最初の科学者の一人は京都帝国大学の教授、湯川博士である。
彼は中間子理論の発案者であり、 Oppenheimerによって世界の最も優れた理論物理学者10人の中に数えられている。湯川博士は、プリンストンの高等研究所の任用を受け9月2日に発った。この計画は、極東委員会の議論のため、早めることはできなかった。
5.貴方の承認があれば、同じ路線が将来もとられるであろう。傑出した日本科学者は、非友好的な国々よりもアメリカに向かうよう、あらゆる手段で奨励されるであろう。[★7]

多磨霊園の仁科の墓
理化学研究所に入り、1921~28(T10~S3)海外に留学し、ラザフォード・ボーアらに学び、原子物理学の理論と実験を研究。28X線のコンプトン散乱に関して〈クライン - 仁科の公式〉を発表。同年末帰国。 31以降理研主任研究員として原子核・宇宙線・量子力学の研究を進め、これら各分野の開拓者となる。その門下から朝永振一郎(同墓に眠る)をはじめ多くの俊英が輩出した。 また核破壊装置の建設をすすめ、37我が国初めてのサイクロトロンを、44には当時世界最大級の大型サイクロトロンを完成させた。 戦後、46理化学研究所長。48理研の解体後、株式会社科学研究所を組織し社長となり、また日本学術会議副議長などを歴任した。46文化勲章受章。

<コンサイス日本人名事典>


*謹書は吉田茂。墓右に朝永振一郎の墓が建つ。

*同墓所にはノーベル物理学賞受賞者である朝永振一郎とアメリカの物理学者であるハリー・C・ケリーも眠る。


原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~


樺美智子さんの墓誌




「最後に」

誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ




安倍首相も731を訪問したら!
シャーマン前国務次官は、「将来、米国人の過半数が原爆投下を『誤り』と思うかもしれない」と指摘する。
オバマ大統領は09年4月のプラハ演説で「核兵器を使用した唯一の国として、行動する道義的な責任がある」と表明。翌10年から駐日米大使ら米政府高官が毎年、広島、長崎を訪れるようになった。
米世論の変化が後押し=オバマ氏広島訪問

NHK世論調査 米大統領の広島訪問 「してほしい」70%

アメリカはじめ、核保有国は核実験(未臨界実験も含めて)をやめろ!!
軍事費が国家財政を破綻させる!!
世界のどの場所でどのくらい核爆発が起きたのか


核兵器



政府の唱える非核3原則は嘘っぱち!!なぜ、核融合の研究・原発再稼動する??
オバマ氏広島訪問 韓国メディアは反発と警戒 「加害者を被害者に変える」

米政府が言及 広島は“核なき世界の象徴”

原発再稼動、「反対」が43%、「賛成」が18%
安保関連法 評価する42% 評価しない48%

「メルトダウン」事実と異なる説明 徹底解明を要請

<G7外相会合>「被爆した最後の館長」が思い…10日開幕

除染などの費用 今年度までだけで3兆円以上の試算

憲法に優先する安保条約であるなら、アメリカと合同で極秘に核兵器開発を進めることも不可能では無いのではないか。
この甚大な被害をもたらした大地震の原因の究明はされていない!!地震学者も驚いているではないか!通常の地震とは違った!!
何で国は、北朝鮮からのミサイル攻撃の時の原発の被害想定などを国民の目から隠す!!被害は甚大である。
プルトニウム44tを何に使う??核兵器がそんなにほしいのか??

小出裕章先生:一番大切なのは多くの人達が真実を知る。そして一人ひとりが責任を持って声を挙げること


プルトニウムの使いみち はっきりしない状況続く

2011年3月11日 車が流される 人が飲まれる 津波


原発事故の原因が究明されずになぜ再稼動??
原発事故の原因はなぜ解明されない??


20150502 R/F #121「小出裕章ジャーナル」【原発攻撃被害報告書が明るみに】


巨大地震、津波の原因は??
なぜ、地震学者が驚く!!









なぜ、税金を使った調査結果を公表しない?隠蔽するな!!
1つ目の㊙
原発がもし日本で事故を起こしたらどれほどの被害が出るのか?(1959年)
2つ目の㊙
原発が攻撃されたらどんな被害がでるのか?(1984年)
「2つの㊙と再稼動」



やはり、日本は核兵器を既に持っているのか??
政府、「憲法は核兵器保有を禁止していない」とする答弁書を決定
(以下「高知新聞」より)
要約すれば、憲法は理論上は全ての核兵器の使用を禁じていない。だが、「現実」がその歯止めになると読み取れる。
現実が憲法を超えるとするなら、政府が守ると言っている憲法の平和主義も、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の「非核三原則」の国是も一気に空洞化する。
法的な歯止めではない現実は、刻々と変わる。時の政権の判断によって、核兵器の使用が可能になる余地が残る。
国会の場で、日本の核兵器使用が現実味を持って公然と語られる現状にも驚きを禁じ得ない。

【法制局長官答弁】核使用まで容認とは驚く

この人は核兵器と通常兵器を全く区別していない!!
「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録3 18参院・予算委員会


日本も地下核実験をやっているのか?(アメリカと合同で)
人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官


地震学者の「今までやってきた研究が全て無駄だった」という発言は、本当に東日本大震災の原因は何だったのかを考えさせられる!!!
いまだ福島原発事故の解明はされていないのになぜ原発再稼動!!なぜ原発輸出!!
明らかに、全く戦争の反省がない日本は本気で核兵器の保有を考えている!!
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~


3回の破壊って何のこと??
東日本大震災人工地震


この施設ではいったいどんな研究が行われているのか?水爆の開発??
核融合科学研究所

宇野正美 311人工地震攻撃は日本のプルトニウム製造を阻止するのが目的だった


三権分立は日本にはない!!
原発訴訟の希望と絶望


元東京電力社員・木村俊雄が告発する福島原発事故の真相 2 1


自衛隊技術者15人は311テロ計画を知らないで爆弾製造に携わっていたようです

あの戦争で日本軍のしていたことを全く反省していない日本。
だから、戦後も、自衛隊を中心に『防護の為』と称して、核兵器の開発、毒ガスの製造、生物兵器の開発が行われているだろう!!
毒ガスの製造は確認できた!!生物兵器は勿論核兵器もか??
そして、戦争になって初めて、自国がどんな兵器を持っているか気付かされるのでないか?

<小出裕章さんに聞く>日本のメーカーはなぜ原発にこだわり続けるのか

福島の子どもの甲状腺がんで「家族の会」結成

米専門家 日本でプルトニウム増え続ける現状に懸念

小出:炉心にあった燃料はすべて使用済み燃料プールに移されていた。溶け落ちなかったんですから、ホントだったら水素爆発は起きないはずだったんですが、なぜか4号機でも、巨大な水素爆発が起きました。(ビデオ27分過ぎ)なぜ、4号機で爆発が起きたんだ??原因究明が全くなされてない!!
小出裕章講演会 20160124 山口市県教育会館



地震発生(1944年12月7日)の翌日8日の新聞のトップは昭和天皇の写真。(開戦記念日)

地震の詳細は掲載されない!!被害は隠す!!

東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ



元NHK五十嵐さんが命をかけ伝えたかった人工地震の真実



●憲法9条
憲法9条のノーベル平和賞推薦 3年連続の受理
「憲法は私たちが支えてきた」 江東の公園 集会に5万人
9条「変えない」が増 安保法影響か 朝日新聞世論調査
海外邦人ら「9条守れ」 「平和憲法」価値、離れてこそ実感
安倍政権下での「改憲反対」56%について。- 2016.04.30


国連とは何か??(アメリカ中心主義??)
国連の役割


八王子から日本を変える!!
NO WAR!八王子アクション

2015.11.14 第5回 NO WAR ! 八王子アクション@八王子駅北口


脱戦争!!軍事費が国家財政を破綻させる!!
現代の戦争(ハイテク戦争)
ハイテク兵器



彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に
・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約廃止・国連改革



・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


09
想像してごらん、
9条がゆきわたった世界を。

Imagine,
A world filled with Article 9.

想像,
的世界充满了第九条。

Представить,
Мир заполнен со статьей 9.




IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)


解説
09
9条がゆきわたった世界
みなさんは学校で、どんな歴史を学んできま したか?
国内で行われた戦国時代の戦い以外に、日本がほかの国々と行つた戦争について、どのように教わってきましたか?
多くの国々では、自分の国がいかに正しく、立派であり、誇らしいものであるかを繰り返し強調してきました。その影で、自分の国がほかの国の人びとに被害を与えたことについては、忘れられることが多かったのです。
「国のためではなく人びとのために歴史を教えたい」 そう願う日本、韓国、中国の市民や研究者たちは、いっしょになって一つの歴史教材をつくりました (日中韓3国共通歴史教材委員会編『未来をひらく歴史』、高文研、2006年)。 傷つけた側、傷を受けた側が、共通の歴史をとらえ直そうとしているのです。

イスラエルは、60年にわたリパレスチナの土地を占領しています。それが理由となって、中東地域全体で暴力の連鎖が続いています。そんな中にあっても、 イスラエルの若者とパレスチナの若者が出会い交流を進めています。
インドとパキスタンは、国境のカシミール地方の領有権をめぐる対立を60年間にわたって続けています。国境では衝突が絶えず、両国は核兵器をもちミサイル開発を続けながらにらみ合つています。それでも、平和を求める市民は、国境を越えた交流を進めています。
南アフリカでは、人種隔離政策 (アパルトヘイト)の中で自人が黒人を抑圧してきました。アパルトヘイトは終わり、「真実と和解委員会」がつくられ、過去をみつめて和解を進めました。それぞれの問題において、一人ひとりの「対話」で少しずつ、ゆっくりと解決をしようと努力が続けられています。

「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、 民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人びとが、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。


豪潜水艦共同開発に日本選ばれず 武器輸出拡大は継続
国産ステルス実証機が初飛行
武器輸出三原則
今の現状防衛装備移転三原則



●ご案内
秘密国家日本!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)

アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。








●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦)
中国では、現在、細菌戦の調査が着々と進められている。日本政府は反対に細菌戦に対し、全く無視し、過去を消し去ろうとしている。



細菌戦裁判(1997年~2007年)


細菌戦被害の人々


(毒ガス戦)
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)


暴かれる毒ガス戦の真実


(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第2部
恐るべき遠足


死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
部落は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。


・パネル展




「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦





細菌戦部隊731


石井隊長の戦後1


「ミドリ十字」という会社


内藤良一・・・731部隊員、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験に関与した。

厚労省の敷地内に『誓いの碑』がある。そこにはこう書いてある。
「命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する
千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した
平成11年8月  厚生省

碑を建てても薬害は続く!!

イレッサ判決・大阪高裁で原告の逆転全面敗訴

イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチン接種後の症状





以下、ウィキペディアより
ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年8月に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
・1982年、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた[1]。
・ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。



ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
プロローグ>


赤茶けた小冊子
原爆に関する記述が徹底的な検閲によって、 あらゆるメディアから削除されていた米軍占領下の日本で、なぜ、石川は、原爆の物的・人的被害の許細を把握することができたのだろうか。謎を解くカギは、原爆投下直後から数度にわたって広島に派道された京都帝大の原爆調査班の成り立ちにあった。



●毒ガス問題
日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗


アメリカは日本の毒ガス施設を故意に過小評価した!!
(天皇を免責するために)


一本土決戦に備える毒ガス部隊一
敗戦直前、湘南海岸に毒ガス兵器を装備した海軍砲術学校とその部隊は幻だったのであろうか。そして毒ガスはこれだけだったのだろうか?
昭和20年4月1日、海軍大臣内令第278号海軍省内に海軍化兵戦部発足(高田利雄少将)主に相模海軍工廠北里又郎中佐、館山砲術学校大川秀四郎少佐を中心に化兵戦実施部隊の編成・整備にあたるとした。敗戦前に毒ガス部隊が突如計画されたものではなく、昭和18年館山海軍砲術学校(睦戦及び陸上対空担当の術科学校)に化兵戦の研究・教育が行われていた。



・自衛隊とサリン
自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?

死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)

1950年代に、自衛隊は秘密裡にアメリカ側のデータを下に毒ガス製造をはじめ、1964年(東京オリンピックの年)にサリンの製造に成功している。オウム真理教の土屋正美(事件発生当時30歳)だけの知識で果たしてサリンが製造できたのか?自衛隊のデータが漏れていなかったのか?それとも、自衛隊も事件に関わっていたのか??
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース


・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。

週間金曜日 2013年5月17日号
自衛隊とサリン 第1回
「私は自衛隊で毒ガス・サリンの製造に関わっていた」
世界を揺るがした地下鉄サリン事件より数十年も前から、陸上自衛隊はサリンを製造していたことが複数の資料と証言で明らかになった。サリンだけではない。VX、タブンといった猛毒の殺人ガスも・・・・。非核三原則と同様、日本政府は毒ガスについても「持たず、作らず、持ち込ませず」などと表明していたが、自衛隊によるサリン製造が事実なら(これは事実であった!!)、毒ガスのをめぐる戦後の歴史が塗り替えられる可能性がある。(塗り替えられた!!)

※日本が95年9月に批准した現行の化学兵器禁止条約では、サリンなどの化学兵器の開発、生産、保有が包括的に禁止されているが、ここにも抜け道がある。同条約によれば、「生産量が年間1トン以下なら生産施設に当たらない」(第二条8)し、「防護目的」の生産・保有なら「この条約によって禁止されていない目的」(第二条9)に入る。国際機関である化学兵器禁止期間(OPCW)に申告し(第三条)、OPCWの査察を受け入れればその生産・保有・廃棄などが可能だ。防衛省によれば、同条約に基づき、1997年から2012年6月まで、計8回、OPCWの査察を受け、申告内容に問題がないことが確認されている、という。




※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器や生物兵器の「防護研究」も可能ということになる。

戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、生物兵器、核兵器!!


日本は現在も毒ガスを製造している!!




・非核3原則も嘘だった!!
ノーベル賞自体が、おかしくないか??(原爆開発者や毒ガス開発者にも贈られている!!)
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス

日本軍の毒ガス被害


昭和天皇の“沖縄メッセージ”



●マレーシアの旅
マレーシア番外編(2) -自転車の旅

8月17日(月)~9月2日(水)
鈴木和良
8月22日(土)

名前は劉建彰さん(↑写真の左。右が鈴木さん)。石油を扱う工場に勤務されていて、今日は土曜日なので実家のお店を手伝っていたという。なんと幸運!そしてペラ州の墓碑の分布図を見せると、ビドー周辺のお墓は説明出来ないほど複雑で一人で行くには無理があるよう。唯一冷水河の忠魂碑は解りやすいようです。また、安順の勇士記念碑は、戦後の統治期にイギリス政府に撤去されて無い、という貴重な情報などたくさん教えてもらいました。劉道南先生(昨年のツァーでイポーとその周辺を案内して下さった。12月にはアジア・フォーラム横浜の証言集会で貴重な証言をしていただいた。)のことも知っており、電話番号まで調べて頂きました。さらに、24 日(月)朝7時半KTCホテルに遺族の方が集まり、ビドーのお墓参りをするという。もしご迷惑でなかったら、私も同行したい!と申し出ると快くOKの返事が返ってきた。このような経緯に至るまでに様々な人に連絡をとって頂きました。またご家族の皆さんも親切に接して頂いた。
皆さんにお礼を述べお店を後にしました。
11:40
こうして期待を胸に膨らませビドーを出発。
1号線を左折し58号線を直進。






●多磨霊園と大日本帝国


・多磨霊園・・・・多磨霊園(たまれいえん)は、東京都府中市および小金井市をまたいだ場所にある都立霊園。日本初の公園墓地であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園で最大の128万平方メートル『40万坪』『東京ドーム27個分』。
関東大震災直前の1923年(大正12年)、東京市により、北多摩郡多磨村に開園。当初は多磨墓地といい、1935年(昭和10年)に多磨霊園と改称された。
緑の多い公園墓地であり、被葬者の絶対数が多いこともあり有名人の墓地も多い。

中野正剛
福岡県福岡市出身。旧福岡藩士の中野泰次郎の長男。弟の中野秀人は、詩人・評論家。幼名は甚太郎。号は耕堂。修猷館中学校を経て、早稲田大学を卒業。
1909(M42)東京日日新聞(毎日新聞)を発行していた日報社に入社、次いで東京朝日新聞社に入社した。 記者時代に「戎蛮馬」のペンネームで「朝野の政治家」「明治民権史論」等の政治評論を連載し、政治ジャーナリストとして高い評価を得た。 また、護憲運動に活躍。'16(T5)退社し、「東方時論」の主筆、のち社長。'17衆議院議員総選挙に立候補するも落選。だが、日本外交を批判的に論考した『講和会議を目撃して』がベストセラーとなる。
'20衆議院議員総選挙で初当選。以来8回当選。当初は無所属倶楽部を結成するが、'22革新倶楽部結成に動く。その後も憲政会、立憲民政党と政党を渡り歩いた。 '28(S3)から九州日報社長。 '29民政党時代、党遊説部長として、永井柳太郎と臨時軍事費問題や満州某重大事件(張作霖爆殺事件)で田中義一(6-1-16-14)内閣の追求の先頭に立つなど、少荘派として頭角を現す。 また、政府では、内務大臣だった浜口雄幸の推薦で、三木武吉の後任の大蔵参与官や逓信政務次官などを歴任した。 '31満州事変を機に、挙国一致内閣を提唱していた親軍派の安達謙蔵と共に政民協力内閣運動を起こし民政党脱退し、翌年国民同盟結成、その頃から直情的な反官僚主義になり急進ファシズムへと走る。 '35同盟脱会、'36東方会を率いて、民間における全体主義推進の尖兵をつとめた。'37~'38イタリア、ドイツを訪問し、ムッソリーニやヒトラーと会見。 '39議会政治否定、政党解消を主張し、衆議院議員を辞職。南進論、日独伊三国同盟を支持し、撃栄東亜民族会議を主催した。'40大政翼賛会常任総務に就任。'41太平洋戦争勃発時に東方会本部で万歳を三唱をした。
'42翼賛選挙で推薦を拒否するも、星野直樹(7-2-32-4)の説得でようやく政治会に入ることを了承。 官憲支配の強化に反撥し東條英樹首相の独裁制に反発を強める。同年、早稲田大学大隈講堂において、「天下一人を以て興る」という演題にて東條英機を弾劾する大演説を行った。 この講演を聴いた当時早稲田大学第一高等学院の学生であった竹下登は感動し政治家を志している。 '43反東條の動きは止まらず、朝日新聞に「戦時宰相論」を発表し痛烈に批判、この記事に対して東條は激怒し、記事差し止めを命じた。 近衛文麿や東久邇宮稔彦王を中心とする宮中グループや重臣達を動かし、松前重義と共に東條内閣の打倒に動き、東條を退陣させて宇垣一成(6-1-12-1)か東郷茂徳を後任首相に立てようと画策したが失敗。 倒閣企図の理由で検挙、議会欠席を約束させられ上で釈放されたが、その直後、自宅二階の居間で割腹自殺した。 自殺の理由は、今後の取調べで、反東條の皇族、重臣に累を及ぼさないためと、これまでの激烈な闘争に疲れある種の観念を感じたためと言われている。 自刃する前に中野は、居間に飾っていた自分とヒトラーが並び撮影された写真をはずし、机上に楠木正成の像と「大西郷伝」を置いたと伝えられている。享年57歳。
夫人は評論家三宅雪嶺の娘の多美子。'13(T2)結婚。 仲人は、頭山満と古島一雄であった。子(四男)の中野泰雄は亜細亜大学名誉教授であり、『政治家中野正剛』や『アジア主義者中野正剛』を著している。
<コンサイス日本人名事典>
<世界人名辞典など>

*夫人の多美子の父である三宅雪嶺の甥の昆虫学者の三宅恒方の妻は作家の三宅やす子(8-1-16-34)である。
*現在、福岡市中央区今川地区に銅像が設置されている。 
*国会議員の自殺アラカルトは中島洋次郎ページを参照。




●情報公開(戦争への道を阻止するために!!
防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!!


毒ガスを製造しているんだから、勿論、現在、生物兵器、核兵器の研究・開発・製造もやっているのでしょう。

情報開示への政府の姿勢が問われそうだ。
特定秘密の国会監視 実効性高められるかが課題
PKO陸自宿営地に着弾 南スーダン、政府公表せず

・2016年3月9日、東京都世田谷区にある三宿駐屯地の自衛隊衛生学校の彰古館(しょうこかん)に元衛生学校校長の金原節三氏の寄贈した『金原文書』を探しに行ってきた。私は前回1月に行ったので2回目である。戦前、戦中731部隊で生物兵器を開発し、実戦に使用しているので、戦後の自衛隊ではどうなっているのかを調べるためである。『衛生学校記事』の第1号には生物戦に関する翻訳記事が実際に載っている。
なぜ、『金原文書』を探すのかといえば、その中に、731部隊関連資料で私たちが公開を求めている『衛生学校記事』(「金原寄贈目録」には延べ冊数88冊)が含まれているからである。
『衛生学校記事』は、最初、「情報公開法」に基づき、開示請求したが、防衛大臣が、「保有していない」ことを理由に、不開示にした。こんなことが世間であるだろうか?
『衛生学校記事』を発行しているのは、自衛隊の衛生学校である。なぜ発行元が1冊も保有していない?おかしくないですか。
それで、公開されないもんだから、なんと裁判にまで、訴えて、公開を求めているのである。
1昨年(2014年)、裁判の途中で被告の防衛省側から「『衛生学校記事』の一部(28冊)が見つかりました。発見された文書には731の記述はありませんでした。」という回答が口頭であった。だが、見つかった場所は、発行元ではない「防衛医科大学の図書室」からである。これも色々考えると、さもありなんなんか?医科大学で生物兵器の研究?731 の記述はないが生物戦の記述はどうだったのか?文書での回答はない。
前回、1月に行って調べた時にも、「金原寄贈目録」2028点のうち防衛省は641は彰古館にあると回答していたが、我々が調べるとその他にも16点見つかった。そして昨日行ったらまた、何点か見つかった。資料の管理はどうなっているのだろうか?
そもそも、自衛隊の衛生学校の元校長が寄贈したものを、衛生学校が一部を廃棄するとは考えられない。国民の税金で、運営されている機関であれば、そんなことは絶対あってはならない。縦社会の厳しい自衛隊で、元校長が寄贈した物を簡単に廃棄するとは考えられない!!
ましてや、外務省や防衛省などは、色々な情報を国民に積極的に開示しなければならない機関だと思う。戦争を防ぐためにも。
※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で18号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、誌名を『ふかみどり』に変更し、1971(昭和46)年からは、衛生学校にきちんと保管されている。しかし、『ふかみどり』の1~15巻は、無い。「30年保存なので、満期になったものから徐々に廃棄しました」という回答。何で廃棄する?
※衛生学校に行ったら、教範(自衛隊の教科書)は情報公開請求しないと見せてくれないと言う。何で自国民に見せてくれないのだろうか。「武器の性能などがばれると、まずい」と言う。自衛隊は、サリン等の毒ガスを作っておきながら、それも伏せていた。影で、化学兵器、生物兵器、核兵器開発の「防護」のためと言って、何をやっているのか、国民は全く知らされていない!!
いや、シビリアンコントロールするはずの政府でさえ、自衛隊が何をしているのか、詳しくは知らないのではないか?

・防衛研究所 戦史史料室
先日、防衛研究所に行って来た。閉架式図書室である。コピー、写真撮影は係員が有料でやるとのこと。後日郵送。貸し出しは出来ないとのこと。全く不便である。お金がかかる。
三宿の彰古館では、自分で写真撮影が出来たのに、なぜここでは出来ない。
担当者の話では、戦後、日本軍の史料は、証拠隠滅のため、重要機密書類はほとんど焼却されたと言う。戦後も、史料は大事にされず、管理が杜撰だったと言う。
「寄贈資料一覧はあるんですかと」、聞くとあることはあるが、「それは市ヶ谷の防衛省の情報公開室に行って、情報公開の手続をしてください」との答え。
戦史史料室に一覧がありながら、それは見られない。そして最後には一覧は行政文書だから保存期間10年で処分してしまうと言う。それでは、大事な過去の資料の履歴が分からなくなるではないか。どうしてこうまでして資料を隠す!!全く、過去の戦争のことを反省していない。過去を消そうとしている。
寄贈した資料は廃棄することはないという。登録はしない資料もあるという。部内者が見ることはあるという。
なんで、寄贈された資料はすべて登録しない!!おかしい!!



※防衛省は、自分でところで研究した文書(勿論国民の血税で作られた文書)を、いとも簡単に廃棄しているというのは本当なのか?国民には軍事上の機密として、全てが伏せられているのではないか??この審査会も税金の無駄遣いではないのか!!
この下記の審査会の答申には全く納得がいかない!!年々、着実に日本は毒ガス研究、生物戦研究・核兵器研究を深めている!!

情報公開・個人情報保護審査会の答申
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。

審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。

思うに、審査会が独自の権限で、内部を調べられないことが残念である!!防衛省の見解をそのまま踏襲。異議を申し立てて4年かかってこの回答。審議は2回だけ??


「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。
戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より)

※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。



●『日本の国家機密』
今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!
<特定秘密>新たに61件 記録文書27万2020件に

特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)

ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より
第二章国家機密の構造

5「秘」の性格と内容
「秘」は公知の事実


川崎一佐事件の第1審判決文から、実質的にも「秘」にあたると判示された記載事項の具体例と、その理由を紹介しておこう。自衛隊の秘密の実体と、その秘密主義的体質をしめす貴重な資料であるから、該当条項ごとに整理しつつ、全部を掲出することにしたい。空自達第11条1号(平常時における部隊行動、配備計画など)にあたるとされた秘密は、
(14)要員の充足 (バッジ操作員、バッジ整備員のそれぞれの要員充足見積表があり、昭和41年以降昭和44年までの間の毎年4半期ごとにバッジ操作員、バッジ整備員の養成されていく数が示されて、バッジの能力が判断される資料がある)
(15)自動運用に必要な部隊練成訓練 (昭和41年度から昭和43年度までの間における各方面隊ごとの機材の運用能力、バッジの運用能力を知りうる表があり、これを見ればわが方の機材の運用能力が判断される)
(16)F104Jの可動率の見通し見積(昭和41年度から昭和43年度までの間における各航空団ごとのF104J戦闘機の可動率が数字でしめされており、これはこの国の秘密の一番大きな対象となっている)



※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景


※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)

※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。



●現在の日本

日本は、アメリカと情報交換しながら、生物兵器、化学兵器、核兵器を、秘密裡に開発しているのではないか??
全く戦争の反省をしていないのだから。
戦後、全く裁かれなかった731部隊員の上級隊員は、大学教授や国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)、製薬会社などで、重要なポストに就いていた。
また、原爆製造に関わった研究者(ニ号研究・F研究)の後継者なども、そのまま反省することなく、核融合などの研究を続けているのではないか。
731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。
日本の原爆開発



核融合はやるべきではない!!

この施設ではいったいどんな研究が行われているのか?水爆の開発??
核融合科学研究所

原子力開発と核開発 ミサイル発射とロケット発射 日本の野心とは!?


”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー(内容全て書き出しました)

どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
国立感染症研究所の危険性!!


科学者・軍隊は、戦争になる前から殺人兵器の開発に夢中になる!!
『「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」』






●南京大虐殺

ベイツはティムパレイ『日本軍の中国での凶暴な行為』(1938年6月)の主たる企画者であった。日本を7回短く訪れインドを1回訪れて会議に参加したほかは、ベイツは1937年から1941年までずっと南京に留まり、日本当局の暴虐行為に、とりわけ麻薬貿易に挑戦した。彼は南京国際救済委員会を代表してパンフレットを2冊書いたが、1冊が『南京地域の食料調査』、もう1冊が『南京の人口』で、両者ともに我々が南京大虐殺を了解するのに役立っている。戦後に彼は召し出されて東京裁判に証人として出席し、引き続き中国の日本戦犯に対する裁判に出席して証言した。


12月16日
私は非公式に、貴大使館のそば近くにある大学の財産に関わる、公共の安全と秩序の問題で、貴殿に注意を喚起します。私たちは誰しも、皇軍は一般公民を傷つけようとはしないとの、日本当局の公式な言明を聞き承知しておりますし、日本側から権限を授けられたいかなる政府も、平和な生活を回復し得るようにと願っております。けれども今この時点では、一般市民の苦痛と恐怖とははなはだ著しいものがあります。以下に述べます事例は、貴館のすぐ近くの金陵大学のキャンパスで起こったもので、他の多くの事例は、私たちの病院と付属中学、並びに付近の農業専修科学校で起こったものであります。
(2)12月15日―上記の地点には兵士が数回やって来て、そこに収容されている難民から現金とその他の物品とを奪い取り、女の人も奪い去って行った。
(3)12月15日―平民[common people]を1500人収容しているわれらが新しい図書館で、婦女が4人強姦された。3人奪い去られてまだもどってきてなく、1人は奪い去られたが貴館の近くで日本の憲兵により釈放された。兵士たちのこの類の行動が、その婦女たちの家庭と近隣ないしはその地区に、絶大なる苦痛と恐怖とをもたらしている。今日午前中に私は、安全区のその他の所で100件余り、類似した凶暴行為が起きているとの、報告に接した。それらの事例は、私の働きの範囲外のものではあるが、それをここに言及するゆえんは、貴館に近いこの大学の問題が、兵士たちによって人々の間でほしいままにされている、略奪と強姦という巨大な災難の一例に過ぎないことを、示すにある。



※①ここでは皮肉として、日本大使館の外国の財産を保護する布告を、軍が無視していると述べている。


しゃべってから死ぬ!南京大虐殺


南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!

ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より

第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦

日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・

(南京大虐殺)
皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。
そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より





※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)




世界初の「南京大虐殺辞典」出版される








●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)

映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん



2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。
<中国・東北地方の片田舎>
中国・黒竜江省の省都・ハルビン東方の牡丹江の片田舎が、著者が16年、生きてきた生活環境である。長い冬を生き抜くことは、当時の生活力からすると、幼い孤児が生き抜くことは至難の業である。
「幸運の連鎖」「いい人」との出会いがなければ、厳しい環境がたちどころに幼子の命を奪うだろう。おそらく多くの孤児が、そうして亡くなっているだろうが、中島さんは違った。

発売元 亜東書店 03-3835-7091 
中国語版 北京三聯書店「何有此生」






●731問題
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

第3部
魔の廃墟のあとに


部隊本部前に集合した私達は、そこから貨車発着所に移動した。そのあたりには家族の者が残していた荷物が至る所に散乱していた。人間を輸送するだけが精一杯で、持ち込めなかった荷物であり、破れた行李や着物の端がはみ出している口の開いた軍用トランクなどが、逃げ去った家族たちの狼狽振りを生々しく物語っていた。
私達は、真新しい軍装をつけ貨車の前にならんで出発のときを待った。しかし、また作業命令が出た。貨車への積込みである。情報とにらみ合わせてのものだろうが、敵の進攻状態がはっきり伝えられてない以上やはり一刻も早く出発したいと念う心は、誰も変わりなかった。
上衣を脱ぎ、荷物をその場にまとめて、私達は食糧倉庫に向った。
先ず醤油樽を運んで、貨車の一番下に積み、その上に塩、砂糖を積み始めるころにはすっかり暗くなってしまった。運搬も次第に粗雑になって、アンペラで包んだ16貫入れの砂糖袋を破いたり、塩かますの口を切らしたり、倉庫のあたりは乱雑を極めていた。
そのころ、部隊で働いていた満人たちが、残った馬や牛、食糧などを分配されて、喜んでいるのが目に付いた。彼らが喜ぶ顔を見せたのは、入隊以来初めてであった。


厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)

医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
小泉親彦(ちかひこ)


※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。



真実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
「君が代」について


ガン治療のウラ 7/8



船瀬俊介と内海聡の「ここだけの話」2014.04.29@板橋



「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄6/6 ラジオ深夜便





●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第13章 遅すぎた降伏

8月14日夜、鈴木内閣はアメリカ合衆国と他の連合国政府に、ポツダム宣言ならびに、8月11日のバーンズ回答を日本が受諾した旨を通告した。無条件降伏をめぐる舞台の土壇場で、天皇の行動を加速させたのが、アメリカによる心理作戦であった。8月13日夜、あるいは14日の朝、木戸のもとにB29が撒布したビラが届けられた。木戸はこのビラの件について14日、朝8時半に拝謁し、その危険性を天皇に説明した。この日本民衆に向けられた最新のビラには、国体護持を唯一の条件として降伏するという日本政府の通告と、それに対するバーンズ回答の全文が掲載されていたのである。こうしたことを続けられたら、帝国政府はじつは戦争に負けているという事実と、なぜ降伏が大きく遅れたのかという理由を国民に伏せておくことができなくなる。昭和天皇と木戸は、皇位に対する批判を含め敗北主義が台頭する兆候を懸念していた。彼らは、民衆みずからが決起することを防ぐために、すみやかに行動を起こさなければならなかった。このようにして、2度めの聖断が下された。


瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」




●『天皇の陰謀』

天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた


ディビット・バーガミニ 著
松崎  元 訳より

第三章

敗戦
(その2)

東条逮捕

島田が自宅から連行されているころ、陸軍元帥杉山元――1940年から1944年まで参謀長を務めた陸軍の最高司令官――は、自分の頭を撃ち抜いていた。彼の妻は、青酸カリをのみ、短刀でのどを突いた。絞首刑執行を〔自殺で損なわれずに〕確実なものとするために、マッカーサーの最高司令部は、東久邇の日本政府はそれらの逮捕〔の失敗〕に満足していると苦言を呈する異例な発表をおこなった。そしてマッカーサーのスポークスマンは、閣僚の6人の提督や大将を見すごしてこう宣告した。「日本政府は非軍事的な要素によって構成されているようであっても、そもそも、黒龍会や他の〔軍事的〕秘密組織の脅迫に操られてきている。」


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