2009年10月7日水曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 大日本帝国は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くて自国の力だけで開発できる兵器を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍・天皇が耳を傾け、そしてそれを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、昭和天皇・軍部がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。
 ソ連が石井の引渡しをアメリカに要求した時、アメリカは貴重な?データがソ連に渡ってしまうことを恐れた。アメリカは、先にそのデータを独り占めし、遅れていた自国の細菌戦研究に役立てたいという方針から、はした金でそのデータを731部隊幹部から買い取り、731部隊員を戦犯免責にしたと、ある本には書かれていたが、私が思うに、これが東京裁判で裁かれようものなら、その残虐な事実が国民の前に公表され、天皇の戦争責任まで発展しかねなかったからではなかったのか?
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力に頼っていたのは事実だと思う。
その天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
 その結果、東京裁判では731部隊のことが取り上げられず、国民に長いことその存在が白日の下にさらされることはなかった。
 それ故、裁判で国民の前に情報が公開されなかったし追求されなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
頭蓋骨のブローチ(田中証言)
 田中さんは、その後准尉になって第731部隊に配属になったが、任務は資材部であった。
 当時戦局は敗色濃く、本土は物資欠乏の折だというのに731部隊の資材は、実に豊富であったという。
 田中さんの証言が続く。

  第731部隊の資材部は、大石少将指揮のもとに、3つに分かれていた。1つは研究費を扱う課で、課長は中尉。主として機械、器具、薬物一切を扱う。2つ目は兵器の課で、すべての兵器、火薬類を扱った。課長はやはり中尉。残る3つ目は、その他の物品、消耗品一切で、重要さの低い部門で、准尉の私が課長をつとめた。しかし、私の課には洗濯場あり、また木工場、加工場もあり、それに縫製工場もあって相当の規模のものであった。それぞれ課長の下で働く者は、すべて軍属の雇員、傭人であった。縫製工場では女性が一様にミシンを踏んでいた。
 私は文学青年で、好奇心が人一倍強い方で、秘密場所を見たくてしかたがなかった。資材部では、まず需要伝票が廻ってきて、私の印で出すことになっている。それには査定が必要である。やっている仕事は何か、なぜ必要か問い詰める。話が「マルタ」とか「生体実験」の所へ来ると「まあなんでして」「ちょっとね」とかいって相手はごまかしてしまう。私はそう言われると一層見たくなる。そこで「そんなことではハンコが押せるか」とつっぱり、調査に出向く。
 こうして航空班の飛行機や、マルタの姿も見た。また1年に2回、資材検査があり、少将の部長のあとについて廻り、その時はロ号棟の独房まで見て廻った。女マルタもそこで見た。お腹の大きなマルタや、子どもを抱いているマルタもいた。
 731部隊の資材は、当時敗色濃く物資欠乏の中でも、実に豊富であった。薬品はドイツ製のものもたくさんあった。自動車の如きは、新車が40台も並んでいて壮観であった。終戦の前の年、関東軍の命令で、新京陸軍病院の分院に、蒸発皿をトランクに詰めて5キロほど運んだが、この蒸発皿は白金でできていた。白金だとアルコールランプの熱をよく吸収できるわけで、攪拌棒も白金であった。
 また、金の延べ棒も何キロかあったのを見た。用途が何であったか分からなかったが、えらいものまであるなあという感じがしたものである。(明日に続く)

※731の資材部には豊富な物資があった。敗色濃く日本国内が物資欠乏の折でも。いかに軍中央・天皇の支持を強く受けていた部隊かが分かる。また、平房から逃亡する際目ぼしいものを日本に運び幹部だけで山分けしていたのではないか?下級隊員の戦後の暮らしは大変だったが!!
 物資のことで言えば、帝都東京も焦土と化して国民の生活が窮乏している時に、莫大な費用をかけて長野の松代に大本営・天皇が避難する大地下壕を強制連行した朝鮮の人たちを使って作っている。お金はある所には大変な時代でもあるものである。天皇・731部隊幹部も敗戦・戦後と衣食住には困らなかったのではないか?(ノブ)

参考ホームページ

松代大本営

731部隊の全貌

731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

ハイナンネット
 
根津公子さんのページ
  


南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

瞿厚知(男、60歳)の証言

 1937年には、私は13歳でした。臘月(ろうげつ)の初めのある日の朝、私は葛朝金など3人と糞を拾いに早く起きました。およそ8時頃に、日本兵が村に入って来て人を殺し火を放ちました。祖父と父とが日本軍に肥溜めまで押され押されして行って活きたまま溺死させられました。母は病気していた小さい妹を抱いて、あっちこっちに身を隠し、人々について走りました。小さな子が泣くと、日本兵に知られ大変になるため、人々が母について走られるのを嫌がったので、母はどうしようもなく、心を鬼にして妹を池に力任せに投げ込みおぼれさせるしかありませんでした。日本軍は家の人を殺しただけでなく、火を放って家を焼いたので、村全体で瓦の家が何軒か残っただけでした。
(王前富や杜懐静などが記録) 
 
※母親も日本軍に追われてパニックになったのであろう!!わが子を殺すとはなんとも悲劇である。南京というか日中戦争では日本軍はたくさんの放火をしたようだ。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会


「南京!南京!」が見られる映画サイト


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器をつくったり

売ったりしない世界


「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。





第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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"Malta" / "the Asian victim" cries! !

"Japanese flag" / "Kimigayo" objection! !

New Japan! !

From "the hereditary Emperor system of Japan to I am chosen I do it presidential system!" "

(I ask it the war responsibility of the Emperor Showa.)

● After the war Japanese ... when "leave, and use a document for the journalists of the foreign country, and speak it, correct them to the writer when why Japanese Government 731 does not recognize the existence of the military unit and the barbaric act almost regularly". It was doubt for writer oneself, but answered as follows in many cases. When, just after defeat, it is the greatest cause that 731 corps hiding was performed by Japan-U.S. combination. Japan was able to take experiment on a human body and a fact of the biological weapon use off a list scene of the history thereby. On the other hand, U.S.A. was able to monopolize data by the experiment on a human body in the network of Ishii. It was Chapter 1 that this Japan-U.S. secret agreement failed in 1986 and spoke it, but perhaps unfortunately Japan would be going to cover the barbaric act of the Ishii engine without a secret agreement. It may be still said that I served the Japan-U.S. secret agreement puts an accomplice called U.S.A. I cover the crime, and to resemble it by letting you profit, and to reduce a burden of the Japanese mind.
 In Japanese war crimes camouflage, there is one another existence that became the big prop for mental burden reduction. It is existence of the Emperor Showa. It was words of "the honor of the Emperor" that the people of medicine that I studied in a network of Ishii whom the writer met so far, and heard a story ate with one consent. In the logic in their feeling, the researchers of the network of Ishii performed scientific research for for the Emperor or a country. That is why I justified it for "the Emperor" in oneself for "a country" and originally carried out the barbaric act that I never performed. In other words I convinced oneself that they "performed a barbaric act for the Emperor". Because it is it, it will hurt honor of the government that the Emperor tells own crime that a country does not accept.
 Japan held on to a Japan-U.S. secret agreement just after the defeat to protect in a country and the Emperor. In this Japan, as for the experiment on a human body and the excavation and the compensation of the victim of the biowarfare that a network of Ishii performed, nothing is done as a result of this. Perhaps this comes from the structure that is one infrangibleness which the country called Japan has. It is structure not to be equal at all that the individual is located in a low rank basically from a nation. As a result, the manner that I do not compensate you for for an individual will be taken even if I perform the compensation to the other nations by peace treaties. Therefore I cannot accept the responsibility about it in the fact of a past crime again as a country. Or the order of these ideas may be reverse. In other words it may be to be not to assume an individual a partner because it does not want to accept responsibility by a crime.
 It is from the reality that compensation issue does not advance to at all in the wartime of these days that I have begun to think of such a thing. ・ ...
(written by "731 corps" Keiichi Tsuneishi): Kodansha present age new book: 1995)

※ 731 corps and the Emperor
 Great Japanese Empire of the Japan-China War wrestled with the development of the latest weapon to win war since before having begun.
Poor Japan was cheap and aimed at the weapon which I could develop only by the power of the own country to resources and a fund.
 It was Shiro Ishii to have appeared there. The armed forces / the Emperor listened to a bacteriological weapon (a biological weapon) which he preached and put it into practice. I named a Chinese / a Korean / a Russian / a Mongolian Malta and did experiment on a living creature / vivisection while I made a research facility on the site where the suburbs flat bunch of Chinese Harbin was very large, and cooperating with army army surgeon school of Tokyo and a network of other Ishii and repeated trial and error and it depended and aimed at the development of a strong bacteriological weapon.
 Therefore the developed bacteria bomb (a ceramics bomb) was done the actual fighting of in a city in China. I sent many victims with Pasteurella pestis, and the city was confused.
 The results of research were not finished than I thought either and hurried the development of the weapon, but it was late and has already permitted it the participation in a war of the Soviet Union at time.
 The military authorities / the Emperor planned evidence destruction of 731 corps quickly as soon as the Soviet Union participated in the war and blew up a building, and all the members killed accommodated Malta and returned 731 corpsmen to Japan in a hurry.
 When war crimes come out, this is because the responsibility will be asked the Emperor.
 Some royalties came and went in 731 corps, and there was the real royalty concerned with 731. Tojo went to visit it, too, and the information about 731 should have begun the ear of the commander-in-chief Emperor Showa.
 For a vast budget, were not 731 military units which I gathered people of national excellent medicine, and was made the military units which the Emperor Showa / the military authorities expected most?
  The 731 corps executive officer made a secret agreement with U.S.A. after the war and sold the results of research that I got by experiment on a human body in exchange for the war crime immunity from responsibility of 731 corpsmen to U.S.A. for a little money.
 I stay in the doubt why U.S.A. did the war crime immunity from responsibility of 731 corpsmen who did experiment on a living creature against humanity.
 When the Soviet Union demanded delivery of Ishii from U.S.A., U.S.A. is precious? I was afraid that data put it away for the Soviet Union. U.S.A. monopolized the data earlier, and, from a policy to want to be able to help the biological warfare study of a delayed own country, it was written the data 731 in the book which there was with a small change by a military unit executive officer when it bought it, and it did 731 corpsmen for war crime immunity from responsibility, but if this would be judged at Tokyo trial if I thought, the fact that was the brutality was announced before the nation, and was not the reason because it might have developed to war responsibility of the Emperor?
 MacArthur deals with Japanese occupation and thinks that it is a fact to have depended on the power of the Emperor Showa.
May not U.S.A. 731 have wanted to touch the military unit to exclude the Emperor from a war crime either?
 As a result, 731 corps is not taken away at the Tokyo trial, and there did not need to be the thing that the existence is bleached with broad daylight for a long time by the nation.
 That is why the war responsibility of the commander-in-chief Emperor Showa was not asked because it was the thing which information was not shown before the nation at a trial, and was not pursued.
 I do not understand the biological warfare of 731 corps of the current Japanese Government and the opinion about the practice of the experiment on a human body. (Now during an inquiry)(A knob)
● What kind of military unit would 731 corps be? I will watch a description of confession of the former 731 corpsman. In written by Sadao Koshi (a transportation member belonging to the 731st former Kanto armed forces corps Part 3 headquarters) "the Japanese flag red 泪" (tears) (a publishing office): I want to watch a book to call education historical materials publication meeting).

 I am born in Nagano-shi in March for Sadao Koshi (I go, さだお) ...1918 years.
I graduate from technical high school machine department in 1934. I enter the 642nd military unit introduced to Manchurian in 1939. I enter the 731st corps (Ishii corps) in 1941. I work afterward in the transportation squads including bacteria squad for four years. I arrive at Nagano by defeat in withdrawal, September in August, 1945. I spend thorny days while hiding a career as the 731st corpsman after the war and reach it at the present.


● 731 corps

In "the Japanese flag red 泪" (written by Sadao Koshi:) Than education historical materials publication meeting)

?  The broach of the overcharging skull of the morning sun(Tanaka testimony)
 Tanaka became a warrant officer afterwards, and it was assigned to the 731st corps, but the duty was Supplies Department.
 It is said that the material of 731 corps was really rich in signs of defeat as for the war situation though the mainland is an occasion of the supplies lack densely in those days.
 Testimony of Tanaka continues.

  Supplies Department of the 731st corps was divided into 3 with Major General Oishi conduct. In the section where 1 handles research funds, a chief is a first lieutenant. I mainly treat a machine, an appliance, drug all. The second treated all weapons, explosives in the section of the weapon. After all a chief is a first lieutenant. I of the warrant officer worked for the third to be left with a chief at other articles, expendable supplies all in a low section of the consequence. However, have it of a washhouse in my section, and, in addition, there are a woodshop, the processing ground, too, and there is the sewing factory in it, too; and of a thing of a considerable scale met you. The laborer was a junior clerk of the civilian employee, a hand with a chief entirely each. A woman stepped on a sewing machine equally in the sewing factory.
 I wanted to look at the secret place with the person who was strong in curiosity unusually with a literary youth, and there was no help for it. At first a demand slip turns around and, in Supplies Department, is to start it with my seal. Assessment is necessary for it. I question you closely whether work doing is anything, why need. When a story comes to "Malta" or "experiment on a living creature", worth deceives the partner "まあなんでして" "a little". I want to consider that it is said so still more. Therefore I go to a prop, investigation whether I can "push a stamp with such a thing".
 I watched an airplane of the aviation squad and the figure of Malta in this way. In addition, there was material inspection twice a year and I was accompanied after the director of the major general and watched the circumference then to the cell of the ロ ridge and turned around. I looked at woman Malta there. There were big Malta and Malta that surrounded the child of the stomach.
 The material of 731 corps was really rich in signs of defeat in supplies lack densely in those days. A lot of things made in Germany had the medicine. Of the car 40 new cars formed a line to can compare, and was grand. A trunk could checkmate it and, by a year before the end of the war, an order of the Kanto armed forces, carried an evaporating dish to the outbuilding of the new capital army Hospital approximately 5 kilos, but there was this evaporating dish with platinum. When it was platinum, I could take in heat of the spirit lamp well, and the churning stick was platinum.
 In addition, the bar of the money looked at several kilos or the thing which there was. That did not understand what a use was, but there is it to a heavy thing; felt. (I follow tomorrow)

※ There were abundant supplies in 731 Supplies Department. Signs of defeat are dark; Japanese soil even at supplies lack. I understand how it is the military unit which strongly took support of the armed forces center / the Emperor. In addition, may you have divided a thing of a verge leucoma potato to escape from a flat bunch to equally only with a progressing executive officer in Japan? The postwar living of the low-class member was great! !
 When Imperial capital Tokyo is burnt to the ground, and the life of the nation is in needy circumstances if I say about supplies, I use the Korean people who took a dugout very much whom I can write vast expense, and the Imperial Headquarters / the Emperor takes refuge in to Matsuyo of Nagano and make it. The money is the great times in the some place. Is Emperor .731 corps executive officer that defeat was not troubled with food, clothing and shelter after the war? (A knob)
● Nanjing Massacre      

"This fact ..."

(a collection of "Nanjing Massacre" survivor testimony): 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館 / Minoru Kato / reason) (publication): A stalk, release: Nebula company, price 2,000+ tax)

※ We Japanese of Nanjing Massacre "this fact think that should read ..." humbly.
I think that it is necessary for more Japanese to know what kind of thing happened in Nanjing.
Many victims are still troubled with PTSD! !


2, furious personal slaughter of the Japanese armed forces

The damage of father and mother

Testimony of 瞿厚知 (man, 60 years old)

 In 1937, I was 13 years old. It was early, and morning of one day of the beginning of the (ろうげつ), I got up in the twelfth month in the lunar calendar to pick up money of kudzu dynasty 3 and feces. A Japanese soldier entered the village and murdered a person and, at about about 8:00, set it on fire. I was drowned with a grandfather and father were overwhelmed to a receptacle for manure by the Japanese armed forces, and it was pushed and did it, and having given life. Mother embraced the small younger sister who got sick and hid myself in many places and ran about people. Because it was known to a Japanese soldier, and people hated it being run about mother when a small child cried to become serious, mother was hopeless, and I let I threw it in so that you hardened your heart, and power could leave a younger sister to the pond and drown, and there was it. Because the Japanese armed forces set it on fire not only I murdered the person of the house and baked a house, I stayed in the whole village whether the house of the tile was several.
(King former wealth or forest breast stillness are recorded)  
 
※ Mother was driven to the Japanese armed forces, too and would become the panic! ! It is tragedy how to murder my child. The Japanese armed forces seem to have done a lot of arson by the Japan-China War whether they said Nanjing. (A knob)

※ "Words" to be pleased with Nanjing occupation than the Emperor Showa
   It is His Majesty 賜 りたる commander-in-chief words for army and navy chief of staff
The army and navy many military units of the middle China area follow a strategy of the Shanghai neighborhood and perform valiant pursuit and 陥 れたることは is deep and even thinks capital Nanjing to be it. Inform this effect officers. (written by "Nanjing case" Tokushi Kasahara): Iwanami new book)

※ About Nanjing Massacre, the Emperor should receive a report from Ministry of Foreign Affairs and the military authorities / an Asaka shrine! !
(A knob)

※ Royalty and Nanjing Massacre
* When there is a kind of the guerrilla activity by a failure soldier and the civilian clothes soldier in the hall, the outside not to mention a ceremonial hall on a day of the ... "entry into a fortress big ceremony of the Imperial Army to the capital of an unprecedented grand event, the enemy" reported to a Japanese citizen very much by the reporters, the prestige of the Imperial Army will be harmed. Besides, Shanghai dispatch military commander / Asaka shrine (only Asa) 鳩彦王中将 is a "His Imperial Highness shrine" "Her royal highness the princess" with the royalty. If the disgraceful affair of the what-if would occur in the body of the commander of the royalty who was the symbol of the armed forces of the Emperor, naturally it was connected by the serious affair of the world in the taking the responsibility problem of the person concerned. I dispatched 立哨 from each military unit and, for the Asaka shrine which established the headquarters in the capital Chinese restaurant in Nanjing Castle, took the severe caution system, and I am "prohibited from traffic at one time so that a palace bottom (an Asaka shrine) enters a fortress in the place of immediate this side of the middle main gate of a Buddhist temple, and there was able to be the thing that security precaution has it stolen especially called the (a Makihara" diary).
 It extended to not only Nanjing Chengqu but also the suburban farm village, and a severe "enemy remnants size sweep strategy" was developed to hold entry into a fortress type on 17th and did the sacrifice of a slaughtered soldier to a still bigger thing in this way.
(written by "Nanjing case" Tokushi Kasahara): Iwanami new book)

※ 朝香宮鳩彦王 of the first place list of war crimes whom the administration of justice executive department of Chinese Nationalist China of 1946 made was a direct person in charge of Nanjing Massacre as Shanghai dispatch military commander, but even Nanjing military tribunal was done with immunity from responsibility because U.S. Government and GHQ decided immunity from responsibility of the Emperor because it was the royalty. ... (I "cut it, competing 100" and written by "Nanjing case" Tokushi Kasahara): Is not Otsuki Bookstore) ... this strange, too? Was there business in the back? (A knob)
● Nine lines of constitutions

Than "Imagine9" [combination publication]

I make a weapon

The world that is not sold

"Where will the weapon come" from?
It comes from Europe and U.S.A. They are masters of the weapon trade. African we do not have to spoil the need to fight. Therefore I think that nine lines of constitutions should be introduced into Africa. If there is Article 9, Africa cannot let you bring a weapon more than this. "

 This is the words that a Kenyan young man talked about in "world society forum" held in Nairobi in January, 2007. In Africa, Sudan or Somalia suffer from many civil wars. I am made to assume a child どもたちまでもが soldier and am made to have a weapon and am hurt, and many private citizens lose their life.
 American, and Russian, and German, and French, the countries exporting most weapons to in the world are the Netherlands, the U.K., large countries such as China. A weapon is sold from these countries to Middle East, Asia, Africa, Central and South America. There is the small weapon used in a dispute more than 600,000,000 all over the world, and it is said that, furthermore, 8,000,000 a year are made. Is estimated that 500,000 a year dead people appear in the world, and, by these weapons, this says with "one in one minute; is calculated (by the control arm" campaign).





Article 9【War renunciation, armaments and the denial of the right of belligerency】

One Japanese citizen desires international peace to be based on justice and order faithfully, and the use of war as the motion of the national power and saber rattling or the military power abandons this for means to solve an international dispute forever.

The war potential of armed forces others does not maintain this to achieve the purpose of two foregoing paragraphs. The right of belligerency of the country does not accept this.

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"马耳他"/"亚洲的牺牲的人"正叫喊!!

"日本国旗"/"君之代"相反!!

新的日本!!

从"世袭的天皇制到被选し总统制!"

(问昭和天皇的战争责任。)

●战后日本当"朝向外国的记者们,使用证明资料,说的时候他们对是否731部的日本政府不几乎一定为什么承认队的存在和那个野蛮行为的笔者"改正。那个是对笔者自己来说的疑问,但是,在大量的情况下,如下回答了。当由于日美联合掩盖731部队,并且,紧接着战败,が是最大的原因的时候。因此日本能从历史的表面舞台取下人体实验以及细菌武器使用的事实了。在另一方面美国能垄断了出自在石井的网络的人体实验的数据。叙述这个日美的密约在1986年破产了的事用章1第了,但是虽然令人遗憾可是日本想要没有密约也大概遮盖石井机关的野蛮行为吧。的事那么犯罪为掩盖,并且象而安放,日美的密约,因为让获得利益所以也叫美国的共犯者减轻日本的精神上的负担能据说当起作用了的时候吧。
 为遮盖日本的战犯而安放,变成了大给精神上负担减轻的支柱已经有中的一个的存在。那个是昭和天皇的存在。正被在笔者现在为止见,听了话的石井的网络研究的医学家们异口同声说了的事是"天皇的名誉"这个的语言。在他们的心情里面的伦理,石井的网络的研究人员们为为天皇或者国家科学化,并且正研究。因此为"天皇"在自为"国家"正当化,并且本来绝对执行了不被进行的野蛮行为。正说服自他们"进行了野蛮行为为天皇",就是说,的事。因为是那个结果是∶所以天皇说国家没正承认的自己的犯罪的事伤害主人的名誉。
 为保持在国家以及天皇日本在紧接着战败的日美的密约缠住了。作为结果,至于人体实验以及发掘调查以及生物战的牺牲的人的石井的网络进行了的补偿,什么被在这个日本玩。大概这个从叫日本的国家有的一个的坚固的构造来。那个基本是个人从国家位于下级的绝对不对等的构造。其结果结果是∶尽管进行到其他的出自和平的条约的国家的赔偿但是不被向针对个人赔偿的态度偷走。接下来不能在过去的犯罪的事实作为国家又接受对那个的责任。或者也许这个论的顺序相反。就是说,因为不想由于犯罪接受责任所以也许是作为不使个人当做对方。
 那个开始考虑了这样的事情从补偿近来的战时问题不完全向前进的现实是。
("731部队"经常石头敬一著):讲谈社现代小型丛书:1995年)
※731部队和天皇
 本大日帝国日中战争的在开始之前正在用来战争被赢的最新兵卫的开发搏斗。
贫乏的日本便宜,以只由于本国的力能被开发的兵卫对资源和资金为目标了。
 在那里出现了的事是石井四郎。军队/天皇听他宣讲的细菌武器(细菌武器)以及把那个移到了执行。一边在平郊外中国哈尔大头针的果实广大的地基做研究设施,并且被联合军医东京的陆军学校以及其他的石井的网络,一边在中国人/朝鲜人/俄国/蒙古人称为马耳他,做活体实验/活体解剖,并且以比重叠由于试行错误强有力的细菌武器的开发为目标了。
 在那里被开发了的细菌炸弹(陶器炸弹)能在中国的都市离开实战了。把许多受灾者在鼠疫菌拿出来,并且都市混乱了。
 与其研究成果认为了不如也不上升,并且由于兵卫的开发赶紧了,但是时候已经迟,并且允许苏联的参战。
 刚一苏联参战就军事当局/天皇很快测量731部队的证明湮灭,并且炸掉建筑物,并且大家杀被收容的马耳他,并且把731部的队员紧急到日本还掉了。
 这个当战犯暴露的时候也是因为结果是∶那个责任也被问天皇。
 在731部队,有几个的皇族也来来去去,并且实际有了正和731有关系的皇族。东条也搬运脚,并且大元帅昭和天皇的耳朵也应该正容纳对731的信息。
 书写巨大的预算,并且731部的全国的收集好的医学家,被做了的队不是昭和天皇/军事当局正确实期待的部队吗?
  战后731部队干部和美国订立密约,并且把被由于人体实验与731部的队员的战犯免除责任相交换地得到了的研究成果用细小的钱在美国卖出去了。
 是否为什么美国做了731部的正做与人道相反活体实验的队员的战犯免除责任在疑问留下来。
 在苏联向美国要石井的递交了的时候,美国是贵重な?害怕数据在苏联越过的事了。当美国先独占那个数据,并且从队干部用从想在细菌战正迟到的本国的研究有用的方针做了的钱买下那个731部的数据,并且在战犯免除责任做731部的队员了的时候被某一本书书写,但是为我认为而假如这个是被在东京判决审判吧的东西的话,那个残酷的事实被公布国民之前,并且不是因为没准儿真地到天皇的战争责任发展吗?
 麦克阿瑟认为正依靠昭和天皇的力的事是事实的事当日本占领的时候。
为从战犯除去那个天皇731部的美国也想摸队吗?
 其结果731部队的事情不被在东京判决拿起,并且没有那种存在被在白日下国民长时间暴晒的事了。
 因为是信息没被国民之前在为此,判决公开,没被追求的东西所以大元帅昭和天皇的战争责任没被问。
 我不懂对细菌战以及现在的日本政府的731部队的人体实验的执行的见解。(不过在现在询问里)(把手)

●731部队是什么样的部队吧吗?看原731部队员的告白记吧。在"日本国旗紅い的越定男著(运输组从属于原关东军第731队第3部本部的员)泪"(泪)(发行发行所):想看教育史料出版会议)这个的书。

 出生于3一年的越定男(越过,并且作为さ)...1918月长野市。
从工业高中机械科在1934年毕业。参加第642在满州1939年越过的队。1941年参加第731队(石井队)。后来4年开创细菌组,并且在运输组工作。被战败在1945年8月撤退,并且到达九月长野。一边战后遮盖作为第731队员的经历,一边过苦难的日日,并且在现在至。


●731部队

在"日本国旗紅い的泪"(越定男著:)比教育史料出版会议)

? 朝阳的敲竹杠头盖骨的胸针(田中证言)
 田中随后变成准尉,被分配到了第731队,但是任务是材料部。
 当时,至于战局,败势内容丰富,并且虽然本土是物资欠缺的机会但是据说当731部队的材料实际丰富了的时候。
 田中的证言继续。

  第731队的材料部正在大石少将指挥下分成三个。在一个管理研究费的科,工段长是中尉。主要接待机械,器具,药品一切。第2个在兵卫的科管理所有兵卫,火药种类了。工段长仍然是中尉。准尉的我都在剩下来的第3个在工段长其他的物品,消耗品在重要性的低的部门工作了。但是我的科有洗衣场,并且也又有木工场,加工场,并且也有并且缝助工厂,是相当的规模的东西。分别在工段长下工作的者全部是军队类的雇员,佣人。在缝助工厂,女性正一样踏缝纫机。
 我想在文学青年在好奇心比别人加倍能抵抗的方面看秘密地方,没有办法了。在材料部,需要记帐单首先运转,结果是∶用我的印章起动。那个需要核定。正被做的工作是否为什么需要什么追问。当话"马耳他"或者"活体实验"那里来的时候"是什么啊","睡觉稍微"と据说,对方欺骗。我变得想更加认为被那样说的事。是否能"推图章在那样的事情"在那里前往つっぱり,调查。
 这样也看了航空组的飞机以及马耳他的姿态。另外,在1年有再次,材料检查,并且少将的部长以后配有,运转,并且那时到B音号栋的牢房看,运转了。也在那里看了女人马耳他。有了大马耳他以及肚子的正孵小孩的马耳他。
 731部队的材料败势当时内容丰富,并且在物资欠缺中实际丰富了。药品也符合了德意志制造的东西大量。汽车的,至于如き,40台的新车正排队,壮观了。由于战争结束前面的年,关东军的命令,手提箱能在新京都陆军医院的分院将死蒸发盘,搬运了大约5k,但是这个蒸发盘正在白金能够。当是白金的时候能好好吸收酒精电灯的热,并且搅拌的棒子是白金。
 另外,钱的条也看了几个k或者准确了的东西。没懂无论用途是什么,但是觉得到了不起的东西有了。(在明日继续)

※731的材料部有了丰富的物资。败势内容丰富日本国内甚至当物资欠缺的时候。懂无论怎样正用力受到军队中间/天皇的支持的部队是。另外,在从平果实逃亡的时候,迫使眼ぼ,并且没正平分东西只在运行干部在日本吗?下级队员的战后的生活困难了!!
 在如果在物资的事情上说的话,皇帝首都东京变成焦土,国民的生活正穷困的时候,把巨大的费用挂于,总部/天皇在长野的松代大使用带走了避难大地预先壕沟的朝鲜的人们,正做。钱在某一个地方是严重时代。.731部的天皇队干部也由于战败/战后和衣食住感到困难吗?(把手)
●大南京惨杀     

"这个事实"

("大南京惨杀"生存者证言集):侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/编加藤实际上的/翻译)(发行):的讲话,开始销售:星云社,定价2000+税)

※多达我们日本人,南京大,虐杀的"认为应该谦虚地"读这个事实的事。
认为更多日本人知道是否什么样事情正在南京发生有必要的事。
还许多受害者的各位正为创伤后压力症候群烦恼!!


2,日本军的狂暴个人的惨杀

父亲以及母亲的损害

瞿厚知(男人,60岁)的证言

 在1937年,我是13岁。带臘月(ろうげつ)的开始的日的早晨,我为拣葛早晨钱3个和粪而早早起来了。日本兵进入乡村,杀人,并且,在约8:00大约,放火了。祖父和父亲被到肥溜め日本军压倒,并且被按,并且做,有生命了被溺死了。母亲抱住正生病的小的妹妹,把身体到处里面藏在,并且跟人们奔了。当小孩子哭的时候日本兵知道,并且让母亲毫无希望硬着心肠,投入,并且凭力量在妹妹在池溺水,并且不了因为为变得不得了人们讨厌被跟母亲奔了所以。因为不仅杀了家的人而且日本军放火,把家烧掉了是否瓦的家是几个家所以乡村全体留下来了。
(财产或者杜懐静前王被记录) 
 
※母亲也被向日本军赶,变成了恐慌吧!!这杀我们孩子也多么是悲惨。是否说南京日本军好象由于日中战争做许多放火了。(把手)

※"因南京占领比昭和天皇感到高兴的语言"
   被陆地海军幕僚长赐予,并且是桶大元帅陛下语言
诸陆地海军中支那方面的部队紧接上海附近的作战,并且进行勇猛果断的追击,并且诱骗首都南京,并且桶事情深,并且满足地认为。向这个意思将兵转告叫。("南京案件"笠原19司著):岩波小型丛书)

※对大南京惨杀,天皇应该正容纳从外务省以及军事当局/朝香神社报告!!
(把手)

※和皇族大虐杀南京
在被对日本国民大报道记者队报道的一大到未曾有盛事,敌人的首都"的皇帝军的"进城典礼的日,也不仅式场而且在在场内,在场外有敗残兵以及出自班外衣兵的游击队员活动的たぐい,结果是∶皇帝军的威信被伤害。那饥饿,并且上海派遣军司令官/朝香神社(只あ坡)鸠彦王中将在皇族是"宫殿下边""神社"。如果结果是∶东西不幸事件对作为天皇的军队的象征的皇族的司令官的身体如果发生的话,连接起来了被天下的一大事件在当然有关人员的承担责任问题。从各部队派遣立哨,针对在南京在城里的首都饭馆安置司令部了的朝香神社,问了严重小心地结构,"预先(朝香神社),为进城一时和通过禁止中山大门的在考虑的地方宫殿立刻成为(原牧"日记)这个有戒备结构特别偷走的事了。
 为这样在17日举行进城式不仅南京城区而且达到近郊农村,过于严酷的"残敵大掃蕩作戦"被展开,并且对更加大的东西做被虐杀的军队市民的牺牲了。
("南京案件"笠原19司著):岩波小型丛书)

※南京大是惨杀的直接的负责人,但是由于是皇族因此神社鸠彦国民1946年的中国政府的司法行政部制作了的战犯名单1品位的朝香王母也被和免除责任由于南京军事裁判作为上海派遣军司令官美国政府和GHQ正决定天皇的免除责任做了。("切,100个"竞争和"南京案件"笠原19司著):大月出版社)/这个也不可笑吗?在背后有交易了?(把手)
●9条的宪法

比"Imagine9"[联合出版]

做武器

不被卖掉的世界

"武器从什么地方"来吧吗?
来自欧洲以及美国。他们是武器贸易的大师。非洲的我们没有必要也毁掉斗争的必要。因此认为9条的宪法应该被非洲导入的事。如果有9条的话,能不让非洲超过这个有武器。

 这个是肯尼亚的青年在被在2007年1月在内罗毕举行了的"世界社会论坛"说了的语言。在非洲,苏丹或者索马里正由于许多的内战感到痛苦。到小孩们,是使使当做也が士兵,并且是使拥有武器,并且受伤,并且许多一般市民正丢掉性命。
 正在世界出口最大量的武器的国家是美国,俄罗斯,德意志,法国,荷兰,英国,中国这样的大国。从这些国家到中东,亚洲,非洲,拉丁美洲,武器被出售。超过6亿个在全世界有被由于纷争使用的小型武器,并且被据说当800万个更加每年被做的时候。被推断50万个一年的死者正在世界出来的事,并且,用这些武器,在"一个人这个在1分达被计算(出自支配摇臂的"宣传活动的)。





条9第【放弃战争,军备以及交战权的否认】

本国市民在1日诚实地希求使正义和秩序当做基国际和平,并且出自作为国家权力的动用的战争和武力的威胁或者武力的行使永久地作为解决国际纷争的手段放弃这个。

为达成2前项的目的陆地海空军其他的军事力量不保持这个。国家的交战权不承认这个。

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「몰타」·「아시아의 희생자」은 외치고 있다! !

「일장기」·「키미가요(일본국가)」반대! !

새로운 일본! !

「세습의 천황제로부터 선택된 대통령제에! 」

(쇼와 천황의 전쟁 책임을 묻는다.)

● 전후 일본···「외국의 져널리스트들을 향해 증거 자료를 이용해 이야기하면, 그들은 거의 정해지고, 왜 일본 정부는 731 부대의 존재와 그 만행을 인정하지 않는 것인지, 라고 필자에게 다만이라고 온다. 그것은 필자 자신에게 있어서의 의문이기도 하지만, 많은 경우, 다음과 같이 대답해 왔다. 패전 직후, 일·미 합동으로 731 부대 은폐를 했던 것이 최대의 원인이다, 라고. 거기에 따라 일본은, 인체실험이나 생물병기 사용의 사실을 역사의 정식 무대로부터 구제할 수 있었다. 한편 미국은, 이시이의 네트워크로의 인체실험에 의한 데이터를 독점할 수 있었다. 이 일·미의 밀약이 1986년에는 파탄한 것은 제1장으로 말했지만, 아마 밀약이 없어도, 일본은 유감스럽지만 이시이 기관의 만행을 숨기려고 했을 것이다. 그런데도 일·미의 밀약은, 미국이라고 하는 공범자 얻게 하는 것으로, 범죄 은폐에에 두어 일본의 정신적 부담을 경감한다고 하는 역할을 완수했다고 말할 수 있자.
 일본의 전쟁 범죄 은폐에 대하고, 정신적 부담경감을 위한 큰 지주가 된 이제(벌써) 1개의 존재가 있다. 그것은 쇼와 천황의 존재다. 필자가 지금까지 만나고 이야기를 들어 온, 이시이의 네트워크로 연구하고 있던 의학자들이 이구동성에 말한 것이, 「천황의 명예 」라고 하는 말(이었)였다. 그들의 기분안의 논리에서는, 이시이의 네트워크의 연구자들은 천황 때문에, 혹은 나라를 위해서 과학 연구를 실시하고 있었다. 그러므로 본래라면 결코 실시하지 않는 만행을, 스스로에「천황이기 때문에」「나라를 위해」라고 정당화 해, 실행했다. 즉 그들은, 「천황을 위해서 만행을 실시했다」라고 스스로를 납득시키고 있었다. 그러니까, 천황이, 나라가 인정하지 않은 스스로의 범죄를 말하는 것은, 여주인의 명예를 손상시키게 되는 것이다.
 나라를, 그리고 천황을 지키기 위해서, 일본은 패전 직후의 일·미의 밀약에 매달려 왔다. 그 결과적으로, 이 일본에서는, 이시이의 네트워크가 간 인체실험이나 생물전의 희생자의 발굴 조사나 보상은 아무것도 되어 있지 않다. 아마 이것은, 일본이라고 하는 나라가 가지는, 1개의 강고한 구조로부터 온다. 그것은, 기본적으로 개인은 국가보다 하위에 위치한다, 결코 대등하지 않다고 하는 구조다. 그 결과, 평화 조약등에 의한 다른 국가에의 배상은 가도, 개인에 대해서 보상하지 않는다고 하는 태도가 취해지게 된다. 그러기 위해서는, 나라로서 과거의 범죄의 사실을, 또 거기에 붙은 책임을 인정할 수는 없는 것이다. 혹은, 이 론의 순서는 역일지도 모른다. 즉, 범죄를, 책임을 인정하고 싶지 않기 때문에, 개인을 상대로 하지 않는다고 하는 것 인지도 모른다.
 이런 일을 생각하기 시작한 것은, 요즈음의 전시 보상 문제가 전혀 진행되지 않는다고 하는 현실로부터다. ····」
(「731 부대」츠네이시 케이치저: 코단샤 현대 신서: 1995년)

※ 731 부대와 천황
 대일본 제국은 중일 전쟁이 시작되기 전부터, 전쟁에 이기기 위한 최신 병기의 개발에 임하고 있었다.
자원과 자금이 부족한 일본은, 싸서 자국의 힘만으로 개발할 수 있는 병기를 목표로 했다.
 거기에 나타난 것이 이시이 시로(이었)였다. 그가 말하는 세균병기(생물병기)에 군·천황이 귀를 기울이고 그리고 그것을 실행으로 옮겼다. 중국 하얼삔의 교외 히라보우의 광대한 부지에 연구 시설을 만들어, 도쿄의 육군 군의관 학교나 그 외의 이시이의 네트워크와 제휴하면서, 중국인·조선인·러시아인·몽골인등을 몰타라고 칭해 생체 실험·생체해부등을 해, 시행 착오를 거듭해보다 강력한 세균병기의 개발을 목표로 했다.
 거기서 개발된 세균 폭탄(도기 폭탄)은 중국의 도시에서 실전되었다. 페스트균으로 많은 이재민을 내 도시는 혼란했다.
 연구 성과는 생각했던 것보다도 오르지 않고, 병기의 개발을 서둘렀지만, 시 벌써 늦고, 소련의 참전을 허락해 버렸다.
 소련이 참전하자 마자, 군부·천황은 재빨리 731 부대의 증거 인멸을 도모해, 건물을 폭파해, 수용되고 있던 몰타를 전원 죽여, 731 부대원을 급거 일본에 되돌렸다.
 이것도 전쟁 범죄가 발각되면, 천황에도 그 책임이 추궁 당하게 되기 때문이다.
 731 부대에도 몇명의 황족이 왕래해, 실제 731과 관계되고 있던 황족도 있었다. 토우죠도 발길을 옮겨, 오모토수쇼와 천황의 귀에도 731에 대한 정보는 들어가 있었을 것이다.
 막대한 예산을 들여 전국의 우수한 의학자를 모아 만들어진 7 31 부대는, 쇼와 천황·군부가 가장 기대하고 있던 부대는 아니었던 것일까?
  전후 731 부대 간부는 미국과 밀약해, 731 부대원의 전범 면책과 교환에 인체실험으로 얻은 연구 성과를 몇 안 되는 돈으로 미국에 매도했다.
 왜, 미국은 인도에 반하는 생체 실험을 하고 있던 731 부대원의 전범 면책을 했는지가 의문에 남는다.
 소련이 이시이의 인도를 미국에 요구했을 때, 미국은 귀중한? 데이터가 소련에 건너 버리는 것을 무서워했다. 미국은, 먼저 그 데이터를 독점해, 늦은 자국의 세균전 연구에 유용하게 쓰고 싶다고 할 방침으로부터, 푼돈으로 그 데이터를 731 부대 간부로부터 매입해, 731 부대원을 전범 면책으로 했다고, 어느 책에는 쓰여져 있었지만, 내가 생각컨대, 이것이 도쿄 재판으로 재판해진다면, 그 잔학한 사실이 국민의 앞에 공표되어 천황의 전쟁 책임까지 발전하기 어렵지 않았으니까는 아니었던 것일까?
 막카서는 일본 점령에 임해, 쇼와 천황 힘에 의지하고 있던 것은 사실이라고 생각한다.
그 천황을 전범으로부터 떼어내기 위해서도, 미국은 731 부대에는 접하고 싶지 않았기 때문에는 없는가?
 그 결과, 도쿄 재판에서는 731 부대가 다루어지지 않고, 국민에게 긴 일 그 존재가 백일아래에 노출될 것은 없었다.
 그러므로, 재판으로 국민의 앞에 정보가 공개되지 않았고 추구되지 않았던 것이니까, 오모토수쇼와 천황의 전쟁 책임은 추궁 당하지 않았다.
 현재의 일본 정부의 731 부대의 세균전이나 인체실험의 실행에 대한 견해는, 나는 모른다. (지금 문의중)(노브)
● 731 부대란 어떤 부대이 것일까? 원 731 부대원의 고백기를 보고 가자. 월정남저(원관동군 제 731 부대 제 3부 본부 첨부 운수 반원)「일장기는 붉은 누(수준이다)에」(발행소: 교육 사료 출판회)라고 하는 책을 보고 싶다.

 월정남(고사·사다오)···1918년 3월 나가노시에서 태어난다.
1934년 공업 고교 기계과를 졸업. 1939년에 만주에 건너는, 제642 부대에 입대. 1941년 제 731 부대(이시이 부대)에 입대. 이후 4년간 세균반을 시작해 운수반 등에 근무. 1945년 8월 패전에 의해 돌아와 9월 나가노에 도착한다. 전후 제 731 부대원으로서의 경력을 숨기면서 고난의 날들을 보내, 현재에 이른다.


● 731 부대

「일장기는 붉은 누에」(월정남저: 교육 사료 출판회)보다

?  아침해 오르는 두개골의 브로치(타나카 증언)
 타나카씨는, 그 후 준위가 되어 제731 부대에 배속이 되었지만, 임무는 자재부(이었)였다.
 당시 전국은 패색 진하고, 본토는 물자 결핍의 때라고 하는데 731 부대의 자재는, 실로 풍부했다고 한다.
 타나카씨의 증언이 계속 된다.

  제731 부대의 자재부는, 대석 소장 지휘하에서, 3개로 나누어져 있었다. 1개는 연구비를 취급하는 과에서, 과장은 중위. 주로 기계, 기구, 약물 모두를 취급한다. 2번째는 병기의 과에서, 모든 병기, 화약류를 취급했다. 과장은 역시 중위. 남는 3번째는, 그 외의 물품, 소모품 모두로, 중요함이 낮은 부문에서, 준위의 내가 과장을 맡았다. 그러나, 나의 과에는 세탁소 있어, 또 목공장, 가공장도 있어, 거기에 봉제 공장도 있어 상당한 규모의 것(이었)였다. 각각 과장아래에서 일하는 사람은, 모두 군속의 고용원, 용인(이었)였다. 봉제 공장에서는 여성이 한결같게 미싱을 밟고 있었다.
 나는 문학 청년으로, 호기심이 남의 두배 강한 분으로, 비밀 장소를 보고 싶고 어쩔 수 없었다. 자재부에서는, 우선 수요 전표가 돌아 오고, 나의 표로 내게 되어 있다. 거기에는 사정이 필요하다. 하고 있는 일은 무엇인가, 왜 필요한가 캐묻는다. 이야기가「몰타」라고「생체 실험」의 곳에 오면「뭐이니까 해」「조금」(이)라고 보람은 상대는 속여 버린다. 나는 그런 말을 들으면 한층 보고 싶어진다. 거기서「그런 일로는 한코를 누를 수 있을까」라고 버텨, 조사에 나간다.
 이렇게 해 항공반의 비행기나, 몰타의 모습도 보았다. 또 1년에 2회, 자재 검사가 있어, 소장의 부장의 뒤에 붙어 돌아, 그 때는 로호동의 독방까지 보고 돌았다. 여자 몰타도 거기서 보았다. 배의 큰 몰타나, 아이를 안고 있는 몰타도 있었다.
 731 부대의 자재는, 당시 패색 진하고 물자 결핍 중(안)에서도, 실로 풍부했다. 약품은 독일제의 것도 많이 있었다. 자동차 (와) 같은은, 신차가 40대나 줄지어 있어 장관(이었)였다. 종전 전의 해, 관동군의 명령으로, 신쿄 육군 병원의 분원에, 증발 접시를 트렁크에 채워 5킬로 정도 옮겼지만, 이 증발 접시는 백금으로 되어 있었다. 백금이라면 알코올 램프의 열을 자주(잘) 흡수할 수 있는 것으로, 교반봉도 백금(이었)였다.
 또, 돈의 밀방망이도 몇 킬로인가 있던 것을 보았다. 용도가 무엇으로 있었는지 몰랐지만, 대단한 것까지 있구나라고 하는 느낌이 든 것이다. (내일에 계속 된다)

※ 731의 자재부에는 풍부한 물자가 있었다. 패색 진하고 일본내가 물자 결핍의 때라도. 얼마나 군츄우오·텐노우의 지지를 강하게 받고 있던 부대인가를 알 수 있다. 또, 히라보우로부터 도망할 때 눈주위 것을 일본에 옮겨 간부만으로 절반 하고 있던 것은 아닌가? 하급 대원의 전후의 생활은 큰 일(이었)였지만! !
 물자로 말하면, 제국의 수도 도쿄도 초토화해 국민의 생활이 궁핍 하고 있을 때에, 막대한 비용을 들여 나가노의 마츠시로에 근본영·천황이 피난하는 대지하호를 강제 연행한 조선의 사람들을 사용해 만들고 있다. 돈은 있는 곳에는 대단한 시대이기도 한 것이다. 천황·731 부대 간부도 패전·전후와 의식주에는 곤란하지 않았기 때문에는 없는가? (노브)

● 난징대학살      

「이 사실을····」

(「난징대학살」생존자 증언집: 침화일군난징대도살우난동포 기념관/편카토 미노루/역)(발행: 스토크, 발매: 성운사, 정가 2000+세)

※ 저희들 일본인은, 난징대학살의「이 사실을···」을 겸허하게 읽어야 한다고 생각한다.
난징에서 어떤 일이 일어나고 있었는지를 더 일본인은 알 필요가 있다고 생각한다.
지금도 많은 피해자의 분들은 PTSD에 고민하고 있다! !


2, 일본군의 광포한 개인적 학살

아버지나 어머니의 피해

구후지(남자, 60세)의 증언

 1937년에는, 나는 13세(이었)였습니다. 음력 12월(개)의 처음인 어느 날의 아침, 나는 덩굴 아사카네 등 3명과 대변을 줍기에 일찍 일어났습니다. 대략 8 시경에, 일본병이 마을에 들어 오고 사람을 죽여 불을 질렀습니다. 조부와 아버지가 일본군에 분뇨 구덩이째까지 밀려 밀려 해 가서 산 채로 익사 당했습니다. 어머니는 병하고 있던 작은 여동생을 안고, 이곳 저곳에 몸을 숨겨, 사람들에 대해 달렸습니다. 작은 아이가 울면, 일본병에게 알려져 대단히 되기 위해, 사람들이 어머니에 대해 달려지는 것을 싫어했으므로, 어머니는 어쩔 수 없고, 마음을 독하게 먹어 여동생을 연못에 힘껏 던져 빠지게 할 수 밖에 없었습니다. 일본군은 집의 사람을 죽였던 것 뿐만 아니라, 불을 지르고 집을 구웠으므로, 마을 전체로 기와의 집이 몇채인가 남은 것만으로 했다.
(왕앞부나 두회정등이 기록)  
 
※ 모친도 일본군에 쫓기고 패닉이 된 것일 것이다! ! 우리 아이를 죽인다고는 정말 비극이다. 난징이라고 할까 중일 전쟁에서는 일본군은 많은 방화를 한 것 같다. (노브)

※ 쇼와 천황보다 난징 점령을 기뻐하는「말씀」
   육지 해군 막료장에 받아인 오모토수폐하 말씀
중지나방면의 육지 해군제부대가 샹하이 부근의 작전에 계속해 용맹 과감한 추격을 행해, 수도 난징함인 (일)것은 깊고 만족하게 생각한다. 이 취지 장병에게 말씀드려 전해서. (「남경 사건」카사하라19사저: 이와나미 신서)

※ 난징대학살에 대해서는, 외무성이나 군부·아사카궁으로부터 천황에 보고가 들어가 있을 것이다! !
(노브)

※ 황족과 난징대학살
· ···대보도진에 의해서 일본국민에 보도되는「전대미문 성사, 적의 수도에의 황군의 입성」일대 세레모니의 날에, 식장은 물론, 장내, 장외에 있어도, 패잔병이나 변의병에 의한 게릴라 활동의 종류가 있고는 황군의 위신을 해칠 수 있게 된다. 게다가, 샹하이 파견 군사령관·아사카궁(아침인가만이나) 비둘기언왕중장은 황족으로, 「궁전하」「황족」이다. 천황의 군대의 상징인 황족의 사령관의 몸에, 만약의 불상사가 발생하게 되면, 천하의 중대사로 당연히 관계자의 인책 문제로 연결되었다. 난징 성내의 수도 반점에 사령부를 둔 아사카궁에 대하고, 각부대로부터 립 초를 파견해 엄중한 경계 체제를 취했고, 「나카야마문의 바로 앞의 곳에서 궁전하(아사카궁)가 입성 하기 위한(해) 일시 통행 금지가 되어」(「마키노하라 일기」)이라고 하는 특별 경비 체제가 취해지기도 했다.
 이렇게 하고, 17일에 입성식을 거행 하기 위해서, 난징시로구 뿐만이 아니라 근교 농촌에까지 미쳐 가혹한「잔적대소탕 작전」이 전개되어 학살되는 군민의 희생을 한층 더 큰 것으로 했다.
(「남경 사건」카사하라19사저: 이와나미 신서)

※ 1946년의 중국 국민 정부의 사법 행정부가 작성한 전범 리스트 1위의 아사카궁 비둘기언왕이야말로 샹하이 파견 군사령관으로서 난징대학살의 직접적인 책임자(이었)였지만, 미국 정부와 GHQ가 천황의 면책을 결정하고 있던 것으로부터, 황족이기 때문에 난징 군사재판에서도 면책으로 여겨졌다. ···(「「백명 베어 경쟁」이라고 남경 사건」카사하라19사저: 오츠키 서점)···이것도 이상하지 않습니까? 뒤에서 거래가 있었어? (노브)

● 헌법 9조

「Imagine9」【합동 출판】보다

무기를 만들거나

팔거나 하지 않는 세계

「무기는 어디에서 오는 것입니까?
유럽이나 미국에서 옵니다. 그들은, 무기 무역의 달인입니다. 아프리카의 우리는 싸울 필요도, 서로 죽일 필요도 없습니다. 그러니까, 헌법 9조는, 아프리카에야말로 도입되어야 한다고 생각합니다. 9조가 있으면, 더 이상 아프리카에 무기를 가지고 오게 하지않는다나름으로 할 수가 있습니다. 」

 이것은, 2007년 1월에 나이로비에서 개최된「세계 사회 포럼」로, 케냐의 청년이 말한 말입니다. 아프리카에는, 수단이나 소말리아 등, 수많은 내전에 괴로워하고 있습니다. 아이들까지도가 병사와 하게 하고 무기도 더해져 다쳐, 많은 민간인이 목숨을 잃고 있습니다.
 세계에서 가장 많이 무기를 수출하고 있는 나라들은, 미국, 러시아, 독일, 프랑스, 네델란드, 영국, 중국이라고 하는 대국입니다. 이러한 나라들로부터, 중동, 아시아, 아프리카, 중남미로, 무기가 팔리고 있습니다. 분쟁으로 사용되는 소형 무기는, 온 세상에 6억개 이상 있어, 한층 더 매년 800만개가 만들어지고 있다고 합니다. 이러한 무기에 의해서, 세계에서 연간 50만명의 사망자가 나와 있다고 추정되고 있어 이것은「1분에 한 명」을 말하는 계산이 됩니다(「컨트롤·암즈·캠페인」에 의한다).





제9조【전쟁 방폐, 군비 및 교전권의 부인】

1 일본국민은, 정의와 질서를 기조로 하는 국제 평화를 성실하게 희구해, 국권의 발동인 전쟁과 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는, 국제분쟁을 해결하는 수단으로서는, 영구히 이것을 방폐한다.

2 전항의 목적을 달성하기 위해, 육해공군그 외의 전력은, 이것을 보관 유지하지 않는다. 나라의 교전권은, 이것을 인정하지 않는다.

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