2017年12月8日金曜日

通底するものは??


<富岡八幡宮>3人死亡 宮司、刃物で襲われ

富岡八幡宮4人殺傷 - 女性宮司がセクハラ告発のブログ、関連か?





サンフランシスコに慰安婦像、米大都市で初 除幕式に中国総領事、マイク・ホンダ前議員ら出席

米誌タイム 今年の人は「沈黙を破った人たち」

【ミヤネ屋】伊藤詩織 山口敬之 氏を 性的暴行 で 顔出し異例の告発



【録画】ジャーナリストの伊藤詩織さんが会見(2017年10月24日)



伊藤詩織さんの準強姦罪事件問題を検証するため、野党で「超党派の会」発足!「刑事部長による逮捕状執行停止」の真相を徹底追及! 警察庁・法務省



超党派で「準強姦事件逮捕状執行停止問題」を検証する会第1回【動画】


【動画】超党派で「 準強姦事件 逮捕状執行停止問題 」を検証する会第2回


超党派で「 準強姦事件 逮捕状執行停止問題 」を検証する会第3回 「ジャーナリスト伊藤詩織さんとの意見交換会」2017/12/06


2017年12月7日木曜日

731部隊の逃亡


731部隊隊員の大部分は中国の通化を経過し、丹東及び韓国の釜山を経由し帰国した。(『証言石井部隊』郡司陽子著)

・ハルピン・背陰河(ハイインガ)・通化(トンホウ)の位置


・郡司陽子の場合、門司に着いた。


・郡司陽子の場合、門司に8月22日頃着いたとあります。



●『【真相】石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』の47ページから
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄 
   ―総務部調査課写真班 T・K
731部隊、最後の日々
その日のうちに(あるいは翌日かもしれない)、私たちは引揚列車に乗って平房を撤退した。最後まで残った写真班員2、3名、それにI調査課長も一緒だった。
 有蓋貨車に詰め込まれた私たちは、通化(トンホウ)を通って朝鮮に入り、金日成の生まれた町という江界(カンケ)に着いた。8月14日の夜だった。
 江界で一泊した私たちは、翌日、そこで日本の敗戦を知ったのだった。町には《民主朝鮮万歳》の文字が躍っていた。
 私たちは、引揚列車に、調査課図書室から貴重な医学書を持ってきていた。ドイツ語のものも多かった。敗戦の報とともに、それらを焼却することになった。まず、本に捺されている「石井部隊蔵書」という印を注意深く破り取り、それから焼くのである。それでも日本にないだろうといわれるほど貴重な書物は、I課長が焼かずに携行したようだ。
 列車を運転していた満鉄の中国人機関士は、もう列車を走らせないという。彼をなだめたり、おどしたりしながら、南下を続け、18日に京城(ソウル)に着いた。
 京城では、米軍機が空から、ウェーデマイヤー中将名のビラを撒いた。日本の敗戦を伝えるものだった。京城にも一泊することになった。私は朝鮮総督府と朝鮮銀行本店に行ってみたが、機関銃を据え付けた歩兵に守られていて、中に入ることはできなかった。満州でためた私の貯金は、この時を境に私とは無縁のものとなってしまったわけだ。



●731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし
本部にいた731部隊員は石井部隊長が手配した列車に乗り込み撤退した。
石井は、専用機を使って、証拠湮滅の為に奔走していた。
731部隊大連出張所総務部長だった目黒正彦さんは、このとき、石井と大連で出会っている。
「あのハルビンの本部が全部、満鉄の、借り切って朝鮮の方へ逃げ切っちゃったんですよ。それで、石井さんが、その前にハルビンの部隊が全部無くなったかどうかそのフィルムを私のところに持ってこられて、それを全部現像焼付けして、それで陸軍省へ持っていったんです。最後です。」
石井は破壊後の731部隊本部の様子を撮影し、陸軍省へ提出していた。完璧な証拠湮滅が求められていたのである。
隊員たちは朝鮮半島を南下。膨大な研究資料や物資を貨物船に積み、釜山港を出航した。
貨物船が目指したのは、山口県仙崎港であった。
「3000トンの貨物船2隻は仙崎港に着岸しました。800トンの上陸用舟艇は全部萩港に接岸しました。これが全部25日の午後5時ですね。」
8月25日3000トンの貨物船2隻から大量の物資が降ろされました。
そしてこれらの物資は、あらかじめ決められていた保管場所へと密かに送られていった。
間もなく、731部隊員に解散が言い渡された。
石井は解散に先立って、部隊員に次のような命令を下していた。
「第1項は、部隊の内容は秘匿せい。隠せ。連合軍による尋問を受ける場合には、防疫給水業務に従事しとったと答えよ。
第2項目目は、官公庁に就職するな。
第3項目目が、隊員相互の連絡はするな。」
石井は占領軍による追及を恐れ、部隊員たちに機密の保持を厳命したのである。
こうして731部隊員たちは、日本全国に散っていった。


●細菌戦を支えた民間「同仁会」
京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」   
 昭和20年8月13日、生き残った中国人、ソ連人などを虐殺、焼却し、あらゆる証拠を湮滅、監獄を破壊し、ハルピンを出発するまでに4日の日数を要して731部隊の主力は日本に向けて脱出を開始した。中国人機関士を憲兵が抜刀して脅迫しつつの逃避行であった。残務整理に当たった幹部たちは、後から2部所有の飛行機で逃走した。
 約千数百名の列車による逃亡者たちは8月16日安東通過、8月21日から23日にかけて釜山港出帆、そして仙崎、萩、新潟などに上陸した。
 平壌には飛行機がいち早く到着していた。そして飛行機組の多くは埼玉県の熊谷飛行場に向かった。なかの1機は平壌着陸の際に翼を接触して翼端1メートルほどもぎとられ、放棄せねばならなかった。羽田や厚木の飛行場に着陸しなかったのは米軍の進駐を恐れてのことであったことと、パイロットが熊谷で教育を受けた者が多かったからであろう。



「衛生学校記事 16巻1号」より「泥寧悪路 と の戦い」(近喰秀太)


南京栄1844部隊の近喰秀太大佐は一体泥道の中を何を運んだのであろうか?

ろ水自動車とあるが、細菌戦に関係するもは無かったのだろうか??

*近喰秀大   (当時)栄1644部隊1科勤務
(戦後)防衛大学校教官で衛生課長
第1科    病理研究   特別作業(病原菌の効果試験つまり人体実験)
7号棟の最上階にマルタな収容所があった
課長  近喰秀大中佐
人数  120-130名 軍属約15名(軍画兵として1科に勤務した石田甚太郎証言)

三、細菌戦による崇山村のペスト被害

1、義烏県城のペストは、隣の東陽市(当時東陽県)に伝播して四一年一〇月から翌四二年四月までに、少なくとも一一三名の死者を出した。さらに四一年中に始まった義烏の農村地区の流行は四二年に本格化し、佛堂、蘇渓、廿三里、平疇、青口、前洪、井頭山、官塘下、崇山などの鎮や村落に波及、四四年四月に最後の死者が出るまで、二年八カ月にわたって流行が続いた。義烏県城と県城周辺の農村の被害を含めると、義烏県全体のペストの死者は、九〇〇名を越える。なかでも最大の被害に見舞われたのが、江湾郷の崇山村であった(次頁の地図参照)。 崇山村の住宅は極度に密集している。同村のペストは、四二年一〇月から爆発的に流行した。崇山村のペスト患者は、村はずれの林山寺や、あるいは同じく村はずれにある碑塘殿などに収容されたが、国民政府の防疫隊は全く活動できなかった。流行が終息する翌四三年一月までに死者の総計は三九六名にのぼった。これは当時の崇山村の人口一二〇〇人の約三分の一に相当する(次々頁の地図参照)。

前記第一章の被害者番号69の王茂雲から137の王小弟は、このペスト流行で死亡したものである。

2、日本軍は、崇山村で流行した伝染病がペストであることを、その流行の当時、確定していた。

四二年五月に始まった浙〓作戦により、日本軍は義烏を占領し、九月二日には第一三軍二二師団八六連隊の本部を県城内に設置した。また浙〓作戦に随行し細菌戦を展開した一六四四部隊の隊員十数名も義烏に駐屯していた。

一一月初旬、右の八六連隊員と一六四四部隊員の調査班が、ペスト流行中の崇山村へ数次にわたり入村し「腺ペスト疑似症」と確認した。ついで近喰秀太大尉ほかの一六四四部隊の調査班が、埋葬されたばかりのペスト感染者の遺体を掘り出し、その肝臓から顕微鏡標本を作製してペスト菌を発見した。さらに、一一月一六日、義烏でペスト調査にあたっていた南京の一六四四部隊の調査班が、正式にペストであると断定した。

日本軍の崇山ペスト調査の目的は、二つあった。一つは自軍へのペスト波及を防ぐため、もう一つはペスト感染者を生きた実験材料とすることである。

前者の目的は、最終的に崇山村村民の家屋や財産を焼却することで達せられた。

日本軍は、一一月一六日、ペストの断定を行ったその日に崇山村の家屋焼却を決定、二日後の一八日、兵員を派遣して同村を包囲し、火を放って二〇〇余戸、四〇〇余室を焼却した。

後者の目的は崇山村のペスト感染者の生体解剖を行うことで達せられた。ペスト菌種を確認し、人体を通して強力となった強毒菌を取り出すため、崇山村の中心から二キロ離れ、隔離施設とされた林山寺で、一六四四部隊員たちにより生体解剖が行われたのである。


泥寧悪路 と の戦い
日華事変 ・大陸戦線に参加して
近 喰 秀 大
1938年 (昭和13年) 10月~1939年2月の間、第106師団は陽新 (湖北省) 周
辺地域に駐とんし、次期作戦に備えて暫し休養、 戦力の維持増強につとめていた。 そこへ第11軍方面司令官より南昌 (江西省) 攻略のための準備命令が下達され、 師団長は急拠隷下部隊に九江経由徳安への集結を下命した。 とき恰も連日惡天候であったが、 直轄部隊も支援任務に服すべく目的地に向つて勇躍前進を開始することになった。
それが泥寧悪路との戦いの第一歩になろうとは神ならぬ身のつゆ知る由もなかった。
各部隊はX 日、未明から激しい風雨の中を各梯隊区分に従い順次出発して行った。防疫給水隊の主力は人馬共々所要の衛生資材を携行し、師団先遣部隊と行動を共にしていた。
私 (当時軍医中尉) は、 残余の防疫給水部隊員66名と各種の車両 (乗用車、偵察用側車、ろ水自動車、給水・搬水車、病原検索車、修理補給車等計22両) を指揮して最後の梯隊に加わっていた。しかしながら先遣部隊より第1梯隊、第2梯隊……と我が最終梯隊である第12梯隊の出発までの時間間隔は一昼夜以上もあった。
連日の降雨に加え、各梯隊のおびただしい車両の運行によって、ただでさえ整備不良な道路は次第に泥道と化して行つた。
路面軟弱で狭隘な道路、しかも排水は悪く、その両側はうっ蒼たる樹木に覆われて昼なお暗い悪条件、道は日を追って泥濘化して、シンガリのわが梯隊は出発後僅か16粁の地点で早くも前進困難な状態に陥ってしまった。他部隊の車両を含めて合計72両、 蜿蜒長蛇の列をつくり恰も冠水した陸の孤島に.浮かぶが如き様相は、筆舌につくし難く、今も脳裡から離れることがない。
◇ ◇
出発第2日目、第2梯隊に属していたN作戦参謀は、 6輪車のわがろ水自動車のみが山麓の側面を辛うじながらも前進可能な力をもっていることを知り、 ぬかるみに足をとられ悪戦苦闘1時間、徒歩でわが梯隊に逆戻りし、作戦に間に合わせるためにと2両のうちの1両のろ水自動車の借用を要請してきた。私は同車と連転手、助手の軍属、それに下士官、兵の計5名を随行させることにした。
第3日目、前進の術を失い、その見通しもたたぬ挫折した車両に、これ以上時間の浪費ができぬと判断した他部隊の主力は、 一部の兵員を残したまま徒歩によって前進して行った。
出発に先立ち、 私はN参謀から先任将校の立場上、すぺての車両部隊を合わせ指揮するよう予め命ぜられていたので、 混乱を収拾すべく直ちに残余の各部隊の責任者を集合せしめ、一致団結、相互に協力して速やかにこの泥海悪路を離脱すべくその決意を披歴した。
第4日目以降の2日間は、 山麓斜面の高所から10数名の人力をもってロー プで牽引してみた。しかしその結果は1日に2~3米進んだにすぎなかった。
それでも「車が動いた」といって小踊り して喜び合ったものである。
次の3~4日間は、木を倒し、それを沈んだ車輪の下に枕木のように並べて何百回となく牽引を繰り返してみたが、枕木は斜めにめりこみ、車輪は徒らに空転するのみで不成功に終わった。
そこで方法を変えて筏をつくり、その上に車両をのせて牽引してみたが、水と泥の違い、1日数米進むだけで船のような具合にはいかなかった。
勿論、各々が携行しているツルハシ、シャぺル、ロープ、ジャッキ、チェン、鉄棒、鉄板等利用できるものはすべて使用したが足掻けば足掻くほど亀の子のように没するのみで、むなしく泥濘の中へ消えて行くのであった。
非情の雨が追い打ちをかけ、泥濘は益々深みを增して大腿部にも達し、 動くことすらままならず昼夜兼行、全身泥まみれになって全力をもって努力したが、最早人事の及ばぬ状態となり、これ以上車両と共に前進を続けることは 全く不可能になってしまった。
その頃、衛生大隊、野戦病院の先遣隊等が、われわれの情景を痛いよ う
にみつめながら山麓の道なき樹林を縫つて行進して行った。 その長い隊列がが途絶えたかと思うと、輜重隊が喘ぎ喘ぎながらも軍馬に曳かせた小行李搭載車を押して行く。皮肉なことに馬の方が馬力を発揮する。
小一時間もたった頃、 先に通過して行った輜重隊のK大尉が戻って来て、'“早く車両の引き上げに成功し、本隊に追従できるように”といって牽引用のロープ、 チェン数本をおいて再び前進して行った。異国の戦場に咲く戦友愛、 後姿を見送る私の目には感謝の涙が溢れ、知らず知らずの間に煩を伝っていた。
車両は兵器である。 その車両を放棄することは許されない。 そしていつまでもこの果てることを知らない泥濘悪路との戦いを続けていたら肝心の戦闘に参加できなくなってしまう。残された全将兵は渾身の力をふりしぼって徒労ともいえる脱出作戦に没頭した。
一方、事態の推移を判断した私は、徳安に集結中の所属部隊長に電文を起
案し、次のように打電した。
「連日の降雨により、 道路は最悪の泥濘と化し、 車両部隊の前進不可能。 今回の作戦に参加できぬことを残念に思う。 しかし一切を捨てず全将兵全力を投入して離脱に努力中。遥かに部隊長以下のご健闘, ご活躍と武運長久を祈る」と。

その翌日、 即ち出発10日目は珍しく晴天に恵まれた。早朝時、西方より偵察機が低空で飛来し、通信筒を投下して東方に去つた。通信文の内容は、「防給車両指揮官は、直ちに陽新旧師団司令部に行き、H参謀に事態の詳細を報告し、善後策をとるべし」であった。
早速S下士官を連れ山沿いの近道を通り約4時間がかりで陽新に到着し、H参謀にこれまでの経過と現状にっいて報告した。
その結果、陸路の行動を断念し、河川船舶輸送により九江に前進する、との決断が下された。あとで判つたことだが、偵察機の乗員はH参謀であった。そして、 空から俯瞰すると絶体絶命といおうか、山間の泥水に浮かぶ泥舟のようであった、と述懷されていた。
出発以来数えて18日目、作戦変更に伴う河川の接近経路の偵察を開始し、至近ルートを発見したが、地形は錯雑でとても道路と呼べるものではなぃ。しかし通らねばならぬ、通さねばならない。樹木を伐採し障碍物を取除き、道なきかたに道をつける工兵まがいの重作業。漸く拓いた道らしきところへ一車両づつ牽引し、
片や後押しをして引きずり上げた。
1日の運行速度は200~300米。現在の都心のラッシュの比ではない。遅々とした歩みを繰り返し約1週間後に河川沿岸に到着した。いや、辿りついたというのが適切な表現だろう。その瞬間兵隊は互いに肩を抱き、踊り上がって歓喜した。
思えば長い長い泥濘悪路との戦いであった。難行であった。苦行でもあった。
私はこれまでにも幾多の困難にも遭遇してきたが、これほど強烈な印象はない。今なら事前の綿密な計画、偵察そして図戦などを経て事が運ばれるであろう。また道もよく、車の性能その他科学も長足に進歩しているので、現代に照らすことは無理があるかも知れない。
しかし、この40年前の出来事の中から各人なりに「何か」をとらえて戴ければ望外の喜びである。
(防衛大学校衛生課技官)



「 準強姦事件 逮捕状執行停止問題 」を検証する会

【ミヤネ屋】伊藤詩織 山口敬之 氏を 性的暴行 で 顔出し異例の告発



【録画】ジャーナリストの伊藤詩織さんが会見(2017年10月24日)



伊藤詩織さんの準強姦罪事件問題を検証するため、野党で「超党派の会」発足!「刑事部長による逮捕状執行停止」の真相を徹底追及! 警察庁・法務省



超党派で「準強姦事件逮捕状執行停止問題」を検証する会第1回【動画】


【動画】超党派で「 準強姦事件 逮捕状執行停止問題 」を検証する会第2回


超党派で「 準強姦事件 逮捕状執行停止問題 」を検証する会第3回 「ジャーナリスト伊藤詩織さんとの意見交換会」2017/12/06

細菌戦の系譜!!

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●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●不二越強制連行問題!!
●「福島の今」
●結核予防接種と人体実験
●731部隊(2)
●731部隊(3)



●日中全面戦争・南京大虐殺80ヵ年!!


「航空が実績をあげてみせる」
(『日中全面戦争と海軍 パナイ号事件の真相』笠原十九司著より)
この構想は山本五十六が航空本部技術部長時代(1930~33年)に打ち出し、その為に陸上基地から敵艦隊を攻撃するための攻撃機の開発を急がせた。その結果1936年には航続距離4380㎞に及ぶ新鋭爆撃機・96式陸上攻撃機(中型攻撃機、中攻と略称)が完成した。そして、日本が南洋諸島に航空基地を建設すれば、対米開場作戦に大きな威力を発揮すると思われた。これらの航空兵力を投入した作戦を実戦演習を兼ねて中国大陸で実施し、海軍航空兵力拡充の弾みとしたいという思惑が、先の海軍渡洋爆撃にあったと言えよう。


南京大虐殺(被害者の証言)
1937年の冬に、日本軍が南京を占領した後、私は漢口路の難民区に住まいました。ある日の夜、日本軍の何人かが難民区に闖入(ちんにゅう)して来て、眠り込んでいた私を引きずり出し、自動車である所へと連れて行き、私を強姦しました。翌日の明け方に、帰されました。私と一緒に同じ目に遭ったのが10何人もいました。(楊其庠と朱桂蘭と劉鎮西が記録)


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

南京大虐殺80ヵ年

12月の催し!!

ハトは泣いている

改憲を発議させない運動を!!


日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

33、村瀬守保の写真集
村瀬守保は、1937年7月に応召して上海派遣軍兵站自動車第17中隊に従軍し、中国を約2年間転戦した。その間、2台のカメラを持つ彼は中隊の非公式写真班員として、様々な光景を撮影し、写真の数は3000枚ほどになったという。

村瀬守保の写真で、南京事件に関するものは6枚ある。撮影場所は揚子江岸と、城壁外の壕あるいは支流の土手である。写真28~31は、そのうちの4枚である。村瀬は写真を撮影した時の様子を次のように述べている。

写真28は、その現場の写真と判断してよいであろう。南京・第2碇泊場司令部に勤務した梶谷健郎は日記に次のように記している。
12月16日・・・午前2時頃機関銃の音盛んに聞ゆ。敗残兵約2000名は射殺されたり。揚子江に面する下関に於いて行はる。・・・・死体は無数にありて名状すべからざるものあり。
12月17日・・・午前1時頃より約1時間に亘りて敗残兵2000名の射殺あり、親しく之を見る。誠にこの世の地獄にして月は煌煌と照り物凄き限りなり。


・南京大虐殺


●お知らせ
次回の裁判で外務省には身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷
《ビザ発給拒否》裁判!!

重慶大爆撃




「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」




10月15日の「三多摩平和交流会」
第4回三多摩平和交流会(展示の部、舞台の部(一部)


八王子平和・原爆資料館
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え



11.15 不二越集会
強制連行問題:不二越東京本社行動 2017年11月15日


三里塚闘争と731


●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理

公文書の在り方


次回の裁判で外務省には身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷

自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??

『衛生学校記事』情報公開裁判

防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料も、きちんと全部を点検せずに記録も残していないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。


森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??

民間人は裁判に自腹を切って参加するが、被告国側は、全て税金で処理されるのか??

国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!



・次回情報公開裁判(「衛生学校記事」)第16回 12月21日(木)15:00~東京地裁419号法廷

・次回情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年1月17日(水)11:00~東京地裁522号法廷

海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

自衛隊と日航機墜落事故の関係は??

加計問題!!証拠を隠すな!!

サリン事件と自衛隊の関係は??




●憲法9条を世界へ普及させよう!!
憲法9条を生かそう!!
過去の悲惨な戦争へと突っ込んだ事を忘れ、再び軍事強国を目指すのか??
文大統領「韓米日連携が同盟になること望ましくない」 日本に警戒感も
9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛たの為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??

米空母3隻が日本海で演習開始、海自と共同訓練へ

陸自隊員、訓練中に自殺か 大分・日出生台の演習場
自衛隊「訓練」中の死亡事故が多発――10年で69人、「人命軽視」か
事故原因、何を搭載されていたかも説明されずになぜ飛行再開なのだ??
米軍ヘリ飛行再開 防衛省が「追認」

軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●「天皇制」を考える

日本は、この本をきちんと検証すべきだ!!
「昭和天皇独白録」原本3000万円=高須クリニック院長が落札―NY

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

日本への空襲

大嘗祭反対!!
大嘗祭は31年11月


●ニュース
天皇制を止めたらどうか?昭和天皇の戦争に果たした役割は重大だ!!
日本は、この本をきちんと検証すべきだ!!
「昭和天皇独白録」原本3000万円=高須クリニック院長が落札―NY

加計学園問題と新たな軍学共同 (池内 了 名古屋大学名誉教授)

エルサレム首都認定 内向きトランプ流火種 大統領選公約守り反発招く

<エルサレム首都認定>安保理が緊急会合へ「和平危険に」

米海軍また夜間航行訓練 地元の反発無視 長崎県西海市

市民団体「視聴者気にせぬNHK、増長も」受信契約判決

タイム誌「今年の人」にセクハラ告発の女優たち

真矢ミキ「まずは女性への謝罪」岩泉町長会見に疑問

自衛隊は、日航123便の尾翼も引き揚げるべきだ!!
墜落ヘリの一部を基地へ搬送 船から御前崎港へ陸揚げ

集団準強姦容疑の慶大生6人、不起訴処分

【慰安婦問題】少女像で大阪市とサンフランシスコの姉妹都市解消へ


大竹まこと:森友国有地売却資料を捨てた佐川国税庁長官と確定申告


湯川博士の終戦期の日記初確認 「広島原爆の解説断る」

金子勝:企業モラルの底割れと森友加計問題を風化させたい勢力


必要なのか??
イージス艦倍増「前倒し」 参院代表質問で首相

インフル薬“異常行動”めぐり厚労省が「施錠」など通知へ

日本にとって必要なのか???
19年5月に新天皇即位へ…元号、来年中に公表

森永卓郎:石油価格急騰の理不尽な理由とサウジ発の中東不安


金子勝:ようやく安倍首相が行った所信表明演説と国会の形骸化


日本も戦時中の記録をどんどん公開すべきだ!!日本が隠しているからおかしくなる!!情報公開!!
【世界の記憶】「南京」文書の開示促す ユネスコ演説で林芳正文科相、改革は歓迎


文在寅政権 慰安婦記念日まで制定、合意白紙宣言の可能性も

【森友学園問題】会計検査院が「6億円値引きは過大」と指摘


慰安婦報道訴訟、朝日新聞社の勝訴が確定 最高裁

再処理工場の審査中断 トラブル続出、保安規定違反認定

群馬大教授、論文データ改竄 著書では大学批判 「信用を失墜」解雇


アメリカ・日本もきちんと廃棄せよ!!
化学兵器の廃棄完了=義務不履行と対米批判―ロシア

何故だ??
<シリア調査団>化学兵器の特定不可能に 露が拒否権

ロシアが化学兵器を全廃「歴史的な出来事」

核兵器禁止条約に参加しない日本に被爆者の怒り「どこの国の総理ですか?」〈AERA〉



戦争になれば、勝敗は無く、地球が破壊され、人類は滅びる!!日本の果たす役割は??
核保有国の一覧

(全録)北朝鮮訪問 アントニオ猪木議員が会見


もっとさかのぼると
朝鮮国女の墓
韓国国女のお墓


朝鮮人BC級戦犯裁判1


●加計問題!!

加計学園問題と新たな軍学共同 (池内 了 名古屋大学名誉教授)

●靖国問題!!
・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!)
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴




●侵略戦争!!
昭和史略年表

・1939年(昭和14)
8月23日  独ソ不可侵条約締結
8月     阿部信行内閣成立
9月1日   ドイツ軍、ポーランドに侵攻、第2次世界大戦勃発
9月15日  日ソ政府、ノモンハン戦争停戦協定締結
9月18日  価格停止令公布
11月中旬  日本軍、南寧政略作戦強行(12月上旬まで)



重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!


昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。




強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

次回の裁判で外務省に身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷



当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?



●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター

感想
・資料・展示物などたくさん集めてくださってご苦労様でした。今こそみんなで戦争させない取り組みを強めなければならないと思います。70代性別不明


●731の実態
それで、毎日マルタのお迎えですよね。汽車で来るのはほとんど新京から来ましたね。マルタが。それが、来るというと、汽車がダーッとハルビン駅に入ってきて、一番こっち側の外れに憲兵室があるんですよね。駅の一番後ろの方に。それで一番後ろに乗ってくるわけですよね。みんな数珠つなぎにされてね。腰ひもつけて。その時分には、足錠はないの。手錠と腰ひも。それで私服の憲兵がついて、それで今のマルタと称する者が、普通民間の格好しているから、わからないわけ。・・・それで多い時には20人くらいもいるしね、大体一番多いのはやっぱり12、3人程度ですね。・・・・

731(3)


第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
朝鮮被害者李基洙の特移扱資料1



●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。20



謝恩と巡礼訪中報告会

謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)



731部隊の展示会(中国)

特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか

■731部隊と大学

―今述べられた罪悪とのかかわりで、 とりわけ大学医学部は、どのように戦争に加担していたのでしょうか。大学研究の戦争への加担という点で、特徴的なことはあるのでしょうか。
まず、731・「石井機関」に特にかかわる戦争加担についてお話しください。

京都帝国大学医学部同窓会誌には、「本学が生んだ巨人、学を以て国を護る熱血の人、石井四郎陸軍々医少将閣下(大9=大正9年卒<西山注、1920年>)は、4月19日午前5時59分入洛、故渡邊助教授の遺族に部隊長としての誠心あふれる弔慰を棒げた後、翌20日懐かしの母校に卒業後21年ぶりに来学、堂々たる体躯に親愛の情をこめて、日曜にもかかはらず、内科講堂を立錐の余地なきまでに埋めた学生・生従・職員は勿論、小川学部長、松本教授以下の各教授を前に、諄々として熱烈に、日本の進むべき道、医学の行くべき道、京大学風の趨(おもむ)くべき道を説くのであった」という記述があります。

以上(月刊『前衛』より)


●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──福澤が明治15年に立ち上げた時事新報は、当時の新聞が政党機関紙化していたなかで独立を掲げ、一躍日本を代表する新聞になりました。

ところが福澤はその新聞発行の趣旨で、自分が一番やりたいことは国権皇張だと言っています。これは日本の権力を他の国に及ぼすという意味。つまりアジア侵略です。侵略される側からしたらたまったものではありません。日本最大の新聞を発行し、慶応の塾長も務めた人間がこんなことを堂々と述べていたのです。もともと福澤の大本願は日本を「兵力が強く」「経済の盛んな国にする」こと。そのために天皇を国民の求心力の象徴として利用しました。

(構成 桐島 瞬)

※週刊朝日  2017年1月27日号


●戦争に反対した人々 
小林 多喜二

最期
新聞報道によると、2月20日正午頃別の共産党員1名と赤坂福吉町の芸妓屋街で街頭連絡中だった多喜二は築地署小林特高課員に追跡され約20分にわたって逃げ回り、溜池の電車通りで格闘の上取押さえられそのまま築地署に連行された[6]。最初は小林多喜二であることを頑強に否認していたが、同署水谷特高主任が取調べた結果自白した。築地署長は、「短時間の調べでは自供しないと判断して外部からの材料を集めてから取調べようと一旦5時半留置場に入れたが間もなく苦悶を始め7時半にはほとんど重体になったので前田病院に入院させる処置を取り、築地署としては何の手落ちもなかった」との説明を行っている。なお、小林死亡時の警視庁特高部長は安倍源基で、その部下であった中川、特高課長の毛利基(戦後、埼玉県警幹部)、警部山県為三(戦後、スエヒロを経営)の3人が直接手を下している。

小林多喜二のお墓


小林多喜二ほか(市立小樽文学館)



●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第3章  現実世界に向きあう



この決心に続けて、皇太子は次のように断言する。「世界に永久の平和を確立する重大なる義務を終へざるべからず、此任務を果すには如何にすべきか」。その答えは、日本は大植民帝国として「万国の公是」に基づいて各国と共同し、国内では奢修と浪費を戒めることであった。そして「軍備」と産業基盤の整備とを「外交上の利益」と「列国との同一歩調」に結びつけ、将来の行動の前提を示唆している。すなわち、「軍備を充実せざれば・・・外交上利益ある言をなして通過さす事は困難なり。又産業、交通を盛にし、又労働者の能率を高めざれば富国となすこと能はず。もしこの事をなさざれば列国と同一の歩調を取ること能はず」と。

※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)




寧波(ニンポー)細菌戦



麗水細菌戦



日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



70年間の沈黙を破って

ドイツ精神医学精神療法神経学会の2010年総会における謝罪声明
ナチ時代の精神医学―回想と責任
ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年11月26日
ベルリンにおける追悼式典の談話

DGPPN会長  フランク・シュナイダー
訳:岩井一正

「精神的死」、「お荷物的存在」、「生きるに値しない人生」―これらすべての言葉は、口にすることだけでもつらい言葉です。これらは深く衝撃を与え、動揺させる言葉です。そして精神科医が言論統制、強制断種、殺人に積極的に関与していたことを知ると、われわれは恥と怒りと大きな哀しみで一杯になります。
恥と哀しみは、私が今その会長としてここに立っているこの組織が、犯罪行為から70年もたってはじめて、自らの過去と国家社会主義の時代の先代組織の歴史を系統的に把握分析し始め、そして―歴史的な細部の解明はまだ別に残されたまま―強制移住、強制断種、強制研究、そして殺人の犠牲者に許しを請うことです。



※なぜ、日本人は731部隊の犯罪、日本精神医学会の犯罪を問わない???
不妊手術強制で国を提訴へ 宮城の女性「旧優生保護法は違憲」















加計学園問題と新たな軍学共同 (池内 了 名古屋大学名誉教授)


池内 了 名古屋大学・総合研究大学院大学 名誉教授

加計学園問題と新たな軍学共同
マスコミも書いていない仮説なので信用されないかもしれないが、以下を読んで判断されたい。
2017年10月20日 14時39分 JST | 更新 2017年10月22日 08時36分 JST
池内 了 名古屋大学・総合研究大学院大学 名誉教授

時事通信社
学校法人加計学園が、政府の国家戦略特区を活用して計画した岡山理科大学獣医学部の建設現場(今治市いこいの丘)。同学園の加計孝太郎理事長と安倍晋三首相の友人関係が学部新設の許認可に影響を与えたとの疑惑が問題となっている=13日、愛媛県今治市 
加計学園問題は、安倍首相が長年の友人に対する不公正な利益供与を行なった政治的スキャンダルであることは論を俟たない。実は、この加計学園問題で注目された獣医学部の新設条件、いわゆる「石破4条件」から、軍学共同と関連した「生物化学兵器の研究」の拠点作りという新たな側面が浮上しており、今後はむしろこちらの方が大問題に発展する可能性がある。ここにその根拠を書いておきたい。マスコミも書いていない仮説なので信用されないかもしれないが、以下を読んで判断されたい。

岩盤規制

愛媛県今治市が2007年から「構造改革特別区域」という小泉政権以来続いている施策に獣医学部新設の申請をし、15回も却下され続けてきたことはよく知られている。申請却下の背景には、獣医師会が強く反対して強力なロビー活動を続けてきたことと言われる。事実、1966年に獣医学部が北里大学に新設されたのが最後で、1975年に全国の獣医学部の定員合計が930名になってから40年以上に渡って定員増もしていない。文部省・農林省(文科省・農水省)が足並み揃えて、獣医師の数は十分足りており、ペットや産業用牛馬の数も減っているから、増員の必要なしとして規制してきたのである。

2013年6月に安倍首相が「規制改革こそ成長戦略の1丁目1番地。成長のために必要ならば、どのような岩盤にも立ち向かっていく覚悟である」と言ったことから、「岩盤規制」の呼称が使われるようになった。そして、同年の12月に「岩盤規制をドリルで破る」との掛け声の下、「国家戦略特別区域」なるものを新たに設定し、いくつかの地域をこの特区に指定して規制緩和を行なうということにしたのである。ただこの時点では今治市はまだ特区に指定されていなかった。

石破4条件

2015年6月30日に「『日本再興戦略』改訂2015」が閣議決定されたのだが、そこに石破茂地方創生大臣の肝いりで「獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討」と題する項目が書き込まれた。これが「石破4条件」と言われるようになったもので、獣医学部新設要求への回答という意味であったようだ。4条件とは、

・現在の提案主体による既存の獣医師養成ではない構想が具体化し、

・ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり(新たなニーズのこと)、

・かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、

・近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、

全国的見地から本年度内に検討を行なう、

である(このように箇条書きにしたわけではない)。これは、おそらく石破国家戦略大臣(地方創生大臣)が獣医師会・日本獣医師政治連盟からの要請を受けて、獣医学部を新たに作らないために書き込んだ条件と思われる(石破大臣が「練りに練って誰がどのような形でも現実的には参入困難な文書にした」と言ったとされているが、その後本人はそんなことは言ったことはないと否定している)。

加計学園の決定

その後風向きが変化していった。2015年12月に広島県と今治市の合同地域が国家戦略特区に3次指定され、2016年9月に国家戦略特区諮問会議(議長は安倍首相)において今治市の獣医学部新設要求が持ち出され、併せて文科省・農水省のヒアリングが行われている。この時期の前後において、文科省内で「総理のご意向」なるメモがいくつも回っていた(ことが後で判明した)。そして、2016年11月の諮問会議で「広域的に獣医師養成大学の存在しない地域に限り、新設を可能とするための関係制度の改正を直ちに行なう」と決議した。その決議を受けて、文科省が特例を定めて2018年度に1校のみ獣医学部の新設を認めることになり、2017年1月20日の諮問会議で加計学園に獣医学部新設を決定した、という経緯である。

この経緯を見れば、安倍首相は1月20日の会議で初めて知ったと弁明するが、それ以前から親友の加計孝太郎氏からの働きかけがあり、安倍首相はその要請を受けて文科省や顧問会議のメンバーに圧力をかけてきたと推測するのが普通であろう。私は今治市を特区に指定することを決めた2015年12月頃から安倍首相の介入が始まったのではないかと推測している。

石破4条件の変遷

問題は、石破氏がわざわざ掲げた4条件が今年になって変遷していることである。

【Ⅰ】2017年5月26日付きの彼のブログでは、上に書いた4条件をそのまま記載しているが、ここで彼は「4条件プラス全国的な見地に適合する公正・公平な決定であったかどうか、それが問われるべきであり、政府はこれを明確に立証すればいいのです」と書いている。これだけでは、客観性を装って厳しく言っているのか、これをクリアすればOKと言っているのか判別がつかない。

【Ⅱ】しかし、1週間の後の6月2日のブログに「国家戦略特区追記など」を掲げ、4条件の内容について具体的な追記を以下のように書いている。

感染症対策や生物化学兵器に対する対応など「新たなニーズ」が明らかであること、
それが現在存在する国公立・私立の獣医学部や獣医学科では対応が困難であること、
特区として開設を希望し、提案する主体が「このようにして従来の獣医学科とは異なる教育を行なう」というカリキュラム内容や、それを行なうのに相応しい教授陣などの陣容を具体的に示すこと、
現在不足が深刻化している牛や馬、豚などの「産業用動物」の治療に従事する獣医の供給の改善に資すること、
と、元の4条件とは以て非なる4条件に書き換え、ここに生物化学兵器への対応を「新たなニーズ」として具体的に言及しているのである。軍事的利用を獣医学部新設の理由とすればいいではないか、とサジェッションしたものと考えるべきだろう。

【Ⅲ】そして2017年6月27日のHPイシバチャンネル(76弾)では、もっと踏み込んでおり(インタビュー番組なので)肉声で、「獣医学部認可の第1条件は、感染症対策や生物化学兵器対策など新しいニーズにこたえるもの。さらに、アメリカとかイギリスでは獣医の軍人がいる。軍馬だけでなく、牛や豚などへの生物化学兵器に対処するには獣医の軍人が要る」と、生物化学兵器対応のみならず軍人の獣医師養成という「新しいニーズ」を示唆しているのである。そのため「新しいニーズに対応するだけの教授陣、施設などが備わっていること、新しく獣医学部を創設しても獣医師全体のバランスに悪い影響を与えないこと」と付け加えている。

石破4条件の変遷をどう考えるか?

ある新聞は、石破氏が(獣医師会の意向を受けて)さらに難題を付け加えて(1校の認可は仕方がないが)獣医学部の新設がこれ以上続くのを阻止しようとした発言、だとしている。安倍首相を全面支持する立場から、さらなる規制緩和を推進すべきと言いたいがために、石破氏の4条件の変遷を批判していると受け取ることができる。

しかし私は、石破氏は国会で追及されて逃げ廻っている安倍首相に助け舟を出し、知恵を付けようとしているのではないかと思っている。石破氏は加計学園獣医学部の問題だけに閉じず、この機会に生物化学兵器研究の場を作るステップにすることを構想しているのではないかと考えるからだ。彼の核兵器に対する意見とも通底する。安倍首相もそれに悪乗りして「いくつも作ればいい」などと口走ったのではないか、と勘ぐっている。

加計学園問題の今後

23日にも、文科省の大学設置審議会は加計学園の獣医学部認可の結論を出すのでは、という報道がなされている。加計学園が公表している「獣医学部新設の目的」には、「人獣共通感染症を始め、家畜・食料等を通じた感染症の発生が国際的に拡大する中、創薬プロセスにおける多様な実験動物を用いた先端ライフサイエンス研究」が掲げられている。むろん生物化学兵器への対応などとは書けないだろうが、「人獣共通感染症」と「動物実験」という言葉は意味深長である。将来、生物化学兵器などの軍事研究に拡大し、あるいは軍人の獣医師養成に重点を移していく余地を残しているからだ。さて加計学園がどういう経営を行なっていくか、注視し続けねばならない。

当面は防衛省が関与しない形で(いずれ防衛装備庁も目を付け、「安全保障技術研究推進制度」の公募テーマとして掲げる可能性がある)、新しく軍学共同の先取りが始まろうとしているのではないだろうか。

【2017年10月22日08:34 一部を追記修正】

細菌戦の系譜!!


731部隊について


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし


【写真中央:竹田宮(昭和天皇の従弟)も関東軍参謀として管轄】
竹田宮恒徳王
※大元帥昭和天皇の承認のもと、731部隊は秘密部隊として、ペスト菌、炭疽菌、コレラ菌などの感染実験を通して、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌兵器を実戦に使用した。今もなおその細菌戦の後遺症と思われる人々が、苦しんでいる。
また、ルイサイトなどの毒ガスの人体実験なども516部隊(毒ガス部隊と連携して、731部隊ではしていた。戦時中、日本軍は毒ガス戦を中国で広範囲に使用した。
そして、日本軍が中国に遺棄してきた毒ガスの処理に、今も日本政府は追われている。最近でも毒ガスに触れて、死傷者が出る事故が中国各地で起きている。今、その被害者への支援がクローズアップされている!!

ナレーション
関東軍防疫給水部731部隊。戦時中、細菌兵器の開発を行った日本軍の秘密部隊です。これまで、厚いベールの被われていたこの組織、その全貌を知る手掛かりがロシア・モスクワで見つかりました。
【ロシア国立音声記録アーカイブの映像】

担当者の声と映像
これは1949年のハバロフスク裁判のオリジナルの磁気テープです。


※ロシアにある日本軍の戦争資料を、日本政府が全部買い取り、解析すれば、侵略戦争の全貌が明らかになるだろう!!
ドイツはロシアのアーカイブ資料を買い取り、ナチスのしたことを追及しているという。
日本政府はなぜそれをしないのだろうか??全く日本の侵略戦争を公にする気が無い!!
過去への反省が足りないと思う!!
今回NHKがお金を出しだからできた?
もっと一般市民にも情報を手に入れる方法はないのだろうか??


吉村寿人

※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。その後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
しかし、国家機密の壁があったのか、誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の医学界に、この影響がないのだろうか???

戸田正三
東大・京大総長も石井四郎に、協力した!!
長與又郎

石井四郎の嫁は、京大総長(第7代1915年~1929年)荒木寅三郎の娘、
荒木は、学習院長や枢密顧問官を歴任する。





※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。


※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


細菌戦部隊が行なった細菌戦

細菌戦に関しては別のテ-マで詳しく書きますのでここでは簡単にします。

撫順戦犯管理所での第731部隊林口支部長榊原秀夫の自筆供述書に
細菌戦に関することがかなり詳しく述べられています。  (原文カナ)
榊原供述書
*各種細菌の撒布方法(攻撃方法)
1 謀略的使用法密偵等による小規模の方法、
   或いは戦闘退却時を利用する撒布汚毒化の方法
   即ちこの方法は規模は小であるが重要なる地点、希望する地点、
   部隊等に使用し得る利点がある。・・・・
   目標となるべきものとしては水源地、井戸、湖沼、食料品倉庫、交通機関、映画館、芝居小屋、・・・・
2 細菌弾 これは主として迫撃砲弾によるもので本法に使用し得る菌としては、
   耐熱菌即ち炭疽、鼻疽、破傷風菌、ガス壊疽菌、・・・
   弾丸により受傷せる際傷口より入る方法
3 飛行機による方法
a.菌液雨下 即ち大量培養せる菌液を空中より雨下噴霧化する方法
b.空中散布(乾燥せるもの即ち微粒子、粉末)
c.昆虫投下 昆虫により媒介せらる伝染病はペスト(蚤)、流行性出血熱(トゲダニ)、
   発疹チフス(虱)、再帰熱(虱、蚤、臭虫)、マラリア(蚊)で・・・・
   投下法としては素焼製の筒(陶器)、落下傘、・・・
d.病獣投下



・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。



日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第五章

警察の活動も活発化していた。午前中には検事立ち会いのもとに三好野で現場検証が行われ,店主も実況検分に同行した。また,三好野に餅取粉(打粉)を卸していた桝井弥重商店と,白餡を納入した石川製餡所の経営者や従業員も,同様に拘束され,取調べを受けた。浜松署では安達署長が事件捜査の総指揮を執り,全署員が動員される大事件となっていた。司法主任の高井警部補を班長とする原因捜査班と,衛生主任の山崎警部補を班長とする患者調査班,それに大石次席警部を班長とする統計記録班が設置され,事件の解明と収束に全力をあげた。
三好野の店主は警察の取調に対して「学校の方から御問い合わせがありましたが手前共では思い当たる節が更にございません。器具も全部新しく,古い餡は使って居りませんし,残りの餡を調べて見ても全く異常ございません。十日は大変暑かったため,生徒さん達は皆大分水を飲み,陽にカンカン照らされたようですから,日射病になったのではないでしょうか。」と大福餅中毒説を真っ向から否定した。


※この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?1936年にはハルピンニ正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。

小島三郎の記述


メリットと業績
小島三郎について、石井部隊の部隊長も務めた北野政次は、その回顧録 「防疫秘話」(『日本医事新報』に連載)に次のように書いている。1936年5月15日、食中毒が発生した浜松に「東京より小島博士、石井博士も来られ・・・その後軍医学校の防疫研究室(主幹石井教官)の諸君が 研究に従事した。・・・各方面で研究され、小島博士の報告を始め、多数発表せられ」た。
 小島は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。嘱託であったために石井とともに浜松に赴いたものであろう。この浜松行きは小島のその後の研究者人生で大きな転機であった。戦後、1947年に伝研が厚生省の予防衛生研究所(予研)と伝研とに改組された時、副所長として予研に移るまで、伝研で研究を続けた。小島は1954年には予研の所長に就任した。

※小島三郎もいろいろ隊員にアドバイスをしていたのだろう。
増田とは、731部隊の南京支部、「栄1644部隊の副部隊長」増田知貞のこと
飯田とは、東京大学伝染病研究所の助教授、コレラ菌のエキスパート。
飯田のお姉さんと増田が結婚していた。


※この小島の南京出張(栄1644部隊)はどんなものだったのか?1644部隊に行って、人体実験のアドバイスを行っていたのではないか??



※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が柳沢謙によって行われていた!!
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※まことに素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。




・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶

※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。



カドミウム説の確信

 小林教授は3ゕ月間、アメリカで分析技術を学んで帰国すると、真っ先に萩野病院に保管されているイタイイタイ病患者の臓器の分析にとりかかった。そして亡くなった患者の各臓器に含まれる重金属の分析を行い、各臓器から高濃度のカドミウムを検出した。骨ばかりでなく、あらゆる臓器を調べてみた。普通の人なら5 p.p.m.程度のカドミウム濃度が、患者の臓器からはその1000倍ものカドミウムが検出された。さらに小林はイタイイタイ病発症地区の白米と、他の地区の白米のカドミウム濃度を調べ、イタイイタイ病発症地区の白米から数10倍のカドミウム濃度を検出した。また稲の根からも数百倍、土壌からも数十倍のカドミウムを検出した。さらに神通川のフナ、アユからも大量のカドミウムを検出した。婦中町はカドミウムに高度に汚染されていたのである。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!この人は細菌戦にどのように関わったのだろう??
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)


・細菌戦被害地(中国)の旅


●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!!

石井四郎の戦後



ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影

堀田伸永


※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!




プロローグ

赤茶けた小冊子

京都帝大調査班にまぎれて

731部隊の協力者でもあった木村廉医学部長らが救援隊として9月22日、京都を出発、翌日広島に着いた。木村も、他の教官らとともに「原子爆弾傷恵者血清の細菌学的研究」を共同でまとめ、学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に対し、報告している。都築正男が1946年12月、木村廉に送った通知によれば、京都帝大医学部ととにも、石川が所属する金沢医大にも政府の学術研究会議事務局から研究費が配分され、支払われていたことがわかる。原爆投下後1年以上が経過しても研究が継続されていたことが窺える。長く継続して原爆調査を行った理由は何だったのだろうか。 2010年8月6日に放送されNHKスぺシャル「封印された原爆報告書」での三木輝雄元陸軍軍医少佐の証言によっても原爆調査を731部隊などの戦争犯罪から逃れるための力ードとして使ったことが指摘されている。

※宮川は731で放射能を扱っていたから、米軍に不問に付されたのか??

ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2)




宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。




御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====
中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1232/4.html
この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。何をしていたかは容易に想像がつく。
戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。
放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。
彼の弟子が、元放医研所長の佐々木康人教授(現・日本アイソトープ協会・常務理事)であり、ICRP委員も勤めている。その教え子が、われらが中川先生である。
驚くべきことに、彼の恩師をたった2代さかのぼれば731部隊にたどり着くのである。
また中川と同じく、安全だ安全だと繰り返す明石真言は、この研究所の理事である。
ここも法令違反など度重なる不祥事が起きている。そのうち名称が変わるであろう。
いつも内部被曝は無視するから、放射線外部被曝研究所とでも名付けたらよかろう。
以上、簡単にまとめてみたが、みなさんの感想はいかがだろうか。


子宮頸がんワクチン接種後の症状


政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。




被曝をめぐる御用学者の系譜



●原爆を投下された責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)

「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)

日本への空襲

八王子平和・原爆資料館


昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??

1975年昭和天皇記者会見




●原水爆禁止!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染





ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!


為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!!
1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!!
1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!!
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!!
※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!!

原子力に悩む大国 アメリカ




●日本の科学者の核兵器への執念の系譜

日本の物理学者は、日本の原爆開発を反省していない!!明かに原爆・水爆を作りたがっている!!
戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後は、アメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!



仁科芳雄は軍国主義者で、物理学者の間では天皇だった!!

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ


◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直


そこで考えられることは、寧ろ科学の画期的進歩により、更に威力の大きな原子爆弾またはこれに匹敵する武器をつくり、若し戦争が起つた場合には、広島、 長崎とは桁違いの大きな被害を生ずることを世界に周知させるのである。勿論それはわが国で実現させ得ないのはいうまでもないことである。
今日原子爆弾をつくることが国際間で競争となった観があるのは原子爆弾の被害を十分認識していない人が多いためである。
 若し世界各国が多くの人を広島及び長崎に送り、惨害の現状を目のあたり見聞させておつたならば恐らく、 平和を望む声は現在よりも遥かに強まつたに相違ない。
 若し現在よりも比較にならぬ強力な原子爆弾ができたことを世界の民衆が熟知し、且つその威力を示す実験を見たならば、戦争廃棄の声は一斉に昂まるであろう。 [★10]


※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!

何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!



湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●核・生物化学兵器廃絶!!

「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え
被爆者、ノーベル平和賞授賞式で演説へ ICANが発表


●世界の流れ、脱原発!!
劣化する政治. 森友・加計疑惑 2017.12.1 ウィークエンドニュース - デモクラシータイムス LIVE



●脱原発4


アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。

東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?

日本は韓国を見習おう!!
「脱原発」掲げる韓国・文政権、2基の建設工事を中断
自然エネルギーを活用しよう!!



・リニア新幹線反対!!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

リニア品川駅、深夜の工事を初公開 2027年開業

慎重論派の指摘内容
慎重論を唱える人々が共通して持っている疑問や不安は次のような事項です。
大量の電力消費 エコに逆行!!

リニア新幹線がエコロジーの申し子のような低電力設計だったらよかったのですが、残念ながら消費電力は従来の新幹線の2倍です。もしも従来の新幹線の運転本数を減らすことなくリニア新幹線を運行させようものなら、鉄道にかかる消費電力の総量はとてつもないものになります。もちろん従来の新幹線を減らすことは検討内容に含まれているようですが、もしリニアの運賃が高額で利用率が伸び悩み、新幹線中心の運行に戻るようなことがあれば、即電力不足に陥ります。




●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!

戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す
きちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!


天皇制を考えよう!!
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり

両陛下「お召し列車」で茨城県を訪問???

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

日本への空襲

天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!!
大嘗祭は31年11月

象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!


池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1


・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!!
戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!!
戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!!


●医療問題
731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
コーヒー牛乳、記憶がプツン デートレイプドラッグ被害

インフル薬“異常行動”めぐり厚労省が「施錠」など通知へ

聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生



『座間市9遺体遺棄事件』白石隆浩容疑者(27)の全て

●自衛隊

海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

花見中、二十数回にわたり殴打 「酒断られ、腹立った」 陸曹長停職 仙台駐屯地

サリン事件と自衛隊の関係は??


1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正美



5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
大宮駐屯地5月28日


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?

相模海軍工廠(日本海軍の毒ガス工場)



・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?

700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


自衛隊と日航機墜落事故の関係は??


●憲法9条を守れ!!
大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条


“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!















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