2017年12月4日月曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊について


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし

チフス菌の爆弾を開発していた田部井和(たべい・かなう)。

京都大学の教授となり、細菌学の権威となりました。
凍傷研究の吉村寿人も教授に就任。自分は非人道的な実験は行っていないと生涯否定し続けました。


吉村寿人の回想 『喜寿日記』 
私は軍隊内において、凍傷や凍死から兵隊をいかにして守るかについて、部隊長の命令に従って研究したのであって、決して良心を失った悪魔になったわけではない。

吉村寿人

※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。その後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
しかし、国家機密の壁があったのか、誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の医学界に、この影響がないのだろうか???

戸田正三
東大・京大総長も石井四郎に、協力した!!
長與又郎

石井四郎の嫁は、京大総長(第7代1915年~1929年)荒木寅三郎の娘、
荒木は、学習院長や枢密顧問官を歴任する。





※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。


※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


岡9420部隊(威9420部隊)

証言内容からも見てみます。

*オツマン・ウオク
17歳の頃、岡9420部隊で2年以上勤務
戦後スンガパ-ル社会問題大臣
実験場で働いていた中国人、インド人、マレ-人の少年7人は、
ネズミにたかっているノミを捕らえて容器に入れる役割を与えられていた。
日本人およそ40人がシンガポ-ル中ネズミを捜しまわり、獲物を実験場に持込んだ。
次にネズミにクロロホルム麻酔をかけ、少年たちがピンセットでノミを集めた。
その後の作業は日本人スタッフが引き継いだ。・・・・
ペスト菌に汚染されたノミを、砂、馬の乾燥血液、未確認の化学物質を入れた石油缶に移し、およそ2週間繁殖させた。
繁殖したペスト汚染ノミは、シンガポ-ルから出されて、タイに送られたとのことです。




・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。



日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)




『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第五章

この段階で、警察がもっとも不信を抱いていたのは、あまりに激しい中毒症状である。その凄まじさは、過去の食中毒事件では、まったく例が無いものであった。浜松では、過去にも食中毒事件も発生している。また、夏になると毎年のように赤痢やチフスも流行していた。しかし、今回の中毒事件は、過去のそれとは比較にならないほどに激烈で、しかも広範囲である。症状の経過も著しく、医師の手当てにもかかわらず、患者の容態はみるみる増悪してゆく。警察は現場検証の手応えから、大福餅の中に、なんらかの毒物が混入されているのではないかという疑問を持っていた。犯人の心当たりは、今のところ無いとはいえ、あるいは過去に三好野を解雇された従業員の恨みか、繁盛する三好野に対しての、同業菓子店のねたみか、浜松一中に憎しみを持つ者による、無差別殺人事件ではないかと考えたのである。もし予想外の事故であったとしても,原因は銅鍋から生じた緑青ではないか,との疑いも強く持たれていた。これも,三好野で使用されていた銅の大鍋が,相当に古いもので,外面に緑青を吹いていた事実に対しての,現場警察官の勘であった。
一二日の深夜,浜松警察署は三好野の店主夫妻と製餡職工など一四名を召喚した。司法主任の高井警部補以下が夜を徹して取調べを行ったが,犯罪を臭わせるような徴候は何一つ得られなかった。


※この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?1936年にはハルピンニ正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。

小島三郎(ウキペディア)の記述は、表の功績しか書いていない!!


その他
幼少時より頭が良く神童といわれていた。事実特例として、満4歳で博文尋常小学校(現各務原市立川島小学校)に入学している。
スポーツ万能であり、中学で野球、高校でボート、大学では馬術、水泳、スキーなどで活躍していたという。
1919年(大正8年)に伝染病研究所を辞めて中屋村の家業の医院を継いでいる。しかし、伝染病研究所の再三の要請や、研究を続けたいという思いもあり、1年あまりで家業を譲り、再び伝染病研究所に入所している。
組織の上に立つことを嫌っており、伝染病研究所時代は「長」の付く役職は全て断っていたという。国立予防衛生研究所設立には所長就任の話もあったのだが固辞しており、説得の上、副所長という肩書きとなったという。
娘の露子は東京大学医学部助教授・東京共済病院長中川圭一に嫁ぐ。参議院議員・環境事務次官の中川雅治は孫。
彼の功績をたたえ、1965年(昭和40年)より、小島三郎記念賞が設定され、病原微生物学、感染症、公衆衛生学に対する優れた研究、技術に対し贈られている。
使用していた医療器具、愛用品、手紙などは、各務原市川島ふるさと史料館(各務原市川島会館4階)に保管展示してある。また出生地には記念碑が建っている。


※この小島の南京出張(栄1644部隊)はどんなものだったのか?1644部隊に行って、人体実験のアドバイスを行っていたのではないか??



※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が柳沢謙によって行われていた!!
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさラすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※まことに素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。




・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。



カドニウムの発見

ドイツの医学雑誌の記載によるとカドミウム中毒は潜伏期が2年であり、3年から4年後に神経痛様の痛みと貧血を生じ、8年後には明らかな骨軟化症の症状を示し、レントゲン所見では骨に亀裂が入り、患者は衰弱してアヒルのように尻をふって歩くと書かれていた。まさにイタイイタイ病の初期から中期の症状にそっくりな記載であった。萩野はとびあがるほど驚いた。



御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!この人は細菌戦にどのように関わったのだろう??
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)


・細菌戦被害地(中国)の旅



●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

11月20日の石井が、アメリカ人、通訳を入れて6名ですね。日本人側は、石井ともう一人Mと称している、書かれている人等が、招聘してですね、そこで会っているという、これが、非常に今まで分からなかったこと、新事実ですね。

石井四郎の戦後



ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影

堀田伸永


※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!




プロローグ

赤茶けた小冊子

京都帝大調査班にまぎれて

原爆投下直後にただちに調査班を広島に派遺した京都帝大は、9月3日から4日にかけて、さらに第2次調査班として医学部と理学部の教投らを広島に派道した。班員は杉山繁輝、菊池武彦、真下俊一各教投ら40名にのぼり、2班にわかれて広島に入った。
 広島市長崎市原爆災害誌編集委員会編『広島・長崎の原爆災害』(1979年、岩波書店)には、この京都帝大調査班に「後に金沢医科大学の石川太刀雄(病理学)らが加わった」 との記述がある。金沢大学文学部の古畑徹教授の講演(2006年12月16日、金沢大学サテライトプラザ)によれば、杉山教授は、731部隊の病理解割の顧問であった清野謙次教授の門下で、1943年まで金沢医科大学の教授を兼務し、陸・海軍への研究協カにも力を注いでいた。同年9月、杉山教投の後任として金沢医大病理学第2講座の教援に就任したのが清野の門下生のひとり、石川太刀雄丸だった。石川は、1938年3月10日から1943年7月まで、731部隊でぺストや流行性出血熱等の研究に携わる傍ら、病理解剖を担当していたため、解剖には慣れていた。


※宮川は731で放射能を扱っていたから、米軍に不問に付されたのか??

ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2)




宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。




御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

==== 国立公衆衛生院 (現国立保健医療科学院)====

東大系の研究所では、国立公衆衛生院、東大医科学研究所(旧伝染病研究所)、
国立感染症研究所(旧国立予防衛生研究所)の3つが731部隊との関わり合いが深い。
まず国立公衆衛生院であるが、関東大震災の復興援助として、ロックフェラー財団から建物・設備が寄贈されたのがその始まりである。
ここの疫学部長に就任したのが野辺地慶三である。彼は1923年、ハーバード大学に留学、帰国後数々の業績をあげ「公衆衛生の父」と呼ばれている。
1958年にはABCCの疫学部長に就任している。
この人物も731部隊、そして米国との関わり合いが深い。
戦後、百日咳の研究で、731部隊の最高幹部であった北野政次、安東洪次と協力している。
重松逸造は野辺地の教え子で、1966年に疫学部長に就任している。
国立公衆衛生院は2002年、改組により国立保健医療科学院となり、現在は、汚染食品からの被ばくは小さいなど安全キャンペーンをやっている。


子宮頸がんワクチン接種後の症状


政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。




被曝をめぐる御用学者の系譜



●原爆を投下された責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)

「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)

日本への空襲

八王子平和・原爆資料館


昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??

1975年昭和天皇記者会見




●原水爆禁止!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染





ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!


為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!!
1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!!
1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!!
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!!
※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!!

原子力に悩む大国 アメリカ




●日本の科学者の核兵器への執念の系譜

日本の物理学者は、日本の原爆開発を反省していない!!明かに原爆・水爆を作りたがっている!!
戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後は、アメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!



仁科芳雄は軍国主義者で、物理学者の間では天皇だった!!

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ


◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直


しかし冷戦が激化し始めると状況は一変した。アメリカは公然と日本の原子力技術の利用に乗り出してきたのである。その証となるのが上記の、マーカット宛ケリー書簡であった。確かに、書かれてあるようにアメリカは、湯川秀樹をはじめ多くの核物理学者をアメリカに招聘し、恵まれた研究環境を与え、彼らをアメリカの核開発に、直接・間接に巻き込んでいった。 その招聘された核物理学者の中には、長岡半太郎の5男で、やがて日本の核戦略の決定に重要な役割をはたす嵯峨根遼吉などもいた。仁科も、短期間であるが、1950年3月3日から4月6日まで、アメリカ科学アカデミーの招きでアメリカ各地の原子力施設を訪問している。


※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!

何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!



湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●核・生物化学兵器廃絶!!
「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え

●世界の流れ、脱原発!!
劣化する政治. 森友・加計疑惑 2017.12.1 ウィークエンドニュース - デモクラシータイムス LIVE



・脱原発1(省エネを心掛ける!!)


アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。

東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?

日本は韓国を見習おう!!
「脱原発」掲げる韓国・文政権、2基の建設工事を中断
自然エネルギーを活用しよう!!


・リニア新幹線反対!!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

リニア品川駅、深夜の工事を初公開 2027年開業

慎重論派の指摘内容
慎重論を唱える人々が共通して持っている疑問や不安は次のような事項です。
大量の電力消費 エコに逆行!!

電磁波の人体への影響

日本でも2002年に国立環境研究所が調査を行い、4ミリガウス(0.4マイクロステラ)以上の電磁波を浴びると小児白血病の発症率が2倍になるという結果を発表しています。
短時間乗車して電磁波を浴びるのと、生活の場で継続的に浴びるのとでは状況は全く異なりますが、携帯電話の電磁波が子どもに悪影響を及ぼすのではないかと敏感になっている時代に、大量の電磁波を浴びさせてでもリニア新幹線に子どもを乗せたいと思うものでしょうか。




●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!

戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す
きちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!


天皇制を考えよう!!
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり

両陛下「お召し列車」で茨城県を訪問???

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

日本への空襲

天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!!
大嘗祭は31年11月

象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!


池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1


・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!!
戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!!
戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!!


●医療問題
731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
コーヒー牛乳、記憶がプツン デートレイプドラッグ被害

インフル薬“異常行動”めぐり厚労省が「施錠」など通知へ

聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生



『座間市9遺体遺棄事件』白石隆浩容疑者(27)の全て

●自衛隊

海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

花見中、二十数回にわたり殴打 「酒断られ、腹立った」 陸曹長停職 仙台駐屯地

サリン事件と自衛隊の関係は??


1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正美



5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
大宮駐屯地5月28日


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?

相模海軍工廠(日本海軍の毒ガス工場)




・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?

700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


自衛隊と日航機墜落事故の関係は??


●憲法9条を守れ!!
大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条


“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!















2017年12月3日日曜日

改憲を発議させない運動を!!

細菌戦の系譜!!

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※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国
●八王子平和・原爆資料館
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●マレーシアの旅
●不二越強制連行問題!!
●「福島の今」
●結核予防接種と人体実験


●日中全面戦争・南京大虐殺80ヵ年!!


1937年には私は下関の宝塔橋でした。日本兵が南京に入って来てから、父を捕まえて行って下関の煤炭港と草鞋峡で死人を抱えさせました。一ヶ月余り抱えさせられたと言っても、父の言うのによれば死んだ人の屍を草鞋峡から燕子磯までずっと押して行ったのでした。初めは手で抱えたのですが、やがて屍がつかめなくて、鈎型(かぎがた)の道具で引きずりました。それに、私はその頃家の隣だった大相や小相一家の母子3人がみんな日本兵に活きたまま鋸でひき殺されたのを見ました。それから小街衛生院の医者だった李大虎のお爺さんですが、日本兵になんだかんだと宝塔橋の上まで追いやられ、無理矢理日本兵に脚で橋の上から蹴落とされ、活きながらに墜落死させられました。(陳平穏が口述により整理)


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

南京大虐殺80ヵ年

12月の催し!!

ハトは泣いている

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

31、関連する裁判
・夏淑琴名誉棄損裁判 (2009年2月5日 最高裁判決)
南京大虐殺のときに両親や祖父母など家族を日本兵によって虐殺され、妹と二人だけ生き残った幸存者、夏淑琴さんに対する名誉毀損訴訟である。これは、亜細亜大学の東中野修道教授が夏淑琴さんをニセ証言者であるかのような記述をしたことが争われた事件だった。
このときも東中野教授の論述内容があまりに低レベルだったため、東京地裁の判決では「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」とまで断罪されたほどであった。
この事件においても、地裁・高裁・最高裁はすべて夏淑琴さんに対する名誉毀損を認定した。

・南京大虐殺


●お知らせ
次回の裁判で外務省には身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷


重慶大爆撃




「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」




10月15日の「三多摩平和交流会」
第4回三多摩平和交流会(展示の部、舞台の部(一部)


八王子平和・原爆資料館
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え



11.15 不二越集会
強制連行問題:不二越東京本社行動 2017年11月15日


赤い夕日

脱原発!!タンポポ舎

遺伝子組み換え食品、肉食を考える!!

三里塚闘争と731


●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理

次回の裁判で外務省には身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷

自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??


11日の『化学学校記事』情報公開裁判では、防衛省の情報公開に対する姿勢が全く消極的だ!!
防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、作成した図書を廃棄していいものだろうか??防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していない。自衛隊の研究には、研究の透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料も、きちんと全部を点検せずに記録も残していないと公然と主張する!!こんな杜撰な管理でいいのだろうか??


森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??

民間人は裁判に自腹を切って参加するが、被告国側は、全て税金で処理されるのか??

国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!







・次回情報公開裁判(「衛生学校記事」)第16回 12月21日(木)15:00~東京地裁419号法廷

・次回情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年1月17日(水)11:00~東京地裁522号法廷

海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

自衛隊と日航機墜落事故の関係は??

加計問題!!証拠を隠すな!!

サリン事件と自衛隊の関係は??




●憲法9条を世界へ普及させよう!!
憲法9条を生かそう!!
過去の悲惨な戦争へと突っ込んだ事を忘れ、再び軍事強国を目指すのか??
文大統領「韓米日連携が同盟になること望ましくない」 日本に警戒感も
9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛たの為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??

米空母3隻が日本海で演習開始、海自と共同訓練へ

陸自隊員、訓練中に自殺か 大分・日出生台の演習場
自衛隊「訓練」中の死亡事故が多発――10年で69人、「人命軽視」か
事故原因、何を搭載されていたかも説明されずになぜ飛行再開なのだ??
米軍ヘリ飛行再開 防衛省が「追認」

軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●「天皇制」を考える

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

日本への空襲

大嘗祭反対!!
大嘗祭は31年11月


●ニュース
天皇制を止めたらどうか?昭和天皇の戦争に果たした役割は重大だ!!
<皇室会議>宮内庁で始まる 退位日決定へ意見聴く

社説[天皇退位と改元]「あり方」もっと議論を

森友・加計学園の疑問が全く晴れない!!
きちんと安倍は答えろ!!
<安倍首相>「丁寧」のち「真摯」森友疑惑で謝罪、招致なし

<旧優生保護法>不妊手術強制、初の国提訴「尊厳を侵害」

戦争を放棄すると言って、何でこんなん物を作る??
沈没潜水艦、乗員どう救出? 着底しても数日は生存 海自の備え「潜水艦救難艦」とは

ここでも、情報の隠蔽がある!!なぜ、原因がわからない??
笹子トンネル事故現場で遺族が黙とう

軍の中では、情報が隠蔽される!!企業でも同じか??
アルゼンチン海軍、潜水艦サンフアンからの最後のメッセージを隠蔽していたことが発覚


飛行中に落下か 哨戒機部品紛失 海自厚木基地所属

金子勝✕大竹まこと:森友加計問題は道半ばで永遠に終わらない!ゴールデンラジオ2017年12月1日



劣化する政治. 森友・加計疑惑 2017.12.1 ウィークエンドニュース - デモクラシータイムス LIVE



自衛隊は、日航123便の尾翼も引き揚げるべきだ!!
墜落ヘリの一部を基地へ搬送 船から御前崎港へ陸揚げ

集団準強姦容疑の慶大生6人、不起訴処分

【慰安婦問題】少女像で大阪市とサンフランシスコの姉妹都市解消へ


大竹まこと:森友国有地売却資料を捨てた佐川国税庁長官と確定申告


湯川博士の終戦期の日記初確認 「広島原爆の解説断る」

金子勝:企業モラルの底割れと森友加計問題を風化させたい勢力


必要なのか??
イージス艦倍増「前倒し」 参院代表質問で首相

インフル薬“異常行動”めぐり厚労省が「施錠」など通知へ

日本にとって必要なのか???
19年5月に新天皇即位へ…元号、来年中に公表

森永卓郎:石油価格急騰の理不尽な理由とサウジ発の中東不安


金子勝:ようやく安倍首相が行った所信表明演説と国会の形骸化


日本も戦時中の記録をどんどん公開すべきだ!!日本が隠しているからおかしくなる!!情報公開!!
【世界の記憶】「南京」文書の開示促す ユネスコ演説で林芳正文科相、改革は歓迎


文在寅政権 慰安婦記念日まで制定、合意白紙宣言の可能性も

【森友学園問題】会計検査院が「6億円値引きは過大」と指摘


慰安婦報道訴訟、朝日新聞社の勝訴が確定 最高裁

再処理工場の審査中断 トラブル続出、保安規定違反認定

群馬大教授、論文データ改竄 著書では大学批判 「信用を失墜」解雇


アメリカ・日本もきちんと廃棄せよ!!
化学兵器の廃棄完了=義務不履行と対米批判―ロシア

何故だ??
<シリア調査団>化学兵器の特定不可能に 露が拒否権

ロシアが化学兵器を全廃「歴史的な出来事」

核兵器禁止条約に参加しない日本に被爆者の怒り「どこの国の総理ですか?」〈AERA〉



戦争になれば、勝敗は無く、地球が破壊され、人類は滅びる!!日本の果たす役割は??
核保有国の一覧

(全録)北朝鮮訪問 アントニオ猪木議員が会見


もっとさかのぼると
朝鮮国女の墓
韓国国女のお墓


朝鮮人BC級戦犯裁判1


●加計問題!!

●靖国問題!!
・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!)
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴




●侵略戦争!!
昭和史略年表
日本海軍が、大山事件をでっち上げ、日中全面戦争になった!!
謀略 大山事件
・1937年(昭和12)
11月3日  米英の提案により、日本の9ヵ国条約違反を問うブリュッセル会議開催
11月5日  第10軍(司令官柳川平助)杭州湾に上陸、上海戦の中国軍の背後をつく
トラウトマン駐華ドイツ大使、日本の和平条件を蒋介石に伝える(トラウトマン和平工作)
11月7日  上海派遣軍と第10軍を合わせ中支那方面軍編成(司令官松井石根)
11月15日 第10軍幕僚会議、独断で中国軍の南京追撃を決定
11月20日 日本政府、軍部、大本営を設置、別に大本営政府連絡会議設置
国民政府、重慶への首都移転を宣布
11月24日 ブリュッセル会議閉幕、日本の国際法違反を非難決議するも、対日経済制裁決定は回避
11月下旬  中支那方面軍、独断専行により、南京攻略戦発動
12月1日  大本営、南京攻略を下令
12月2日  蒋介石、トラウトマン駐華ドイツ大使に対日和平交渉受諾を談話
12月4日  中支那方面軍の前線部隊、南京防衛陣地(南京戦区)突入、南京大虐殺事件起こす
12月10日 日本軍、南京城市を総攻撃
12月12日 日本軍、南京城内に突入
海軍航空隊、アメリカの砲艦パナイ号を撃沈(パナイ号事件)
12月13日 日本軍、南京城内完全占領、残敵掃討戦(大殺戮)開始
12月14日 北支那方面軍の工作による中華民国臨時政府(行政委員長王克敏)北京に成立
12月17日 中支那方面軍、南京入城式挙行
12月    南京占領。日本無産党等弾圧。第1次人民戦線事件



重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!


昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。




強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

次回の裁判で外務省に身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷



当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?



●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター

感想
・非常につらい展示で、直視するのに苦労しました。戦争に勝ちも負けもなく、罪のあるなしとかも超えてしまっていて、関わった人が深く傷つくことや、周りの人を否応なく巻き込んでいってしまうことや、軍の組織の中に入っていると、理想などがいつの間にか消え失せてしまい、加害する方に加担してしまっている。そんな怖さを体に刻まれました。40代女性



●731の実態
終戦の年の約2ヶ月前ですね、私とそれから中山軍曹と2人でもって、マルタの受領に行ったんですね。40本ですから、40人ですね。今の領事館から持ってきたマルタはね。全員ロシア人です・・・・
22歳から43歳まで戦争と捕虜の生活をしてきた。一体自分の青春は何であったか??

731(4)


第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
原美臻の特移扱資料8





●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。16



謝恩と巡礼訪中報告会

謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)



731部隊の展示会(中国)

特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

■731部隊以外でも
―731部隊・「石井機関」以外では、どのような罪悪がくりひろげられていたのでしょうか。


以下のような事実が明らかになりました。
1945年の5月から6月にかけて、九州帝国大学医学部第一外科の石山福二郎教授やその弟子たちが、撃墜されたアメリカ軍B29の搭乗員捕虜8名を手術実験で殺害した「九州帝国大学医学部事件」。1941年1月31日から2月11日にかけて内蒙古で、中国人を手術材料と称して用い、凍傷、テントでの手術、止血、輸血などについて研究する野外演習を行った「冬季衛生研究」。各地の陸軍病院での「手術演習」。台北帝国大学医学部(1928年3月16日、勅令第30号による台北帝国大学の設立.。1936年1月1日医学部設置)における「現地人44名の生体よりマラリア脾腫(ひしゅ)を剔出(てきしゅつ)して材料とした研究」。京城帝国大学医学部(1924年京城帝国大学開学、1926年5月医学部設置)にみられた植民地支配、医学のもつ植民地支配上の効果を期待して設立された満州医科大学(1911年に南満鉄道株式会社が創立した南満医学堂が前身、1922年に満州医科大学に昇格)の解剖学教室の「生体解剖」がありました。そのほかにも、占領地の大学や研究所以外における「非人道的な人体実験」、植民地における本邦よりも過酷な「ハンセン病対策」、将兵への伝染を防ぐための軍用「慰安婦」の性病罹患検査など軍医による「慰安所の衛生管理」などもあげられます。


以上(月刊『前衛』より)


●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

─「美味しんぼ」の原作者がなぜ福澤諭吉に関心を持ったのですか。

中学高校で教わった通り、福澤諭吉は民主主義の先駆者だと思い込んでいました。ところが30年ほど前にあるきっかけから福澤の「帝室論」「尊王論」を読むと、日本国民は「帝室の臣子(家来)なり」と書かれていて驚いた。世間の福澤諭吉像を覆すような文章がどんどん出てくる。それが興味を持った始まりです。

(構成 桐島 瞬)

※週刊朝日  2017年1月27日号


●戦争に反対した人々 
小林 多喜二
生涯
翌1929年に『蟹工船』を『戦旗』に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集め同年7月には土方与志らの新築地劇団(築地小劇場より分裂)によって『北緯五十度以北』という題で帝国劇場にて上演された。だが同時に警察(特に当時の特別高等警察)からも要注意人物としてマークされ始める。『蟹工船』『一九二八年三月一五日』および同年『中央公論』に発表した『不在地主』などがもとで拓銀を解雇(諭旨免職)[注釈 6]され、翌年春に東京へ転居。日本プロレタリア作家同盟書記長となる。1930年5月中旬、『戦旗』誌を発売禁止から防衛するため江口渙、貴司山治、片岡鉄兵らと京都、大阪、山田、松阪を巡回講演。23日に大阪で日本共産党へ資金援助の嫌疑で逮捕され、6月7日、一旦釈放された。

小林多喜二のお墓


小林多喜二ほか(市立小樽文学館)






●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第3章  現実世界に向きあう

つまり問題は、彼がこのように多面にわたる生を負わされるという、振幅が大きく、矛盾しやすい彼の自己認識のあり方を、われわれがどう理解したらよいのか、ということである。彼はどのようにしてその感情を制御し、多岐にわたる無数の役割と要求をこなしてゆくのだろうか。彼のもっとも基底にある、消えることのない自己認識は、神権的天皇であるという意識だろう。彼の受けた教育は、いかにして自分を秩序の源泉、政策決定過程への関与者、アジアを近代化させる国家の指導者と認識するようになるかの道筋だった。

※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)




寧波(ニンポー)細菌戦




麗水細菌戦





日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



70年間の沈黙を破って

ドイツ精神医学精神療法神経学会の2010年総会における謝罪声明
ナチ時代の精神医学―回想と責任
ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年11月26日
ベルリンにおける追悼式典の談話

DGPPN会長  フランク・シュナイダー
訳:岩井一正

この2年足らずの間に、DGPPNの内部で、自分たちの歴史とどう取り組むべきかについての徹底的な討論過程が巻き起こりました。これらの討論はちぐはぐにはならず、一致した結論に至りました。ちょうど1年前についにDGPPNの会則が補完されました。最初のパラグラフにうたわれています。
「DGPPNは心的患者の尊厳と権利に関する自らの特別な責任を自覚している。この責任は、自分たちの先代組織が国家社会主義の犯罪、集団的患者殺戮、強制断種に関与したことから、自身の中に生じたものである。」

※なぜ、日本人は731部隊の犯罪、日本精神医学会の犯罪を問わない???














日中戦争全史年表


笠原十九司著『日中戦争全史』(下巻)と遠山茂樹・今井清一・藤原彰著『昭和史』より

日中戦争全史年表
・1894年(明治27)
8月1日  日本、清国に宣戦布告(日清戦争)

・1895年(明治28)
4月17日   日清講和条約調印(下関条約)
4月23日   独仏露3国、遼東半島の清国への返還勧告(3国干渉)

・1902年(明治35)
1月30日   日英同盟締結

・1904年(明治37)
2月10日   日本、ロシアに宣戦布告(日露戦争)
2月11日   宮中に大本営設置

・1905年(明治38)
9月5日   日露講和条約(ポーツマス講和条約)調印

・1906年(明治39)
8月1日   関東都督府管制公布
11月26日  南満州鉄道株式会社設立

・1907年(明治40)
10月    ハーグ陸戦条約調印される

・1910年(明治43)
5月25日  大逆事件の検挙始まる
8月22日  韓国併合に関する日韓条約調印
9月30日  朝鮮総督府管制公布(初代総督寺内正毅)

・1911年(明治44)
1月18日  大逆事件で幸徳秋水ら24名に死刑判決
2月21日  日米新通商航海条約調印
8月21日  警視庁、特別高等課(特高)設置
10月10日  清の武昌で革命軍蜂起、辛亥革命始まる

・1912年(明治45)
1月1日  中華民国建国、孫文臨時大総統に就任
3月11日  中華民国臨時約法公布
8月25日  宋教仁ら中国革命同盟会を発展的に解消して国民党結成

・1913年(大正2)
10月10日 袁世凱、中華民国大総統に就任

・1914年(大正3)
7月28日 ヨーロッパで第1次世界大戦始まる
8月23日 日本は日英同盟を口実にドイツに宣戦布告(日独青島戦争)、ドイツ東洋艦隊の根拠地である要塞都市青島を軍事占領

・1915年(大正4)
1月18日 中華民国の袁世凱政権に「21ヵ条要求」を提出 
3月    上海・漢口・広東で日貨排斥運動起こる
5月7日  日本、袁世凱政権に「21ヵ条要求」受諾を迫る、最後通牒を提出
5月9日  袁世凱政権、「21ヵ条要求」受諾、中国全土で21ヵ条要求反対運動

・1916年(大正5)
7月   第4次日露協商調印
10月  寺内内閣成立、憲政会結成

・1917年(大正6)
3月12日 ロシア2月革命、ロマノフ王朝倒れ、臨時政府樹立
4月6日  アメリカ、対ドイツ宣戦布告
9月10日 孫文を大元帥とする広東軍政府樹立
11月7日 ロシア10月革命、ソビエト政権樹立

・1918年(大正7) 
3月3日  ソビエト、ドイツ・オーストリアと単独講和条約
5月16日  日本、中華民国北京政府と「日中共同坊敵軍事協定」締結
7月23日  富山県から米騒動発生、たちまち全国へ波及
8月2日  日本政府、「シベリア出兵」を宣言
8月3日  アメリカ、「シベリア出兵」を宣言、米・英・仏・伊・日・中の連合国軍によるシベリア干渉戦争開始
9月    原内閣成立
11月11日 ドイツ降伏、第1次世界大戦終結

・1919年(大正8)
1月18日  パリ講和会議開催
2月     普選要求運動起こる
3月     朝鮮で3・1独立運動、コミンテルン結成
5月4日   パリ講和会議における山東問題の決定に反対する5・4運動爆発   
6月28日  ベルサイユ条約を調印しパリ講和会議閉幕 中国条約調印拒否
10月10日  孫文、中華革命党を中国国民党と改組・改称、総理に就任

・1920年(大正9)
2月    八幡製鉄争議
3月11日  第1次尼港事件発生
3月31日  日本、「シベリア撤兵期に関し政府声明」発表
3月    戦後恐慌起こる
5月24日~27日 第2次尼港事件発生
5月    日本最初のメーデー
10月7日  日本政府、間島事件に対して間島出兵決定

・1921年(大正10)
4月    広東に中国国民政府成立
7月1日  上海で中国共産党結成される
10月    友愛会、日本労働総同盟と改称
11月12日 ワシントン会議開催
11月    原敬暗殺さる。皇太子裕仁摂政に就任
12月    日英同盟廃棄、四国条約成立

・1922年(大正11)
2月4日  ワシントン会議において日本と中国、「山東懸案に関する条約」調印
2月6日  ワシントン会議において主力艦に関する海軍軍縮条約調印、「中国の独立・領土保全及び関税自主権拡大に関する9ヵ国条約」調印。ワシントン会議閉幕
4月    日本農民組合結成
5月    日本軍山東撤兵
7月    日本共産党結成
10月    日本軍シベリア撤兵。ムッソリーニ、ローマ進軍
12月30日 ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)成立

・1923年(大正12)
3月10日  中国北京政府、日本に「21ヵ条条約廃棄」を通告、旅順・大連回収を要求する運動展開
6月    共産党第1次検挙
9月    関東大震災、震災恐慌起こる。大杉栄、伊藤野枝等殺される(甘粕事件)、暴動を警戒して、自警団、軍によって、朝鮮人、中国人、日本人が殺される

・1924年(大正13)
1月20日  孫文、国民党第1回全国代表会議開催、3大政策(連ソ・容共・扶助農工)を決定 第1次国共合作成立
1月     中国国民党改組、国共合作なる、政友会分裂。政友、憲政、国民の護憲運動おこる
3月    総選挙で護憲3派大勝。国本社創立
6月16日  孫文、黄埔軍官学校設立(校長蒋介石)、国民革命軍(国民党軍)幹部養成
6月    加藤高明護憲3派内閣成立
7月     小作調停法公布
11月26日  モンゴル人民共和国成立

・1925年(大正14)
1月    日本、ソ連を承認
3月12日  孫文、「革命未だならず、同志諸君、奮闘努力せよ」と国民党への遺嘱を残し病死
3月    治安維持法・普通選挙法成立
4月22日  加藤高明護憲3派内閣により治安維持法公布
5月5日  普通選挙法(25歳以上の男子に選挙権)公布
5月    4個師団廃止。日本労働組合評議会創立。中国で5・30事件
8月    護憲3派分裂し、加藤憲政会内閣成立
12月    農民労働党結成、即日禁止

・1926年(大正15・昭和元年)
1月4日 国民党、中華民国国民政府(主席汪精衛)を広東に樹立
1月   京大学生事件。若槻内閣成立。共同印刷争議
3月   労働農民党結成
7月9日 国民革命軍総司令官蒋介石、北伐戦争開始
10月   労農党分裂
12月   日本共産党再建。社会民衆党、日本労農党結成。大正天皇没。皇太子裕仁践祚、昭和と改元

・1927年(昭和2)
3月24日  国民革命軍の南京占領に伴い南京事件発生
3月     金融恐慌始まる
4月12日 蒋介石、共産党粛清開始(4・12反共クーデター)、第1次国共合作崩壊
4月    田中義一内閣成立
5月28日  (田中義一内閣)第1次山東出兵
5月31日  日本に対支非干渉同盟結成
6月    立憲民政党結成。東方会議開かる
7月    武漢政府で国共分裂。27年テーゼ作成
8月1日  共産党軍、南昌で武装蜂起

・1928年(昭和3)
2月20日  日本で最初の男子普通選挙実施
3月15日  田中義一内閣、日本共産党員と同調者を大量逮捕(3・15事件)
4月20日  日本政府(田中義一内閣)、第2次山東出兵
4月     労農党、評議会など結社禁止。中国北伐再開
5月3日   第3次山東出兵、山東派遣軍、済南の国民革命軍を総攻撃(済南事件)
5月    全国農民組合結成
6月4日   関東軍による張作霖爆殺事件
6月29日   田中義一内閣、天皇の緊急勅令による治安維持法改悪を強行、死刑追加
7月     特高警察を全国に設置
8月27日  パリ不戦条約(ブリアン・ケロッグ条約)調印
10月    ソ連5ヵ年計画発表
11月10日  昭和天皇の即位の礼挙行
11月14日  大嘗祭挙行
12月    労働者農民党結成、直ちに禁止
12月29日  張学良、東三章を国民政府の合流

・1929年(昭和4)
3月    元労農党代議士山本宣治暗殺さる
4月    4・16共産党弾圧
6月    日本、中国国民政府を承認
7月2日  田中義一内閣、張作霖爆殺事件の処理をめぐり天皇に叱責され総辞職。浜口内閣成立
7月    緊縮政策開始
10月24日 ニューヨーク株式大暴落、世界恐慌始まる
10月    政府、官吏減俸を声明、反対で撤回
11月    新労農党結成。朝鮮光州学生事件
12月    東京市電争議
・1930年(昭和5)
1月    金解禁実施。ロンドン海軍軍縮会議開会
2月    総選挙、民政党大勝
4月22日  補助艦に関するロンドン条約調印
4月25日 政友会の犬養毅・鳩山一郎らロンドン軍縮条約問題につき、「統帥権干犯」と浜口内閣攻撃。又軍部右翼の反対起こる
4月    私鉄疑獄、売勲事件など発覚。東京市電、鐘紡争議
9月    桜会結成
10月    ロンドン条約諮詢案枢密院で可決。台湾霧社事件起こる
11月14日 浜口雄幸首相、ロンドン海軍軍縮条約批准に反発した右翼に狙撃され重傷(後、死亡)
・1931年(昭和6)
3月    3月事件、軍部のクーデター未遂
4月    重要産業統制法公布。若槻内閣成立
6月    満州で中村大尉が射殺さる
7月    万宝山事件起こる
8月    南陸相満蒙問題で訓示
9月18日  関東軍の謀略により奉天近郊の満鉄線爆破(柳条湖事件)、満州事変始まる。
9月19日  若槻礼次郎内閣、満州事変の不拡大方針決定
9月    イギリス金本位を停止
10月8日  関東軍錦州爆撃、国際的非難受ける
10月24日 国際連盟理事会、日本軍の満州からの撤退を勧告する決議案を採択に付す
10月    10月事件未遂
11月27日 中華ソビエト共和国臨時中央政府成立(主席毛沢東、首都瑞金)
12月    犬養内閣成立。金輸出を再禁止
・1932年(昭和7)
1月8日  昭和天皇、関東軍の謀略を称賛する勅語を発し、満州事変は国策となる
1月28日  日本軍の謀略により第1次上海事変始まる
1月    米、スチムソン宣言
2月2日  伏見宮博恭親王軍令部長に就任(33年9月軍令部総長と改称)
2月    井上準之助殺さる。総選挙、政友会大勝
3月1日  関東軍、「満州国建国」を宣言
3月11日  国際連盟臨時総会、「満州国家」不承認を決議
3月    団琢磨殺され、血盟団発覚
5月5日  第1次上海事変の停戦協定成立
5月15日  海軍青年将校ら「国家改造」を唱えて犬養毅首相を暗殺(5・15事件)
5月    斎藤内閣成立。32年テーゼ発表
7月    ナチス第1党となる
9月15日  日本が偽満州国承認させる、日満議定書調印
9月16日  日本軍による平頂山虐殺事件発生
10月    第1次武装移民団492人、佳木斯(ジャムス)に入植
・1933年(昭和8)
1月     ドイツ、ヒットラー内閣成立
2月11日  第1次武装移民団先遣団150人、永豊鎮に入植、弥栄村と命名
2月24日  国際連盟総会、リットン報告書を採択、日本代表松岡洋右抗議の退席。関東軍熱河省に侵入
3月27日  日本政府、国際連盟脱退を通告、天皇も国際連盟脱退の詔勅を下す
3月     アメリカ大統領にルーズベルト当選
5月     滝川事件起こる。塘沽停戦協定成立
6月     共産党佐野、鍋山転向声明
7月25日  第2次武装移民団455人、七虎力に入植、千振村と命名
7月     神兵隊事件発覚
9月18日  中国共産党による東北人民革命軍第1軍(師長楊靖宇)成立
10月    ドイツ国際連盟を脱退

・1934年(昭和9)
1月    日本製鉄創立
3月9日  土竜山の地主謝文東の東北民衆自衛軍が蜂起、千振村を襲撃(土竜山事件)
4月    帝人事件起こる
7月    岡田内閣成立
9月    ソ連、国際連盟に加入
10月    陸軍パンプレット問題。中国紅軍長征開始
11月    士官学校事件発覚
12月    ワシントン条約廃棄


・1935年(昭和10)
2月    天皇機関説問題化
3月    参議院国体明徴を決議。ドイツ再軍備宣言
6月10日  梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定成立、日本の華北分離政策推進
7月    フランス人民戦線結成。真崎教育総監更迭
8月    中共抗日救国宣言。永田軍務局長相沢中佐に殺さる
10月   イタリア、エチオピアに侵入
11月   中国幣制改革。冀東防共自治委員会成立
12月9日 北平学連の学生、日本の華北分離政策に反対して大規模デモ(12・9運動)
12月   冀察政務委員会成立


・1936年(昭和11)
1月    中国共産党の指導する東北抗日連軍成立(東北人民革命軍を改称)
1月    ロンドン軍縮会議脱退
2月26日  皇道派の青年将校による2・26事件起こる
2月    総選挙で社大党進出
3月    広田弘毅内閣成立。メーデー禁止
5月18日  広田弘毅内閣、軍部大臣現役制を復活、軍部強権政治体制確立
7月    スペイン内乱起こる
8月7日  首相・外相・蔵相・陸相・海相の5相会議、「国家の基準」を決定
8月11日  ハルビン近郊平房に関東軍防疫部設置(40年に関東軍防疫給水部に改編された。本部が通称731部隊)
9月3日  広西省北海で日本人が殺害される(北海事件)、海軍渡洋爆撃準備
9月23日  上海で出雲水兵射殺事件発生、海軍日中戦争発動態勢をとる
9月25日  帝国在郷軍人会令公布
11月25日 日独防共協定成立
11月    綏遠事件
12月12日 張学良、西安で蒋介石を監禁、国共内戦停止と一致抗日を要求(西安事件)

・1937年(昭和12)
1月     広田内閣倒る。宇垣内閣流産
2月     林内閣成立
3月1日   東条英機、関東軍参謀長に任命され、満州における治安粛清作戦を展開
4月     総選挙、与党惨敗、社大党37
6月     近衛内閣成立
7月7日   北京近郊の盧溝橋で日中両軍の衝突事件発生(盧溝橋事件)、日中戦争始まる
7月10日  陸軍中央、華北派兵案を決定、石原莞爾作戦部長も同意
7月11日  盧溝橋事件について現地日中両軍による停戦協定成立。近衛文麿内閣、華北派兵を決定し「重大決意声明」発表、事態を北支事変と命名
7月12日  海軍軍令部「対支作戦計画内案」策定
7月29日  冀東防共自治政府所在地の通州で中国保安隊の反乱による通州事件発生
7月3!日  蒋介石、「全軍の将兵に告げる書」を発表、軍民一致の抗戦を呼びかける
8月7日  「日華停戦条件」決定(外、陸、海相が花押)
8月9日  船津辰一郎(在華日本紡績同業会総務理事)と高宗武(国民政府外交部亜州司長)による和平・停戦交渉開始。
上海海軍特別陸戦隊隊長大山勇夫(いさお)、上海郊外の虹橋飛行場前にて射殺される(大山事件)
8月10日  海軍軍令部、「大山事件対処方針」「時局処理方策」決定
8月13日  海軍陸戦隊と中国軍との間で戦闘開始、第2次上海事変始まる
近衛文麿内閣、陸軍の上海派兵決定
8月14日  中国空軍機、第3艦隊旗艦出雲と上海特別陸戦隊本部を爆撃
      鹿屋航空部隊台北を発進、台風の荒天をおして杭州、広徳を渡洋爆撃。
8月15日  近衛内閣、暴支膺懲(暴戻なる支那軍を膺懲)の「帝国声明」発表
      木更津航空隊長崎の大村基地を発進、中国の首都南京を渡洋爆撃
      鹿屋航空隊台北を発進、南昌を渡洋爆撃(日本軍機の被害多発のため以後、夜間の渡洋爆撃)
      陸軍、上海派遣軍(司令官松井石根)の「編組」を決定
8月21日 中ソ不可侵条約調印
8月22日  国民政府軍事委員会、紅軍を国民革命軍に改編(総司令朱徳)
8月24日  近衛内閣「国民精神総動員実施要綱」決定
9月2日  近衛内閣、「北支事変」を「支那事変」と呼称することを決定
9月4日  第72回帝国議会衆議院開院式において昭和天皇、「対支宣戦布告」に代わる勅語を発する
9月19日  海軍航空隊、上海公大飛行場を基地として第1次南京爆撃を決行(9月25日まで第11次にわたり南京爆撃)
9月23日  蒋介石、共産党の合法的地位を承認する談話を発表(第2次国共合作成立)
9月28日  国際連盟総会、「都市攻撃に対する国際連盟の非難決議を全会一致で採択
9月    国民精神総動員運動開始
10月5日  ルーズベルト大統領、シカゴで日本を侵略国とする「隔離演説」
10月    企画院設置
11月3日  米英の提案により、日本の9ヵ国条約違反を問うブリュッセル会議開催
11月5日  第10軍(司令官柳川平助)杭州湾に上陸、上海戦の中国軍の背後をつく
      トラウトマン駐華ドイツ大使、日本の和平条件を蒋介石に伝える(トラウトマン和平工作)
11月7日  上海派遣軍と第10軍を合わせ中支那方面軍編成(司令官松井石根)
11月15日 第10軍幕僚会議、独断で中国軍の南京追撃を決定
11月20日 日本政府、軍部、大本営を設置、別に大本営政府連絡会議設置
      国民政府、重慶への首都移転を宣布
11月24日 ブリュッセル会議閉幕、日本の国際法違反を非難決議するも、対日経済制裁決定は回避
11月下旬  中支那方面軍、独断専行により、南京攻略戦発動
12月1日  大本営、南京攻略を下令
12月2日  蒋介石、トラウトマン駐華ドイツ大使に対日和平交渉受諾を談話
12月4日  中支那方面軍の前線部隊、南京防衛陣地(南京戦区)突入、南京大虐殺事件起こす
12月10日 日本軍、南京城市を総攻撃
12月12日 日本軍、南京城内に突入
      海軍航空隊、アメリカの砲艦パナイ号を撃沈(パナイ号事件)
12月13日 日本軍、南京城内完全占領、残敵掃討戦(大殺戮)開始
12月14日 北支那方面軍の工作による中華民国臨時政府(行政委員長王克敏)北京に成立
12月17日 中支那方面軍、南京入城式挙行
12月    南京占領。日本無産党等弾圧。第1次人民戦線事件

・1938年(昭和13)
1月15日 大本営政府連絡会議、トラウトマン和平工作の打ち切りを決定
1月16日 近衛文麿内閣(帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」(第1次近衛声明)と発表
2月14日 大本営、中支那方面軍の戦闘序列を解き、中支那派遣軍編成(司令官畑俊六)
2月    第2次人民戦線事件
3月上旬  日中両軍の台児荘の戦闘において日本軍撤退、中国側「台児荘の大勝利」と宣伝
3月13日 ドイツ、オーストリアを併合
3月28日 中支那派遣軍の工作による中華民国維新政府(行政委員長梁鴻志)南京に成立
3月    電力国家管理法成立
4月1日  国家総動員法公布
5月19日 日本軍徐州作戦により徐州を占領
7月31日 日本軍、朝鮮・満州とソ連の沿海州の国境の張鼓峰でソ連軍国境警備隊を撃退、張鼓峰事件始まる
8月9日  張鼓峰の日本軍、ソ連軍の機械化部隊の反撃により壊滅的損害
8月10日 日ソ政府、張鼓峰事件の停戦協定調印
9月    山東抗日根拠地成立
9月29日 英・仏・独・伊の4国首脳によるミュンヘン会談、30日ドイツのチェコのズデーデン地方併合を認めるミュンヘン協定調印
10月21日 日本軍、広東占領、広東作戦終了
10月27日 日本軍武漢3鎮(漢口・武昌・漢陽)占領、武漢攻略作戦終了
11月3日  近衛文麿内閣、「東亜新秩序建設」を謳った第2次近衛声明発表
12月16日 内閣に興亜院設置
12月26日 陸軍航空兵団による最初の重慶爆撃
12月    汪兆銘(汪精衛)重慶脱出

・1939年(昭和14)
1月     平沼内閣成立
2月13日  海軍、海南島を占領、軍港基地・航空基地の設営開始 
3月     ドイツ、チェコスロバキアを併合
4月17日  華北交通株式会社成立
4月30日  華中交通株式会社成立
5月3日・4日 海軍航空隊による重慶への「五三・五四大空襲」
5月28日  関東軍の一支隊、ノモンハンのソ連軍を攻撃して潰滅的敗退(第1次ノモンハン戦争)
7月2日   関東軍第23師団、ノモンハンのソ連軍攻撃、第2次ノモンハン戦争開始(第23師団は全滅に近い犠牲者を出す)
7月26日  アメリカ、「日米通商航海条約廃棄通告」を日本政府に提出
8月23日  独ソ不可侵条約締結
8月     阿部信行内閣成立
9月1日   ドイツ軍、ポーランドに侵攻、第2次世界大戦勃発
9月15日  日ソ政府、ノモンハン戦争停戦協定締結
9月18日  価格停止令公布
11月中旬  日本軍、南寧政略作戦強行(12月上旬まで)

・1940年(昭和15)
1月     米内内閣成立
3月     参議院、斎藤隆夫を除名
3月30日  汪精衛を首班とする中華民国国民政府(汪精衛)南京に成立
5月17日  海軍航空隊を主力とする重慶爆撃の百一号作戦開始(9月5日まで)
5月     ドイツ軍、ベルギー・オランダ・フランスに侵入
6月10日  イタリア、イギリス・フランスに宣戦布告
6月14日  ドイツ軍、パリに無血入城
6月24日  近衛文麿、新体制運動推進の決意表明
7月10日  ドイツ空軍、イギリス本土空襲を開始
7月22日  第2次近衛内閣発足
7月26日  近衛内閣、大東亜新秩序形成を謳った「基本国策要綱」決定
7月27日  大本営政府連絡会議、「世界情勢推移に伴う時局処理要綱」決定、武力行使を含む南進政策決まる
8月19日  ゼロ戦、重慶爆撃に初めて登場
8月20日  八路軍による百団大戦始まる(10月上旬まで)
8月30日  北支那方面軍、山西省の抗日根拠地掃蕩の晋中作戦開始(12月3日まで)
9月26日  日本軍(南支那方面軍)、北部仏印武力進駐終了。アメリカ政府、対抗処置として対日屑鉄輸出全面禁止
9月27日  日独伊三国軍事同盟締結
10月12日  近衛内閣の新体制運動に呼応して全政党解党、大政翼賛会結成
11月15日  海軍、「出師準備第1着作業」発動、対米英戦の準備・訓練開始
11月    ルーズベルト3選。大日本産業報国会創立


・1941年(昭和16)
1月    中国新四軍事件
3月10日  治安維持法再改定、第3次法公布
3月30日  北支那方面軍、「第1次治安強化運動」展開(4月3日まで)
4月13日  日ソ中立条約締結(有効期間5年間)
6月22日  ドイツ不可侵条約を破りソ連に侵攻、独ソ戦開始
6月25日  大本営政府連絡会議、「南方施策促進に関する件」(南部仏印進駐の方針)決定
7月7日  北支那方面軍、華北で「第2次治安強化運動」展開(9月8日まで)
7月13日  日本陸軍、『関東軍特殊演習(関特演)」の秘密名のもとに対ソ作戦に備えて大動員開始
7月18日  第3次近衛内閣発足(松岡外相排除)
7月25日  アメリカ政府、在米日本資産凍結令を公布
7月27日  海軍航空隊、重慶爆撃の102号作戦開始(8月31日まで)
7月28日  日本軍南部仏印進駐開始(8月4日終了)、オランダ領東インド(蘭印)、日蘭石油協定廃棄
7月30日  重慶爆撃の海軍航空部隊が米砲艦ツツイラ号の至近に爆弾投下(ツツイラ号事件)
8月    晋冀魯豫辺区成立
8月1日  アメリカ、対日石油全面禁輸発動
8月9日  大本営陸軍部「帝国陸軍作戦要綱」決定、年内の対ソ戦断念の決定
8月15日  及川古志郎海相「出師準備第2着作業」の実施を発令、アジア太平洋戦争開戦の戦闘準備を始動させる
9月1日  大本営海軍部開戦準備の完成を目指し「昭和16年度帝国海軍戦時編制」の実施
9月6日  御前会議、10月下旬を目途に対米(英蘭)開戦準備を完成するという「帝国国策遂行要領」決定
10月16日 第2次近衛内閣総辞職
10月18日 東条英機内閣成立
11月1日  北支那方面軍、華北で「第3次治安強化運動」展開(12月25日まで)
11月5日  御前会議において「帝国国策遂行要領」決定、対英米蘭戦争開戦を12月初頭と定める
11月25日 アメリカからの対日回答「ハル・ノート」により日米交渉事実上終止符
12月8日  海軍機同部隊、航空部隊、陸軍部隊、マレー半島上陸、真珠湾攻撃、フィリピン攻撃を敢行、アジア太平洋戦争に突入
      日本政府、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリアに宣戦布告
アメリカ・イギリス政府、対日宣戦布告
12月9日 中国国民政府、日本及びドイツ・イタリアに対して宣戦布告
12月10日 日本海軍航空隊、マレー沖海戦でイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、リパルスを撃沈、英極東艦隊に勝利
日本軍グアム島占領
12月11日 ドイツ・イタリア、アメリカに宣戦布告
12月12日 東条内閣決定「(このたびの戦争は)大東亜新秩序建設を目的とする戦争であり」「支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」
12月22日 「満州国」政府、「戦時緊急政策要綱」発表


・1942年(昭和17)
1月1日  米・英・ソ・中の4国を筆頭に連合国26ヵ国がワシントンで「連合国共同宣言」に調印
1月22日  日本軍、ビルマに侵攻
2月15日  日本軍、シンガポール占領
3月8日  日本軍、ラングーン占領
3月    ジャワ島上陸、蘭印軍降伏
3月30日  北支那方面軍、華北で「第4次治安強化運動」展開(6月中旬まで)
4月18日  ドゥーリトル隊、東京・川崎・横浜・名古屋・神戸など日本の大都市を初空襲
4月30日  大本営、支那派遣軍に浙贛(せっかん)作戦を命令
4月    翼賛選挙
5月    珊瑚海海戦。翼賛政治会創立
5月上旬  日本軍、雲南省に侵攻
6月5日~7日 ミッドウェー海戦、日本連合艦隊の全面的敗北
9月    北支那方面軍、「北支那資源要覧」作成
10月8日  北支那方面軍、華北で「第5次治安強化運動」展開(12月10日まで)
11月1日  大東亜省設置(拓務省・興亜院・対満事務局・外務省東亜局・南洋局を吸収)
11月    米英軍北アフリカ上陸
12月    対華新政策決定
12月31日 大本営、ガダルカナル島撤退を決定


・1943年(昭和18)
1月9日  汪精衛政権、対米英に宣戦布告、「日華共同宣言」発表
2月1日  日本軍ガダルカナル島の撤退開始(2月7日撤退完了)、太平洋における戦局の主導権が米軍に移行
2月    スターリングラードドイツ軍降伏
4月18日  山本五十六連合艦隊司令長官、ソロモン諸島上空で米軍機に撃墜され戦死
5月    米軍アッツ島上陸
7月    イタリア、ムッソリーニ失脚。パドリオ内閣成立
9月8日   イタリア、連合国に無条件降伏 ドイツ軍ローマを占領
11月5日  大東亜会議、東京で開催(日本・満州・タイ・フィリピン・ビルマ・中国汪精衛政権の代表参加)
11月22日 ルーズベルト・チャーチル・蒋介石、カイロ会議開催、12月1日カイロ宣言発表
11月25日 中国江西省の飛行場を発進したアメリカ空軍機が台湾の新竹の飛行場と市街を爆撃
11月    軍需省設置。マキン・タラワ両島に米軍上陸
12月    学徒出陣。徴兵適齢1年引き下げ

・1944年(昭和19)
1月24日  大本営、1号作戦(大陸打通作戦)を命令 44年4月中旬~45年2月上旬まで、3期にわたり支那派遣軍約51万を動員
2月21日  東条英機首相(陸将兼任)、参謀総長を兼任、軍政両面で独裁体制確立。嶋田繁太郎海相も軍令部総長兼任
2月     朝鮮に徴兵制敷く。米軍マーシャル群島上陸
3月8日   インパール作戦開始(7月4日大本営作戦中止命令)
6月15日  アメリカ軍、マリアナ諸島のサイパン上陸(7月7日日本軍守備隊玉砕)
6月16日  四川省成都を発進した米軍B29が八幡製鉄所などを爆撃
6月     米英軍ノルマンジー上陸
7月18日  東条英機内閣総辞職
7月22日  小磯国昭(陸軍大将)内閣成立
7月29日  満州の鞍山製鉄所、米軍機B29の爆撃を受け、大きな被害
7月     中央公論・改造強制廃刊
8月5日   大本営政府連絡会議、最高戦争指導会議と改称
9月7日   雲南省西部の拉孟守備隊玉砕
10月    米軍レイテ島上陸。満18歳以上兵役編入
11月10日  汪精衛、名古屋帝国大学病院にて死去
11月24日  サイパン北のマリアナ基地から発進したB29約70機、東京を初空襲


・1945年(昭和20)
1月上旬~2月上旬  日本軍、南部粤漢打通作戦
2月11日  ルーズベルト・チャーチル・スターリンの米英ソ首脳により「ヤルタ密約協定」署名
2月     米軍硫黄島上陸
3月10日  334機のB29による東京大空襲
3月     大日本政治会創立
4月1日   米軍沖縄本島上陸
4月5日   小磯内閣総辞職
4月7日   鈴木貫太郎(海軍大将)内閣成立
4月12日  米大統領ルーズベルト急逝、トルーマン大統領就任
4月中旬~5月下旬 日本軍、芷江(しこう)作戦
4月18日  大本営陸軍部「対米情勢の推移を考慮し中北支の要城に兵力の終結」を命令
4月     サンフランシスコで国連創立総会
5月7日   ドイツ、連合国に無条件降伏
5月30日  大本営陸軍部、関東軍総司令官に対し「北朝鮮に於ける対ソ戦準備を実施すべし」と命令
6月     大本営陸軍部「支那派遣軍対米作戦計画大綱」策定
6月8日   御前会議、「今後採るべき戦争指導の基本要綱」決定、本土決戦方針を採択
6月23日  沖縄戦、日本軍の全滅により終結
7月5日   関東軍、最終の「対ソ作戦計画」決定、関東軍総司令部を朝鮮国境近くの通化に移動、「満州国」首脳や政府機関を臨江地帯に移転
7月17日  トルーマン・チャーチル・スターリンによるポツダム会談始まる(8月2日まで)
7月26日  ポツダム宣言発表(日本に無条件降伏要求)
7月28日  鈴木貫太郎首相、ポツダム宣言を黙殺し、戦争継続を表明
8月5日   米中軍、北ビルマのミイトキーナ攻略
8月6日   広島に原子爆弾投下される
8月8日   ソ連、対日宣戦布告、満州への進撃開始
8月9日   長崎に原子爆弾投下される
      毛沢東、「日本侵略者に対する最後の一戦」の声明発表
      中国共産党中央・八路軍延安総司令部のもと、日本軍に対する大反攻開始
8月14日  御前会議、ポツダム宣言受諾を決定 日本、連合国に無条件降伏
8月15日  昭和天皇の「玉音放送」(戦争終結の詔書)
8月28日  混合国総司令部(GHQ)、横浜に設置、9月15日東京日比谷の第1生命ビルに移転
8月30日  連合国最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着
8月     東久邇(ひがしくに)内閣成立
9月2日   東京湾に停泊するミズーリ―号艦上で日本の連合国に対する降伏文書調印
9月9日   南京の中央軍官学校講堂で支那派遣軍の国民政府軍に対する降伏文書調印
10月25日  台北にて安東利吉台湾総督、陳儀台湾行政長官に対して降伏文書署名
10月    幣原内閣成立(10月)。
10月~12月 占領軍、財閥解体・農地改革等民主化を指令


・1946年(昭和21)
1月  天皇神格を否定、軍国主義者の追放始まる
3月  チャーチル「鉄のカーテン」演説
4月  婦人参政権による最初の総選挙
5月  メーデー復活。東京裁判開廷。食糧メーデー。吉田内閣成立
10月  第2次農地改革
11月 日本国憲法公布


・1947年(昭和22)
1月  全官公庁共闘2・1ゼネストを決定。マッカーサー、スト中止を指令
3月  トルーマン・ドクトリン声明。全労連結成
4月  国府郡、中共攻撃を開始。6・3・3・4制教育実施。総選挙で社会党第1党
5月  新憲法施行。片山内閣成立
6月  米マーシャル・プラン声明
8月  インド独立宣言
9月  中国人民戦線反攻宣言
10月  コミンフォルム結成



・1948年(昭和23)
3月  芦田内閣成立
6月  コミンフォルム、ユーゴ批判
7月  政令201号公布。大韓民国成立
9月  朝鮮民主主義共和国成立
10月  昭和電工事件。第2次吉田内閣成立
11月  東京裁判判決
12月  経済安定9原則指令

・1949年(昭和24)
1月  総選挙、民自党過半数、共産党進出
3月  ドッジ・ライン指令
4月  団体等規制令公布。北大西洋条約調印
7月  下山事件、三鷹事件
8月  松川事件。シャウブ税制改革勧告案発表
9月  米、ソ連の原爆保持発表
10月  中華人民共和国成立


・1950年(昭和25)
1月  コミンフォルム日本共産党を批判
2月  中ソ友好同盟条約調印
3月  原爆禁止のストックホルム・アピール発表
6月  共産党中央委員追放。朝鮮戦争起こる
7月  警察予備隊設置指令。総評結成。レッドパージ始まる
10月  追放解除始まる

・1951年(昭和26)
3月  総評、平和4原則採択
4月  マッカーサー解任
7月  朝鮮休戦会談始まる
9月  対日講和条約、日米安全保障条約調印
10月  社会党左右両派に分裂

・1952年(昭和27)
2月  日米行政協定調印
4月  講和条約発効
5月  メーデー流血事件
7月  破壊活動防止法施行
10月  総選挙で自由党過半数
11月  米大統領にアイゼンハワー当選。米、水爆実験成功。電産、炭労スト激化



・1953年(昭和28)
1月  ダレス米国務長官巻き返し声明
3月  スターリン没
4月  日米通商航海条約調印。総選挙で左社進出
6月  内灘問題激化
7月  朝鮮休戦協定調印
8月  ソ連、水爆保有声明

・1954年(昭和29)
3月  日米MSA協定調印。ビキニ水爆実験で日本の漁船延800隻以上が被曝
4月  ジュネーブ会議始まる
6月  周・ネルー平和5原則声明
7月  防衛庁・自衛隊発足。インドシナ休戦協定調印
8月  原水爆禁止協議会結成
11月  日本民主党結成
12月  鳩山内閣成立

・1955年(昭和30)
2月  総選挙、民主党多数
4月  アジア・アフリカ会議開かる
6月  日ソ交渉始まる
7月  ジュネーブで英米仏ソ首脳会議
8月  広島で原水爆禁止世界大会
9月  砂川基地問題激化
10月  社会党両派統一
11月  保守合同、自由民主党結成

・1956年(昭和31)
4月  選挙区法案で衆議院混乱
7月  エジプト、スエズ運河国有化宣言
10月  砂川で衝突、測量中止。日ソ共同宣言、通商議定書調印。ハンガリー動乱。英仏軍スエズ侵入
12月  日本国連加盟。石橋内閣成立。英仏軍スエズ撤退

・1957年(昭和32)
2月  岸内閣成立
8月  憲法調査会発足。日米安保委発足。ソ連ICBMの実験に成功
9月  日教組勤評反対闘争を開始
10月  日本国連安保非常任理事国に当選。ソ連最初の人工衛星打ち上げに成功
11月  沖縄新布令で瀬長那覇市長解任

・1958年(昭和33)
2月  エジプト、シリア統一、アラブ連合を結成
5月  日中貿易断絶。総選挙、自民党多数、社会党3分の1
6月  フランス、ドゴール内閣成立
7月  イラク革命、共和制を宣言。米英軍レバノン、ヨルダン進駐
9月  米軍金門島への輸送に出動
10月  警職法改正案、全国的反対運動で廃案




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