2017年11月22日水曜日

細菌戦の系譜!!


731部隊について


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし

最も多い11人の技師が確認された京都大学です。公文書を保存する文書館が取材に応じました。



文書館の担当者
 文部省と京都大学の間の往復文書を年ごとに閉じていると、そういった資料ですね。

ナレーション
 その中から731部隊と大学の金銭のやり取りを示す証拠が初めて見つかりました。
 細菌研究の報酬として現在の金額で500万円に近い金額が研究者個人に支払われていたのです。

 受け取っていたのは医学部助教授だった田部井和(たべい・かなう)です。致死率の高いチフス菌の研究をしていた田部井。








※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

戸田正三

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。


※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


波8604部隊

* 馮慶章 当時難民収容所で数年過した
1942年の春と夏は、香港が陥落したあと、難民が大勢、船で次々と収容所に運ばれてきました。
3000人から4000人ぐらいいました。・・・・
地元の難民とは別々にされました。・・・・
日本人は難民に強制的に予防注射を打ちましたが、
打たれたあと、高い熱を出し、痙攣を起こし・・・・何日も起きられませんでした。
この時はもう死体を溶かす池が2つできていて、
死んだ人やもうすぐ死にそうな人はみんなこの池に放り込まれました。
池は深さ4mぐらいで、正方形でした。コンクリ-トで、・・・・
死体が一杯になると薬の水を入れて蓋をしました。
10日から15日たって蓋を開けたとき、夜のことが多かったのですが、ものすごい臭いがしました。



・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。



日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)


『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第三章

 浜松一中は創立以来四〇有余年,浜松市内でもっとも伝統が古く,「自主独立・自主自律」という,誇り高い校風で知られていた。上級学校に進学する生徒も多く,難関で知られる名門校などにも毎年多数の合格者を輩出し,一中の生徒たちは英才の誉れも高かった。
昭和一一年五月十日の日曜日,浜松一中では恒例の陸上大運動会が行われた。運動会の数日前からは,まるで初夏を思わせるような蒸し暑い日が続いていた。運動会の当日も,抜けるような青空に晴れ上がり,生徒たちは汗でぐっしょりと濡れた体を厭わず,組対抗のリレーや,五千メートル走,騎馬戦など,さまざまな競技に体ごとぶつかっていった。やがて弁当の時間も過ぎ,午後には全校生徒が「武田信玄」軍と「徳川家康」軍に分かれて,三方ヶ原の一戦を模した競技が行われた。新聞紙を硬く丸めた剣を手に持ち,頭や肩には叩かれると紙吹雪を散らす袋がつけられた生徒たちは,歓声を上げながら,敵軍に向かって走っていった。


小島三郎について(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)

メリットと業績

ところが浜松事件の翌年、1937年の第11回には合わせて10本の論文が発表されている。 そのうち6本は、石井四郎とその部下である江口豊潔、白川初太郎、内藤良一、佐藤俊二、井上隆朝、それに勝矢俊一らの共同研究である。これは北野が「防疫秘話」に書いているように、 防研が中心となって浜松の食中毒の解明にあたったのだから当然の結果であった。ただ、当初陸軍での原因究明の中心だった北野と西による報告がないことに気付く。北野は満州医大の教授に出、また西も研修を終わり第一線部隊に戻つていた。その後、西は1943年に石井部隊の孫呉支部長に就任し、翌年、同部隊の教育部長となり、敗戦後ハバロフスクでソ連の裁判を受けることとなる。




※日本は、731部隊での研究を白日の下にさラすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※まことに素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。




・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。



鉱毒説にいきつく

彼の発表に対し周囲の反応は冷たかった。神通川の水質検査で問題がなかったことから、何の根拠もない仮説として学会で非難された。また鉱毒が亜鉛、鉛、砒素であったとしても、それらの重金属の慢性中毒症状はすでに知られており、それらがイタイイタイ病を引き起こすとは考えられないとされた。この科学的裏付けのない萩野の鉱毒説は医学界から完全に無視されてしまった。ある学者は、神通川に鉱毒があるという証拠がないこと、イタイイタイ病患者に鉱毒が含まれているかどうか確認されていないこと、鉱毒がイタイイタイ病を引き起こす証拠がないこと、これらを挙げ、萩野の鉱毒説は何の根拠もない俗説であると学会誌で反論した。


御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!この人は細菌戦にどのように関わったのだろう??
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)




・細菌戦被害地(中国)の旅



●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

11月20日の石井が、アメリカ人、通訳を入れて6名ですね。日本人側は、石井ともう一人Mと称している、書かれている人等が、招聘してですね、そこで会っているという、これが、非常に今まで分からなかったこと、新事実ですね。

石井四郎の戦後





ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永


※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!



第6章 原子力時代の「受忍」

原子力とともに

「受忍」論の追認

ところで、御園生の恩師である中泉正德がABCCの準所長として活動したのは、1956年から1964年にかけてのことだった。中泉を知るシーモア・ ジャブロンは、1991年に次のように回想している。
「日本人放射線科医の長老であった中泉正徳氏は、ABCCと日本の放射線学界との関係を円滑にすることができた。」(放射線影響研究所公式ウェブサイト内)

※宮川は731で放射能を扱っていたから、米軍に不問に付されたのか??

ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2)




宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。




御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

==== 広島大学医学部 ====
長崎大と比べて、広島大には731部隊の主だった関係者は在籍していなかったようだ。
しかし放影研、重松逸造との関係は深い。
まずは原子力安全委員会委員の久住静代(放射線影響学)。20ミリシーベルト提案者である。彼女は重松の教え子であり、放影研、広島大学原爆放射能医科学研究所(原医研)で働いている。
次に神谷研二教授。原医研所長であり、福島県立医科大学副学長に就任した。
この人も重松の弟子であり、長瀧重信とも仕事をしている。
原医研では2006年に放射性ヨウ素131のずさんな取り扱いが内部告発で明らかになり、文科省による立ち入り調査を受けた。
しかし研究総括責任者の神谷は政治力を駆使、「訓告」だけですんだ。
ほかにも原医研では不祥事が多く、1969年に患者に他人のがん細胞を注射し、体内で生成された抗体をまた元のがん患者に注射するという731顔負けの人体実験が発覚、担当助教授は辞任した。
また2005年、腫瘍外科研究分野の教授が医師派遣に絡む受託収賄容疑で逮捕された。

子宮頸がんワクチン接種後の症状


政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。




被曝をめぐる御用学者の系譜



●原爆を投下された責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)

「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)

八王子平和・原爆資料館


昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??

1975年昭和天皇記者会見




●原水爆禁止!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染






ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!


為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!!
1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!!
1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!!
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック!!
※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!!

原子力に悩む大国 アメリカ




●日本の科学者の核兵器への執念の系譜

日本の物理学者は、日本の原爆開発を反省していない!!明かに原爆・水爆を作りたがっている!!
戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後は、アメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!



仁科芳雄は軍国主義者で、物理学者の間では天皇だった!!

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ


◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直


 ヒロシマ・ナガサキの経験は、一般の予想に反し、この国の支配層、とりわけ核物理学者たちの脳裏に、反核・平和の志向を植え付けなかった。むしろ彼らの原子力開発への意欲をかき立てた。そしてそのかき立てられた原子力開発への意欲が、やがて1954年3月2日の、中曽根康弘による原子力予算23,500万円の緊急提案をきっかけに噴出した。それが今日にいたる、この国の旺盛な、平和利用に名を借りた原子力開発=原子力発電所設置へとつながったのである。
 だからこの国の原子力開発の裏には、戦前以来の核兵器開発の伝統が息づいている。「ヒロシマ・ナガサキへのリベンジ」 の思いが横たわっている。
 そしてそれが今回のフクシマの事故につながったのではないかと、私は予想する。 その予想を裏付けるために本稿は書かれる。


※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!

何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!



湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●核・生物化学兵器廃絶!!
「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え

●世界の流れ、脱原発!!

・脱原発1(省エネを心掛ける!!)


日本は韓国を見習おう!!
「脱原発」掲げる韓国・文政権、2基の建設工事を中断
自然エネルギーを活用しよう!!


・リニア新幹線反対!!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

慎重論派の指摘内容

否定しようのない環境への影響

2012年に開通した「圏央道高尾山トンネル」の場合も、高尾山を貫通するトンネルが稲荷祠の湧水や妙音谷湧水など、常時湧いていた水を枯渇させました。国土交通省がトンネルの工事期間中だけ、湧水量や地下水の水位を観測坑でチェックしていたそうですが、工事終了と同時に観測坑を埋めて調査を終了させてしまったとか。長期的な環境変化に興味がないのだとしたら、赤サンゴを根こそぎ採っていった某国の密漁者と似たようなものかもしれません。




●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!

戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す
きちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!


天皇制を考えよう!!
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり

象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!


池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1


・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!!
戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!!
戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!!


●医療問題
731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
【座間殺人事件】白石隆浩は臓器売買・臓器提供グループの一員だった!!?関係者が衝撃告発・

医療ミスで1.4億円賠償 男児に後遺症


世の中まじめに働くを心を病んでしまう??
精神科以外の病院、利益率悪化 人件費の増加響く


●自衛隊
花見中、二十数回にわたり殴打 「酒断られ、腹立った」 陸曹長停職 仙台駐屯地

サリン事件と自衛隊の関係は??






5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
大宮駐屯地5月28日


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?

相模海軍工廠(日本海軍の毒ガス工場)



・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


自衛隊と日航機墜落事故の関係は??


●憲法9条を守れ!!
大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条


“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!















2017年11月21日火曜日

細菌戦の系譜!!

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※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国
●八王子平和・原爆資料館
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●マレーシアの旅
●不二越強制連行問題!!
●院内集会『中国人強制問題』
●「福島の今」
●なぜ、家族が接見できない??森友問題!!




●お知らせ

11.15 不二越集会
強制連行問題:不二越東京本社行動 2017年11月15日


12月の催し!!

赤い夕日

脱原発!!タンポポ舎

遺伝子組み換え食品、肉食を考える!!

語らずに死ねるか!

院内集会『中国人強制問題』

南京大虐殺80ヵ年

重慶大爆撃




「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」






10月15日の「三多摩平和交流会」
第4回三多摩平和交流会(展示の部、舞台の部(一部)


八王子平和・原爆資料館
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え


●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理

自衛隊と日航機墜落事故の関係は??

加計問題!!証拠を隠すな!!

サリン事件と自衛隊の関係は??

次回の裁判で外務省には身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷

自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??今日まで空自ヘリの乗員はまだ見つかっていない!!
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??


11日の『化学学校記事』情報公開裁判では、防衛省の情報公開に対する姿勢が全く消極的だ!!
なぜ、今まで保存していたものまでが、明らかにその存在を認めない!!きちんとした文書管理が全くできていない!!
森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??

民間人は裁判に自腹を切って参加するが、被告国側は、全て税金で処理されるのか??

国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!






・次回情報公開裁判(「衛生学校記事」)第16回 12月21日(木)15:00~東京地裁419号法廷

・次回情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年1月17日(水)11:00~東京地裁522号法廷


●憲法9条を世界へ普及させよう!!
憲法9条を生かそう!!
過去の悲惨な戦争へと突っ込んだ事を忘れ、再び軍事強国を目指すのか??
文大統領「韓米日連携が同盟になること望ましくない」 日本に警戒感も
9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛たの為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??

米空母3隻が日本海で演習開始、海自と共同訓練へ

陸自隊員、訓練中に自殺か 大分・日出生台の演習場
自衛隊「訓練」中の死亡事故が多発――10年で69人、「人命軽視」か
事故原因、何を搭載されていたかも説明されずになぜ飛行再開なのだ??
米軍ヘリ飛行再開 防衛省が「追認」

軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●「天皇制」を考える

●ニュース
森友問題、8億円値引き「根拠不十分」…検査院

米兵飲酒事故「もう勘弁して」 知事、表情険しく 在沖縄米軍トップに抗議

立民「安保法 許されない」 希望「首相改憲案 違和感」

森永卓郎:石油価格急騰の理不尽な理由とサウジ発の中東不安


金子勝:ようやく安倍首相が行った所信表明演説と国会の形骸化


日本も戦時中の記録をどんどん公開すべきだ!!日本が隠しているからおかしくなる!!情報公開!!
【世界の記憶】「南京」文書の開示促す ユネスコ演説で林芳正文科相、改革は歓迎


文在寅政権 慰安婦記念日まで制定、合意白紙宣言の可能性も

【森友学園問題】会計検査院が「6億円値引きは過大」と指摘


慰安婦報道訴訟、朝日新聞社の勝訴が確定 最高裁

再処理工場の審査中断 トラブル続出、保安規定違反認定

群馬大教授、論文データ改竄 著書では大学批判 「信用を失墜」解雇


アメリカ・日本もきちんと廃棄せよ!!
化学兵器の廃棄完了=義務不履行と対米批判―ロシア

何故だ??
<シリア調査団>化学兵器の特定不可能に 露が拒否権

ロシアが化学兵器を全廃「歴史的な出来事」

核兵器禁止条約に参加しない日本に被爆者の怒り「どこの国の総理ですか?」〈AERA〉



戦争になれば、勝敗は無く、地球が破壊され、人類は滅びる!!日本の果たす役割は??
核保有国の一覧

(全録)北朝鮮訪問 アントニオ猪木議員が会見


もっとさかのぼると
朝鮮国女の墓
韓国国女のお墓


朝鮮人BC級戦犯裁判1


●加計問題!!

●靖国問題!!
・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!)
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴




●侵略戦争!!
昭和史略年表
・1927年(昭和2)
3月24日  国民革命軍の南京占領に伴い南京事件発生
3月    金融恐慌始まる
4月12日 蒋介石、共産党粛清開始(4・12反共クーデター)、第1次国共合作崩壊
4月   田中義一内閣成立
5月28日  (田中義一内閣)第1次山東出兵
5月31日  日本に対支非干渉同盟結成
6月    立憲民政党結成。東方会議開かる
7月    武漢政府で国共分裂。27年テーゼ作成
8月1日   共産党軍、南昌で武装蜂起

重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。
本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!


昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。




強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

次回の裁判で外務省に身元保証人に関する内規がきちんとあるのかが問われる!!
・次回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟 12月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷



当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?



●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター

感想
・情報がとても充実していたので、全て見切れなかったのがとても残念です。また開催される時に見に来ます。今後も頑張ってください。30代女性


●731の実態
特に目についたのは高い煙突です。篠塚さんの見た煙突はロ号棟の北西側にあった、その下につながれているのは、実験者の遺体を燃やす焼却炉だった。1945年8月、731部隊が撤退したとき、徹底的に破壊された。その後ろには、動物の遺体を燃やす焼却炉と日本人の遺体を燃やす専用焼却炉が並んでいた。少年隊員の日常は間もなく、様々な授業に占められた。基礎的授業以外に防疫給水や消毒殺菌、人体構造、細菌学の授業もあった。

731 (2)



第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
李厚彬特移扱資料6



●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。4


謝恩と巡礼訪中報告会

謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)



731部隊の展示会(中国)

特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

5、いまどんな議論が必要か

■今後の検証で重要なこと

 ―今後さらに検証を進めるうえで重要なことはなんでしょうか。

 国政、日本学術会議、日本医師会、日本医学会で検証を行うという意思決定がなされていない状況を考慮しなければなりません。これまでは「戦争と医の倫理」の検証を進める会などは、4年に1回開催される日本医学会総会での意思決定を期待して主に日本医師会や日本医学会に働きかけてきましたが、今後はどうするかということが問われているように思います。この間の検証で、個々の専門医学会や大学医学部、医科大学が自省すべき史実も明らかとなっていますが、その気配が見られないところにどのように働きかければ自省が進むのかの議論です。具体的には、戦中の医学部教授会の議事録の開示、不正・非人道性が疑われる論文を学会誌に掲載した当該学会(日本病理学会、日本感染症学会など)における検証、不正・非人道性が疑われる学位授与論文が受理されている大学(京都大学、東京大学、新潟大学など)における当該学位授与の検証、九州大学医学部「生体解剖」事件に関する九州大学における検証、731部隊や戦中の学術に関する学術会議における検証などです。

以上(月刊『前衛』より)



●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──いま福澤を知る意味はなんでしょうか。

 日本がなぜこうなってしまったのか。まずそれを考えるには、その大本の思想をつくりだし、日本人を洗脳した福澤を正しく理解することが必要です。そのうえで真の日本のあるべき姿を議論できると考えています。

(構成 桐島 瞬)

※週刊朝日  2017年1月27日号


●戦争に反対した人々 
幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。

経歴
1909年(明治42年)、『自由思想』発刊、即日発禁。
1910年(明治43年)6月、幸徳事件(大逆事件)において逮捕。秋水は湯河原の「天野屋」に小泉策太郎に勧められて来ており、愛人の管野須賀子の湯治を兼ねて宿泊中であった。
獄中で、歴史的存在としてのイエス・キリストを否定する『基督抹殺論』を脱稿。イエス・キリストを天皇のメタファーとして、天皇を排する主張をしたとも言われる。内容は神智学協会のアニー・ベサントのキリスト教論に合致する部分が大きく、ベサントの影響が指摘されている。これが遺稿となった。

幸徳秋水

「幸徳秋水」の展示(四万十市)田中全元四万十市長の解説



●南京大虐殺80ヵ年!!
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!

戦争の反省の無い頭!!

26、南京大虐殺に関する記述
・三笠宮
1915年生まれの崇仁親王は、陸軍士官学校に進み、軍人となり、日中戦争時の1943年1月から1年間、「若杉参謀」の名で参謀として中国・南京に派遣された。このとき崇仁親王は「支那派遣軍総司令部」で「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書き、日本の侵略主義を批判したのだが、その文書が発見された1994年には、月刊誌のインタビューで“南京大虐殺はなかった”という論についてどう思うか聞かれ、次のように述べている。
「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)
また、1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。
〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいつかない結果を招いてしまった〉
〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである〉


・南京大虐殺


●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年

第3章  現実世界に向きあう

 皇太子の知識、勤勉、学業についての小笠原の評価は、彼を直接知るほとんどすべての人間のそれと一致している。問題は小笠原が言う「猶ほ」と「同時に」であった。小笠原が皇太子は口演に優れ、「尚武の精神」を備えていると断言していないように取れるとすれば、(歴史学者田中宏巳が指摘するように)それは御学問所への批判に配慮してのことである。成年式の直前の3月末、『時事新聞』は、過保護で閉鎖的な御学問所という社会のせいで、皇太子はほとんど人前で話すことができず、軍人精神にも欠けていると報じたのである。元老山県と首相原敬の腹心である子爵三浦梧楼〔三浦は皇太子教育問題では山県と一致したが、もともとは反山県の立場である〕も、御学問所の現実離れした教育方針の改革を主張した。小笠原もほかの教師たちも、皇太子が内気で、会話に熱心でなく話しべたなことをよく知っていた。事実、のちに彼の侍従武官になる奈良武次は、皇太子の成長についての小笠原のこの公式発言のあと、5月8日の成年式に続いて行われた晩餐会での沈黙についてこう記している。・・・・


※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!
※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)




寧波(ニンポー)細菌戦


麗水細菌戦



日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



70年間の沈黙を破って

ドイツ精神医学精神療法神経学会の2010年総会における謝罪声明
ナチ時代の精神医学―回想と責任
ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の2010年11月26日
ベルリンにおける追悼式典の談話

DGPPN会長  フランク・シュナイダー
訳:岩井一正

国家社会主義の時代に精神医学でなされたこれらすべての不正に対しては、確かに抵抗が存在したし、サポタージュもありました。医者の50%以上は国家社会主義的組織、NSDAP、SA、ないしはSSの会員でした。しかし逆に見れば、医者の半数は会員ではなかったことになります。すなわち制裁をこうむることなく利用できる行動の余地はあったのです。抵抗は必ずしも否定的な個人的結束を迎えたわけではなかったのです。

 抵抗を行使した者もいました。しかし総じてそれは少数、あまりに少数でした。とりわけ開業医の中にそのような者が存在しました。彼らは1934年から1939年の間、該当する公務医と保健局に、遺伝疾患の可能性の存在を一例も報告しなかったのです。その理由は、大病院でないところでは、患者との接触がよりダイレクトであり、より直接だったことにあったのかもしれません。このことは、今日われわれに対する警告でもあります。われわれの日常において、われわれが世話し付き添う患者たちを見失ってはいけないのです。われわれの医師としての仕事の基本方針は、彼らだけであって、社会のイデオロギーではありません。ただただ1人1人の人間なのです。














細菌戦の系譜!!


731部隊について


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし

ナレーション
載っているのは731部隊に集められた医学者たちの出身大学と名前です。こうした人々は技師と呼ばれ軍の所属となっていました。
ナレーション
私たちはこの資料だけでなく、現存する部隊名簿や論文などから技師の経歴を洗い出し、確認していきました。
その結果明らかになった内訳です。
最も多くの研究者を出していたのは京都大学。ついで東京大学。

【東北帝国大学1名、東京帝国大学6名、慶應義塾大学2名、北里研究所1名、京都帝国大学11名、京都府立医科大学1名、京城帝国大学2名、満州医科大学3名、その他の満州の研究所12名】
少なくとも10の大学や研究機関から合わせて40人の研究者が731部隊に集められました。
技師となった医学者たちは軍医と並ぶ将校クラスと位置づけられ731部隊の中枢にいました。


エリート医学者が部隊の研究を指導していたのです。なぜこれほど多くの医学者が731部隊にかかわることになったか。取材を進めるうちに、部隊と大学の知らぜらる関係が浮かび上がってきました。






※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

戸田正三

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。


※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


波8604部隊

* 馮慶章 当時難民収容所で数年過した
・・・・広州が陥落してまもなく、かいらい省政府は広東省救援委員会南石頭難民収容所を作りました。
所長は劉念端でした・・・・
難民収容所は・・・条件が非常に悪く、1人1日に味付けガユが20ccしかなかった。・・・・
そのころ収容所で流行ったざれ歌にこういうのがありました。
「カゴの鳥は高くは飛べない。
味付けガユを食わなきゃ空きっ腹、
食えば食ったで腹痛み、病気になっても薬はない、
死んだら最後、骨まで溶かす池に放り込まれる」
一ぺんに何百人も死にました。
かいらい政府が派遣した人が収容所の外の無縁墓地に運んで、いい加減に埋めます。
毎日のように2~30人死にました。少ない日でも6~8人は死にました。・・・




・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。



日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第二章

浜松衛戍病院の安倍病院長が,三好野の豆大福が原因ではないかと考えていた頃,食中毒症状を示していた岩下大佐の家族たちは,すっかりと恢復していた。また,営外居住している下士官や将校の中にも,三好野の豆大福を買い求めていた者は無く,安倍病院長は「単なる食あたり」であったのかという疑問をぬぐえなかった。
翌日の九日は土曜日であった。地方(軍隊以外の世間)では半ドンと称して,学校も官庁も午後からは休日であった。軍隊でも土曜日は演習などは行わず,内務の整理や員数の検査など,軽い作業だけが行われていた。十日の日曜日は,兵士にとっては待望の外出日である。一月に入営した初年兵も,四月には師団長の第一期検閲が終了し,自由に外出が許されるようになっていた。軍隊の衛戍地から浜松の繁華街までは二里ほどの距離にあったが,兵士たちはバスや軽便鉄道を利用して,三々五々,映画館や食堂に出かけていった。なかでも三好野は,酒も給されるために兵士に人気の店であり,何人かがまとまって来店する姿が見られた。


小島三郎について(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)

メリットと業績

『日本細菌学会雑誌』32巻6号、1977年には「日本細菌学会(時によりこの名称とは異なる)」
の第1回(1927年)から第20回(1947年)までの講演の一覧がある。 それによるとゲルトネル菌とかサルモネラという言葉が登場するのは第9回(1935年)が最初である。この年は、ゲルトネル菌についての報告とサルモネラについての報告がそれぞれ1本ず行われている。翌年の第10回の学会では陸軍の西による鳥取での食中毒についての報告「ゲルトネル氏腸炎菌に依る食中毒」1本だけである。




※日本は、731部隊での研究を白日の下にさラすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※まことに素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。




・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。



鉱毒説にいきつく

昭和32年12月1日、第12回富山県医学会が開催され、萩野は初めてイタイイタイ病の原因として鉱毒説を発表した。昭和21年以来、93例の患者のほとんどがタンパク尿を呈していること。その原因として神通川の水に含まれる亜鉛、鉛、砒素などの鉱毒が体内のホルモンを乱し、二次的にビタミンD不足をきたしイタイイタイ病を引き起こすこと。また患者の発生地が神通川流域の婦中町付近に限られるのは、特有の地形によりイタイイタイ病患者が神通川の水を多く摂取しているせいだと説明した。つまりイタイイタイ病の原因は神通川の水に含まれる鉱毒と発表したのだった。萩野は名前を出さなかったが、聴衆はそれを神岡鉱業所が排出している鉱毒を意味すると理解していた。神岡鉱業所は日本の大財閥である三井が経営する鉱山である。萩野の発言は大財閥三井への挑戦と受け止められた。



御用学者は、民衆の立場に付かず、国・大企業の側に立つ!!この人は細菌戦にどのように関わったのだろう??
細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)



・細菌戦被害地(中国)の旅



●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

11月20日の石井が、アメリカ人、通訳を入れて6名ですね。日本人側は、石井ともう一人Mと称している、書かれている人等が、招聘してですね、そこで会っているという、これが、非常に今まで分からなかったこと、新事実ですね。

石井四郎の戦後





ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永


※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!



第6章 原子力時代の「受忍」

原子力とともに

「受忍」論の追認

御園生(みそのう)は、放射線医学総合研究所所長5年目の1971年11月10日、衆議院科学技術振興対策特別委貝会で、国立予防衛生研究所の柳沢謙(陸軍軍医学校防疫研究所元囑託)所長とともに、広島県選出の大原亨議員(日本社会党)のABCCの調査研究活動に関する質問に次のように答弁している。

大原:ABCCの調査研究活動の中で、たとえば広島、長崎の市民だけではなしに、全国的にいろいろな問題が提起されました。市民がモルモットになっておるのではないか、あるいは米国の原子力戦争のいわゆる軍事利用の側面をになっておるのではないか......

柳沢:ABCCと予研とのこの研究は、先ほどモルモットがわりとかとおっしゃいましたけれビも、東西古今、これ以後あってはならない実験でー実験といえば実験で、落とされたわけですから、ありますので、これはしっかりとひとつやってやってくれ。そしてまた、発表された研究については非常に高く各国が評価しているということも、私はいろいろな外人から聞いておる次第であります。

大原:私は放医研の所長にお伺いしたいのは、いまお話があリましたABCCの今日までの研究の結果についての評価ですね、これについて放医研はどのような評価をされているか、お考えを持たれるか、端的にお伺いしたい。

御園生:ABCCがいままでなさいました研究調査結果というものは、これはもちろん原爆被爆者の医療という点で非常に有効な役割りを果たしておリますけれども、それ以外に原子力の平和利用という上から考えまして、人間についての貴重なデータという意味から申しまして、われわれのやっておりますいろんな研究あるいはその他の研究所や大学で行なっております研究を人間について評価しようとする場合には、このABCCの従来の研究調査結果というものは非常に大きな役割りを持っておりまして、そういう意味でわれわれはABCCの業績を非常に高く評価しております。

柳沢の狼狽と御園生の柳沢への配慮の意図が窺える。

※宮川は731で放射能を扱っていたから、米軍に不問に付されたのか??

ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2)




宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。




御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

==== 重松逸造 ====
重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。
しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。
福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。
斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。
その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ731出身者の巣窟であった。
重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。
米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の
日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
ABCCはデータを取るだけで全く治療をしてくれない、と原爆被爆者の激しい非難を浴びた。
そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。
そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。
重松、長瀧とも1960年前後にハーバード大学に留学している。
当時は、特別なコネでもなければ海外渡航はできなかった時代である。
奨学金をもらい留学"させてもらった"のかもしれない。要するに米国(IAEA)のヒモつきだ。
恩義があるから米国の言いなりであり、原爆の被害を過小評価するのは当然のことであろう。
(アメとムチは米国のお家芸であり、安倍首相の祖父・岸信介はA級戦犯だったが、無罪放免と引き換えに米国の走狗となった)
重松は水俣病、イタイイタイ病、スモン病など多くの公害、薬害事件において、事実を隠蔽・改ざんし、常に政府・企業側に有利な報告をでっち上げている。
また長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査をし、住民に健康被害はないとのトンデモ報告書をまとめ、全世界から非難を浴びた。(このときの後援者がIAEAと結託した笹川財団である)
重松はIAEA、ICRP、WHOの委員も務めている。
彼は筋金入りの御用である。困ったことに弟子も多い。
2年前に彼が亡くなったときには、あちこちで歓声が上がったという。むべなるかなである。


子宮頸がんワクチン接種後の症状


政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。




被曝をめぐる御用学者の系譜



●原爆を投下された責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)

「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)

八王子平和・原爆資料館


昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??

1975年昭和天皇記者会見




●原水爆禁止!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染





ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!


為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!!
1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!!
1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!!
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック!!
※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!!

原子力に悩む大国 アメリカ




●日本の科学者の核兵器への執念の系譜

日本の物理学者は、日本の原爆開発を反省していない!!明かに原爆・水爆を作りたがっている!!
戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後は、アメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!



仁科芳雄は軍国主義者で、物理学者の間では天皇だった!!

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ


◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直


■註
★1—玉木英彦宛書簡(1945年8月7日)中根良平・仁科雄一郎・
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仁科浩二郎・矢崎裕二・江沢洋編 『仁科芳雄往復書簡集』 III、みすず書房、2007年、1142頁。
★2—仁科は1942年6月には海軍技術研究所(中佐伊藤庸二)から、1943年7月には陸軍航空本部から依頼を受けて、 核兵器開発に取り組んでいる。 そして後者の依頼をきっかけに始まったのが 「ニ」 号研究であった。
★3—菊池正士宛書簡(1941年10月4日)『仁科芳雄往復書簡集』II、1033頁。
★4—『仁科芳雄往復書簡集』III、1240頁。
★5—D.マッカーサー宛書簡(1945年12月12日)『仁科芳雄往復書簡集』III、1195頁。
★6—朝永は「仁科先生」と題した小文で「先生の見透しは時にはあまりに遠大すぎたこともある。特にわが国情においては、今少し近小の見透しであった方が実効があったと思われることもあった。 小さいサイクロトロンが出来たなら、 これをつかって小さいながらいろいろ有益な研究をすることもできただろうに、先生はそういう小成に安んずることを好まれない。…いつもさきへさきへと急がれる。」(玉木英彦・江沢洋編『仁科芳雄』みすず書房、1991年、4~5頁)と書いている。
★7—『仁科芳雄往復書簡集』III、1343~1344頁。
★8—吉川秀夫『科学は国境を越えて』三田出版会、1987年、134頁。★9—『仁科芳雄往復書簡集』III、1302頁。
★10—「原子力と平和」『仁科芳雄遺稿集 原子力と私』学風書院、1950年、104~105頁。
★11—同 前、102頁。
★12—『仁科芳雄往復書簡集』II、1450頁。
★13—日本学術会議編『日本学術会議25年史』1977年、15頁。★14—玉木英彦「科学研究所と仁科先生」朝永振一郎・玉木英彦編『仁科芳雄—伝記と回想』みすず書房、1952年、95頁。
★15—中曽根康弘『天地有情—五十年の戦後政治を語る』文芸春秋、1996年、167頁。
★16—『天地有情—五十年の戦後政治を語る』168~171頁。
★17—同 前、186頁。
★18—伏見康治『時代の証言』同文書院、1994年、271頁。
★19—門上登志夫『実録関西原子炉物語』日本輿論社、1964年。
★20—熊取町教育委員会『「京都大学研究用原子炉」の誕生』(熊取町史紀要第4号) 1996年、 17頁。

※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!

何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!



湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●核・生物化学兵器廃絶!!
「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え

●世界の流れ、脱原発!!

・脱原発6(省エネを心掛ける!!)


日本は韓国を見習おう!!
「脱原発」掲げる韓国・文政権、2基の建設工事を中断
自然エネルギーを活用しよう!!


・リニア新幹線反対!!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

慎重論派の指摘内容

否定しようのない環境への影響

品川-名古屋間286キロのルート上に、直径30mの喚気・非難用立坑が5~10キロごとに造られます。中央アルプスの真下を突き抜ける地下線路は、水脈を乱し、湧き水を枯渇させるばかりでなく、予測不可能な水脈を作り出す可能性もあります。中央アルプスの豊かな自然にどれだけの影響を与えるか、国やJR東海が事前調査をするとは思えません。




●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!

戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す
きちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!


天皇制を考えよう!!
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり

象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!


池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1


・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!!
戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!!
戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!!


●医療問題
731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
【座間殺人事件】白石隆浩は臓器売買・臓器提供グループの一員だった!!?関係者が衝撃告発・

医療ミスで1.4億円賠償 男児に後遺症


世の中まじめに働くを心を病んでしまう??
精神科以外の病院、利益率悪化 人件費の増加響く


●自衛隊
花見中、二十数回にわたり殴打 「酒断られ、腹立った」 陸曹長停職 仙台駐屯地

サリン事件と自衛隊の関係は??





5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
大宮駐屯地5月28日


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?

相模海軍工廠(日本海軍の毒ガス工場)


・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


自衛隊と日航機墜落事故の関係は??


●憲法9条を守れ!!
大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条


“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!















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