2009年7月3日金曜日

夏淑琴さん来日!!

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

●(転載)(夏淑琴【か・しゅくきん】さん名誉毀損裁判)
皆さんのご支援のおかげで
今年の2月に最高裁で完全勝利を勝ち取ることができました。
皆さんとこの素晴らしい勝利をお祝いしたいと思いますので
ぜひぜひご参加ください。

夏さんや南京の弁護士、 笠原先生や日本の弁護団からも
お話をしていただきます。
夏淑琴さん、南京大虐殺記念館長が来日します!!
==========================
 夏淑琴さん名誉毀損裁判
 大勝利記念集会のお知らせ

==========================
南京大虐殺の被害者・夏淑琴さんに対する名誉既存裁判は、
今年の2月5日、最高裁第一小法廷より棄却する決定を受け、
最高裁での勝利が確定しました。
 この勝利判決を祝して、中国より原告の夏淑琴さんをお招きし、
勝利報告集会を開催いたします。
 ご支援くださった皆様とともに、この裁判の意義を確認し、
そして勝利をお祝いしたいと思います。

明後日です!!

■日時 7月5日(日) 午後1時30分~4時30分
■場所
江東区豊洲文化センター 第5・第6会議室
地下鉄メトロ有楽町線 豊洲駅徒歩2分
http://www.kcf.or.jp/toyosu/map.html
■参加費 800円
■お問い合せ 事務局・荒川 090-3801-7184


▽南京大虐殺の被害者・夏淑琴さん
 1937年12月13日、南京での凄惨な虐殺が巻き起こる中、日本軍によって夏淑琴さんの家
族、そして隣家の人々が、夏淑琴さん(当時八歳)とその妹(当時四歳)を除いて皆殺し
されました。夏さんご自身も日本軍に銃剣で刺されるなどの被害を受けましたが、妹とと
もに、奇跡的な生還を遂げました。

▽夏淑琴さん名誉毀損裁判とは?
 南京大虐殺否定派の中心人物である東中野修道氏(亜細亜大学教授)は、『「南京虐殺 」の徹底検証』(展転社、1998年)で、夏さんを強引な理屈で「ニセ証人」だと侮辱しま した。
 この事実を知った夏さんは、00年11月、中国・南京で名誉毀損訴訟を起こしました。東 中野氏と松村俊夫氏及び展転社を被告とした裁判でしたが、被告人らは代理人も立てず、 一度も出廷することなく敗訴が決定しました。
 この中国での訴訟に対し、05年1月、東中野氏と展転社は、中国の裁判での賠償金支払い
命令に関し、日本国内での支払い義務がないことを確認する「債務不存在確認訴訟」を起 こします。
 この訴訟に対し、06年5月、夏淑琴さんが原告となり、東中野修道と展転社を被告とし、 反訴として名誉毀損訴訟を提起し、国内で本格的に裁判で戦うことになりました。

▽判決の内容
 一審では、ほぼ原告側の主張を認め、東中野氏と展転社に対して350万円、東中野氏に対
し50万円、総額400万円の支払いを命じる判決が下されました。
 しかし、注目すべきは金額もさることながら、判決文で東中野氏の研究姿勢について
「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに 値しないと言っても過言ではない」 と厳しく断じている点です。
 二審の東京高裁では被告・原告ともに控訴を棄却、最高裁でも被告の上告を棄却したこ
とにより、一審でのほぼ完全な形の勝利判決が確定しました。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
事実・COM(南京への道・史実を守る会公式HP)
http://jijitu.com/
http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/hyakunin/guardahistoria.htm
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・・南京への道・史実を守る会・・・・・・・
URL:http://www.jijitu.com
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mail:honda_sien-owner@egroups.co.jp
FAX:020-4624-2381

・モバイル: http://rd.yahoo.co.jp/egroups/050616info/1.html
・移行手続: http://rd.yahoo.co.jp/egroups/050616info/2.html
・利用規約: http://rd.yahoo.co.jp/egroups/050616info/3.html 

「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

3、21世紀の平和に目を向ける

歴史の車輪は私たちの横を静かに通り過ぎ、あの痛ましい歴史はすでに半世紀余り前の出来事となっていた。しかし、この半世紀余りに、戦争の暗い影は、その戦禍に踏みにじられた星から一度も消え去ることはなかった。罪なき女性たちが戦乱で恐怖のあまり涙を流したのを思い出し、又その一方で、今の子供たちの明るい授業の様子を見ると、私たちは平和の大切さを痛感する。21世紀での人類の安寧と平和のため、戦争をなくすことの重要性を改めて認識した。

●ハルピン市平房区にある「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」。1982年建てられ、2001年に修復された後、元731部隊の旧跡を基に改めて一般公開。平和を趣旨としたこの陳列館には、毎年内外の多くの人々が訪れている。

●かの魔窟から逃れられ、今は80歳になった左憲良老人は「731部隊」の旧跡に足を運び、当時、731部隊の労働者が受けた数々の悲惨な身の上を話した。

●「中日友好交流平和の旅」のメンバーは「731部隊」旧跡にて盛大な平和祈祷慰霊活動を行い、731部隊に殺害された犠牲者を慰霊し、世界に平和を呼びかけた。



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

周長栄(男、64歳)の証言

 日本軍が南京を占領した時、私は17歳でした。1938年の3月に、私はわらを天秤で担いで家の方へ行き、葉学詩の家の門に差し掛かった所で、荷を下ろし、ちょっと休みました。ひもじかったので、何か食べる物を買いに石仏寺まで行きましたが、道で何人かの日本軍と出逢い、何をしている者かと聴かれ、農民で、わらを刈っていると言いました。日本軍は信用せず、私が兵隊だったと言い、私を捕まえ石仏寺の後ろ庭まで引いて行って尋問し、滅多打ちにもしました。2時間後に、廟にいた40歳余りの葉南という名の和尚さんに助けられましたが、日本軍は引き上げる時に、銃床で私の背中を撞(つ)き折り、終身障害者にしました。(徐化龍が記録)

  
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、

9条をえらび始めた。



・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年7月2日木曜日

夏淑琴さん来日!!

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夏さんや南京の弁護士、
笠原先生や日本の弁護団からも
お話をしていただきます。
夏淑琴さん、南京大虐殺記念館長が来日します!!
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 夏淑琴さん名誉毀損裁判
 大勝利記念集会のお知らせ

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南京大虐殺の被害者・夏淑琴さんに対する名誉既存裁判は、今年の2月5日
、最高裁第一小法廷より棄却する決定を受け、最高裁での勝利が確定しました。
 この勝利判決を祝して、中国より原告の夏淑琴さんをお招きし、
勝利報告集会を開催いたします。
 ご支援くださった皆様とともに、この裁判の意義を確認し、
そして勝利をお祝いしたいと思います。

■日時 7月5日(日) 午後1時30分~4時30分
■場所
江東区豊洲文化センター 第5・第6会議室
地下鉄メトロ有楽町線 豊洲駅徒歩2分
http://www.kcf.or.jp/toyosu/map.html
■参加費 800円
■お問い合せ 事務局・荒川 090-3801-7184


▽南京大虐殺の被害者・夏淑琴さん
 1937年12月13日、南京での凄惨な虐殺が巻き起こる中、日本軍によって夏淑琴さんの家
族、そして隣家の人々が、夏淑琴さん(当時八歳)とその妹(当時四歳)を除いて皆殺し
されました。夏さんご自身も日本軍に銃剣で刺されるなどの被害を受けましたが、妹とと
もに、奇跡的な生還を遂げました。

▽夏淑琴さん名誉毀損裁判とは?
 南京大虐殺否定派の中心人物である東中野修道氏(亜細亜大学教授)は、『「南京虐殺
」の徹底検証』(展転社、1998年)で、夏さんを強引な理屈で「ニセ証人」だと侮辱しま
した。
 この事実を知った夏さんは、00年11月、中国・南京で名誉毀損訴訟を起こしました。東
中野氏と松村俊夫氏及び展転社を被告とした裁判でしたが、被告人らは代理人も立てず、
一度も出廷することなく敗訴が決定しました。
 この中国での訴訟に対し、05年1月、東中野氏と展転社は、中国の裁判での賠償金支払い
命令に関し、日本国内での支払い義務がないことを確認する「債務不存在確認訴訟」を起
こします。
 この訴訟に対し、06年5月、夏淑琴さんが原告となり、東中野修道と展転社を被告とし、
反訴として名誉毀損訴訟を提起し、国内で本格的に裁判で戦うことになりました。

▽判決の内容
 一審では、ほぼ原告側の主張を認め、東中野氏と展転社に対して350万円、東中野氏に対
し50万円、総額400万円の支払いを命じる判決が下されました。
 しかし、注目すべきは金額もさることながら、判決文で東中野氏の研究姿勢について
「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに
値しないと言っても過言ではない」
 と厳しく断じている点です。
 二審の東京高裁では被告・原告ともに控訴を棄却、最高裁でも被告の上告を棄却したこ
とにより、一審でのほぼ完全な形の勝利判決が確定しました。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
事実・COM(南京への道・史実を守る会公式HP)
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

7、戦争責任を追及すべし

2、責任追及を止めず

戦後、日本の右翼勢力と保守勢力は731細菌部隊と細菌戦の責任を懸命に隠そうとしたが、目覚めた一部の元日本軍人と進歩勢力は日本の細菌戦責任の追及に努め、追求活動は進展を収めた。

●戦争終了後、日本経済の発展に伴い、政治大国の地位確立という野心から、日本政府はかつての戦争犯罪行為を美化したり隠したり、ひいては否認している。しかし、痛ましい歴史の事実は変わることなく存在し、被害者たちの魂は依然として浮かばれず、その遺族たちの心の傷もいまだに血を流し続けている。このような現状で、歴史の事実を認め、遺族に賠償することが、戦争を反省し、平和を大切にする最も基本的な態度だといえよう。

「生体実験」被害者遺族の訴訟

敬蘭芝さん。生体実験の被害者朱之盈さん(男、1941年7月16日に牡丹江駅で牡丹江憲兵隊に拘束される。同年、731部隊へ「特別移送」された)の妻。
 1993年、「731部隊展全国実行委員会」と「アジア太平洋戦争受難者追悼証言集会実施委員会」は、韓暁さんと敬蘭芝さんに証言してもらうため、共同で2人を日本に呼ぶ。
 1995年8月7日、敬蘭芝さんと「生体実験」の被害者王耀軒の息子である王亦兵さんなど多くの被害者遺族が日本に対して訴訟を起こし、日本政府に戦争賠償を要求した。また同年の10月から11月にかけて、敬蘭芝さんは原告として法廷陳述のため再び日本に向かった。
 1999年9月29日、敬蘭芝さんは裁判傍聴のため4度目の訪日。だが結果は敬蘭芝さんの敗訴となった。敬蘭芝さんは直ちに再度の上訴を提起した。

細菌戦訴訟



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

侯占清(男、69歳)の証言

 南京が陥落した時、私は牯嶺路の難民区へ避難していましたが、やがて生活の道が無い為に、おっかなびっくり逃げ出して来て、何か暮らしの路を見つけようとしていました。ところが珠江路の角まで来たら、たちまち日本軍の一群に引っ張られ、わらを担がせられて湖南路の国民党中央党部まで行きました。途中で、一緒に捕まった難民2人が日本軍に銃剣で突っつき殺されました。中央党部に着いてからも、食べさせも飲ませもしませんでした。明くる日の朝、日本軍は手榴弾でそこの後ろにある沼の魚を爆死させ、難民の多くを無理矢理に素っ裸にさせ沼に跳び込んで爆死した魚をすくいに行かせました。ちょうど厳寒の時で、私たち沼から上がった時、皮膚がみんな紫色にこごえていました。日本軍は又私たちを焚き火のそばに立たせ火に当たらせましたが、何と日本軍4人が私たち難民の1人を担ぎ上げ火にあぶって、面白がるのでした。私をあぶり焦がして全身火ぶくれにしたら、脇へ放り投げてほったらかし、食べさせず飲ませずで、丸々3日辛抱させられ、やっと幸いにも放たれて出て来たのでした。(李小珍と陳小敏が記録)

 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、

9条をえらび始めた。



・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)

・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年7月1日水曜日

夏淑琴(か・しゅくきん)さん来日

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!
●(転載)(夏淑琴【か・しゅくきん】さん名誉毀損裁判)
皆さんのご支援のおかげで
今年の2月に最高裁で完全勝利を勝ち取ることができました。
皆さんとこの素晴らしい勝利をお祝いしたいと思いますので
ぜひぜひご参加ください。

夏さんや南京の弁護士、
笠原先生や日本の弁護団からも
お話をしていただきます。
夏淑琴さん、南京大虐殺記念館長が来日します!!
==========================
 夏淑琴さん名誉毀損裁判
 大勝利記念集会のお知らせ

==========================
南京大虐殺の被害者・夏淑琴さんに対する名誉既存裁判は、今年の2月5日
、最高裁第一小法廷より棄却する決定を受け、最高裁での勝利が確定しました。
 この勝利判決を祝して、中国より原告の夏淑琴さんをお招きし、
勝利報告集会を開催いたします。
 ご支援くださった皆様とともに、この裁判の意義を確認し、
そして勝利をお祝いしたいと思います。

■日時 7月5日(日) 午後1時30分~4時30分
■場所
江東区豊洲文化センター 第5・第6会議室
地下鉄メトロ有楽町線 豊洲駅徒歩2分
http://www.kcf.or.jp/toyosu/map.html
■参加費 800円
■お問い合せ 事務局・荒川 090-3801-7184


▽南京大虐殺の被害者・夏淑琴さん
 1937年12月13日、南京での凄惨な虐殺が巻き起こる中、日本軍によって夏淑琴さんの家
族、そして隣家の人々が、夏淑琴さん(当時八歳)とその妹(当時四歳)を除いて皆殺し
されました。夏さんご自身も日本軍に銃剣で刺されるなどの被害を受けましたが、
妹とともに、奇跡的な生還を遂げました。

▽夏淑琴さん名誉毀損裁判とは?
 南京大虐殺否定派の中心人物である東中野修道氏(亜細亜大学教授)は、『「南京虐殺
」の徹底検証』(展転社、1998年)で、夏さんを強引な理屈で「ニセ証人」だと侮辱しま
した。
 この事実を知った夏さんは、00年11月、中国・南京で名誉毀損訴訟を起こしました。東
中野氏と松村俊夫氏及び展転社を被告とした裁判でしたが、被告人らは代理人も立てず、
一度も出廷することなく敗訴が決定しました。
 この中国での訴訟に対し、05年1月、東中野氏と展転社は、中国の裁判での賠償金支払い
命令に関し、日本国内での支払い義務がないことを確認する「債務不存在確認訴訟」を起
こします。
 この訴訟に対し、06年5月、夏淑琴さんが原告となり、東中野修道と展転社を被告とし、
反訴として名誉毀損訴訟を提起し、国内で本格的に裁判で戦うことになりました。

▽判決の内容
 一審では、ほぼ原告側の主張を認め、東中野氏と展転社に対して350万円、東中野氏に対
し50万円、総額400万円の支払いを命じる判決が下されました。
 しかし、注目すべきは金額もさることながら、判決文で東中野氏の研究姿勢について
「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに
値しないと言っても過言ではない」
 と厳しく断じている点です。
 二審の東京高裁では被告・原告ともに控訴を棄却、最高裁でも被告の上告を棄却したこ
とにより、一審でのほぼ完全な形の勝利判決が確定しました。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
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●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

7、戦争責任を追及すべし

2、責任追及を止めず

戦後、日本の右翼勢力と保守勢力は731細菌部隊と細菌戦の責任を懸命に隠そうとしたが、目覚めた一部の元日本軍人と進歩勢力は日本の細菌戦責任の追及に努め、追求活動は進展を収めた。

●戦争終了後、日本経済の発展に伴い、政治大国の地位確立という野心から、日本政府はかつての戦争犯罪行為を美化したり隠したり、ひいては否認している。しかし、痛ましい歴史の事実は変わることなく存在し、被害者たちの魂は依然として浮かばれず、その遺族たちの心の傷もいまだに血を流し続けている。このような現状で、歴史の事実を認め、遺族に賠償することが、戦争を反省し、平和を大切にする最も基本的な態度だといえよう。

細菌戦被害者及びその遺族の訴訟

●1995年、中国の戦争被害者による日本政府への賠償請求は日本の進歩的弁護士と平和団体から支持され、1995年8月と1997年8月の2回にわたり、日本軍第731部隊が行った生体実験と細菌戦の犯罪行為に対する訴訟裁判が行われた。東京地方裁判所は原告の要求を棄却するという判決を下したが、これを通じて日本軍隊の細菌戦という残忍な犯罪行為が公となった。
・政府(総務省)に被害者の要請書を提出
・秘密状態にある資料の公開を政府(防衛庁)に要求
・原告の3人(王麗君、胡賢忠、王選)による意見陳述、陳述準備書面提出(ハーグ条約につき被告答弁へ反論)、井本日記と作成者の井本熊男本人につき証拠保全申立。
・2001年12月26日に行われた第27回裁判にて、弁護団、原告側が最後の意見陳述。
・2002年8月27日午後1時30分に、一審終了。東京地方裁判所は細菌戦の事実を認めたが原告側の請求を棄却。これを受けて訴訟団の王選団長は、第2次訴訟を提起した。

細菌戦訴訟



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

倪翠萍(女、58歳)の証言

 1937年には家は今の雨花公社集余大隊でした。家には継父と母と私と3人いました。陰暦11月のある日、継父が河へ野菜を洗いに行きました。私は小さかったので、継父にくっついて遊びに行きました。継父が前を行き、私はその直ぐ後ろにくっついて行きました。突然、日本兵が1発撃って来て、その弾が継父の右の腰を抜け、私の左の肩も貫通しました。継父は死んで、私は傷を受けました。続いて、日本兵は母にも一発放ち、弾が母の右肩を貫きました。私たち一家3人で、ほんの何分間かの内に1人死亡に2人けがをしたんで、何とも惨めなことです!(蒋沛と王家春が記録)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、

9条をえらび始めた。



・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)



・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。(モンゴル、60代・男性)



・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)



・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。(中国、40代・男性)



・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年6月30日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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●(転載)(夏淑琴【か・しゅくきん】さん名誉毀損裁判)
皆さんのご支援のおかげで
今年の2月に最高裁で完全勝利を勝ち取ることができました。
皆さんとこの素晴らしい勝利をお祝いしたいと思いますので
ぜひぜひご参加ください。

夏さんや南京の弁護士、
笠原先生や日本の弁護団からも
お話をしていただきます。
夏淑琴さん、南京大虐殺記念館長が来日します!!


==========================
 夏淑琴さん名誉毀損裁判
 大勝利記念集会のお知らせ

==========================

 南京大虐殺の被害者・夏淑琴さんに対する名誉既存裁判は、今年の2月5日、2月5日
、最高裁第一小法廷より棄却する決定を受け、最高裁での勝利が確定しました。
 この勝利判決を祝して、中国より原告の夏淑琴さんをお招きし、勝利報告集会を開催い
たします。
 ご支援くださった皆様とともに、この裁判の意義を確認し、そして勝利をお祝いしたい
と思います。

 ・日時  7月5日(日)  午後1時30分~4時30分
 ・場所: 江東区豊洲文化センター 第5・第6会議室
 ※地下鉄メトロ有楽町線 豊洲駅徒歩2分
 ・参加費:800円
 ・お問い合わせ
  事務局・荒川 090-3801-7184

▽南京大虐殺の被害者・夏淑琴さん
 1937年12月13日、南京での凄惨な虐殺が巻き起こる中、日本軍によって夏淑琴さんの
家族、そして隣家の人々が、夏淑琴さん(当時八歳)とその妹(当時四歳)を除いて皆殺
しされました。夏さんご自身も日本軍に銃剣で刺されるなどの被害を受けましたが、妹と
ともに、奇跡的な生還を遂げました。

 ▽夏淑琴さん名誉毀損裁判とは?
 南京大虐殺否定派の中心人物である東中野修道氏(亜細亜大学教授)は、『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社、1998年)で、夏さんを強引な理屈で「ニセ証人」だと侮辱しま した。
 この事実を知った夏さんは、00年11月、中国・南京で名誉毀損訴訟を起こしました。
東中野氏と松村俊夫氏及び展転社を被告とした裁判でしたが、被告人らは代理人も立てず、
一度も出廷することなく敗訴が決定しました。
 この中国での訴訟に対し、05年1月、東中野氏と展転社は、中国の裁判での賠償金支払
い 命令に関し、日本国内での支払い義務がないことを確認する「債務不存在確認訴訟」を
起こします。
 この訴訟に対し、06年5月、夏淑琴さんが原告となり、東中野修道と展転社を被告とし、
 反訴として名誉毀損訴訟を提起し、国内で本格的に裁判で戦うことになりました。

▽判決の内容
 一審では、ほぼ原告側の主張を認め、東中野氏と展転社に対して350万円、東中野氏に
対し50万円、総額400万円の支払いを命じる判決が下されました。
 しかし、注目すべきは金額もさることながら、判決文で東中野氏の研究姿勢について
「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果という
に 値しないと言っても過言ではない」 と厳しく断じている点です。
 二審の東京高裁では被告・原告ともに控訴を棄却、最高裁でも被告の上告を棄却したことにより、一審でのほぼ完全な形の勝利判決が確定しました。

> *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
事実・COM(南京への道・史実を守る会公式HP)
http://jijitu.com/




「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

7、戦争責任を追及すべし

2、責任追及を止めず

戦後、日本の右翼勢力と保守勢力は731細菌部隊と細菌戦の責任を懸命に隠そうとしたが、目覚めた一部の元日本軍人と進歩勢力は日本の細菌戦責任の追及に努め、追求活動は進展を収めた。

●1992年から、日本の平和団体が「731部隊展実行委員会」を設置し、日本各地にて日本軍による細菌戦と生体実験の犯罪行為を公表している。同時に一部の元日本軍人も展示場に足を運び証言を提供した。かつて中国人をハルピンに護送した元憲兵の三尾豊しは、のちにかの中国人たちが731部隊で殺害されたことを知った。

●「731部隊展」では、大量の分かりやすい資料で日本軍の暴行を紹介しており、多くの人々が戦争中の日本軍人の残忍さを初めて知り、これは日本社会で大きな反響を呼んだ。

●展示と同時に、日本の平和を愛する人々は募金活動を行い、中国での731細菌部隊罪証陳列館の設置と731部隊旧跡の保護に充てた。

●田村(篠塚)良雄氏は当時自分が解剖室の助手として被験者の顔にブラシをかけたことを証言した。

●小笠原氏はその証言で、当時、731部隊標本陳列室を掃除したとき、ホルマリン溶液に漬けられたソ連人被験者の首を見たことなどの状況を話した。

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

蒼開甲(男、67歳)の証言

日本の侵略軍が南京を占領した時、私は20歳で、玄武湖の老齢洲(今の動物園)に住んでいましたが、もう結婚していて、1歳余りの男の子が1人いました。家中が私の玄武湖で魚を捕るので生活していました。日本軍が掃蕩するので、妻は朝子供を連れて芦葦にもぐって隠れ、夜家に帰って夜を過ごしていました。
 1938年の1月2日、昼の1時頃、家で昼飯を作っていたら、突然完全武装した日本兵が2人闖入して来て、「ホアクーニャン(=若い綺麗な女の子)」を出せと言いました。いないと言うと、すごく怒って、その内の1人が小銃を手にして私の腹部に1発撃ったので、弾が腹部を貫き、私は地に倒れ、血が止まらず、くらんで分からなくなりました。父がすでに日本軍に捕まって使われていたので、家に誰が居て私を救護してくれたと言うのでしょう。日本軍が行ってしまってから、村の人たちが戻って来て私の惨状を見、みんな私が死んだと思って、洞穴まで運びました。気が付いたら、死人が1人私の体を上から押し付けていると分かり、骨折ってその人を押しのけ、頑張って洞穴を這い出たら、もう午後の5時頃で、夜、父が逃げ帰って来て、やっと私を連れ戻してくれました。それから膏薬で治療して、傷口はだんだん好くなりましたが、今でも傷痕はまだあるのです。
 後で分かったのですが、私の上で押さえつけていたあの死んだ人は周太山という人で、私がやられた後で日本軍に撃ち殺されたのです。(張登風と田梅が記録)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条がゆきわたった世界


「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
 国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。
同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。





第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年6月29日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

7、戦争責任を追及すべし

2、責任追及を止めず


戦後、日本の右翼勢力と保守勢力は731細菌部隊と細菌戦の責任を懸命に隠そうとしたが、目覚めた一部の元日本軍人と進歩勢力は日本の細菌戦責任の追及に努め、追求活動は進展を収めた。

●1941年12月、湯浅氏は軍医として中国山西省潞安陸軍医院で、中国人への生体解剖を目撃した。責任を強く感じた湯浅氏はこの犯罪行為を暴く活動に積極的に参加し、80歳を超えたにも関わらず、今も日本各地で講演を行い、自らの経験を以って若い世代を教育し、またそれを通じて悔恨と謝罪の意を表している。

●陰地氏は、元日本関東軍憲兵隊憲兵。1944年に2名の中国抗日人士を黒龍江省福錦県からハルピンまで護送。後にこの2人が生体実験により無残に殺されたことを知った彼は、自分の責任を強く感じた。敗戦当時、部隊から戦時状況の他言禁止の「緘口令」が出ていたが、彼は毅然として当時の事情を公表し、日本軍の暴行を暴いた。

 ●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

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(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

張文泉(男、72歳)の証言

 1937年までは、家は大輝復巷10号でした。日本軍が南京に侵入した時、私は金陵中学の難民区の中に住まっていましたが、難民が割りに多いのに、中学には井戸が1つしかなく、水が足らないので、私は水を担ぎに外へ行きました。1937年の冬月14日の早朝、私が外へ出て直ぐ、日本軍の一隊に出くわしたところ、彼らは私が水を天秤で担ぐその桶を取り上げ、地に放り投げて、脚で桶を踏みつけ、自分たちが背中に背負っていた物をおろして、(40斤くらい)、替わりに私に強引に背負わせ、その隊伍に付いて行かせました。昼の12時くらいに、板橋まで来ると、又無理に私にご飯を炊かせ、炊き終わったら私が毒を入れていないかと恐れて、私に先に毒見をさせてから、やっと自分たちも食べたのでした。飯を食い終わったら、又日本軍の別の一隊が来て、その中の馬に乗っているのが、馬の左脚の蹄(ひづめ)が落っこったので、、それを打ち付けました。ところが馬がおそらくは痛みから身をかばおうとして、突然片足をあげたのが、ちょうどこの男の口に当たり、顔が途端にふくれあがりました。そうしたら、その日本兵が怒って、私に当たり散らし、直ぐに腰から日本刀を抜いて、下腹をめがけてこっ酷く2太刀突いてきました。ベルトは消防ホース用のズックで出来ていて、とてもぶ厚く、突かれた時は痛く感じませんでした。午後、また続いて彼らのついて出かけ、4,5里くらい行った頃に、何となく体が熱っぽいので、自分でちょっと手でなでたら、手が血でべっとりし、その時やっと痛みがたまらないくらい感じて来たのですが、声を上げるわけにもいかず、ベルトで傷口をしっかり押さえるしかなく、しばらくして痛みも止まりました。
 夜になったら、私と同時に捕まった馬大福たちが、こっそり私に「暗くて日本軍に見えないから、俺たち逃げようや!」と言いました。それを聴いて、この連中についていち早く走りました。ところが、ちょうど江寧橋の北まで走った所で、後ろから機関銃が突然響いてきて、私の後ろを走っていた何人かが、みんな撃ち殺されました。その時、私は逃げ切れないんだと知って、もう走らずに、また、新たに日本軍に捕まって帰って行きました。私と同時にもう一度捕まったのは、張道全(句容の人で30歳余り)と余勝顔(淮安の人で30歳余り)の2人で、また日本軍に強いられて江寧の「張而生薬店」で飯を炊かされました。腊月の20日に、また日本軍について南京の昇州路まで行くのに、3人で道々どうやって逃げ出すか相談していました。黒廊巷まで行って、私たちある人家の内庭に駆け込んで隠れてしまい、日本軍がどんなに大声で私たちを呼ぼうとも、死んでも答えず出ても行かずで、彼らはどうしようもなくて、行ってしまいました。私は何とか生き延びられて、また難民区に帰ってきたのです。(井升安と丁亜慶が記録)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条がゆきわたった世界


みなさんは学校で、どんな歴史を学んできましたか?
 国内で行われた戦国時代の戦い以外に、日本がほかの国々と行った戦争について、どのように教わってきましたか?
 多くの国々では、自分の国がいかに正しく、立派であり、誇らしいものであるかを繰り返し強調してきました。その影で、自分の国がほかの国の人々に被害を与えたことについては、忘れられる事が多かったのです。
「国のためではなく人々のために歴史を教えたい」そう願う日本、韓国、中国の市民や研究者たちは、一緒になって一つの歴史教材をつくりました。(日中韓3国共通歴史教材委員会編『未来をひらく歴史』、高文研、2006年)。傷つけた側、傷を受けた側が、共通の歴史をとらえ直そうとしているのです。
 イスラエルは、60年にわたりパレスチナの土地を占領しています。それが理由となって、中東地域全体で暴力の連鎖が続いています。そんな中にあっても、イスラエルの若者とパレスチナの若者が出会い交流を進めています。
 インドとパキスタンは、国境のカシミール地方の領有権をめぐる対立を60年間にわたって続けています。国境では衝突が絶えず、両国は核兵器をもちミサイル開発を続けながらにらみ合っています。それでも、平和を求める市民は、国境を越えた交流を進めています。
 南アフリカでは、人種隔離政策(アパルトヘイト)の中で白人が黒人を抑圧してきました。アパルトヘイトは終わり、「真実と和解委員会」がつくられ、過去を見つめて和解を進めました。それぞれの問題において、一人ひとりの「対話」で少しずつ、ゆっくりと解決をしようと努力が続けられています。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年6月28日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

7、戦争責任を追及すべし

1、審判 


 1945年8月8日、ポツダム宣言に基づき、ソ連は日本に正式に宣戦布告。交戦後、ソ連は一部逃走中の731部隊隊員を捕獲した。1949年、ハバロフスク裁判では山田乙三をはじめとする元関東軍戦犯が裁かれ、中には731部隊の生産部部長川島清、細菌生産班班長の柄沢十三夫、孫呉支隊隊長西郡英及び牡丹江支隊隊長の尾村正男などもいた。裁判では、川島清と柄沢十三夫が第四部の細菌製造量などの仔細な問題について証言している。その他、彼らは731部隊の中国の寧波、常徳、及び浙贛鉄道沿線地区での細菌戦実施に関する状況も認めた。こうして山田乙三、川島清には懲役25年、柄沢十三夫、西郡英などには懲役15年から20年の判決が言い渡された。


●張清林さんはかつて162支隊の労働者で、細菌部隊が当時使用したネズミ飼育用の鉄カゴを提出し、日本軍による細菌兵器研究の犯罪行為を証拠立てた。

●瀋陽軍事裁判での榊原秀夫に対する尋問時の対話:
以下大意
問:医学専門知識を持つあなたは、細菌兵器は人類にどんな結果をもたらすのか当時すでに知っていたでしょう?
答:私は細菌兵器は反人類であること、「ジュネーブ条約」に反することを知っていましたが、私は完全に意識的に国際条約に背きました。私は自分が極端残忍で非道な罪を犯したことを認めます。

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
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華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

薛家林(男、74歳)の証言

 家は棲霞山衡陽寺でした。1937年の冬月に、日本兵が村に入って来ました。村の人は、行くのは行き、隠れるのは隠れました。私は行くのに間に合わなくて、日本軍に捕まりました。日本軍2人が私に道案内を命じ、ホアクーニャン(花姑娘=若くてきれいな女の子)を探しに行きました。日本軍は陳徳山の家の門を蹴り開けて、炉端に近寄り、鍋の蓋を開け、ぐつぐつ煮えているお粥を見つけました。日本軍の1人が首をかしげ「うん?」と一声発したのは、「こんなにたくさん粥がたけてて、人はどこへ行ったんだ?」という意味のようでした。もう1人の日本軍に「ホアクーニャン、いるのか?」と聴かれ、私は思わず「いないよ」と応じてしまいました。この日本兵は怒って、猛然と刀を抜いて斬りかかってきました。ひょいと首をかしげ、この一太刀をかわしたかったのですが、「カチン」とだけ聞こえて、日本刀が私の口に来ました。私は何も構わず、身を巡らして、いち早く駆け出しました。角は曲がるは、路地は抜けるはで、日本軍は私に振り切られ、私は後山の林に潜り込んで隠れました。その時分かったのですが、唇が上下とも切れて四つに別れ、左の歯が5つ6つ切り落とされていて、血が下あごから滴り落ち、汗が全身から噴き出し、痛くてたまらないのに、叫べもしませんでした。
 その時、私は九死に一生を得、生きて来れたとは言うものの、口の傷痕は永遠に日本軍の犯罪行為を記録しているのです。(張良と李家坤が記録)
 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

ひとりひとりの安全を


大事にする世界




 また、地球上の人々の生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、という考え方も広がりつつあります。たとえば、国の中で紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人々の生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
 日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。
それは前文の次の言葉です。
「我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 世界には、戦争に行くことを正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人々もいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
 平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年6月27日土曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

6、罪証を隠滅、狼狽な逃亡
 
 1945年、日本軍のアジアと太平洋の戦場におけるたび重なる敗北に伴い、石井四郎は日本の大勢がすでに去ったことを知り、その年頭に731部隊の留守者リストを作成した。731部隊の行為が国際条約にひどく違反していることを日本関東軍は十分に承知していたことから、その罪を隠すため、731部隊は逃亡前にすべての施設を完全に爆破し、重要物資と核心資料を日本に持ち帰った。

●731部隊隊員の大部分は中国の通化を経過し、丹東及び韓国釜山(ぷさん)を経由し帰国した。
●日本軍投降後、731部隊隊員のほとんどは日本に戻り、少数の支隊隊員だけが捕虜となった。

日本に戻った一部731部隊隊員の名簿と職務
石井四郎初代部隊長
北野政次第二代部隊長。帰国後は図書館の翻訳、「中村公衆衛生研究所」所長や
東京血液研究所所長などの職につく。
菊池斎731部隊第一部細菌研究部部長
太田澄731部隊第二部細菌研究部部長
碇常重医学博士。731部隊炭疽菌研究班班長
園田太郎病理研究班班長。帰国後は芦屋市太原町で病院を開き、院長を務める。
永山太郎731部隊診療部部長。帰国後は内科診療所を開く。
田部井和医学博士。かつては第一部細菌研究部部長を担当し、
帰国後は兵庫県立医科大学細菌学教授。
伊地知俊雄総務部調査課課長
石井剛男731部隊特別班(特設監獄管理)班長
石井三男実験用動物飼育、採血班班長
坂井居江731部隊第三部運輸班班長
西郡彦嗣731部隊細菌検査班班長
関根(安川)隆731部隊細菌研究技師。帰国後は水産大学学長
高橋正彦医学博士。第一部ペスト研究班班長
川上漸病理学博士。第一部川上病理研究班班長、病理解剖技師を担当。
帰国後は慶応大学医学部教授
笠原四郎病理学博士。病毒研究班班長。帰国後は北里研究所濾過性病毒研究部部長。
岡本構造病理研究班班長、解剖技師。帰国後は東京帝国大学の病理学教授
田中英雄昆虫研究班班長。帰国後は大阪市立大学教授
吉村寿人生理学博士、凍傷研究班班長。帰国後は京都府立医科大学生理学教授



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

周兆坤(男、70歳)の証言

1937年には、家は西芦柴廠178号で、父(その時50歳足らず)と母と兄と私の妻とでみんなで5人でした。家中がむしろを編むのを業としていました。日本軍が入ってくる一日前に、我が家は三岔牌(つまり今の江東郷清江村)に引っ越して住まいました。
 日本軍が南京を占領した2日目の午前8時か9時に、私は様子を見に出て来たいと思い、漢中門までまだ来ない内に、日本軍が何十人か向こうから来ました。日本軍の偉そうにしてたのが軍刀を手にして、私の面前まで来て斬り付けて来、私が首をちょっと左に避けたので、頭の右上の所が斬られて、血がぱっと出ました。幸い私は頭に厚い綿の帽子をかぶっていて、思いがけなくそれが防御になってくれ、そうでなかったらとっくに命は無かったのでした。その後で通訳みたいな人が私は兵士ではないようだと言ったので、日本軍はやっと手を止めて私を放ちました。私を痛みを堪え傷口をしっかり押さえて家に帰り、それからはもう家の門を出られませんでした。頭の傷口は10針以上縫い、1ヵ月余り大事にしてやっと癒着しました。今も頭に長さ3寸余りの傷痕が残っています。(袁史明と湯雲龍が記録)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

ひとりひとりの安全を

大事にする世界


これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
 緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
 武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。

 2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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