2009年6月17日水曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

2、細菌の感染ルート

野外実験

 731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。

第ニ章 症例

第1地域陣地内被験者の症状及びその後の経過
287号
9月7日、黄弾射撃後4時間、全身倦怠、口囲発赤を認め、翌8日、1時ごろより全身倦怠、脱力感を覚え、頚部発赤、顔面浮腫、眼瞼浮腫状、前臍背面部発赤、22時ごろより口囲に粟粒大水疱発生あり。
 9日22時ごろより口囲に多数粟粒大乃至米粒大の水泡蔟生。
 10日17時発熱37度。肩胛部、頸前胸、腹、四肢、陰嚢一般に発赤し羞明。眼痛、結膜浮腫、角膜混濁、眼脂を認む。鼻汁、咳嗽、咽頭後壁発熱を呈す。
 9月11日17時、全身彌漫性発赤、腫脹、陰嚢発赤、疼痛及び鼻汁、嗄声、咳嗽、頸内掻破感を訴える。
 9月12日10時、顔面腫脹、疼痛、項部諸所に痂皮を存す。肩胛部発赤、頚部水泡、一部濃泡化。四肢、腹発赤、陰嚢靡爛、陰茎諸所に痂皮に痂皮あり。眼症状も漸次増悪の傾向ありて、眼瞼浮腫、結膜充血著明なり。
 12日、水泡内容を無菌的に穿刺吸引し、次の試験に供す。
(1)479号の右上膊部に該液0.2ミリリットルを皮下注射す。12時間と24時間後、観察するになんらの発見しえず、毒力試験は陰性に終わる。
(2)479号の左角膜内に0.1cc注射し、一昼夜にして軽度の罩膜充血並び結膜充血を認むるに2昼夜にして正常となる。
(3)485号、468号、358号、372号計4の左上膊、右上膊に該液0.2の腕の前肘部からこの溶液を0.2ミリリットル皮下注射し、一昼夜観察するに、何等の反応症状を発見するを得ず。
 毒力試験は陰性に終わる。


 

日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 長江北岸の浦口での集団虐殺

張福龍(男、65歳)の証言

抗戦が始まる前は、家の生活が苦しく、私は父と卵を集めて売ることで、ささやかな商売にし口過ぎしていました。1938年の旧正月が過ぎ何日もしない頃に、父が私に上の兄を探しに潘家営へ行かせ、兄に家を少し助けさせようとしました。兄が「浦口の煤炭港に油の倉庫がある。人がいっぱい油を担ぎに行って売っている。今晩俺たちも行こうや」と言いました。それもいいだろう、力が有るんだから、と思いました。まだそれほど暗くなっていない頃に、私たち桶を天秤で担ぎ、長江辺りの小道に沿って浦口へと急ぎました。
 浦口に着いたら、もう真っ暗になっていました。油倉庫の周りは人の波で、あっという間に兄とはぐれてしまい、私は人込みの中をあちこち探しまわりました。2時間余りして、岸辺の方から突然「タッタッタ」という機関銃の音がしてきて、途端に人の群れが蜂の巣を突っつかれた蜂の子のように四方八方へ逃げ走り、ある者は桶すらも構っていられないほどでした。私は走るのは速い方の1人なのですが、日本兵が2,3千人とっくに人の群れをまん丸く取り囲んでいたので、やはり逃げ切れませんでした。日本軍は私を捕まえてから、荒縄でみんなを数珠繋ぎに縛るのに、1本で12,3人ずつ縛って行き、私は右手を縛られました。日本軍は銃を構え、銃剣を着けて、私たちを岸辺の方へ追い立てました。岸辺まで来て、私は1列ずつ人が日本軍に小高い所から長江へと押し落とされているのを見かけました。長江の真ん中に並んだ艦船10何隻かの上の機関銃と、加えて岸の上の機関銃3挺とが、探照燈10何台かの光に照らされながら、水の中でもがいている人の群れを掃射し、機関銃の音と泣き喚く声とが1つとなって、何とも見るに忍びなくさせました。(明日に続く)
  

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より


おたがいに戦争しないと


約束した世界


 「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
 軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
 このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。

 日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
 NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
 その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
 また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年6月16日火曜日

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

2、細菌の感染ルート

野外実験

 731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。

第一章 緒言

昭和15年(1940年)9月7日から昭和15年9月10日に至り、野砲4門(600発)、十榴(10センチ榴弾砲)8門(600発)による黄弾(イペリット弾或いはルイス式毒ガス弾)射撃を実施せり。

 第1地域発射弾数は毎ヘクタール100発、総数1800発(野砲に換算す)。射撃時間は40分、15分間射撃後、15分間休、10分間射撃なり。

 第2地域に於いては、射撃弾数は毎ヘクタールに200発。総数3200発。

 第3地域は発弾数、毎ヘクタール300発、総数4800発なり。被検物は地域内の野砲偽掩体、軽棲息所、観測所、掩蓋MG座監視所、特殊構築物内等に各々配備せり。

 第1地域陣地に配置せるものは、皆無帽、満服、下着、上靴を着用せしめ、無装面とす。
 
 第2地域陣地にては、無帽、夏軍衣、袴を着用せしめ、無装面者3名。

 第3地域陣地に配備せるものは、夏軍衣、袴を着用せしめ、無装面者2名。装面者3名とす。

 黄弾射撃後4時間、12時間、24時間、2日目、3日目或いは5日目に於ける一般症状(精神障害を伴うものを含む)、皮膚症状、眼部、呼吸器、消火器に於ける症状経過を観察せり。尚、水泡内溶液の人体接種試験、血液像並び屎尿検査を実施せり。

 

日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 長江北岸の浦口での集団虐殺

常玉華(女、66歳)の証言
 
 1937年には私の家は葛塘郷の大倪荘でした。私はやっと9歳でしたが、家の生活が苦しいのに迫られ、母(常倪氏)はよく私と3番目の兄(常大富)とを連れて旧の江口(浦口)まで商売をしに行っていました。1937年の12月15日に、私は日本軍が江口のところで中国人を縦(ほしいまま)に虐殺しているのをこの目で見ました。ある日、私達母子3人で江口で小さな商売をしていました。しばらくしたら、遠くから日本兵が何十人かやってくるのが見えたのですが、江口に着くなり人を捕まえたり縛ったりで、その時商売をしていた3番目の兄の常大富が捕まり、連れて行かれてから針金で船着き場にくくりつけられてしまい、兄と同時にくくられたのが30人余りいました。岸の上にも日本兵に針金を鼻に突き通されて縛り付けられている人がたくさんいて、機関銃で掃射され、途端に縛られていた人たち全部が倒れて、船着き場と岸辺とが血で真っ赤に染まりました。次に、日本軍は死体を長江に押し込みました。私と母とは死ぬほどに泣き叫び、母は泣いて泣いて目が見えなくなりました。それからは、私と母の2人は生活していけなくて、故郷の葛塘郷大倪荘へ帰るしかありませんでした。帰ってからも母が泣き過ぎで目が見えなくなったために、私を養っていけなくなり、そこで、その年の末にお金で幼少妻に娶られてしまいました。(章歩錦と呉大興が記録)

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

武器をつくったり

売ったりしない世界



 世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
 しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
 
 日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
 しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
 私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年6月15日月曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

2、細菌の感染ルート

野外実験

 731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。

●731部隊は各種細菌兵器の効能を試すため、野外で各種「実践演習」を行った。

●731部隊はその「成果」に基づき、随時野外で模擬演習をするため、これらの実験場をいずれも731部隊付近と周辺に置いていた。どのような実験場を作るかは、その実験内容、目的や地理的位置によって決められる。


日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  

南京大虐殺
     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 長江北岸の浦口での集団虐殺

謝宝倫(男、66歳)の証言

 1937年の、農暦臘月8日から11日までの何日かに、私は村の鄭さんの家の人が3,4人で油を担ぎに浦口へ行くのを見かけました。家は貧しい方だったので、人が油を弄(まさぐ)りに行くのを見て、私も弄(まさぐ)りに行きました。2日目の午後5時頃に、私と鄭兆禄など20人余りとが卸甲甸の芦葦洲まで行って船に乗り菜種油を担ぎに浦口へ行きました。浦口の油倉庫へ行ったら、小さい油タンクはみんなに持って行かれてしまって、残っていたのはどれも大きな桶で持てませんでした。私が行こうとしていた時に、日本軍が油スタンドの上から降りてくるのが見えたので、すぐ逃げて小さい河の西側の土手まで行ったら、日本軍が群衆を囲みこんでいるのが見え、すぐ続いて縄でみんなを一緒に縛り、長江の中の土の盛り上がったところまで追い立てて、銃剣で人々を水の中へ押し入れて行くのが見えました。鄭方氏さんたちが日本軍に長江へ押し落とされて行くのを目撃したのです。鄭方氏さんは日本軍が警備を緩めているすきに、縄をほどいて、土の盛り上がったところに掴まり、一緒に油を担ぎに行った韓兆礼と泳いで家に帰りましたが、ほかのおよそ100人余りは日本軍に機銃掃射されて長江で死んだのです。私は油を弄ること無く、危うく命を落とす危険を冒しただけで、家へ逃げ帰りました。(章歩錦と呉大興が記録)

憲法9条

 「Imagine9」【合同出版】より



武器をつくったり


売ったりしない世界



「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」

 これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
 世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

2、細菌の感染ルート

細菌爆弾の研究開発

●陶器爆弾は731部隊が独創した細菌兵器。その大量生産のため、731部隊は爆弾の外殻製造窯を造った。今は2つが残っている。

●陶器爆弾を装置したのは山口班。外殻ができると、山口班は爆弾の装置を担当する。山口班の地下倉庫では、装置完了のの陶器爆弾を保管していた。

●陶器爆弾は石井四郎が開発した特殊な細菌爆弾である。通常の爆弾は鋼鉄製で、爆発後に高熱を放つ。それに比べて陶器爆弾は陶磁器や珪藻土で作られ、少量の火薬だけで破裂し、高熱も無く、細菌を傷つけないことから、鋼鉄製爆弾の高熱による細菌殺傷がなく、日本軍による細菌戦実施での主な兵器となった。

●『注』:喬世興、男、1925年生まれ。本籍はハルピン市平房区大喬家。1942年1月から1944年12月まで731部隊で労働者として働き、山口班の装置が終わっていない爆弾を目撃。

●兵器班は731部隊第4部に所属していた。菌苗、ワクチンの生産と各種小型細菌兵器の開発を主に担当していた。

●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  化学兵器CAREみらい基金ブログ

  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 長江北岸の浦口での集団虐殺

唐世杰(男、1925年12月生まれ)の証言

 中国侵略日本軍が1937年に南京を占領した時、私はわずか12歳で、家は下関の鮮魚巷83号でした。陥落する前に、私と妹とは父母や祖母と一緒に六合県の大営集まで逃げて行きました。
 鮮魚巷83号で、我が家は個人商店と人と一緒の洗濯屋とをしていたので、伯父の唐春山と叔母の夫の高有銘とボイラー焚きの助手1人(男、30過ぎ)とが居残ってやっていました。日本軍が12月13日に南京を攻め落とした時、3人が小舟で長江を渡り、浦口へ行きましたが、一緒に渡った難民がほかに十数人いました。浦口まで逃げたとは言え、危険を脱したわけではなく、何と日本軍に捕まり、3人とも浦鎮東門まで引っ立てられ機関銃で殺害されたのですが、一緒にやられた難民が4,5百人いました。唐春山たちが殺された後、その子の唐寛栄と娘とが浦鎮まで死体を探しに行き、その難に遭った所に墓を建てました。
 1937年の終わりに、日本軍が南京を占領した時、母方の祖父の蘇宝臣と蘇宝泉の兄弟2人は、塩倉橋の北祖師庵30号に住んでいて、左官をして暮らしていました。ある日、日本兵が略奪し人を捕まえようと家にやって来て、祖父の蘇宝臣が門を開けた時に、その場で刺し殺され、それから又奥の家に入り込んだ日本兵に蘇宝泉も刺し殺されたのです。2人とも60過ぎでした。
 中国侵略日本軍は人を殺し略奪したほかに、至る所で火を着けて燃やしました。日本軍が入って来てから、我が家の鮮魚巷83号のお店と住まいでみんなで15軒あったのを、すべて焼き尽くしました。同時に焼かれたのが我が家の東側の瑞記ガラス店とすごく大きな住まいとでした。(劉相雲が唐世杰の口述を基にして整理)


憲法9条

 「Imagine9」【合同出版】より



軍隊のお金をみんなの暮らし

のために使う世界



世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
 こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
 国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2009年6月13日土曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

2、細菌の感染ルート

細菌の感染源を増やす

●細菌の殺傷力を最大限に発揮させるため、731部隊は細菌感染の最適ルートを研究し続けた結果、ノミが最適な媒介物であると判断した。ノミに細菌を感染させると、1匹1匹が「小型細菌伝染源」となり、感染したノミが人間または動物を攻撃した時に細菌の幅広い蔓延を引き起こす可能性が高いのである。

●細菌に感染したノミを大量生産するため、731部隊は昆虫班を設立した。このノミの生産過程はきわめて複雑で、まずネズミの血で大量のノミを飼育し、ペスト菌で汚染したハタリスをノミの飼育容器に入れる。ハタリスは保菌動物なので、短時間にペスト菌で死亡することはなく、時間が経つと、ペスト菌成分の入ったハタリスの血液を大量に取ったノミは、その1匹1匹が小型細菌伝染源と化す。最後はこれらノミを戦地に投与すれば、大規模な細菌戦は実施できる。

●動物班班長の石井三男は部隊長石井四郎の3番目の兄である。

●満州第659部隊(731部隊)のハタリス(ネズミの一種)の現地収集に関する命令・・・この命令は731部隊は大量のノミ飼育に使うネズミが不足しているため、各地からハタリスを徴収せよと指示した。

731部隊の各地からのネズミの収集状況表

731部隊の各地からのネズミの収集状況

1945年の1月から5月まで(龍江省)

場所

数量

泰来県

12500

トルポト旗

4500

景興県

3000

龍江県

14500

富裕県

3000

訥河県

14500

甘南県

4000

林甸県

不詳

合計

56000



●1945年5月以降、戦時情勢が緊張化したことから、日本陸軍参謀本部から短期間内に1から2トンのノミを生産し、ペスト計画を実施せよとの命令が731部隊に下った。これを受けて石井四郎はすぐに緊急会議を開き、細菌戦の準備を急ぎ、各地からのネズミの大量収集を要求したが、ペスト作戦の準備を完成しないうちに、あわてて撤退した。

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

  根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

梅福康(男、63歳)の証言

1937年12月のある日の午後、日本兵200人余りが梅架村にやって来ました。私達のこの村は6軒で20人足らずの小さな村でした。日本軍が村に入って来るなり、、殴る蹴るして村人全部を外に追い立てました。夜になり、彼らは若い婦女子を集めてある家屋に閉じ込め、男をもう1つの家に閉じ込めました。深夜に、女の人たちは日本兵が居眠りをしているすきにそっと逃げました。明くる日の朝、日本兵が気付いて、男の人たちを滅多打ちにしました。その後、日本軍は手榴弾を沼に投げて魚を死なせ、銃剣で私の2番目の兄とそのほかの人たちをせっついて、魚をつかみに沼へ行かせました。2番目の兄はその時ちょうど高熱を出していて、寒い日でもあり、沼から上がって来た時は、全身がたがた震え、のどが渇いて堪らなく、水が飲みたくて、日本軍が焚き火をしていたそばでお湯を飲もうと少し注いで、ちょうど飲もうとした時に、日本軍の1人に茶碗をひったくられ頭にぶつけられて、頭が割れ血が流れました。
 私達の村から外れた田んぼの真ん中に土の小高く盛り上がった所がありました。日本兵は魚を食べてから、私の家の祖母と父、2番目の兄、姪、従兄3人と私の8人に、村の隣人4人を加えた、みんなで12人を、一緒に小高い所のそばまで駆り立て、盛り上がった所を背にぐるっと丸く並ばせ、それから手ぬぐいで隣同士の手と手を縛って繋げて行きました。縛り終わったら、日本兵は残酷にも私達が後ろ向きに丸くなっている真ん中に手榴弾を投げ入れました。手榴弾が炸裂してからも、私達が死んでいないといけないと、凶悪にも又走って来、銃剣を振り上げて私達みんなを何度も突っつきました。かわいそうに小さな姪は、剣で刺されて痛くて堪らずに、泣き出したところが、たちまち日本兵に手で口をふさがれ窒息死させられました。私自身は耳の周りとあごと舌とがみんな炸裂で傷し、胸に2太刀と、尻に1太刀とで、3太刀突っつかれました。この時に害を受けた12人の内、10人が死んで、最後まで生き残ったのは私ともう1人の隣人だけになりました。我が家は8人だったのが、7人炸裂死の惨に遭ったのです。
 日本兵は私達が全部爆死させられたと思い、火を放って家を全部焼きました。私の兄が前に日本軍に捕まり飯炊きに隣村へ行かされたのですが、自分の村から火が出ているのを見て、駆けて帰って来て、初めて私のまだ生きているのを見つけ、私を近くの山に担いで行き、2,3日おきに場所を移し、20日足らずしてやっと危険を脱しました。私は舌が2,3年回らずに、話もはっきりは言えませんでした。(秦金文が記録)

憲法9条

             「Imagine9」【合同出版】より



軍隊のお金をみんなの暮らし

のために使う世界


1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
 世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
 その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。

 世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月12日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より

4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

1、細菌生産

●「石井式細菌培養箱」は石井四郎が「発明」した細菌生産用具の1つであり、731部隊で広く用いられた。細菌繁殖の際、まず補助材料を容器の内壁に沿って中に流し込み、そして菌株の付いた軽金属の薄板を中箱の間に差し込み細菌を繁殖させ、1生産周期を20時間とする。元731部隊隊員の田村良雄氏の記憶によれば、1つの細菌培養箱の20時間の細菌生産量は10グラムだが、731部隊は毎度1000個以上の細菌培養箱を使用していた。

●731部隊の細菌培養に使う培養基は3回使用できる。細菌生産で1周期が終えると、培養基の細菌を掻き出し、溶解釜で培養基を溶解させ、再び培養基に菌株を植入し、それを3回繰り返して培養基が培養能力を失うまで続ける。

●731部隊では物品消毒に、通常は乾熱滅菌器を使用する。まず、消毒する物品を乾熱滅菌器に入れて密封したあと、電気で加熱し、同時に最上部の通風孔を開く。そして、器内の温度が160℃に達した時、温度を下げて低温加熱に切り替えて30分から1時間続ける。最後に、器内の空気温度が170℃から180℃に達すると、加熱を止めて通風孔を閉じ、密封状態のままで自然冷却させる。



●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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南京大虐殺 
   
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

徐正陶(男)の証言

 1937年に、日本の軍隊が南京に攻め込みましたが、まだ南京に入らない前に、私達のこの村の近くでも、残忍非道な大虐殺が行われ、2万人以上が難に遭ったのです。
 その時、日本兵はここに駐屯していた中国の軍隊と付近の村民2万人余りを、今の寧蕪公路と古雄駅から梅山工程指揮部までの専用鉄道線路とが境を接する所(村人達は唐家沖と呼んでいた)に集めて集団的に大虐殺を行ないました。駆り立てていく間に、中国の軍人と無辜の民衆とがたくさん日本兵に軍刀で西瓜を割るような仕方で斬り殺されました。集め終えてから、日本兵が小高い所に機関銃を据え付け、窪地にいる2万人に向け気違いのように掃射するや、途端に、地が一面に横死体でびっしり敷き詰められ、血がそばを流れる小川を真っ赤に染め、そのすさまじさは見るに堪えないものでした。続いて、残酷な日本兵は死体の山の周りにたきぎを並べ、死体にガソリンをまき、野蛮にも燃やしてしまうという、その全く人間性を喪失した甚だしさたるや思わず髪が逆立つほどの怒りを覚えます。
 日本兵が去って行ってからも、まだ死に切れない被害者がたくさん苦しそうにうめいていて、間もなく恨みを抱きつつ死んでいき、ごく少数の者だけが九死に一生を得たのでした。
 それに、日本兵は至る所でホアクーニャン(花姑娘=若いきれいな女の子)を探していて、その時女の子が2人いたのが日本兵に踏みつけにされるのを恐れて、土窯に入り込んでいましたが、日本兵が2人に出て来いと命じても、肯じようとせず、とうとう日本兵が煙で活きながらに燻し(いぶし)殺してしまい、今に至るまで2人の墓がうちの村の東の丘に在ることとなりました。(石磊と王慧が記録)

憲法9条

 「Imagine9」【合同出版】より



9条をつかって、


戦争のない世界をつくる。


中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2009年6月11日木曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より


  4、細菌兵器の研究開発

14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。

1、細菌生産

細菌生産量の統計表
1937年7月~1942年7月(田村良雄氏が1954年に提供した証言による)
細菌の種類合計(キロ)付記
19397-8チフス菌パラチフス菌コレラ菌赤痢菌  22.5 
19405チフス菌     20 
19407-11チフス菌パラチフス菌コレラ菌 炭疽菌ペスト菌270 
19411-2    炭疽菌ペスト菌9粉末状
19415    炭疽菌ペスト菌9粉末状
19417-9チフス菌パラチフス菌コレラ菌赤痢菌  70 
19419-11     ペスト菌70 
194112     ペスト菌5 
19424    炭疽菌ペスト菌24 
19426-7    炭疽菌 140 
総計       639.5 

 
●柄沢十三夫は自ら細菌生産を指導し、生体実験に参加し、遠征隊にも参加して中国華中地区に細菌を散布していた。敗戦後逃走中にソ連軍に捕まり、その後、ハバロフスク軍事裁判で懲役20年の判決を言い渡された。

日本軍細菌戦部隊
日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   516部隊

   731部隊

  
  731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


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  大久野島(毒ガス島)

  中国人戦争被害者の要求を支える会

  中帰連

  ハイナンネット
 
  南京への道:史実を守る会

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南京大虐殺     
   「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺

 中華門外での集団虐殺

 孫成英(女、62歳)の証言

 1937年には、私は16歳で、私の家は鉄心橋の王家凹村でした。日本人が私の村にやってきた時、私は家の人と山に上って避難しました。日本人が行ってしまってから私達が村に帰ったら、王有仁の父親の王根(その頃60歳くらい)が自分の家の戸口の前で死んでいて、体に刀の傷痕があり、全身血まみれでした。王道雲の母親の王茂(その頃40歳くらい)も死んでいて、お腹が2箇所刺され、頭に弾が突き抜けた穴もあって、そばに2歳の小さい女の子も死んでいました。
 

憲法9条 
           「Imagine9」【合同出版】より


9条をつかって、


戦争のない世界をつくる。



「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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